一般的には日本の'20年代サイレント映画(日本映画のサイレント時代はトーキーと混在しながら1935年まで続きますが)は完全版が残っている『路上の霊魂』'21、『雄呂血』'25、『狂つた一頁』'26、『忠治旅日記(第三部)』'27、『十字路』'28と、短縮版または断篇で『建国史 尊王攘夷』'27、『血煙高田馬場』'28、『忠魂義烈 実録忠臣蔵』'28、『浪人街』'28、『斬人斬馬剣』'29くらいしか観られていないのではないでしょうか。サイレント時代~トーキー初期にトップクラスの芸術派と絶大な評価を得ていたキネマ旬報年間ベストテン常連監督、村田實(1894-1937)など監督デビュー作『光に立つ乙女』'20から遺作『櫻の圜』'36まで監督作品全44本中サイレント期の『路上の霊魂』'21と晩年近いトーキー作品『霧笛』'34しか現存フィルムがありません。ちなみに映画専門誌「キネマ旬報」創刊は大正8年(1919年)7月、これは日本最初の芸術映画と呼ばれる帰山教正監督・脚本、村田實主演の『生の輝き』(現存せず)の製作は'18年、公開'19年9月と符丁を合わせている通り、これから観ていく'20年代サイレント時代劇は芸術派映画ではないので同時代には批評対象にされず、キネマ旬報社の『日本映画史』(昭和51年刊)にも田中純一郎の『日本映画発達史』(増補改訂版定本・昭和51年刊)にもほとんど載っていないのです。はたしてこれで感想文らしい感想文が書けるでしょうか。
●1月28日(日)
『弥次喜多前篇 善光寺詣り』(日活大将軍京都撮影所'21)*45min(オリジナル65min), B/W, Silent
監督・辻吉郎(1892-1946)、小林弥六(1878-1943)
出演・尾上松之助(弥次郎兵衛)、中村扇太郎(喜多八)、実川延一郎(江藤新十郎)、中村仙之助
○あらすじ(DVDパッケージより) 東海道五十三次の旅に飽きてしまった弥次さんと喜多さんは、趣向を変えて信州善光寺詣りへと出発するが行く先々で失敗づくし。熊谷宿では、仇討ちの旅の途中の侍と知り合い、助太刀を買って出た。逃亡した仇を追って、安芸の宮島へ……。
弥次喜多は例の『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんなので当然なのですが、まさか完全にアメリカの同時代短編喜劇映画の乗りで作られているのには意表を突かれます。'21年はチャップリンとロイドがそれぞれ初の長編『チャップリンのキッド』『ロイドの水兵』を発表した年で、キートンは舞台劇の映画化長編『馬鹿息子』'20で長編初主演していましたがこれはチャップリン助演の『醜女の深情け』'14(マック・セネット監督作品)に相当するのでキートン自身の長編第1作は『滑稽恋愛三代記』'23でした。弥次喜多映画の場合は短編喜劇のオムニバス形式の構成が可能なので、まず遭遇するのが善光寺道中までの化け狐とのエピソード。これは美女に化けた狐に弥次さんが散々振り回されるというマイムとジャンプ・カットによる特殊撮影が見物で、サイレント映画の俳優はこれほど動きが決まらなければ勤まらないのを見せつけられる切れのある芝居が観られます。次に善光寺に着くと観音像を掲げた偽坊主が参拝客の寄進を騙し盗っていて、弥次さん喜多さんもそれならばと招き猫を掲げて寄進を募って参拝客に嘲弄され、やがて偽坊主の正体に気づいてとっちめる。そして「宮島詣り」に続いて今度は天狗の集会に巻き込まれる、となるのですが、こんな具合にチャップリンのマック・セネット主宰のキーストン社時代の一幕劇風の短編喜劇(「チャップリンの失恋」「拳闘」「番頭」「スケート」というようなお題物)をつなげたようなもので、人間や人生を描こうとか感動させようという邪念が一切ないばかりか笑わせようというのともズレているような呑気さがあり、大正時代の日本人が思い浮かべるお気楽な江戸情緒(それを京都の撮影所製作なのも変な感じですが、ハリウッドでニューヨークを描いた映画を作っていたようなものでしょう)みたいなものが狙いで、アメリカの短編喜劇の手法で作られながら微妙に異なる味になっています。