ひさしぶりにスタンバーグの映画でも観ようかなと今回、一般的に全盛期とされる'25年~'35年の作品中から9本を観直して、あまりの演出の冴えと面白さに目を疑うほどでした。最初に観たスタンバーグの映画は『嘆きの天使』か『モロッコ』か、どちらが先か憶えていませんが、まだ10代半ばの頃にテレビ放映で観て映画ってすごいなあと思ったのはたぶんそれが初めてです。同じ年頃にテレビで観てそう思ったのはフェデーの『外人部隊』やクレールの『巴里の屋根の下』、デュヴィヴィエの『望郷』などで、そういう昭和初期に日本でヒットした映画が昔はよく地上波でも放映されており、日本人好みの映画だけに高度成長期の思春期の子供が観ても琴線に触れたというだけのことですが、同時代('30年代初頭)のフランス映画との違いに限らず全盛期のスタンバーグはアメリカ映画の監督でもワン&オンリーの圧倒的存在感を感じます。ルネ・クレールがいなくても日本映画はあまり変わりなかったかもしれませんが、ほとんどの戦前デビューの監督たちがスタンバーグ映画をお手本にしたのではないかというくらい日本映画そっくりなのには仰天します。日本のみならず先輩監督のラオール・ウォルシュやフリッツ・ラング、同年輩のハワード・ホークスやウィリアム・ウェルマン、アルフレッド・ヒッチコックらもスタンバーグを手本にしていた節がありますし、戦中~戦後に流行したフィルム・ノワール映画もスタイルの発祥はスタンバーグではないか。なのに不思議なくらい影響関係が話題にならないのがスタンバーグで、ホークス映画のレギュラー脚本家はスタンバーグ凋落以後にホークスがほとんど毎作品で起用したベン・ヘクトやジュールス・ファースマンですし、ヒッチコックもアメリカ進出後はヘクトを脚本顧問にしたばかりかイギリス時代の作品にスタンバーグのスパイ映画『間諜X27』や国際サスペンス映画『上海特急』の趣向をそっくりいただいています。
ヒッチコックがフリッツ・ラングの映画をあまり憶えていないふりをしているようにホークスもヒッチコックも口裏を合わせたようにインタビューではスタンバーグへの言及は避けているのは面白い現象で、スタンバーグに先立つドイツ系偽貴族監督エーリッヒ・フォン・シュトロハイム(1885-1957)が'19年の監督デビュー作から'29年('32年公開)の正味10年で監督キャリアが終わってしまったように、スタンバーグはチャップリンに見出された自主製作映画のデビュー作で'25年に華々しく登場し、トーキー初期には新人女優マレーネ・ディートリッヒをヒロインに大ヒット作を連発しながらも'35年のディートリッヒとのコンビ最終作とともに人気凋落、以降'30年代後半には3作、'40年代には2作、'50年代も2作とほとんど話題にされない過去の存在になっていった人で、監督業は干されても最晩年まで名物性格俳優として活躍したシュトロハイムより不遇だったかもしれません。ただしスタンバーグの場合はトーキー以後の大女優マレーネ・ディートリッヒの高い人気とともに全盛期のトーキー作品だけは長く観られてきた強みがあり、全作品がサイレント(つまり映画マニアしか観ない)なので再上映、テレビ放映の機会も少ないシュトロハイムよりも(1)トーキーに代表作がある、(2)大スター女優の主演作、の2点でスタンバーグ映画はかろうじて映画マニア以外にも観られているでしょう。しかしサイレント時代も爛熟期にデビューしたスタンバーグはデビュー作から見事な腕前を見せており、トーキー時代の到来前にサイレント作品ですでに一流監督と評価されていた俊英監督でした。生涯の監督作は24作、うち'29年までにサイレント作品8作、'29年以後には遺作の日米合作映画『アナタハン』'58までトーキー作品16作がありますが、サイレント作品中半数の4作は散佚作品となっており、トーキー以後の評価も(今観ると佳作はありますが、公開時はほとんどヒットしなかったため)ほぼ'35年までの10作に集中しています。
今回サイレント作品3作と'35年までのトーキー作品6作を観直して、これほどの腕前の名人監督がなぜ10年足らずで不遇をかこつことになったか、学生時代に買ってろくに読まないうちに蔵書に紛れてしまったハーマン・G・ワインバーグの初のスタンバーグ評伝('67年刊)を思い出して悔しくなりました。同書と同時刊行のワインバーグのルビッチ評伝はジョナス・メカスが『メカスの映画日記』で「禁書にしないのが間違いなくらい、読むと映画を発狂させ、映画を観たくなり居ても立ってもいられなくなる」と絶賛されている名著で、そういえばスタンバーグと同時代で日本映画に絶大な影響を与えたアメリカ映画の巨匠といえば正真正銘ドイツ出身のハリウッド渡米監督エルンスト・ルビッチ(1892-1947)を思い出します。ルビッチも近々観直すとして、まずは観直したばかりのスタンバーグ映画の感想文をお送りします。
●3月14日(水)
『救ひを求むる人々』The Salvation Hunters (United Artists, 1925)*65min, B/W, Silent, 日本公開大正14年(1925年)12月4日・キネマ旬報外国映画ベストテン第3位(芸術的優秀映画部門) ; https://youtu.be/h3UOFqbbLAc
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) 無名に等しいホリウッドのエキストラ達が貯金を出し合って製作した映画で、オーストリアから来たヨゼフ・フォン・スターンバーグ氏が自ら書卸した脚本に據り監督した。主役は「ホリウッド」出演のジョージ・K・アーサー氏とジョージア・ヘール嬢で、「パリの女性」出演のネリー・フライ・ベイカー嬢や、オットー・マテイーソン氏、子役ブルース・ゲリン君等出演になるもので臨時雇にスチュアート・ホームズ氏が出演している
○あらすじ(同上) 人には泥の子と日の子とがある。主人公の青年(ジョージ・K・アーサー)は意志薄弱。泥の子と日の子との中間にある。女主人公の娘(ジョージア・ヘール)はともすれば自ら堕落の淵に沈もうとする自棄的な心持に捉われている彼らは小さい狐児(ブルース・ゲリン)と一緒に泥の港から石畳の町に来る。女の美貌を見たある遊び人(オットー・マテイーソン)は三人に部屋だけを借してやる。青年は職を求めて歩いたが職はない。狐児は餓じいと言う。娘は決心して我身を売ろうとする。ある紳士(スチュアート・ホームズ)が相談に乗ろうと言う。しかし娘は肉を売るにはあまり青年を愛している。拒絶された紳士は孤児に金を与えて去る。遊び人は自ら口説くつもりで皆を連れて郊外に行く。孤児のことから青年と遊び人とは喧嘩を始め遂に青年は勝つ。彼は自ら勝つことが出来たのだ。彼は自信を得た。彼は娘と共に力強く歩く。日の子等は進んで行く。
なんとみずみずしい。第1作でしかできないシンプルなアイディアを処女作ならではの初々しさでとらえてこれほど鮮烈なデビュー作はめったにないでしょう。本作は無名のスタンバーグがクラウドファウンディングで資金繰りをして仲間とともに自主製作して映画社各社に持ちこんだインディー映画ですが、キネマ旬報の「オーストリアから来た」スタンバーグというのは当時のはったり広告で、Josef Von Sternbergというのも本名Joseph Sternbergをドイツ系の旧貴族らしく作り変えた芸名で、一応スタンバーグはドイツ系移民の家系でしたが生まれも育ちも国籍もアメリカ人でした。今回ご紹介するスタンバーグのサイレント作品3作はいずれもキネマ旬報ベストテン3位以内にランクインし、約400本の作品を選出した戦前からの映画批評家・筈見恒夫(1908-1958)の『映畫作品辭典』(弘文堂アテネ文庫、昭和29年='54年)に3作とも紹介されています。スタンバーグのサイレント作品は8作ありますが4作は散佚しており、サイレント最後の作品『女の一生』Case of Lena Smith (Paramount, 1929)も当時キネマ旬報ベストテン第8位にランクインし『映畫作品辭典』にも掲載され、近年はサイレント映画末期の失われた傑作としてシナリオとスチール写真で再現された研究書も刊行されており、サイレント期スタンバーグ作品の高い再評価をうかがわせます。本作の「芸術的優秀映画」第3位というのは、1924年(大正13年)に始まったベストテンが1925年までは外国映画のみの選出で「芸術的優秀映画」と「娯楽的優秀映画」に分かれていたからで、ちなみに第1回の'24年度の芸術的優秀映画第1位はチャップリンの『巴里の女性』、第2位はルビッチの『結婚哲学』、第3位はレイ・C・スモールウッドのアラ・ナジモヴァ主演作『椿姫』というすごいベスト3でした。同年の娯楽的優秀映画1位、2位はジェームズ・クルーズの『幌馬車』『ホリウッド』で第3位がハロルド・ロイドの『要心無用』です。本作が3位に入った'25年の芸術的優秀映画1位、2位は『嘆きのピエロ』『キイン』とフランス映画が占め、娯楽的優秀映画第1位にはウォルシュの『バグダッドの盗賊』が輝きました。'26年(大正15年・昭和元年)からは(一時戦時中を除き)現在に至る日本映画ベストテン、外国映画ベストテンになります。筈見氏の映画辞典は散佚作品を多く含む貴重な文献ですが、本作については「無名の新人ジョセフ・フォン・スタンバーグは自らの少額の資本と、無名の出演者と港町のロケーションだけでこの作品をつくりあげた。泥だらけな港に生きている男と女と少年とが、社会の悪や誘惑に抗して太陽に向かって歩み続けて行くという象徴的な内容だが、華やかなハリウッド映画を見馴れた人々には、この作品はひとつの驚きであった。チャップリンが激賞するまで配給を引き受ける会社がなかったという理由もうなずける」としています。実際本作はスタンバーグが思い切ってグリフィス、チャップリン、ダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォードの4大映画人が興したユナイテッド・アーティスツ社に持ちこむまで配給の見込みがなかったもので、本作を観たチャップリンは直ちに配給を引き受け、すぐに本作の主演女優ジョージア・ヘイルを新作『黄金狂時代』'25に大抜擢します。『黄金狂時代』は日本公開'26年・キネマ旬報ベストテン第1位になりますが、その年のベストテンもすごいもので(この年から外国映画は一本化)、2位ムルナウ『最後の人』、3位ヘンリー・キング『ステラ・ダラス』、4位ミラード・ウェッブ『海の野獣(白鯨)』、5位アベル・ガンス『鉄路の白薔薇』といった具合でした。サイレント時代も爛熟を極めていた時代だったのがわかります。ちなみに映画史家の田中純一郎(1902-1989)氏の『日本映画発達史 II 無声からトーキーへ』'57によると、大正13年11月から久米正雄、森岩雄らを発起人に「良い映画を讃める会」が結成されて輸入映画の推薦作品の上映会があり、第1回が『キイン』、第2回『巴里の女性』、第3回『嘆きのピエロ』そして第4回『救ひを求むる人々』だったそうです。
