キートン作品のうち名高い'20年代のバスター・キートン・プロダクション製作の長編は短編の傑作選と抱き合わせで'70年代にフランス映画社の配給によってリヴァイヴァル公開されました。このご紹介ではリヴァイヴァル公開でのリニューアル・タイトルを現在での邦題としてご紹介して(カッコ)に旧邦題を注記いるのですが、旧邦題『滑稽恋愛三代記』などはリヴァイヴァル邦題『キートンの恋愛三代記』、旧邦題『忍術キートン』(初案は『名探偵二世』で、まだその方が良かったと思いますが)はリヴァイヴァル邦題『探偵学入門』、旧邦題『キートンの栃麺棒』(栃麺棒、トチメンボーとは慌て者の意味)の栃麺棒はさすがに死語だから(「とちる」「早とちり」と変化して残っていますが)『キートンのセブン・チャンス』で適切だなと思う一方、『荒武者キートン』が旧邦題のままなのは面白いなと思いますし、今回の3作『Go West』、『Battling Butler』、『The General』はリヴァイヴァル邦題『キートンのゴー・ウェスト!』、『キートンのラスト・ラウンド』、『キートンの大列車追跡』より旧邦題『キートンの西部成金』、『拳闘屋キートン』、『キートン将軍』の方が良いな、と思ったりもします。『西部成金』にしろ『拳闘屋』にしろ古風ですが意味は通じて映画の内容にも即していますし(どちらもにわか「西部成金」「拳闘屋」ですが)、「The General」は南北戦争時代の機関士キートンの愛車が蒸気機関車「将軍号」で、キートンが将軍級の軍功を上げる話ですから『大列車追跡』でも内容通りではありますが(旧リヴァイヴァル時の邦題『キートンの大列車強盗』は北軍に将軍号を強奪されて取り返しますから間違いではないですが、列車強盗もの西部劇と勘違いされやすいのでまだ『大列車追跡』の方が良いですが)、『荒武者キートン』を旧邦題で残すなら『キートンの西部成金』『拳闘屋キートン』『キートン将軍』の3つも旧邦題のままでもいいでしょう。サイレント時代の古い映画でも邦題の二転三転がなく上映機会も多い『ロイドの要心無用』(「用心無用」は間違い)、『(チャップリンの)黄金狂時代』などはともかく、キートン作品は邦題が研究文献(原題の直訳意訳)なども含めると上映題名以外も含めて二転三転しているので、ヴィデオやDVDなどなかった頃は当然簡単に調べられるインターネットなどもなく、上映会ごとに主催者によってタイトルがまちまちなのでいろいろ混乱したものです。現在日本盤で出ているDVDでもメーカーごとに違っていたりするので原題と年代、邦題の変遷についての予備知識が必要だったりするのも困ったもので、またキートン作品はメーカーによってヴァージョン違い、長さ違いも多く、キートンの長編中もっともポピュラーな『キートンの大列車追跡』は75分、80分、106分、さらに各1分前後長さの異なる版が出ています。これはサイレント時代と現代のフィルム再生速度の違いだけでなくアメリカ本国でも全長版と各種の短縮版が出回ったからですが、どちらが良いとは決めつけられなくてもキートンの映画の場合短い=その分ギャグが削られていることにもなり、無駄なギャグを落として締まりのある出来になっているならともかく、と考えればきりがありません。それはさておいて今回の3作も前回の3作『探偵学入門』『海底王キートン』『セブン・チャンス』に続いてキートン絶頂期の傑作ばかりで、製作費はますます増大し(特に『ゴー・ウェスト!』『大列車追跡』)、しかしチャップリンやロイド作品の1/3~1/5しか観客動員数は延びなかった悲運の作品群です。どのあたりが当時の観客にはやりすぎで置いてきぼりにしたか、今回もメモを採りながら観直してみました。
●7月7日(土)
『キートンのゴー・ウェスト!(キートンの西部成金)』Go West (バスター・キートン・プロダクション=MGM'25)*68min, B/W, Sillent; 本国公開1925年11月1日; https://youtu.be/jhEETDD8hHk
○あらすじ(DVDジャケット解説より) 職が減る一方の片田舎から出て一旗揚げようと私財を売り払ったホーマー(キートン)。 現実は辛くあっという間に無一文となり西武へたどり着く。 牧場主の計らいで働かせてもらう事になるが、そこで一頭の雌牛と恋に落ちてしまう。 事ある度に"彼女"を守るホーマーだったが、この牧場にも不況の波は押し寄せていた……。
本作のキートンの役名は「Friendless」、ヒロインは雌牛のブラウン・アイズです。まず「若者よ西へ行け」というホレス・グレーリーの銅像が映り、「旅人には先々で友を作る人間と/ただ移動するだけの人間がいる」。雑貨屋に大八車を曳いたキートンが入っていき、物々交換で必要な旅道具をそろえますが手ぬぐいの包みひとつ分にしかなりません。キートンは鉄道貨車に乗って旅出とうとしますがなかなか汽車は発車せず、ようやくニューヨークに上京して街に出ますが群集にもみくちゃにされて踏みつけにされてしまいます。今度こそはと「若者よ西へ」の銅像がひらめいたキートンは西部行き貨物車に乗りこむと今度はさっさと発車しますが、倒れてきた樽の山の下敷きになります。貨車から転がり出たキートンは岩山の中で、草原に馬を見つけて乗りますがまるで走らないので歩き出します。やがてアリゾナの集落地に通りかかったキートンはカウボーイを雇わないか訊いて歩きますがどこからも断られます。井戸で水を飲んで休んでいるキャサリンに会い、近くに留めてある雌牛を構っているうちにキャサリンの父はキャサリンに新人カウボーイに馬の扱いを教えてやれ、と何となくそこの牧童になります。キートンは馬を試乗して遠乗りしてみますが振り落とされてしまい歩いて戻ります。牛馬の群を見張るキートンはさっきの雌牛がびっこをひいているのに気づき、ひづめに挟まった石を抜いてやります。作業するキートンに暴れ牛が突進してきますが、雌牛がキートンを守ります。雌牛はキートンになつき、カウボーイ宿舎に戻ったキートンについて部屋まで入ってくるのでキートンは他のカウボーイに雌牛ごと追い出されて宿舎の窓の下で野宿することになり、朝食も食べはぐれます。次の水曜には牛の出荷が予定されてどうにか1,000頭までは出荷する予定が立てられます。キートンは牛の番をしますが戻ってこないはぐれ牛に困ったり、牛の焼き印の列から雌牛だけを逃がしてやったりしますが、焼き印を捺していないのがバレて石炭で焼き印を描いてごまかし通します。キートンは皆が食事中に雌牛を出荷させまいと角をつけ鹿に変装させます。キートンは井戸の水くみ作業で手のひらにたこができたキャサリンのたこを切除して、安心して去ったキャサリンが手放した釣瓶で頭を打ちます。出荷当日がきます。キートンは雌牛を群から除けますが主人にそいつも出荷しろと命令され、牧童仲間が連れて行きます。キートンは雌牛を買うとあり金を全部主人に差し出しますが、競売なら倍で売れると断られ、見ていたキャサリンは同情して父に訴えますが、たしなめられます。キートンはポーカーの賭けをしてお金を増やそうとし、すぐに相手のいかさまに気づきますがかえってピストルで「笑え」と脅迫され指で口端を上げて口元だけ笑い、その隙にピストルを奪って勝負し直しますが結局お金を巻き上げられてしまいます。キャサリンは牛が出荷される駅に着き雌牛を探しますが牛の貨車に紛れているキートンに気づきます。キートンは列車強盗たちに引きずり出されますが途中で逃げ出して走っている貨車に飛び乗り、故障で目的地ロサンゼルス直前に停車した汽車から雌牛と外に出ます。一方、牧場では牛が到着しないと破産してしまうと汽車の停車の知らせにキャサリン父娘が動揺します。キートンが雌牛と街に出ると、貨車から次々と牛の群が降りてついてきます。街はあふれる牛の群にパニック状態になります。民家、床屋、百貨店、パーティー会場などいたるところが牛だらけになり、キートンはどうにか牛の群をまとめようとし、警察と消防隊も出動しようとしますがどうにもなりません。衣料品店で全身赤タイツに赤い角と尻尾まで扮装したキートンは街を走り回り、先頭に立って牛に乗って1,000頭の牛を引き連れて疾走し、目的地のロサンゼルスの市場に送り届けます。牧場に戻ったキートンに主人「よくやった、何でも欲しいものはくれてやる」「では彼女を」キートンは後ろを向いてキャサリンはもじもじしますが、雌牛が出てきてキートンに寄り添います。キートンはキャサリン父娘が乗るオープンカーの後部座席に雌牛と乗って、雌牛がキートンの手を舐め、キートンは雌牛を優しく愛撫します。そしてキートンらを乗せたオープンカーが駅に向かう姿でエンドマーク。
