『ガメラ対大魔獣ジャイガー』(大映京都'70)*湯浅憲明監督, 83min, Color; 昭和45年3月21日公開
○あらすじ(同上) 南太平洋ウェスター島の石像「悪魔の笛」が日本万国博に陳列されるため南海丸が大阪に入港した。丁度その頃、ウェスター島と南海丸に異変が起きた。島の石像跡には異常な光と震動をともなって、全長二〇〇米に及ぶ大魔獣ジャイガーが出現。南海丸の中では石像にふれた人々が、次々と倒れた。この異常事態を知ったガメラはウェスター島に向い、ジャイガーと対決。だが、ジャイガーはガメラを唾液ミサイルで釘づけにすると、海上を滑走して、大阪に上陸、そして大暴れ。必死の思いで立ち上ったガメラはジャイガーを追って、大阪で再び死闘を展開した。ジャイガーはガメラの体内に卵を産みつけ、その幼虫(ジャイガー二世)がガメラの血を吸ったからたまらない、ガメラはまたもや、海中にうずくまった。ガメラの様子を心配した少年弘(高桑勉)とその友達トミー(ケリー・バリス)は弘の父(大村崑)が作った小型潜水挺に乗り込み、ガメラの体内に潜入した。二人の前にジャイガー二世が出現したが、弘のなげつけたトランシーバーのために、雑音をのこして死んだ。このことから、ジャイガーは低周波雑音に弱いことが判明、そして低周波作戦によって悶絶。一方、強力な電気エネルギーを注入されたガメラも生き返った。だがあまりに大量の電力注入のため低周波作戦への送電が停止、ジャイガーは息を吹き返した。そして三たび、ガメラ対ジャイガーの格闘が万国博会場を背景にくりひろげられ、ガメラはジャイガーの息の根をとめた。
同時上映は『透明剣士』で例によって春休み映画だった本作は'70年夏に開催された大阪万国博覧会を先取りして観客の興味をそそる映画にした趣向ですが、東宝ではゴジラ映画のプロデューサー、田中友幸が映像エギゼビジョンを委託されてオフィシャルな協賛が行われた(よって田中プロデューサーの多忙により'64年の『モスラ対ゴジラ』以来、昭和シリーズ最後の『メカゴジラの逆襲』'75までの間、唯一ゴジラ映画の新作のない年になりました)のに対し、大映の本作は大阪万博の承認は受けているもののタイアップでの製作ではなく、ガメラ映画に華を添えるために準備中の万博を舞台にした企画になりました。早い話が世間の話題は大阪万博でもちきりだから万博ガメラ映画を作ろうというプログラム・ピクチャー精神丸出しの製作です。この辺が経営不振でお色気映画(当時の呼び方では「大映ハレンチ路線」)、妖怪時代劇となりふり構わなくなっていた大映の中日ドラゴンズ的潔いんだか往生際が悪いのかどちらとも言える方向性ですが、やはりなりふり構わない東映が任侠映画からヤクザ映画へと過激化して映画不況を乗り切ったのと較べると時代劇本流の大映は本流自体が弱体化していたため有能な監督・スタッフ・俳優はいたのに分が悪かった、という不運はあります。本作は万博会場の精巧なミニチュアを製作し、それなりにセットにも凝り、次作では遂に割愛されることになる怪獣による市街地破壊も大々的に描いたため、前2作『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』'68、『ガメラ対大悪獣ギロン』'69が大映内のランクではAクラス予算の製作費で作られた『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』'67からBクラスに予算を削減(『ギャオス』の約1/3)されて製作されたのに較べると、万博が舞台だからと『ギャオス』の2/3程度の製作費をかけて作られたそうです。また主人公の少年2人が宇宙人に拉致される、という作品が『バイラス』『ギロン』と2作続いたため、本作では映画後半1/3でリチャード・フライシャーの名高い『ミクロの決死圏』'66風にガメラ体内の怪獣の幼虫退治に少年たちが活躍しますが、秘境から運んできた遺物が怪獣を日本に呼び寄せるプロットはガメラ映画第2作『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』'66を踏襲していて、『バルゴン』では宝物そのものが怪獣の卵だったのと、本作の場合は怪獣を封印していた呪物が万博会場の展示用に大阪に運ばれて、封印されていた怪獣ジャイガーが蘇るのはいいのですが、よく考えると自分を封印していた呪物を怪獣が追ってくるのが理屈に合っていません。再び封印されまいと呪物を破壊しに来たと一応はこじつけられますがそんな知恵などある怪獣とは思えませんし、近づいただけで悶絶してしまう効果のある呪物ですから普通は封印が解ければ呪物の圏外へ逃げて暴れるのが筋でしょう。