田中氏の著書では本作は「オーストリア人ヨゼフ・フォン・スタンバーグが四、五人の無名俳優と共同で、四千五百ドルとかのポケット・マネーを出し合って作ったのが、この映画だ。無声映画がカメラ・ワークやセットに、あらゆる技巧をつくしていた時、スタンバーグはほとんど無技巧で、素朴なリアリズムの探求にカメラを向けた。貧しい青年と貧しい娘と、小さい孤児の三人が、人生に強く生きていくというテーマが、まずチャップリンを喜ばせ、日本の批評家の間でも褒貶こもごもであった」と書かれています。筈見氏より田中氏の方がうまい文章ですが、ここで述べられているのは当時の反響であり、実はスタンバーグはとんだ食わせ者の技巧家だったのはパラマウント専属第1作で映画史上初のギャング映画と謳われた『暗黒街』'27でも明らかなら、ドイツへ渡って撮ったトーキー第2作『嘆きの天使』'30とドイツで発掘した新人で同作の主演女優だったマレーネ・ディートリッヒ(1901-1992)をハリウッドに連れて戻り、日本で外国映画が初のスーパー字幕上映されてキネマ旬報ベストテン第1位に輝いたゲイリー・クーパーとディートリッヒの共演作『モロッコ』'30で本格的に開花して一時代を築いた『嘆きの天使』から『西班牙狂想曲』'35までのスタンバーグ=ディートリッヒのコンビ映画7作で後世には知れ渡っているので、当初『救ひを求むる人々』が素朴なリアリズム作品とされた見方の方が興味深いことです。低予算を逆手にとった冒頭からのドキュメンタリー調のサルヴェージ船の映像の躍動感はどうでしょう。登場人物たちはそもそも無口なので、会話タイトルはほとんど出てきません。青年と娘、孤児との出会いや放浪が描かれ(淀川長治氏曰わく「道に落ちてるガムを三つに割って食べる。何とも言えんいい場面」)、プロットらしいプロットもなければストーリーらしいストーリーにもならないので暴漢(オラフ・ハイトン)に乱暴されようとしている娘を助けて青年と娘が知りあう、孤児と出会って放浪を共にする、遊び人の男と生活に疲れたその情婦(ネリー・ブライ・ベイカー)に空き部屋を提供される、翌日遊び人の男が娘を誘惑にかかるのを退けて青年と娘と孤児の三人は歩いて行く。以上で登場人物は全員で大したドラマがあるわけでもなく、青年と娘と孤児が希望を抱いて去っていくラストまで特にリアリズム追求型のドラマ構成はありません。遊び人に空き部屋を提供された三人が空腹をまぎらわすと夜になる、孤児が眠ってしまう。青年は踊り場に出て行く。娘が追うと、青年は「君がどんな女性か誤解されたくないんだ」と踊り場で眠ろうとうずくまる。娘は部屋に戻り長椅子で眠る孤児に寄り添うと、孤児が眠りながら腕に抱きついてくる。娘もそっと孤児を抱き寄せる。登場人物には名前はなくクレジット・タイトルの役名は「The Boy」「The Girl」「The Child」「The Man」「The Woman」「The Brute」「The Gentleman」だけで、基本的にはボーイ・ミーツ・ガールの話です。しかしこんな寓話的なだけの話は短編時代の映画ならともかく'20年代の映画ではできないので、これをまったく無垢な調子に新しい映像感覚でやってのけたのに技巧に見えないアイディアがある。過剰な演出を凝らしていないだけ映像表現はトーキー映画のリアリティに踏み出していて、特に台詞らしい台詞も前述のシーンくらいしかないから映像自体がサルヴェージ船の作業する港、ひと気のない路地、がらんとした空き部屋など舞台を移すたびに現実音を暗示させるものになっています。このドラマ性の稀薄なドラマは不自然な音響の入りこむ余地はない分ちゃんと映像からその場に見合った空気感が具体音の代わりに伝わってくるので、こうした効果をサイレント時代にやってみせたのは過剰なまでに映像のモンタージュで音響効果を表現しようとしたアベル・ガンスやエイゼンシュテインの技法とは正反対の指向で、スタンバーグが映画のトーキー化に真っ先に成功した監督で、トーキー以降華やかな作風に変化したように見えても実際は現実音や音楽の使用も細心に控えめなものなのは注目されてもいいことです。その萌芽が一見習作風の監督第1作からすでにあったのは第1作だからこそできた実験で、インディー映画でしかできなかった企画でしょう。スタンバーグはサイレント時代にキャリアが収まる監督ではなく、トーキー以降が全面的な本領発揮だったというのでもない、サイレントとトーキーの橋渡しが歴史的役割だったような監督ですが、スタンバーグほどの力量があって似たような立ち位置にある監督が他にすぐ思い当たらないユニークな才能だったのが続くサイレント時代の名作『暗黒街』『紐育の波止場』でいっそう明らかになります。スタンバーグのサイレント作品はサイレント映画に不馴れな方にもお勧めできる逸品揃いです。
●3月15日(木)
『暗黒街』Underworld (Paramount, 1927)*83min, B/W, Silent / 昭和3年(1928年)1月13日・キネマ旬報外国映画ベストテン第2位 ; https://youtu.be/QSNj4clHP08
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) ベン・ヘクトが書きおろした物語を、チャールズ・ファースマンとロバート・N・リーが脚色。監督は「救いを求むる人々」の製作者ジョセフ・フォン・スタンバーグ。主演は「決死隊」「戦艦くろがね号」のジョージ・バンクロフト、共演に「鉄條網」「フラ」のクライヴ・ブルック及び「百貨店」「錯覚恋愛」のイヴリン・ブレント、フレッド・コーラー、ラリー・シーモン、ヘレン・リンチなど。因みに本篇は「人罠」と同じくヘクター・ターンブルの総指揮の下に製作された映画である。
○あらすじ(同上) 犯罪の都ことシカゴの暗黒街にブル・ウィード(ジョージ・バンクロフト)という稀代の大盗賊がいた。彼は常に唯一人で「仕事」をし、別に子分を養うことをしなかったが、自然にそなわる大親分の気慨が、人に一目置かせ敬服させるのだった。ある時真夜中に銀行破りをした時、一人の酔っ払い(クライヴ・ブルック)に目撃され、彼を脅して隠れ家に連れ帰る。そして秘密を厳守することを約束させて赦してやった。その時酔っ払いが口走った言葉から、ブルは彼をロールス・ロイス(高級自動車)と呼ぶようになる。ある日ブルが「夢の国」というカフェに情婦のフェザース(イヴリン・ブレント)を伴って行った時、かねてよりフェザースに懸想している対立する親分株の悪党バック・ムリガン(フレッド・コーラー)も来ていた。そしてフェザースの目の前でムリガンは、痰壺へ10ドル札を投げ込んで、掃除人のロールス・ロイスに拾えと命じた。しかし、ロールス・ロイスは今は落ちぶれているが以前は弁護士ををしていた程の男であり、当然のごとく知らぬ顔をした。面子を潰されたと激怒したムリガンはロールス・ロイスを殴り倒し、殺しかねない勢いだ。見かねたブルはロールス・ロイスを救い、そのため面目が丸潰れとなったムリガンは、深くブルを恨み復讐を誓う。ロールス・ロイスはブルの保護を受け、禁酒して以前のような紳士に戻る。フェザースはいつしか彼に恋を覚え、それとなく意中を仄めかしたが、義を重んずるロールス・ロイスは恩人の女に手出しをせず、彼女にそれを告げる。暗黒界の年一回の催したる「休戦日」と称する舞踊会の晩がきた。そして、ブルの情婦フェザースが舞踊会の女王に選ばれた。ブルが酔い潰れたのを見たムリガンは、委員として彼女に花輪を与えると称して暴行を加えようとする。それを知ったブルは怒り狂い、ムリガンを追って射殺する。殺人罪で起訴されたブルは、死刑の宣告を受けた。彼に恩を蒙るロールス・ロイスたちはブルを救い出すために、死刑の一時間前に棺車に一味の者を乗り込ませて脱獄させようとするが、失敗する。一方獄中のブルは、ロールス・ロイスとフェザースの関係を邪推し、復讐するために単独で巧みに脱獄し、古巣へ舞い戻る。脱獄失敗と知ったフェザースがそこへ帰ってくるが、彼女を追ってきた警官隊は、隠れ家に機関銃を猛射した。激戦中に、ブルを救いに抜け道からロールス・ロイスが現れた。そこで、ブルは初めてロールス・ロイスとフェザースの清い愛を知り、二人を逃げさせるため単身白旗をかかげ、警官隊に降伏するのだった。