キートンの名前が「フレンドレス」、今風に言えば「ぼっち」というのは的確きわまりないキャラクター・ネームで、このキートンが足を痛めて牛の群れからぼっちになっている雌牛ブラウン・アイズと心を通わせる、というのは公開当時'25年8月封切りの特大ヒット作だったチャップリンの『黄金狂時代』(製作費95万ドル・興行収入250万ドル)のメロドラマ性との共通性を、ロイドの'25年9月の新作『ロイドの人気者』(製作費30万ドル・興行収入260万ドル)とともに指摘されたそうです。キートンの評伝著者トム・ダーディスはロイドについてはないだろうがキートンの場合はチャップリンからの感化があるかもしれない、としています。ロイド作品には当初から恋愛ロマンス指向があり、'24年の大ヒット作『猛進ロイド』でロマンティック・コメディ路線の完成型を作った実績があるからです。本作はアリゾナの大平原でのオール・ロケでカメラマンだけで4人、電気技師4人、さらに技術担当者と24人の大道具係という大群が野営して撮影を行い、アリゾナ砂漠の熱で用意した大半のフィルムが溶け出して補充が必要になり、氷を詰めた冷却帯でカメラを保護しないと撮影できず、その上撮影途中でブラウン・アイズにさかりが来て砂漠のど真ん中で撮影が2週間中断という困難に見まわれたそうです。キートンがいかさまカードで脅される「笑え!」というのはヒット舞台劇の西部劇『ヴァージニアン』('29年にゲイリー・クーパー、ウォルター・ヒューストン主演、ヴィクター・フレミング監督の映画化で再ヒット)の台詞で、キートンが指で作り笑いするのはもちろん『散り行く花』'19で死に際のリリアン・ギッシュがリチャード・バーセルメスの腕の中で息を引き取る時の仕草です(後にゴダールが『勝手にしやがれ』'60で流用)。『恋愛三代記』といい『荒武者キートン』といいキートンがグリフィス映画のもじりをいかに好んでいたかを示すシーンです。本作はキートン自身の原作で、前作までのキートン・プロダクションの脚本主任だった有能なクライド・ブルックマンが抜けたため(ブルックマンは以降ロイドとキートンの作品を往復します)、脚本も助手をつけてキートンが手がけたので前作で舞台劇という土台もあった『セブン・チャンス』でようやく達したギャグとストーリーの配分のなめらかさからは再び荒っぽいものになり、特にブラウン・アイズが出荷されてしまうのをあの手この手で阻止しようとするまでは映画冒頭から不規則でつながりのない、どこまで物語が進行しているのかよくわからない語り口に戻っています。ギャグ単位での面白さは向上しているので興味は途切れませんが、圧倒的なのはロサンゼルスの手前で列車が止まってしまい、ブラウン・アイズと逃げ出すついでに牛の大群を貨車から街中に放してからでしょう。映画内の台詞通り1,000頭とまではいかず300頭だったそうですが、町の人々のリアクションはだいたい読めてしまうのでまずまずながら、キートンが撮影中に衣装屋で即興で思いついた(!)という真っ赤な悪魔のタイツ衣装が強烈です。準備してあったのではなくたまたま衣装屋に陳列してあったのだそうで、B/W映像ですから黒衣装ですが、何百頭の牛が床屋や交番、果物屋、瀬戸物屋まで荒らして回ったシーンの後で悪魔の衣装のキートンが疾走する、そして牛の大群がキートンを追って暴走して市場までたどり着く、というのは実は上手く編集してあって、実際には牛の大群はキートンが走っても押し合いへし合いするだけで着いて来てくれず、キートンの疾走シーンと牛の暴走シーンは編集でキートンを追っているようにつないだそうですが、この大クライマックスで中盤までの構成の緩みも帳消し、さらにエンドシーンのキートンと雌牛の愛撫の交感で見事な画竜点睛になっています。しかし同年3月封切りの名作『セブン・チャンス』が比較的低予算で60万ドル弱のヒット作になったのに対し、本作は具体的数字は発表されていませんが大予算で製作され(おそらく『ロイドの人気者』の製作費30万ドル以上で)ながら興行収入60万ドル、批評もあまり良くなく、キートンも出来に不満を洩らしています。今日では本作の人気は高く、ジャズ・ギタリストのビル・フリゼールは'95年に本作のサウンドトラック・アルバムを発表、さらに2007年にはフル・オーケストラ伴奏によるニュープリント公開も行われました。『セブン・チャンス』や本作の優れた出来を観るにつけ、同年の『黄金狂時代』『ロイドの人気者』とどうしてそこまで格差がついた興行収入だったか不思議になりますが、なめらかな出来の『セブン・チャンス』でさえ一定の収益を越えられなかったのですからキートンの突拍子もない面の強く出た本作が『セブン・チャンス』と同等の観客動員だっただけでもまだしもだったのでしょう。そして次作は本作より前に企画された、舞台劇の映画化になりますが、結果的にキートン・プロダクションの製作した長編10作の中でこれまで最高の収益だった『海底王キートン』'24の興行収入68万ドルをしのぐ10作中のNo.1ヒット作になります。そしておそらく製作費も『海底王キートン』や本作よりずっと少なくついたものでした。
●7月8日(日)
『キートンのラスト・ラウンド(拳闘屋キートン)』Battling Butler (バスター・キートン・プロダクション=MGM'26)*76min, B/W, Sillent; 本国公開1926年9月19日; https://youtu.be/gZygzGBipqk
○あらすじ(DVDジャケット解説より) 大富豪の息子アルフレッド・バトラー(キートン)は、親も驚くノラクラだった。見かねた父の勧めで人里離れた自然の中で"野外生活"を始めるアルフレッドだが、そこで美しい娘と出会う。彼女との結婚をとりつけようと彼は執事に依頼するが、執事がついた一つのウソで事態は思わぬ方向へ転がってしまう……。おバカな執事と、めまぐるしく変わる状況に翻弄されながら、放蕩息子アルフレッドは、ほんの少し大人になっていく。 「世界三大喜劇王」キートンが描く、キートンらしい抜群の運動センスで笑わせる、傑作モノクロサイレントコメディ!。
キートン単独監督、バスター・キートン・プロダクション製作の長編10作で最大のヒット作(興行収入75万ドル)になった本作は、「Adapted from success play」とクレジットされてタイトルが終わると、金持ちの令息キートンが「山暮らしで生活力を鍛えてきなさい」と両親に送り出される場面から始まります。執事(『セブン・チャンス』で好人物の弁護士役を好演したスニッツ・エドワーズ)の世話で大型テントに寝泊まりし豪華な朝食をとるキートン。猟りに行くかと執事と山鳥が飛びかう山中を行きますが「獲物はいないみたいだね」。キートンは獲物らしきものに発砲しますが、山に住む娘が干していた洗濯物で娘にさんざん怒られます。釣りに行ったキートンは小舟が沈みそうになるところを娘と再会し、自分のテントにお茶に誘います。意気投合する二人。大男二人が通りかかり「父と兄です」。二人が去ると「他にお父さんとお兄さんはいないの?」とキートン。見つめあう二人。同じ構図のままもう夜。キートンは娘を送っていきます。翌朝、ボクシングのニュースの乗った新聞を持ってきた執事に「新聞はいいよ」そして「あの娘と結婚したいな」。娘の家を訪ねる執事、「弱虫はお断りだ」「弱虫ですと?」と持っていた新聞のボクシング記事を見せる執事。一方娘はテントに訪ねてきて朝からいちゃつく二人。執事が戻り、続いて娘の父と兄がきてキートンに歓迎の握手。列車に乗り込み、考え込むキートンと執事。執事が娘の父と兄にキートンのリングネームだと言った、キートン(アルフレッド・バトラー)と同姓同名の、本物のボクサーのバトリング・バトラーの試合があるのです。ラジオ中継に熱中する娘とその父と兄。バトラーの勝利。観客が帰った客席でキートンと執事、呆然と「チャンピオンになったよ」「山には戻れないということですね」。婚約指輪を取り出すキートン。キートンが娘の家に事情を話しに山の町に着くと、「バトリング・バトラー」の大モールとキートンを取り囲む町の人々。家に着くと結婚式の支度までされています。そこに新聞「バトリング・バトラー、防衛戦に備えて明朝からキャンプ」すぐ行ってくれ、と大喜びの一家。なんとか助かったキートンと執事、「どうしようか」「手紙のやりとりの都合上、バトラーのキャンプ地がいいでしょう」先に着いてホテルに夫人とチェックインした本物のバトラーは夫人と喧嘩し、街に出たバトラーの夫人は後から着いたキートンとタクシーに同乗します。夫人とタクシーから降りたキートンを怪しむバトラー。