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映画日記2018年11月10日~12日/サイレント時代のドイツ映画(4)

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 '20年代初頭のドイツ映画界には監督、カメラマン、俳優以外にも美術品装置や脚本家にキーパーソンとなるイノヴェーター的才能を輩出したことでも先駆性があり、美術や脚本主導で作品の企画の性質が決まるのは演出(監督)や撮影(カメラマン)と同等の力を持つこともある例を一連の作品で初めて知らしめたことにも、この時期のドイツ映画が作風の直接影響ではなくても、映画作りの考え方に一歩を進め、後世の西欧諸国の映画の方法意識に感化を与えたのを知ることができます。フリッツ・ラング夫人のテア・フォン・ハルボウ(1888-1954)はラングの『彷徨える影』'20、『彼女を巡る四人の男』'21からラング渡米前の『死滅の谷』'21、『ドクトル・マブゼ』'22(2部作)、『ニーベルンゲン』'24(2部作、キネマ旬報第4・5位)、『メトロポリス』'27(キネマ旬報第4位)、『スピオーネ』'28、『月世界の女』'29とトーキー2作『M』'31、『怪人マブゼ博士』'32の他、F・W・ムルナウの『ファントム』'22、ドライヤーの『ミカエル』'24の脚本家ですし、カール・マイヤー(1894-1944)はロベルト・ヴィーネの『カリガリ博士』'20、『ゲニーネ』'20、ムルナウの『フォーゲルエート城』'21、『最後の人』'24(キネマ旬報第2位)、『タルテュッフ』'26、ムルナウ渡米後の『サンライズ』'27(アカデミー賞第1回最優秀芸術作品賞、キネマ旬報第1位)、『四人の悪魔』'28(キネマ旬報第2位)、ワルター・ルットマン『伯林=大都会交響楽』'27の他、「室内劇映画三部作」とされるループ・ピック(1886-1931)『破片』'21、レオポルド・イェスナー(1878-1945)/パウル・レニ(1885-1929)『裏階段』'21、ループ・ピック『除夜の悲劇』'23は意欲的なプロデューサー・監督によって実現されたもっとも初期の無字幕長編映画で、ムルナウの画期的な『最後の人』はこの三部作の成果の上に撮影・演出技法の革新によって映画史上の展開点となったのがわかります。またカールハインツ・マルティン(1886-1948)監督の『朝から夜中まで』は'20年に製作、'21年に完成されましたが、元来は劇作家ゲオルク・カイザー(1878-1945)の'12年執筆・'17年初演の表現主義演劇の先駆けとなった舞台劇の話題作で世界各国で翻訳上演されており、試写上映だけで見送られ、唯一日本でのみ大正11年(1922年)12月に一般公開(商業上映)されてヒット作となり、戦後に本国では完全に散佚したと思われていたのが世界で唯一日本近代美術館フィルムセンター(現国立フィルムアーカイヴ)に所蔵プリントがあるのが判明し、世界中の美術館から自国の稀少作品と交換で複製のための貸し出し依頼が殺到する作品になりました。現行の世界各国の上映プリント、映像ソフトはすべて日本のフィルムセンター所蔵プリントを原盤としたもので、この再発見により「『カリガリ博士』以上の実験的表現主義映画」と再評価されることになった数奇な運命の作品ですが、同作もまた、先に脚本・美術装置ありきの映画だったと見なせるでしょう。
 いろいろ見直してみた結果、当初ドイツ映画との隣接作品として取り上げるつもりだったスウェーデン映画の『霊魂の不滅』'21(シェストレム)や『魔女』'22(クリステンセン)、そして『彼女を巡る四人の男』の次作で初期フリッツ・ラングの総決算であり、表現主義映画の潮流にはっきり狙いを定めて国際的名声の確立に成功し、ラング作品としても初めて名作と言える会心の出来となった『死滅の谷』(ドイツ公開'21年10月、日本公開大正12年='23年3月)を当初は今回観直すリストに入れていたのですが、スウェーデン映画『霊魂の不滅』『魔女』はまた別の機会に、『死滅の谷』からは前述したように国際的監督となったハルボウ脚本によるラングの名作時代の始まりとなるので、もとより11月に毎日1本ずつ観るだけで'20年代ドイツ映画の全貌に迫るのは無理ですが、改めて観落とされがちな作品、これだけは外せない作品、里程標的作品をごくごく狭い範囲で絞りこみました。