(大正13年=1924年5月26日、長女桃子満1歳の誕生日に。重吉26歳、妻とみ子19歳)
大正14年(1925年)8月1日・新潮社刊
無教会派クリスチャンの信仰を八木が選んだのも人づきあいの苦手な八木の性格もあるでしょうが、透谷や内村鑑三ら真摯な信仰ゆえにキリスト教教会組織から追放された先人たちの例をよく知っていたからでしょう。同じように暮鳥も教会組織からの冷遇に苦しんだ伝道師詩人で、大正13年秋に3年前から書き溜め書き続けてていた小詩集40冊あまりから初の公刊詩集『秋の瞳』の選出・編纂に取りかかっていた八木にとって12月の暮鳥の逝去はどう受けとられたか、また翌月発売された暮鳥詩集『雲』に『秋の瞳』編纂中の八木がどんな感想を抱いたかは八木自身からは書き残されていないのは前述の通りです。八木はおそらく、
しつかりと
にぎつてゐた手を
ひらいてみた
ひらいてみたが
なんにも
なかつた
しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである
それをまた
ひらかせたのも
さびしさである
(「手」全行)
また蜩(ひぐらし)のなく頃となつた
かな かな
かな かな
どこかに
いい国があるんだ
(「ある時」全行)
のような詩にはまるで八木自身の詩のような親しみを覚えたでしょうし、またマンガ家谷岡ヤスジの晩年の作品のような、
かうもりが一本
地べたにつき刺されて
たつてゐる
だあれもゐない
どこかで
雲雀(ひばり)が鳴いてゐる
ほんとにだれもゐないのか
首を廻してみると
ゐた、ゐた
いいところをみつけたもんだな
すぐ土手下の
あの新緑の
こんもりした灌木のかげだよ
ぐるりと尻をまくつて
しやがんで
こつちをみてゐる
(「野糞先生」全行)
うつとりと
野糞をたれながら
みるともなしに
ながめる青空の深いこと
なんにもおもはず
粟畑のおくにしやがんでごらん
まつぴるまだが
五日頃の月がでてゐる
ぴぴぴ ぴぴ
ぴぴぴぴ
ぴぴぴぴ
どこかに鶉がゐるな
(「ある時」全行)
にはとても自分には書けないなあと思ったでしょうし、
たうもろこしの花が
つまらなさうにさいてゐる
あはははは
だれだ
わらつたりするのは
まつぴるまの
砂つぽ畠だ
(「ある時」全行)
いいお天気ですなあ
とまた
しばらくでしたなあ
おや、どこだらう
たしかにいまのは
榲椋(まるめろ)の声だつたが……
(「おなじく」全行)
の童心、また「赤い林檎」連作の内省には目を見張ったでしょうし、また、
宗教などといふものは
もとよりないのだ
ひよろりと
天をさした一本の紫苑よ
(「ある時」全行)
や法華経への言及には、他でもない暮鳥の詩だけに大きな衝撃を受けたと思われます。ほぼ当分に3回に分けてご紹介しましたが、詩集『雲』は前半1/3、中盤1/3も佳編ぞろいですが、前半2/3を受けた後半1/3の密度と充実には初期の傑作詩集『聖三稜玻璃』、中期の大作詩集『風は草木にささやいた』をしのぐ一世一代の大手腕を感じます。それは八木より少し年長の宮澤賢治、八木より10歳あまり年少の中原中也ら早逝詩人についても言える詩人としての臀力、スケールの大きさであり、もっとも若くして亡くなった八木には獲得し得なかったものです。
*
山村暮鳥詩集『雲』
大正14年(1925年)1月25日・イデア書房刊
藤の花
ながながと藤の花が
深い空からぶらさがつてゐる
あんまり腹がへつてゐるので
わらふこともできないで
それを下から見あげてゐる
ゆらりとしてみろ
ほんとに
食べたいやうな花だが
食べられるものでないから
寂しいんだ
ある時
ばらばらと
雨が三粒
……けふは何日だつけなあ
ある時
木蓮の花が
ぽたりとおちた
まあ
なんといふ
明るい大きな音だつたらう
さやうなら
さやうなら
ある時
ほのぼのと
どこまで明るい海だらう
それでも溺れようとはせず
ちりり
ちりりり
ちどりはちどりで
