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現代詩の起源(18); 八木重吉詩集『秋の瞳』大正14年刊(xiv)『秋の瞳』収録詩編の分類(3)

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[ 八木重吉(1898-1927)大正13年=1924年5月26日、長女桃子満1歳の誕生日に。重吉26歳、妻とみ子19歳 ]

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 前2回では詩集『秋の瞳』を前半序+58編、後半59編を傾向ごとに3種に分けました。あくまで筆者の主観的分類であり、分類の3種の系統も異論は承知の上ですが、いち読者の読み方としてはそれなりに筋を立てたつもりです。まず前半の序+58編では、

●(a)詩的表現が断片的に過ぎ、生活報告や心境告白に留まるもの……「序」+18編
●(b)詩としては断章的で、警句や意見表明の次元で成立するもの……22編
●(c)一編の詩として自律性の高い、独立した短詩と見なせるもの……18編

 ―― と、非常に意識的な均衡を図った選択・構成がなされているのが感じられる結果になりました。詩集後半の59編では、

●(a)詩的表現が断片的に過ぎ、生活報告や心境告白に留まるもの……22編
●(b)詩としては断章的で、警句や意見表明の次元で成立するもの……19編
●(c)一編の詩として自律性の高い、独立した短詩と見なせるもの……18編

 ―― となり、合わせると詩集『秋の瞳』全編では、

●(a)詩的表現が断片的に過ぎ、生活報告や心境告白に留まるもの……「序」+40編
●(b)詩としては断章的で、警句や意見表明の次元で成立するもの……41編
●(c)一編の詩として自律性の高い、独立した短詩と見なせるもの……36編

 ―― と、筆者の見方では分けられます。より簡単には、

●(a)生活詩・心境詩……40編
●(b)箴言詩(警喩詩・思想詩・断章詩)……41編
●(c)純粋詩……36編

 ということです。しかし断章ごとについて言えば(a)(b)(c)のどれに分類しても通用するようなものが相当数あるので、(c)独立した短詩と見なせるもの、つまり審美性を目的とした純粋詩より、内容・題材の提示に重きを置いた面から詩集の性格を明確にするため、(a)生活・心境詩、(b)警喩詩・思想詩・断章詩とした結果が上記であり、八木にとっては(a)生活詩・心境詩、(b)警喩詩・思想詩・断章詩、(c)純粋詩の区別はもとよりあまり重要ではないどころか、詩編の断章化、未完結的性格(カタコト性と言ってもいいでしょう)こそが八木にとっての詩の真実性、リアリティだったと思われるところに案外やっかいな八木の詩の性格があります。

 筆者が八木重吉詩集『秋の瞳』の特色が発揮された詩編と考えるのは、次のような断章です。詩集全117編からなるべく全編の順列から均等になるように厳選を試みて、53編までしぼりました。これに前記3種の分類を注記しますと、以下のようになります。

八木重吉詩集『秋の瞳』
大正14年(1925年)8月1日・新潮社刊

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 息を ころせ
 いきを ころせ
 あかんぼが 空を みる
 ああ 空を みる
  (1.「息を 殺せ」全行/c.純粋詩)


 白い 枝
 ほそく 痛い 枝
 わたしのこころに
 白い えだ
  (2.「白い枝」全行/c.純粋詩)


 夕ぐれ
 夏のしげみを ゆくひとこそ
 しづかなる しげみの
 はるかなる奥に フヱアリの 国をかんずる
  (5.「フヱアリの 国」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 わたしよ わたしよ
 白鳥となり
 らんらんと 透きとほつて
 おほぞらを かけり
 おほぞらの うるわしいこころに ながれよう
  (6.「おほぞらの こころ」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 あかるい 日だ 
 窓のそとをみよ たかいところで
 植木屋が ひねもすはたらく

 あつい 日だ
 用もないのに
 わたしのこころで
 朝から 刈りつづけてゐるのは いつたいたれだ
  (7.「植木屋」全行/a.生活詩・心境詩)


 ふるさとの山のなかに うづくまつたとき
 さやかにも 私の悔いは もえました
 あまりにうつくしい それの ほのほに
 しばし わたしは
 こしかたの あやまちを 讃むるようなきもちになつた
  (8.「ふるさとの 山」全行/a.生活詩・心境詩)


 だれでも みてゐるな、
 わたしは ひとりぼつちで描くのだ、
 これは ひろい空 しづかな空、
 わたしのハイ・ロマンスを この空へ 描いてやらう
  (9.「しづかな 画家」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 わたしみづからのなかでもいい
 わたしの外の せかいでも いい
 どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
 それが 敵であつても かまわない
 及びがたくても よい
 ただ「在る」といふことが 分りさへすれば、
 ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ
  (10.「うつくしいもの」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 いち群のぶよが 舞ふ 秋の落日
 (ああ わたしも いけないんだ
 他人(ひと)も いけないんだ)
 まやまやまやと ぶよが くるめく
 (吐息ばかりして くらすわたしなら
 死んぢまつたほうが いいのかしら)
  (11.「一群の ぶよ」全行/a.生活詩・心境詩)