もっともラング作品はルビッチと並んで出自の類縁性や対抗意識はあっても表現主義映画とは本質的に異なる指向にあると思われるので(ラングは『カリガリ博士』の監督予定が流れて以来マイヤー脚本に食指は動かしませんでしたし、ラング改稿前の『カリガリ博士』のマイヤー脚本をアマチュア並みと批判しています)、エルンスト・ルビッチ同様フリッツ・ラングもドイツ映画の潮流とは平行してキャリアを築いていた監督と思われるのです。ここではラングの試行錯誤がドイツ映画の暗中模索と重なっていた『彼女を巡る四人の男』'21までを興味の対象とするゆえんです。『カリガリ博士』のヒロイン、リル・ダゴファーが真に魅力的なヒロインを演じたのは同作でも『蜘蛛 第1部 : 黄金の湖』『ハラキリ』でもなく名作『死滅の谷』なのを思うと残念ですが、前置きだけでも'21年のドイツ映画で最高の作品は『死滅の谷』だろうことを触れておきます。

●11月10日(土)
『彼女を巡る四人の男、または闘う心』Vier um die Frau : Kampfende Herzen (監=フリッツ・ラング、Decla-Bioscop'21.2.3)*84mins, B/W, Silent; 日本未公開

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 フリッツ・ラングはマイ・フィルムへの招聘作品『彷徨える影』'20のあと自作脚本『インドの霊廟』前後編を同社で監督するのを望んでいましたが、同作は同社主宰のヨーエ・マイが監督することになったのでラングはデクラ社に戻ります。ラングの『インドの霊廟』への愛着は深かったようで戦後にドイツで作った引退直前の大作『大いなる神秘』'58前後編は『インドの霊廟』の念願のラング自身によるトーキー/テクニカラー版映画化で、大人が大真面目で観て楽しめるファンタジー異国冒険映画で、マイ監督版『インドの霊廟』'21は観ておらず触れられませんが、『大いなる神秘』の出来から想像すると『蜘蛛』連作の延長でもっと優れたものとシナリオ構成だけでも推察できます。さて、デクラ社に戻ったラングが作った日本未公開作品の本作も『彷徨える影』とは異なる趣向から凝った構成で、原作戯曲はありますが(『彼女を巡る三人の男』)、本作以降戦前ドイツでの最終作でトーキー版続編『怪人マブゼ博士』'33までコンビを組んだ女流作家・脚本家テア・フォン・ハルボウの脚本によるラング作品の第2作でもあります。映画全編を観てようやくわかるような本作のあらすじをなるべくシンプルにまとめると、業界一の美人妻を持つと冷やかされている株式業者ハリー(ルドヴィッヒ・ハルタウ)が妻フローレンス(カローラ・テレ)へのプレゼント用にと盗品密売商(ルドルフ・クライン=ロゲ)に頼んでいた偽宝石のブローチをつかまされるのが事の発端です。密売商は町の高級ホテルに滞在しに来た男からも指輪の依頼を受けていて、その男を見かけた株式業者の知人ムニエ(ロベルト・フォルスター=ラリナーガ)は男の動向をマークします。実はその男は株式業者夫人の元の恋人ヴェルナー(アントン・エトホファー)の双子の弟ウィリアム(アントン・エトホファー/二役)でプレイボーイの詐欺師で世渡りしており、フローレンスから兄の行方を聞き出そうと贈り物の指輪を用意していたのでした。フローレンスに懸想するムニエは背後関係(夫ハリーは妻の元恋人ヴェルナーの存在を知りません)を探って夫人を脅迫し、さらに船員になっていたヴェルナーも偶然町に戻ってきて双子の弟と取り違えられて話は揉めます。婚約披露宴の晩に一時抜け出してヴェルナーに別れを告げていたのをフローレンスが秘密にしていたことからハリーはフローレンスの浮気を疑っていましたが、事態の紛糾にハリーの疑念はますますつのり、結局事実を知った夫ハリーは妻フローレンスへの脅迫者ムニエを射殺します。現場にやって来たウィリアムが詐欺師の前科もあって宝石窃盗とムニエ殺害容疑で逮捕されそうになり、兄であるヴェルナーが罪を被ろうとしますが、フローレンスは「いつまでも待つわ」と夫ハリーへの愛を誓い、妻との愛を確かめたハリーはフローレンスに送られて自首に出向きます。