現在では散佚している'26年の2作『陽炎の夢 (The Exquisite Sinner)』(MGM)、『A Woman of the Sea』(United Artists、チャップリン製作=エドナ・パーヴィアンス主演で完成されるもお蔵入りになったまま散佚)を経た第4作。「スタンバーグのパラマウントにおける第1作。暗黒街のボス、その情婦、その恋人と三角関係を扱い、暗黒街の雰囲気やその達引を描いて前例のない映画であり、悪人たちの中に人間性をつきつめようとしたところに狙いがある」(筈見恒夫『映画作品辞典』)。この年の外国映画ベストテン第1位はムルナウ『サンライズ』、2位が本作で3位がチャップリン『サーカス』、4位フレッド・ニブロ『ベン・ハー』、5位ウェルマン『つばさ』ですから本作の評価の高さがわかります。ちなみに日本映画第1位はマキノ正博『浪人街 第一話 美しき獲物』でした。散佚してしまった第2作『陽炎の夢』はMGMとの1ショット契約で恋愛小説原作のメロドラマだったようですし、チャップリンがかつてのヒロイン女優エドナ・パーヴィアンスを主演に製作しておきながらお蔵入りさせフィルム散佚作品になってしまった『A Woman of the Sea』はもう1本あるチャップリン製作のお蔵入り作品とともに研究者が現在も捜索しているそうですが、未公開作品の上に製作者がチャップリンとなるとチャップリンの意向でもない限り保管されたプリントはなさそうです。映画史的に本作はトーキー時代のマーヴィン・ルロイ『犯罪王リコ』'30、ウィリアム・A・ウェルマン『民衆の敵』'31、ルーベン・マムーリアン『市街』'31、ハワード・ホークス『暗黒街の顔役』'32などに代表される'30年代初頭のギャング映画ブームに先立つ映画史上初のギャング映画とされますが、これらトーキー初期のギャング映画が画期的だったのは犯罪シンジケートの反社会的行動と内部抗争をはっきり描いていたからで、同じ新聞記者出身のベン・ヘクト(1894-1964)原作でも『暗黒街の顔役』(あまりの過激な描写に'30年に完成していながら公開は'32年になりました)と本作では趣向がだいぶ異なります。本作のジョージ・バンクロフト演じるブル・ウィード(すごい名前)は気まぐれな単独犯の銀行・宝石店強盗で、敵対するボスのバック・マリガン(アイリッシュ名前だからムリガンではなくマリガンでしょう)も生花店経営者と、何ら犯罪組織らしき背景は描かれておらず、豪奢なダンス・パーティーのシークエンスなどもありますが'20年代のバブル景気の世相描写ではあっても犯罪とは関係なさそうです。本作に較べればマフィアによる移民の人身売買を描いたG・L・タッカーの『暗黒街の大掃蕩』'13、ギャング組織に拾われた少年が成人して組織から足抜けする苦労を描いたラオール・ウォルシュの『リゼネレーション』'16の方がよっぽどニューヨークの暗黒面を描いており、タッカーやウォルシュに先んじてグリフィスの短編『ピッグ・アレイの銃士たち』'12がストリート・ギャングの世界を描いて先鞭をつけています。ただしそれらは散発的に現れた題材だったので、本作に続くスタンバーグのギャング映画『非常線』'28(散佚作品)、さらにハワード・ヒューズが製作したルイス・マイルストンの『暴力団』'28ではマフィア問題が描かれて大ヒットし、翌'29年に全米を震撼させたギャング同士の抗争「聖ヴァレンタインの大虐殺」事件がトーキー化した'30年以降のギャング映画ブームを呼び、さかのぼって『暗黒街』がギャング映画の起点とされるようになったと思われます。監督のホークスが原作者のベン・ヘクト自身にシナリオを依頼した『暗黒街の顔役』では社会的視点、反社会的人間像の追求が映画の主眼となっており、それに較べれば本作は単に無法者の小悪党を主人公にした恋愛人情劇でしかありません。西部劇の列車強盗や馬泥棒レベルの犯罪者で、それがたまたま'20年代のニューヨークが舞台というだけです。
それと本作が名作なのはあまり関係ないないので、主人公がブル・ウィード(雑草猛牛)ならその愛人のヒロインはフェザース(羽毛)ですし、アル中で身を持ち崩した副主人公はロールス・ロイスです。キネマ旬報の紹介文を読むとロールス・ロイスには(高級自動車)と割註を入れなければ昭和3年には通じなかったようで、昭和30年代のアメリカ小説の翻訳書でもティッシュ・ペーパー(薄葉紙)と訳してあるのを見かけますから昭和3年にロールス・ロイスが皮肉をこめたニックネームだとピンとこなくても不思議はないでしょう。主要登場人物がすべてニックネーム(バック・マリガンも典型的なアイリッシュ名前だから同様です)なのも『救ひを求むる人々』と同じで、サイレント時代の映画にはスタンバーグに限らず多く使われた様式化で、サイレント映画とトーキー作品ではリアリティの基準が異なるのはこうした面にも表れています。本作のヒロインがフェザースと呼ばれるのはいつも羽根飾りをつけたケープをまとっているからですが、淀川長治氏はスタンバーグの非ハリウッド的センスをヒロインのケープから抜けて宙に舞う羽根をカメラが追う、こんなセンスはそれまでのハリウッドの監督にはなかったと賞賛しています。冒頭は金庫破りしたバンクロフトが目撃者のクライド・ブルックを拾って逃走するカーチェイスでいきなり始まり、「とんだアル中の浮浪者を拾っちまったな」だったら殺せば良さそうなものですが、まあ金庫破りが上手くいって上機嫌だったということでしょう。「これでも弁護士だったんだ」「じゃああんたをロールス・ロイスとでも呼ぼうか」と呵々大笑するバンクロフト。次のシーン、バンクロフトが斡旋したらしき酒場で掃除夫をするロールス・ロイス。バンクロフトが愛人のイヴリン・ブレントを連れて現れ、「バック・マリガンが来てやがる」そのマリガンが床の痰壺に10ドル札を捨ててロールス・ロイスに「やるよ。拾いな」と、まるでホークスの『リオ・ブラボー』'59でディーン・マーティンが侮辱されるシーンの先取りをされるのですが、『リオ・ブラボー』の脚本はジュールス・ファースマンで『非常線』以降のスタンバーグの脚本家、本作の脚本家チャールズ・ファースマンは同一人物かと思いきやスタンバーグのトーキー第1作『サンダーボルト』はチャールズとジュールスの両ファースマンの共作で、血縁者かどうかわかりませんが接点はあったわけです。いろいろあってバンクロフトが次の宝石強盗をしてマリガンに偶然容疑がかかり、バンクロフトの得意なコイン曲げ(酒場のシーンで伏線済み)を証拠にマリガンの密告がこじれて殺人事件に発展してバンクロフト逮捕、死刑判決という過程でブルックとブレントが恋に落ち、しかし裏切れないとバンクロフトの脱走計画を立てるのですが、バンクロフトは手下(一応いる)からロールス・ロイスとフェザースの仲を聞いてしまう。そしてバンクロフトが自分から脱走してしまって派手な銃撃戦を経て男と男の友情と信頼を確かめるしみじみ感動的なラストシーンになるのですが、例外的に非情な『暗黒街の顔役』よりも男の友情もののハワード・ホークス映画みたいな結末です。酒場、ダンス・パーティー、宝石店強盗、法廷シーン、監獄で刑務官とのがらんとした廊下での格子越しのチェス、バンクロフトの脱走を駅の待合室で待つブルック、バンクロフト宅に立てこもった銃撃戦、そして一転して静まり返ったラストなど、場面転換ごとに映像が訴えかけてくる音響効果が鮮やかで、サイレント映画なのに一貫してシーンごとにふさわしい物音が聞こえてくる場面構成と映像センスの切れは『救ひを求むる人々』から本作で一気に飛躍的に高まった観があります。ギャング映画とは言えなくてもこの題材を描いたのはまさに様々なシチュエーションのコントラストから映像の色彩感を多彩にして映像そのものからサウンド効果を引き出そうとしたものと思え、これは作品ごとに異なる文化圏を舞台にしたトーキー時代のマレーネ・ディートリッヒ主演映画でも変わらない発想で、スタンバーグの関心は社会的関心からではなく審美的興味からであることで一貫しており、その審美的指向の強さがスタンバーグに一時代を築かせもし、急速な凋落を招きもしたという気がします。
●3月16日(金)
『紐育(ニューヨーク)の波止場』The Docks of New York (Paramount, 1928)*76min, B/W, Silent, 日本公開昭和4年(1929年)1月6日・キネマ旬報外国映画ベストテン第1位 ; https://youtu.be/ALpcMoS5GY0
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より)「ショウ・ダウン」「非常線」に次ぐジョージ・パンクロフト氏主演映画で「つばさ」「空行かば」の作者ジョン・モンク・ソーンダース氏作の物語を「非常線」「肉体の道」のジュールス・フォースマン氏が脚色し「非常線」「最後の命令」のジョセフ・フォン・スタンバーグ氏が監督したものである。助演者は「煩悩」「君が為め命捧げん」のベティー・カンプソン嬢、「忘れられた顔」「罪の街」のオルガ・バクラノヴァ嬢、「ミシガン小僧」のミッチャエル・ルイス氏、「鉄条網」のクライド・クック氏、「パラウー」のグスタフ・フォン・セイファーティッツ氏等である。