 鉛(なまり)のなかを
 ちようちよが とんでゆく
  (12.「鉛と ちようちよ」全行/c.純粋詩)


 えんぜるになりたい
 花になりたい
  (13.「花になりたい」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 無造作な くも、
 あのくものあたりへ 死にたい
  (14.「無造作な 雲」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 赤んぼが わらふ
 あかんぼが わらふ
 わたしだつて わらふ
 あかんぼが わらふ
  (26.「赤ん坊が わらふ」全行/c.純粋詩)


 こころよ
 では いつておいで

 しかし
 また もどつておいでね

 やつぱり
 ここが いいのだに

 こころよ
 では 行つておいで
  (29.「心よ」全行/c.純粋詩)


 わたしは
 玉に ならうかしら

 わたしには
 何(なん)にも 玉にすることはできまいゆえ
  (30.「玉(たま)」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 はじめに ひかりがありました
 ひかりは 哀しかつたのです

 ひかりは
 ありと あらゆるものを
 つらぬいて ながれました
 あらゆるものに 息(いき)を あたへました
 にんげんのこころも
 ひかりのなかに うまれました
 いつまでも いつまでも
 かなしかれと 祝福(いわわ)れながら
  (32.「貫(つら)ぬく 光」全行/c.純粋詩)


 わがこころ
 そこの そこより
 わらひたき
 あきの かなしみ

 あきくれば
 かなしみの
 みなも おかしく
 かくも なやまし

 みみと めと
 はなと くち
 いちめんに
 くすぐる あきのかなしみ
  (33.「秋の かなしみ」全行/c.純粋詩)


 すとうぶを みつめてあれば
 すとうぶをたたき切つてみたくなる

 ぐわらぐわらとたぎる
 この すとうぶの 怪! 寂!
  (39.「悩ましき 外景」全行/a.生活詩・心境詩)


 ほそい
 がらすが
 ぴいん と
 われました
  (40.「ほそい がらす」全行/c.純粋詩)


 彫られた 空の しづけさ
 無辺際の ちからづよい その木地に
 ひたり! と あてられたる
 さやかにも 一刀の跡
  (42.「彫られた 空」全行/c.純粋詩)


 ある日
 もえさかる ほのほに みいでし
 きわまりも あらぬ しづけさ

 ある日
 憎しみ もだえ
 なげきと かなしみの おもわにみいでし
 水の それのごとき 静けさ
  (43.「しづけさ」全行/a.生活詩・心境詩)


 おほぞらのもとに 死ぬる
 はつ夏の こころ ああ ただひとり
 きようちくとうの くれなゐが
 はつなつのこころに しみてゆく
  (44.「夾竹桃」全行/a.生活詩・心境詩)


 哀しみの
 うなばら かけり

 わが玉 われは
 うみに なげたり

 浪よ
 わが玉 かへさじとや
  (46.「哀しみの海」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 くものある日
 くもは かなしい
 くもの ない日
 そらは さびしい
  (47.「雲」全行/c.純粋詩)


 ある日の こころ
 山となり

 ある日の こころ
 空となり

 ある日の こころ
 わたしと なりて さぶし
  (48.「在る日の こころ」全行/c.純粋詩)


 おさない日は
 水が もの云ふ日

 木が そだてば
 そだつひびきが きこゆる日
  (49.「幼い日」全行/c.純粋詩)


 霧が ふる
 きりが ふる
 あさが しづもる
 きりがふる
  (59.「霧が ふる」全行/c.純粋詩)


 空が 凝視(み)てゐる
 ああ おほぞらが わたしを みつめてゐる
 おそろしく むねおどるかなしい 瞳
 ひとみ! ひとみ!
 ひろやかな ひとみ、ふかぶかと
 かぎりない ひとみのうなばら
 ああ、その つよさ
 まさびしさ さやけさ
  (60.「空が 凝視(み)てゐる」全行/c.純粋詩)


 やまぶきの 花
 つばきのはな
 こころくらきけふ しきりにみたし
 やまぶきのはな
 つばきのはな
  (61.「こころ 暗き日」全行/c.純粋詩)


 ああ
 はるか
 よるの
 薔薇
  (63.「(夜の薔薇(そうび)」全行/c.純粋詩)


 ぐさり! と
 やつて みたし

 人を ころさば
 こころよからん
  (66.「人を 殺さば」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 すずめが とぶ
 いちじるしい あやうさ

 はれわたりたる
 この あさの あやうさ
  (77.「朝の あやうさ」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 しろい きのこ
 きいろい きのこ
 あめの日
 しづかな日
  (78.「あめの 日」全行/c.純粋詩)