 ……と一回読んで理解できる人はいないのではないかと思えるくらい下手な紹介に嫌気が差すようなあらすじしかまとめられませんが、人物の正体と人間関係が見えてくるまでがこの映画も長いのです。『蜘蛛 第2部:ダイヤの船』は複数の悪党団が抗争したり手を組んだり仲間割れしたり慌ただしいので主人公ケイ・ホーグ側との区別をつけるのすらやっとでしたが本作は「四人の男」(夫、元恋人、その双子の弟、脅迫者)、『彷徨える影』よりさらに入り組んだ人間関係を理解する頃には映画は中盤までさしかかっている、という具合ですが、『蜘蛛』より数段手際はこなれていますし、また『彷徨える影』より欠損部分が少ないですし、ヒロインの遊び人の有閑マダム仲間なども出てくるので勘所はサスペンス風味のメロドラマなのが早いうちからわかるので観客を引っ張る力はありますし、後にラングはサスペンス/スリラー映画をどっさり撮りますからこういう陰謀ものは最初から好きだったのがわかって感心します。ただし本作はアメリカ映画でもフランスやイタリア映画でも色気や洒落っ気が出てきそうな、サスペンス風味であっても本来ならシチュエーション・コメディめいた設定と筋書きなのにそういうユーモアや情感はほとんどありません。謎めいた人間関係がもつれにもつれる様をひもといていくのが興味の中心になっている映画なので、他は当時のドイツ文化圏の富裕階級の最新ファッションが見所といったところです。これは『ドクトル・マブゼ』'22でより鮮明になりますが、個人よりも都市を描こうという指向が本作あたりから芽生えてきています。本来原作戯曲(原作『彼女を巡る三人の男』なのに本作が4人なのは、ヴェルナーの役割をヴェルナーと映画用の創作人物、双子の弟ウィリアムに分けたからになるそうです)もハルボウ脚本も意図しだだろう艶っぽい話の割にまるで艶っぽくないのはおそらくラングの演出意図でしょうし、人物の織りなす幾何学的構図を興味の焦点にしたのでしたら成功かもしれませんが、情感やユーモアを持ちこまなかったことで魅力が増したか半減したかは本質的にはメロドラマの本作の場合には判別が難しい気もしてきます。'87年ブリュッセルのF・W・ムルナウ財団による『ハラキリ』『彷徨える影』と本作のラング作品3作のレストア修復彩色版はレストアの威力で美しい画質と丁寧で適切な音楽が楽しめる最上のヴァージョンですが、ラングと双璧をなす同時代のドイツ映画監督ムルナウの諸作と比較すると贅沢な不満ながら、ラングのサイレント時代の初期作品にはアイディアは豊富で映像は鋭利ですが潤いは乏しく感じられます。冴えた映像感覚や技法ではドイツ映画界でも一歩リードした存在で、1作ごとに試行錯誤を重ねながら進展を果たしてきたのは本作の洗練されたサスペンス技法からでも感じられますが、次作で一気に飛躍する予兆はここまでの作品からは見られないので、『死滅の谷』がいかに画期的作品だったのかがうかがえます。

●11月11日(日)
『破片』Scherben (監=ループ・ピック、Rex-Film GmbH, '21.5.27)*50min, B/W, Silent; 日本公開大正12年(1925年)4月17日(尺数不詳) : https://youtu.be/NuZahIcfuKo

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 ドイツ映画のサイレント時代の無字幕長編映画の試みが日本に紹介されたのはアルトゥール・ロビソン『戦(おのの)く影』'23、カール・グルーネ『蠱惑の街』'23が大正14年(1925年)9月に2本立て公開され、F・W・ムルナウ『最後の人』'24が大正15年(1926年)4月に公開されてキネマ旬報ベストテン外国映画2位の好評を得て広く認知され、『最後の人』に先立つカール・マイヤー脚本作品のループ・ピック『除夜の悲劇』'24が翌昭和2年(1927年)11月に公開されますが、『除夜の悲劇』はマイヤー脚本による室内劇無字幕映画三部作『破片』'21、『裏階段』'21の第3作に当たる作品でした。