大東亜戦争真っ最中ですでにアジア圏での日本軍の消耗も激しく、さらに太平洋戦争開戦も控えた昭和16年に松竹は特撮映画専門の子会社・興亜映画を設立、時局を睨んだ国威発揚映画として忠臣蔵映画の決定版を企画します。監督に指名された溝口健二の条件は「真山青果版『元禄忠臣蔵』の映画化なら受ける」というものでした。真山版新歌舞伎『元禄忠臣蔵』は文学的評価も高く('80年代には岩波文庫版も刊行)舞台ではヒット作品でしたが、厳密な時代考証による元禄時代の語彙と文法を再現した難解な長台詞、四十七士の討ち入りの場は描かないなど興行的は難色がある要素が多かったもののすでに物資統制下に入っていた状況では他に忠臣蔵映画の大作を引き受ける監督はなく、映画会社すら統合化が進められていた(松竹と並ぶ老舗の日活すら他社と統合されていた)ため松竹としては面子にかけても忠臣蔵映画の製作を実現することになりました。溝口はスタッフを原作者に当たらせてさらに詳しく時代考証を調査させ、実際は畳張りだったという松の廊下を含む実物大の赤穂城内や泉岳寺のセットを作らせ、出演者の前進座(山中貞雄の『河内山宗俊』『人情紙風船』に総出演していたキャストです)は京都撮影所近くの民家に世帯を分けて撮影期間の半年間あまりを京都で生活し、撮影中は休憩時間すら着席や私語すら許されず、前後編3時間50分とはいえ製作費は当時の映画の平均6万円を10倍以上上回る60数万円に上り、松竹社内では製作部門の責任問題に発展し、一方外野では松竹は忠臣蔵映画を口実に物資調達をしていると囁かれる始末で、こうしてこの、アヴァンタイトルに「護れ/興亜の兵の家」と大書きで出て、松竹タイトルの次には「情報局国民映画参加作品」とまた1枚タイトルで出る、クレジットロールには一切カタカナ語が使われない『元禄忠臣蔵』の『前篇』が'41年(昭和16年)12月1日、『後篇』が3か月後の'42年(昭和17年)2月11日に封切られました。『前篇』公開から10日も経たずに太平洋戦争が開戦するという大変な時期で、『元禄忠臣蔵』は興行的にはまったくふるわない大赤字映画になりました。それでも『前篇』は文部大臣賞特賞を受賞し、『後篇』はキネマ旬報ベストテン第7位と評価の上では面目を保った作品になります。題材からも長さからも、今日の観客には本作は溝口映画でも優先順位では後回しにされがちな作品ではないでしょうか。しかし泉鏡花原作の明治もの、『マリアのお雪』など数作の幕末ものより時代背景の古い溝口映画はこれが初めてで、その点では戦後の傑作『西鶴一代女』『雨月物語』『山椒大夫』『近松物語』などの原点とも言える、しかも溝口映画最長を誇る重要作です。時代背景やスケールは大差がありますが神話性では比肩し得るものとして、映画ではアメリカや日本でもヒットしたフリッツ・ラングの『ニーベルンゲン』'24前後編(総計4時間40分)が浮かんでくるほどで、実際本作は'80年(昭和55年)の再公開を機にエピック的大作として海外では『47 Ronin』の国際タイトルで溝口映画中上位の人気があるようです。「なぜ殺し合いを止めないのだ?」「それがドイツ人精神だからです」というすごい台詞が『ニーベルンゲン』にはありましたが、仇討ち話の決定版『忠臣蔵』にも似たような印象があるではありませんか。
●2月22日(木)
『元禄忠臣蔵 前篇』(興亜映画・松竹京都撮影所/松竹'41)*112min, B/W; 昭和16年12月1日公開 : https://youtu.be/P1RvxFlXwQo
○総監督(製作総指揮)・白井信太郎、原作・真山青果、脚本・依田義賢/原健一郎、撮影・杉山公平、美術監督・水谷浩、建築監督・新藤兼人、音楽・深井史郎/新交響楽団、録音・佐々木秀孝、照明者・中島末治郎/三輪正雄/中島宗佐、編集者・久慈孝子、服飾者・川田龍三/奥村喜三郎、技髪者・高木石太郎(以下後篇)
○あらすじ 元禄十四年三月十四日、播州赤穂城主浅野内匠頭(浅野内匠頭)は城内松の廊下で吉良上野介(三桝万豊)に刃傷に及び即切腹となった。その悲報と亡君の辞世が赤穂の城に届く。城代家老大石内蔵助(河原崎長十郎)の幼なじみ井関徳兵衛(羅門光三郎)が仇討ちを訴えるが大石は拒絶し、徳兵衛は息子紋左衛門(坂東春之助)と切腹する。大石は最後の大評定で初めて決死の同志に本心を打ち明ける。それから間もなく、伏見の笠屋では夜な夜な遊女と戯れる大石の姿が見られるようになった。大石の妻おりく(山岸しづ江)は悩み、富森助右衛門(中村翫右衛門)ら浪士は大石の狂態にはがゆさを禁じ得なかったが、甲府宰相徳川綱豊(市川右太衛門)は富森に大石の心中を教え浪士らの軽はずみな行動を戒めるのであった。真山青果の同名戯曲の映画化。文部大臣賞特賞受賞作。