まつぴるまを
鬼ごつこなんかしてゐる
野糞先生
かうもりが一本
地べたにつき刺されて
たつてゐる
だあれもゐない
どこかで
雲雀(ひばり)が鳴いてゐる
ほんとにだれもゐないのか
首を廻してみると
ゐた、ゐた
いいところをみつけたもんだな
すぐ土手下の
あの新緑の
こんもりした灌木のかげだよ
ぐるりと尻をまくつて
しやがんで
こつちをみてゐる
手
しつかりと
にぎつてゐた手を
ひらいてみた
ひらいてみたが
なんにも
なかつた
しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである
それをまた
ひらかせたのも
さびしさである
ほうほう鳥
やつぱりほんとうの
ほうほう鳥であつたよ
ほう ほう
ほう ほう
こどもらのくちまねでもなかつた
山のおくの
山の聲であつたよ
*
ほう ほう
ほう ほう
山奧のほそみちで
自分もないてる
ほうほう鳥もないてる
*
自分もそこにもゐて
ふと鳴いてるとおもはれたよ
ほう ほう
ほう ほう
*
ほう ほう
ほう ほう
ほんとうのほうほう鳥より
自分のはうが
どうやら
うまく鳴いてゐる
あんまりうまく鳴かれるので
ほんとうのほうほう鳥は
ひつそりと
だまつてしまつた
まつぼつくり
山のおみやげ
まつぼつくり
ぼつくり
ころころ
ころげだせ
お昼餉(ひる)だよう
鉄瓶の下さたきつけろ
読経
くさつぱらで
野良犬に
自分は法華経をよんできかせた
蜻蛉(とんぼ)もぢつときいてゐた
だが犬めは
つまらないのか、感じたのか
尻尾もふつてはみせないで
そしてふらりと
どこへともなくいつてしまつた
蚊柱
蚊柱よ
蚊柱よ
おまへたちもそこで
その夕闇のなかで
読経でもしてゐるのか
みんないつしよに
まあ、なんといふ荘厳な
ある時
また蜩(ひぐらし)のなく頃となつた
かな かな
かな かな
どこかに
いい国があるんだ
ある時
松の葉がこぼれてゐる
どこやらに
一すぢの
風の川がある
ある時
くもの巣
松の落葉が
いい気持さうに
ひつかかつてゐる
あ、びつくりした
昼、日中
ある時
たうもろこしの花が
つまらなさうにさいてゐる
あはははは
だれだ
わらつたりするのは
まつぴるまの
砂つぽ畠だ
ある時
宗教などといふものは
もとよりないのだ
ひよろりと
天をさした一本の紫苑よ
ある時
うつとりと
野糞をたれながら
みるともなしに
ながめる青空の深いこと
なんにもおもはず
粟畑のおくにしやがんでごらん
まつぴるまだが
五日頃の月がでてゐる
ぴぴぴ ぴぴ
ぴぴぴぴ
ぴぴぴぴ
どこかに鶉がゐるな
ある時
こどもたちを
叱りつけてでもゐるのだらう
竹藪の上が
あさつぱらから
明るくなつたり
暗くなつたりしてゐる
ほんとに冬の雀らである
ある時
まづしさを
よろこべ
よろこべ
冬のひなたの寒菊よ
ひとりぼつちの暮鳥よ、蠅よ
ある時
その声でしみじみ
螽斯(こほろぎ)、螽斯(こほろぎ)
わたしは読んでもらひたいんだ
おまえ達もねむれないのか
わたしは
わたしは
あの好きな比尼母経(びにもきやう)がよ
ある時
まよなか
尿(せうべん)に立つておもつたこと
まあ、いつみても
星の綺麗な
子どもらに
一掴みほしいの
ふるさと
淙々として
天(あま)の川がながれてゐる
すつかり秋だ
とほく
とほく
豆粒のやうなふるさとだのう
いつとしもなく
いつとしもなく
めつきりと
うれしいこともなくなり
かなしいこともなくなつた
それにしても野菊よ
真実に生きようとすることは
かうも寂しいものだらう
ある時
沼の真菰の
冬枯れである
むぐつちよに
ものをたづねよう
ほい
どこいつたな
りんご
両手をどんなに
大きく大きく
ひろげても
かかへきれないこの気持
林檎が一つ
日あたりにころがつてゐる
赤い林檎
林檎をしみじみみてゐると
だんだん自分も林檎になる
おなじく
ほら、ころがつた
赤い林檎がころがつた
な!