翌日、山の町の娘がキートンに会いに来てしまいます。キートンはとっさにトレーニング中を装って娘を帰そうとしますが、娘はホテルのテラスでバトラーの夫人と鉢合わせして揉め、本物のバトラーがキートンを同じバトラー姓なだけであちらはチャンピオンのバトラーさんだ、と紹介して収め、感謝祭の日のアラバマの殺し屋との対戦が楽しみですなと予告し、トレーナーに防衛戦はあいつを出してやれ、そうすりゃ懲りて他人の女房といちゃつかないだろう、とキートンの防衛戦出場をまとめてしまいます。そしてキートンの本格的トレーニングが始まりますが当然滅茶苦茶です。キートンは執事と二人三脚でトレーニングしマラソン中に車に飛び乗り横断車と激突したり路溝に転げ落ちたりし、執事が支度した立派な食事はトレーナーに乾パンとミルクに取り替えられたりします。ついに試合当日、前座戦は血みどろの戦いで担架で敗者が運ばれ、楽屋ですれ違ったアラバマの殺し屋は殺気立っています。キートンは担架に潜り込んで逃げようとしますがアラバマの殺し屋が暴れかかってきます。娘もめかしこんで観戦に来ます。しかも父と兄が全財産を賭けたと告げます。執事がうつむき、トレーナーがキートンにコーチをつけていると「バトラー!」の歓声が響き、楽屋の小窓から覗くと本物のバトラーがアラバマの殺し屋をノックアウトしています。「仕返ししたのさ。チャンピオンの座を捨てるわけないだろう」とトレーナー。楽屋に戻ってきたバトラーにキートンは礼を言いますが、「3週間生かしてやったのさ」と隣室で殴りかかってきます。キートンは必死で応戦してバトラーをのします。キートンは娘に「彼がバトラーなんです。ぼくはボクサーのバトラーじゃないんです」と謝りますが、娘は微笑み「嬉しいわ」とキートンの腕をとり、ふたりは街に歩き出して、エンドマーク。
キートン映画のヒロインはキートン・プロダクションのプロデューサーのジョセフ・M・スケンクがどうせ喜劇なんだからとギャラの安い女優しか使わなかったという悪評があり、スター級の女優は『荒武者キートン』のナタリー・タルマッジくらいですがキートンと結婚して1作きりで共演を終わっています。『探偵学入門』で出番のほとんどなかったキャサリン・マクガイアは『海底王キートン』では家事のできない金持ちの令嬢役を好演していましたが、『恋愛三代記』(マーガレット・リーイー)や『セブン・チャンス』(ルース・ドワイヤー)、『ゴー・ウェスト!』(キャサリン・マイヤーズ)は『探偵学入門』同様ほとんど出番のない待っているだけのヒロイン役なのでスケンクの考え方も一理あるのです。この辺もチャップリンがエドナ・パーヴィアンスを、ロイドがミルドレッド・デイヴィス、ミルドレッドとの結婚後はジョビナ・ラルストンと、魅力的で上手いレギュラー女優を生かした映画作りをしていたのとは違い、本作のヒロインは原作戯曲の筋運びからもほぼ全編出ずっばりの重要な役で、しかも『海底王キートン』のようなドタバタ喜劇ではなくキートン作品でもかつてなく入り組んだドラマ性の高い人物取り違えのプロットです。山の町の娘役のヒロイン、サリー・オニールは田舎娘役としては似つかわしい容貌ですが、サイレントだからどうにかなったのでトーキーだったら使えなかったのではないでしょうか。本物のボクサーのバトラーの夫人役の女優(メアリー・オブライエン)がやはり無名女優ですが舞台慣れした所作の演技だけに気になりますが、『セブン・チャンス』でもお人好しの初老弁護士役の好演でキートンに次ぐ準主演の存在感だったスニッツ・エドワーズが今回も調子のいいお人好しの初老執事役で、エドワーズ(1868-1937)は舞台役者で'20年代に20本ほどのサイレント作に出演し、ウェルマンの『民衆の敵』'31(ええっ!?)を最後に引退したそうですが、バイプレーヤーなのでやはり代表作は『セブン・チャンス』、本作、『キートンのカレッジ・ライフ』'27になるそうです。イギリス人俳優ジャック・ブキャナンの当たり舞台だったという原作は知りませんが、調子のいいうっかり者の従者のせいで起こる人物取り違え喜劇とはいかにもイギリス流で、一見純アメリカ的なキートンですが喜怒哀楽の豊かなロイドがアメリカ的ならいつもポーカーフェイスのキートンは純アメリカ的とは言えず、ポーカーフェイスのキートンにお調子者のエドワーズという配役が本作を成功させていて、エドワーズ抜きにはこう上手くはいかなかったでしょう。また意地悪な本物のボクサーのバトラー役のフランシス・マクドナルドも好演です。いんちきボクサーものは後のトーキー時代にロイドがMGM最後の作品で事実上の準引退作『ロイドの牛乳屋』'36で演じていますが、ロイドの運動力も全盛期からはぐっと落ちているのでトーキーの特質を上手く使って引っ張った作品で、レオ・マッケリー監督作品としては巧みで面白い喜劇でしたがロイドらしさはほとんど出ていない映画でした。本作は原作戯曲では本物のバトラーが試合に出てハッピーエンドになるのをもうひとつ盛って、試合後のバトラーにキートンが襲われて逆にキートンが勝ち、ヒロインはキートンの嘘を許してハッピーエンド、とひとひねりしてあり、この最後の爆発がキートンらしいので『ロイドの牛乳屋』のロイドらしさの稀薄さよりも俳優のキャラクターの勝った映画になっています。つまりキートン作品としては『セブン・チャンス』に続いてドラマ構成がしっかりしている上にちゃんとキートンらしい映画になって終わって後味も良く、プロデューサーのスケンクと配給のMGMは本作を大プッシュしてプロモーションも万端に封切りました。それが本作を興行的大成功、チャップリンやロイドには及びませんがキートン作品では最高のヒット作に押し上げたのです。単独監督でもキートンがいかに冴えていたかの証となる作品でもあります。そして次作がキートンの監督作品史上最大規模の製作費と製作期間で作られた、最大の野心作かつサイレント映画史上の金字塔となるのです。
●7月9日(月)
『キートンの大列車追跡(キートン将軍、キートンの大列車強盗)』The General (共同監督クライド・ブルックマン、バスター・キートン・プロダクション=ユナイテッド・アーティスツ'27)*105min, B/W, Sillent; 本国公開1927年2月5日; https://youtu.be/x2X58JcO9G4
○あらすじ(DVDジャケット解説より) 機関車の操縦士ジョニー・グレイ(キートン)には、愛するものが二つあった。一つは機関車「将軍」、そしてもう一つは、恋人アナベル・リーであった。南北戦争が激化するある日、北軍のスパイにより、「将軍」が盗まれてしまう。愛する「将軍」を奪還するため、ジョニーはトロッコに乗って北軍を追いかけるが、この「将軍」の貨物車には、愛するアナベルが乗っているとは全く知らなかった。線路上で繰り広げられる激しい攻防戦に打ち勝ち、果たしてジョニーは、愛するものを再び取り戻すことができるのか。 「世界三大喜劇王」キートンが描くアクション・コメディー。
これまでのメトロ(→メトロ=ゴールドウィン→MGM)に託していた配給が本作からバスター・キートン・プロダクション解散までの3作がユナイテッド・アーティスツに配給が変わったのは、1923年にD・W・グリフィス、チャップリン、ダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォードのアメリカ映画界のトップ・アーティスト4人が創設したユナイテッド・アーティスツ社から、'26年を最後にグリフィスが経済的事情からパラマウント映画社専属に移籍せざるを得なかったため(グリフィスは逝去する'48年になっても私財すべてとあらゆる金策をして製作した'16年の超大作『イントレランス』の興行的失敗で負った莫大な負債を清算し切れず生涯を終えました)、キートン・プロダクション社長のジョセフ・M・スケンクがグリフィスの後釜に同社の共同経営者に加わったことからキートン・プロ作品もユナイト社傘下から配給されるようになったという事情がありました。スケンクの映画界での地位の大きさにも驚かされますが、キートンのグリフィスへの敬愛は作品のあちこちに具体的影響としてうかがえるのでキートンも内心複雑な心境だったと思われ、本作は「Written and Directed by」とキートンとクライド・ブルックマンの名前が出ますが、本作が実は南北戦争ものの実録短編小説を原作としている歴史超大作なのは、グリフィス最大のヒット作で以後のアメリカ映画の技法を決定した画期的な超大作の南北戦争映画『国民の創生』'15が意識にあったのは間違いないと思われます(グリフィスはサイレント映画の字幕タイトル全部を縁取りして下辺の中央に「―DG―」と自分のイニシャルを入れる監督で、そんな映画監督はグリフィスの弟子のワンマン監督シュトロハイムくらいでしたが、本作の字幕タイトルはキートンはグリフィスに倣って「―BK―」とイニシャル入りの縁取りをしています)。