『出世靴屋』Schuhpalast Pinkus (1916, Comedy); https://youtu.be/XIAPIDAZU_4 (with English Subtle)
『楽しき牢屋』Das fidele Gefangnis (1917, Comedy); https://youtu.be/5oZQ2hrngiY
『呪の眼』Die Augen der Mumie Ma (1918, Horror); https://youtu.be/viwuKZYnfQ0 (English Version)
『男になったら』Ich mochte kein Mann sein (1918, Comedy); https://youtu.be/TXY67bI9Fns (English Version)
『カルメン』Carmen (1918, Drama); https://youtu.be/i06MLZxSgRk (with English Subtle)
『花嫁人形』Die Puppe (1919, Comedy); https://youtu.be/hmAaO5i7DnE (with English Subtle)
『ベルリンから来た市長』Meyer aus Berlin (1919, Comedy); https://youtu.be/UHtOUhfTwOg (with English Subtle)
『牡蠣の王女』Die Austernprinzessin (1919, Comedy); https://youtu.be/0Eog9sMDaRA (English Version)
『パッション』Madame Dubarry (1919, Drama); https://youtu.be/H1g-qHOYBrM
『白黒姉妹』Kohlhiesels Tochter (1920, Romance); https://youtu.be/P8Vn1I_Wdi0 (English Version)
『寵姫ズムルン』Sumurun (1920, Drama); https://youtu.be/Pr9OVBo-ezA
『デセプション』Anna Boleyn (1920,Drama); https://youtu.be/3B9-JWxp5jQ (English Version)
『山猫リュシュカ』Die Bergkatze (1921, Comedy); https://youtu.be/oW9G7BJ8Fmk
『ファラオの恋』Das Weib des Pharao (1922, Drama); https://youtu.be/G_q2utPy3EU
――これらのうち国際的大ヒットになりハリウッドに招かれるきっかけになったのはどぎついエロティシズムと残虐性、エキゾチシズムで話題になった『パッション』と『寵姫ズムルン』で、ハリウッド進出後第1作の、
『ロジタ』Rosita (1923, Romance); https://youtu.be/6uwdJZn2djg (English Subtle)
――も歴史メロドラマですが、ルビッチの本領は次作のソフィスティケイテッド・コメディ『結婚哲学』'24から始まるので、ドイツ時代のルビッチの作風の多彩さは10作以上選ばないとわからない。一方ラングの『死滅の谷』までの作品は当時のドイツ映画の試行錯誤を如実に示すものとして最適な典型的になっており、作風確立前のラング作品を採ってルビッチは後日に回したのはそうした理由です。一般的にドイツの映画産業の出発は1914年のパグ・フィルム社設立とされ、1912年には4社共同の日本活動写真株式会社設立、1913年には日活向島撮影所が完成した日本映画界よりやや遅く、また第一次世界大戦によって輸出入の国際交流が断絶したため、本格的なドイツ映画の国際化はヨーロッパで講和条約が締結され、ドイツ共和国にワイマール憲法が公布された1919年~ヒットラーによるナチス政権発足から映画統制が敷かれる1933年までとされています。ドイツ映画界は1930年にサウンド・トーキー化が始まるので、サイレント映画の時代は戦前ドイツ映画の黄金時代と重なり、内陸国のドイツは輸出入産業が主でしたので、国際市場を狙って成功した作品を多く送り出したのもワイマール時代のドイツでした。今回観直している作品もその一部にすぎませんが、ルビッチ渡米前の諸作を除く代表的な作品はほぼ集めてみたつもりです。
●11月1日(木)
