サウンド・トーキー時代になってから映画デビューしてサイレント喜劇に代わる新しいトーキー時代の喜劇映画スターになったチームがマルクス兄弟です。マルクス兄弟と同時期の喜劇映画スターにはローレル&ハーディやW・C・フィールズも上げられますが、サイレント時代から主演作品があり人気・知名度も高く、映画のトーキー化にも順応したローレル&ハーディやフィールズと違って、マルクス兄弟にもサイレント時代('20年)に短編1編の出演がありますが、この兄弟はマシンガントークと歌と踊りと音楽芸の舞台喜劇チームだったのでサイレント時代には本格的な映画デビューのお声がかからなかったのです。ローレル&ハーディ(1890-1965, 1893-1957)やフィールズ(1880-1946)もサイレント時代の3大喜劇王、チャールズ・チャップリン(1889-1977)やハロルド・ロイド(1893-1971)、バスター・キートン(1895-1966)と同等か、それ以上に古いキャリアを持つ芸人でしたが、芸人一家に生まれた実の兄弟のマルクス兄弟(チコ=1887-1961、ハーポ=1888-1964、グルーチョ=1890-1977、ガモ=1892-1977、ゼッポ=1901-1978)もチャップリンの映画デビュー年、1914年には両親や姉妹を交えた一家で芸人一座を構えて活動していました。パラマウントから映画デビューしたのは5人兄弟のうちガモが抜けた4人、MGMに移籍後はゼッポも抜けた3人になりましたが、マルクス兄弟というと眼鏡にとんがり鼻の口ひげでマシンガントークのうさんくさいペテン師紳士グルーチョ、騒々しい偽イタリア移民の貧乏くさいが底抜けに陽気でお調子者(しかも実はピアノの名手)のチコ、挙動不審な浮浪者で聾唖者ながら好色にもなり抜け目がなく誰にも行動の予測がつかない本能のままに生きる(しかもハープの名手の)怪人ハーポ、の3人が核で、この3兄弟のかけ合いはこの世のものとは思えないスピード感といかれ具合で観客を圧倒するものでした。マルクス兄弟の映画は'29年~'33年にパラマウントで5作、'35年~'41年にMGMで5作、'46年に独立プロでチーム解消・引退作として作られたユナイテッド・アーティスツ配給作品『マルクス捕物帖』があり、他に'39年ヒット作舞台劇の映画化への出演作をRKOで1作(『ルーム・サーヴィス』)、'49年にハーポ主演作品でグルーチョとチコがゲスト出演するカーテンコール的なユナイテッド・アーティスツ配給の独立プロ作品『ラヴ・ハッピー』がありますが、マルクス兄弟映画映画としてはパラマウントとMGMの10作にチーム解消・引退作『マルクス捕物帖』の計11作に尽くされているとも言えます(グルーチョは兄弟チーム解消後も単独で主演作、ラジオ番組やテレビ番組の出演、著作活動と活発に芸能活動を続けました)。しかしひさしぶりに年代順にマルクス兄弟映画でも観るか、チャップリンやロイド、キートンも観直したしとマルクス兄弟映画を観ると、これがもう感想文を書きようがない代物なのです。ストーリーやギャグのメモを採ってもらちがあきません。幸い「キネマ旬報映画データベース」には日本初試写会時に「キネマ旬報」に掲載された「近着外国映画紹介」欄での解説・あらすじがそのまま転載されていますので、作品概要についてはそちらを貴重な文献として引用させていただきました。しかしマルクス兄弟の映画がどんなものかは、あらすじでは知りようがないものなのです。
●7月21日(土)
『ココナッツ』The Cocoanuts (監督ロバート・フローリー/ジョセフ・スタンリー、パラマウント'29)*93min, B/W; 本国公開1929年8月3日; https://youtu.be/J5izciEMkvw
○あらすじ(DVDジャケット解説より) フロリダにあるココナッツ・ホテル。一向に繁盛しないホテルの経営者ハマー(グルーチョ・マルクス)は、二束三文の土地を売りつけるため金持ちの未亡人ポッター夫人に近づく。詐欺師のハーヴェイはポッター夫人の資産を狙って、彼女の娘ポリーとの結婚を目論み、ポリーと恋仲のホテル従業員ボッブの仲を裂くために、ポッター婦人のネックレスを盗み出す……。
マルクス兄弟のデビュー長編はパラマウント社の売り込みでパラマウント日本支社で試写会が開かれ公開が検討されましたが、アメリカ本国では人気喜劇チームで、本作もマルクス兄弟自身のヒット舞台劇の映画化ヒット作ながら、日本映画界はまだ外国映画の上映が字幕スーパー開発以前(日本初の外国映画の字幕スーパー作品は昭和6年=1931年2月11日公開の『モロッコ』)でもあり、マシンガントークの炸裂するマルクス兄弟映画の性格もありますが、それ以前に映画の内容が当時の理解を絶していたのがお蔵入りの原因と言われます。当時の「キネマ旬報近着外国映画紹介」は輸入され試写会があったものは紹介文が掲載されていますので、その解説・あらすじを見てみましょう。
[ 解説 ] サム・H・ハリス氏により最初に演出せられたるジョージ・S・カウフマン氏の原作舞台劇よりモーリス・リスキン氏が脚色し、「壁の穴」「ナイトクラブ」の俳人監督者ロバート・フローリー氏がジョージフ・サントリイ氏と共同監督したもので、ブロードウェイの有名な寄席芸人グルーチョ、チコー、ハーポ、ゼッポ、のマルクス4人兄弟が主演し、舞台出身のメーリィ・イートン嬢、同じくオスカー・ショウ氏、ケイ・フランシス嬢、シリル・リング氏、マーガレット・デュモン嬢その他が出演したレビューを取り入れたナンセンス喜劇である。カメラは「壁の穴」「手紙」「新聞記者」のジョージ・フォルシー氏が担任。