事実本作は今日では南北戦争時代をまだ残存資材や証言者も現存していた時期に映画作品に再現したものとして民族学的資料価値、芸術的価値でグリフィスの『国民の創生』『イントレランス』、チャップリンの『黄金狂時代』に匹敵するサイレント時代のアメリカ映画の古典と認められています。映画は南北戦争初期の南部ののんびりした駅の風景から始まります。「ウェスタン&アトランティック鉄道機関士ジョニー・グレイの愛するのは二つ、一つは機関車将軍号、もう一方は……」ロケットに吊した恋人の写真。恋人アナベルの家を訪ねるジョニー(キートン)。近隣の青年が入隊報告の挨拶にきます。「あなたは入隊しないの?」とアナベル。入隊募集所に行き名前と職業を名乗るキートン。「機関士は必要だ。入隊させてはいかん」何度も変装して並び直し変名と別の職業を名乗るもすぐバレて諦めて引き返してくるキートン。アナベルの家、入隊してきたという男たちに「ジョニーは?」と訊くアナベル。「並んでもいなかったよ」「あいつは南軍の恥だ」。キートンがやってきて「断られたんだ」「嘘つき。入隊するまで訪ねてこないで」。一方作戦を立てる北軍、「中立のケンタッキーから攻めよう。南軍兵士に化けて列車を乗っ取るんだ」。支度中にアナベルが偶然乗っていた将軍号が消えていて慌てるキートン、トロッコで追いかけるも途中で線路が外されています。自転車を拝借し、先回りしたキートンは北軍兵士を乗せた貨車を切り離して先頭機関車だけで逃走。一方北軍は別の機関車を連結させて将軍号を追跡。キートンは支線で大砲車を見つけて連結、追跡してくる北軍機関車を追撃しようとしますが走行の振動で手前を向いてしまいます。発砲、という時にちょうど曲がり角にさしかかり砲弾は北軍機関車方向へ。支線から前方の線路に渡った北軍は貨物車の壁を壊して材木にして線路に撒いて妨害、材木の1本を担いで妨害する材木を除けて進むキートン。あちこちのポイントが切り換えられていてポイントにさしかかるたび治すキートン。南軍の戦略退却の行軍にさしかかって再び南軍兵士に化ける北軍兵士たちの機関車。すでに機関車は北軍領地内で、将軍号の乗員はキートンだけとバレてしまい追い詰められて雷雨の野外に逃げるキートンが忍び込んだのは、北軍の作戦本部でした。北軍は合流して橋を突破する作戦を立て、またキートンは将軍号が乗っ取られた時に誘拐されたアナベルがとらえられているのに気づきます。嵐に紛れてキートンはアナベルの幽閉された部屋へ。雷雨の中を野原を突っ切り、森では熊におどろかされ、また罠に足をとられたアナベルを罠から外し、夜が明けるまで待とう、とキートン。アナベルはキートンを臆病呼ばわりしていたのを謝ります。朝、雨が上がって、どうにか南軍に北軍の攻撃開始を知らせなきゃ、とアナベルをドレスで包みにして担いだキートンは北軍兵士を装い南軍領地への貨物車にアナベルを貨物に紛れて放りこみます。遺留品から南軍スパイがいるぞと騒ぎになり、キートンは急いで汽車にのりこんで発進させ、アナベルを貨物から探し出して先頭車に移り、薪の不足に気づいて二人で急いで線路沿いの木を積みます(何本も投げこんだ薪が最後の1本を投げると落ちてきてしまうギャグ)。ふたりはどんどん薪をくべ(アナベルは虫食いのある板は外に投げ捨て、床に落ちたマッチ棒をわざわざ窯にくべます)、キートンは線路を剥がし、積み荷の木箱を落として追跡車を妨害。給水塔でアナベルはずぶ濡れになり、追跡車も突っ切ろうとして給水ポンプで水びたしになります。ついに最後車に追いつかれて連結された北軍車を最後車を切り離して引き離し、ポイント切り換えできないように支線を機関車に結んだチェーンでねじ曲げますがチェーンが切れてアナベルだけ乗ったまま走り出してしまい、丘をを越えて走って追いつくキートン。やがて将軍号は問題の橋に差しかかります。橋にたっぷり石油を撒いて火をつけ、服に燃え移りそうになって川に落ちるキートン。機関車を軌道にもどそうとする北軍追跡車。将軍号は南軍領地につきますがキートンは北軍の軍服のままだったので警備兵に発砲され、慌ててアナベルに北軍軍服を脱がしてもらいます。キートンが知らせた北軍侵攻の報に南軍は出動し、町の人々は慌てて避難します。捨てられたらサーベルやライフルを拾って呆れるキートン。川を挟んで北軍と南軍は対峙し、北軍は浅瀬を渡る兵と機関車で渡る兵に分かれますが焼け焦げた橋は機関車が乗るとともに真下の川に崩れて落下します。南軍と北軍は川を挟んで泥試合になり、キートンが砲弾を外して上流の堰を壊してしまい、突然の増水で北軍は退却、南軍は勝利を収めます。憲兵基地に呼び出され、士官のサーベルを剥奪される捕虜の北軍軍人に続いて拾って着ていた軍服を脱ぐよう命じられ、新品の軍服と士官のサーベルを渡され、少尉の位を授けられたキートン。アナベルが駆け寄り、ふたりは機関車のステップに腰かけ抱き合ってキスしようとしますが兵士が通りかかってはキスできず、またキスしようとすると兵士が通りかかり、カメラが引くと兵士が列をなしていて困りきって兵士たちに敬礼を返すキートンとアナベルの姿で、エンドマーク。
本作は試写会やプレミア上映で106分の全長版が長すぎると判断され、一般公開は80分の短縮ヴァージョンが封切りされたそうです。そして新聞雑誌の批評はおおむね長くて退屈と不評で、興行収入は前作『ラスト・ラウンド』を30万ドル以上下回る47万4,264ドルでした。本作は汽車の崩壊した橋からの落下の1シーンだけで4万2,000ドルかかっており、総製作費は42万ドルあまりとキートン作品史上最大のコストで作られましたが、ロイドの第1長編『ロイドの水兵』'21が7万7,000ドルの製作費で作られ48万5,000ドル以上の興行収入を上げたのと比較するまでもなく、通常映画作品は最小の利益を上げるためにも製作費の最低2倍の興行収入が必要でした。本作の興行的失敗はスケンクとバスター・キートン・プロダクション、ユナイテッド・アーティスツ社にとって致命的な打撃になり、スケンクはキートン・プロをまだ2作品送り出しますが、この頃からキートンは結婚生活がうまくいかずアルコール中毒の兆候が見え、また『大列車追跡』の興行的失敗から続く2作『キートンのカレッジ・ライフ』'27、『キートンの蒸気船』'28では実際の監督・脚本はキートンだったにもかかわらず監督・脚本はスタッフの名義にされてしまいます。『カレッジ・ライフ』ではスケンクの意向で意図的にロイドの特大ヒット作『ロイドの人気者』と似せた大学とスポーツをテーマに製作され、興行収入42万ドルの興行収入と『大列車追跡』よりさらに観客動員数は落ちましたが製作費を29万ドルに抑えたため一応の収益を上げました。しかしさらに次の作品『キートンの蒸気船』は短編時代の奇想天外な発想とアクションに満ちた傑作でしたが完成から公開まで半年以上見送られ、キートン長編最低の36万ドル弱の興行収入に終わり、当初30万ドルの予算で始まり映画界の不況から20万ドルに予算を縮小されるも完成時には製作費は40万ドル強を越えていたので、宣伝・配給費を含めると25万ドル以上の損益をユナイテッド・アーティスツ、バスター・キートン・プロダクション、ジョセフ・M・スケンク、キートンに与えました。そしてマネジメントでプロダクション社長のスケンクはキートン・プロダクションを解散させ、『ラスト・ラウンド』までキートン・プロダクション作品を配給していたMGMの専属俳優契約をキートンに結ばせてキートンのマネジメントから手を引き、1本の映画の製作費を15万ドル以下の予算に抑える方針でユナイテッド・アーティスツのプロデューサーに専念することになります。バスター・キートン・プロダクション作品の長編10作のうち、映画のサウンド・トーキー化直前でサイレント映画時代の完熟期とも言える最後の3作の名作『大列車追跡』『カレッジ・ライフ』『蒸気船』がようやく再評価されるようになったのは'50年代後半からで、'30年代~'40年代と約25年~30年間全盛期のキートンのサイレント長編はほとんどアメリカ国内では上映されなかったといいます。かえって日本(太平洋戦争中を除く)やアジア、ヨーロッパではキートンの作品は伝説的な人気を保ち続けていたのが再評価のきっかけになったと言われますし、『サンセット大通り』'50や『ライムライト』'52で往年の芸人としての配役で起用されるようになっていたのがさらに再上映をうながしたとも言えます。