●2月20日(火)
『愛怨峡』(新興キネマ東京大泉撮影所/新興キネマ'37)*89min(オリジナル108分), B/W; 昭和12年6月17日公開 : https://youtu.be/GO8kNPAJL9o
○あらすじ 旅館の若主人謙吉(清水将夫)と手をとってかけ落ちした女中のおふみ(山路ふみ子)は東京へは出たものの、かけつけた謙吉の父母に手切れ金を渡され謙吉との間をさかれてしまう。おふみは芳太郎(河津清一郎)というアコーディオンひきの親切で、泣く泣く子供を産み、里子に出して働きだす。おふみと芳太郎はやがて漫才コンビを作り、子供の謙太郎を抱えて旅回りの一座で働くが、おふみは謙吉と再会復縁をせまられ一旦は芳太郎と別れて謙吉と再び生活をするが、老父母とあわず一座へとんで帰る。そして芳太郎とのささやかな幸せを見出すのだった。キネマ旬報ベストテン第3位。
(津村秀夫『溝口健二というおのこ』長崎一編・溝口健二監督作品総リストより)
この作品、上映機会もあまりありませんしレンタル店にもあまり置いてなさそうですし、世評も依然あまり高くありますんから観た人の数は比較的少ないでしょうが、これを観て『浪華悲歌』や『祇園の姉妹』より好き、という人は多いのではないでしょうか。山路ふみ子は本作から後'38年の2作続けて新興キネマで溝口作品のヒロインを勤めていますが(『露営の歌』『あゝ故郷』 後者はキネマ旬報ベストテン10位)、残念ながらその2作は失われているようです。特に『あゝ故郷』での山路ふみ子は『愛怨峡』以上に好評だったと言います(依田著書)。溝口の映画は女性視点の映画で画期的ながら男女関係はかなり門切り型で、虐げられたヒロインと無情で横暴な男、または情けない男といったキャラクターとシチュエーションの設定が多く、かつて国際的評価では日本の映画監督中1、2を争いながら現在では小津安二郎や成瀬巳喜男と評価が逆転しているのはそのせいではないか、と思われます。また溝口の成功作は異常な逆境にある人物の受難の物語がほとんどで、日常的な生活への冷静な観察眼を感じさせる映画ではないとも言えます。そこでむしろ評価が上がってきたのが日本版ウィルヘルム・マイスター譚である役者修行物語の『残菊物語』や同様に芸術家の成長物語と言える『名刀美女丸』や『歌麿をめぐる五人の女』、日本的伝統美とは離れた娼婦たちの映画である『夜の女たち』や『赤線地帯』であり、これらもそれぞれ名作佳作を謳われてきたものですが、日本の古典文学に材を採ったものや伝統的な遊郭ものほどは代表作とされなかった作品です。本作などは女中に手をつけた老舗旅館の跡継ぎの恋と暇を出された女中の転々とした職業遍歴、その末に旅芸人一座のアコーディオン弾きとの夫婦漫才で当たりを取り、女の転落一代記の自伝的自虐ネタで各地を回る。そしてかつて働いていた旅館のある町にもやってきます。いつもの旅館の後継ぎとの駆け落ち失敗から始まる自虐ネタを披露してウケを取っているのをその昔の恋人本人が客席で苦しい表情を浮かべて聞いている、という最高の山場があります。本作は小説家・政治家の宮本百合子(1899-1951)が社会民主主義・フェミニズムの立場から評価した「『愛怨峡』における映画的表現の問題」という批評を発表しており(「帝国大学新聞」'37年=昭和12年6月28日号)、封切り11日後ですから映画批評家の評など読まずに書いたと思われ「ありふれた筋など云わず溝口健二という人がこれをどのように描いたか」を論じているなかなか立派な作品論ですが、作品の意図と効果、観客の好評を肯定的に評価し、また溝口のこの作品を「日本映画の高い水準」を示したものと認めた上で、ヒロインの遍歴に連続性が稀薄で性格の発展を描ききっていない、そこにもっと演出の工夫がほしかったしそれができる監督だろうから次作にはその点を期待したい、と好意的に批評しています。