[ あらすじ ] フロリダの海岸にあるココナッツ荘園の持ち主で至極呑気者のハンマー(グルーチョ・マルクス)という男が経営するホテルは一向に繁盛せずボーイの給料すら払えなかったがハンマーは平気なものだった。滞在客の1人で金持ちのポッター未亡人(マーガレット・デュモン)は同じ滞在客でボストンの資産家の息子だと称するハーベイ(シリル・リング)という男の言葉を信用して自分の娘ポリー(メアリー・イートン)と結婚させようと考える。だがハーベイはその実、資産家のわけでもなんでもなくポッター未亡人の財産を狙う不良青年であり、未亡人の娘ポリーはホテルの事務員ボッブ(オスカー・ショウ)と恋仲であった。同宿のペネロープ(ケイ・フランシス)というモガはハーベイに入れ知恵してポッター未亡人が大切にしている首飾りを盗み出させこれを種にポリーとボッブの仲を割こうとした。そしてもしことがバレかかった場合には折柄現れた2人の浮浪人チコー(チコ・マルクス)とハルポー(ハーポ・マルクス)に罪をきせてしまおうと考えた。仕事はうまく行って盗み出された首飾りは荘園の切株の空洞へ隠された。呑気者のハンマーも苦しくなってココナッツ荘園の地所を競売することになった。せり売は予めチコーがサクラとなって値段をせり上げる仕掛けとなっていたが、首飾りの隠された地所の番になった時ボッブがこれを買い落とした。そこへポッター未亡人が駆け込んで来て首飾り紛失の件を話し発見者には1000ドルの賞金が附せられことになった。するとチコーがそれを探し出して来た。探偵(ベイジル・ルイスディール)はボッブが何もかも承知の上でその地所を買ったのだというハーベイの言葉を信じボッブを嫌疑者として引渡した。一方ポッター未亡人はポリーとハーベイの婚約披露宴をホテルでひらき一同を招待することになったがチコーとハルポーはひそかにボッブを牢から救い出し宴会の席へ連れて来る。宴会に招待されたお客が思い思いの服装で出席し、いろいろ隠し芸をやるが、その最中ハーベイは突然姿を晦ましてしまう。首飾りを盗んだのはこれでハーベイの仕業であったということが判明した。そこでポリーとハーベイの婚約披露宴はたちまち一変してポリーとボッブの結婚式となる。おまけにかねてココナッツ荘園の発展を計画していたポップの設計が大事業家に採用されることになってボッブとポリーの夢はいよいよ実現に近ずき一同は揃って「空はいつでも青空よ」の唄を合唱するのである。
――以上がキネマ旬報「近着外国映画紹介」の解説・あらすじですが、グルーチョの部下のホテル従業員ジェイムソン役のゼッポ・マルクスがあらすじには全然出てこないのはまったく活躍の出番がないからで、ゼッポ含めて4兄弟時代の作品は毎回そんな感じです。また、おそらくこのあらすじはパラマウント社の広報のシノプシスを翻訳したものと思われ、本作『ココナッツ』(無意味、ナンセンスの意)を観終えてストーリーを記憶している観客はいないでしょう。マルクス兄弟の映画は映画ではなく舞台劇だから、と一顧だにしなかったのは淀川長治氏ですが、マルクス兄弟自身の一座のヒット舞台劇だったというこの『ココナッツ』は経営難のホテルと宝石盗難、ヒロインと平事務員とのロマンスなどは実はどうでもよく、グルーチョがちょこまかしながらマシンガントークでジョークをとばし、偽イタリア人のチコがお調子者の安請け合いで事態を悪化させ、聾唖のいかれた浮浪者ハーポが目的もなく狂態と破壊の限りをつくす、その合間に一応あらすじにあるようなストーリーが展開し、チコがピアノの名人芸を披露し、ハーポが素晴らしいハープ演奏を聴かせる、というおよそ劇映画の体をなしていないものです。一応映画監督がついていますがカメラは据えっぱなしで役者たちの演技を収めているだけで、グルーチョの回想録によると映画監督は爆笑をこらえて見ているだけで何も指図はなかったそうですから、淀川氏の指摘通り本作はマルクス兄弟の舞台劇を一応場面転換程度に最小限のカット割りをしながら収めたもので切り返しショットやクローズアップ、モンタージュらしいモンタージュすらない点ではグリフィス以前のサイレント映画以下にプリミティヴで、劇中に流れる音楽以外に音楽は使われておらず、劇中で起こる物音以外に効果音も使われていません。見た目だけで常人ではないとわかるグルーチョ、チコ、ハーポの存在感と神経接続でもされているかのようなコンビネーション(チコはまくしたてるグルーチョと聾唖者のハーポの通訳者的な存在でもあり、グルーチョとハーポの直接対決はいつも必ず壊滅的な横すべりを引き起こします)の衝撃力が最大に発揮されているのがマルクス兄弟映画最初の2作『ココナッツ』と『けだもの組合』で、この2作が言語を絶する異常傑作になったのもマルクス兄弟舞台劇のそのままの映画化だからです。本作のマルクス兄弟はおそらくまだ実際の舞台よりは遠慮がちで、グルーチョの直線的前かがみはまだ角度が浅く、チコは抜け目のなさの中にも好人物ぽさを漂わせ、ハーポは露骨な狂気がむき出しというよりは割と律儀に順を追って破壊と混乱に邁進します。そしてゼッポは好青年役でその他大勢の俳優たちのひとりにすぎませんが、ゼッポだけはマルクス4兄弟時代を通してずっとそんなものでした。本作はパラマウント時代のマルクス4兄弟映画で唯一、脇役でしかないヒロインとその恋人のロマンスの成就を祝福する場面で終わる映画でもあります。しかし、字幕スーパー開発以前に本作がアメリカから届いても日本のパラマウント支社はさぞ処遇に困ったことでしょう。字幕スーパー開発前の初期トーキーはサイレント映画同様弁士が解説したり、効率と経済が悪く当時の光学式録音では映像を劣化させてしまう日本語吹き替えが試されて不評だったりしましたが、マルクス兄弟映画の弁士解説や当時の技術での吹き替えは不可能と判断されたのは実物を観れば一目瞭然です。この『ココナッツ』、そして次作『けだもの組合』は字幕スーパー版で普通に観て、どうにか設定は理解できてもストーリーはほとんど頭に入ってこないようなもので、尋常な意味ではこれを喜劇なのは確かだとしても喜劇「映画」と呼んでいいものなのかわからないような、破壊力そのものであるような映像としか呼べないようなものです。マルクス兄弟映画の最高傑作はパラマウント時代最終作『吾輩はカモである』'33とMGM移籍第1作『オペラは踊る』'35の2作というのが定評で、これは映画として見れば妥当なのですが、マルクス兄弟の真の狂気、混沌、破壊性が純粋に映画化されているのは最初の2作『ココナッツ』と『けだもの組合』です。この2作を観て辟易するならば、それはむしろ映画観客としては正常な感覚なのです。
●7月22日(日)
『けだもの組合』Animal Crackers (監督ヴィクター・ヒアマン、パラマウント'30)*93min, B/W; 本国公開1930年9月6日; http://www.youtube.com/playlist?list=PL-QYPAh7r9fxSlPNK5tmLx-vUzyl5CLxh
○あらすじ(DVDジャケット解説より) マルクス兄弟の2作目は、原題をうまく意訳した邦題がごく端的に示す通り野卑なパワーに充ち満ちた怪作。大富豪未亡人(常連のM・デュモント)のパーティに招かれたスポルディング大尉(グルーチョ・マルクス)は探検家。アフリカ人の担ぐ駕籠で颯爽と現われ、難クセつけて料金を払わないという出だしからグルーチョは奇天烈。未亡人への口説き文句は"私の靴下を洗って"であります。その秘書ゼッポは存在しないのと同じ。問題は、コートを脱ぐとすぐ下着というハーポ"教授"のSEXアニマルぶり!?