全然本作自体への感想文ではなくバスター・キートン・プロダクションの終焉までを次回の『キートンのカレッジ・ライフ』『キートンの蒸気船』に先立って予告するような概括になってしまいましたが、サイレント映画史上に輝く本作が当時は評価も興行成績も失敗してキートン・プロダクションの凋落を招いた作品だったという皮肉を語るには次作・次々作への運勢の下降に言及せざるを得ず、また本作の歴史考証と映画への生かし方、蒸気機関車を使ったさまざまなギャグは圧倒的な印象の強さと迫力があるものの、筆者がこれを短縮60分ヴァージョンから75分、80分ヴァージョン、今回観直した106分ヴァージョンまでテレビ放映から上映会、ヴィデオ録画、長尺ヴァージョンのレンタル、DVD購入と30回近く観直してきたのもありますが、今回観直してキートン・プロダクションの傑作長編の数々でも飽きの来やすい要素のもっとも多い作品なのではないかと実はあまり面白く観直せませんでした。それと本作が名作なのは裏腹なので、アメリカ人にとっては国宝的価値のある作品でも本作にはどこか外国人である日本人の目から見ると嫌な感じのするところがあります。アメリカ映画、特に西部劇や南北戦争もの歴史映画は北軍=東部のイギリス植民者のエリート主義に対する南部、また西部移住者の恨みがこもった判官贔屓な面が露骨に表れた面があり、一種のアメリカ忠臣蔵といった通俗性があります。本作は観客におもねるような趣向の作品ではなくかえって公開当時の批評家には不評だったのですが、本作はキートンが全力を傾注した一世一代の力作だった分、まさしくキートンの尊敬するグリフィスの『イントレランス』がそうだったように、チャップリンやロイドが賢明に避けて通った意欲の空転が起こった作品のように思えてなりません。
●7月7日(土)
『キートンのゴー・ウェスト!(キートンの西部成金)』Go West (バスター・キートン・プロダクション=MGM'25)*68min, B/W, Sillent; 本国公開1925年11月1日; https://youtu.be/jhEETDD8hHk
○あらすじ(DVDジャケット解説より) 職が減る一方の片田舎から出て一旗揚げようと私財を売り払ったホーマー(キートン)。 現実は辛くあっという間に無一文となり西武へたどり着く。 牧場主の計らいで働かせてもらう事になるが、そこで一頭の雌牛と恋に落ちてしまう。 事ある度に"彼女"を守るホーマーだったが、この牧場にも不況の波は押し寄せていた……。
本作のキートンの役名は「Friendless」、ヒロインは雌牛のブラウン・アイズです。まず「若者よ西へ行け」というホレス・グレーリーの銅像が映り、「旅人には先々で友を作る人間と/ただ移動するだけの人間がいる」。雑貨屋に大八車を曳いたキートンが入っていき、物々交換で必要な旅道具をそろえますが手ぬぐいの包みひとつ分にしかなりません。キートンは鉄道貨車に乗って旅出とうとしますがなかなか汽車は発車せず、ようやくニューヨークに上京して街に出ますが群集にもみくちゃにされて踏みつけにされてしまいます。今度こそはと「若者よ西へ」の銅像がひらめいたキートンは西部行き貨物車に乗りこむと今度はさっさと発車しますが、倒れてきた樽の山の下敷きになります。貨車から転がり出たキートンは岩山の中で、草原に馬を見つけて乗りますがまるで走らないので歩き出します。やがてアリゾナの集落地に通りかかったキートンはカウボーイを雇わないか訊いて歩きますがどこからも断られます。井戸で水を飲んで休んでいるキャサリンに会い、近くに留めてある雌牛を構っているうちにキャサリンの父はキャサリンに新人カウボーイに馬の扱いを教えてやれ、と何となくそこの牧童になります。キートンは馬を試乗して遠乗りしてみますが振り落とされてしまい歩いて戻ります。牛馬の群を見張るキートンはさっきの雌牛がびっこをひいているのに気づき、ひづめに挟まった石を抜いてやります。作業するキートンに暴れ牛が突進してきますが、雌牛がキートンを守ります。雌牛はキートンになつき、カウボーイ宿舎に戻ったキートンについて部屋まで入ってくるのでキートンは他のカウボーイに雌牛ごと追い出されて宿舎の窓の下で野宿することになり、朝食も食べはぐれます。次の水曜には牛の出荷が予定されてどうにか1,000頭までは出荷する予定が立てられます。キートンは牛の番をしますが戻ってこないはぐれ牛に困ったり、牛の焼き印の列から雌牛だけを逃がしてやったりしますが、焼き印を捺していないのがバレて石炭で焼き印を描いてごまかし通します。キートンは皆が食事中に雌牛を出荷させまいと角をつけ鹿に変装させます。キートンは井戸の水くみ作業で手のひらにたこができたキャサリンのたこを切除して、安心して去ったキャサリンが手放した釣瓶で頭を打ちます。出荷当日がきます。キートンは雌牛を群から除けますが主人にそいつも出荷しろと命令され、牧童仲間が連れて行きます。キートンは雌牛を買うとあり金を全部主人に差し出しますが、競売なら倍で売れると断られ、見ていたキャサリンは同情して父に訴えますが、たしなめられます。キートンはポーカーの賭けをしてお金を増やそうとし、すぐに相手のいかさまに気づきますがかえってピストルで「笑え」と脅迫され指で口端を上げて口元だけ笑い、その隙にピストルを奪って勝負し直しますが結局お金を巻き上げられてしまいます。キャサリンは牛が出荷される駅に着き雌牛を探しますが牛の貨車に紛れているキートンに気づきます。キートンは列車強盗たちに引きずり出されますが途中で逃げ出して走っている貨車に飛び乗り、故障で目的地ロサンゼルス直前に停車した汽車から雌牛と外に出ます。一方、牧場では牛が到着しないと破産してしまうと汽車の停車の知らせにキャサリン父娘が動揺します。キートンが雌牛と街に出ると、貨車から次々と牛の群が降りてついてきます。街はあふれる牛の群にパニック状態になります。民家、床屋、百貨店、パーティー会場などいたるところが牛だらけになり、キートンはどうにか牛の群をまとめようとし、警察と消防隊も出動しようとしますがどうにもなりません。衣料品店で全身赤タイツに赤い角と尻尾まで扮装したキートンは街を走り回り、先頭に立って牛に乗って1,000頭の牛を引き連れて疾走し、目的地のロサンゼルスの市場に送り届けます。牧場に戻ったキートンに主人「よくやった、何でも欲しいものはくれてやる」「では彼女を」キートンは後ろを向いてキャサリンはもじもじしますが、雌牛が出てきてキートンに寄り添います。キートンはキャサリン父娘が乗るオープンカーの後部座席に雌牛と乗って、雌牛がキートンの手を舐め、キートンは雌牛を優しく愛撫します。そしてキートンらを乗せたオープンカーが駅に向かう姿でエンドマーク。
キートンの名前が「フレンドレス」、今風に言えば「ぼっち」というのは的確きわまりないキャラクター・ネームで、このキートンが足を痛めて牛の群れからぼっちになっている雌牛ブラウン・アイズと心を通わせる、というのは公開当時'25年8月封切りの特大ヒット作だったチャップリンの『黄金狂時代』(製作費95万ドル・興行収入250万ドル)のメロドラマ性との共通性を、ロイドの'25年9月の新作『ロイドの人気者』(製作費30万ドル・興行収入260万ドル)とともに指摘されたそうです。キートンの評伝著者トム・ダーディスはロイドについてはないだろうがキートンの場合はチャップリンからの感化があるかもしれない、としています。ロイド作品には当初から恋愛ロマンス指向があり、'24年の大ヒット作『猛進ロイド』でロマンティック・コメディ路線の完成型を作った実績があるからです。本作はアリゾナの大平原でのオール・ロケでカメラマンだけで4人、電気技師4人、さらに技術担当者と24人の大道具係という大群が野営して撮影を行い、アリゾナ砂漠の熱で用意した大半のフィルムが溶け出して補充が必要になり、氷を詰めた冷却帯でカメラを保護しないと撮影できず、その上撮影途中でブラウン・アイズにさかりが来て砂漠のど真ん中で撮影が2週間中断という困難に見まわれたそうです。キートンがいかさまカードで脅される「笑え!」というのはヒット舞台劇の西部劇『ヴァージニアン』('29年にゲイリー・クーパー、ウォルター・ヒューストン主演、ヴィクター・フレミング監督の映画化で再ヒット)の台詞で、キートンが指で作り笑いするのはもちろん『散り行く花』'19で死に際のリリアン・ギッシュがリチャード・バーセルメスの腕の中で息を引き取る時の仕草です(後にゴダールが『勝手にしやがれ』'60で流用)。