宮本さんのような人が本作を楽しみ高く買ったというのはおおむね文学者に日本映画蔑視があった当時(と限らず戦後までも長く)には大した見識で、封切り週にさっそく観に行って論評を発表しているくらいですから観る前から楽しみにしていたのでしょう。小説家・堀辰雄(1904-1953)晩年の'51年に松竹から堀の小説「菜穂子」の映画化(映画化権料5万円、映画入場80円~100円、サラリーマンの平均年収30万円時代)から代理人を通じて映画化の申し入れがあったのに対し5万円は安い、僕としてはどうでもいい、どうせ今の日本映画は何も出来ないんだからと馬鹿にした書簡を残していますが、'51年の日本映画と言えば松竹だけでも『麦秋』『カルメン故郷に帰る』『白痴』『命美わし』『わかれ雲』『あゝ青春』『少年期』とそれこそ堀辰雄の小説など話にならない風格の作品が生まています。堀の妄言より15年も前に小説と対等以上に溝口作品を論評した社会民主主義者の宮本百合子の方がよほど目に狂いがなかったと言ってよく、「『愛怨峡』における映画的表現の問題」は先駆的な溝口評価ですから後註でご紹介しておきます。
●2月21日(水)
『残菊物語』(松竹京都撮影所/松竹'39)*143min(オリジナル146分), B/W; 昭和14年10月18日公開 : https://youtu.be/fYp_HxI2-PA
○あらすじ 五代目菊五郎(河原崎権十郎)の養子菊之助(花柳章太郎)の芸は未熟であった。彼は雇い女お徳(森赫子)の忠告をきいて以来、彼女のあたたかさに惹かれ、いつしか人目を忍ぶ仲となった。しかしそれも養母に見咎められ、お徳は国許へ帰されてしまう。一年後再会した二人は旅回りに身を落とす。あらゆる辛酸をなめつくした菊之助は中村福助(高田浩吉)のとりなしで舞台に復帰が許されたが、そのためにお徳は身をひかねばならなかった。やがて菊之助は人気役者に成長した。菊五郎一座が大阪公演の時、菊之助はお徳の消息をきき、彼女の許へかけつける。病にやつれ果てたお徳は立派に成長した恋しい人の姿にただ涙するのであった。溝口健二のいわゆる芸道三部作中の一。文部大臣賞受賞、キネマ旬報ベストテン第2位。
(津村秀夫『溝口健二というおのこ』長崎一編・溝口健二監督作品総リストより)
依田氏は兵役を免れるほど虚弱で戦時体制を辛い心境で過ごした人名のが著書からもうかがえ、本作の報国的要素を厭世的かつ自嘲的に語っており、そうした側面が戦後本作への評価を消極的にしていた時期につながり、その風化が本作の評価を押し上げたのが近年の高評価と言える面は確かにあるでしょう。本作も強いのは意志の堅いヒロインですがそれが自分を犠牲にしてでも惚れた坊ちゃまを出世させてあげたい、そして主人公の成功を祝うパレードの喝采を聴きながら病死していく具合に成就するとなると宮本百合子さんなどは「『愛怨峡』で高く示された溝口といふ監督の力量が、女主人公の描き方に於てかよいながらもより徹底した結果、こうした自己犠牲に陥つてしまふと云うものか」と嘆いたのではないでしょうか。一方冒頭で演目を終えた主人公が料亭のふすま越しに隣の座敷で団員たちが「二代目に名人なしとは言ったものだね」と陰口を叩いて哄笑するのをぐっとこらえて女中のお酌を受ける、こういう屈辱場面は溝口は大好きで実に巧みかつ痛烈に描きます。主人公なりヒロインなりが屈辱をぐっとこらえて耐える場面がどの溝口作品にも出てきますが、溝口の映画が日本映画で真っ先に欧米人にショックを与えたのもこうしたシチュエーションを描いていたからではないか、と思えます。現実はともかく西洋文化圏の映画では主人公なりヒロインが黙って屈辱に耐えるシーンは'50年代、せいぜい'40年代末までなかったのではないか。逆にフレッド・ジンネマンの『真昼の決闘』'52、『地上より永遠に』'53、エリア・カザンの『欲望という名の電車』'51、『波止場』'54からは急増しますし、ロバート・ロッセン『ボディ・アンド・ソウル』'47のような先駆的作品もある。