本作はマルクス兄弟映画日本初公開作品となり、昭和6年(1931年)2月に封切りされました。同年同月に『モロッコ』が日本初の字幕スーパーつき外国映画として公開されており、『モロッコ』もパラマウント映画で字幕スーパー自体がパラマウント社が先鞭をつけて開発したものですから、やはりパラマウント映画で同月公開である『けだもの組合』が字幕スーパー版公開だったか確証となる文献がなく心もとないですが、従来の弁士解説で公開されたとはマルクス兄弟映画の性格上想像し難く、一大話題作『モロッコ』の影に隠れたにせよ試作期だったパラマウントの字幕スーパー版(しかし初公開作品『モロッコ』ではすでに十分完成されたものだったのが字幕つきスチール写真からうかがえます)で公開されたと思われます。本作は輸入時の「キネマ旬報近着外国映画紹介」には以下のような解説・あらすじが掲載されています。
[ 解説 ]「ココナッツ」とおなじくグルーチョ、ハーポ、チコ、ゼッポのマルクス4人兄弟主演喜劇で、同じくジョージ・カウフマンほか三氏合作の舞台喜歌劇を映画化したもの、「ココナッツ」と同じく原作者の1人モリー・リスキンドが脚色し、「ピストル嬢」「壁の穴」のピエール・コリングスが台本を作り、「おしゃれ哲学」「ぬき足さし足」のヴィクター・ヒアマンが監督し、「喝采」「ココナッツ」のジョージ・フォルシーが撮影した。助演者は「放浪の王者」「ラヴ・パレイド」のリリアン・ロス、「ココナッツ」 のマーガレット・デュモン、ハル・トンプスン、ルイス・ソリン等である。
[ あらすじ ] リットンハウス夫人(マーガレット・デュモン)の邸宅で開かれた夜会の席上で、ジェッフリー・スポーディング大尉(グルーチョ・マルクス)とその秘書ホレーショ・ジェミスン(ゼッポ・マルクス)とは人気の中心となった。大尉は探検家として猛獣狩りの名人として名高い人で最近アフリカから帰って来たばかりだった。客の中には美術鑑定家で金持ちのチャンドラー(ルイス・ソリン)やホワイトヘッド夫人母娘(マーガレット・アーヴィング、キャスリン・リース)も招かれていた。その他にも「教授」と呼ばれる男(ハーポ・マルクス)とラヴェリ(チコ・マルクス)という2人の楽士もいた。この家の令嬢アラベラ(リリアン・ロス)は無名の青年画家ジョン・パーカー(ハル・トンプスン)と恋仲だった。チャンドラーが自慢するために持参した高価な名画はかつてジョンが絵画修業中模写したことのあるものだった。アラベラは愛人が優れた画家たる事を知らせるため、2人の楽士に頼んで真物とジョンが書いた模写とをすり替えることにした。一方ホワイトヘッド夫人の娘も別に模写を持っていたのでこの家の執事を口説いてすり変えてもらうことにした。一方大尉は探検談で来客連を煙にまき、ラヴェリは得意のピアノ演奏をして客を喜ばせた。その夜激しい雷鳴を幸い2人の楽士は首尾よく絵のすり替えに成功した。その後へ執事がまた偽物の絵を第1の偽物とすり替えた。その絵を披露しようとして偽物と変わっているのを知って警察に届け出た。「教授」はどさくさまぎれに乗じて本物と第1の偽物とを盗み出したが、やがてそれが露顕したので彼は自発的に返却したので警察へ突き出されないですんだ。このおかげでジョンの模写の優れていることが証明されアラベラは目的を達することが出来た。
――日本初紹介のキネマ旬報の記事は以上ですが、本作は詳細な作品研究『マルクス兄弟のおかしな世界』ポール・D・ジンマーマン(中原弓彦・永井淳訳、晶文社'72年)、詳しいマルクス兄弟論を中心とする『世界の喜劇人』小林信彦(晶文社'73、中原弓彦名義の『喜劇の王様たち』校倉書房'63、『笑殺の美学』大光社'71の増補決定版)の刊行に続いて'74年にリヴァイヴァル公開され、新たにマルクス兄弟への注目を集める作品になりました。初主演長編『ココナッツ』で自信をつけたか、本作のマルクス兄弟は爆発しています。まずファンファーレとともにアフリカ人の籠に乗って豪邸の広間に現れるスポールディング大尉ことグルーチョの姿だけでも頭が真っ白になります。グルーチョは難癖をつけて籠代を踏み倒すとすぐさま豪邸の女未亡人役、レギュラー女優のマーガレット・デュモン(1882-1965)にあからさまに財産だけを目当てに求婚しますが、前作『ココナッツ』に続いてデュモンは舞台劇からこの役で、デュモンがグルーチョの相手役で出演するマルクス兄弟はこの後『吾輩はカモである』'33、『オペラは踊る』'35、『マルクス一番乗り』'37、『マルクス兄弟珍サーカス』'39、『マルクス兄弟デパート騒動』'41とマルクス兄弟映画11作中7作ですが、低調な後期の『珍サーカス』『デパート騒動』でもデュモンの出演場面だけは光ります。大傑作『吾輩はカモである』のラストシーンが国歌を独唱し始めるデュモンに兄弟全員(ゼッポ以外)がオレンジを次々と投げつける場面なのは偶然ではなく、研究書『マルクス兄弟のおかしな世界』で「堂々たる侮辱の器」と呼ばれただけある威厳(実際にデュモンは上流階級出身の女優でした)があり、グルーチョが浴びせかけるどんな侮辱的女性蔑視ギャグをもその場で受け流して無効化してしまう偉大な女優です。さらに広間に集まった一人ひとりが紹介され、最後に自分ではしゃべれないのでチコに「教授」と紹介されたハーポはどう見てもホームレス風コート姿なので不審がられ、にやりと笑ってコートを脱ぐとパンツ1枚の裸です。メイドが叫ぶとその姿のまま追いかけ回し、パンツから拳銃を抜いてつられて鳴いた小鳥を撃ち殺し、レスリングしている二人の男の銅像を撃つと銅像が撃ち返してくる(!)と信じがたいギャグがあります。本作のストーリーも前作『ココナッツ』と大差なく、前作の宝石盗難、ヒロインと平事務員とのロマンスが名画盗難、ヒロインと無名画家のロマンスに置き代わっただけですが、結末ではハーポが「名画」を盗んでいたことから無名画家の力量が証明されめでたしとなり、警官が感激してハーポに更正を誓わせようと握手するやコートからぼろぼろ高級ナイフやフォーク、スプーンがこぼれ落ち、「コーヒーポットは?」とグルーチョが訊くとコーヒーポットまでコートから落ちてくる。一堂が呆れて笑うやら困るやらする間もなくハーポは催眠ガスのスプレーで悪党を眠らせ、警官を眠らせ、慌てる人々を次々と眠らせ、チコやグルーチョまで眠らせて、全員眠ってしまったのに気づくと自分にスプレーしてばったりと倒れる。そこでエンドマークが出ます。全員睡眠ガスで眠ってしまってお終いとは、舞台劇なら大爆笑で幕ですが、これを映画でやってしまうとはいったいどういう料簡でしょうか。本作も『ココナッツ』同様、映画としてはグリフィスの『国民の創生』'15以前のサイレント短編時代の技術水準に退行していて、早い話撮影に関して言えば'14年頃のマック・セネットのキーストン社の短編喜劇の映像技法の水準でしかありません。初期トーキーの限界だった同時録音がかえってグリフィスが始めたモンタージュやさまざまなカット割りを不可能にし、サウンド収録のために初期の短編喜劇時代のような撮影水準に退行してしまったと言える一方、長編映画でしかも長期公演してきた舞台喜劇をオリジナル・キャストで演じているため短編喜劇時代のような即興的製作ではなく計算し尽くされた演技になっている。にもかかわらず登場人物が全員意識不明になってぶっ倒れて終わり、というのは長編映画としては前代未聞で、のちアントニオーニやゴダール以降の映画にはこういう結末の体をなさないなしくずしに終わる映画も出てきますが(スコリモフスキやファスビンダーなど)、そうしたアート・ムーヴィー系のものでなく純然たるファース(娯楽笑劇)で滅茶苦茶になって終わるのは明らかにどうにかしています。'70年代のコメディ系TVヴァラエティ番組を連想する人もいるでしょうが、それを成り立たせる背景が違います。昭和6年の日本人観客にとってこれがいかに驚異的なものだったかを想像するのは難くなく、しかし確実に一部の観客の熱狂を呼んだ証拠も存在しているのです。