しかしこれを不自然と思うのは大人の心が汚れているので、秘境から遺物を持ち出すと悪いものがついてくる、というのが映画では絶対的な条理なのでジャイガーが大阪にやってくるのもそういう人間を懲らしめにやってきたのだ、と子供の心には素直に受けとめられるのです。それを思うと第1作『大怪獣ガメラ』'65からガメラ映画の全作品の脚本を書いてきた高橋二三氏と、第2作では特技(特撮)監督のみですがやはり全作品を手がけてきた湯浅憲明監督は実に狙いが首尾一貫していて、本作はガメラ映画シリーズの魅力である素っ頓狂な怪獣の造型の点ではジャイガーは今ひとつ地味な四つ足怪獣ですが、これも古代ムー大陸時代からの怪獣という重厚さを意識したものなのでしょう。また宇宙人侵略ものの怪獣の異形さとは違う恐竜っぽさではやはりバルゴンが念頭にあったとも思えます。大映の経営不振はもう映画界の内外では周知になっていて、また良くも悪くも万国博をダシにした映画であることからも、前2作よりオーソドックスな怪獣映画の作りに仕上げた要因かもしれません。
●6月30日(土)
『ガメラ対深海怪獣ジグラ』(大映=ダイニチ'71)*湯浅憲明監督, 88min, Color; 昭和46年7月17日公開
○あらすじ(同上) 人類は科学の進歩によって、自然を破壊する公害という大間題にぶつかった。広大な大字宙にも地球同様の公害に悩む星があった。それは天体ナンバー一〇五系宇宙のジグラ星である。高度に発達した文明は公害を生み、住みにくくなった海中に生活する高等生物ジグラは、海のある惑星-地球を征服するべくやってきた。その頃、地球ではペルーと中近東でマグニチュード十二という恐るべき大地震が相次いで起こった。この模様をTVニュースで知った国際海洋動物研究所の所員、石川洋介(石川洋介)とトム・ウォーレス(藤山浩二)は調査のため、モーターボートで沖へ向った。その時突然、一条のグリーン光線がボートに命中し、ボート内に密かに忍んでいた彼らの子供健一(健一)とヘレン(グロリア・ゾーナ)四人は、ジグラ星人の四次元光線にやられ、あっという間に宇宙船内に運ばれてしまった。石川とトムは謎の女性X(八並映子)に催眠術をかけられたが、健一とヘレンの活躍で脱出に成功する。が、ジグラ人の執拗な追跡で再び窮地におちいり、そこをガメラに救われた。早速ジグラ星人対策本部が設置されたが石川とトムは催眼状態から覚めず、健一とヘレンの説明では宇宙船内の様子がはっきりと握めないため、対策本部隊員は焦りだした。一方ジグラ星人は、秘密を知った健一とヘレンを殺すためXを上陸させた。健一とヘレンにXの魔手が伸びたとき動物飼育係(三夏伸)が石川とトムの挙動がイルカに似ているのを発見し、それをヒントに石川とトム、Xを催眼状態から覚ますのに成功した。Xは日本月世界基地研究員の菅原ちか子で、地球征服の途中、月を攻撃したジグラに捕えられ、地球攻撃の手先にされていたのだ。地球防衛軍は宇宙船に攻撃するが、ジグラのレッド光線によって全滅し、宇宙船もガメラの猛攻を受けて破壊された。海中に現われたジグラは、ジグラ星と地球の水圧の相違から巨大化して怪獣ジグラとなり、ガメラとジグラの決闘が開始された。優勢だったガメラは、ジグラにオレンジ色の細胞活動停止光線を浴せられ倒れた。石川、トムは深海潜水艇バチスカーフに乗り込み、ガメラの生死を確認するため潜行したが、ジグラによって日本海深く連れ込まれ、オレンジ光線を浴びて動けなくなってしまった。やがて激しい落雷のショックで蘇ったガメラは、石川、トムを救出し、再度ジグラと対決する。苦戦しながらもジグラの武器を知りつくしたガメラは勝った。そしてジグラの地球征服の野望を粉砕したガメラはどこへともなく飛び立っていった。
ついに大映は倒産の危機が迫り製作部門のみが大映として、配給部門はダイニチ映画として独立し(大映、ダイニチとも'71年中に倒産、大映の商標のみが残りましたが)、かろうじて'71年の夏休み映画として公開された本作はどうにか前作『ガメラ対大魔獣ジャイガー』と匹敵する製作予算で作られたものの、同時上映は『赤胴鈴之助 三つ目の鳥人』(1958年公開作品のリバイバル上映)という厳しい条件で封切られ、大手映画会社五社として松竹、東宝、東映、日活と並ぶ大会社だった大映の倒産危機は社会的なニュースになり、子供たちの間でも「ガメラの会社がつぶれちゃうの?」と広まっていましたが公開されてみればまずまずの興行成績を達成し、大映はガメラ映画の次作も計画しましたがその前の'71年内に倒産してしまいました。有終の美とまではいきませんが、本作は大映製作・ダイニチ配給によってぎりぎりの状況で作られたガメラ映画の生前葬のような哀愁が漂うかと言えば、もともと力みもなければスターも出ないガメラ映画の柔軟さと軽やかさが今回も保たれた好作です。