(津村秀夫『溝口健二というおのこ』長崎一編・溝口健二監督作品総リストより)
'80年(昭和55年)のニュープリントによる再ロードショー公開時にはさすがにカットされたようですが(現行DVDではノーカット)、いきなりアヴァンタイトルで「護れ/興亜の兵の家」、松竹映画の社名タイトルの次にまたもや1枚タイトルで「情報局国民映画参加作品」と、本作の成り立ちは堂々と大東亜戦争翼賛映画だったのは考慮しなければならない点です。真山青果(1878-1948)版新歌舞伎『元禄忠臣蔵』は元禄時代の体制下でクーデターに及ぶ大石内蔵助の政治的苦悶を中心に「忠臣蔵」の史実的考察を目的としたハードな内容の文学作品で、日本の自然主義文学が到達した政治考察文学として島崎藤村(1872-1943)の『夜明け前』'29(昭和4年)と肩を並べるものです。意図は藤村の『夜明け前』同様歴史文学の体裁を採りながら時代の政治体制下では大衆がどのような支配下に置かれ、為政者がどれほどの抑圧を受けるかを分析した政治批判的なものでした。真山版『元禄忠臣蔵』の真意は正確に当時の観客に届いていたからこそヒット作となったと思われます。昭和9年2月~16年11月にかけて全10編11作が分割上演された同作は、二・二六事件(昭和11年2月26日)に代表される当時の時局を創作・受容の背景に思い合わせると抵抗文学として実に際どく尖鋭的な内容をはらんだものでした。忠義忠臣賛美の劇とすれば「忠臣蔵」は愛国主義の発揚になりますが描かれた内容は体制下のクーデターとその鎮圧です。作者が託したこの両義性に戦時下の鋭敏な観客が気づかないわけはありませんし、真に「忠臣蔵」を描くとすれば真山版『元禄忠臣蔵』以外にない、と溝口が原作を指定したのも溝口の一流好みもあるでしょうが、原作を読み違えていたわけはありません。しかし原作戯曲や新歌舞伎版上演では高い抽象度で思想性がくっきりと輪郭を現していたものが、映画のリアリティの中では描かれたものが描かれたままに観られてしまう、というギャップが本作の場合良い目に出たか裏目に出たか、そのどちらも表れてしまったのが溝口版『元禄忠臣蔵』にはあります。ラングの『ニーベルンゲン』のようにキリスト教伝播以前、紀元6世紀頃のドイツというほど文化的にも歴史的にも遠い史劇映画ならばともかく、「忠臣蔵」事件は18世紀初頭です。舞台劇の抽象性に較べて映画の具体性は圧倒的で、まず前篇冒頭は赤穂城内中庭に臨む再現された実物大巨大セットの松の廊下(畳張り!)が俯瞰の大ロングではなく人の目よりはやや高い程度からじりじりとパンして移動ショットに移り、浅野内匠頭への侮蔑を訴えながら悠長に歩いてくる吉良上野介を捉えます。いきなり浅野内匠頭が走り出してきて吉良に斬りつける。観客には浅野内匠頭の人物像などまったく何も知らされないうちにこれが映画の冒頭で描かれます。
本作は大石内蔵助が主人公とはいえ役名のある配役だけで登場人物70名に及ぶ群像劇でもありますが、人物の描かれ方は万事この調子でいきなりその場その場の事件だけを見せられていきます。もちろん登場人物間の相談や説明の場面も多く、特に大石の代弁者となって浪士たちに(つまり大石の妻子を筆頭にした作品人物全般や、すべてをひっくるめて観客に)状況や事情の解説をするのが徳川綱豊で、この綱豊は大石に次いで非常に重要な作品人物ですが、綱豊自身も作品人物ゆえに客観的視点人物とはなり得ないので大石や綱豊の忠義忠臣的言動がどこまで遵法的クーデターの意志で、どこからが謀叛の自覚があり、結局大石の思慮は武家の面子と赤穂藩領民保護の両方を立てようとして空転してしまうのですが、苦労衷心した挙げ句の選択とも追い詰められてとも両方に取れる曖昧で矛盾の多い言動が累積しながら映画は進んでいきます。舞台劇であれば観客は常に直接描かれない何重もの意味をくみ取りながら観覧が進んでいくでしょうが、映画では描かれたものがそのまま作中世界の真実で、描かれないものはないものとして進んでいきます。