●7月23日(月)
『いんちき商売』Monkey Business (監督ノーマン・Z・マクロード、パラマウント'31)*78min, B/W; 本国公開1931年9月19日; https://youtu.be/9xAIcj5aboQ (extract)
○あらすじ(DVDジャケット解説より) ニューヨークへ向かう定期航路の客船に乗り込んだ密航者4人がマルクス兄弟。船長に成りすましたり、世界を股にかける富豪、または怪盗の用心棒になったり、理髪師に化けて船長をとっちめたり、あげくの果てには担架に乗ってニューヨークへ上陸。チョビ髭のグルーチョ、唖のハーポ、ルンペン帽のチコが繰り広げるナンセンス喜劇。「ココナッツ」「けだもの組合」に続くマルクス兄弟シリーズ第3作。
本邦でのマルクス兄弟2作目の公開作品は本作で、『けだもの組合』からちょうど1年後の昭和7年(1932年)2月に封切られました。輸入時の「キネマ旬報近着外国映画紹介」には以下のような解説・あらすじが掲載されています。
[ 解説 ]「ココナッツ」「けだもの組合」につぐマークス兄弟主演映画で、S・J・ペレルマンとウィル・B・ジョンストンとが書き下ろしたストーリーにアーサー・シークマンが台詞をつけ、「青春来る」のノーマン・Z・マクロードが監督し、「沈黙の犯罪」「哄笑の世界」のアーサー・トッドが撮影している。助演者は「マルタの鷹」「女給と強盗」のセルマ・トッド、「影を売る男」のロックリフ・フェローズ、トム・ケネディー、ルース・ポール、ハリー・ウッズ等である。
[ あらすじ ] ニューヨークに向かって航海中の大西洋定期航路の大旅客船で、二等運転士(オットー・フライズ)は密航者が4人いることを船長(ベン・タガート)に報告した。彼は密航者の姿を見てはいないが、ニシンを詰めてあるはずの樽の中から男性合唱の「スイート・アデライン」が聞こえるから、4人に相違ないと主張した。船長の命でひっとらえに来ると樽は空っぽになっていた。4人の密航者というのは言うまでもなくマークス4人兄弟(グルーチョ、チコ、ハーポ、ゼッポ)で、彼らは大胆にも堂々と船長室に乗り込み、グルチョは船長になり済ました。が偽船長もついにボロを出してしまったので逃げ込んだのがアルキイ・ブリッグス(ハリー・ウッズ)という富豪の船室で、そこにはアルキイの妻ルシル(セルマ・トッド)だけしかいないのでたちまちギターをひいて恋をしかけた。とたんにアルキイが戻ったが、グルウチョはうまく丸めて富豪実は欧米を股にかけている怪盗アルキイの用心棒の役を引き受けた。そしてゼッポはアルキイの仇敵ジョー・ヘルトン(ロックリフ・フェローズ)を射殺しろと命ぜられた。ところがチコとハルポはヘルトンの用心棒に雇われ、ゼッポはヘルトンの娘メエリイ(ルース・ホール)に首ったけになったので、ひどくこんがらがってしまった。その後ハルポとチコは理髪師に化けて船長をとっちめた。ハルポはマニキュア屋(イヴリン・ピアース)に惚れた船長を追っかけまわしたりしていうるちに、ニューヨークの検疫所に着いた。そこで肥満したオペラ女優(マキシーヌ・キャッスル)が気絶したので、4人は彼女に化けて担架に乗って上陸した。上陸後もアルキイとジョー・ヘルトンの喧嘩は続いて4人兄弟もその渦中にまき込まれたが、頓知のマークス兄弟はゼッポとメエリイをめでたくさせることに成功した。
――『御冗談でショ』はマルクス兄弟映画は昭和6年(1931年)2月本邦封切りの『けだもの組合』以来、昭和7年(1932年)2月に本作『いんちき商売』(前作に続いて"Monkey Business"のうまい邦題です)に続いて昭和7年(1932年)11月に封切られ、パラマウント最終作の『吾輩はカモである』'33は昭和9年1月封切りと、本国公開から日本公開までも滞りなく封切りされているのはそれだけ日本の観客にも受け入れられたということです。『吾輩はカモである』はマルクス兄弟映画でアメリカ本国では初の興行的失敗作になり、パラマウントはマルクス兄弟との契約を打ち切ったので'34年は'29年の『ココナッツ』以来毎年1作新作に出演してきた兄弟のブランクの年になりました。マルクス兄弟と新しく契約したのは大手MGMで、気鋭の敏腕プロデューサー、アーヴィング・サルバーグによって、ゼッポが自主引退したマルクス兄弟はもっとポピュラーな作風の、副主人公カップルの恋愛ロマンスの成就に尽力する明快な喜劇映画の企画を与えられます。その新路線の第1作が『オペラは踊る』'35でそれまでのマルクス兄弟最大のヒット作となり(次作『マルクス一番乗り』'37でさらに更新されますが)、日本では昭和11年4月に封切りされました。二人の異色俳句作家がその時のことを俳句に詠んでいます。「ハルポマルクス見に起重機の叢林を」渡辺白泉(1913-1969)、昭和11年。「ハルポマルクス神の糞より生れたり」西東三鬼(1900-1962)昭和11年。三鬼、白泉は昭和10年頃から世に出た、当時のモダニズム俳句である「新興俳句」派の俳人ですが、季語も日本的伝統美も抒情も排した作風で、その両者がハーポ讃辞の俳句を同時期に作句しているのは偶然ではなく、パラマウント時代の『けだもの組合』から『吾輩はカモである』に惚れこんで2年ぶりの新作『オペラは踊る』でまたハーポが観られるのをどれだけ楽しみにしていたかを語っているのですが、パラマウント時代のマルクス兄弟映画は日本未公開の『ココナッツ』と日本でのマルクス兄弟初紹介作品『けだもの組合』の2作と、続く『いんちき商売』『御冗談でショ』はかなり毛色が異なる映画と言っていい。突然変異的大傑作『吾輩はカモである』は2作を挟んでかえって初期2作の作風を凝縮して限界を極めた作品と言えるので、三鬼や白泉がマルクス兄弟についてのエッセイを残してくれていれば好みのほども知れたのに残念です。しかし初期2作(と『吾輩はカモである』)、次の2作でグルーチョやチコは俳優らしい役柄をこなすようになりましたが(ゼッポはいつもただの好青年でした)、ハーポだけはもじゃもじゃ頭に変態的なぎょろ目でホームレスの格好のいかれた聾唖の怪人で一貫していたのです。同工異曲だった『ココナッツ』と『けだもの組合』は似たような内容なのも通りで映画デビュー前からのマルクス兄弟の劇団のオリジナル・ヒット劇でした。