『毒薬』La Poison (Gaumont, 1951)*82min, B/W : 1951年9月25日フランス公開
監督:サッシャ・ギトリ(1885-1957)、主演:ミシェル・シモン、ジャン・ドビュクール
・寂れきったフランスの片田舎。ポールと妻の関係は完全に冷えきっていた。夫婦は互いを殺そうと思案し、妻は毒薬を手に入れ、夫は腕のいい弁護士からうまい殺し方を聞き出した。そして夕食時ポールは妻を刺し殺し……。
ここまでで映画は折り返し点で、いわば一種の倒叙推理小説仕立てになります。倒叙推理ものとは犯人側の視点から犯行を描く手法で、ヒッチコックの『ロープ』'48や『見知らぬ乗客』'51、『ダイヤルMを廻せ!』'54がそうで、『断崖』'41や『疑惑の影』'42、『汚名』'46もその変種ですし、『サイコ』'60は倒叙ものに見せかけて実は、という手法で、テレビシリーズ「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」がそのものずばりです。さて、妻殺しの容疑で拘置されたポールはオーバネル弁護士との接見を求めます。依頼通りお願いします、とにやにやするポールに弁護士は相談に来た時はまだ事件は起きていなかったではないか、と絶句しますが、ポールはだから先生に教わった通りにやりましたよ、と悪びれるそぶりもありません。裁判が始まり、夕食すぐに口論になり花瓶を投げつけられたので身の危険を感じカッとなって食卓のナイフで刺した、毒入りワインのことは知らなかった、というポールの自供は薬屋から妻が砒素を買った記録と薬屋自身の証言、知らずに毒入りワインを飲んでしまった薬屋の死という異様な状況もあって圧倒的にポールに有利に進みます。オーバネル弁護士は被告に不利な証言はできませんし、ポールが事前にラジオ番組を聴いていたことをアンドレ始め友人たちは知っていますがポールの味方なので不利なことは忘れています。オーバネル弁護士が雄弁をふるうまでもなく町中がポールの味方ですし、警察、検察側も完全に飲まれてしまいます。ポール自身は妻殺しを堂々と認めていますし、町中の人々が夫婦の不仲と悪妻ブランディンの日頃の言動や人柄を知っていますから誰もがポールの無罪に有利な証言をします。ついにはオーバネル弁護士よりもポール自身が積極的に弁論するようになり、町中の人々が喝采を送ります。裁判は進み、とうとう判決が言い渡される日がやってきます。そして……。
――と、一応結末はぼかしておきますが、こういう具合にたいへん人を食った殺人コメディ映画です。作者ギトリは本作製作時65歳ですから、60代の現役映画監督など映画史上ほとんどいなかった当時、これだけやりたい放題やってのけていたギトリと同年輩の映画監督はなく、ハリウッドではセシル・B・デミルやヘンリー・キング、ラオール・ウォルシュらが数少ない60代監督でしたがハリウッド映画の倫理コードとプロデューサー・システムに従った「本音と建て前」的な、本音はもっと違うメッセージを秘めているにしても見かけは健全な市民道徳に忠実な映画を作っていたので、ハリウッド映画が面白いのはそのあたりの多重性が表向きの物語と映画自体が与える感動にしばしば複雑な歪みを与えているからですが(ヘンリー・キングの『拳銃王』'50や『キリマンジャロの雪』'52が何を伝えたい映画なのか即座に説明できる人はいないでしょう)、ギトリはもう本当に誰にも何の遠慮もしていなくて、ただただ面白おかしく「こういうのがあったっていいじゃないか」という思いつきをそのまま映画にしています。こういう話をいつもギトリは考えていて、その時々で映画にしてきたのが、今回『夢を見ましょう』以来ひさしぶりにミシェル・シモンをキャスティングできたのが先か、『毒』の企画を立ててからシモンを呼んだのかわかりませんが、とにかくギトリの監督、シモンの主演でなければ『毒』は成り立たなかった映画でしょう。当然これを可能にしたのもギトリの実績とフランスの映画界で、ギトリの再評価は「カイエ・デュ・シネマ」派の批評家・監督から始まったのですがヒッチコック全作品へのロング・インタヴュー『映画術』'66を敢行したフランソワ・トリフォーが倒叙形式の犯罪スリラーを際立って多く作ったヒッチコックに「サッシャ・ギトリの『毒』という映画が……」と話題に持ち出した形跡はないようですから、田舎町の夫婦喧嘩殺人(実は謀殺)という地味な題材の本作は当時トリフォーも見逃していたかもしれませんし、アメリカ公開されたとは思えませんが(当時は内容的にも不可能だったでしょう)、ヒッチコックは前記の諸作で犯罪者がまんまと成功するラストをやりたかったとも発言していますので、『毒』を観たらギトリにしきりに羨望し、「ハリウッドではできないな」と苦笑したのではないでしょうか。