○あらすじ(同上) ビル・ロバーツ(ジョージ・バンクロフト)は古ぼけた貨物船の一火夫である。船がニューヨークの波止場に着くとその夜彼は一夜の遊を購うべく上陸した。そして折柄投身した若い女を救いあげ波止場の水夫宿に連れ込んだ。女はメイ(ベティー・カンプソン)といって水夫達を相手に堕落の生活を送っていて世をはかなんだものだが、ビルに救われ小綺麗な着物を興えられると根が善良な女だけに頼もしい気が起こるのだった。階下の酒場に食事に行き、ビルの無敵の威力を見るとメイの心は益々傾いた。ビルもメイの美しさに心をひかれる。ビルの上司たる三等機関士(ミッチェル・ルイス)は上陸するや妻(オルガ・バクラノヴァ)の不貞を目撃して妻を疎ずる気持ちが更に加わり棄てる心算になった。そしてメイに懸想したが忽ちビルに打ちのめされ、酷い目にあうところを妻の為に免れた。酔払ったビルはメイと結婚式を挙げると言いだし、メイは半信半疑のうちにも悦び、遂に祈祷書のハリ(グスタフ・フォン・セイファーティッツ)という救世軍師官に結婚させて貰った。翌朝ビルはメイが眼を醒ます前に立ち去った。それを見届けた三等機関士はメイを手込めにしようとしたが嫉妬と復讐心とに駆られた妻のために射殺されてしまった。ビルは騒動が起こったので引き返しメイが拘引されようとするのを護った。併し下手人が直ぐ自首したので騒ぎは静まりビルは乗船してニューヨークを去ろうとしたが、ビルは本当にメイを愛していることを覚り海中に飛び込んで波止場に泳ぎ帰った。そして彼が昨夜与えた着物を盗んだというのでメイが軽罪裁判所に引かれて行ったことを知り自首して出て告白した。彼は60日の禁固を宣告された。60日の航海は長くはないが待って呉れるかと言うと、メイは何時までも待っていますと答えるのだった。
パラマウント専属後『暗黒街』翌年の『最後の命令 (The Last Command)』'28(フィルム現存)、『非常線 (The Dragnet)』'28(散佚作品)を挟んだ通算第7作。「スタンバーグ監督=ジョージ・バンクロフト主演のコンビは『暗黒街』等のギャングもので名声をあげたが、これは趣向を変え、鴎飛ぶ夜の波止場に、汽船の釜焚きと娼婦とのうらぶれた、しかし純情な恋を扱って成功している」(筈見恒夫『映画作品辞典』)。ついにベストテン第1位。これがどれだけ高い評価だったかというと、第2位ムルナウ『四人の悪魔』、第3位ウェルマン『人生の乞食』、第4位ラング『メトロポリス』、第5位フィオードル・オツェブ『生ける屍』第6位シェードサック=クーパー『四枚の羽根』、第7位ドライヤー『裁かるゝジャンヌ』、第8位スタンバーグ『女の一生』、第9位ルビッチ『思ひ出』、第10位パウル・フィヨス『都会の哀愁』で、日本映画第1位が2年連続でマキノ正博『首の座』というサイレント映画も熟れきった、トーキー時代直前の爛熟期最後の年だったことでもスタンバーグの人気がわかります。映画好きだった萩原朔太郎の書簡集にもスタンバーグの『女の一生』を観に行った話題が出てきて、同作はムルナウの『四人の悪魔』同様散佚作品になってしまいましたが、「帝政華やかなオーストリイの、貧しいハンガリアの百姓娘が、貴族に欺されて子供を生んで苦労の果てが、やがて戦争のために国家の名によってその子までとりあげられる女の一生。ジョセフ・フォン・スタンバーグの監督はサイレント映画の最後を飾るにふさわしい」(筈見恒夫『映画作品辞典』)というものだそうです。『最後の命令』はロシア系ハリウッド監督が新作映画にロシア革命時に帝国軍将軍だった老人(エミール・ヤニングス)をエキストラ(ハリウッドには訳ありの亡命移民や失業者を主とする数千人のエキストラ登録簿がありました)から起用したのを発端に10年前のロシア革命時に革命軍と戦い捕虜にされた老人の過去がフラッシュ・バックで語られ、革命軍の女性に処刑から助けられたが女性の方は事故死してしまって自分はアメリカに亡命してきた。監督は老人の心境を理解して老人を将軍役にロシア革命の映画を作り、撮影完了とともに老人は「最後の使命を果たした」とつぶやいて死ぬ、という話でした。その『最後の命令』と犯罪者対刑事ドラマとされる『非常線』(散佚作品)は『暗黒街』より落ちる、という評判でしたが、本作以来8本(のちのホークス作品と同数です)のスタンバーグ作品の脚本に関わるジュールス・ファースマンがついに脚本家に起用されたのが本作『紐育の波止場』で、『暗黒街』と『最後の命令』では曲折に富んだ展開だったのを思い切って『救ひを求むる人々』とまではいかないまでもグッとシンプルな内容に凝縮した作品になりました。ムルナウの『サンライズ』'27の影響力は大きくジョン・フォード(『四人の息子』'28)やハワード・ホークス(『雲晴れて愛は輝く』'27)も『サンライズ』からの影響とフォードやホークス自身が語っていますが、一組のカップルの運命だけに的を絞ってかりそめの愛が真実の愛に変わっていく内容で、やはり『サンライズ』の影響下に生まれたと思われるスウェーデン出身のシェーストレムの名作『風』'28、キング・ヴィダーの『群衆』'28とも似た感触があります。これらはボーゼージの『第七天国』'27、エイゼンシュテインの『十月』'27、アベル・ガンスの『ナポレオン』'27、『ロイドのスピーディー』'28、『キートンの蒸気船』'28、『チャップリンのサーカス』'28、ウェルマンの『人生の乞食』'28、キャプラの『陽気な踊り子』'28、マルセル・レルビエの『金』'28、ジャン・エプスタン『アッシャー家の崩壊』'28、ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』、ジガ・ヴェルトフ『カメラを持った男』'29、ヨーエ・マイ『アスファルト』'29、G・W・パプスト『パンドラの箱』'29などとともにサイレント映画がトーキーに取って代わられる直前のサイレント映画の熟成した名作群ですが、サイレント技法の極致を示しているために(1)すでにサウンド映画の映像感覚を先取りしている面と、(2)サウンド映画とは異なるサイレント映画のリアリティを突き詰めていてトーキー以降の映画観客にはトーキーのリアリティを基準に観ると強引で不自然に見える点がある、という両面があります。もっとも大きい点として登場人物の性格描写を映像のみで示して劇的な変化をことさら説明しないためトーキーの人物描写に馴れた観客には展開が不自然で唐突に見える。日本のように設備の普及が遅れて1935年までトーキーとサイレント映画の新作が拮抗していた国では'30年代のサイレント映画は十分トーキーの観客にも違和感ない説得力を備えているのですが、アメリカでは'28年~'29年にはほぼ完全、他のヨーロッパ諸国でも'30年~'32年までにはトーキー化は完了したので、トーキーが迎えられると一斉にサイレント映画の上映が行われなくなり、スタンバーグの『非常線』や『女の一生』、ムルナウの『四人の悪魔』のように、つい数年前の新作すら再上映の見込みなしとしてプリントが破棄されてしまったという事態になりました。
ずばり『サンライズ』『風』や本作が名作中の名作なのに引っかかる点は、主人公やヒロインの心理描写が直接的に説明されないため心変わりや行動が非常に唐突に見えるという難点にあります。『裁かるゝジャンヌ』は極端に実験的な手法で押し切っていましたが、『サンライズ』『風』や本作はトーキー=サウンド映画に映像的には肉薄しているだけにトーキーのような俳優の台詞まわしによる心理の変化が欠けている分、筋の運びに強引さを覚える。これは難しい問題で、サイレント映画の発展から追ってきた観客には達成と見えるものがトーキーからさかのぼって見るトーキー以降の観客にはサイレント映画とトーキーとの断絶と見えるのです。本作を下敷きにした成瀬巳喜男のサイレント作品『夜ごとの夢』'33(キネマ旬報ベストテン第3位)では日本映画はサイレント/トーキー平行時代ですからサイレント映画の表現を使いながらも丹念な性格描写と入念な筋立てでトーキー以降の観客にも説得力のある映画になっています。本作の主人公の蒸気船の火夫を演じるジョージ・バンクロフトはヴィクター・マクラグレン似、つまりジョン・ウェインに連なる系統の俳優で『暗黒街』でもどこかお人好しだったように人情に篤いがっしりしたアメリカ男のタイプを体現する好漢役が似合い、『暗黒街』から前作までヒロインだったイヴリン・ブレントに代わって本作のヒロインは当時バンクロフトより格上の人気女優ベティ・コンプソンが勤めていますが、『救ひを求むる人々』のジョージア・ヘイル、イヴリン・ブレント、本作のコンプソンともども額と頬骨の張り、脚線美などマレーネ・ディートリッヒに行き着くスタンバーグの女優の好みがわかります。バンクロフトもコンプソンも素晴らしい演技と存在感で、台詞字幕でなくそのたたずまいに見入っていれば最下層の社会に生きる孤独な男女の戯れの恋が真剣な愛情に変化していく推移に十分納得がいき、まずコンプソンが真剣に人生をやり直すのに向き合い、曲折があってようやくバンクロフトもコンプソンと真剣な愛を誓い合うことになります(成瀬の『夜ごとの夢』は同じ設定からまったく別の結末に向かう作品に仕上げられました)。微妙な心理の推移を台詞や説明字幕によって解説しないため、サウンド映画のトーキーでは何となく見ていても言葉によって補足されるものが全面的に映像だけによって示されるために観客には高い集中力が要求されます。『救ひを求むる人々』にすでに見られ(その時点ではインディー映画の技術的制約による素朴リアリズムと解されましたが)、『暗黒街』や本作にはっきり技法として使われるパーティー会場の果てしない長い横移動(必ず下手から上手に流れるのも特徴)のカットと人物や物をピックアップする短いショットの切り返し、1カットでのロングからアップへの寄りなど撮影はいよいよ鮮やかで、掲載したスチール写真のB/W映像の美しさ、見事な構図をご覧ください。グリフィス映画のビリー・ビッツァーから連なるB/W撮影のロー・キーの色彩設計と映像からサウンドを感じさせる多彩な場面転換と場面構成、長短さまざまなカットの組み合わせはここで頂点に達し、サイレント時代はもちろんトーキー以後も日本映画のお手本になったのです。内容的には本作は『暗黒街』でつかんだメジャー会社規模での演出・撮影技法を応用した成人版『救ひを求むる人々』で、『救ひを求むる人々』が過剰なセットや撮影技法を排して素朴リアリズムを意図した作品などではなかったのを証明する、地味な題材を地味に見えるが凝りまくったセット、技巧を凝らした撮影によって渋い美しさをしぼり出した作品に結実したのが本作で、サイレント映画究極の到達点を示す名作中の名作です。ベルイマンの『愛欲の港』'48は'30年代フランス映画と'40年代フィルム・ノワール、イタリアのネオ・レアリズモを経た本作の改作と言えるものです(同作には『モロッコ』からのいただきもあります)。次作でスタンバーグのサイレント最終作になった『女の一生』のフィルム散佚が惜しまれてなりません。