ジャンル映画ではフィルム・ノワール作品には'40年代早くからあるでしょうし、ジョン・フォードの『怒りの葡萄』'41などは社会問題小説原作でもあり、『アパッチ砦』'48では西部劇ですが軍隊映画として描かれているからホワイトカラーの上官ヘンリー・フォンダの横柄さにブルーカラーのジョン・ウェインがぐっと耐える。しかしゲーリー・クーパーやケイリー・グラント、ジェームズ・スチュワートが侮辱されて黙っている姿など想像できませんし、映画が理想化された世界を描いているうちはそうした負の感情を負った人物像は描かれてこなかったので、そこらへんがどかんと重い溝口映画は'50年代の西洋人にとってかつてトルストイやドストエフスキーらロシア文学の紹介がもたらしたようなショックを感じただろうと想像できます。また日本映画では娼婦たちの世界を描いた映画や、後にマフィアたちの世界を描いた映画がジャンルをなすなどは、基本的には市民映画か、さもなければ荒唐無稽映画で、リアリズムでアウトローの社会を描く映画という発想がない(あっても周期的な流行現象にとどまる)欧米映画には驚異だったでしょう。本作について言えば見所はやはり映画が冗長になってもかまわないくらいに徹底した長回しの1シート1カットで、厳密にはシーンの最初と最後に場面転換を示すカット、中途にひと息つく区切りでカットが割られもするのですが、人物の移動とカメラ移動は基本的に横移動ながら奥行きを感じさせるピント処理で手前から奥まで斜めに視界の広がりもあり、これで人物のフレーム・インやフレーム・アウトまでさらに強調されればオーソン・ウェルズになります。本作ほど徹底してロングショットばかりで切り返しのカット割りもないとじれったく感じないかというと嘘になり、改めて『浪華悲歌』や『祇園の姉妹』はテンポ良かったな(本作はその両作の現存ヴァージョンを合わせたほどの長さです)と思い、『愛怨峡』のような親しみやすい生活感と爽快感のある作品でもありませんが、大作を観たなあというどっしりとした手ごたえ、貫禄に圧倒されるとしか言いようはなく、千両役者の花柳章太郎の至芸を堪能した映画という楽しみがあります。『愛怨峡』の山路ふみ子は溝口映画のヒロインと役柄の割には育ちが良すぎて見えないかと思わせる節もありましたが、本作の森赫子もあまりに可憐すぎはしないかと思う一方で花柳章太郎と芝居の息の合い方には有無を言わせない説得力があり、どちらも結果オーライに思えます。もし山田五十鈴や田中絹代級の女優だったらかえって相殺されてしまった微妙な味が、メロドラマとしては通俗な『愛怨峡』や『残菊物語』ではやや線の細い主演女優の起用で期待以上の効果を生み出した、といったところでしょうか。
*
[ 後註 ]
「愛怨峡」における映画的表現の問題
(「帝国大学新聞」1937年=昭和12年6月28日号)
宮本百合子
「愛怨峡」では、物語の筋のありふれた運びかたについては云わず、そのありきたりの筋を、溝口健二がどんな風に肉づけし、描いて行ったかを観るべきなのだろう。
私は面白くこの映画を見た。溝口という監督の熱心さ、心くばり、感覚の方向というものがこの作品には充実して盛られている。信州地方の風景的生活的特色、東京の裏町の生活気分を、対比してそれぞれを特徴において描こうとしているところ、又、主人公おふみの生きる姿の推移をその雰囲気で掴み、そこから描き出して行こうとしているところ、なかなか努力である。カメラのつかいかたを、実着にリアリスティックに一定していて、雰囲気の描写でもカメラの飛躍で捕えようとせず、描くべきものをつくってカメラをそれに向わせている態度である。こういう点も、私の素人目に安心が出来るし、将来大きい作品をつくって行く可能性をもった資質の監督であることを感じさせた。