『破片』『裏階段』の2作は日本では商業公開を見送られてプレス試写も行われなかったようですが、表現主義以降の新機軸として映画人への参考試写は行われたらしく、戦前から言及だけはされています。本格的な無字幕長編映画の嚆矢とされる本作はクレジット・タイトル(副題「5日間のドラマ」)以降は「1日目」~「5日目」と日数経過を示すタイトル、映画冒頭のモールス信号電信による「明日、鉄道監督官到着」の電信用紙の大写しはありますが、あとは映画の結末で主人公の踏切番が殺人を自供する一言しか台詞字幕は使われません。小品家庭悲劇である本作のあらすじは、田舎の鉄道踏切番の家庭が舞台です。「1日目」進む列車の先頭から進路を映した映像で映画は始まります。踏切番(ヴェルナー・クラウス)の妻(ヘルミーネ・シュトラマン・ヴィット)と娘(エディット・ポスカ)の一家が昼食の食卓で食事中に、踏切番はモールス信号電信機(職務上自宅にもあるようです)で、鉄道監督官がやって来るという知らせを受け取ります。突風で窓が開き、窓ガラスが割れて床に散ります。娘が窓ガラスの破片を前掛けに拾い集めます。「2日目」翌日、監督官(パウル・オットー)が到着して踏切番が家に迎えます。娘が階段を掃除しているとき、監督官が降りてきて娘と出会い、ほんの一瞬二人は見つめ合います。「3日目の夜」田舎娘は町から来た男に惹かれ、夜、監察官は娘の部屋に忍んで行きます。踏切番はいつものように自分の勤務に就き、自分の管轄線路区間を、冬の寒い夜中に歩いて見て回ります。家では母親が目を覚まし、物音に気づいて追って行くと、監督官の部屋からと感づきます。娘の部屋のベッドが空なのを見つけ、母親は斧で扉を破って監督官の部屋に入り、たちふさがる監察官の背後のベッドに娘がいるのを見つけます。母親は監察官を非難しますが冷たく退けられます。絶望した母親は、遠く雪道を夜中の道端の十字架像の前に行き、すがりついて慰めを求めます。監督官は気を失った娘を抱いて、彼女の部屋へ運んで行きます。「4日目の朝」翌朝、目覚まし時計が鳴り、娘は目を覚まし、台所で朝の支度に取りかかります。踏切番は勤務から戻り、妻がいないのに気づきます。娘の顔は、夜中の出来事を物語っています。踏切番は森の中を捜し回り、雪の中で凍え死んでいる妻を見けます。踏切番は妻の死体を家へ運びますが、監督官は肩をすくめるだけです。「5日目」踏切番は妻の遺体をそりに乗せて、墓地へ運びます。その間に娘は監督官に一緒に連れていってくれと懇願しますが、冷たく拒まれます。取り乱して帰宅した父親に、娘は男に犯されたことを告げます。踏切番は監督官に釈明を求めますが、あくまで高慢な監察官の態度に逆上して監察官を絞め殺してしまいます。機関車の一等客室中の旅行客たちの様子が映り、緊急停車で客たちはざわめき、機関士たちは何事かと停車させた列車から下ります。踏切番はカンテラを掲げ、駅のない線路上で止めた機関士たちに、一言「私は人殺しだ(ICH BIN EIN MOERDER)」と告げます。列車は走り始め、映画は終わります。
 ……カール・マイヤーは共作者のハンス・ヤノヴィッツともども『カリガリ博士』が出世作になった脚本家で、ヤノヴィッツも『カリガリ博士』によって一本立ちの中堅脚本家になりますが、実際『カリガリ博士』のシナリオ決定稿をまとめたのはフリッツ・ラングでしたし、マイヤーとヤノヴィッツはカリガリ博士を社会的陰謀を一身に体現した象徴的人物としてその陰謀を描き、露見し、処刑されて秩序が回復するまでを描いた社会的メッセージの強い反体制的内容を意図したが、映画会社の自主規制で改変されたと主張しており、一方当初監督予定だったフリッツ・ラングは(ヒット作『蜘蛛 : 黄金の湖』の続編『蜘蛛 第2部 : ダイヤの船』の同月公開の企画が急遽上がって、『カリガリ博士』は同じ会社の先輩監督ロベルト・ヴィーネに譲りますが)プリプロダクション段階でマイヤー&ヤノヴィッツ脚本を「アマチュア並み」と一蹴、現行の映画化された決定稿に改稿したいきさつがあります。