すでに映画冒頭から浅野内匠頭は問答無用で他人を斬りつける人物として描かれて閉まっています。即日切腹という当時の法的感覚自体が狂っているのですが、それも承知で沙汰に及んだと遺言に遺されて「誇り高い名君だった」と慕い、刀を抜いて反撃しなかった吉良に「武士ではない」と仇討ちを誓う赤穂浪士たちも狂っています。藩主の自滅で難民となった赤穂藩の領民の経済的保障を案じる(藩内通貨を公用通貨に両替する)家老らしい大石の政治的配慮も描かれていますが、仇討ちを直訴しに来て退けられると息子ともども切腹心中して訴える大石の幼なじみ、井関徳兵衛(演じる羅門光三郎は中島らもの筆名の由来になった、臭みのある性格俳優です)のエピソードはあまりに生々しく、明らかに赤穂藩を危機に曝した失格政治家は浅野内匠頭なのですが、政敵吉良もまたたちの良くない人物と描かれているとはいえそれが暗殺の根拠とはならないので、この映画は「忠臣蔵」事件に政治的明察を行った真山青果版新歌舞伎『元禄忠臣蔵』を原作としながらも題材をありのままに描いてしまうことで竹田出雲の人形浄瑠璃版『仮名手本忠臣蔵』1748から派生したさまざまな通俗忠臣蔵と見かけ上大差のない、それを映画の巨大スケールで描いたスペクタクル作品にとどめることになった歯がゆい感じが残ります。そういう作品としては本作はイタリア史劇『カビリア』'14やハリウッドの『十誡』'23、『ベン・ハー』'27から『スパリタカス』'60らと肩を並べる大力作で、日本人の矛盾に満ちた情動と政治感覚を丸ごと捉えてそのまま描き出した一大エピックで、これが戦時下に体制翼賛映画として作られ、観客には受けずに興行的には失敗作となり、政府からは文部大臣賞特賞の奨励作品とされた歴史的な暗部がある映画なのも問題を残す結果となったと言えます。前篇は大石が江戸へ上る場面で後篇の不穏さを予感させながら終わり、観客はすでに爽快感のある忠臣蔵を期待はまったくないままもやもやとした気分を持て余すことになります。そしてその予感は後篇でだいたい的中することになります。
●2月23日(金)
『元禄忠臣蔵 後篇』(松竹京都撮影所/松竹'42)*111min, B/W; 昭和17年2月11日公開
○(前篇より)殺陣指導・橘小三郎、演技事務・武末雲二、字幕製作・望月淳、考証=武家建築・大熊喜邦、言語風俗・潁原退蔵、民家建築・藤田元春、時代一般・江馬務、能・初世金剛巌、史実・内海定治郎、風俗・甲斐庄楠音、造園・小川治兵衛、素槍・久保澄雄
○あらすじ 浅野家再興の望みを断たれ、大石はいよいよ江戸へ上ることに決めた。高輪泉岳寺に主君の墓参を済ませた大石は、その足で瑶泉院(三浦光子)を訪ね、さりげない永のいとまを告げるのであった。元禄十五年十二月十四日吉良邸に討入った四十七士は吉良の首級をあげ、見事主君の仇を果した。その処分について是非両論がまき起ったが、彼らを死なせてやるのが武士道と主張したのは綱豊であった。十六年二月三日義士たちは静かに切腹の座に上る。磯貝十郎左衛門(河原崎国太郎)の婚約者おみの(高峰三枝子)は、自分達の婚約が仇討のための策略からであったのかと、小姓に扮して細川邸に入り込んだが、磯貝の肌に秘められた形見の琴爪を見て全てを知り、彼のあとを追って自害する。キネマ旬報ベストテン第7位。
(津村秀夫『溝口健二というおのこ』長崎一編・溝口健二監督作品総リストより)
前篇同様後篇も縦に走る廊下の奥行きを捉えながら、手前の廊下を横に伝い柱を何本も越える長い長いショットで始まります。能楽の音声が聞こえていますからカメラは中庭に開け放たれた一室で行われている舞いの鑑賞に向かい、そのまま左手にパンして前進移動し奥の一室で行われている評定に向かって進んでいき、室内全面を捉えた所でようやくカットが評定中の人物たちの正面に切り替わります。前篇の感想文では落としてしまいましたが、日本映画の難点は戦後かなり経つまでサウンドトラック(音声)が元々かその後の劣化もあってか非常に聞き取りづらく、これも映画監督によりけりか小津安二郎監督作品ではトーキー第1作『一人息子』'36からそれほど聞き取りづらくない。レストア版マスターではなくかなり痛んだ上演用プリントでもそうなので、俳優の発声法について小津は明瞭で古びない台詞の発声を工夫していたということでしょう。