ヒッチコックがフリッツ・ラングの映画をあまり憶えていないふりをしているようにホークスもヒッチコックも口裏を合わせたようにインタビューではスタンバーグへの言及は避けているのは面白い現象で、スタンバーグに先立つドイツ系偽貴族監督エーリッヒ・フォン・シュトロハイム(1885-1957)が'19年の監督デビュー作から'29年('32年公開)の正味10年で監督キャリアが終わってしまったように、スタンバーグはチャップリンに見出された自主製作映画のデビュー作で'25年に華々しく登場し、トーキー初期には新人女優マレーネ・ディートリッヒをヒロインに大ヒット作を連発しながらも'35年のディートリッヒとのコンビ最終作とともに人気凋落、以降'30年代後半には3作、'40年代には2作、'50年代も2作とほとんど話題にされない過去の存在になっていった人で、監督業は干されても最晩年まで名物性格俳優として活躍したシュトロハイムより不遇だったかもしれません。ただしスタンバーグの場合はトーキー以後の大女優マレーネ・ディートリッヒの高い人気とともに全盛期のトーキー作品だけは長く観られてきた強みがあり、全作品がサイレント(つまり映画マニアしか観ない)なので再上映、テレビ放映の機会も少ないシュトロハイムよりも(1)トーキーに代表作がある、(2)大スター女優の主演作、の2点でスタンバーグ映画はかろうじて映画マニア以外にも観られているでしょう。しかしサイレント時代も爛熟期にデビューしたスタンバーグはデビュー作から見事な腕前を見せており、トーキー時代の到来前にサイレント作品ですでに一流監督と評価されていた俊英監督でした。生涯の監督作は24作、うち'29年までにサイレント作品8作、'29年以後には遺作の日米合作映画『アナタハン』'58までトーキー作品16作がありますが、サイレント作品中半数の4作は散佚作品となっており、トーキー以後の評価も(今観ると佳作はありますが、公開時はほとんどヒットしなかったため)ほぼ'35年までの10作に集中しています。
今回サイレント作品3作と'35年までのトーキー作品6作を観直して、これほどの腕前の名人監督がなぜ10年足らずで不遇をかこつことになったか、学生時代に買ってろくに読まないうちに蔵書に紛れてしまったハーマン・G・ワインバーグの初のスタンバーグ評伝('67年刊)を思い出して悔しくなりました。同書と同時刊行のワインバーグのルビッチ評伝はジョナス・メカスが『メカスの映画日記』で「禁書にしないのが間違いなくらい、読むと映画を発狂させ、映画を観たくなり居ても立ってもいられなくなる」と絶賛されている名著で、そういえばスタンバーグと同時代で日本映画に絶大な影響を与えたアメリカ映画の巨匠といえば正真正銘ドイツ出身のハリウッド渡米監督エルンスト・ルビッチ(1892-1947)を思い出します。ルビッチも近々観直すとして、まずは観直したばかりのスタンバーグ映画の感想文をお送りします。
●3月14日(水)
『救ひを求むる人々』The Salvation Hunters (United Artists, 1925)*65min, B/W, Silent, 日本公開大正14年(1925年)12月4日・キネマ旬報外国映画ベストテン第3位(芸術的優秀映画部門) ; https://youtu.be/h3UOFqbbLAc
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) 無名に等しいホリウッドのエキストラ達が貯金を出し合って製作した映画で、オーストリアから来たヨゼフ・フォン・スターンバーグ氏が自ら書卸した脚本に據り監督した。主役は「ホリウッド」出演のジョージ・K・アーサー氏とジョージア・ヘール嬢で、「パリの女性」出演のネリー・フライ・ベイカー嬢や、オットー・マテイーソン氏、子役ブルース・ゲリン君等出演になるもので臨時雇にスチュアート・ホームズ氏が出演している
○あらすじ(同上) 人には泥の子と日の子とがある。主人公の青年(ジョージ・K・アーサー)は意志薄弱。泥の子と日の子との中間にある。女主人公の娘(ジョージア・ヘール)はともすれば自ら堕落の淵に沈もうとする自棄的な心持に捉われている彼らは小さい狐児(ブルース・ゲリン)と一緒に泥の港から石畳の町に来る。女の美貌を見たある遊び人(オットー・マテイーソン)は三人に部屋だけを借してやる。青年は職を求めて歩いたが職はない。狐児は餓じいと言う。娘は決心して我身を売ろうとする。ある紳士(スチュアート・ホームズ)が相談に乗ろうと言う。しかし娘は肉を売るにはあまり青年を愛している。拒絶された紳士は孤児に金を与えて去る。遊び人は自ら口説くつもりで皆を連れて郊外に行く。孤児のことから青年と遊び人とは喧嘩を始め遂に青年は勝つ。彼は自ら勝つことが出来たのだ。彼は自信を得た。彼は娘と共に力強く歩く。日の子等は進んで行く。
なんとみずみずしい。第1作でしかできないシンプルなアイディアを処女作ならではの初々しさでとらえてこれほど鮮烈なデビュー作はめったにないでしょう。本作は無名のスタンバーグがクラウドファウンディングで資金繰りをして仲間とともに自主製作して映画社各社に持ちこんだインディー映画ですが、キネマ旬報の「オーストリアから来た」スタンバーグというのは当時のはったり広告で、Josef Von Sternbergというのも本名Joseph Sternbergをドイツ系の旧貴族らしく作り変えた芸名で、一応スタンバーグはドイツ系移民の家系でしたが生まれも育ちも国籍もアメリカ人でした。今回ご紹介するスタンバーグのサイレント作品3作はいずれもキネマ旬報ベストテン3位以内にランクインし、約400本の作品を選出した戦前からの映画批評家・筈見恒夫(1908-1958)の『映畫作品辭典』(弘文堂アテネ文庫、昭和29年='54年)に3作とも紹介されています。スタンバーグのサイレント作品は8作ありますが4作は散佚しており、サイレント最後の作品『女の一生』Case of Lena Smith (Paramount, 1929)も当時キネマ旬報ベストテン第8位にランクインし『映畫作品辭典』にも掲載され、近年はサイレント映画末期の失われた傑作としてシナリオとスチール写真で再現された研究書も刊行されており、サイレント期スタンバーグ作品の高い再評価をうかがわせます。本作の「芸術的優秀映画」第3位というのは、1924年(大正13年)に始まったベストテンが1925年までは外国映画のみの選出で「芸術的優秀映画」と「娯楽的優秀映画」に分かれていたからで、ちなみに第1回の'24年度の芸術的優秀映画第1位はチャップリンの『巴里の女性』、第2位はルビッチの『結婚哲学』、第3位はレイ・C・スモールウッドのアラ・ナジモヴァ主演作『椿姫』というすごいベスト3でした。同年の娯楽的優秀映画1位、2位はジェームズ・クルーズの『幌馬車』『ホリウッド』で第3位がハロルド・ロイドの『要心無用』です。本作が3位に入った'25年の芸術的優秀映画1位、2位は『嘆きのピエロ』『キイン』とフランス映画が占め、娯楽的優秀映画第1位にはウォルシュの『バグダッドの盗賊』が輝きました。'26年(大正15年・昭和元年)からは(一時戦時中を除き)現在に至る日本映画ベストテン、外国映画ベストテンになります。筈見氏の映画辞典は散佚作品を多く含む貴重な文献ですが、本作については「無名の新人ジョセフ・フォン・スタンバーグは自らの少額の資本と、無名の出演者と港町のロケーションだけでこの作品をつくりあげた。泥だらけな港に生きている男と女と少年とが、社会の悪や誘惑に抗して太陽に向かって歩み続けて行くという象徴的な内容だが、華やかなハリウッド映画を見馴れた人々には、この作品はひとつの驚きであった。チャップリンが激賞するまで配給を引き受ける会社がなかったという理由もうなずける」としています。実際本作はスタンバーグが思い切ってグリフィス、チャップリン、ダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォードの4大映画人が興したユナイテッド・アーティスツ社に持ちこむまで配給の見込みがなかったもので、本作を観たチャップリンは直ちに配給を引き受け、すぐに本作の主演女優ジョージア・ヘイルを新作『黄金狂時代』'25に大抜擢します。『黄金狂時代』は日本公開'26年・キネマ旬報ベストテン第1位になりますが、その年のベストテンもすごいもので(この年から外国映画は一本化)、2位ムルナウ『最後の人』、3位ヘンリー・キング『ステラ・ダラス』、4位ミラード・ウェッブ『海の野獣(白鯨)』、5位アベル・ガンス『鉄路の白薔薇』といった具合でした。サイレント時代も爛熟を極めていた時代だったのがわかります。ちなみに映画史家の田中純一郎(1902-1989)氏の『日本映画発達史 II 無声からトーキーへ』'57によると、大正13年11月から久米正雄、森岩雄らを発起人に「良い映画を讃める会」が結成されて輸入映画の推薦作品の上映会があり、第1回が『キイン』、第2回『巴里の女性』、第3回『嘆きのピエロ』そして第4回『救ひを求むる人々』だったそうです。
