(大正13年=1924年5月26日、長女桃子満1歳の誕生日に。重吉26歳、妻とみ子19歳)
前回は詩集『秋の瞳』全117編からなくもがな、と思われる詩編を省いて76編+巻末作品5編を選び、詩集での作品順番号を振り、全集によって判明している創作時期を詩編ごとに記しました。『秋の瞳』は巻頭詩編は10編以上に渡って選択も配列も優れた詩編が並びますが、巻末詩編は出来も並びも良くないと思います。巻末5編の(113)~(117)のうち(113)はまだしも佳編ですが独立性が弱く、(114)が(113)を受けるとすれば(26)と詩想が重なりすぎている上に、(26)より(114)ははっきり出来が悪い詩ですから対になっている(113)もやはり採れません。また(98)(102)(115)(116)なども類似した着想の詩編がすでにあり、重複の観を免れません。音楽でも映画でも書物でも最初と最後はとりわけ入念に作られるのが一般的なように、詩集の場合巻頭と巻末の詩編選択は慎重になると思いますから、八木の意向を酌んで前回でも巻末5編は残しましたが、(112)が一応の佳作としてそこまで76編選ぶのがせいぜいで、巻頭については(112)も詩集を締めくくるほど良くもないというのが率直な感想です。
前回詳述した通り八木重吉は大正14年(1925年)8月刊行の第1詩集『秋の瞳』までに40冊もの手稿小詩集を書いており、うち14冊からは1編も採らず(その14冊からは第2詩集『貧しき信徒』にも採っていません)さらに小詩集以外の単独の詩編も大正10年~11年に77編、大正13年~14年に4編が遺されていますから(八木重吉が詩誌に詩作発表するようになったのは『秋の瞳』刊行以後に勧誘されてからですから、大正14年までの実際の創作編数は現存原稿以外にはわかりません)、小詩集40冊編纂作品1,455編から97編を選び、書き下ろしと推定される初稿不詳の20編を加えたのが詩集『秋の瞳』です。1編も『秋の瞳』に選ばなかった14冊の641編を対象外としても26冊・814編からの選択ですし、『秋の瞳』編集に着手した大正13年10月以降に編まれた小詩集に『秋の瞳』収録詩編がないのは『秋の瞳』収録のため最初から小詩集から除外していたのでしょう。手前味噌ながら、前回抄出した76編は割合公正な鑑賞によってふるいにかけ、まるごと『秋の瞳』を読むより焦点の絞れた選抄になったと思います。そこで今回はその逆をやってみたいと思います。つまり前回選ばなかった37編と前回巻末作品という理由で追加した(本来だったら選ばなかった)だけの巻末5編の計41編の選抄です。
そう言ってしまうと余り物めいて聞こえるかもしれませんが要するに前回は詩集全編から上位約2/3の作品を選び、今回は下位1/3の作品を選んでみたことになります。これで全編の出典小詩集も明記できますし、またこれら出来の悪い詩は八木の詩の弱点を示すものでもあれば、それでも1,455編もの手稿小詩集の中から八木自身が詩集に選出したものであり、収録しただけの愛着と自負のある詩編だったでしょう。詩集『秋の瞳』はセクション分けされておらず、短いものでは1行~4行、長くても見開き程度に収まる短詩ばかりが集められた詩集です。習作時代の八木の詩は必ずしも短詩ばかりではなく、やや物語性のある叙事詩的な長詩も稀にありますが、やはり当初から心象の断篇を切り取った詩が目立ちます。そうした性格の作風ですから1編だけでは独立した詩的内容にならず、一群の詩としてようやく作品と見なせるような詩も多いのが公刊詩集『秋の瞳』に先立って八木自身が小詩集単位で詩稿をまとめていた理由と思われます。『秋の瞳』はさらに手稿小詩集からのベスト・セレクションとして選り抜き再編集されたものであり、質の高いものという基準はあっても全体としてはなるべく八木自身の考える自分の詩の幅広さを調整して選んだと思われます。こうして前回ふるいにかけて落とした詩ばかりを集めてみると、山村暮鳥や大手拓次の出来の悪い模倣のような詩が目立ちます。暮鳥については八木が確実に読んでいた証言がありますが、昭和11年の歿後刊行まで詩集のなかった大手拓次を発表誌で八木が読んでいたかは可能性が薄く、萩原朔太郎経由で偶然大手のひらがなが多く稚拙を装った文体の神秘主義的な詩と似通った発想が表れた、と推察する方が無理がないでしょう。
また和洋の違いこそあれ熱心な宗教詩人で教職者だったこと、ごっそり手稿を書き貯めていたことなども共通する宮澤賢治(1896-1933)がボキャブラリー豊富で饒舌な詩の書き手だったのに対して、八木としてはボキャブラリーの多さや饒舌さに向かった詩では必ずと言ってもいいほど失敗しており、前回そうした詩は失敗作として落としましたから、今回は八木がどんな詩を書くと失敗するかがよくわかる選抄になっています。具体的には文語で書くと失敗、外来語を入れると失敗、概念語や固有名詞を入れると失敗しています。宮澤賢治は本邦屈指の怒涛のようなボキャブラリーを誇る饒舌の塊でしたが、八木重吉はむしろ沈黙に向かうタイプのストイシズムに憑かれていたようで、そのくびきを逃れようとすると出来の悪い詩になる。しかしそうした失敗作も詩集のうち1/3を占めているのが八木の率直さで、成功作はそうしたことを削ぎ落として出来あがっているからには失敗作でしか語れないことが語られている。成功作と失敗作は補いあっているとも言えるので、これは宮澤のような大手腕の詩人には見られない美点でもあります。また八木重吉が第1公刊詩集『秋の瞳』に必ずしも純度の高い作品ばかりを選ばなかったのは結果的に詩集を信仰詩偏重から救ってもおり、八木が読んでいたのが確実な宮澤の生前唯一の詩集『春と修羅』'24(大正13年刊)に比肩し得るものになっています。宮澤と八木は草野心平・佐藤惣之助という共通の詩人の知友がいましたが接点があったかどうか、次回はそのあたりも視野に入れて八木の詩の特質を見ていきたいと思います。
[ 詩集『秋の瞳』収録詩編初出小詩集一覧 ]
(『秋の瞳』選出あり=○、選出なし=×)