第3作になるとマルクス兄弟も舞台芸人から離れて久しく、舞台劇の持ちネタは前2作でやってしまった。そこで、監督も前2作の監督より気鋭のノーマン・Z・マクロード(1898-1964、後年の代表作に『黄金の雨』36、『虹を掴む男』'47、『腰抜け二挺拳銃』'48など)、脚本に当時のアメリカの若手人気ユーモア作家S・J・ペレルマン(1904-1979)を起用して、純然たる映画オリジナル作品の『いんちき商売』『御冗談でショ』の2作でさらなる成功を収めます。『いんちき商売』は密航ものに盗品売買団が絡むサスペンス映画のパロディですし、『御冗談でショ』は『ロイドの人気者』『キートンの大学生』の路線のマルクス兄弟流拡大版でロイドはもちろんキートンでさえも誇張にとどまっていた大学ものをいんちきスポーツどころか大学自体が発狂しており(何しろグルーチョが学長の大学ですから)、戦後'50年代以降ジェリー・ルイスから'70年代~'80年代のメル・ブルックスまで密航サスペンス・コメディ、発狂大学コメディ、スポーツ・コメディへのこの2作の影響力は現代アメリカ映画にまで延々続いていると言ってよろしい。しかしそれは監督マクロードと脚本家ペレルマンの功績が大きいのもあって、本作『いんちき商売』と次の『御冗談でショ』は初期2作とは見違えるような映画らしい映画になっており、そうなるとプロットとストーリーの推進のためにグルーチョとチコは初期2作のような逸脱をする余地は減少したとも見えるのです。しかしハーポは!頭は鳥の巣で目つきは狂人、露出狂で万引き常習犯、食欲と性欲と他人の邪魔だけが本能の唖のハーポだけは映画にストーリーがあろうとなかろうと放し飼いで、本作でも密航&犯罪巻き込まれサスペンスの筋立てなどお構いなしに事態を紛糾させ、破壊し、ひとり孤高に自分でも理解していないまま目的のない悪ふざけを貫きます。パラマウント時代の5作の中ではウェル・メイドな本作と次作『御冗談でショ』でのグルーチョやチコにはその後のコメディアンにも後継者がいるでしょうが、ハーポ・マルクスだけはハーポの前にも後にも存在しない。それを見抜いていたからこそ西東三鬼も渡辺白泉も「グルチョマルクス」でも「チコマルクス」でもなく「ハルポマルクス」を詠んだのです。それはもう、マルクス兄弟映画を1作でも観れば腑に落ちます。
●7月21日(土)
『ココナッツ』The Cocoanuts (監督ロバート・フローリー/ジョセフ・スタンリー、パラマウント'29)*93min, B/W; 本国公開1929年8月3日; https://youtu.be/J5izciEMkvw
○あらすじ(DVDジャケット解説より) フロリダにあるココナッツ・ホテル。一向に繁盛しないホテルの経営者ハマー(グルーチョ・マルクス)は、二束三文の土地を売りつけるため金持ちの未亡人ポッター夫人に近づく。詐欺師のハーヴェイはポッター夫人の資産を狙って、彼女の娘ポリーとの結婚を目論み、ポリーと恋仲のホテル従業員ボッブの仲を裂くために、ポッター婦人のネックレスを盗み出す……。
マルクス兄弟のデビュー長編はパラマウント社の売り込みでパラマウント日本支社で試写会が開かれ公開が検討されましたが、アメリカ本国では人気喜劇チームで、本作もマルクス兄弟自身のヒット舞台劇の映画化ヒット作ながら、日本映画界はまだ外国映画の上映が字幕スーパー開発以前(日本初の外国映画の字幕スーパー作品は昭和6年=1931年2月11日公開の『モロッコ』)でもあり、マシンガントークの炸裂するマルクス兄弟映画の性格もありますが、それ以前に映画の内容が当時の理解を絶していたのがお蔵入りの原因と言われます。当時の「キネマ旬報近着外国映画紹介」は輸入され試写会があったものは紹介文が掲載されていますので、その解説・あらすじを見てみましょう。
[ 解説 ] サム・H・ハリス氏により最初に演出せられたるジョージ・S・カウフマン氏の原作舞台劇よりモーリス・リスキン氏が脚色し、「壁の穴」「ナイトクラブ」の俳人監督者ロバート・フローリー氏がジョージフ・サントリイ氏と共同監督したもので、ブロードウェイの有名な寄席芸人グルーチョ、チコー、ハーポ、ゼッポ、のマルクス4人兄弟が主演し、舞台出身のメーリィ・イートン嬢、同じくオスカー・ショウ氏、ケイ・フランシス嬢、シリル・リング氏、マーガレット・デュモン嬢その他が出演したレビューを取り入れたナンセンス喜劇である。カメラは「壁の穴」「手紙」「新聞記者」のジョージ・フォルシー氏が担任。
[ あらすじ ] フロリダの海岸にあるココナッツ荘園の持ち主で至極呑気者のハンマー(グルーチョ・マルクス)という男が経営するホテルは一向に繁盛せずボーイの給料すら払えなかったがハンマーは平気なものだった。滞在客の1人で金持ちのポッター未亡人(マーガレット・デュモン)は同じ滞在客でボストンの資産家の息子だと称するハーベイ(シリル・リング)という男の言葉を信用して自分の娘ポリー(メアリー・イートン)と結婚させようと考える。だがハーベイはその実、資産家のわけでもなんでもなくポッター未亡人の財産を狙う不良青年であり、未亡人の娘ポリーはホテルの事務員ボッブ(オスカー・ショウ)と恋仲であった。同宿のペネロープ(ケイ・フランシス)というモガはハーベイに入れ知恵してポッター未亡人が大切にしている首飾りを盗み出させこれを種にポリーとボッブの仲を割こうとした。そしてもしことがバレかかった場合には折柄現れた2人の浮浪人チコー(チコ・マルクス)とハルポー(ハーポ・マルクス)に罪をきせてしまおうと考えた。仕事はうまく行って盗み出された首飾りは荘園の切株の空洞へ隠された。呑気者のハンマーも苦しくなってココナッツ荘園の地所を競売することになった。せり売は予めチコーがサクラとなって値段をせり上げる仕掛けとなっていたが、首飾りの隠された地所の番になった時ボッブがこれを買い落とした。そこへポッター未亡人が駆け込んで来て首飾り紛失の件を話し発見者には1000ドルの賞金が附せられことになった。するとチコーがそれを探し出して来た。探偵(ベイジル・ルイスディール)はボッブが何もかも承知の上でその地所を買ったのだというハーベイの言葉を信じボッブを嫌疑者として引渡した。一方ポッター未亡人はポリーとハーベイの婚約披露宴をホテルでひらき一同を招待することになったがチコーとハルポーはひそかにボッブを牢から救い出し宴会の席へ連れて来る。宴会に招待されたお客が思い思いの服装で出席し、いろいろ隠し芸をやるが、その最中ハーベイは突然姿を晦ましてしまう。首飾りを盗んだのはこれでハーベイの仕業であったということが判明した。そこでポリーとハーベイの婚約披露宴はたちまち一変してポリーとボッブの結婚式となる。おまけにかねてココナッツ荘園の発展を計画していたポップの設計が大事業家に採用されることになってボッブとポリーの夢はいよいよ実現に近ずき一同は揃って「空はいつでも青空よ」の唄を合唱するのである。