嘘嘘嘘
その嘘がいいぢやないか
おなじく
おや、おや
ほんとにころげでた
地震だ
地震だ
赤い林檎が逃げだした
りんごだつて
地震はきらひなんだよう、きつと
おなじく
林檎はどこにおかれても
うれしさうにまつ赤で
ころころと
ころがされても
怒りもせず
うれしさに
いよいよ
まつ赤に光りだす
それがさびしい
おなじく
娘達よ
さあ、にらめつこをしてごらん
このまつ赤な林檎と
おなじく
くちつけ
くちつけ
林檎をおそれろ
林檎にほれろ
おなじく
こどもよ
こどもよ
赤い林檎をたべたら
お美味いしかつたと
いつてやりな
おなじく
どうしたらこれが憎めるか
このまつ赤な林檎が……
おなじく
林檎はびくともしやしない
そのままくさつてしまへばとて
おなじく
ふみつぶされたら
ふみつぶされたところで
光つてゐる林檎さ
おなじく
こどもはいふ
赤い林檎のゆめをみたと
いいゆめをみたもんだな
ほんとにいい
いつまでも
わすれないがいいよ
大人おとなになつてしまへば
もう二どと
そんないい夢は見られないんだ
おなじく
りんごあげよう
転がせ
子どもよ
おまへころころ
林檎もころころ
おなじく
さびしい林檎と
遊んでおやり
おう、おう、よい子
おなじく
林檎といつしよに
ねんねしたからだよ
それで
わたしの頬つぺも
すこし赤くなつたの
きつと、さうだよ
店頭にて
おう、おう、おう
ならんだ
ならんだ
日に焼けた
聖フランシス様のお顔が
ずらりとならんだ
綺麗に列んだ
おなじく
銭で売買されるには
あんまりにうつくしすぎる
店のおかみさん
こんなまつ赤な林檎だ
見も知らない人なんかに
売つてやりたくなくはありませんか
おなじく
いいお天気ですなあ
とまた
しばらくでしたなあ
おや、どこだらう
たしかにいまのは
榲椋(まるめろ)の声だつたが……
(詩集『雲』完)
(引用詩のかな遣いは原文に従い、用字は当用漢字に改め、明らかな誤植は訂正しました。
大正14年(1925年)8月1日・新潮社刊
無教会派クリスチャンの信仰を八木が選んだのも人づきあいの苦手な八木の性格もあるでしょうが、透谷や内村鑑三ら真摯な信仰ゆえにキリスト教教会組織から追放された先人たちの例をよく知っていたからでしょう。同じように暮鳥も教会組織からの冷遇に苦しんだ伝道師詩人で、大正13年秋に3年前から書き溜め書き続けてていた小詩集40冊あまりから初の公刊詩集『秋の瞳』の選出・編纂に取りかかっていた八木にとって12月の暮鳥の逝去はどう受けとられたか、また翌月発売された暮鳥詩集『雲』に『秋の瞳』編纂中の八木がどんな感想を抱いたかは八木自身からは書き残されていないのは前述の通りです。八木はおそらく、
しつかりと
にぎつてゐた手を
ひらいてみた
ひらいてみたが
なんにも
なかつた
しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである
それをまた
ひらかせたのも
さびしさである
(「手」全行)
また蜩(ひぐらし)のなく頃となつた
かな かな
かな かな
どこかに
いい国があるんだ
(「ある時」全行)
のような詩にはまるで八木自身の詩のような親しみを覚えたでしょうし、またマンガ家谷岡ヤスジの晩年の作品のような、
かうもりが一本
地べたにつき刺されて
たつてゐる
だあれもゐない
どこかで
雲雀(ひばり)が鳴いてゐる
ほんとにだれもゐないのか
首を廻してみると
ゐた、ゐた
いいところをみつけたもんだな
すぐ土手下の
あの新緑の
こんもりした灌木のかげだよ
ぐるりと尻をまくつて
しやがんで
こつちをみてゐる
(「野糞先生」全行)
うつとりと
野糞をたれながら
みるともなしに
ながめる青空の深いこと
なんにもおもはず
粟畑のおくにしやがんでごらん
まつぴるまだが
五日頃の月がでてゐる
ぴぴぴ ぴぴ
ぴぴぴぴ
ぴぴぴぴ
どこかに鶉がゐるな