1○木蓮(一九二三・一=大正12年1月)詩46編、『秋の瞳』初稿1編初出、創作時期大正11年6月、7月
2○あしたの嘆き(一九二三・一=大正12年1月)詩28編、『秋の瞳』初稿1編初出、創作時期大正11年6月、7月
3○感触は水に似る(1923)詩25編、『秋の瞳』初稿2編初出、創作時期大正10年
4×夾竹桃(一九二三)詩17編、『秋の瞳』初稿なし、創作時期大正11年
5○龍舌蘭(1923)詩10編、『秋の瞳』初稿2編初出、創作時期大正11年秋
6○白い哄笑(一九二三)詩18編、『秋の瞳』初稿2編初出、創作時期大正11年秋
7○虔しい放縦(一九二三)詩39編、『秋の瞳』初稿3編初出、創作時期大正11年秋
8○矜持ある風景(大正12年)詩22編、『秋の瞳』初稿2編初出、創作時期大正11年秋~冬
9○不安な外景(--23=大正12年)詩12編、『秋の瞳』初稿1編初出、創作時期大正11年暮~大正12年初頭
10○庭上寂(1923=大正12年)詩12編、『秋の瞳』初稿4編初出、創作時期大正11年秋~大正12年初頭
11×巨いなる鐘(一九二三)詩12編、『秋の瞳』初稿なし
12○静かなる風景(一九二三)詩11編、『秋の瞳』初稿5編初出
13○石塊と語る(1923=大正12年)詩21編、『秋の瞳』初稿3編初出
14○私は聴く(一九二三=大正12年)詩17編、『秋の瞳』初稿3編初出
15○暗光(1923=大正12年)詩11編、『秋の瞳』初稿1編初出
16○壺(1923=大正12年)詩8編、『秋の瞳』初稿3編初出
17×草は静けさ(1923=大正12年)詩20編、『秋の瞳』初稿なし
18○土をたたく(4/1923=大正12年4月)詩18編、『秋の瞳』初稿1編初出
19○痴寂なる手(一九二三=大正12年5月20日)詩40編、『秋の瞳』初稿6編初出
20○焼夷(1923.6=大正12年6月)詩37編、『秋の瞳』初稿2編初出
21○丘をよぢる白い路(一九二三・八・二四=大正12年8月24日)序文+詩31編、『秋の瞳』初稿12編初出
22○鳩がとぶ(大正12年9月28日)詩37編、『秋の瞳』初稿13編初出
23○花が咲いた(大正12年10月18日)序文+詩27編、『秋の瞳』初稿7編初出
24○大和行(一九二三・一一・六=大正12年11月6日)序文+詩20編、『秋の瞳』初稿6編初出
25○我子病む(大正12年12月9日)詩27編+散文1編、『秋の瞳』初稿8編初出
26×不死鳥(Jan.1st, 1924)詩25編、『秋の瞳』初稿なし
27×どるふいんの うた(一九二四・一・二〇)詩11編、『秋の瞳』初稿なし
28×幼き怒り(大正13年4月7日)詩51編、『秋の瞳』初稿なし
29○柳もかるく(大正13年4月15日)詩48編、『秋の瞳』初稿4編初出
30○逝春賦(大正13年5月23日)詩51編、『秋の瞳』初稿3編初出
31×鞠とぶりきの独楽(一九二四・六・一八)序文+詩57編、『秋の瞳』初稿なし
32○(欠題詩群)一(大正13年10月)詩96編、『秋の瞳』初稿1編初出
33○(欠題詩群)二(大正13年10月)詩109編、『秋の瞳』初稿1編初出
34×神をおもふ秋(大正13年10月26日)詩76編、『秋の瞳』初稿なし
35×純情を慕ひて(大正13年11月4日)詩73編、『秋の瞳』初稿なし
36×幼き歩み(大正13年11月14日)詩53編、『秋の瞳』初稿なし
37×寂寥三昧(大正13年11月15日~23日)詩44編、『秋の瞳』初稿なし
38×貧しきものの歌(大正13年12月9日)詩57編、『秋の瞳』初稿なし
39×ものおちついた冬のまち(大正14年1月14日)詩82編、『秋の瞳』初稿なし
40×み名を呼ぶ(大正14年3月)詩63編、『秋の瞳』初稿なし
●秋の瞳(大正14年=1925年8月1日新潮社刊)
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詩集『秋の瞳』大正14年(1925年)8月1日新潮社刊
(15)大和行
大和(やまと)の国の水は こころのようにながれ
はるばると 紀伊とのさかひの山山のつらなり、
ああ 黄金(きん)のほそいいとにひかつて
秋のこころが ふりそそぎます
さとうきびの一片をかじる
きたない子が 築地(ついぢ)からひよつくりとびだすのもうつくしい、
このちさく赤い花も うれしく
しんみりと むねへしみてゆきます
けふはからりと 天気もいいんだし
わけもなく わたしは童話の世界をゆく、
日は うららうららと わづかに白い雲が わき
みかん畑には 少年の日の夢が ねむる
皇陵や、また みささぎのうへの しづかな雲や
追憶は はてしなく うつくしくうまれ、
志幾(しき)の宮の 舞殿(まひでん)にゆかをならして そでをふる
白衣(びやくえ)の 神女(みこ)は くちびるが 紅(あか)い
(詩集「大和行」大正年月日より)
(19)つかれたる 心
あかき 霜月の葉を
窓よりみる日 旅を おもふ
かくのごときは じつに心おごれるに似たれど
まことは
こころ あまりにも つかれたるゆえなり
(詩集「我子病む」大正12年12月9日より)
(22)心 よ
ほのかにも いろづいてゆく こころ
われながら あいらしいこころよ
ながれ ゆくものよ
さあ それならば ゆくがいい
「役立たぬもの」にあくがれて はてしなく
まぼろしを 追ふて かぎりなく
こころときめいて かけりゆけよ
(詩集「我子病む」大正12年12月9日より)
(27)花と咲け
鳴く 蟲よ、花 と 咲 け
地 に おつる
この 秋陽(あきび)、花 と 咲 け、
ああ さやかにも
この こころ、咲けよ 花と 咲けよ
(詩集「鳩がとぶ」大正12年9月28日より)
(34)泪(なみだ)
泪(なみだ)、泪(なみだ)
ちららしい
なみだの 出あひがしらに
もの 寂びた
哄(わらひ) が
ふつと なみだを さらつていつたぞ
(詩集「虔しい放縦」大正12年より)
(35)石くれ
石くれを ひろつて
と視、こう視
哭(な)くばかり
ひとつの いしくれを みつめてありし
ややありて
こころ 躍(おど)れり