――以上がキネマ旬報「近着外国映画紹介」の解説・あらすじですが、グルーチョの部下のホテル従業員ジェイムソン役のゼッポ・マルクスがあらすじには全然出てこないのはまったく活躍の出番がないからで、ゼッポ含めて4兄弟時代の作品は毎回そんな感じです。また、おそらくこのあらすじはパラマウント社の広報のシノプシスを翻訳したものと思われ、本作『ココナッツ』(無意味、ナンセンスの意)を観終えてストーリーを記憶している観客はいないでしょう。マルクス兄弟の映画は映画ではなく舞台劇だから、と一顧だにしなかったのは淀川長治氏ですが、マルクス兄弟自身の一座のヒット舞台劇だったというこの『ココナッツ』は経営難のホテルと宝石盗難、ヒロインと平事務員とのロマンスなどは実はどうでもよく、グルーチョがちょこまかしながらマシンガントークでジョークをとばし、偽イタリア人のチコがお調子者の安請け合いで事態を悪化させ、聾唖のいかれた浮浪者ハーポが目的もなく狂態と破壊の限りをつくす、その合間に一応あらすじにあるようなストーリーが展開し、チコがピアノの名人芸を披露し、ハーポが素晴らしいハープ演奏を聴かせる、というおよそ劇映画の体をなしていないものです。一応映画監督がついていますがカメラは据えっぱなしで役者たちの演技を収めているだけで、グルーチョの回想録によると映画監督は爆笑をこらえて見ているだけで何も指図はなかったそうですから、淀川氏の指摘通り本作はマルクス兄弟の舞台劇を一応場面転換程度に最小限のカット割りをしながら収めたもので切り返しショットやクローズアップ、モンタージュらしいモンタージュすらない点ではグリフィス以前のサイレント映画以下にプリミティヴで、劇中に流れる音楽以外に音楽は使われておらず、劇中で起こる物音以外に効果音も使われていません。見た目だけで常人ではないとわかるグルーチョ、チコ、ハーポの存在感と神経接続でもされているかのようなコンビネーション(チコはまくしたてるグルーチョと聾唖者のハーポの通訳者的な存在でもあり、グルーチョとハーポの直接対決はいつも必ず壊滅的な横すべりを引き起こします)の衝撃力が最大に発揮されているのがマルクス兄弟映画最初の2作『ココナッツ』と『けだもの組合』で、この2作が言語を絶する異常傑作になったのもマルクス兄弟舞台劇のそのままの映画化だからです。本作のマルクス兄弟はおそらくまだ実際の舞台よりは遠慮がちで、グルーチョの直線的前かがみはまだ角度が浅く、チコは抜け目のなさの中にも好人物ぽさを漂わせ、ハーポは露骨な狂気がむき出しというよりは割と律儀に順を追って破壊と混乱に邁進します。そしてゼッポは好青年役でその他大勢の俳優たちのひとりにすぎませんが、ゼッポだけはマルクス4兄弟時代を通してずっとそんなものでした。本作はパラマウント時代のマルクス4兄弟映画で唯一、脇役でしかないヒロインとその恋人のロマンスの成就を祝福する場面で終わる映画でもあります。しかし、字幕スーパー開発以前に本作がアメリカから届いても日本のパラマウント支社はさぞ処遇に困ったことでしょう。字幕スーパー開発前の初期トーキーはサイレント映画同様弁士が解説したり、効率と経済が悪く当時の光学式録音では映像を劣化させてしまう日本語吹き替えが試されて不評だったりしましたが、マルクス兄弟映画の弁士解説や当時の技術での吹き替えは不可能と判断されたのは実物を観れば一目瞭然です。この『ココナッツ』、そして次作『けだもの組合』は字幕スーパー版で普通に観て、どうにか設定は理解できてもストーリーはほとんど頭に入ってこないようなもので、尋常な意味ではこれを喜劇なのは確かだとしても喜劇「映画」と呼んでいいものなのかわからないような、破壊力そのものであるような映像としか呼べないようなものです。マルクス兄弟映画の最高傑作はパラマウント時代最終作『吾輩はカモである』'33とMGM移籍第1作『オペラは踊る』'35の2作というのが定評で、これは映画として見れば妥当なのですが、マルクス兄弟の真の狂気、混沌、破壊性が純粋に映画化されているのは最初の2作『ココナッツ』と『けだもの組合』です。この2作を観て辟易するならば、それはむしろ映画観客としては正常な感覚なのです。
●7月22日(日)
『けだもの組合』Animal Crackers (監督ヴィクター・ヒアマン、パラマウント'30)*93min, B/W; 本国公開1930年9月6日; http://www.youtube.com/playlist?list=PL-QYPAh7r9fxSlPNK5tmLx-vUzyl5CLxh
○あらすじ(DVDジャケット解説より) マルクス兄弟の2作目は、原題をうまく意訳した邦題がごく端的に示す通り野卑なパワーに充ち満ちた怪作。大富豪未亡人(常連のM・デュモント)のパーティに招かれたスポルディング大尉(グルーチョ・マルクス)は探検家。アフリカ人の担ぐ駕籠で颯爽と現われ、難クセつけて料金を払わないという出だしからグルーチョは奇天烈。未亡人への口説き文句は"私の靴下を洗って"であります。その秘書ゼッポは存在しないのと同じ。問題は、コートを脱ぐとすぐ下着というハーポ"教授"のSEXアニマルぶり!?
本作はマルクス兄弟映画日本初公開作品となり、昭和6年(1931年)2月に封切りされました。同年同月に『モロッコ』が日本初の字幕スーパーつき外国映画として公開されており、『モロッコ』もパラマウント映画で字幕スーパー自体がパラマウント社が先鞭をつけて開発したものですから、やはりパラマウント映画で同月公開である『けだもの組合』が字幕スーパー版公開だったか確証となる文献がなく心もとないですが、従来の弁士解説で公開されたとはマルクス兄弟映画の性格上想像し難く、一大話題作『モロッコ』の影に隠れたにせよ試作期だったパラマウントの字幕スーパー版(しかし初公開作品『モロッコ』ではすでに十分完成されたものだったのが字幕つきスチール写真からうかがえます)で公開されたと思われます。本作は輸入時の「キネマ旬報近着外国映画紹介」には以下のような解説・あらすじが掲載されています。
[ 解説 ]「ココナッツ」とおなじくグルーチョ、ハーポ、チコ、ゼッポのマルクス4人兄弟主演喜劇で、同じくジョージ・カウフマンほか三氏合作の舞台喜歌劇を映画化したもの、「ココナッツ」と同じく原作者の1人モリー・リスキンドが脚色し、「ピストル嬢」「壁の穴」のピエール・コリングスが台本を作り、「おしゃれ哲学」「ぬき足さし足」のヴィクター・ヒアマンが監督し、「喝采」「ココナッツ」のジョージ・フォルシーが撮影した。助演者は「放浪の王者」「ラヴ・パレイド」のリリアン・ロス、「ココナッツ」 のマーガレット・デュモン、ハル・トンプスン、ルイス・ソリン等である。
