最初の『魔人ドラキュラ』'31、続く『フランケンシュタイン』'31に継いでユニヴァーサル・ホラー第3の名作となった本作は、『魔人ドラキュラ』のカメラマンだったドイツ映画界出身のカール・フロイントが監督に起用されて作ったもので、映像音声同時収録の光学式録音の時代ですからカメラマンは専任カメラマンに任せていますが、フロイント自身の撮影と言われても通る鋭い映像感覚にあふれています。『魔人ドラキュラ』も成功の大半はベラ・ルゴシの主演とフロイントの撮影にあるような、名手トッド・ブラウニング監督作としてはブラウニングの演出は抑制気味の映画でしたが、本作の場合はボリス・カーロフの主演とカメラが素晴らしいのもフロイントの手腕と納得させられるもので、カーロフのクローズアップなどはあまりの鋭さにぞくぞくします。さて映画は、おどろおどろしい暗い墓地内を背景に女神イシスが太陽神ラーの力で夫オシリスの亡骸を復活させたという「トトの書(Scroll of Thoth)」の存在が字幕説明から始まります。1921年、ジョセフ・ウェンプル卿(アーサー・バイロン)率いる考古学者たちは、アメンテプフ王により封印されたイムホテップ(Imhotep)という古代エジプトの高僧のミイラを発掘します。 ジョセフ卿の友人ミュラー博士(エドワード・ヴァン・スローン)による検査でこのミイラには内臓が除去されていないと判明し、ミュラーはイムホテップが伝統的なミイラと同様に布で包まれてはいるが、生き埋められたと推測します。またイムホテップの棺には呪いの印もあり、神話の通りなら棺にはトトの書も入っているとミュラーから聞いたジョセフ卿の助手ラルフ・ノートン(ブラムウェル・フレッチャー)は、こっそり棺を暴きます。ノートンが古代のものなのにまだ鮮明な巻物、「トトの書」を筆写していると、ミイラが起き上がりトトの書の巻物をつかんで逃げます。ノートンは発狂して狂死します。10年後、イムホテップ(ボリス・カーロフ)は現代エジプト人のアーデス・ベイ(Ardath Bey)の偽名を名乗っています。ベイはジョセフ卿の息子フランク((デイヴィッド・マナーズ)とピアソン教授(レオナルド・ムーディ)を呼び出して、アンケセナーメン(Ankh-es-en-amon)王妃の墓のありかを示します。考古学者は墓を見つけた後、カイロ博物館にその宝物を贈り、にアーデス・ベイに感謝します。王妃の埋葬品の文献から、イムホテップのミイラ死は、恋人であるアンケセナーメン王妃を復活させようとしたための刑罰であることが明らかになります。イムホテップはエジプト人との混血女性でフランクの恋人のヘレン・グロスヴェナー(ジタ・ヨハン)と出会います。ヘレンがアンケセナーメン王妃の生まれ変わりであると信じたイムホテップは彼女をミイラにしてから復活させ、自分の花嫁にする意図で彼女を殺そうとします。ヘレンに近づくベイがイムホテップだとミュラー博士は正体を見抜き、ジョセフ卿にトトの書を燃やすように要請しますが、ジョセフ卿は水鏡で監視していたイムホテップの遠隔超能力で絞め殺され、イムホテップは偽の巻物を暖炉にくべてトトの書の焼失を装います。ヘレンを呼びだしたイムホテップはついに儀式を行い、ヘレンにアンケセナーメン王妃としての過去の生涯を思い出させ、こんどこそ愛を成就させるためにバテスト神に生贄を捧げなければならない、愛の妨害者であるフランクがそれにふさわしい、と宣言します。ミュラー博士はフランクと対策を立ててヘレンを監視しますがイムホテップの遠隔超能力で倒れ、その隙にヘレンはイムホテップのもとにに誘導されます。イムホテップはヘレンに新たな生命を与えようと女神イシスがオシリス復活に使った呪文の儀式を行おうとし、ヘレンは抵抗しますが諦め、儀式の最中ヘレンは女神イシスに祈って救われます。イシスの彫像は腕を上げて光の光を放ち、トトの紋章を火にくべます。イムホテップに不滅の生命を与えた呪文は破れ、イムホテップの体は粉塵に崩れます。ミューラー博士の励ましで駆けつけたフランクはヘレンを現実世界に呼び戻し、トトの書は燃え上がり続けます。
――以上が伝説的作品『ミイラ再生』で、本作の世界唯一現存するオリジナル・ポスターは2014年にロン・チェイニー主演のトッド・ブラウニング監督作『真夜中のロンドン(London After Midnight)』'27のやはり唯一現存するオリジナル・ポスターが映画ポスターとしては最高額の47万8,000ドルで落札され、それまで'97年に本作のオリジナル・ポスターが記録した落札価格45万3,000ドルを更新するまでは世界一高価な映画ポスターだったほどで、ドルではピンとこないのであれば1ドル=100円のレートでも4,530万円と言えば開いた口がふさがらないのではないでしょうか。ミイラ男シリーズでの本作の位置づけについて第2作『ミイラの復活』'40以降の作品との相違点を上げると、本作ではミイラ男はボリス・カーロフですが、王妃の亡骸を蘇らせるために禁断の「トトの書」を使った刑罰で生き埋めのミイラ刑にあった高僧イムホテップが本作のミイラ男のカーロフで、冒頭蘇ってジョセフ卿の助手ノートンを殺す短い場面以外はミイラにはならず、10年後にエジプト系の人の姿でロンドンに現れてからも犯行は水鏡の遠隔超能力で行い、王妃の生まれ変わりと見なした女性に儀式をかけて同族にしようというのは後続作にも引き継がれますが(ただし後続作では「王妃の生まれ変わり」でなくても良くなります)、ミイラ化するのは「トトの書」が燃えて呪術が解けオーヴァーラップ・ショットで顔面がみるみる崩壊していくラスト・シーンくらいです。本作のカメラマンは'20年代のドイツ映画黄金時代を築いた、ルドルフ・マテと二分する名カメラマンのフロイントにきびしくしごかれたと思いますが、カメラ・テストではフロイント自らファインダーを覗いたのは間違いないので、モンタージュの結果も計算しつくしたであろう、見事な映像が続きます。物語が最小の登場人物だけで最小限にシンプルなのも成功しており、第2作(というより仕切り直しミイラ男シリーズ第1作)『ミイラの復活』以降も面白いのですが、本作が作られてから8年続編が出なかったのも本作がずばりと1作で完結した作品だったからでしょう。『ミイラの復活』では、もっと続編が可能な設定に変更されることでもそれがわかりますが、完成度の点では本作と競うつもりはさらさらないような作品にもなります。本作の姉妹作の企画が立ちフロイントが監督したら『フランケンシュタインの花嫁』'35くらいの続編になったかもしれませんが、ミイラ男自体1回性の強いオリジナル企画(ドラキュラ、フランケンシュタインと違い映画オリジナル原案)だったのでしょう。