『プラーグの大学生』Der Student von Prag (監=シュテラン・ライ/パウル・ヴェゲナー、Deutsche-Bioscop GmbH'13.8.22)*85min, B/W, Silent; 日本公開大正5年(1914年)2月(58分版) : https://youtu.be/nNCRTR0VJL4
[ 解説 ](allcinema.comより) H・H・エーヴェルスの怪奇小説を最初に映像化した、いわゆる"オカルト映画"の先駆的作品。プラーグの大学生ボールウィン(パウル・ヴェゲナー)はある日暴走する馬上の伯爵令嬢マルギット(グレーテ・ベルガー)を助け、彼女に恋をする。が、身分の違いから対等に付き合えぬ自分にはがゆさを覚えた結果、金貸しスカピネリ(ヨーン・ゴトウト)から大金を借りるのだが、抵当として鏡に映る自分を取られてしまう。手に入れた金で令嬢に交際を申し込みしばし至福の時を過ごすボールドウィンだったが、その時、鏡の中にいた自分自身がドッペルゲンガーとなって現れ街をさまよい始める。"おれは神でも悪魔でもないが、悪魔からお前と同じ名を付けられた。お前の行く所には最期までついて行く"の言葉と共に徘徊する分身に翻弄される彼は、やがて破滅へと追い込まれて行く……。この作品はその後26年、36年と二度リメイクされ、特に「カリガリ博士」のコンビC・ファイト、W・クラウスを共演させた26年版は今でも名作として評価が高い。
――パウル・ヴェゲナーもグレーテ・ベルガーもマックス・ラインハルトの劇団の人気俳優で名優と名高く、舞台映えするのは堂々たる恰幅でもわかりますし、サイレント映画ですから音声はありませんが声量も豊かな俳優・女優だったでしょう。また魔術師スカピネリによって分離された影は鏡から抜け出し、フィルムの二重写しによる一人二役、消滅トリック撮影などで主人公を翻弄します。映画書き下ろし原作者のハンス・スタイン・エーヴェルスの原案はポーの短編小説「ウィリアム・ウィルソン」1839、ミュッセの詩と「ファウスト」伝承を下地にしたものと指摘されますが(『ジキル博士とハイド氏』的でもあります)、着想としてわかりやすいのでラインハルト劇団の観客層のようなインテリ層ばかりではなく大衆的にもヒットし、批評もたいへん好評でした。1913年というとセシル・B・デミルの『スコウ・マン』やジョージ・ローン・タッカーの『暗黒街の大掃蕩』などアメリカ映画にも長編が現れ始め、最重要監督グリフィスも中編規模の「大虐殺」'12や「エルダーブッシュ渓谷の戦い」'13に進んでおり、フランスではルイ・フィヤードの長編連作『ファントマ』、イタリアではピエロ・フォスコの『カビリア』がこの年で、スウェーデンでは前年'12年にモーリス・スティッツレル監督、ヴィクトル・シェストレム主演の『黒い仮面』が出ています。そうした西洋映画全般の中では『プラーグの大学生』は作り物めいていて、しかも描く世界が狭いのには気にならずにはいられず、何より舞台劇の名優が映画という写実の中では年齢相応でなければ無理があるのが本作を古びさせています。当時の観客には演劇的な約束事として看過されたことですが、1926年にはもっと清新なキャストで再映画化されたのも当然なほど、本作の主人公とヒロインは大学生と妙齢の伯爵令嬢にはとても見えない太鼓腹の中年男と中年女性なので、舞台劇の名優だろうことは堂々たる所作で伝わりますが後世の観客には違和感を感じずにはいられず、映画の長編化にともなって、長編に限らず映画俳優は舞台俳優とは異なって容貌そのものがキャラクター(タイプ)になると映画界全体が気づき始めていた頃にこのキャスティングはドイツ映画の遅れでもあり、かえって花売娘や令嬢の兄役が年齢相応なのが主客転倒して見え、恋敵役の従兄の男爵も中年男っぽいですがこれは年長でも構わないとして、主人公の大学生と妙齢のヒロインが中年では困ってしまいます。トリック撮影は過剰にならない程度にこなれており、基本的には切り返しショットのない構図で人物の出入りを追わない限りカットは変わらず、カメラは少しパンするだけですが、基本的にはワンカットに2人~3人以上の人物のいる構図はないので過不足感はありません。先に上げた他国の同時期の映画と較べるとどうしてもこぢんまりとして見えるのは題材からも仕方ないでしょう。また、本作の成功がドイツの映画製作者に意識させたのは映画に人工的な怪奇やミステリアスなムードを持ちこむことで他国の映画とは違った特質を出せる効果だったに違いなく、これは当時のフィルム感度ではロケーション撮影の条件に乏しいドイツ映画界にとって一石二鳥の妙案だったと思われるので、本作の歴史的役割は非常に大きかったのが第一次世界大戦後のドイツ映画の傾向からもわかります。