戦前の日本映画はサイレントの方がかえって観やすく、トーキーでしかも時代劇だったり現代劇でも新味を狙ったものはイントネーションが聞き取りづらく、松竹のホームドラマ系作品や軽喜劇・現代人情劇の方が現代でも台詞が聞き取れます。戦後~現代でも時代の反映の強い映画ほど台詞に癖があって聞き取りにくく、早い話が古びやすいのですが、溝口の本作の場合元禄の赤穂藩語の忠実な再現という原作戯曲由来のものすごい言語的実験を映画でやっているのでハードルは二重三重に高くなります。真山版戯曲では一つの台詞の中に元禄語の言い回しと標準的な文語文での言い回しを重ねているので意味は取れるのですが、それもはっきり台詞が聞き取れればの話です。本作は現実音以外では能楽のような作中音楽以外はタイトルバック以外ほとんど音楽は使われませんが(まるでヒッチコックやワイラーの映画みたいですが、溝口映画はまさにヒッチコックやワイラーと同時代映画でした)、本作では台詞もほぼ完全に同時録音でしょう。それでこれだけ聞き取れれば当時の技術では大したものかもしれませんが、松竹は小津安二郎作品は社宝にしていてサイレント時代の作品(オリジナルのデザイン字幕タイトルでは読みづらいため)からトーキー作品まで字幕スーパー仕様にもできるDVD化をしていますが溝口の松竹作品には字幕スーパーがつけられていないのです。他の作品はともかく本作だけは特例にして字幕スーパー仕様にしてほしいものです(ブルーレイ化の際まで放置しているのかもしれませんが)。他の溝口作品の1枚物と同じ価格で2枚組の本作を発売している分そこまでできないのかもしれませんが、本作は元々の作品自体に台詞が内容的にもフィルム状態でも聞き取りづらいという問題があります。ひょっとしたら外国語字幕つきで『47 Ronin』の上映やDVDを観ている外国人観客の方がよほど本作の内容を理解しているかもしれません。
本作は前篇では字幕タイトルだけだった場面進行に読み上げるナレーション音声がつくなど、興亜映画製作・松竹配給から製作・配給とも松竹名義に一本化したため観やすさについて多少配慮が加わりましたが、内容は前篇以上に入り組んでおり、直接的な忠義のアピールを強調するシーンが増えて、全体の収拾に向かって進む進行は前篇よりダイナミックなため映画としての完成度は上がったとも言えます。河原崎国太郎演じる磯貝十郎左衛門が能衣装のままの相手との室内での一対一の様式的剣戟場面など見せ場と言える場面もあり、また討入りの場を省略していかに忠臣蔵を見せるかを原作譲りで巧みに語り(しかし討入りを見せないという前提自体が劇では必然性がありますが映画ではなく、溝口の主張は「本物の討入りを再現するのなら吉良役の役者に死んでもらわねばいかんでしょう」というリアリズムの立場だったといいますからとぼけた話です)、討入りを見せない、大石が四十七士に投降を命じる、磯貝十郎左衛門と真意を確かめに男装して小姓になりすます婚約者のおみの(高峰三枝子、VHSパッケージ画像参照)が終盤のエピソードになりますが、いよいよ目立つ戦争翼賛要素と理性的な政治家大石内蔵助像、また大石の意をくむ徳川綱豊のあり方に大きな矛盾があり、ハリウッド映画ですら'30年代初頭のギャング映画で末路まで投降しない反逆者を描いていたのを思うと忠臣蔵と言えど投降しない忠臣蔵、投降せざるを得ない忠臣蔵の描き方の可能性があった。真山版忠臣蔵も時局柄明確に描いていませんが、演劇の抽象性から観客(読者)は人物の内面に踏みこむ鑑賞を迫られます。大石の場合は赤穂藩の民の代弁者として浅野内匠頭の仇討ちを遂行しなければならなかった。「赤穂あっての民ではない、民あっての赤穂だ」と言う意味の台詞があります。浅野家再興の望みが消えても旧赤穂民のコミュニティーは浅野家の赤穂藩にあり、浅野家断絶後も民のアイデンティティを保つために大石と四十七士に求められていたのは吉良への仇討ちであり民のための殉職だった、と一応の解釈ができます。江戸時代の日本は統一国家でも何でもなく藩単位の小国の集まりであり、小国は中央政府の江戸幕府にとっては侵略植民地のようなもので、赤穂浪士の忠臣忠義は徳川家でも皇室でもなく赤穂藩の忠義でしかなかったでしょう。真山版忠臣蔵の描く「元禄」時代の日本人とはそのようなものです。これを出来事だけ描くと「護れ/興亜の兵の家」で「情報局国民映画参加作品」になる。