『恋愛三代記』といい『荒武者キートン』といいキートンがグリフィス映画のもじりをいかに好んでいたかを示すシーンです。本作はキートン自身の原作で、前作までのキートン・プロダクションの脚本主任だった有能なクライド・ブルックマンが抜けたため(ブルックマンは以降ロイドとキートンの作品を往復します)、脚本も助手をつけてキートンが手がけたので前作で舞台劇という土台もあった『セブン・チャンス』でようやく達したギャグとストーリーの配分のなめらかさからは再び荒っぽいものになり、特にブラウン・アイズが出荷されてしまうのをあの手この手で阻止しようとするまでは映画冒頭から不規則でつながりのない、どこまで物語が進行しているのかよくわからない語り口に戻っています。ギャグ単位での面白さは向上しているので興味は途切れませんが、圧倒的なのはロサンゼルスの手前で列車が止まってしまい、ブラウン・アイズと逃げ出すついでに牛の大群を貨車から街中に放してからでしょう。映画内の台詞通り1,000頭とまではいかず300頭だったそうですが、町の人々のリアクションはだいたい読めてしまうのでまずまずながら、キートンが撮影中に衣装屋で即興で思いついた(!)という真っ赤な悪魔のタイツ衣装が強烈です。準備してあったのではなくたまたま衣装屋に陳列してあったのだそうで、B/W映像ですから黒衣装ですが、何百頭の牛が床屋や交番、果物屋、瀬戸物屋まで荒らして回ったシーンの後で悪魔の衣装のキートンが疾走する、そして牛の大群がキートンを追って暴走して市場までたどり着く、というのは実は上手く編集してあって、実際には牛の大群はキートンが走っても押し合いへし合いするだけで着いて来てくれず、キートンの疾走シーンと牛の暴走シーンは編集でキートンを追っているようにつないだそうですが、この大クライマックスで中盤までの構成の緩みも帳消し、さらにエンドシーンのキートンと雌牛の愛撫の交感で見事な画竜点睛になっています。しかし同年3月封切りの名作『セブン・チャンス』が比較的低予算で60万ドル弱のヒット作になったのに対し、本作は具体的数字は発表されていませんが大予算で製作され(おそらく『ロイドの人気者』の製作費30万ドル以上で)ながら興行収入60万ドル、批評もあまり良くなく、キートンも出来に不満を洩らしています。今日では本作の人気は高く、ジャズ・ギタリストのビル・フリゼールは'95年に本作のサウンドトラック・アルバムを発表、さらに2007年にはフル・オーケストラ伴奏によるニュープリント公開も行われました。『セブン・チャンス』や本作の優れた出来を観るにつけ、同年の『黄金狂時代』『ロイドの人気者』とどうしてそこまで格差がついた興行収入だったか不思議になりますが、なめらかな出来の『セブン・チャンス』でさえ一定の収益を越えられなかったのですからキートンの突拍子もない面の強く出た本作が『セブン・チャンス』と同等の観客動員だっただけでもまだしもだったのでしょう。そして次作は本作より前に企画された、舞台劇の映画化になりますが、結果的にキートン・プロダクションの製作した長編10作の中でこれまで最高の収益だった『海底王キートン』'24の興行収入68万ドルをしのぐ10作中のNo.1ヒット作になります。そしておそらく製作費も『海底王キートン』や本作よりずっと少なくついたものでした。
●7月8日(日)
『キートンのラスト・ラウンド(拳闘屋キートン)』Battling Butler (バスター・キートン・プロダクション=MGM'26)*76min, B/W, Sillent; 本国公開1926年9月19日; https://youtu.be/gZygzGBipqk
○あらすじ(DVDジャケット解説より) 大富豪の息子アルフレッド・バトラー(キートン)は、親も驚くノラクラだった。見かねた父の勧めで人里離れた自然の中で"野外生活"を始めるアルフレッドだが、そこで美しい娘と出会う。彼女との結婚をとりつけようと彼は執事に依頼するが、執事がついた一つのウソで事態は思わぬ方向へ転がってしまう……。おバカな執事と、めまぐるしく変わる状況に翻弄されながら、放蕩息子アルフレッドは、ほんの少し大人になっていく。 「世界三大喜劇王」キートンが描く、キートンらしい抜群の運動センスで笑わせる、傑作モノクロサイレントコメディ!。
キートン単独監督、バスター・キートン・プロダクション製作の長編10作で最大のヒット作(興行収入75万ドル)になった本作は、「Adapted from success play」とクレジットされてタイトルが終わると、金持ちの令息キートンが「山暮らしで生活力を鍛えてきなさい」と両親に送り出される場面から始まります。執事(『セブン・チャンス』で好人物の弁護士役を好演したスニッツ・エドワーズ)の世話で大型テントに寝泊まりし豪華な朝食をとるキートン。猟りに行くかと執事と山鳥が飛びかう山中を行きますが「獲物はいないみたいだね」。キートンは獲物らしきものに発砲しますが、山に住む娘が干していた洗濯物で娘にさんざん怒られます。釣りに行ったキートンは小舟が沈みそうになるところを娘と再会し、自分のテントにお茶に誘います。意気投合する二人。大男二人が通りかかり「父と兄です」。二人が去ると「他にお父さんとお兄さんはいないの?」とキートン。見つめあう二人。同じ構図のままもう夜。キートンは娘を送っていきます。翌朝、ボクシングのニュースの乗った新聞を持ってきた執事に「新聞はいいよ」そして「あの娘と結婚したいな」。娘の家を訪ねる執事、「弱虫はお断りだ」「弱虫ですと?」と持っていた新聞のボクシング記事を見せる執事。一方娘はテントに訪ねてきて朝からいちゃつく二人。執事が戻り、続いて娘の父と兄がきてキートンに歓迎の握手。列車に乗り込み、考え込むキートンと執事。執事が娘の父と兄にキートンのリングネームだと言った、キートン(アルフレッド・バトラー)と同姓同名の、本物のボクサーのバトリング・バトラーの試合があるのです。ラジオ中継に熱中する娘とその父と兄。バトラーの勝利。観客が帰った客席でキートンと執事、呆然と「チャンピオンになったよ」「山には戻れないということですね」。婚約指輪を取り出すキートン。キートンが娘の家に事情を話しに山の町に着くと、「バトリング・バトラー」の大モールとキートンを取り囲む町の人々。家に着くと結婚式の支度までされています。そこに新聞「バトリング・バトラー、防衛戦に備えて明朝からキャンプ」すぐ行ってくれ、と大喜びの一家。なんとか助かったキートンと執事、「どうしようか」「手紙のやりとりの都合上、バトラーのキャンプ地がいいでしょう」先に着いてホテルに夫人とチェックインした本物のバトラーは夫人と喧嘩し、街に出たバトラーの夫人は後から着いたキートンとタクシーに同乗します。夫人とタクシーから降りたキートンを怪しむバトラー。翌日、山の町の娘がキートンに会いに来てしまいます。キートンはとっさにトレーニング中を装って娘を帰そうとしますが、娘はホテルのテラスでバトラーの夫人と鉢合わせして揉め、本物のバトラーがキートンを同じバトラー姓なだけであちらはチャンピオンのバトラーさんだ、と紹介して収め、感謝祭の日のアラバマの殺し屋との対戦が楽しみですなと予告し、トレーナーに防衛戦はあいつを出してやれ、そうすりゃ懲りて他人の女房といちゃつかないだろう、とキートンの防衛戦出場をまとめてしまいます。そしてキートンの本格的トレーニングが始まりますが当然滅茶苦茶です。キートンは執事と二人三脚でトレーニングしマラソン中に車に飛び乗り横断車と激突したり路溝に転げ落ちたりし、執事が支度した立派な食事はトレーナーに乾パンとミルクに取り替えられたりします。ついに試合当日、前座戦は血みどろの戦いで担架で敗者が運ばれ、楽屋ですれ違ったアラバマの殺し屋は殺気立っています。キートンは担架に潜り込んで逃げようとしますがアラバマの殺し屋が暴れかかってきます。娘もめかしこんで観戦に来ます。しかも父と兄が全財産を賭けたと告げます。執事がうつむき、トレーナーがキートンにコーチをつけていると「バトラー!」の歓声が響き、楽屋の小窓から覗くと本物のバトラーがアラバマの殺し屋をノックアウトしています。「仕返ししたのさ。チャンピオンの座を捨てるわけないだろう」とトレーナー。楽屋に戻ってきたバトラーにキートンは礼を言いますが、「3週間生かしてやったのさ」と隣室で殴りかかってきます。キートンは必死で応戦してバトラーをのします。キートンは娘に「彼がバトラーなんです。ぼくはボクサーのバトラーじゃないんです」と謝りますが、娘は微笑み「嬉しいわ」とキートンの腕をとり、ふたりは街に歩き出して、エンドマーク。