●11月2日(金)『他人とは違って』Anders als die Andern (監=リヒャルト・オズヴァルト、Richard Oswald-Film, Berlin'19.6.30, banned in '20)*50min(Fragment & abridged), B/W, Silent; 日本未公開 : https://archive.org/details/youtube-oEMeNthlvRQ
本作は日本未公開・日本盤DVD未発売なのであらすじを追うと、映画の冒頭には刑法第175条の解説と、それが数千人の運命を踏みにじってきた悪法であるかが説かれて本編が始まります。人気名ヴァイオリン奏者パウル・ケルナー(コンラート・ファイト)はコンサートに感激して弟子入りしてきたクルト(フリッツ・シュルツ)を愛しながら世間には同性愛者であることを隠しています。《パウルはチャイコフスキー、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、オスカー・ワイルド、ルドヴィッヒII世ら同性愛に呪われた芸術家の夢にうなされ、家族からも見合い結婚を勧められるが拒否します。》ですが仲睦まじくクルトと腕を取り合って散歩しているのを悪党ボレック(ラインホルト・シュンツェル)に目をつけられて脅迫され、口封じのための金をくり返し要求されるようになります。《パウルはクルトへの個人授業を避けるようになり、パウルに心酔するあまり気に病むクルトを心配した家族はクルトの姉エルゼ(アニタ・バーベル)をパウルに訪問させ、繊細なエルゼはパウルを愛するようになります。》学生時代、同寮の親友との同性愛関係が教師に発覚し、退学処分になった過去を持つパウルは苦しみ、同性愛専門の精神科医(マグヌス・ヒルシュフェルト、本作の企画・脚本家の性医学者)の受診を受け、エルゼを伴い医師の講演会を聴講します。同性愛者は男女問わず性の同一障害でそれ自体は異常でも病気でもない、と数々の実例を上げて説く医師の講演と、《パウルを理解して受け入れ、恋人にはなれなくても最愛の友人になりますと励ますエルゼ》にパウルは奮起し、脅迫者ボレックにこれ以上脅すなら、訴えると迫ります。ボレックはせせら笑い、自分を訴えるならパウルを刑法175条違反で訴えると脅迫しますが、覚悟の上でパウルはボレックを訴え、裁判でボレックは脅迫罪で有罪になりますが、パウルも同性愛者と認めたことで175条違反により禁固1週間の判決が下されます。《パウルは遂に自分が同性愛に呪われた芸術家の烙印を捺されたのに絶望し、クルトは家出して行方不明になり酒場の流しのヴァイオリニストになります。》刑期を終えたパウルは世間からはスキャンダラスな白眼視される存在となり、エージェントからコンサートツアーの中止と契約の破棄を伝える文書が届きます。失意のパウルは父からの「汚名は自らの手で濯ぐべし」との絶縁の手紙を受け取り、服毒自殺を遂げます。《パウルの葬儀に姿を現したクルトはパウルの一族から敵視されますが、エルゼはパウルを死に追いやったのはあなたたちです、とパウルの一族を一喝します。クルトは自分もパウルの生き方を選ぶ、と姉に告げて》映画は終わります。映画史上初の同性愛者を描いた映画としての重要性によって公開85年あまりを経た今世紀になって非常に高まったのは1919年時点での性同一障害への解明と当時の西洋文化の中の同性愛タブーを如実に描いているからで、同性愛がプラトニックなものでさえ肛門姦や獣姦と同様の性的異常嗜好と見られていたのは興味深く、同性愛同様にアナル・セックスや獣姦はそれ自体には犯罪性はないのですから(無理強いなら虐待ですが)、早い話刑法175条は、当時の目的はそれらの性癖を持つ市民を狂人と見なし、摘発して社会から隔離する意図だったことになります。ドイツは心理学・精神病理学が発達した国でしたが、学者たちが人間性の領域として人権の幅を広げようとしたのを司法警察下では人間の犯罪性を割り出すことに利用したので、市民とは自分に関わりない限り法治国家の庇護下で法の側に立つ興味本位なずるい存在ですから、社会的には少数者である同性愛者は法的にも歴史的にも宗教的にも嫌悪されます。ユダヤ教時代の原始キリスト教に由来するエホバの証人(ものみの塔)の教義では同性愛者はサタンの下僕です。1919年の時点で本作の製作・公開がどれほど大胆な企てだったかを考えると、不完全版にせよ本作の発掘の意義の大きさにはため息が出ます。