田中氏の著書では本作は「オーストリア人ヨゼフ・フォン・スタンバーグが四、五人の無名俳優と共同で、四千五百ドルとかのポケット・マネーを出し合って作ったのが、この映画だ。無声映画がカメラ・ワークやセットに、あらゆる技巧をつくしていた時、スタンバーグはほとんど無技巧で、素朴なリアリズムの探求にカメラを向けた。貧しい青年と貧しい娘と、小さい孤児の三人が、人生に強く生きていくというテーマが、まずチャップリンを喜ばせ、日本の批評家の間でも褒貶こもごもであった」と書かれています。筈見氏より田中氏の方がうまい文章ですが、ここで述べられているのは当時の反響であり、実はスタンバーグはとんだ食わせ者の技巧家だったのはパラマウント専属第1作で映画史上初のギャング映画と謳われた『暗黒街』'27でも明らかなら、ドイツへ渡って撮ったトーキー第2作『嘆きの天使』'30とドイツで発掘した新人で同作の主演女優だったマレーネ・ディートリッヒ(1901-1992)をハリウッドに連れて戻り、日本で外国映画が初のスーパー字幕上映されてキネマ旬報ベストテン第1位に輝いたゲイリー・クーパーとディートリッヒの共演作『モロッコ』'30で本格的に開花して一時代を築いた『嘆きの天使』から『西班牙狂想曲』'35までのスタンバーグ=ディートリッヒのコンビ映画7作で後世には知れ渡っているので、当初『救ひを求むる人々』が素朴なリアリズム作品とされた見方の方が興味深いことです。低予算を逆手にとった冒頭からのドキュメンタリー調のサルヴェージ船の映像の躍動感はどうでしょう。登場人物たちはそもそも無口なので、会話タイトルはほとんど出てきません。青年と娘、孤児との出会いや放浪が描かれ(淀川長治氏曰わく「道に落ちてるガムを三つに割って食べる。何とも言えんいい場面」)、プロットらしいプロットもなければストーリーらしいストーリーにもならないので暴漢(オラフ・ハイトン)に乱暴されようとしている娘を助けて青年と娘が知りあう、孤児と出会って放浪を共にする、遊び人の男と生活に疲れたその情婦(ネリー・ブライ・ベイカー)に空き部屋を提供される、翌日遊び人の男が娘を誘惑にかかるのを退けて青年と娘と孤児の三人は歩いて行く。以上で登場人物は全員で大したドラマがあるわけでもなく、青年と娘と孤児が希望を抱いて去っていくラストまで特にリアリズム追求型のドラマ構成はありません。遊び人に空き部屋を提供された三人が空腹をまぎらわすと夜になる、孤児が眠ってしまう。青年は踊り場に出て行く。娘が追うと、青年は「君がどんな女性か誤解されたくないんだ」と踊り場で眠ろうとうずくまる。娘は部屋に戻り長椅子で眠る孤児に寄り添うと、孤児が眠りながら腕に抱きついてくる。娘もそっと孤児を抱き寄せる。登場人物には名前はなくクレジット・タイトルの役名は「The Boy」「The Girl」「The Child」「The Man」「The Woman」「The Brute」「The Gentleman」だけで、基本的にはボーイ・ミーツ・ガールの話です。しかしこんな寓話的なだけの話は短編時代の映画ならともかく'20年代の映画ではできないので、これをまったく無垢な調子に新しい映像感覚でやってのけたのに技巧に見えないアイディアがある。過剰な演出を凝らしていないだけ映像表現はトーキー映画のリアリティに踏み出していて、特に台詞らしい台詞も前述のシーンくらいしかないから映像自体がサルヴェージ船の作業する港、ひと気のない路地、がらんとした空き部屋など舞台を移すたびに現実音を暗示させるものになっています。このドラマ性の稀薄なドラマは不自然な音響の入りこむ余地はない分ちゃんと映像からその場に見合った空気感が具体音の代わりに伝わってくるので、こうした効果をサイレント時代にやってみせたのは過剰なまでに映像のモンタージュで音響効果を表現しようとしたアベル・ガンスやエイゼンシュテインの技法とは正反対の指向で、スタンバーグが映画のトーキー化に真っ先に成功した監督で、トーキー以降華やかな作風に変化したように見えても実際は現実音や音楽の使用も細心に控えめなものなのは注目されてもいいことです。その萌芽が一見習作風の監督第1作からすでにあったのは第1作だからこそできた実験で、インディー映画でしかできなかった企画でしょう。スタンバーグはサイレント時代にキャリアが収まる監督ではなく、トーキー以降が全面的な本領発揮だったというのでもない、サイレントとトーキーの橋渡しが歴史的役割だったような監督ですが、スタンバーグほどの力量があって似たような立ち位置にある監督が他にすぐ思い当たらないユニークな才能だったのが続くサイレント時代の名作『暗黒街』『紐育の波止場』でいっそう明らかになります。スタンバーグのサイレント作品はサイレント映画に不馴れな方にもお勧めできる逸品揃いです。
●3月15日(木)
『暗黒街』Underworld (Paramount, 1927)*83min, B/W, Silent / 昭和3年(1928年)1月13日・キネマ旬報外国映画ベストテン第2位 ; https://youtu.be/QSNj4clHP08
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) ベン・ヘクトが書きおろした物語を、チャールズ・ファースマンとロバート・N・リーが脚色。監督は「救いを求むる人々」の製作者ジョセフ・フォン・スタンバーグ。主演は「決死隊」「戦艦くろがね号」のジョージ・バンクロフト、共演に「鉄條網」「フラ」のクライヴ・ブルック及び「百貨店」「錯覚恋愛」のイヴリン・ブレント、フレッド・コーラー、ラリー・シーモン、ヘレン・リンチなど。因みに本篇は「人罠」と同じくヘクター・ターンブルの総指揮の下に製作された映画である。
○あらすじ(同上) 犯罪の都ことシカゴの暗黒街にブル・ウィード(ジョージ・バンクロフト)という稀代の大盗賊がいた。彼は常に唯一人で「仕事」をし、別に子分を養うことをしなかったが、自然にそなわる大親分の気慨が、人に一目置かせ敬服させるのだった。ある時真夜中に銀行破りをした時、一人の酔っ払い(クライヴ・ブルック)に目撃され、彼を脅して隠れ家に連れ帰る。そして秘密を厳守することを約束させて赦してやった。その時酔っ払いが口走った言葉から、ブルは彼をロールス・ロイス(高級自動車)と呼ぶようになる。ある日ブルが「夢の国」というカフェに情婦のフェザース(イヴリン・ブレント)を伴って行った時、かねてよりフェザースに懸想している対立する親分株の悪党バック・ムリガン(フレッド・コーラー)も来ていた。そしてフェザースの目の前でムリガンは、痰壺へ10ドル札を投げ込んで、掃除人のロールス・ロイスに拾えと命じた。しかし、ロールス・ロイスは今は落ちぶれているが以前は弁護士ををしていた程の男であり、当然のごとく知らぬ顔をした。面子を潰されたと激怒したムリガンはロールス・ロイスを殴り倒し、殺しかねない勢いだ。見かねたブルはロールス・ロイスを救い、そのため面目が丸潰れとなったムリガンは、深くブルを恨み復讐を誓う。ロールス・ロイスはブルの保護を受け、禁酒して以前のような紳士に戻る。フェザースはいつしか彼に恋を覚え、それとなく意中を仄めかしたが、義を重んずるロールス・ロイスは恩人の女に手出しをせず、彼女にそれを告げる。暗黒界の年一回の催したる「休戦日」と称する舞踊会の晩がきた。そして、ブルの情婦フェザースが舞踊会の女王に選ばれた。ブルが酔い潰れたのを見たムリガンは、委員として彼女に花輪を与えると称して暴行を加えようとする。それを知ったブルは怒り狂い、ムリガンを追って射殺する。殺人罪で起訴されたブルは、死刑の宣告を受けた。彼に恩を蒙るロールス・ロイスたちはブルを救い出すために、死刑の一時間前に棺車に一味の者を乗り込ませて脱獄させようとするが、失敗する。一方獄中のブルは、ロールス・ロイスとフェザースの関係を邪推し、復讐するために単独で巧みに脱獄し、古巣へ舞い戻る。脱獄失敗と知ったフェザースがそこへ帰ってくるが、彼女を追ってきた警官隊は、隠れ家に機関銃を猛射した。激戦中に、ブルを救いに抜け道からロールス・ロイスが現れた。そこで、ブルは初めてロールス・ロイスとフェザースの清い愛を知り、二人を逃げさせるため単身白旗をかかげ、警官隊に降伏するのだった。