しかし大石内蔵助にとっての「兵の家」の「国民」は赤穂藩の民に限定されるので、難民化して他の君主に分譲される赤穂民の最後の願いをかなえるために討入りを遂行し殉職する動機はむしろ純粋に植民地クーデター首謀者だったでしょう。映画にはそれを考えさせない強い力があり、軍国主義映画というものがあれば本作、特にこの後篇は軍国主義映画そのものですから退屈で嫌悪感を催す雰囲気に満ちています。前篇の哀切な調子は後篇では悲壮感にすら高まっており、合理性を欠いたやせ我慢の美学のような日本的美意識を押しつけて観客を屈服させようとする、いつも強引な溝口映画でもこれほど観客の感受性を蔑視した強引な映画はないというくらい高飛車で傲慢です。ですがそれは平時にあって『元禄忠臣蔵』を観られる現代の観客だから感じられるので、昭和16年の製作時(後篇ではさらに太平洋戦争開戦直後に最終編集が行われたはずです)にこの映画はそれほど強引でなければ作れなかったので、D・W・グリフィスの『イントレランス』'16をベートーヴェンの第5交響曲、ミケランジェロのシスティナ礼拝堂天井画に喩えた評価がありますが、『元禄忠臣蔵』もそれらと同列に並ぶ巨大な作品です。退屈きわまりなく悪趣味この上なく人間性に対する侮辱とすら言えても芸術的基準では大偉業、力業と認めないでは済まない皮肉がある。しかもグリフィスの『イントレランス』やアベル・ガンスの『ナポレオン』'27のようには溝口が格別本作を作りたくて作ったわけではないのが皮肉に輪をかけており、いっそ企画が流れた方が良かったかもしれない映画かもしれないのです。
●2月22日(木)
『元禄忠臣蔵 前篇』(興亜映画・松竹京都撮影所/松竹'41)*112min, B/W; 昭和16年12月1日公開 : https://youtu.be/P1RvxFlXwQo
○総監督(製作総指揮)・白井信太郎、原作・真山青果、脚本・依田義賢/原健一郎、撮影・杉山公平、美術監督・水谷浩、建築監督・新藤兼人、音楽・深井史郎/新交響楽団、録音・佐々木秀孝、照明者・中島末治郎/三輪正雄/中島宗佐、編集者・久慈孝子、服飾者・川田龍三/奥村喜三郎、技髪者・高木石太郎(以下後篇)
○あらすじ 元禄十四年三月十四日、播州赤穂城主浅野内匠頭(浅野内匠頭)は城内松の廊下で吉良上野介(三桝万豊)に刃傷に及び即切腹となった。その悲報と亡君の辞世が赤穂の城に届く。城代家老大石内蔵助(河原崎長十郎)の幼なじみ井関徳兵衛(羅門光三郎)が仇討ちを訴えるが大石は拒絶し、徳兵衛は息子紋左衛門(坂東春之助)と切腹する。大石は最後の大評定で初めて決死の同志に本心を打ち明ける。それから間もなく、伏見の笠屋では夜な夜な遊女と戯れる大石の姿が見られるようになった。大石の妻おりく(山岸しづ江)は悩み、富森助右衛門(中村翫右衛門)ら浪士は大石の狂態にはがゆさを禁じ得なかったが、甲府宰相徳川綱豊(市川右太衛門)は富森に大石の心中を教え浪士らの軽はずみな行動を戒めるのであった。真山青果の同名戯曲の映画化。文部大臣賞特賞受賞作。
(津村秀夫『溝口健二というおのこ』長崎一編・溝口健二監督作品総リストより)
'80年(昭和55年)のニュープリントによる再ロードショー公開時にはさすがにカットされたようですが(現行DVDではノーカット)、いきなりアヴァンタイトルで「護れ/興亜の兵の家」、松竹映画の社名タイトルの次にまたもや1枚タイトルで「情報局国民映画参加作品」と、本作の成り立ちは堂々と大東亜戦争翼賛映画だったのは考慮しなければならない点です。真山青果(1878-1948)版新歌舞伎『元禄忠臣蔵』は元禄時代の体制下でクーデターに及ぶ大石内蔵助の政治的苦悶を中心に「忠臣蔵」の史実的考察を目的としたハードな内容の文学作品で、日本の自然主義文学が到達した政治考察文学として島崎藤村(1872-1943)の『夜明け前』'29(昭和4年)と肩を並べるものです。意図は藤村の『夜明け前』同様歴史文学の体裁を採りながら時代の政治体制下では大衆がどのような支配下に置かれ、為政者がどれほどの抑圧を受けるかを分析した政治批判的なものでした。真山版『元禄忠臣蔵』の真意は正確に当時の観客に届いていたからこそヒット作となったと思われます。