マイヤー脚本はヴィーネが『カリガリ博士』の次作に発表した『ゲニーネ』やムルナウの『フォーゲルエート城』'21で表現主義映画の脚本家と見なされるようになったのですが、一連の表現主義映画でもっともアヴァンギャルドな手法をとった作品が'12年発表、'17年初演の表現主義舞台劇『朝から夜中まで』の映画化('20年製作、'21年完成)だったように、表現主義芸術運動そのものは'10年代初頭から文学、美術、音楽、演劇運動などに起こっており、映画が表現主義を摂取するのは長編映画時代の到来と第1次世界大戦後の景気回復と表現の自由化を待たなければならなかった事情があります。ドイツ映画は『カリガリ博士』の成功をドイツ映画ならではの屋外ロケ条件の不足、他のヨーロッパ映画と較べても低予算でスタジオ・セット撮影にせざるを得ない条件に見合った、E・T・ホフマン流の怪奇譚の伝統と結びつけた、小規模ながら鬼面人を驚かす風の路線で国際流通商品を目指すことになりましたが、カール・マイヤー自身はもっとオーソドックスな指向を持った脚本家だったのがうかがえるのが「室内劇映画」三部作です。マイヤー脚本から最高の映画になったのがホテルの玄関番老人の退職日の絶望を描いた『最後の人』、浮気夫の回心と夫婦愛の回復を描いた『サンライズ』という人物・舞台・事件ともに限定されたシンプルなもので、それをムルナウという天才監督が取り上げた時に傑作になったので、「室内劇映画」三部作はもっと悲劇性を強調した連作ですしループ・ピック、パウル・レニらはサイレント時代の終わりとともに逝去してしまった(事故死ですが、ムルナウもそうでした)中堅監督ですが、脚本の意図をよく酌んで、演出やセットは奇をてらわない、端正といっていいものです。『破片』の場合は屋外シーンと屋内シーンの対照があり、必ずしも室内劇映画という感じがしないのはヴェルナー・クラウスの見回る鉄路や、娘の不貞に絶望した母がさまよい出てすがる雪の中の十字架像、妻を探し回る主人公といった具合に悲痛な重要場面が屋外でもありますし、また徹底した冷血漢に描かれた監督官の描き方はあえて何の反応もしない人物としか描かないことで十分描かれているのですが(フルサイズのショットなのに激昂した踏切番に迫られて咥えた煙草がぽとりと落ちるだけでも強い印象を残します)、無字幕映画にしたことで生まれた効果が非常に大きい反面、娘がこの冷血漢の監督官に連れて行ってとすがる場面には心理的な辻褄あわせを考えないわけにはいきません。通常ならばこれは娘の側の未練に見えますがこの映画の設定ではそれは不自然なので、辻褄あわせをすれば娘が監督官の誘惑に身を任せたのも、連れて行ってとすがったのもこの山奥の親子三人だけの生活への倦怠、嫌厭から家庭崩壊のきっかけを作ったと解釈もできるので、そうなると映画への解釈全体も変わってきます。冒頭の食卓シーンはドイツ映画では珍しく幸福でおいしそうな家庭の食事シーンに見えるからですし、心理的解釈とすれば監督官は権力者といえども泊めてもらった職員の娘を犯すとは軽率に過ぎますし、また娘の行動は母の死に取り乱したごく衝動的なものと取る方が流れとしては自然で、最初は母の死に自責の念と父からの懲罰を恐れて監督官にすがり、拒否されると父に監督官に犯されたと告白した、というのが必要最低限の台詞字幕があれば容易に伝わったはずです。サウンド・トーキー映画で台詞がないのと、人物が会話しているのに無字幕で通したサイレント映画ではまったく違うので、本作は「1日目」~「5日目」の章タイトルと結末の唯一の字幕「私は人殺しだ」が効いていますが、実験的な無字幕手法を地味な題材で描いて異色作を目指した作品として成功しながらも、映画の柄の小ささは否めないものになっています。しかし『カリガリ博士』の脚本家が表現主義を乗り越えてなお実験性を追求したインパクトの強い映画という工夫がこういう試みで、しかも三部作構想のヴァリエーションを考案したのは、外見上はまったく反表現主義といえるほど地味な作品だけにこの時代のドイツ映画の探求心の旺盛さを感じさせます。

●11月12日(月)
『裏階段』Hintertreppe (監=レオポルド・イェスナー/パウル・レニ、Hanns Lippman-Henny Porten Produktion'21.12.11)*44min, B/W, Silent; 日本未公開 : https://youtu.be/bLXFFqrQMEk (English Version)