キートン映画のヒロインはキートン・プロダクションのプロデューサーのジョセフ・M・スケンクがどうせ喜劇なんだからとギャラの安い女優しか使わなかったという悪評があり、スター級の女優は『荒武者キートン』のナタリー・タルマッジくらいですがキートンと結婚して1作きりで共演を終わっています。『探偵学入門』で出番のほとんどなかったキャサリン・マクガイアは『海底王キートン』では家事のできない金持ちの令嬢役を好演していましたが、『恋愛三代記』(マーガレット・リーイー)や『セブン・チャンス』(ルース・ドワイヤー)、『ゴー・ウェスト!』(キャサリン・マイヤーズ)は『探偵学入門』同様ほとんど出番のない待っているだけのヒロイン役なのでスケンクの考え方も一理あるのです。この辺もチャップリンがエドナ・パーヴィアンスを、ロイドがミルドレッド・デイヴィス、ミルドレッドとの結婚後はジョビナ・ラルストンと、魅力的で上手いレギュラー女優を生かした映画作りをしていたのとは違い、本作のヒロインは原作戯曲の筋運びからもほぼ全編出ずっばりの重要な役で、しかも『海底王キートン』のようなドタバタ喜劇ではなくキートン作品でもかつてなく入り組んだドラマ性の高い人物取り違えのプロットです。山の町の娘役のヒロイン、サリー・オニールは田舎娘役としては似つかわしい容貌ですが、サイレントだからどうにかなったのでトーキーだったら使えなかったのではないでしょうか。本物のボクサーのバトラーの夫人役の女優(メアリー・オブライエン)がやはり無名女優ですが舞台慣れした所作の演技だけに気になりますが、『セブン・チャンス』でもお人好しの初老弁護士役の好演でキートンに次ぐ準主演の存在感だったスニッツ・エドワーズが今回も調子のいいお人好しの初老執事役で、エドワーズ(1868-1937)は舞台役者で'20年代に20本ほどのサイレント作に出演し、ウェルマンの『民衆の敵』'31(ええっ!?)を最後に引退したそうですが、バイプレーヤーなのでやはり代表作は『セブン・チャンス』、本作、『キートンのカレッジ・ライフ』'27になるそうです。イギリス人俳優ジャック・ブキャナンの当たり舞台だったという原作は知りませんが、調子のいいうっかり者の従者のせいで起こる人物取り違え喜劇とはいかにもイギリス流で、一見純アメリカ的なキートンですが喜怒哀楽の豊かなロイドがアメリカ的ならいつもポーカーフェイスのキートンは純アメリカ的とは言えず、ポーカーフェイスのキートンにお調子者のエドワーズという配役が本作を成功させていて、エドワーズ抜きにはこう上手くはいかなかったでしょう。また意地悪な本物のボクサーのバトラー役のフランシス・マクドナルドも好演です。いんちきボクサーものは後のトーキー時代にロイドがMGM最後の作品で事実上の準引退作『ロイドの牛乳屋』'36で演じていますが、ロイドの運動力も全盛期からはぐっと落ちているのでトーキーの特質を上手く使って引っ張った作品で、レオ・マッケリー監督作品としては巧みで面白い喜劇でしたがロイドらしさはほとんど出ていない映画でした。本作は原作戯曲では本物のバトラーが試合に出てハッピーエンドになるのをもうひとつ盛って、試合後のバトラーにキートンが襲われて逆にキートンが勝ち、ヒロインはキートンの嘘を許してハッピーエンド、とひとひねりしてあり、この最後の爆発がキートンらしいので『ロイドの牛乳屋』のロイドらしさの稀薄さよりも俳優のキャラクターの勝った映画になっています。つまりキートン作品としては『セブン・チャンス』に続いてドラマ構成がしっかりしている上にちゃんとキートンらしい映画になって終わって後味も良く、プロデューサーのスケンクと配給のMGMは本作を大プッシュしてプロモーションも万端に封切りました。それが本作を興行的大成功、チャップリンやロイドには及びませんがキートン作品では最高のヒット作に押し上げたのです。単独監督でもキートンがいかに冴えていたかの証となる作品でもあります。そして次作がキートンの監督作品史上最大規模の製作費と製作期間で作られた、最大の野心作かつサイレント映画史上の金字塔となるのです。
●7月9日(月)
『キートンの大列車追跡(キートン将軍、キートンの大列車強盗)』The General (共同監督クライド・ブルックマン、バスター・キートン・プロダクション=ユナイテッド・アーティスツ'27)*105min, B/W, Sillent; 本国公開1927年2月5日; https://youtu.be/x2X58JcO9G4
○あらすじ(DVDジャケット解説より) 機関車の操縦士ジョニー・グレイ(キートン)には、愛するものが二つあった。一つは機関車「将軍」、そしてもう一つは、恋人アナベル・リーであった。南北戦争が激化するある日、北軍のスパイにより、「将軍」が盗まれてしまう。愛する「将軍」を奪還するため、ジョニーはトロッコに乗って北軍を追いかけるが、この「将軍」の貨物車には、愛するアナベルが乗っているとは全く知らなかった。線路上で繰り広げられる激しい攻防戦に打ち勝ち、果たしてジョニーは、愛するものを再び取り戻すことができるのか。 「世界三大喜劇王」キートンが描くアクション・コメディー。
これまでのメトロ(→メトロ=ゴールドウィン→MGM)に託していた配給が本作からバスター・キートン・プロダクション解散までの3作がユナイテッド・アーティスツに配給が変わったのは、1923年にD・W・グリフィス、チャップリン、ダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォードのアメリカ映画界のトップ・アーティスト4人が創設したユナイテッド・アーティスツ社から、'26年を最後にグリフィスが経済的事情からパラマウント映画社専属に移籍せざるを得なかったため(グリフィスは逝去する'48年になっても私財すべてとあらゆる金策をして製作した'16年の超大作『イントレランス』の興行的失敗で負った莫大な負債を清算し切れず生涯を終えました)、キートン・プロダクション社長のジョセフ・M・スケンクがグリフィスの後釜に同社の共同経営者に加わったことからキートン・プロ作品もユナイト社傘下から配給されるようになったという事情がありました。スケンクの映画界での地位の大きさにも驚かされますが、キートンのグリフィスへの敬愛は作品のあちこちに具体的影響としてうかがえるのでキートンも内心複雑な心境だったと思われ、本作は「Written and Directed by」とキートンとクライド・ブルックマンの名前が出ますが、本作が実は南北戦争ものの実録短編小説を原作としている歴史超大作なのは、グリフィス最大のヒット作で以後のアメリカ映画の技法を決定した画期的な超大作の南北戦争映画『国民の創生』'15が意識にあったのは間違いないと思われます(グリフィスはサイレント映画の字幕タイトル全部を縁取りして下辺の中央に「―DG―」と自分のイニシャルを入れる監督で、そんな映画監督はグリフィスの弟子のワンマン監督シュトロハイムくらいでしたが、本作の字幕タイトルはキートンはグリフィスに倣って「―BK―」とイニシャル入りの縁取りをしています)。事実本作は今日では南北戦争時代をまだ残存資材や証言者も現存していた時期に映画作品に再現したものとして民族学的資料価値、芸術的価値でグリフィスの『国民の創生』『イントレランス』、チャップリンの『黄金狂時代』に匹敵するサイレント時代のアメリカ映画の古典と認められています。映画は南北戦争初期の南部ののんびりした駅の風景から始まります。「ウェスタン&アトランティック鉄道機関士ジョニー・グレイの愛するのは二つ、一つは機関車将軍号、もう一方は……」ロケットに吊した恋人の写真。恋人アナベルの家を訪ねるジョニー(キートン)。近隣の青年が入隊報告の挨拶にきます。「あなたは入隊しないの?」とアナベル。入隊募集所に行き名前と職業を名乗るキートン。「機関士は必要だ。入隊させてはいかん」何度も変装して並び直し変名と別の職業を名乗るもすぐバレて諦めて引き返してくるキートン。アナベルの家、入隊してきたという男たちに「ジョニーは?」と訊くアナベル。「並んでもいなかったよ」「あいつは南軍の恥だ」。キートンがやってきて「断られたんだ」「嘘つき。入隊するまで訪ねてこないで」。一方作戦を立てる北軍、「中立のケンタッキーから攻めよう。南軍兵士に化けて列車を乗っ取るんだ」。支度中にアナベルが偶然乗っていた将軍号が消えていて慌てるキートン、トロッコで追いかけるも途中で線路が外されています。自転車を拝借し、先回りしたキートンは北軍兵士を乗せた貨車を切り離して先頭機関車だけで逃走。一方北軍は別の機関車を連結させて将軍号を追跡。