現在では散佚している'26年の2作『陽炎の夢 (The Exquisite Sinner)』(MGM)、『A Woman of the Sea』(United Artists、チャップリン製作=エドナ・パーヴィアンス主演で完成されるもお蔵入りになったまま散佚)を経た第4作。「スタンバーグのパラマウントにおける第1作。暗黒街のボス、その情婦、その恋人と三角関係を扱い、暗黒街の雰囲気やその達引を描いて前例のない映画であり、悪人たちの中に人間性をつきつめようとしたところに狙いがある」(筈見恒夫『映画作品辞典』)。この年の外国映画ベストテン第1位はムルナウ『サンライズ』、2位が本作で3位がチャップリン『サーカス』、4位フレッド・ニブロ『ベン・ハー』、5位ウェルマン『つばさ』ですから本作の評価の高さがわかります。ちなみに日本映画第1位はマキノ正博『浪人街 第一話 美しき獲物』でした。散佚してしまった第2作『陽炎の夢』はMGMとの1ショット契約で恋愛小説原作のメロドラマだったようですし、チャップリンがかつてのヒロイン女優エドナ・パーヴィアンスを主演に製作しておきながらお蔵入りさせフィルム散佚作品になってしまった『A Woman of the Sea』はもう1本あるチャップリン製作のお蔵入り作品とともに研究者が現在も捜索しているそうですが、未公開作品の上に製作者がチャップリンとなるとチャップリンの意向でもない限り保管されたプリントはなさそうです。映画史的に本作はトーキー時代のマーヴィン・ルロイ『犯罪王リコ』'30、ウィリアム・A・ウェルマン『民衆の敵』'31、ルーベン・マムーリアン『市街』'31、ハワード・ホークス『暗黒街の顔役』'32などに代表される'30年代初頭のギャング映画ブームに先立つ映画史上初のギャング映画とされますが、これらトーキー初期のギャング映画が画期的だったのは犯罪シンジケートの反社会的行動と内部抗争をはっきり描いていたからで、同じ新聞記者出身のベン・ヘクト(1894-1964)原作でも『暗黒街の顔役』(あまりの過激な描写に'30年に完成していながら公開は'32年になりました)と本作では趣向がだいぶ異なります。本作のジョージ・バンクロフト演じるブル・ウィード(すごい名前)は気まぐれな単独犯の銀行・宝石店強盗で、敵対するボスのバック・マリガン(アイリッシュ名前だからムリガンではなくマリガンでしょう)も生花店経営者と、何ら犯罪組織らしき背景は描かれておらず、豪奢なダンス・パーティーのシークエンスなどもありますが'20年代のバブル景気の世相描写ではあっても犯罪とは関係なさそうです。本作に較べればマフィアによる移民の人身売買を描いたG・L・タッカーの『暗黒街の大掃蕩』'13、ギャング組織に拾われた少年が成人して組織から足抜けする苦労を描いたラオール・ウォルシュの『リゼネレーション』'16の方がよっぽどニューヨークの暗黒面を描いており、タッカーやウォルシュに先んじてグリフィスの短編『ピッグ・アレイの銃士たち』'12がストリート・ギャングの世界を描いて先鞭をつけています。ただしそれらは散発的に現れた題材だったので、本作に続くスタンバーグのギャング映画『非常線』'28(散佚作品)、さらにハワード・ヒューズが製作したルイス・マイルストンの『暴力団』'28ではマフィア問題が描かれて大ヒットし、翌'29年に全米を震撼させたギャング同士の抗争「聖ヴァレンタインの大虐殺」事件がトーキー化した'30年以降のギャング映画ブームを呼び、さかのぼって『暗黒街』がギャング映画の起点とされるようになったと思われます。監督のホークスが原作者のベン・ヘクト自身にシナリオを依頼した『暗黒街の顔役』では社会的視点、反社会的人間像の追求が映画の主眼となっており、それに較べれば本作は単に無法者の小悪党を主人公にした恋愛人情劇でしかありません。西部劇の列車強盗や馬泥棒レベルの犯罪者で、それがたまたま'20年代のニューヨークが舞台というだけです。
それと本作が名作なのはあまり関係ないないので、主人公がブル・ウィード(雑草猛牛)ならその愛人のヒロインはフェザース(羽毛)ですし、アル中で身を持ち崩した副主人公はロールス・ロイスです。キネマ旬報の紹介文を読むとロールス・ロイスには(高級自動車)と割註を入れなければ昭和3年には通じなかったようで、昭和30年代のアメリカ小説の翻訳書でもティッシュ・ペーパー(薄葉紙)と訳してあるのを見かけますから昭和3年にロールス・ロイスが皮肉をこめたニックネームだとピンとこなくても不思議はないでしょう。主要登場人物がすべてニックネーム(バック・マリガンも典型的なアイリッシュ名前だから同様です)なのも『救ひを求むる人々』と同じで、サイレント時代の映画にはスタンバーグに限らず多く使われた様式化で、サイレント映画とトーキー作品ではリアリティの基準が異なるのはこうした面にも表れています。本作のヒロインがフェザースと呼ばれるのはいつも羽根飾りをつけたケープをまとっているからですが、淀川長治氏はスタンバーグの非ハリウッド的センスをヒロインのケープから抜けて宙に舞う羽根をカメラが追う、こんなセンスはそれまでのハリウッドの監督にはなかったと賞賛しています。冒頭は金庫破りしたバンクロフトが目撃者のクライド・ブルックを拾って逃走するカーチェイスでいきなり始まり、「とんだアル中の浮浪者を拾っちまったな」だったら殺せば良さそうなものですが、まあ金庫破りが上手くいって上機嫌だったということでしょう。「これでも弁護士だったんだ」「じゃああんたをロールス・ロイスとでも呼ぼうか」と呵々大笑するバンクロフト。次のシーン、バンクロフトが斡旋したらしき酒場で掃除夫をするロールス・ロイス。バンクロフトが愛人のイヴリン・ブレントを連れて現れ、「バック・マリガンが来てやがる」そのマリガンが床の痰壺に10ドル札を捨ててロールス・ロイスに「やるよ。拾いな」と、まるでホークスの『リオ・ブラボー』'59でディーン・マーティンが侮辱されるシーンの先取りをされるのですが、『リオ・ブラボー』の脚本はジュールス・ファースマンで『非常線』以降のスタンバーグの脚本家、本作の脚本家チャールズ・ファースマンは同一人物かと思いきやスタンバーグのトーキー第1作『サンダーボルト』はチャールズとジュールスの両ファースマンの共作で、血縁者かどうかわかりませんが接点はあったわけです。いろいろあってバンクロフトが次の宝石強盗をしてマリガンに偶然容疑がかかり、バンクロフトの得意なコイン曲げ(酒場のシーンで伏線済み)を証拠にマリガンの密告がこじれて殺人事件に発展してバンクロフト逮捕、死刑判決という過程でブルックとブレントが恋に落ち、しかし裏切れないとバンクロフトの脱走計画を立てるのですが、バンクロフトは手下(一応いる)からロールス・ロイスとフェザースの仲を聞いてしまう。そしてバンクロフトが自分から脱走してしまって派手な銃撃戦を経て男と男の友情と信頼を確かめるしみじみ感動的なラストシーンになるのですが、例外的に非情な『暗黒街の顔役』よりも男の友情もののハワード・ホークス映画みたいな結末です。酒場、ダンス・パーティー、宝石店強盗、法廷シーン、監獄で刑務官とのがらんとした廊下での格子越しのチェス、バンクロフトの脱走を駅の待合室で待つブルック、バンクロフト宅に立てこもった銃撃戦、そして一転して静まり返ったラストなど、場面転換ごとに映像が訴えかけてくる音響効果が鮮やかで、サイレント映画なのに一貫してシーンごとにふさわしい物音が聞こえてくる場面構成と映像センスの切れは『救ひを求むる人々』から本作で一気に飛躍的に高まった観があります。ギャング映画とは言えなくてもこの題材を描いたのはまさに様々なシチュエーションのコントラストから映像の色彩感を多彩にして映像そのものからサウンド効果を引き出そうとしたものと思え、これは作品ごとに異なる文化圏を舞台にしたトーキー時代のマレーネ・ディートリッヒ主演映画でも変わらない発想で、スタンバーグの関心は社会的関心からではなく審美的興味からであることで一貫しており、その審美的指向の強さがスタンバーグに一時代を築かせもし、急速な凋落を招きもしたという気がします。
●3月16日(金)
『紐育(ニューヨーク)の波止場』The Docks of New York (Paramount, 1928)*76min, B/W, Silent, 日本公開昭和4年(1929年)1月6日・キネマ旬報外国映画ベストテン第1位 ; https://youtu.be/ALpcMoS5GY0
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より)「ショウ・ダウン」「非常線」に次ぐジョージ・パンクロフト氏主演映画で「つばさ」「空行かば」の作者ジョン・モンク・ソーンダース氏作の物語を「非常線」「肉体の道」のジュールス・フォースマン氏が脚色し「非常線」「最後の命令」のジョセフ・フォン・スタンバーグ氏が監督したものである。助演者は「煩悩」「君が為め命捧げん」のベティー・カンプソン嬢、「忘れられた顔」「罪の街」のオルガ・バクラノヴァ嬢、「ミシガン小僧」のミッチャエル・ルイス氏、「鉄条網」のクライド・クック氏、「パラウー」のグスタフ・フォン・セイファーティッツ氏等である。
○あらすじ(同上) ビル・ロバーツ(ジョージ・バンクロフト)は古ぼけた貨物船の一火夫である。船がニューヨークの波止場に着くとその夜彼は一夜の遊を購うべく上陸した。そして折柄投身した若い女を救いあげ波止場の水夫宿に連れ込んだ。女はメイ(ベティー・カンプソン)といって水夫達を相手に堕落の生活を送っていて世をはかなんだものだが、ビルに救われ小綺麗な着物を興えられると根が善良な女だけに頼もしい気が起こるのだった。階下の酒場に食事に行き、ビルの無敵の威力を見るとメイの心は益々傾いた。ビルもメイの美しさに心をひかれる。ビルの上司たる三等機関士(ミッチェル・ルイス)は上陸するや妻(オルガ・バクラノヴァ)の不貞を目撃して妻を疎ずる気持ちが更に加わり棄てる心算になった。そしてメイに懸想したが忽ちビルに打ちのめされ、酷い目にあうところを妻の為に免れた。酔払ったビルはメイと結婚式を挙げると言いだし、メイは半信半疑のうちにも悦び、遂に祈祷書のハリ(グスタフ・フォン・セイファーティッツ)という救世軍師官に結婚させて貰った。翌朝ビルはメイが眼を醒ます前に立ち去った。それを見届けた三等機関士はメイを手込めにしようとしたが嫉妬と復讐心とに駆られた妻のために射殺されてしまった。ビルは騒動が起こったので引き返しメイが拘引されようとするのを護った。併し下手人が直ぐ自首したので騒ぎは静まりビルは乗船してニューヨークを去ろうとしたが、ビルは本当にメイを愛していることを覚り海中に飛び込んで波止場に泳ぎ帰った。そして彼が昨夜与えた着物を盗んだというのでメイが軽罪裁判所に引かれて行ったことを知り自首して出て告白した。彼は60日の禁固を宣告された。60日の航海は長くはないが待って呉れるかと言うと、メイは何時までも待っていますと答えるのだった。