この作品が、日本の今日の映画製作の水準において高いものであることは誰しも異議ないところであろうと思う。一般に好評であるのは当然である。けれども、この次の作品に期待される発展のために希望するところが全くない訳ではない。
溝口健二は、「愛怨峡」において非常に生活的な雰囲気に重点をおいている。従って、部分部分の雰囲気は画面に濃く、且つ豊富なのであるが、この作の総体を一貫して迫って来る或る後味とでも云うべきものが、案外弱いのは何故だろう。私は、部分部分の描写の熱中が、全巻をひっくるめての総合的な調子の響を区切ってしまっていると感じた。信州の宿屋の一こま、産婆のいかがわしい生活の一こま、各部は相当のところまで深くつかまれているけれども、場面から場面への移りを、内部からずーと押し動かしてゆく流れの力と幅とが足りないため、移ったときの或るぎこちなさが印象されるのである。
これには、複雑な原因があると思うが、その一つはおふみという女の感情表現に問題がひそんでいるのではないだろうか。おふみに扮した山路ふみ子は、宿屋の女中のとき、カフェーのやけになった女給のとき、女万歳師になったとき、それぞれ力演でやっている。けれども、その場面場面で一杯にやっているだけで、桃割娘から初まる生涯の波瀾の裡を、綿々とつらぬき流れてゆく女の心の含蓄という奥ゆきが、いかにも欠けている。だから、いきなり新宿のカフェーであばずれかかった女給としておふみが現れたとき、観客は少し唐突に感じるし、どこかそのような呈出に平俗さを感じる。このことは、例えば、待合で食い逃げをした客にのこされたとき、おふみが「よかったねえ!」と艶歌師の芳太郎に向って「どうだ! 参ったろう」という、あすこいらの表現の緊めかたでもう少しの奥行が与えられたのではなかろうかと思う。特に、最後の場面で再び女万歳師となったおふみ、芳太郎のかけ合いで終る、あのところが、私には実にもう一歩いき進んだ表現をとのぞまれた。このところは、恐らく溝口氏自身も十分意を達した表現とは感じていないのではなかろうか。勿論俳優の力量という制約があるが、あの大切な、謂わば製作者溝口の、人生に対する都会的なロマンチシズムの頂点の表現にあたって、あれ程単純に山路ふみ子の柄にはまった達者さだけを漲らしてしまわないでもよかった。おふみと芳太郎とが並んで懸合いをやる。文句はあれで結構、身ぶりもあれで結構、おふみの舞台面もあれでよいとして、もしその間におふみと芳太郎とが万歳をやりながら互に互の眼を見合わせるその眼、一刹那の情感ある真面目ささえもっと内容的に雄弁につかまれ活かされたら、どんなに監督溝口が全篇をそれで潤わそうとしているペソスが湧いたか知れないと思う。あの作品の性質としてゆるがせにされないこういう箇処が割合粗末であった。おふみと芳太郎とは、漠然と瞬間、全く偶然にチラリと目を合わすきりで、それは製作者の表現のプランの上に全然とりあげられていなかったのである。後味の深さ、浅さは、かなりこういうところで決った。溝口氏も、最後を見終った観客が、ただアハハハとおふみの歪め誇張した万歳の顔を笑って「うまいもんだ!」と感歎しただけでは満足しないだけの感覚をもった人であろう。
溝口というひとはこれからも、この作品のような持味をその特色の一つとしてゆく製作者であろうが、彼のロマンチシズムは、現在ではまだ題材的な要素がつよい。技法上の強いリアリスティックな構成力、企画性がこの製作者の発展の契機となっているのである。溝口氏が益々奥ゆきとリズムとをもって心理描写を行うようになり、ロマンティシズムを語る素材が拡大され、男らしい生きてとして重さ、明察を加えて行ったらば、まことに見ものであると思う。
〔一九三七年六月〕
底本「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
(青空文庫より使用させていただきました)