キートンは支線で大砲車を見つけて連結、追跡してくる北軍機関車を追撃しようとしますが走行の振動で手前を向いてしまいます。発砲、という時にちょうど曲がり角にさしかかり砲弾は北軍機関車方向へ。支線から前方の線路に渡った北軍は貨物車の壁を壊して材木にして線路に撒いて妨害、材木の1本を担いで妨害する材木を除けて進むキートン。あちこちのポイントが切り換えられていてポイントにさしかかるたび治すキートン。南軍の戦略退却の行軍にさしかかって再び南軍兵士に化ける北軍兵士たちの機関車。すでに機関車は北軍領地内で、将軍号の乗員はキートンだけとバレてしまい追い詰められて雷雨の野外に逃げるキートンが忍び込んだのは、北軍の作戦本部でした。北軍は合流して橋を突破する作戦を立て、またキートンは将軍号が乗っ取られた時に誘拐されたアナベルがとらえられているのに気づきます。嵐に紛れてキートンはアナベルの幽閉された部屋へ。雷雨の中を野原を突っ切り、森では熊におどろかされ、また罠に足をとられたアナベルを罠から外し、夜が明けるまで待とう、とキートン。アナベルはキートンを臆病呼ばわりしていたのを謝ります。朝、雨が上がって、どうにか南軍に北軍の攻撃開始を知らせなきゃ、とアナベルをドレスで包みにして担いだキートンは北軍兵士を装い南軍領地への貨物車にアナベルを貨物に紛れて放りこみます。遺留品から南軍スパイがいるぞと騒ぎになり、キートンは急いで汽車にのりこんで発進させ、アナベルを貨物から探し出して先頭車に移り、薪の不足に気づいて二人で急いで線路沿いの木を積みます(何本も投げこんだ薪が最後の1本を投げると落ちてきてしまうギャグ)。ふたりはどんどん薪をくべ(アナベルは虫食いのある板は外に投げ捨て、床に落ちたマッチ棒をわざわざ窯にくべます)、キートンは線路を剥がし、積み荷の木箱を落として追跡車を妨害。給水塔でアナベルはずぶ濡れになり、追跡車も突っ切ろうとして給水ポンプで水びたしになります。ついに最後車に追いつかれて連結された北軍車を最後車を切り離して引き離し、ポイント切り換えできないように支線を機関車に結んだチェーンでねじ曲げますがチェーンが切れてアナベルだけ乗ったまま走り出してしまい、丘をを越えて走って追いつくキートン。やがて将軍号は問題の橋に差しかかります。橋にたっぷり石油を撒いて火をつけ、服に燃え移りそうになって川に落ちるキートン。機関車を軌道にもどそうとする北軍追跡車。将軍号は南軍領地につきますがキートンは北軍の軍服のままだったので警備兵に発砲され、慌ててアナベルに北軍軍服を脱がしてもらいます。キートンが知らせた北軍侵攻の報に南軍は出動し、町の人々は慌てて避難します。捨てられたらサーベルやライフルを拾って呆れるキートン。川を挟んで北軍と南軍は対峙し、北軍は浅瀬を渡る兵と機関車で渡る兵に分かれますが焼け焦げた橋は機関車が乗るとともに真下の川に崩れて落下します。南軍と北軍は川を挟んで泥試合になり、キートンが砲弾を外して上流の堰を壊してしまい、突然の増水で北軍は退却、南軍は勝利を収めます。憲兵基地に呼び出され、士官のサーベルを剥奪される捕虜の北軍軍人に続いて拾って着ていた軍服を脱ぐよう命じられ、新品の軍服と士官のサーベルを渡され、少尉の位を授けられたキートン。アナベルが駆け寄り、ふたりは機関車のステップに腰かけ抱き合ってキスしようとしますが兵士が通りかかってはキスできず、またキスしようとすると兵士が通りかかり、カメラが引くと兵士が列をなしていて困りきって兵士たちに敬礼を返すキートンとアナベルの姿で、エンドマーク。
本作は試写会やプレミア上映で106分の全長版が長すぎると判断され、一般公開は80分の短縮ヴァージョンが封切りされたそうです。そして新聞雑誌の批評はおおむね長くて退屈と不評で、興行収入は前作『ラスト・ラウンド』を30万ドル以上下回る47万4,264ドルでした。本作は汽車の崩壊した橋からの落下の1シーンだけで4万2,000ドルかかっており、総製作費は42万ドルあまりとキートン作品史上最大のコストで作られましたが、ロイドの第1長編『ロイドの水兵』'21が7万7,000ドルの製作費で作られ48万5,000ドル以上の興行収入を上げたのと比較するまでもなく、通常映画作品は最小の利益を上げるためにも製作費の最低2倍の興行収入が必要でした。本作の興行的失敗はスケンクとバスター・キートン・プロダクション、ユナイテッド・アーティスツ社にとって致命的な打撃になり、スケンクはキートン・プロをまだ2作品送り出しますが、この頃からキートンは結婚生活がうまくいかずアルコール中毒の兆候が見え、また『大列車追跡』の興行的失敗から続く2作『キートンのカレッジ・ライフ』'27、『キートンの蒸気船』'28では実際の監督・脚本はキートンだったにもかかわらず監督・脚本はスタッフの名義にされてしまいます。『カレッジ・ライフ』ではスケンクの意向で意図的にロイドの特大ヒット作『ロイドの人気者』と似せた大学とスポーツをテーマに製作され、興行収入42万ドルの興行収入と『大列車追跡』よりさらに観客動員数は落ちましたが製作費を29万ドルに抑えたため一応の収益を上げました。しかしさらに次の作品『キートンの蒸気船』は短編時代の奇想天外な発想とアクションに満ちた傑作でしたが完成から公開まで半年以上見送られ、キートン長編最低の36万ドル弱の興行収入に終わり、当初30万ドルの予算で始まり映画界の不況から20万ドルに予算を縮小されるも完成時には製作費は40万ドル強を越えていたので、宣伝・配給費を含めると25万ドル以上の損益をユナイテッド・アーティスツ、バスター・キートン・プロダクション、ジョセフ・M・スケンク、キートンに与えました。そしてマネジメントでプロダクション社長のスケンクはキートン・プロダクションを解散させ、『ラスト・ラウンド』までキートン・プロダクション作品を配給していたMGMの専属俳優契約をキートンに結ばせてキートンのマネジメントから手を引き、1本の映画の製作費を15万ドル以下の予算に抑える方針でユナイテッド・アーティスツのプロデューサーに専念することになります。バスター・キートン・プロダクション作品の長編10作のうち、映画のサウンド・トーキー化直前でサイレント映画時代の完熟期とも言える最後の3作の名作『大列車追跡』『カレッジ・ライフ』『蒸気船』がようやく再評価されるようになったのは'50年代後半からで、'30年代~'40年代と約25年~30年間全盛期のキートンのサイレント長編はほとんどアメリカ国内では上映されなかったといいます。かえって日本(太平洋戦争中を除く)やアジア、ヨーロッパではキートンの作品は伝説的な人気を保ち続けていたのが再評価のきっかけになったと言われますし、『サンセット大通り』'50や『ライムライト』'52で往年の芸人としての配役で起用されるようになっていたのがさらに再上映をうながしたとも言えます。全然本作自体への感想文ではなくバスター・キートン・プロダクションの終焉までを次回の『キートンのカレッジ・ライフ』『キートンの蒸気船』に先立って予告するような概括になってしまいましたが、サイレント映画史上に輝く本作が当時は評価も興行成績も失敗してキートン・プロダクションの凋落を招いた作品だったという皮肉を語るには次作・次々作への運勢の下降に言及せざるを得ず、また本作の歴史考証と映画への生かし方、蒸気機関車を使ったさまざまなギャグは圧倒的な印象の強さと迫力があるものの、筆者がこれを短縮60分ヴァージョンから75分、80分ヴァージョン、今回観直した106分ヴァージョンまでテレビ放映から上映会、ヴィデオ録画、長尺ヴァージョンのレンタル、DVD購入と30回近く観直してきたのもありますが、今回観直してキートン・プロダクションの傑作長編の数々でも飽きの来やすい要素のもっとも多い作品なのではないかと実はあまり面白く観直せませんでした。それと本作が名作なのは裏腹なので、アメリカ人にとっては国宝的価値のある作品でも本作にはどこか外国人である日本人の目から見ると嫌な感じのするところがあります。アメリカ映画、特に西部劇や南北戦争もの歴史映画は北軍=東部のイギリス植民者のエリート主義に対する南部、また西部移住者の恨みがこもった判官贔屓な面が露骨に表れた面があり、一種のアメリカ忠臣蔵といった通俗性があります。本作は観客におもねるような趣向の作品ではなくかえって公開当時の批評家には不評だったのですが、本作はキートンが全力を傾注した一世一代の力作だった分、まさしくキートンの尊敬するグリフィスの『イントレランス』がそうだったように、チャップリンやロイドが賢明に避けて通った意欲の空転が起こった作品のように思えてなりません。