パラマウント専属後『暗黒街』翌年の『最後の命令 (The Last Command)』'28(フィルム現存)、『非常線 (The Dragnet)』'28(散佚作品)を挟んだ通算第7作。「スタンバーグ監督=ジョージ・バンクロフト主演のコンビは『暗黒街』等のギャングもので名声をあげたが、これは趣向を変え、鴎飛ぶ夜の波止場に、汽船の釜焚きと娼婦とのうらぶれた、しかし純情な恋を扱って成功している」(筈見恒夫『映画作品辞典』)。ついにベストテン第1位。これがどれだけ高い評価だったかというと、第2位ムルナウ『四人の悪魔』、第3位ウェルマン『人生の乞食』、第4位ラング『メトロポリス』、第5位フィオードル・オツェブ『生ける屍』第6位シェードサック=クーパー『四枚の羽根』、第7位ドライヤー『裁かるゝジャンヌ』、第8位スタンバーグ『女の一生』、第9位ルビッチ『思ひ出』、第10位パウル・フィヨス『都会の哀愁』で、日本映画第1位が2年連続でマキノ正博『首の座』というサイレント映画も熟れきった、トーキー時代直前の爛熟期最後の年だったことでもスタンバーグの人気がわかります。映画好きだった萩原朔太郎の書簡集にもスタンバーグの『女の一生』を観に行った話題が出てきて、同作はムルナウの『四人の悪魔』同様散佚作品になってしまいましたが、「帝政華やかなオーストリイの、貧しいハンガリアの百姓娘が、貴族に欺されて子供を生んで苦労の果てが、やがて戦争のために国家の名によってその子までとりあげられる女の一生。ジョセフ・フォン・スタンバーグの監督はサイレント映画の最後を飾るにふさわしい」(筈見恒夫『映画作品辞典』)というものだそうです。『最後の命令』はロシア系ハリウッド監督が新作映画にロシア革命時に帝国軍将軍だった老人(エミール・ヤニングス)をエキストラ(ハリウッドには訳ありの亡命移民や失業者を主とする数千人のエキストラ登録簿がありました)から起用したのを発端に10年前のロシア革命時に革命軍と戦い捕虜にされた老人の過去がフラッシュ・バックで語られ、革命軍の女性に処刑から助けられたが女性の方は事故死してしまって自分はアメリカに亡命してきた。監督は老人の心境を理解して老人を将軍役にロシア革命の映画を作り、撮影完了とともに老人は「最後の使命を果たした」とつぶやいて死ぬ、という話でした。その『最後の命令』と犯罪者対刑事ドラマとされる『非常線』(散佚作品)は『暗黒街』より落ちる、という評判でしたが、本作以来8本(のちのホークス作品と同数です)のスタンバーグ作品の脚本に関わるジュールス・ファースマンがついに脚本家に起用されたのが本作『紐育の波止場』で、『暗黒街』と『最後の命令』では曲折に富んだ展開だったのを思い切って『救ひを求むる人々』とまではいかないまでもグッとシンプルな内容に凝縮した作品になりました。ムルナウの『サンライズ』'27の影響力は大きくジョン・フォード(『四人の息子』'28)やハワード・ホークス(『雲晴れて愛は輝く』'27)も『サンライズ』からの影響とフォードやホークス自身が語っていますが、一組のカップルの運命だけに的を絞ってかりそめの愛が真実の愛に変わっていく内容で、やはり『サンライズ』の影響下に生まれたと思われるスウェーデン出身のシェーストレムの名作『風』'28、キング・ヴィダーの『群衆』'28とも似た感触があります。これらはボーゼージの『第七天国』'27、エイゼンシュテインの『十月』'27、アベル・ガンスの『ナポレオン』'27、『ロイドのスピーディー』'28、『キートンの蒸気船』'28、『チャップリンのサーカス』'28、ウェルマンの『人生の乞食』'28、キャプラの『陽気な踊り子』'28、マルセル・レルビエの『金』'28、ジャン・エプスタン『アッシャー家の崩壊』'28、ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』、ジガ・ヴェルトフ『カメラを持った男』'29、ヨーエ・マイ『アスファルト』'29、G・W・パプスト『パンドラの箱』'29などとともにサイレント映画がトーキーに取って代わられる直前のサイレント映画の熟成した名作群ですが、サイレント技法の極致を示しているために(1)すでにサウンド映画の映像感覚を先取りしている面と、(2)サウンド映画とは異なるサイレント映画のリアリティを突き詰めていてトーキー以降の映画観客にはトーキーのリアリティを基準に観ると強引で不自然に見える点がある、という両面があります。もっとも大きい点として登場人物の性格描写を映像のみで示して劇的な変化をことさら説明しないためトーキーの人物描写に馴れた観客には展開が不自然で唐突に見える。日本のように設備の普及が遅れて1935年までトーキーとサイレント映画の新作が拮抗していた国では'30年代のサイレント映画は十分トーキーの観客にも違和感ない説得力を備えているのですが、アメリカでは'28年~'29年にはほぼ完全、他のヨーロッパ諸国でも'30年~'32年までにはトーキー化は完了したので、トーキーが迎えられると一斉にサイレント映画の上映が行われなくなり、スタンバーグの『非常線』や『女の一生』、ムルナウの『四人の悪魔』のように、つい数年前の新作すら再上映の見込みなしとしてプリントが破棄されてしまったという事態になりました。
ずばり『サンライズ』『風』や本作が名作中の名作なのに引っかかる点は、主人公やヒロインの心理描写が直接的に説明されないため心変わりや行動が非常に唐突に見えるという難点にあります。『裁かるゝジャンヌ』は極端に実験的な手法で押し切っていましたが、『サンライズ』『風』や本作はトーキー=サウンド映画に映像的には肉薄しているだけにトーキーのような俳優の台詞まわしによる心理の変化が欠けている分、筋の運びに強引さを覚える。これは難しい問題で、サイレント映画の発展から追ってきた観客には達成と見えるものがトーキーからさかのぼって見るトーキー以降の観客にはサイレント映画とトーキーとの断絶と見えるのです。本作を下敷きにした成瀬巳喜男のサイレント作品『夜ごとの夢』'33(キネマ旬報ベストテン第3位)では日本映画はサイレント/トーキー平行時代ですからサイレント映画の表現を使いながらも丹念な性格描写と入念な筋立てでトーキー以降の観客にも説得力のある映画になっています。本作の主人公の蒸気船の火夫を演じるジョージ・バンクロフトはヴィクター・マクラグレン似、つまりジョン・ウェインに連なる系統の俳優で『暗黒街』でもどこかお人好しだったように人情に篤いがっしりしたアメリカ男のタイプを体現する好漢役が似合い、『暗黒街』から前作までヒロインだったイヴリン・ブレントに代わって本作のヒロインは当時バンクロフトより格上の人気女優ベティ・コンプソンが勤めていますが、『救ひを求むる人々』のジョージア・ヘイル、イヴリン・ブレント、本作のコンプソンともども額と頬骨の張り、脚線美などマレーネ・ディートリッヒに行き着くスタンバーグの女優の好みがわかります。バンクロフトもコンプソンも素晴らしい演技と存在感で、台詞字幕でなくそのたたずまいに見入っていれば最下層の社会に生きる孤独な男女の戯れの恋が真剣な愛情に変化していく推移に十分納得がいき、まずコンプソンが真剣に人生をやり直すのに向き合い、曲折があってようやくバンクロフトもコンプソンと真剣な愛を誓い合うことになります(成瀬の『夜ごとの夢』は同じ設定からまったく別の結末に向かう作品に仕上げられました)。微妙な心理の推移を台詞や説明字幕によって解説しないため、サウンド映画のトーキーでは何となく見ていても言葉によって補足されるものが全面的に映像だけによって示されるために観客には高い集中力が要求されます。『救ひを求むる人々』にすでに見られ(その時点ではインディー映画の技術的制約による素朴リアリズムと解されましたが)、『暗黒街』や本作にはっきり技法として使われるパーティー会場の果てしない長い横移動(必ず下手から上手に流れるのも特徴)のカットと人物や物をピックアップする短いショットの切り返し、1カットでのロングからアップへの寄りなど撮影はいよいよ鮮やかで、掲載したスチール写真のB/W映像の美しさ、見事な構図をご覧ください。グリフィス映画のビリー・ビッツァーから連なるB/W撮影のロー・キーの色彩設計と映像からサウンドを感じさせる多彩な場面転換と場面構成、長短さまざまなカットの組み合わせはここで頂点に達し、サイレント時代はもちろんトーキー以後も日本映画のお手本になったのです。内容的には本作は『暗黒街』でつかんだメジャー会社規模での演出・撮影技法を応用した成人版『救ひを求むる人々』で、『救ひを求むる人々』が過剰なセットや撮影技法を排して素朴リアリズムを意図した作品などではなかったのを証明する、地味な題材を地味に見えるが凝りまくったセット、技巧を凝らした撮影によって渋い美しさをしぼり出した作品に結実したのが本作で、サイレント映画究極の到達点を示す名作中の名作です。ベルイマンの『愛欲の港』'48は'30年代フランス映画と'40年代フィルム・ノワール、イタリアのネオ・レアリズモを経た本作の改作と言えるものです(同作には『モロッコ』からのいただきもあります)。次作でスタンバーグのサイレント最終作になった『女の一生』のフィルム散佚が惜しまれてなりません。