[ あらすじ ] リットンハウス夫人(マーガレット・デュモン)の邸宅で開かれた夜会の席上で、ジェッフリー・スポーディング大尉(グルーチョ・マルクス)とその秘書ホレーショ・ジェミスン(ゼッポ・マルクス)とは人気の中心となった。大尉は探検家として猛獣狩りの名人として名高い人で最近アフリカから帰って来たばかりだった。客の中には美術鑑定家で金持ちのチャンドラー(ルイス・ソリン)やホワイトヘッド夫人母娘(マーガレット・アーヴィング、キャスリン・リース)も招かれていた。その他にも「教授」と呼ばれる男(ハーポ・マルクス)とラヴェリ(チコ・マルクス)という2人の楽士もいた。この家の令嬢アラベラ(リリアン・ロス)は無名の青年画家ジョン・パーカー(ハル・トンプスン)と恋仲だった。チャンドラーが自慢するために持参した高価な名画はかつてジョンが絵画修業中模写したことのあるものだった。アラベラは愛人が優れた画家たる事を知らせるため、2人の楽士に頼んで真物とジョンが書いた模写とをすり替えることにした。一方ホワイトヘッド夫人の娘も別に模写を持っていたのでこの家の執事を口説いてすり変えてもらうことにした。一方大尉は探検談で来客連を煙にまき、ラヴェリは得意のピアノ演奏をして客を喜ばせた。その夜激しい雷鳴を幸い2人の楽士は首尾よく絵のすり替えに成功した。その後へ執事がまた偽物の絵を第1の偽物とすり替えた。その絵を披露しようとして偽物と変わっているのを知って警察に届け出た。「教授」はどさくさまぎれに乗じて本物と第1の偽物とを盗み出したが、やがてそれが露顕したので彼は自発的に返却したので警察へ突き出されないですんだ。このおかげでジョンの模写の優れていることが証明されアラベラは目的を達することが出来た。
――日本初紹介のキネマ旬報の記事は以上ですが、本作は詳細な作品研究『マルクス兄弟のおかしな世界』ポール・D・ジンマーマン(中原弓彦・永井淳訳、晶文社'72年)、詳しいマルクス兄弟論を中心とする『世界の喜劇人』小林信彦(晶文社'73、中原弓彦名義の『喜劇の王様たち』校倉書房'63、『笑殺の美学』大光社'71の増補決定版)の刊行に続いて'74年にリヴァイヴァル公開され、新たにマルクス兄弟への注目を集める作品になりました。初主演長編『ココナッツ』で自信をつけたか、本作のマルクス兄弟は爆発しています。まずファンファーレとともにアフリカ人の籠に乗って豪邸の広間に現れるスポールディング大尉ことグルーチョの姿だけでも頭が真っ白になります。グルーチョは難癖をつけて籠代を踏み倒すとすぐさま豪邸の女未亡人役、レギュラー女優のマーガレット・デュモン(1882-1965)にあからさまに財産だけを目当てに求婚しますが、前作『ココナッツ』に続いてデュモンは舞台劇からこの役で、デュモンがグルーチョの相手役で出演するマルクス兄弟はこの後『吾輩はカモである』'33、『オペラは踊る』'35、『マルクス一番乗り』'37、『マルクス兄弟珍サーカス』'39、『マルクス兄弟デパート騒動』'41とマルクス兄弟映画11作中7作ですが、低調な後期の『珍サーカス』『デパート騒動』でもデュモンの出演場面だけは光ります。大傑作『吾輩はカモである』のラストシーンが国歌を独唱し始めるデュモンに兄弟全員(ゼッポ以外)がオレンジを次々と投げつける場面なのは偶然ではなく、研究書『マルクス兄弟のおかしな世界』で「堂々たる侮辱の器」と呼ばれただけある威厳(実際にデュモンは上流階級出身の女優でした)があり、グルーチョが浴びせかけるどんな侮辱的女性蔑視ギャグをもその場で受け流して無効化してしまう偉大な女優です。さらに広間に集まった一人ひとりが紹介され、最後に自分ではしゃべれないのでチコに「教授」と紹介されたハーポはどう見てもホームレス風コート姿なので不審がられ、にやりと笑ってコートを脱ぐとパンツ1枚の裸です。メイドが叫ぶとその姿のまま追いかけ回し、パンツから拳銃を抜いてつられて鳴いた小鳥を撃ち殺し、レスリングしている二人の男の銅像を撃つと銅像が撃ち返してくる(!)と信じがたいギャグがあります。本作のストーリーも前作『ココナッツ』と大差なく、前作の宝石盗難、ヒロインと平事務員とのロマンスが名画盗難、ヒロインと無名画家のロマンスに置き代わっただけですが、結末ではハーポが「名画」を盗んでいたことから無名画家の力量が証明されめでたしとなり、警官が感激してハーポに更正を誓わせようと握手するやコートからぼろぼろ高級ナイフやフォーク、スプーンがこぼれ落ち、「コーヒーポットは?」とグルーチョが訊くとコーヒーポットまでコートから落ちてくる。一堂が呆れて笑うやら困るやらする間もなくハーポは催眠ガスのスプレーで悪党を眠らせ、警官を眠らせ、慌てる人々を次々と眠らせ、チコやグルーチョまで眠らせて、全員眠ってしまったのに気づくと自分にスプレーしてばったりと倒れる。そこでエンドマークが出ます。全員睡眠ガスで眠ってしまってお終いとは、舞台劇なら大爆笑で幕ですが、これを映画でやってしまうとはいったいどういう料簡でしょうか。本作も『ココナッツ』同様、映画としてはグリフィスの『国民の創生』'15以前のサイレント短編時代の技術水準に退行していて、早い話撮影に関して言えば'14年頃のマック・セネットのキーストン社の短編喜劇の映像技法の水準でしかありません。初期トーキーの限界だった同時録音がかえってグリフィスが始めたモンタージュやさまざまなカット割りを不可能にし、サウンド収録のために初期の短編喜劇時代のような撮影水準に退行してしまったと言える一方、長編映画でしかも長期公演してきた舞台喜劇をオリジナル・キャストで演じているため短編喜劇時代のような即興的製作ではなく計算し尽くされた演技になっている。にもかかわらず登場人物が全員意識不明になってぶっ倒れて終わり、というのは長編映画としては前代未聞で、のちアントニオーニやゴダール以降の映画にはこういう結末の体をなさないなしくずしに終わる映画も出てきますが(スコリモフスキやファスビンダーなど)、そうしたアート・ムーヴィー系のものでなく純然たるファース(娯楽笑劇)で滅茶苦茶になって終わるのは明らかにどうにかしています。'70年代のコメディ系TVヴァラエティ番組を連想する人もいるでしょうが、それを成り立たせる背景が違います。昭和6年の日本人観客にとってこれがいかに驚異的なものだったかを想像するのは難くなく、しかし確実に一部の観客の熱狂を呼んだ証拠も存在しているのです。
●7月23日(月)
『いんちき商売』Monkey Business (監督ノーマン・Z・マクロード、パラマウント'31)*78min, B/W; 本国公開1931年9月19日; https://youtu.be/9xAIcj5aboQ (extract)
○あらすじ(DVDジャケット解説より) ニューヨークへ向かう定期航路の客船に乗り込んだ密航者4人がマルクス兄弟。船長に成りすましたり、世界を股にかける富豪、または怪盗の用心棒になったり、理髪師に化けて船長をとっちめたり、あげくの果てには担架に乗ってニューヨークへ上陸。チョビ髭のグルーチョ、唖のハーポ、ルンペン帽のチコが繰り広げるナンセンス喜劇。「ココナッツ」「けだもの組合」に続くマルクス兄弟シリーズ第3作。
本邦でのマルクス兄弟2作目の公開作品は本作で、『けだもの組合』からちょうど1年後の昭和7年(1932年)2月に封切られました。輸入時の「キネマ旬報近着外国映画紹介」には以下のような解説・あらすじが掲載されています。
[ 解説 ]「ココナッツ」「けだもの組合」につぐマークス兄弟主演映画で、S・J・ペレルマンとウィル・B・ジョンストンとが書き下ろしたストーリーにアーサー・シークマンが台詞をつけ、「青春来る」のノーマン・Z・マクロードが監督し、「沈黙の犯罪」「哄笑の世界」のアーサー・トッドが撮影している。助演者は「マルタの鷹」「女給と強盗」のセルマ・トッド、「影を売る男」のロックリフ・フェローズ、トム・ケネディー、ルース・ポール、ハリー・ウッズ等である。