またミシェル・シモンの役ができるハリウッドのスター俳優も思いつかないですし、ヒッチコック自身の発想がもっと次々とサスペンスが重なっていくツイストの効いた作風なので、比較的『毒』に近いのはオフビートな殺人コメディ『ハリーの災難』'56ですがヒッチコックがもっとも趣味に走って興行成績不振だった作品です。今でこそ『毒』のような趣向の映画は少なくとも倫理コードには引っかからなくなりましたが、それでも本作の人を食った仕上がりは結末まで観客を面食らわせるもので、オフュルスの映画同様フランス映画でもまったく規格外の観があり、しかもギトリは亡命監督オフュルスと違ってずっと好き勝手な映画を作ってきたのです。
●9月26日(水)
『花咲ける騎士道』Fanfan la Tulipe (Les Films Ariane, Filmsonor, Les Films Amato, 1952)*100min, B/W : 1952年3月21日フランス公開
監督:クリスチャン=ジャック(1904-1994)、主演:ジェラール・フィリップ、ジーナ・ロロブリジーダ
・ジプシー娘に「軍人になれば末は王女のお婿様」と予言されたファンファン。入隊した彼は王女と会うために城に忍び込むが……。シンプルなストーリーと、テンポのよい展開で、フランス剣戟映画の最高傑作とされる。
[ 解説 ]「青ひげ」のクリスチャン・ジャックが監督した一九五二年作の時代活劇で、「春の凱歌」のルネ・ウェレルとルネ・ファレが合作したストーリーをクリスチャン・ジャック、アンリ・ジャンソン(「青ひげ」)、ルネ・ウェレルの三人が脚色し、台詞はジャンソンが担当している。撮影は「快楽」のクリスチャン・マトラ、音楽は「沈黙は金」のジョルジュ・ヴァン・パリスと「天井桟敷の人々」のモーリス・ティリエの共同である。主演は「愛人ジュリエット」のジェラール・フィリップと「街は自衛する」のジーナ・ロロブリジーダで、以下「二百万人還る」のノエル・ロックヴェール、「港のマリイ」のオリヴィエ・ユスノ、「天井桟敷の人々」のマルセル・エラン、ジャン・パレデス(「巴里の醜聞」)、アンリ・ロラン(「青ひげ」)、ジャン・マルク・テンベールなどが出演する。なお、この映画はカンヌ映画祭で監督賞をうけた。
[ あらすじ ] 十八世紀、レエス戦争が続いていたころ、ジプシイ娘に「軍人になれば末は王女のお婿様」と予言されたファンファン(ジェラール・フィリップ)は早速募兵官のところに行き契約書に署名したが、実ばジプシイ娘は募兵官(ジャン・パレデス)の娘アドリーヌ(ジーナ・ロロブリジーダ)で彼女の予言は軍人集めのためのてであった。事情を知っても予言を信じこんだファンファンは連隊に向う途中偶然王女の危難を救い、ますます自分の将来に自信をもってしまったが、入営して軍隊に厭気がさし演習を怠けて営倉に入れられ、すぐ脱獄して隊内に大騒ぎを起した。しかしその時膠着状態だった戦争が再開され彼の軍も前線に行くことになった。連隊の駐屯地は王城の近くで、彼は王女(シルヴィ・ペライオ)に会おうと城に忍びこんだが忽ち捕って死刑の宣告をうけた。前から彼に愛情を抱いていたアドリーヌは自分のインチキ予言にも責任を感じ単身王の許に行き特赦を願った。彼女の美貌に感じ入った王(マルセル・エラン)は特赦の勅命を出し、お礼に参上した彼女によからぬ振舞いに及ぼうとしたが彼女は夢中で王に平手打ちを喰わして逃げ出し事情を知った侯爵夫人(ジュヌヴィエーヴ・パージュ)によって修道院に匿まわれた。報せをうけたファンファンは早速修道院に向ったが、先廻りした王の部下とアドリーヌの奪い合いになり、力尽きたファンファンたちは地下道に落ちのびた。地下道の終りは意外にも敵軍の司令部で、彼らは咄嗟の機転で敵の司令官を捕虜にし司令部にフランス国旗を立てた。彼らの殊勲でさしも長かったレエス戦争も終り、ファンファンはめでたくアドリーヌと結婚することができた。