(「ある時」全行)
にはとても自分には書けないなあと思ったでしょうし、
たうもろこしの花が
つまらなさうにさいてゐる
あはははは
だれだ
わらつたりするのは
まつぴるまの
砂つぽ畠だ
(「ある時」全行)
いいお天気ですなあ
とまた
しばらくでしたなあ
おや、どこだらう
たしかにいまのは
榲椋(まるめろ)の声だつたが……
(「おなじく」全行)
の童心、また「赤い林檎」連作の内省には目を見張ったでしょうし、また、
宗教などといふものは
もとよりないのだ
ひよろりと
天をさした一本の紫苑よ
(「ある時」全行)
や法華経への言及には、他でもない暮鳥の詩だけに大きな衝撃を受けたと思われます。ほぼ当分に3回に分けてご紹介しましたが、詩集『雲』は前半1/3、中盤1/3も佳編ぞろいですが、前半2/3を受けた後半1/3の密度と充実には初期の傑作詩集『聖三稜玻璃』、中期の大作詩集『風は草木にささやいた』をしのぐ一世一代の大手腕を感じます。それは八木より少し年長の宮澤賢治、八木より10歳あまり年少の中原中也ら早逝詩人についても言える詩人としての臀力、スケールの大きさであり、もっとも若くして亡くなった八木には獲得し得なかったものです。
*
山村暮鳥詩集『雲』
大正14年(1925年)1月25日・イデア書房刊
藤の花
ながながと藤の花が
深い空からぶらさがつてゐる
あんまり腹がへつてゐるので
わらふこともできないで
それを下から見あげてゐる
ゆらりとしてみろ
ほんとに
食べたいやうな花だが
食べられるものでないから
寂しいんだ
ある時
ばらばらと
雨が三粒
……けふは何日だつけなあ
ある時
木蓮の花が
ぽたりとおちた
まあ
なんといふ
明るい大きな音だつたらう
さやうなら
さやうなら
ある時
ほのぼのと
どこまで明るい海だらう
それでも溺れようとはせず
ちりり
ちりりり
ちどりはちどりで
まつぴるまを
鬼ごつこなんかしてゐる
野糞先生
かうもりが一本
地べたにつき刺されて
たつてゐる
だあれもゐない
どこかで
雲雀(ひばり)が鳴いてゐる
ほんとにだれもゐないのか
首を廻してみると
ゐた、ゐた
いいところをみつけたもんだな
すぐ土手下の
あの新緑の
こんもりした灌木のかげだよ
ぐるりと尻をまくつて
しやがんで
こつちをみてゐる
手
しつかりと
にぎつてゐた手を
ひらいてみた
ひらいてみたが
なんにも
なかつた
しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである
それをまた
ひらかせたのも
さびしさである
ほうほう鳥
やつぱりほんとうの
ほうほう鳥であつたよ
ほう ほう
ほう ほう
こどもらのくちまねでもなかつた
山のおくの
山の聲であつたよ
*
ほう ほう
ほう ほう
山奧のほそみちで
自分もないてる
ほうほう鳥もないてる
*
自分もそこにもゐて
ふと鳴いてるとおもはれたよ
ほう ほう
ほう ほう
*
ほう ほう
ほう ほう
ほんとうのほうほう鳥より
自分のはうが
どうやら
うまく鳴いてゐる
あんまりうまく鳴かれるので
ほんとうのほうほう鳥は
ひつそりと
だまつてしまつた
まつぼつくり
山のおみやげ
まつぼつくり
ぼつくり
ころころ
ころげだせ
お昼餉(ひる)だよう
鉄瓶の下さたきつけろ
読経
くさつぱらで
野良犬に
自分は法華経をよんできかせた
蜻蛉(とんぼ)もぢつときいてゐた
だが犬めは
つまらないのか、感じたのか
尻尾もふつてはみせないで
そしてふらりと
どこへともなくいつてしまつた
蚊柱
蚊柱よ
蚊柱よ
おまへたちもそこで
その夕闇のなかで
読経でもしてゐるのか
みんないつしよに
まあ、なんといふ荘厳な
ある時
また蜩(ひぐらし)のなく頃となつた
かな かな
かな かな
どこかに
いい国があるんだ
ある時
松の葉がこぼれてゐる
どこやらに
一すぢの
風の川がある