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 カール・マイヤーの「室内劇映画」三部作のうち『破片』に続く第2作は、貧しい庶民の情痴悲劇の小品です。監督のうちレオポルド・イェスナーは演劇畑の人で、のちにG・W・パプストが『パンドラの箱』'29で映画化するフランク・ヴェーデキントの「ルル」2部作『地霊』1895、『パンドラの箱』'03(アルバン・ベルクの遺作オペラ大作『ルル』'26-'35でも有名)の上演プロデューサーとして名を馳せた人で映画は本作が唯一です。一方パウル・レニは表現主義映画の頂点と謳われる『裏町の怪老窟』'24を国際的ヒット作にしてラング、ムルナウに次ぐ才能として渡米し、『猫とカナリア』'27、『支那の鸚鵡』'27、『笑ふ男』'28と後世に影響力の大きいヒット作を連発するも歯科手術後の敗血症で急逝した、ループ・ピック同様早逝が惜しまれる監督で、マイケル・カーティスやウィリアム・ディターレのようにアメリカ映画界で活躍し得た人たちです。特にレニは美術監督としてヨーエ・マイ、エルンスト・ルビッチ、リヒャルト・オズヴァルト、E・A・デュポン、カール・グルーネらの諸作に演出に進出する前から携わってきたキャリアがあり、お化け屋敷映画『猫とカナリア』やコンラート・ファイトの特殊メイクが評判になり『バットマン』のジョーカーの直接のモデルになった『笑ふ男』など、ドイツ時代の代表作『裏町の怪老窟(原題『蝋人形』)』でも、半地下の貸部屋を含むアパートメントの歪んだ裏階段のセットが強烈な印象を残す本作でも、美術セットがが映画のカラーを打ち出している点では本作はシナリオの「室内劇映画」の反表現主義的指向に対して表現主義的カラーを折衷させている映画と言えるので、批評的な反響では『破片』への好意的な批評よりやや否定的な批評が目だったそうです。しかし室内劇映画としての徹底は『破片』より進んでいるので、屋外シーンはヒロインと恋人が逢い引きするアパートメントの裏口くらいですし、それもごく短く映画冒頭と結末近くに出てくるだけです。情痴悲劇の小品である本作のあらすじを追うと、ある中産階級の家庭に雇われている女中のヒロイン(ヘニー・ポルテン)は、人夫として外国で働く予定の恋人(ヴィルヘルム・ディーテルレ、のちの監督ウィリアム・ディターレです)と逢い引きを重ねていますが、ある日突然恋人は現れなくなり、以来恋人からの手紙を待ち焦がれています。毎日ヒロインは同じ建物の半地下の貸部屋に住む郵便配達夫(フリッツ・コルトナー)に尋ねます。配達夫は半地下の窓からヒロインと恋人の逢い引きが見えて知っていたので、ひそかな情熱を寄せています。郵便配達夫はヒロインを慰めるために、にせの手紙を書き、それを恋人からの手紙として渡します。感謝の気持から彼女は、手製の果実酒のつぼを配達夫の半地下の貸部屋に届けます。一方建物の表では、彼女の主人の一家が毎晩パーティを開いているのがガラス越しに見えます。ある日手紙の返信を書きあぐねて果実酒に酔ったヒロインは、ふざけて配達夫の部屋に行き、配達夫が書きかけの紙を取り上げます。筆跡から今朝受け取った手紙と同じで、これまでの手紙を書いたのは突然いなくなった恋人ではなく、郵便配達夫が自分への愛情から手紙を偽造したのだとヒロインは知ります。恋人に見捨てられた気持ちになった彼女は、まだ自分を気にかけてくれる唯一の相手を許し、夕食の招待を受けます。しかし行方不明の男への思いの方がずっと強く、重い心でヒロインは配達夫の部屋の食卓に就きますが、半地下の窓から通りで男が待っているのが見えて出ていきます。ヒロインは突然去った恋人と再会します。シノプシスによると続いてヒロインと恋人とのやりとり、郵便配達夫の部屋に押しかけた恋人は「彼は彼女にいつも手紙を書いたと、誓って断言する。郵便配達が手紙を横取りしたのに違いない。人夫は郵便配達を追求する。」ということだそうですが、見かけはヒロインと恋人との口論、それを受けて郵便配達夫の部屋に押しかけた恋人と配達夫の口論、という具合しかわかりません。口論は格闘に激化し、ヒロインはドアのところに戻って行き、口論を立ち聞きします。彼女は助けを呼びます。近所の人々がドアを破り開けて、人夫は死に、郵便配達は狂った目つきをして、斧を握ったまま手を痙攣させているのが見えます。主人一家は部屋に戻ろうとしたヒロインに荷物一切を投げつけ、家から追い出します。ヒロインは好奇の眼差しを向ける人々の側を通り過ぎて裏階段を上り、家の屋根から投身し、路上の遺体を囲む野次馬の遠景で映画は終わります。