昭和9年2月~16年11月にかけて全10編11作が分割上演された同作は、二・二六事件(昭和11年2月26日)に代表される当時の時局を創作・受容の背景に思い合わせると抵抗文学として実に際どく尖鋭的な内容をはらんだものでした。忠義忠臣賛美の劇とすれば「忠臣蔵」は愛国主義の発揚になりますが描かれた内容は体制下のクーデターとその鎮圧です。作者が託したこの両義性に戦時下の鋭敏な観客が気づかないわけはありませんし、真に「忠臣蔵」を描くとすれば真山版『元禄忠臣蔵』以外にない、と溝口が原作を指定したのも溝口の一流好みもあるでしょうが、原作を読み違えていたわけはありません。しかし原作戯曲や新歌舞伎版上演では高い抽象度で思想性がくっきりと輪郭を現していたものが、映画のリアリティの中では描かれたものが描かれたままに観られてしまう、というギャップが本作の場合良い目に出たか裏目に出たか、そのどちらも表れてしまったのが溝口版『元禄忠臣蔵』にはあります。ラングの『ニーベルンゲン』のようにキリスト教伝播以前、紀元6世紀頃のドイツというほど文化的にも歴史的にも遠い史劇映画ならばともかく、「忠臣蔵」事件は18世紀初頭です。舞台劇の抽象性に較べて映画の具体性は圧倒的で、まず前篇冒頭は赤穂城内中庭に臨む再現された実物大巨大セットの松の廊下(畳張り!)が俯瞰の大ロングではなく人の目よりはやや高い程度からじりじりとパンして移動ショットに移り、浅野内匠頭への侮蔑を訴えながら悠長に歩いてくる吉良上野介を捉えます。いきなり浅野内匠頭が走り出してきて吉良に斬りつける。観客には浅野内匠頭の人物像などまったく何も知らされないうちにこれが映画の冒頭で描かれます。
本作は大石内蔵助が主人公とはいえ役名のある配役だけで登場人物70名に及ぶ群像劇でもありますが、人物の描かれ方は万事この調子でいきなりその場その場の事件だけを見せられていきます。もちろん登場人物間の相談や説明の場面も多く、特に大石の代弁者となって浪士たちに(つまり大石の妻子を筆頭にした作品人物全般や、すべてをひっくるめて観客に)状況や事情の解説をするのが徳川綱豊で、この綱豊は大石に次いで非常に重要な作品人物ですが、綱豊自身も作品人物ゆえに客観的視点人物とはなり得ないので大石や綱豊の忠義忠臣的言動がどこまで遵法的クーデターの意志で、どこからが謀叛の自覚があり、結局大石の思慮は武家の面子と赤穂藩領民保護の両方を立てようとして空転してしまうのですが、苦労衷心した挙げ句の選択とも追い詰められてとも両方に取れる曖昧で矛盾の多い言動が累積しながら映画は進んでいきます。舞台劇であれば観客は常に直接描かれない何重もの意味をくみ取りながら観覧が進んでいくでしょうが、映画では描かれたものがそのまま作中世界の真実で、描かれないものはないものとして進んでいきます。すでに映画冒頭から浅野内匠頭は問答無用で他人を斬りつける人物として描かれて閉まっています。即日切腹という当時の法的感覚自体が狂っているのですが、それも承知で沙汰に及んだと遺言に遺されて「誇り高い名君だった」と慕い、刀を抜いて反撃しなかった吉良に「武士ではない」と仇討ちを誓う赤穂浪士たちも狂っています。藩主の自滅で難民となった赤穂藩の領民の経済的保障を案じる(藩内通貨を公用通貨に両替する)家老らしい大石の政治的配慮も描かれていますが、仇討ちを直訴しに来て退けられると息子ともども切腹心中して訴える大石の幼なじみ、井関徳兵衛(演じる羅門光三郎は中島らもの筆名の由来になった、臭みのある性格俳優です)のエピソードはあまりに生々しく、明らかに赤穂藩を危機に曝した失格政治家は浅野内匠頭なのですが、政敵吉良もまたたちの良くない人物と描かれているとはいえそれが暗殺の根拠とはならないので、この映画は「忠臣蔵」事件に政治的明察を行った真山青果版新歌舞伎『元禄忠臣蔵』を原作としながらも題材をありのままに描いてしまうことで竹田出雲の人形浄瑠璃版『仮名手本忠臣蔵』1748から派生したさまざまな通俗忠臣蔵と見かけ上大差のない、それを映画の巨大スケールで描いたスペクタクル作品にとどめることになった歯がゆい感じが残ります。そういう作品としては本作はイタリア史劇『カビリア』'14やハリウッドの『十誡』'23、『ベン・ハー』'27から『スパリタカス』'60らと肩を並べる大力作で、日本人の矛盾に満ちた情動と政治感覚を丸ごと捉えてそのまま描き出した一大エピックで、これが戦時下に体制翼賛映画として作られ、観客には受けずに興行的には失敗作となり、政府からは文部大臣賞特賞の奨励作品とされた歴史的な暗部がある映画なのも問題を残す結果となったと言えます。前篇は大石が江戸へ上る場面で後篇の不穏さを予感させながら終わり、観客はすでに爽快感のある忠臣蔵を期待はまったくないままもやもやとした気分を持て余すことになります。そしてその予感は後篇でだいたい的中することになります。