――本作公開の昭和28年('53年)度のキネマ旬報外国映画ベストテンは1位『禁じられた遊び』、2位『ライムライト』、3位『探偵物語』で、『禁じられた遊び』がなければ『ライムライト』と『探偵物語』の一騎打ちだったでしょうが『禁じられた遊び』が好くも悪くも10年に1本というような強力な映画だったので2位と3位はこうなった観があり、こういう年には『花咲ける騎士道』のような娯楽に徹した時代劇コメディは高い人気とヒット実績があってもベストテンには入りません。フィリップの秋の来日は外国の映画スターの来日などめったになかった当時話題を席巻し、ジャーナリズムはこぞって日本の映画スターとのフィリップの対面を記事にして俳優たちからフィリップへの印象記を聞き出し、自然体で優雅で繊細なフィリップへの好印象が強調されました。この映画ではフィリップ演じる新兵ファンファンにすべてが都合が良く運ぶようにできており、王女と王の愛人の侯爵夫人(ジュヌヴィエーヴ・パージュ)が乗り合わせる馬車を盗賊から偶然救うのも、隊長に取り入りアドリーヌに懸想しファンファンを罠にはめようとする軍曹(ノエル・ロックヴェール)が自滅するのも、ルイ15世王が王宮侵入で獄中に送り死刑判決を下したファンファンの恩赦のために訪れたアドリーヌを気に入り愛人にしようと迫るのを侯爵夫人が匿うのも、アドリーヌへの愛を自覚し獄から逃れたファンファンが追っ手の隊長と友人の中年新兵と合流するうちににらみ合いになっていた敵軍をかき乱し軍勢を混乱させ、秘密の通路に逃げこむと敵軍指令基地作戦会議室の真下に通じていて、たった3人で敵軍司令部を占拠しあっぱれ戦勝してしまい、勝手な戦術であったが見事であった、褒美に昇進と王女を姫に取らせる、といって出てくるのが王が養女にしたアドリーヌ、という結末にいたるまで一分の隙もない御都合主義で貫かれており、そこが楽しいおとぎ話の騎士物語に徹した本作の良さなので、カンヌ国際映画祭監督賞受賞作にしては脚本も演出も荒っぽいですし、このくらいの映画はいつの時代にもいくらでもあるとも言えますが、逆に'50年代前半は世界的に映画がリアリティや現代性を重視し始めていて、映画のカラー化が進んだのも'50年代前半からですがそれも'40年代までの華やかさではなくリアリティの強調から作られるカラー映画が増えてきた。そうした傾向に逆行するように戦後映画のスターのフィリップを起用して健全明朗なチャンバラ活劇を作ったのが真面目で重厚な映画ばかりの中では異彩を放ち、過大評価かもしれないがたまにはこういう映画を持ち上げたっていいじゃないか、とヴェテラン監督クリスチャン=ジャックへの慰労もこめてカンヌとベルリンでの受賞につながったのでしょう。これでヴェネツィアでも受賞していたら世界三大国際映画祭トリプル受賞になっていたところですが、同年のヴェネツィアのグランプリは『禁じられた遊び』だったのでフランス映画への枠は埋まっており、また自国映画は軽喜劇が主流のイタリアでは『花咲ける騎士道』はノミネートされてもさほど高くは買われなかった作風に思えます。本作の荒っぽさは美点でもあって、結末で結局ルイ15世はアドリーヌに手を出したのか、愛人の侯爵夫人が策を弄して上手くまとめたか、何の説明もなく王の養女になって出てきて主人公と結ばれてめでたしなので、どうせ都合の良い話なのだから都合の良い部分は全部主人公にとって具合良く運んだと観客が解釈してほしいという作りなので、映画全体が主人公(とヒロイン)を幸福にするためにお膳立てされているのですから作中省略されている箇所が目立つのも荒っぽさなら、映画のテンポを良くしているのもその効用です。フィリップはけっこうアクションもこなしていますし大したアクションではなくてもアクション俳優ではなく色男のフィリップがやるから見ものなので、本作の次作はルネ・クレール作品では『悪魔の美しさ』'50に続く『夜ごとの美女』'52でやはりコメディ作品で好演し、'54年には『パルムの僧院』'48以来のスタンダール原作映画『赤と黒』(監督クロード・オータン=ララ、脚本 ジャン・オーランシュ&ピエール・ボスト)で悲劇路線の大ヒット作を放つ、とフィリップ人気はまだまだ続きます。フィリップ程度の二枚目俳優なら今の日本だってと見えるかもしれませんが、西洋映画(日本映画でも)の俳優はこの時代まだ乗馬は演技力の基本中の基本で、乗馬に必要な体幹力がいかに高度かつ体幹力が運動能力の基礎となるのを思えば、フィリップはアクション能力を備えた二枚目スターのそろそろ最後の世代('30年代以降生まれの映画俳優はアクションが決まらないのがリアリティになっていきます)だった感慨も湧きます。