されど
やがて こころ おどらずなれり
(詩集「虔しい放縦」大正12年より)
(36)龍舌蘭
りゆうぜつらん の
あをじろき はだえに 湧く
きわまりも あらぬ
みづ色の 寂びの ひびき
かなしみの ほのほのごとく
さぶしさのほのほの ごとく
りゆうぜつらんの しづけさは
豁然(かつぜん)たる 大空を 仰あふぎたちたり
(詩集「龍舌蘭」大正12年より)
(37)矜持ある 風景
矜持ある 風景
いつしらず
わが こころに 住む
浪(らう)、浪、浪 として しづかなり
(詩集「矜持ある風景」大正12年より)
(41)葉
葉よ、
しんしん と
冬日がむしばんでゆく、
おまへも
葉と 現ずるまでは
いらいらと さぶしかつたらうな
葉よ、
葉と 現じたる
この日 おまへの 崇厳
でも、葉よ
いままでは さぶしかつたらうな
(詩集「静かなる風景」大正12年より)
(45)おもひで
おもひでは 琥珀(オパール)の
ましづかに きれいなゆめ
さんらんとふる 嗟嘆(さたん)でさへ
金色(きん)の 葉の おごそかに
ああ、こころ うれしい 煉獄の かげ
人の子は たゆたひながら
うらぶれながら
もだゆる日 もだゆるについで
きわまりしらぬ ケーオスのしじまへ
廓寥と 彫られて 燃え
焔々と たちのぼる したしい風景
(初稿不詳)
(50)痴寂な手
痴寂(ちせき)な手 その手だ、
こころを むしばみ 眸(め)を むしばみ
山を むしばみ 木と草を むしばむ
痴寂な手 石くれを むしばみ
飯を むしばみ かつをぶしを むしばみ
ああ、ねずみの 糞ふんさへ むしばんでゆく
わたしを、小(ち)さい 妻を
しづかなる空を 白い雲を
痴寂な手 おまへは むさぼり むしばむ
おお、おろかしい 寂寥の手
おまへは、まあ
じぶんの手をさへ 喰つて しまふのかえ
(詩集「痴寂なる手」大正12年5月20日より)
(51)くちばしの黄な 黒い鳥
くちばしの 黄いろい
まつ黒い 鳥であつたつけ
ねちねち うすら白い どぶのうへに
籠(かご)のなかで ぎやうつ! とないてゐたつけ、
なにかしら ほそいほそいものが
ピンと すすり哭ないてゐるような
そんな 真昼で あつたつけ
(詩集「壺」大正12年より)
(52)何故に 色があるのか
なぜに 色があるのだらうか
むかし、混沌は さぶし かつた
虚無は 飢えてきたのだ
ある日、虚無の胸のかげの 一抹(いちまつ)が
すうつと 蠱惑(アムブロウジアル)の 翡翠に ながれた
やがて、ねぐるしい ある夜の 盗汗(ねあせ)が
四月の雨にあらわれて 青(ブルウ)に ながれた
(詩集「私は聴く」大正12年より)
(53)白き響
さく、と 食へば
さく、と くわるる この 林檎の 白き肉
なにゆえの このあわただしさぞ
そそくさとくひければ
わが 鼻先きに ぬれし汁(つゆ)
ああ、りんごの 白きにくにただよふ
まさびしく 白きひびき
(詩集「白い哄笑」大正12年より)
(54)丘を よぢる
丘を よぢ 丘に たてば
こころ わづかに なぐさむに似る
さりながら
丘にたちて ただひとり
水をうらやみ 空をうらやみ
大木(たいぼく)を うらやみて おりてきたれる
(詩集「丘をよぢる白い路」大正12年8月24日より)
(55)おもたい かなしみ
おもたい かなしみが さえわたるとき
さやかにも かなしみは ちから
みよ、かなしみの つらぬくちから
かなしみは よろこびを
怒り、なげきをも つらぬいて もえさかる
かなしみこそ
すみわたりたる 「すだま」とも 生くるか
(詩集「丘をよぢる白い路」大正12年8月24日より)
(56)胡蝶
へんぽんと ひるがへり かけり
胡蝶は そらに まひのぼる
ゆくてさだめし ゆえならず
ゆくて かがやく ゆえならず
ただひたすらに かけりゆく
ああ ましろき 胡蝶
みずや みずや ああ かけりゆく
ゆくてもしらず とももあらず
ひとすぢに ひとすぢに
あくがれの ほそくふるふ 銀糸をあへぐ
(詩集「丘をよぢる白い路」大正12年8月24日より)
(57)おほぞらの 水
おほぞらを 水 ながれたり
みづのこころに うかびしは
かぢもなき 銀の 小舟(おぶね)、ああ
ながれゆく みづの さやけさ
うかびたる ふねのしづけさ
(詩集「丘をよぢる白い路」大正12年8月24日より)
(58)そらの はるけさ
こころ
そらの はるけさを かけりゆけば
豁然と ものありて 湧くにも 似たり
ああ こころは かきわけのぼる
しづけき くりすたらいんの 高原
(詩集「丘をよぢる白い路」大正12年8月24日より)
(62)蒼白い きりぎし
蒼白い きりぎしをゆく
その きりぎしの あやうさは
ひとの子の あやうさに似る、
まぼろしは 暴風(はやて)めく
黄に 病みて むしばまれゆく 薫香
悩ましい 「まあぶる」の しづけさ
たひらかな そのしずけさの おもわに
あまりにもつよく うつりてなげく
悔恨の 白い おもひで
みよ、悔いを むしばむ
その 悔いのおぞましさ
聖栄のひろやかさよ
おお 人の子よ
おまへは それを はぢらうのか
(初稿不詳)
(67)水に 嘆く
みづに なげく ゆふべ
なみも
すすり 哭く、あわれ そが
ながき 髪
砂に まつわる
わが ひくく うたへば
しづむ 陽
いたいたしく ながる
手 ふれなば
血 ながれん
きみ むねを やむ
きみが 唇(くち)
いとど 哀しからん
きみが まみ
うちふるわん
みなと、ふえ とほ鳴れば
かなしき 港
茅渟(ちぬ)の みづ
とも なりて、あれ
とぶは なぞ、
魚か、さあれ
しづけき うみ
わが もだせば
みづ 満々と みちく
あまりに
さぶし
(初稿不詳)
(68)蝕む 祈り
うちけぶる
おもひでの 瓔珞
悔いか なげきか うれひか
おお、きららしい
かなしみの すだま
ぴらる ぴらる
ゆうらめく むねの 妖玉
さなり さなり
死も なぐさまぬ
らんらんと むしばむ いのり
(初稿不詳)
(69)哀しみの 秋
わが 哀しみの 秋に似たるは
みにくき まなこ病む 四十女の
べつとりと いやにながい あご