●2月23日(金)
『元禄忠臣蔵 後篇』(松竹京都撮影所/松竹'42)*111min, B/W; 昭和17年2月11日公開
○(前篇より)殺陣指導・橘小三郎、演技事務・武末雲二、字幕製作・望月淳、考証=武家建築・大熊喜邦、言語風俗・潁原退蔵、民家建築・藤田元春、時代一般・江馬務、能・初世金剛巌、史実・内海定治郎、風俗・甲斐庄楠音、造園・小川治兵衛、素槍・久保澄雄
○あらすじ 浅野家再興の望みを断たれ、大石はいよいよ江戸へ上ることに決めた。高輪泉岳寺に主君の墓参を済ませた大石は、その足で瑶泉院(三浦光子)を訪ね、さりげない永のいとまを告げるのであった。元禄十五年十二月十四日吉良邸に討入った四十七士は吉良の首級をあげ、見事主君の仇を果した。その処分について是非両論がまき起ったが、彼らを死なせてやるのが武士道と主張したのは綱豊であった。十六年二月三日義士たちは静かに切腹の座に上る。磯貝十郎左衛門(河原崎国太郎)の婚約者おみの(高峰三枝子)は、自分達の婚約が仇討のための策略からであったのかと、小姓に扮して細川邸に入り込んだが、磯貝の肌に秘められた形見の琴爪を見て全てを知り、彼のあとを追って自害する。キネマ旬報ベストテン第7位。
(津村秀夫『溝口健二というおのこ』長崎一編・溝口健二監督作品総リストより)
前篇同様後篇も縦に走る廊下の奥行きを捉えながら、手前の廊下を横に伝い柱を何本も越える長い長いショットで始まります。能楽の音声が聞こえていますからカメラは中庭に開け放たれた一室で行われている舞いの鑑賞に向かい、そのまま左手にパンして前進移動し奥の一室で行われている評定に向かって進んでいき、室内全面を捉えた所でようやくカットが評定中の人物たちの正面に切り替わります。前篇の感想文では落としてしまいましたが、日本映画の難点は戦後かなり経つまでサウンドトラック(音声)が元々かその後の劣化もあってか非常に聞き取りづらく、これも映画監督によりけりか小津安二郎監督作品ではトーキー第1作『一人息子』'36からそれほど聞き取りづらくない。レストア版マスターではなくかなり痛んだ上演用プリントでもそうなので、俳優の発声法について小津は明瞭で古びない台詞の発声を工夫していたということでしょう。戦前の日本映画はサイレントの方がかえって観やすく、トーキーでしかも時代劇だったり現代劇でも新味を狙ったものはイントネーションが聞き取りづらく、松竹のホームドラマ系作品や軽喜劇・現代人情劇の方が現代でも台詞が聞き取れます。戦後~現代でも時代の反映の強い映画ほど台詞に癖があって聞き取りにくく、早い話が古びやすいのですが、溝口の本作の場合元禄の赤穂藩語の忠実な再現という原作戯曲由来のものすごい言語的実験を映画でやっているのでハードルは二重三重に高くなります。真山版戯曲では一つの台詞の中に元禄語の言い回しと標準的な文語文での言い回しを重ねているので意味は取れるのですが、それもはっきり台詞が聞き取れればの話です。本作は現実音以外では能楽のような作中音楽以外はタイトルバック以外ほとんど音楽は使われませんが(まるでヒッチコックやワイラーの映画みたいですが、溝口映画はまさにヒッチコックやワイラーと同時代映画でした)、本作では台詞もほぼ完全に同時録音でしょう。それでこれだけ聞き取れれば当時の技術では大したものかもしれませんが、松竹は小津安二郎作品は社宝にしていてサイレント時代の作品(オリジナルのデザイン字幕タイトルでは読みづらいため)からトーキー作品まで字幕スーパー仕様にもできるDVD化をしていますが溝口の松竹作品には字幕スーパーがつけられていないのです。他の作品はともかく本作だけは特例にして字幕スーパー仕様にしてほしいものです(ブルーレイ化の際まで放置しているのかもしれませんが)。他の溝口作品の1枚物と同じ価格で2枚組の本作を発売している分そこまでできないのかもしれませんが、本作は元々の作品自体に台詞が内容的にもフィルム状態でも聞き取りづらいという問題があります。ひょっとしたら外国語字幕つきで『47 Ronin』の上映やDVDを観ている外国人観客の方がよほど本作の内容を理解しているかもしれません。