化け狐やら偽坊主やら天狗が出てくるのは時代劇ならではの題材ですが、シンプルな字幕だけでも映像を観ればわかる。外国人にもわかるでしょうし、現代の眼で観ると完全におかしな世界を描いたファンタジーで、俳優が演じる化け狐も天狗も迫力がありすぎて『膝栗毛』というよりも『不思議の国のアリス』に出てくるチェシャ猫や気狂い帽子屋に近い存在のような気もしてきます。これは観る人ごとにまったく違った印象を与える映画でしょう。インディーの前衛実験映画と言われても通用するような、大衆向け娯楽映画のふりをしたシュルレアリスム映画にも見えるのです。
●1月29日(月)
『小雀峠』(マキノ映画製作所等持院撮影所'23)*48min(オリジナル60min), B/W, Silent
指揮・牧野省三(1878-1929)
監督・沼田紅緑(1891-1927)
脚色・寿々喜多呂九平(1899-1960)
原作・寿々喜多呂九平
撮影・橋本左一呂
出演・市川幡谷(殿様平次)、高木新平(向見ずの仙吉)、市川玉太郎(不死身の三太)、片岡市太郎(望月小十郎・三左衛門)、阪東妻三郎(粕谷桃之介)、市川省紅(粕谷左門)、森静子(お咲)、田中嘉子(お美津)、市川小蝦(飴売徳太郎)、中村東鬼蔵(仲間)
○解説(キネマ旬報日本映画データベースより) 未だ見ぬ父親を尋ねて流浪の旅を続ける飴売りの少年と、彼の純真さに感化された盗賊たちとの交流と悲劇を描く時代劇。監督は沼田紅緑。出演は市川幡谷(1883-没年不詳、1930年引退)、市川小蝦、片岡市太郎、阪東妻三郎ほか。現存する最古の阪東妻三郎出演作品。
○あらすじ(DVDパッケージより) 親子の愛情や人情を飴売りの少年、徳太郎に託して描いた佳作。彼は亡き母に教わった飴売りの歌を頼りに行きわかれた父を捜していたが……。飴売りの少年徳太郎は今日も亡き母に教わった飴売りの唄を頼りに生き別れた父を捜しながら行商するなか悪党を改心させたりと親子の情愛や人情を描いた作品です。また、この作品は阪東妻三郎が映画俳優としてデビューした年の作品。まだ新人俳優の一人であった為悪役に扮しているという現存する映像の中で最も古く貴重な作品でもあります。
大作『忠魂義烈~』に一本立ちしていた門弟監督たちが協力に集まった、という話からは牧野が独立プロ監督だった(その点ではグリフィス的)のもあるでしょうが、大作『ナポレオン』'27にマルセル・レルビエ、アレクサンドル・ヴォルコフ、ジャン・エプスタンらが集まったというアベル・ガンスの例を思わせます。グリフィスの場合『嵐の孤児』'21や『アメリカ』'24にラオール・ウォルシュやシュトロハイムが助太刀に集まることはなかったので、さすがに牧野門下生でも衣笠貞之助くらいになると一家を成していましたから無理だったでしょうが、レルビエ、ヴォルコフ、エプスタンだって当時すでに第一線級の監督ですし早逝していなければルイ・デリュックも駆けつけたでしょう。ガンスはそういう存在だったのに対しグリフィスは弟子たちが乗り越える(別の方向を見つける)対象だったとも言えるので、牧野省三本人の現存作品は少なくても牧野門下生たちの作品を総合するとその存在の大きさがわかる気がします。その点では監督よりも自己のプロダクション主宰者としてウィリアム・S・ハート主演の人情西部劇を代表にプロデュース作品を多く送り出したトーマス・H・インスにも近いでしょう。また、教育映画を標榜したのは牧野の本音と世間体の両方が含まれていて、『小雀峠』は飴売りの行商(!)をして生計を立てている孤児の少年を主人公にしていますが、実は貴種流離譚がプロットの本体だったと中盤以降明らかになっていきます。