 ……実際の着想・執筆順はわかりませんが、『破片』は家庭悲劇、本作は情痴悲劇、『除夜の悲劇』'23は再び家庭悲劇(大晦日の日、口うるさい不仲な老母と妻の板挟みになって苦悩した夫が自殺するまで)という配置になっています。ループ・ピックの『除夜の悲劇』は大手のウーファ映画社作品になったので比較的明快なホームドラマ悲劇が回されたのかもしれません。もとよりこの三部作は明るい内容ではありませんが、『破片』と『裏階段』は陰惨な度合いが強く、独立プロダクション製作ならではの妥協のなさがあり、その実績を持ってウーファ映画社での『除夜の悲劇』が実現したとも言えそうです。主な舞台となる屋内裏階段の表現主義的セットと反表現主義的な現実的内容の破滅メロドラマが乖離していること、しかし本作への評価基準には表現主義映画へのアンチテーゼを示した意義を抜きにはできないことが批判的評価を招いたのですが、ヒロイン女優のヘニー・ポルテン自身のプロダクションによる製作であることは郵便配達夫役のフリッツ・コルトナー、恋人役のヴィルヘルム・ディーテルレの演技とともに賞賛されており、人物の性格や心理も『破片』より素直に観客に説得力のあるものです。恋人役のディーテルレの登場は映画冒頭と結末だけですから女中役のヒロイン、ヘニー・ポルテンと彼女に思いを寄せる郵便配達夫フリッツ・コルトナーだけで映画の大半は占められ(本作も『破片』同様登場人物に役名はありません)、サイレント映画のリアリズム演技の好例となっていますが、日常的な題材からごく自然なリアリズムのドラマ映画を作ったフランスのルイ・デリュックの『エルノアへの道』'21、『さすらいの女』'22、『洪水』'23と較べると映画全体にまだ誇張が感じられる。デリュックの映画は港町の頽廃したバーを描いた『狂熱』'21以外は当時全然評判にならず、現在でもフランス映画の先駆者としてシンボル化されている以外大して観られていないのですが、マイヤーの「室内劇映画」三部作と似た指向を持った(ただしデリュック作品はフランス撮影の利点を生かして徹底室内劇『狂熱』以外はロケーション撮影に徹した風通しの良さがあります)が予算と規模を拡大し、見世物的派手さに向かいつつあった(その第1人者がフリッツ・ラングで、『裏階段』の2か月前に公開された『死滅の谷』は絶讃を浴び、以降ラングは素晴らしい成果を上げていきますが)ドイツ映画の潮流の中で、最小キャストかつシンプル、かつ低予算の『裏階段』にはそうした反動性で逆説的にインパクトを狙ったものという指摘も賛否両論を呼び、また無字幕映画の効果の大きさは『破片』よりさらになだらかでしみじみとした味わいのある一方、あらすじでシノプシスによるとして「」でくくった部分はディーテルレとコルトナーの二人の男それぞれのキャラクター、それに対するヒロインのポルテンの心情の要でもあり、女の奪い合いという単純な対立ですから漠然とした口論でも十分に通じますが、シノプシスによるような意図であればこれを無字幕で通したのは明らかな無理があります。表現主義映画に代わる新機軸として打ち出された無字幕サイレント長編映画の趣向の面白さと手法的強引さの両方が感じられる、しかしこれも『破片』ともども成功した佳作と言える作品でしょう。なお無字幕映画の系譜は次回以降も、アルトゥール・ロビソン『戦(おのの)く影』'23、カール・グルーネ『蠱惑の街』'23、ループ・ピック『除夜の悲劇』'24、F・W・ムルナウ『最後の人』'24をご紹介する予定です。

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