昨夜みた夢、このじぶんに
『腹切れ』と
刀つきつけし 西郷隆盛の顔
猫の奴めが よるのまに
わが 庭すみに へどしてゆきし
白魚(しらうを)の なまぬるき 銀のひかり
(詩集「龍舌蘭」大正12年より)
(71)石塊(いしくれ)と 語る
石くれと かたる
わがこころ
かなしむべかり
むなしきと かたる、
かくて 厭くなき
わが こころ
しづかに いかる
(詩集「石塊と語る」大正12年より)
(72)大木(たいぼく) を たたく
ふがいなさに ふがいなさに
大木をたたくのだ、
なんにも わかりやしない ああ
このわたしの いやに安物のぎやまんみたいな
『真理よ 出てこいよ
出てきてくれよ』
わたしは 木を たたくのだ
わたしは さびしいなあ
(詩集「痴寂なる手」大正12年5月20日より)
(73)稲妻
くらい よる、
ひとりで 稲妻をみた
そして いそいで ペンをとつた
わたしのうちにも
いなづまに似た ひらめきがあるとおもつたので、
しかし だめでした
わたしは たまらなく
歯をくひしばつて つつぷしてしまつた
(詩集「鳩がとぶ」大正12年9月28日より)
(75)むなしさの 空
むなしさの ふかいそらへ
ほがらかにうまれ 湧く 詩(ポヱジイ)のこころ
旋律は 水のように ながれ
あらゆるものがそこにをわる ああ しづけさ
(初稿不詳)
(76)こころの 船出
しづか しづか 真珠の空
ああ ましろき こころのたび
うなそこをひとりゆけば
こころのいろは かぎりなく
ただ こころのいろにながれたり
ああしろく ただしろく
はてしなく ふなでをする
わが身を おほふ 真珠の そら
(初稿不詳)
(82)止まつた ウオツチ
止まつた 懐中時計(ウオツチ)、
ほそい 三つの 針、
白い 夜だのに
丸いかほの おまへの うつろ、
うごけ うごけ
うごかぬ おまへがこわい
(詩集「感触は水に似る」大正12年より)
(89)不思議をおもふ
たちまち この雑草の庭に ニンフが舞ひ
ヱンゼルの羽音が きわめてしづかにながれたとて
七宝荘厳の天の蓮華が 咲きいでたとて
わたしのこころは おどろかない、
倦み つかれ さまよへる こころ
あへぎ もとめ もだへるこころ
ふしぎであらうとも うつくしく咲きいづるなら
ひたすらに わたしも 舞ひたい
(詩集「花が咲いた」大正12年10月18日より)
(90)あをい 水のかげ
たかい丘にのぼれば
内海(ないかい)の水のかげが あをい
わたしのこころは はてしなく くづをれ
かなしくて かなしくて たえられない
(詩集「花が咲いた」大正12年10月18日より)
(92)皎々とのぼつてゆきたい
それが ことによくすみわたつた日であるならば
そして君のこころが あまりにもつよく
説きがたく 消しがたく かなしさにうづく日なら
君は この阪路(さかみち)をいつまでものぼりつめて
あの丘よりも もつともつとたかく
皎々と のぼつてゆきたいとは おもわないか
(詩集「花が咲いた」大正12年10月18日より)
(93)「キーツ」に 寄す
うつくしい 秋のゆふぐれ
恋人の 白い 横顔(プロフアイル)――「キーツ」の 幻(まぼろし)
(詩集「我子病む」大正12年12月9日より)
(94)はらへたまつてゆく かなしみ
かなしみは しづかに たまつてくる
しみじみと そして なみなみと
たまりたまつてくる わたしの かなしみは
ひそかに だが つよく 透きとほつて ゆく
こうして わたしは 痴人のごとく
さいげんもなく かなしみを たべてゐる
いづくへとても ゆくところもないゆえ
のこりなく かなしみは はらへたまつてゆく
(詩集「鳩がとぶ」大正12年9月28日より)
(95)怒(いか)れる 相(すがた)
空が 怒つてゐる
木が 怒つてゐる
みよ! 微笑(ほほえみ)が いかつてゐるではないか
寂寥、憂愁、哄笑、愛慾、
ひとつとして 怒つてをらぬものがあるか
ああ 風景よ、いかれる すがたよ、
なにを そんなに待ちくたびれてゐるのか
大地から生まれいづる者を待つのか
雲に乗つてくる人を 「ぎよう望」して止まないのか
(詩集「鳩がとぶ」大正12年9月28日より)
(98)白い 雲
秋の いちじるしさは
空の 碧(みどり)を つんざいて 横にながれた白い雲だ
なにを かたつてゐるのか
それはわからないが、
りんりんと かなしい しづかな雲だ
(詩集「花が咲いた」大正12年10月日18より)
(102)春も 晩く
春も おそく
どこともないが
大空に 水が わくのか
水が ながれるのか
なんとはなく
まともにはみられぬ こころだ
大空に わくのは
おもたい水なのか
(詩集「痴寂なる手」大正12年5月20日より)
(113)ちいさい ふくろ
これは ちいさい ふくろ
ねんねこ おんぶのとき
せなかに たらす 赤いふくろ
まつしろな 絹のひもがついてゐます
けさは
しなやかな 秋
ごらんなさい
机のうへに 金糸のぬいとりもはいつた 赤いふくろがおいてある
(詩集「(欠題詩群)二」大正13年10月より)
(114)哭くな 児よ
なくな 児よ
哭くな 児よ
この ちちをみよ
なきもせぬ
わらひも せぬ わ
(詩集「柳もかるく」大正13年4月15日より)
(115)怒り
かの日の 怒り
ひとりの いきもののごとくあゆみきたる
ひかりある
くろき 珠のごとく うしろよりせまつてくる
(詩集「柳もかるく」大正13年4月15日より)
(116)春
春は かるく たたずむ
さくらの みだれさく しづけさの あたりに
十四の少女の
ちさい おくれ毛の あたりに
秋よりは ひくい はなやかな そら
ああ けふにして 春のかなしさを あざやかにみる
(詩集「柳もかるく」大正13年4月15日より)
(117)柳も かるく
やなぎも かるく
春も かるく
赤い 山車(だし)には 赤い児がついて
青い 山車には 青い児がついて
柳もかるく
はるもかるく
けふの まつりは 花のようだ
(詩集「柳もかるく」大正13年4月15日より)
(詩集『秋の瞳』全117編より41編抄出)