しかしその『小公子』的物語はスリや強盗、その被害者と救援者のチャンバラ時代劇の体裁を採っていて、善行を積めばいつか立派な家の子供であるとわかるという風な子供に夢を与える要素と(これが調子良い功利的で偽善的な夢かどうかはさておいて)行く先々で強盗また強盗、チャンバラまたチャンバラに遭遇するわくわくのひとり旅という興味本位の趣向のどちらが牧野プロ映画の本心かと言えばどちらが欠けても成り立たないのが『小雀峠』の世界です。その点ではトーマス・H・インス・プロ作品より派手好みの作風です。牧野の『実録忠臣蔵』(牧野プロ製作で大ヒットした'22年版の方)を観て牧野プロの門を叩いたという脚本家・寿々喜多呂九平も冴えていて、この映画は小雀峠の茶屋の小町娘だった母が少年の赤ん坊の時から歌い聴かせてきた小雀峠の伝承歌がテーマ曲になっており、その伝承歌が少年を導いていくことになります。時には挿入字幕(インタータイトル)で、時には画面に母の面影とオーヴァーラップして反復されるこの曲は、完全サイレント版では当然まったく無音ですが、映画の中では登場人物たちの耳に鳴り響いているのが確かに感じられます。逆に劇伴音楽や弁士が実際に小唄に節をつけてしまうと観客の耳には具体化しても映画の中には響いている感じがしなくなってしまう懸念があります。また日活映画『弥次喜多~』でもそうでしたが、当時の時代劇の男性役者はトンビが切れる(肩を軸にしてその場で飛び跳ねて宙を一回転する)所作は基本だったこと、含羞の表現として若い女の和服の袖で口許を隠す仕草がハンカチで口許を隠す仕草と似通っていることなどマイムの様式が西洋映画、特に動作の誇張の大きいアメリカのサイレント喜劇に酷似しているのが目立ちます。仮にアメリカ喜劇映画が手本で存在しなくてもアクションとコメディ要素の強いサイレント時代劇は同じ演出になっただろうという説得力さえあります。アクションと人情味、喜劇性と抒情味がそつなく調和してドラマの焦点が明快なのがさりげなく日本映画の長編時代の定着を示しており、1923年の世界映画の水準に十分到達しています。これが特別なヒット作ではなく平均的な牧野プロ映画の出来としたらなおさら大したことではありませんか。
●1月30日(火)
『江戸怪賊傳 影法師』(東亜キネマ・マキノ映画製作所等持院撮影所'25)*63min(オリジナル前篇77min, 後篇66min), B/W, Silent
指揮・牧野省三
監督・二川文太郎(1899-1966)
脚本・寿々喜多呂九平
原作・寿々喜多呂九平
撮影・田中重次郎
出演・阪東妻三郎(怪賊影法師)、高木新平(奇賊流れ星十太)、中根龍太郎(奇賊盲の権次)、牧野輝子(女賊弁天お栄)、中村吉松(岡つ引赤鬼の喜蔵)、月形龍之介(清見潟平馬)、生野初子(お転馬お美江)、坪井哲(高利貸矢口仙左衛門)、大谷友四郎(浪人樋口十介)
○あらすじ(DVDパッケージより) 江戸騒がす怪賊「影法師」。仲間は流れ星十太と盲の権次だ。彼らが道に倒れたお栄を助けたことにより始まる剣戟と恋愛が絡み合った物語。クレジットはないが、お栄の夫して月形龍之介も出演。時は江戸。悪侍たちに絡まれた車力の老人(市川花紅)とその息子(高頭道太郎)を救ったのは、江戸を騒がす"影法師"(阪東妻三郎)。所変わってとある寺院。お転馬娘お美江(生野初子)のかんざしをスリ勝負で狙う二人の男"鴉の仙太"(光岡龍三郎)と"流れ星十太"(高木新平)。しかし、その様子を見ていた者もまた二人。一人は岡っ引である赤鬼の喜蔵(中村吉松)、そして、影法師。先に流れ星十太を捕らえた影法師だが、かんざしを取り返すや流れ星十太を逃がしてしまう。そのことを尋ねる喜蔵は、彼が影法師であることに気付く。影法師を捕らえようと追いかける喜蔵と逃げる影法師。途中、影法師を見失った喜蔵は、通りがかりの笠をかぶった僧侶に行方を尋ね、走り去る。僧侶が笠を取ると影法師の姿が……その後仲間になった流れ星十太を一味に加えた影法師の活躍は如何に……。