ある時
くもの巣
松の落葉が
いい気持さうに
ひつかかつてゐる
あ、びつくりした
昼、日中
ある時
たうもろこしの花が
つまらなさうにさいてゐる
あはははは
だれだ
わらつたりするのは
まつぴるまの
砂つぽ畠だ
ある時
宗教などといふものは
もとよりないのだ
ひよろりと
天をさした一本の紫苑よ
ある時
うつとりと
野糞をたれながら
みるともなしに
ながめる青空の深いこと
なんにもおもはず
粟畑のおくにしやがんでごらん
まつぴるまだが
五日頃の月がでてゐる
ぴぴぴ ぴぴ
ぴぴぴぴ
ぴぴぴぴ
どこかに鶉がゐるな
ある時
こどもたちを
叱りつけてでもゐるのだらう
竹藪の上が
あさつぱらから
明るくなつたり
暗くなつたりしてゐる
ほんとに冬の雀らである
ある時
まづしさを
よろこべ
よろこべ
冬のひなたの寒菊よ
ひとりぼつちの暮鳥よ、蠅よ
ある時
その声でしみじみ
螽斯(こほろぎ)、螽斯(こほろぎ)
わたしは読んでもらひたいんだ
おまえ達もねむれないのか
わたしは
わたしは
あの好きな比尼母経(びにもきやう)がよ
ある時
まよなか
尿(せうべん)に立つておもつたこと
まあ、いつみても
星の綺麗な
子どもらに
一掴みほしいの
ふるさと
淙々として
天(あま)の川がながれてゐる
すつかり秋だ
とほく
とほく
豆粒のやうなふるさとだのう
いつとしもなく
いつとしもなく
めつきりと
うれしいこともなくなり
かなしいこともなくなつた
それにしても野菊よ
真実に生きようとすることは
かうも寂しいものだらう
ある時
沼の真菰の
冬枯れである
むぐつちよに
ものをたづねよう
ほい
どこいつたな
りんご
両手をどんなに
大きく大きく
ひろげても
かかへきれないこの気持
林檎が一つ
日あたりにころがつてゐる
赤い林檎
林檎をしみじみみてゐると
だんだん自分も林檎になる
おなじく
ほら、ころがつた
赤い林檎がころがつた
な!
嘘嘘嘘
その嘘がいいぢやないか
おなじく
おや、おや
ほんとにころげでた
地震だ
地震だ
赤い林檎が逃げだした
りんごだつて
地震はきらひなんだよう、きつと
おなじく
林檎はどこにおかれても
うれしさうにまつ赤で
ころころと
ころがされても
怒りもせず
うれしさに
いよいよ
まつ赤に光りだす
それがさびしい
おなじく
娘達よ
さあ、にらめつこをしてごらん
このまつ赤な林檎と
おなじく
くちつけ
くちつけ
林檎をおそれろ
林檎にほれろ
おなじく
こどもよ
こどもよ
赤い林檎をたべたら
お美味いしかつたと
いつてやりな
おなじく
どうしたらこれが憎めるか
このまつ赤な林檎が……
おなじく
林檎はびくともしやしない
そのままくさつてしまへばとて
おなじく
ふみつぶされたら
ふみつぶされたところで
光つてゐる林檎さ
おなじく
こどもはいふ
赤い林檎のゆめをみたと
いいゆめをみたもんだな
ほんとにいい
いつまでも
わすれないがいいよ
大人おとなになつてしまへば
もう二どと
そんないい夢は見られないんだ
おなじく
りんごあげよう
転がせ
子どもよ
おまへころころ
林檎もころころ
おなじく
さびしい林檎と
遊んでおやり
おう、おう、よい子
おなじく
林檎といつしよに
ねんねしたからだよ
それで
わたしの頬つぺも
すこし赤くなつたの
きつと、さうだよ
店頭にて
おう、おう、おう
ならんだ
ならんだ
日に焼けた
聖フランシス様のお顔が
ずらりとならんだ
綺麗に列んだ
おなじく
銭で売買されるには
あんまりにうつくしすぎる
店のおかみさん
こんなまつ赤な林檎だ
見も知らない人なんかに
売つてやりたくなくはありませんか
おなじく
いいお天気ですなあ
とまた
しばらくでしたなあ
おや、どこだらう
たしかにいまのは
榲椋(まるめろ)の声だつたが……
(詩集『雲』完)
(引用詩のかな遣いは原文に従い、用字は当用漢字に改め、明らかな誤植は訂正しました。