(引用詩のかな遣いは原文に従い、用字は当用漢字に改め、明らかな誤植は訂正しました。)
(※以下次回)
前回は詩集『秋の瞳』全117編からなくもがな、と思われる詩編を省いて76編+巻末作品5編を選び、詩集での作品順番号を振り、全集によって判明している創作時期を詩編ごとに記しました。『秋の瞳』は巻頭詩編は10編以上に渡って選択も配列も優れた詩編が並びますが、巻末詩編は出来も並びも良くないと思います。巻末5編の(113)~(117)のうち(113)はまだしも佳編ですが独立性が弱く、(114)が(113)を受けるとすれば(26)と詩想が重なりすぎている上に、(26)より(114)ははっきり出来が悪い詩ですから対になっている(113)もやはり採れません。また(98)(102)(115)(116)なども類似した着想の詩編がすでにあり、重複の観を免れません。音楽でも映画でも書物でも最初と最後はとりわけ入念に作られるのが一般的なように、詩集の場合巻頭と巻末の詩編選択は慎重になると思いますから、八木の意向を酌んで前回でも巻末5編は残しましたが、(112)が一応の佳作としてそこまで76編選ぶのがせいぜいで、巻頭については(112)も詩集を締めくくるほど良くもないというのが率直な感想です。
前回詳述した通り八木重吉は大正14年(1925年)8月刊行の第1詩集『秋の瞳』までに40冊もの手稿小詩集を書いており、うち14冊からは1編も採らず(その14冊からは第2詩集『貧しき信徒』にも採っていません)さらに小詩集以外の単独の詩編も大正10年~11年に77編、大正13年~14年に4編が遺されていますから(八木重吉が詩誌に詩作発表するようになったのは『秋の瞳』刊行以後に勧誘されてからですから、大正14年までの実際の創作編数は現存原稿以外にはわかりません)、小詩集40冊編纂作品1,455編から97編を選び、書き下ろしと推定される初稿不詳の20編を加えたのが詩集『秋の瞳』です。1編も『秋の瞳』に選ばなかった14冊の641編を対象外としても26冊・814編からの選択ですし、『秋の瞳』編集に着手した大正13年10月以降に編まれた小詩集に『秋の瞳』収録詩編がないのは『秋の瞳』収録のため最初から小詩集から除外していたのでしょう。手前味噌ながら、前回抄出した76編は割合公正な鑑賞によってふるいにかけ、まるごと『秋の瞳』を読むより焦点の絞れた選抄になったと思います。そこで今回はその逆をやってみたいと思います。つまり前回選ばなかった37編と前回巻末作品という理由で追加した(本来だったら選ばなかった)だけの巻末5編の計41編の選抄です。
そう言ってしまうと余り物めいて聞こえるかもしれませんが要するに前回は詩集全編から上位約2/3の作品を選び、今回は下位1/3の作品を選んでみたことになります。これで全編の出典小詩集も明記できますし、またこれら出来の悪い詩は八木の詩の弱点を示すものでもあれば、それでも1,455編もの手稿小詩集の中から八木自身が詩集に選出したものであり、収録しただけの愛着と自負のある詩編だったでしょう。詩集『秋の瞳』はセクション分けされておらず、短いものでは1行~4行、長くても見開き程度に収まる短詩ばかりが集められた詩集です。習作時代の八木の詩は必ずしも短詩ばかりではなく、やや物語性のある叙事詩的な長詩も稀にありますが、やはり当初から心象の断篇を切り取った詩が目立ちます。そうした性格の作風ですから1編だけでは独立した詩的内容にならず、一群の詩としてようやく作品と見なせるような詩も多いのが公刊詩集『秋の瞳』に先立って八木自身が小詩集単位で詩稿をまとめていた理由と思われます。『秋の瞳』はさらに手稿小詩集からのベスト・セレクションとして選り抜き再編集されたものであり、質の高いものという基準はあっても全体としてはなるべく八木自身の考える自分の詩の幅広さを調整して選んだと思われます。こうして前回ふるいにかけて落とした詩ばかりを集めてみると、山村暮鳥や大手拓次の出来の悪い模倣のような詩が目立ちます。暮鳥については八木が確実に読んでいた証言がありますが、昭和11年の歿後刊行まで詩集のなかった大手拓次を発表誌で八木が読んでいたかは可能性が薄く、萩原朔太郎経由で偶然大手のひらがなが多く稚拙を装った文体の神秘主義的な詩と似通った発想が表れた、と推察する方が無理がないでしょう。
また和洋の違いこそあれ熱心な宗教詩人で教職者だったこと、ごっそり手稿を書き貯めていたことなども共通する宮澤賢治(1896-1933)がボキャブラリー豊富で饒舌な詩の書き手だったのに対して、八木としてはボキャブラリーの多さや饒舌さに向かった詩では必ずと言ってもいいほど失敗しており、前回そうした詩は失敗作として落としましたから、今回は八木がどんな詩を書くと失敗するかがよくわかる選抄になっています。具体的には文語で書くと失敗、外来語を入れると失敗、概念語や固有名詞を入れると失敗しています。宮澤賢治は本邦屈指の怒涛のようなボキャブラリーを誇る饒舌の塊でしたが、八木重吉はむしろ沈黙に向かうタイプのストイシズムに憑かれていたようで、そのくびきを逃れようとすると出来の悪い詩になる。しかしそうした失敗作も詩集のうち1/3を占めているのが八木の率直さで、成功作はそうしたことを削ぎ落として出来あがっているからには失敗作でしか語れないことが語られている。成功作と失敗作は補いあっているとも言えるので、これは宮澤のような大手腕の詩人には見られない美点でもあります。また八木重吉が第1公刊詩集『秋の瞳』に必ずしも純度の高い作品ばかりを選ばなかったのは結果的に詩集を信仰詩偏重から救ってもおり、八木が読んでいたのが確実な宮澤の生前唯一の詩集『春と修羅』'24(大正13年刊)に比肩し得るものになっています。宮澤と八木は草野心平・佐藤惣之助という共通の詩人の知友がいましたが接点があったかどうか、次回はそのあたりも視野に入れて八木の詩の特質を見ていきたいと思います。
[ 詩集『秋の瞳』収録詩編初出小詩集一覧 ]
(『秋の瞳』選出あり=○、選出なし=×)