――あらすじ中の《》内の部分はフィルム欠損のためスチール写真とフィルム断片、シナリオから起こした字幕で埋め合わされた部分で、パウル家やクルト家の人々は静止画像と字幕でしか現行版の復原版50分版プリントでは登場しません。ヒロインであるクルトの姉エルゼはスチール写真と字幕でしか登場せず、主人公の自殺後の葬儀場面のクライマックスも棺に横たわるパウルの亡骸の前でうなだれるクルトと弟の肩に手を添えるエルゼのスチール写真にパウルの実家へのエルゼの糾弾、クルトの述懐の字幕説明が続いて終わってしまうので、おそらく1/3以上が失われてしまったこの50分版は本来の姿を半分も伝えていないでしょうが、発禁映画になったのが幸いしたか画質は非常に良好な状態ですし、ヒルシュフェルト博士の講演会の場面は原盤自体がこの性医学者自身の講演会用をベースにした、性倒錯者の写真の解説つき展示が主になっているらしく、何十枚という数のさまざまな様態の同性愛者の写真が映されます。本作の残存していて良かったシークエンスでもあればこれはヒルシュフェルト博士の図版豊富な著書でも代用が効く場面でもあり、ドラマ部分ではアイリスを多用して人物以外の背景・セットをなるべく映さないような工夫があり、これは独立プロダクション製作のためセットらしいセットが作れなかったための苦肉の策でもあれば、主人公が常にアイリスの影の中に閉じこめられている心理的抑圧の表現にもなっており、それだけに主人公不在か集団中の実家で見合いを勧められるシーン、クルト家のシーン、エルゼからの愛の告白やクルトの家出シーンなどが欠損しているのは、主人公パウルの運命だけをたどるなら現存の50分で語り尽くされているとはいえ、登場人物間の関係や社会的実在感をつかむには隔靴掻痒の観があります。卑劣な脅迫者と対決する主人公という、主人公の社会的秘密の暴露だけが問題になってしまって、日本で言えば『破戒』のようなものになってしまっている。テーマは脅迫(主人公の抱える秘密)であって同性愛者の生き方ではなく、そこが5年後のドライヤーの『ミカエル』の深みに及ばない点です。『プラーグの大学生』のパウル・ヴェゲナーの大振りの演技の舞台劇っぽさと較べて本作のコンラート・ファイトの演技は自然に映画らしく抑制の効いた、微妙な仕草や表情に豊かな表現力を感じさせる映画らしい内面性を湛えたものになっていて確かな映画意識の進展が認められますが、主人公の運命を追うメインの部分だけでも残っているのが奇跡的とは言え幹だけ残って枝葉のない木では枯れ木に近いので、本作もスチール写真、フィルム断片、字幕補足による修復復原版で全容を想像するしかありません。渡米後のオズヴァルトは娯楽映画を監督するかたわら『シマロン』'32のウェズリー・ラッグルズ監督作品やマイナー映画社移籍後のバスター・キートン主演短編の製作をしていたそうですし、安定した商業映画監督だった(そうでなければ35年間に114本も作れません)そうですが、こういう監督の映画史的な画期作が当たり前のように埋もれているところにサイレント時代の映画の恐さがあります。
●11月3日(土)『蜘蛛 第1部:黄金の湖』Die Spinnen : Der goldene See (監=フリッツ・ラング、Decla-Film'19.10.3)*69mins, B/W, Silent; 日本公開大正10年(1921年・月日不明、尺数不詳) : https://youtu.be/N6ElNhMd2bA
[ 解説 ] アメリカを舞台にした作品。無声。
[ あらすじ ] ケイ・フッグ(カール・デ・フォークト)と云うヨットのチャンピオンがあった。一日セイリングの帰途海上で一つの瓶が浪間に漂うのを拾い上げると中から地図と共に遺書が出た。之を知ったスパイダー組の女団長リオ・シャ(レッセル・オルラ)は無限の黄金を一攫として得んとフッグの先を越してインカ族の住する南部アメリカに向かった。此を知ったフッグも直ちに南米に向かった。彼等は互いに宝庫を探り当てんと努めた。軽気球によってインカ族の住居を発見したフッグはパラシュートに依って敵地に来て、一名の少女が将に毒蛇に襲われんとするを危うく助けた。尚も奥深く進み見ればリオ・シャは既にインカの為犠牲にされんとして居た。シャの手下はシャを助けんとしてインカの巣窟に侵入し黄金に眼を呉れて居る間に溺死してしまった。危うく逃れたフッグは黄金は得る事が出来なかったが自ら救った少女ナイラ(リル・ダゴファー)を得たのであったが一人逃れたリオ・シャの嫉妬の為ナイラはスパイダー組の手にたおされた。