お転馬お美江に想いを寄せられながら翳のある弁天お栄に惚れてしまう影法師の恋の行方が後半の展開に軸になりますが、影法師はお栄が女賊の弁天お栄とは知らず、月形龍之介演じる強盗清見潟平馬と内縁関係なのも知りません。観客には先にお栄の素姓が明かされているのでこれがサスペンスになりますが、お栄と影法師のロマンスは平馬が入獄しているから進むので、そのうち月形龍之介が脱獄してきてしまう。本作の月形の悪役メイクは『小雀峠』でまだ端役の阪妻が悪役で出演したメイクと瓜二つで同一人物かと見間違えるほどです。主役を張った本作の阪妻はトップクラスの人気も頷ける眼光鋭い美男子で冷徹さと一触即発の激情の両方を感じさせ、田村高廣・正和兄弟の御尊父ですが田村兄弟が長年「阪妻の息子」呼ばわりされていたのも父上のスター時代の方を先に知る観客が多かった頃は無理もないくらいスターのオーラが漂っています。脱獄が露見して再逮捕された月形がお栄との関係を嫉妬して阪妻を密告し、お栄が月形に愛想をつかして自分が女賊の弁天お栄であると自白して阪妻とともにしょっぴかれようとし、ついに爆発した阪妻が赤鬼の喜蔵率いる岡つ引連中と2(阪妻と弁天お栄)対多数の大乱闘になるクライマックスで乱闘の結果まで見せず大暴れの真っ最中で「終」になってしまうのですが、乱闘の冒頭ではオーヴァーラップ、カットバックで失恋したお美江の姿が挿入されます。オーヴァーラップは阪妻が思い浮かべるお美江、カットバックは実際その時橋の上にたたずむ傷心のお美江を示す表現で、こうしたモンタージュの使い分けも適切ですし映画の大半は路上が舞台ですがロングの構図の長回しに頼らず斬新な寄りと引き、俯瞰と仰角、俳優たちの動きに沿ったさりげない移動ショット(パンやドリー)などカット割りも『小雀峠』より各段に多彩になっています。沼田紅緑監督と二川文太郎監督の力量差というより1923年と1925年の製作・公開年度の差が進展させたものと思われ、'24年~'25年の西欧圏の映画はグリフィスの『アメリカ』『曲馬団のサリー』、シュトロハイムの『グリード』『メリー・ウィドウ』、ウォルシュの『バグダッドの盗賊』、ヴィダーの『ビッグ・パレード』、ルビッチの『ウィンダミア夫人の扇』、キングの『ステラ・ダラス』、フォードの『香も高きケンタッキー』、スタンバーグの『救ひを求むる人々』、『チャップリンの黄金狂時代』『ロイドの人気者』『キートンのセブン・チャンス』(以上アメリカ)、ムルナウの『最後の人』、ラングの『ニーベルンゲン』、デュポンの『ヴァリエテ』(以上ドイツ)、デリュックの『洪水』、レルビエの『生けるパスカル』、ヴォルコフの『キイン』、フェデーの『グリビシュ』、エプスタンの『二重の愛』(以上フランス)、北欧ではドライヤーの『あるじ』、ソヴィエトではエイゼンシュテインの『ストライキ』『戦艦ポチョムキン』が製作・公開されています。類似点の多いインス=ハート西部劇が1920年がピークだったとはいえ『小雀峠』(これもヴィダーの『涙の船唄』'20に似ています)、『影法師』『雄呂血』はさらに推し進めてスタンバーグの『救ひを求むる人々』と通い合う反逆的なプロレタリア感覚の強い庶民群像劇に進む過程を示しており、ルノワールやヒッチコックの監督デビュー作『水の娘』'24や『快楽の園』'25より各段に映画の完成度も高ければ意識も高いものです。ただし牧野門下出身監督は早いうちに門下から独立した衣笠貞之助や、牧野プロ末期にデビューした牧野の愛息・マキノ雅弘ら少数の例外を除いてサイレント期のうちに没したかサイレント時代の幕引きとともに引退してトーキー化以後の映画界に残れなかった。それにはちょうどトーキー化の進んだ昭和5年を境に治安維持法の制定に露骨に現れた国家検閲の強化(大正14年の『雄呂血』完全版ですら検閲で全長の15%がカットされた後の公開版です)も働いていたのではないか、と思われるのです。