1○木蓮(一九二三・一=大正12年1月)詩46編、『秋の瞳』初稿1編初出、創作時期大正11年6月、7月
2○あしたの嘆き(一九二三・一=大正12年1月)詩28編、『秋の瞳』初稿1編初出、創作時期大正11年6月、7月
3○感触は水に似る(1923)詩25編、『秋の瞳』初稿2編初出、創作時期大正10年
4×夾竹桃(一九二三)詩17編、『秋の瞳』初稿なし、創作時期大正11年
5○龍舌蘭(1923)詩10編、『秋の瞳』初稿2編初出、創作時期大正11年秋
6○白い哄笑(一九二三)詩18編、『秋の瞳』初稿2編初出、創作時期大正11年秋
7○虔しい放縦(一九二三)詩39編、『秋の瞳』初稿3編初出、創作時期大正11年秋
8○矜持ある風景(大正12年)詩22編、『秋の瞳』初稿2編初出、創作時期大正11年秋~冬
9○不安な外景(--23=大正12年)詩12編、『秋の瞳』初稿1編初出、創作時期大正11年暮~大正12年初頭
10○庭上寂(1923=大正12年)詩12編、『秋の瞳』初稿4編初出、創作時期大正11年秋~大正12年初頭
11×巨いなる鐘(一九二三)詩12編、『秋の瞳』初稿なし
12○静かなる風景(一九二三)詩11編、『秋の瞳』初稿5編初出
13○石塊と語る(1923=大正12年)詩21編、『秋の瞳』初稿3編初出
14○私は聴く(一九二三=大正12年)詩17編、『秋の瞳』初稿3編初出
15○暗光(1923=大正12年)詩11編、『秋の瞳』初稿1編初出
16○壺(1923=大正12年)詩8編、『秋の瞳』初稿3編初出
17×草は静けさ(1923=大正12年)詩20編、『秋の瞳』初稿なし
18○土をたたく(4/1923=大正12年4月)詩18編、『秋の瞳』初稿1編初出
19○痴寂なる手(一九二三=大正12年5月20日)詩40編、『秋の瞳』初稿6編初出
20○焼夷(1923.6=大正12年6月)詩37編、『秋の瞳』初稿2編初出
21○丘をよぢる白い路(一九二三・八・二四=大正12年8月24日)序文+詩31編、『秋の瞳』初稿12編初出
22○鳩がとぶ(大正12年9月28日)詩37編、『秋の瞳』初稿13編初出
23○花が咲いた(大正12年10月18日)序文+詩27編、『秋の瞳』初稿7編初出
24○大和行(一九二三・一一・六=大正12年11月6日)序文+詩20編、『秋の瞳』初稿6編初出
25○我子病む(大正12年12月9日)詩27編+散文1編、『秋の瞳』初稿8編初出
26×不死鳥(Jan.1st, 1924)詩25編、『秋の瞳』初稿なし
27×どるふいんの うた(一九二四・一・二〇)詩11編、『秋の瞳』初稿なし
28×幼き怒り(大正13年4月7日)詩51編、『秋の瞳』初稿なし
29○柳もかるく(大正13年4月15日)詩48編、『秋の瞳』初稿4編初出
30○逝春賦(大正13年5月23日)詩51編、『秋の瞳』初稿3編初出
31×鞠とぶりきの独楽(一九二四・六・一八)序文+詩57編、『秋の瞳』初稿なし
32○(欠題詩群)一(大正13年10月)詩96編、『秋の瞳』初稿1編初出
33○(欠題詩群)二(大正13年10月)詩109編、『秋の瞳』初稿1編初出
34×神をおもふ秋(大正13年10月26日)詩76編、『秋の瞳』初稿なし
35×純情を慕ひて(大正13年11月4日)詩73編、『秋の瞳』初稿なし
36×幼き歩み(大正13年11月14日)詩53編、『秋の瞳』初稿なし
37×寂寥三昧(大正13年11月15日~23日)詩44編、『秋の瞳』初稿なし
38×貧しきものの歌(大正13年12月9日)詩57編、『秋の瞳』初稿なし
39×ものおちついた冬のまち(大正14年1月14日)詩82編、『秋の瞳』初稿なし
40×み名を呼ぶ(大正14年3月)詩63編、『秋の瞳』初稿なし
●秋の瞳(大正14年=1925年8月1日新潮社刊)
*
詩集『秋の瞳』大正14年(1925年)8月1日新潮社刊
(15)大和行
大和(やまと)の国の水は こころのようにながれ
はるばると 紀伊とのさかひの山山のつらなり、
ああ 黄金(きん)のほそいいとにひかつて
秋のこころが ふりそそぎます
さとうきびの一片をかじる
きたない子が 築地(ついぢ)からひよつくりとびだすのもうつくしい、
このちさく赤い花も うれしく
しんみりと むねへしみてゆきます
けふはからりと 天気もいいんだし
わけもなく わたしは童話の世界をゆく、
日は うららうららと わづかに白い雲が わき
みかん畑には 少年の日の夢が ねむる
皇陵や、また みささぎのうへの しづかな雲や
追憶は はてしなく うつくしくうまれ、
志幾(しき)の宮の 舞殿(まひでん)にゆかをならして そでをふる
白衣(びやくえ)の 神女(みこ)は くちびるが 紅(あか)い
(詩集「大和行」大正年月日より)
(19)つかれたる 心
あかき 霜月の葉を
窓よりみる日 旅を おもふ
かくのごときは じつに心おごれるに似たれど
まことは
こころ あまりにも つかれたるゆえなり
(詩集「我子病む」大正12年12月9日より)
(22)心 よ
ほのかにも いろづいてゆく こころ
われながら あいらしいこころよ
ながれ ゆくものよ
さあ それならば ゆくがいい
「役立たぬもの」にあくがれて はてしなく
まぼろしを 追ふて かぎりなく
こころときめいて かけりゆけよ
(詩集「我子病む」大正12年12月9日より)
(27)花と咲け
鳴く 蟲よ、花 と 咲 け
地 に おつる
この 秋陽(あきび)、花 と 咲 け、
ああ さやかにも
この こころ、咲けよ 花と 咲けよ
(詩集「鳩がとぶ」大正12年9月28日より)
(34)泪(なみだ)
泪(なみだ)、泪(なみだ)
ちららしい
なみだの 出あひがしらに
もの 寂びた
哄(わらひ) が
ふつと なみだを さらつていつたぞ
(詩集「虔しい放縦」大正12年より)
(35)石くれ
石くれを ひろつて
と視、こう視
哭(な)くばかり
ひとつの いしくれを みつめてありし
ややありて
こころ 躍(おど)れり
されど
やがて こころ おどらずなれり
(詩集「虔しい放縦」大正12年より)
(36)龍舌蘭