――タイトルの「蜘蛛」というのはサンフランシスコのチャイナタウンに潜む中国系美女の男装の女ボス、リオ・シャ率いる犯罪強盗組織で、主人公のアメリカ青年冒険家ケイ・ホーグと秘宝のありかを巡って争うのが第2作『第2部:ダイヤの船』に続くシリーズの基本になっています。失われた第1、第2作の破滅メロドラマ路線から一転して、本作は宝の地図を瓶に隠して海辺の岩場に追い詰められた男が射殺される場面から始まる冒険アクション映画路線の作品になります。ムードも無国籍映画に近いもので、サンフランシスコ~日本航海のヨットレースのトレーニング中に流れる瓶を広ったケイ・ホーグは、すぐに新たな冒険に乗り出したのが社交界の噂になります。地図の指示通り気球に乗るとなぜかインカ帝国の末裔の住む隠れ里に着きますが、ホーグが宝の地図の瓶などひろって来なければはた迷惑な蜘蛛団もついてこなかったろうに、と突っ込み所も満載です。インカ人の末裔たちに邪険にされ困ったホーグは、偶然大蛇に襲われている巫女ナエラ(デクラ社のヒロイン女優リル・ダゴファーで、この後のラング初期作品や『カリガリ博士』'20のヒロインも勤めます)を助けて、彼女の導きでお宝のありかを知ります。一方蜘蛛団は現地人に捕まりリオ・シャは儀式の生贄にされる寸前です。ケイ・ホーグはリオ・シャも助けますが、そこは蜘蛛団、お宝の場所にご同行願おうという話になります。ここはフィルムのカラー彩色が映える場面で、お宝の場所とは所々純金の像が据えてあり、砂金が滝のように流れる洞窟の中でした。狂乱して仲間割れし、岩礁状の金塊を奪いあう蜘蛛団のギャングたち。その時、ホーグは洞窟内のガスに気づいて脱出を計ります。しかし遅し、蜘蛛団が持ち込んだたいまつがガスに引火して大爆発を起こします。さて数日後のロンドン、事の顛末を博物学者テルファス博士(ゲオルク・ヨーン)に語るケイ・ホーグ。巫女ナエラは今はホーグの愛妻になっています。生存者は自分だけで蜘蛛団は壊滅したはず、とホーグ。そこに生存していたリオ・シャが訪ねて来ます。あの時助けてくれた感謝を伝えにきた、というリオ・シャはナエラの若妻姿を見て「愛は憎しみで返すよ!」とケイ・ホーグに啖呵を切って去り、庭の藤椅子で休むナエラにホーグはつき添い、すぐ戻るよとパイプを取りに行きますが、曇りガラス越しの窓をよぎる影にまさか、と愛妻の休むテラスに駆けつけるとナエラは刺殺されていて、胸の上に蜘蛛団の犯行の印、タランチュラの死骸が置いてあります。愛妻の死を悲しんで抱き上げながら蜘蛛団への怒りを新たにするケイ・ホーグ。第1部完。これが現在でも観ることができる一番古いフリッツ・ラングの映画で長編第3作です。あんまりな大時代な冒険映画に面食らいますが、1919年といえば大正8年、100年前の映画ですからとやかく言えません。しかしチャップリンの『犬の生活』『担へ銃』が1918年、ガンスの『戦争と平和』は同じ1919年、さらに同年には『幸福の谷』『スージーの真心』『散り行く花』を含むグリフィスの六部作、デミルの『男性と女性』もあり、さらにシュトロハイムの『アルプス颪』も同年と思うとドイツ映画の遅れがじれったくなります。しかしいきなり逃亡する男の憔悴した表情のクローズアップから入る冒頭のシークエンスなどはやたら良くできていたりしますし、大量のエキストラ、巨大セットの豪華さなどでは『プラーグの大学生』や『他人とは違って』より各段に大予算のメジャー映画の風格があり、国際的成功を狙った大作感があるのは確かです。本作がヒットしたので『第2部:ダイヤの船』を撮り、デクラ社がラングの監督で企画を進めていた『カリガリ博士』はロベルト・ヴィーネに譲ることになった、とラング自身が証言したり取り消したりしていますが(『蜘蛛』は第4部まで企画されて、第2部で打ち切りになりました)、作風はまだ確立前にせよやたらと陰謀ムードやタイム・リミットが強調される面は後年の作品につながる面でしょう。引退直前の'58年の2部作『大いなる神秘 王城の掟』『大いなる神秘 情炎の砂漠』はラングが脚本をヨーエ・マイ監督に提供した'21年作品('37年にもリメイクあり)のセルフ・リメイクでしたが、次の引退作『怪人マブゼ博士』'60ともどもラングは冒険と陰謀の世界に戻って終わりたかったようで、本作に描いた世界はラングなりに丹精をこめたに違いないのです。