[ あらすじ ] ニューヨークに向かって航海中の大西洋定期航路の大旅客船で、二等運転士(オットー・フライズ)は密航者が4人いることを船長(ベン・タガート)に報告した。彼は密航者の姿を見てはいないが、ニシンを詰めてあるはずの樽の中から男性合唱の「スイート・アデライン」が聞こえるから、4人に相違ないと主張した。船長の命でひっとらえに来ると樽は空っぽになっていた。4人の密航者というのは言うまでもなくマークス4人兄弟(グルーチョ、チコ、ハーポ、ゼッポ)で、彼らは大胆にも堂々と船長室に乗り込み、グルチョは船長になり済ました。が偽船長もついにボロを出してしまったので逃げ込んだのがアルキイ・ブリッグス(ハリー・ウッズ)という富豪の船室で、そこにはアルキイの妻ルシル(セルマ・トッド)だけしかいないのでたちまちギターをひいて恋をしかけた。とたんにアルキイが戻ったが、グルウチョはうまく丸めて富豪実は欧米を股にかけている怪盗アルキイの用心棒の役を引き受けた。そしてゼッポはアルキイの仇敵ジョー・ヘルトン(ロックリフ・フェローズ)を射殺しろと命ぜられた。ところがチコとハルポはヘルトンの用心棒に雇われ、ゼッポはヘルトンの娘メエリイ(ルース・ホール)に首ったけになったので、ひどくこんがらがってしまった。その後ハルポとチコは理髪師に化けて船長をとっちめた。ハルポはマニキュア屋(イヴリン・ピアース)に惚れた船長を追っかけまわしたりしていうるちに、ニューヨークの検疫所に着いた。そこで肥満したオペラ女優(マキシーヌ・キャッスル)が気絶したので、4人は彼女に化けて担架に乗って上陸した。上陸後もアルキイとジョー・ヘルトンの喧嘩は続いて4人兄弟もその渦中にまき込まれたが、頓知のマークス兄弟はゼッポとメエリイをめでたくさせることに成功した。
――『御冗談でショ』はマルクス兄弟映画は昭和6年(1931年)2月本邦封切りの『けだもの組合』以来、昭和7年(1932年)2月に本作『いんちき商売』(前作に続いて"Monkey Business"のうまい邦題です)に続いて昭和7年(1932年)11月に封切られ、パラマウント最終作の『吾輩はカモである』'33は昭和9年1月封切りと、本国公開から日本公開までも滞りなく封切りされているのはそれだけ日本の観客にも受け入れられたということです。『吾輩はカモである』はマルクス兄弟映画でアメリカ本国では初の興行的失敗作になり、パラマウントはマルクス兄弟との契約を打ち切ったので'34年は'29年の『ココナッツ』以来毎年1作新作に出演してきた兄弟のブランクの年になりました。マルクス兄弟と新しく契約したのは大手MGMで、気鋭の敏腕プロデューサー、アーヴィング・サルバーグによって、ゼッポが自主引退したマルクス兄弟はもっとポピュラーな作風の、副主人公カップルの恋愛ロマンスの成就に尽力する明快な喜劇映画の企画を与えられます。その新路線の第1作が『オペラは踊る』'35でそれまでのマルクス兄弟最大のヒット作となり(次作『マルクス一番乗り』'37でさらに更新されますが)、日本では昭和11年4月に封切りされました。二人の異色俳句作家がその時のことを俳句に詠んでいます。「ハルポマルクス見に起重機の叢林を」渡辺白泉(1913-1969)、昭和11年。「ハルポマルクス神の糞より生れたり」西東三鬼(1900-1962)昭和11年。三鬼、白泉は昭和10年頃から世に出た、当時のモダニズム俳句である「新興俳句」派の俳人ですが、季語も日本的伝統美も抒情も排した作風で、その両者がハーポ讃辞の俳句を同時期に作句しているのは偶然ではなく、パラマウント時代の『けだもの組合』から『吾輩はカモである』に惚れこんで2年ぶりの新作『オペラは踊る』でまたハーポが観られるのをどれだけ楽しみにしていたかを語っているのですが、パラマウント時代のマルクス兄弟映画は日本未公開の『ココナッツ』と日本でのマルクス兄弟初紹介作品『けだもの組合』の2作と、続く『いんちき商売』『御冗談でショ』はかなり毛色が異なる映画と言っていい。突然変異的大傑作『吾輩はカモである』は2作を挟んでかえって初期2作の作風を凝縮して限界を極めた作品と言えるので、三鬼や白泉がマルクス兄弟についてのエッセイを残してくれていれば好みのほども知れたのに残念です。しかし初期2作(と『吾輩はカモである』)、次の2作でグルーチョやチコは俳優らしい役柄をこなすようになりましたが(ゼッポはいつもただの好青年でした)、ハーポだけはもじゃもじゃ頭に変態的なぎょろ目でホームレスの格好のいかれた聾唖の怪人で一貫していたのです。同工異曲だった『ココナッツ』と『けだもの組合』は似たような内容なのも通りで映画デビュー前からのマルクス兄弟の劇団のオリジナル・ヒット劇でした。第3作になるとマルクス兄弟も舞台芸人から離れて久しく、舞台劇の持ちネタは前2作でやってしまった。そこで、監督も前2作の監督より気鋭のノーマン・Z・マクロード(1898-1964、後年の代表作に『黄金の雨』36、『虹を掴む男』'47、『腰抜け二挺拳銃』'48など)、脚本に当時のアメリカの若手人気ユーモア作家S・J・ペレルマン(1904-1979)を起用して、純然たる映画オリジナル作品の『いんちき商売』『御冗談でショ』の2作でさらなる成功を収めます。『いんちき商売』は密航ものに盗品売買団が絡むサスペンス映画のパロディですし、『御冗談でショ』は『ロイドの人気者』『キートンの大学生』の路線のマルクス兄弟流拡大版でロイドはもちろんキートンでさえも誇張にとどまっていた大学ものをいんちきスポーツどころか大学自体が発狂しており(何しろグルーチョが学長の大学ですから)、戦後'50年代以降ジェリー・ルイスから'70年代~'80年代のメル・ブルックスまで密航サスペンス・コメディ、発狂大学コメディ、スポーツ・コメディへのこの2作の影響力は現代アメリカ映画にまで延々続いていると言ってよろしい。しかしそれは監督マクロードと脚本家ペレルマンの功績が大きいのもあって、本作『いんちき商売』と次の『御冗談でショ』は初期2作とは見違えるような映画らしい映画になっており、そうなるとプロットとストーリーの推進のためにグルーチョとチコは初期2作のような逸脱をする余地は減少したとも見えるのです。しかしハーポは!頭は鳥の巣で目つきは狂人、露出狂で万引き常習犯、食欲と性欲と他人の邪魔だけが本能の唖のハーポだけは映画にストーリーがあろうとなかろうと放し飼いで、本作でも密航&犯罪巻き込まれサスペンスの筋立てなどお構いなしに事態を紛糾させ、破壊し、ひとり孤高に自分でも理解していないまま目的のない悪ふざけを貫きます。パラマウント時代の5作の中ではウェル・メイドな本作と次作『御冗談でショ』でのグルーチョやチコにはその後のコメディアンにも後継者がいるでしょうが、ハーポ・マルクスだけはハーポの前にも後にも存在しない。それを見抜いていたからこそ西東三鬼も渡辺白泉も「グルチョマルクス」でも「チコマルクス」でもなく「ハルポマルクス」を詠んだのです。それはもう、マルクス兄弟映画を1作でも観れば腑に落ちます。