りゆうぜつらん の
あをじろき はだえに 湧く
きわまりも あらぬ
みづ色の 寂びの ひびき
かなしみの ほのほのごとく
さぶしさのほのほの ごとく
りゆうぜつらんの しづけさは
豁然(かつぜん)たる 大空を 仰あふぎたちたり
(詩集「龍舌蘭」大正12年より)
(37)矜持ある 風景
矜持ある 風景
いつしらず
わが こころに 住む
浪(らう)、浪、浪 として しづかなり
(詩集「矜持ある風景」大正12年より)
(41)葉
葉よ、
しんしん と
冬日がむしばんでゆく、
おまへも
葉と 現ずるまでは
いらいらと さぶしかつたらうな
葉よ、
葉と 現じたる
この日 おまへの 崇厳
でも、葉よ
いままでは さぶしかつたらうな
(詩集「静かなる風景」大正12年より)
(45)おもひで
おもひでは 琥珀(オパール)の
ましづかに きれいなゆめ
さんらんとふる 嗟嘆(さたん)でさへ
金色(きん)の 葉の おごそかに
ああ、こころ うれしい 煉獄の かげ
人の子は たゆたひながら
うらぶれながら
もだゆる日 もだゆるについで
きわまりしらぬ ケーオスのしじまへ
廓寥と 彫られて 燃え
焔々と たちのぼる したしい風景
(初稿不詳)
(50)痴寂な手
痴寂(ちせき)な手 その手だ、
こころを むしばみ 眸(め)を むしばみ
山を むしばみ 木と草を むしばむ
痴寂な手 石くれを むしばみ
飯を むしばみ かつをぶしを むしばみ
ああ、ねずみの 糞ふんさへ むしばんでゆく
わたしを、小(ち)さい 妻を
しづかなる空を 白い雲を
痴寂な手 おまへは むさぼり むしばむ
おお、おろかしい 寂寥の手
おまへは、まあ
じぶんの手をさへ 喰つて しまふのかえ
(詩集「痴寂なる手」大正12年5月20日より)
(51)くちばしの黄な 黒い鳥
くちばしの 黄いろい
まつ黒い 鳥であつたつけ
ねちねち うすら白い どぶのうへに
籠(かご)のなかで ぎやうつ! とないてゐたつけ、
なにかしら ほそいほそいものが
ピンと すすり哭ないてゐるような
そんな 真昼で あつたつけ
(詩集「壺」大正12年より)
(52)何故に 色があるのか
なぜに 色があるのだらうか
むかし、混沌は さぶし かつた
虚無は 飢えてきたのだ
ある日、虚無の胸のかげの 一抹(いちまつ)が
すうつと 蠱惑(アムブロウジアル)の 翡翠に ながれた
やがて、ねぐるしい ある夜の 盗汗(ねあせ)が
四月の雨にあらわれて 青(ブルウ)に ながれた
(詩集「私は聴く」大正12年より)
(53)白き響
さく、と 食へば
さく、と くわるる この 林檎の 白き肉
なにゆえの このあわただしさぞ
そそくさとくひければ
わが 鼻先きに ぬれし汁(つゆ)
ああ、りんごの 白きにくにただよふ
まさびしく 白きひびき
(詩集「白い哄笑」大正12年より)
(54)丘を よぢる
丘を よぢ 丘に たてば
こころ わづかに なぐさむに似る
さりながら
丘にたちて ただひとり
水をうらやみ 空をうらやみ
大木(たいぼく)を うらやみて おりてきたれる
(詩集「丘をよぢる白い路」大正12年8月24日より)
(55)おもたい かなしみ
おもたい かなしみが さえわたるとき
さやかにも かなしみは ちから
みよ、かなしみの つらぬくちから
かなしみは よろこびを
怒り、なげきをも つらぬいて もえさかる
かなしみこそ
すみわたりたる 「すだま」とも 生くるか
(詩集「丘をよぢる白い路」大正12年8月24日より)
(56)胡蝶
へんぽんと ひるがへり かけり
胡蝶は そらに まひのぼる
ゆくてさだめし ゆえならず
ゆくて かがやく ゆえならず
ただひたすらに かけりゆく
ああ ましろき 胡蝶
みずや みずや ああ かけりゆく
ゆくてもしらず とももあらず
ひとすぢに ひとすぢに
あくがれの ほそくふるふ 銀糸をあへぐ
(詩集「丘をよぢる白い路」大正12年8月24日より)
(57)おほぞらの 水
おほぞらを 水 ながれたり
みづのこころに うかびしは
かぢもなき 銀の 小舟(おぶね)、ああ
ながれゆく みづの さやけさ
うかびたる ふねのしづけさ
(詩集「丘をよぢる白い路」大正12年8月24日より)
(58)そらの はるけさ
こころ
そらの はるけさを かけりゆけば
豁然と ものありて 湧くにも 似たり
ああ こころは かきわけのぼる
しづけき くりすたらいんの 高原
(詩集「丘をよぢる白い路」大正12年8月24日より)
(62)蒼白い きりぎし
蒼白い きりぎしをゆく
その きりぎしの あやうさは
ひとの子の あやうさに似る、
まぼろしは 暴風(はやて)めく
黄に 病みて むしばまれゆく 薫香
悩ましい 「まあぶる」の しづけさ
たひらかな そのしずけさの おもわに
あまりにもつよく うつりてなげく
悔恨の 白い おもひで
みよ、悔いを むしばむ
その 悔いのおぞましさ
聖栄のひろやかさよ
おお 人の子よ
おまへは それを はぢらうのか
(初稿不詳)
(67)水に 嘆く
みづに なげく ゆふべ
なみも
すすり 哭く、あわれ そが
ながき 髪
砂に まつわる
わが ひくく うたへば
しづむ 陽
いたいたしく ながる
手 ふれなば
血 ながれん
きみ むねを やむ
きみが 唇(くち)
いとど 哀しからん
きみが まみ
うちふるわん
みなと、ふえ とほ鳴れば
かなしき 港
茅渟(ちぬ)の みづ
とも なりて、あれ
とぶは なぞ、
魚か、さあれ
しづけき うみ
わが もだせば
みづ 満々と みちく
あまりに
さぶし
(初稿不詳)
(68)蝕む 祈り
うちけぶる
おもひでの 瓔珞
悔いか なげきか うれひか
おお、きららしい
かなしみの すだま
ぴらる ぴらる
ゆうらめく むねの 妖玉
さなり さなり
死も なぐさまぬ
らんらんと むしばむ いのり
(初稿不詳)
(69)哀しみの 秋
わが 哀しみの 秋に似たるは
みにくき まなこ病む 四十女の
べつとりと いやにながい あご
昨夜みた夢、このじぶんに
『腹切れ』と
刀つきつけし 西郷隆盛の顔
猫の奴めが よるのまに