 ちさい 童女が
 ぬかるみばたで くびをまわす
 灰色の
 午后の 暗光
  (81.「暗光」全行/c.純粋詩)


 あき空を はとが とぶ、
 それでよい
 それで いいのだ
  (83.「鳩がとぶ」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 わたしの まちがひだつた
 わたしのまちがひだつた
 こうして 草にすわれば それがわかる
  (84.「草に すわる」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 秋が くると いふのか
 なにものとも しれぬけれど
 すこしづつ そして わづかにいろづいてゆく、
 わたしのこころが
 それよりも もつとひろいものの なかへくづれて ゆくのか
  (87.「秋」全行/c.純粋詩)


 れいめいは さんざめいて ながれてゆく
 やなぎのえだが さらりさらりと なびくとき
 あれほどおもたい わたしの こころでさへ
 なんとはなしに さらさらとながされてゆく
  (86.「黎明」全行/a.生活詩・心境詩)


 巨人が 生まれたならば
 人間を みいんな 植物にしてしまうにちがいない
  (91.「人間」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 花が 咲いた
 秋の日の
 こころのなかに 花がさいた
  (97.「秋の日の こころ」全行/b.警喩詩・思想詩)


 赤い 松の幹は 感傷
  (100.「感傷」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 まひる
 けむし を 土にうづめる
  (102.「毛蟲を うづめる」全行/c.純粋詩)


 かへるべきである ともおもわれる
  (104.「おもひ」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 白き 
 秋の 壁に
 かれ枝もて
 えがけば

 かれ枝より
 しづかなる
 ひびき ながるるなり
  (105.「秋の 壁」全行/c.純粋詩)


 このひごろ
 あまりには
 ひとを 憎まず
 すきとほりゆく
 郷愁
 ひえびえと ながる
  (106.「郷愁」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 ひとつの
 ながれ
 あるごとし、
 いづくにか 空にかかりてか
 る、る、と
 ながるらしき
  (107.「ひとつの ながれ」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 宇宙の良心――耶蘇
  (108.「宇宙の 良心」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 彫(きざ)まれたる
 空よ
 光よ
  (109.「空 と 光」全行/b.警喩詩・思想詩・断章詩)


 せつに せつに
 ねがへども けふ水を みえねば
 なぐさまぬ こころおどりて
 はるのそらに
 しづかなる ながれを かんずる
  (112.「しづかなる ながれ」全行/a.生活詩・心境詩)


 これは ちいさい ふくろ
 ねんねこ おんぶのとき
 せなかに たらす 赤いふくろ
 まつしろな 絹のひもがついてゐます
 けさは
 しなやかな 秋
 ごらんなさい
 机のうへに 金糸のぬいとりもはいつた 赤いふくろがおいてある
  (113.「ちいさい ふくろ」全行/a.生活詩・心境詩)


 なくな 児よ
 哭くな 児よ
 この ちちをみよ
 なきもせぬ
 わらひも せぬ わ
  (114.「哭くな 児よ」全行/c.純粋詩)


 かの日の 怒り
 ひとりの いきもののごとくあゆみきたる
 ひかりある
 くろき 珠のごとく うしろよりせまつてくる
  (115.「怒り」全行/a.生活詩・心境詩)


 やなぎも かるく
 春も かるく
 赤い 山車(だし)には 赤い児がついて
 青い 山車には 青い児がついて
 柳もかるく
 はるもかるく
 けふの まつりは 花のようだ
  (117.「柳もかるく」全行/c.純粋詩)


 ――こうして53編を選りぬいてみると、その内訳は、

●(a)生活詩・心境詩…10編
●(b)警喩詩・思想詩・断章詩……20編
●(c)純粋詩……23編

 となりましたが、(a)については類似作が多いのでごく代表的なものにふるいがかけられてしまうということがあると思います。また『秋の瞳』の収録詩編にこうした分類を施していっそう感じられるのは、高橋新吉の連作長編詩「戯言集」がはっきり異なる詩意識で数種の文体・内容に書き分け(または編集され)ているのに対し、八木重吉の詩集では本来異なる詩意識で書かれるべき詩編が同一線上に混在してちりばめられていることで、ここには詩以前のもの、詩として未完成なもの、個別の詩編として自律性を持つものが混在しており、八木の場合も意識的な操作には違いないのですが断片性や混合の度合いは高橋の「戯言集」よりもはるかに強く、そうした特質が八木の詩では本質をなしているということです。そしておそらく、八木重吉の詩が真摯な信仰詩として多数の読者を引きつける力も、そのミスティフィケーションにあると想像できるのです。

(引用詩のかな遣いは原文に従い、用字は当用漢字に改め、明らかな誤植は訂正しました。)
(以下次回)

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