本作は前篇では字幕タイトルだけだった場面進行に読み上げるナレーション音声がつくなど、興亜映画製作・松竹配給から製作・配給とも松竹名義に一本化したため観やすさについて多少配慮が加わりましたが、内容は前篇以上に入り組んでおり、直接的な忠義のアピールを強調するシーンが増えて、全体の収拾に向かって進む進行は前篇よりダイナミックなため映画としての完成度は上がったとも言えます。河原崎国太郎演じる磯貝十郎左衛門が能衣装のままの相手との室内での一対一の様式的剣戟場面など見せ場と言える場面もあり、また討入りの場を省略していかに忠臣蔵を見せるかを原作譲りで巧みに語り(しかし討入りを見せないという前提自体が劇では必然性がありますが映画ではなく、溝口の主張は「本物の討入りを再現するのなら吉良役の役者に死んでもらわねばいかんでしょう」というリアリズムの立場だったといいますからとぼけた話です)、討入りを見せない、大石が四十七士に投降を命じる、磯貝十郎左衛門と真意を確かめに男装して小姓になりすます婚約者のおみの(高峰三枝子、VHSパッケージ画像参照)が終盤のエピソードになりますが、いよいよ目立つ戦争翼賛要素と理性的な政治家大石内蔵助像、また大石の意をくむ徳川綱豊のあり方に大きな矛盾があり、ハリウッド映画ですら'30年代初頭のギャング映画で末路まで投降しない反逆者を描いていたのを思うと忠臣蔵と言えど投降しない忠臣蔵、投降せざるを得ない忠臣蔵の描き方の可能性があった。真山版忠臣蔵も時局柄明確に描いていませんが、演劇の抽象性から観客(読者)は人物の内面に踏みこむ鑑賞を迫られます。大石の場合は赤穂藩の民の代弁者として浅野内匠頭の仇討ちを遂行しなければならなかった。「赤穂あっての民ではない、民あっての赤穂だ」と言う意味の台詞があります。浅野家再興の望みが消えても旧赤穂民のコミュニティーは浅野家の赤穂藩にあり、浅野家断絶後も民のアイデンティティを保つために大石と四十七士に求められていたのは吉良への仇討ちであり民のための殉職だった、と一応の解釈ができます。江戸時代の日本は統一国家でも何でもなく藩単位の小国の集まりであり、小国は中央政府の江戸幕府にとっては侵略植民地のようなもので、赤穂浪士の忠臣忠義は徳川家でも皇室でもなく赤穂藩の忠義でしかなかったでしょう。真山版忠臣蔵の描く「元禄」時代の日本人とはそのようなものです。これを出来事だけ描くと「護れ/興亜の兵の家」で「情報局国民映画参加作品」になる。しかし大石内蔵助にとっての「兵の家」の「国民」は赤穂藩の民に限定されるので、難民化して他の君主に分譲される赤穂民の最後の願いをかなえるために討入りを遂行し殉職する動機はむしろ純粋に植民地クーデター首謀者だったでしょう。映画にはそれを考えさせない強い力があり、軍国主義映画というものがあれば本作、特にこの後篇は軍国主義映画そのものですから退屈で嫌悪感を催す雰囲気に満ちています。前篇の哀切な調子は後篇では悲壮感にすら高まっており、合理性を欠いたやせ我慢の美学のような日本的美意識を押しつけて観客を屈服させようとする、いつも強引な溝口映画でもこれほど観客の感受性を蔑視した強引な映画はないというくらい高飛車で傲慢です。ですがそれは平時にあって『元禄忠臣蔵』を観られる現代の観客だから感じられるので、昭和16年の製作時(後篇ではさらに太平洋戦争開戦直後に最終編集が行われたはずです)にこの映画はそれほど強引でなければ作れなかったので、D・W・グリフィスの『イントレランス』'16をベートーヴェンの第5交響曲、ミケランジェロのシスティナ礼拝堂天井画に喩えた評価がありますが、『元禄忠臣蔵』もそれらと同列に並ぶ巨大な作品です。退屈きわまりなく悪趣味この上なく人間性に対する侮辱とすら言えても芸術的基準では大偉業、力業と認めないでは済まない皮肉がある。しかもグリフィスの『イントレランス』やアベル・ガンスの『ナポレオン』'27のようには溝口が格別本作を作りたくて作ったわけではないのが皮肉に輪をかけており、いっそ企画が流れた方が良かったかもしれない映画かもしれないのです。