わが 庭すみに へどしてゆきし
白魚(しらうを)の なまぬるき 銀のひかり
(詩集「龍舌蘭」大正12年より)
(71)石塊(いしくれ)と 語る
石くれと かたる
わがこころ
かなしむべかり
むなしきと かたる、
かくて 厭くなき
わが こころ
しづかに いかる
(詩集「石塊と語る」大正12年より)
(72)大木(たいぼく) を たたく
ふがいなさに ふがいなさに
大木をたたくのだ、
なんにも わかりやしない ああ
このわたしの いやに安物のぎやまんみたいな
『真理よ 出てこいよ
出てきてくれよ』
わたしは 木を たたくのだ
わたしは さびしいなあ
(詩集「痴寂なる手」大正12年5月20日より)
(73)稲妻
くらい よる、
ひとりで 稲妻をみた
そして いそいで ペンをとつた
わたしのうちにも
いなづまに似た ひらめきがあるとおもつたので、
しかし だめでした
わたしは たまらなく
歯をくひしばつて つつぷしてしまつた
(詩集「鳩がとぶ」大正12年9月28日より)
(75)むなしさの 空
むなしさの ふかいそらへ
ほがらかにうまれ 湧く 詩(ポヱジイ)のこころ
旋律は 水のように ながれ
あらゆるものがそこにをわる ああ しづけさ
(初稿不詳)
(76)こころの 船出
しづか しづか 真珠の空
ああ ましろき こころのたび
うなそこをひとりゆけば
こころのいろは かぎりなく
ただ こころのいろにながれたり
ああしろく ただしろく
はてしなく ふなでをする
わが身を おほふ 真珠の そら
(初稿不詳)
(82)止まつた ウオツチ
止まつた 懐中時計(ウオツチ)、
ほそい 三つの 針、
白い 夜だのに
丸いかほの おまへの うつろ、
うごけ うごけ
うごかぬ おまへがこわい
(詩集「感触は水に似る」大正12年より)
(89)不思議をおもふ
たちまち この雑草の庭に ニンフが舞ひ
ヱンゼルの羽音が きわめてしづかにながれたとて
七宝荘厳の天の蓮華が 咲きいでたとて
わたしのこころは おどろかない、
倦み つかれ さまよへる こころ
あへぎ もとめ もだへるこころ
ふしぎであらうとも うつくしく咲きいづるなら
ひたすらに わたしも 舞ひたい
(詩集「花が咲いた」大正12年10月18日より)
(90)あをい 水のかげ
たかい丘にのぼれば
内海(ないかい)の水のかげが あをい
わたしのこころは はてしなく くづをれ
かなしくて かなしくて たえられない
(詩集「花が咲いた」大正12年10月18日より)
(92)皎々とのぼつてゆきたい
それが ことによくすみわたつた日であるならば
そして君のこころが あまりにもつよく
説きがたく 消しがたく かなしさにうづく日なら
君は この阪路(さかみち)をいつまでものぼりつめて
あの丘よりも もつともつとたかく
皎々と のぼつてゆきたいとは おもわないか
(詩集「花が咲いた」大正12年10月18日より)
(93)「キーツ」に 寄す
うつくしい 秋のゆふぐれ
恋人の 白い 横顔(プロフアイル)――「キーツ」の 幻(まぼろし)
(詩集「我子病む」大正12年12月9日より)
(94)はらへたまつてゆく かなしみ
かなしみは しづかに たまつてくる
しみじみと そして なみなみと
たまりたまつてくる わたしの かなしみは
ひそかに だが つよく 透きとほつて ゆく
こうして わたしは 痴人のごとく
さいげんもなく かなしみを たべてゐる
いづくへとても ゆくところもないゆえ
のこりなく かなしみは はらへたまつてゆく
(詩集「鳩がとぶ」大正12年9月28日より)
(95)怒(いか)れる 相(すがた)
空が 怒つてゐる
木が 怒つてゐる
みよ! 微笑(ほほえみ)が いかつてゐるではないか
寂寥、憂愁、哄笑、愛慾、
ひとつとして 怒つてをらぬものがあるか
ああ 風景よ、いかれる すがたよ、
なにを そんなに待ちくたびれてゐるのか
大地から生まれいづる者を待つのか
雲に乗つてくる人を 「ぎよう望」して止まないのか
(詩集「鳩がとぶ」大正12年9月28日より)
(98)白い 雲
秋の いちじるしさは
空の 碧(みどり)を つんざいて 横にながれた白い雲だ
なにを かたつてゐるのか
それはわからないが、
りんりんと かなしい しづかな雲だ
(詩集「花が咲いた」大正12年10月日18より)
(102)春も 晩く
春も おそく
どこともないが
大空に 水が わくのか
水が ながれるのか
なんとはなく
まともにはみられぬ こころだ
大空に わくのは
おもたい水なのか
(詩集「痴寂なる手」大正12年5月20日より)
(113)ちいさい ふくろ
これは ちいさい ふくろ
ねんねこ おんぶのとき
せなかに たらす 赤いふくろ
まつしろな 絹のひもがついてゐます
けさは
しなやかな 秋
ごらんなさい
机のうへに 金糸のぬいとりもはいつた 赤いふくろがおいてある
(詩集「(欠題詩群)二」大正13年10月より)
(114)哭くな 児よ
なくな 児よ
哭くな 児よ
この ちちをみよ
なきもせぬ
わらひも せぬ わ
(詩集「柳もかるく」大正13年4月15日より)
(115)怒り
かの日の 怒り
ひとりの いきもののごとくあゆみきたる
ひかりある
くろき 珠のごとく うしろよりせまつてくる
(詩集「柳もかるく」大正13年4月15日より)
(116)春
春は かるく たたずむ
さくらの みだれさく しづけさの あたりに
十四の少女の
ちさい おくれ毛の あたりに
秋よりは ひくい はなやかな そら
ああ けふにして 春のかなしさを あざやかにみる
(詩集「柳もかるく」大正13年4月15日より)
(117)柳も かるく
やなぎも かるく
春も かるく
赤い 山車(だし)には 赤い児がついて
青い 山車には 青い児がついて
柳もかるく
はるもかるく
けふの まつりは 花のようだ
(詩集「柳もかるく」大正13年4月15日より)
(詩集『秋の瞳』全117編より41編抄出)
(引用詩のかな遣いは原文に従い、用字は当用漢字に改め、明らかな誤植は訂正しました。)
(※以下次回)