筆者は今回ガメラ映画7作をすべてシークエンスごとのタイムテーブルをメモに採りながら観直してきたことになりますが、最終作らしい悪条件を唯一感じるとすればシークエンス単位の区切りが中盤以降まで明瞭でなく、これは第1作『大怪獣ガメラ』以来のことですが、『大怪獣ガメラ』は頻繁なカットバックが視点と時制の混乱と不統一を招いていました。本作は子供の主人公が幼稚園児の男児と女児(この女の子が普通に不細工なのがなかなか良く、お母さん役の女優と実の親子出演のようなので本当の素人なのでしょう)なので、前半1/3は子供2人と友人で同僚同士のその父たちを交互に描き、中盤は侵略者の視点からの展開になり、後半1/3は再び2組の父子が主役になります。カットバックが頻繁なのでシークエンスの区切りは明瞭でなくずらずら続いていくのですが、視点と時制の統一があるのでストーリーは着実に進み、湯浅監督の腕前も不発に終わった歌謡青春映画の監督デビュー作から監督第2作でいきなり特撮怪獣映画に起用された『大怪獣ガメラ』の不器用な仕上がりからは別人のように頼もしく、緩急のめりはりも効いた楽しくスムーズで快適な展開です。「秘密を知った子供2人を抹殺せよ」とジグラ星人(実は洗脳された地球人女性・菅原ちか子)が姿を見せないボスから指令を受けると、公聴会で質問された幼稚園児の健一とヘレンは幼すぎて宇宙人対策に役に立つことは何も覚えていない、というギャグもスマートですし、末期大映「ハレンチ青春路線」のヒロイン八並映子が演じる洗脳された地球人女性のジグラ星人は健一とヘレン抹殺のため海から黒のビキニ姿で現れると鴨川シーワールドへの道順を通行人に訊きながら返事を聞くと睡眠させ、黒ビキニ姿のまま商店街を歩き(通行人は不審からないのでロケであってもエキストラでしょうが、まったく不審がる通行人がいないのもかえって可笑しみを誘います)、黒ビキニ姿のままタクシーに乗ります。さすがに鴨川シーワールドに着いてからは赤いカーディガンに白いスカートとまともな服装になり、職員宿舎の健一の部屋に忍びこみジグラ宇宙船との攻防のテレビニュースを観ている健一とヘレンを見つけますが、子供たちは「あっ、あの時の!」とクッションをぶつけ、八並映子はひるんで「待ちなさい!」と追おうとするも簡単に逃げられてしまいます。この軽やかさと柔軟さと無垢なユーモアがガメラ映画の良さなので、『バルゴン』ではかなり、『ギャオス』では設定上でそれなりに人間ドラマが描かれていたものの、東宝ゴジラ映画の人間ドラマの比重の高さ、悲劇性と較べるとゴジラ映画的に重厚な人間ドラマと悲劇性が高いのはシリーズ中唯一、東宝ゴジラ映画の本多猪四郎監督よりも年長でサイレント時代からのヴェテラン田中重雄監督による『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』だったので、同作は秀作ですがガメラ映画というよりもバルゴンという1作きりの秘境怪獣の神戸~大阪大破壊を強欲な人間ドラマと絡ませて、バルゴンの息の根を止めるのはガメラですが出番も少なく他にバルゴン退治の結末をつければガメラ映画でなくても良い作品でした。ラスト・カットが青空を去って行くガメラで終わると見せかけて空撮による鴨川シーワールドの全景なのも、鴨川シーワールド側の実質的タイアップによるロケーション協力への感謝と、大映にこのラスト・カットだけのための空撮予算があったとは思えませんから鴨川シーワールド側がプロモーション用に撮っていたフィルムの流用なのでしょう。この後単発で、徳間グループ資本下の商標になっていた大映から高橋二三脚本・湯浅憲明監督による『宇宙怪獣ガメラ』'80が製作されましたが、特撮シーンのほとんどは過去のガメラ映画からの流用・再編集で、宇宙海賊船ザノン号の地球侵略から地球を守るためやってきた正義の宇宙人スーパーガールの3人が出会った少年からガメラの存在を知りガメラの助力を得て海賊船ザノン号を撃退する、というマッハ文朱主演のスーパー・ヒロイン映画でした。ゴジラ映画シリーズ最終作『メカゴジラの逆襲』'75で悲痛な人間ドラマ中心の作風に戻り同作を最後の監督作とした本多猪四郎監督のゴジラ映画キャリアも起伏に富んだものでしたが、台所事情は火の車ながらレギュラー脚本家の高橋二三氏とともに傑作『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』以降楽しい作品を毎年送り出してきた高橋氏と湯浅監督もまた、確かな作品世界を作った脚本家と映画監督なのがシリーズ作品からは伝わってくるのです。