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映画日記2017年10月10日~12日/ハワード・ホークス(Howard Hawks, 1896-1977)の男(と女)の映画(4)/付=20世紀映画俳優ベスト50

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 今回の1938年~1940年のホークス作品『赤ちゃん教育』『コンドル』『ヒズ・ガール・フライデー』は数あるホークス作品の中でも3作連続して大傑作というホークス40代半ばの絶頂期を示すもので、いずれもケイリー・グラント(1904-1986)主演の作品です。このうち『コンドル』以外の2作は『特急二十世紀』'34でホークス自ら先駆をつけたスクリューボール・コメディ作品で、ホークスはのちスクリューボール・コメディ作品『僕は戦争花嫁』'49や『モンキー・ビジネス』'52でもグラントを起用していますが(『教授と美女』'41のみゲイリー・クーパー主演のスクリューボール・コメディ)、『コンドル』はホークスのグラント主演作品中でコメディではない点でも異色で、また同作は外国映画の輸入・上映統制が始まる昭和15年の初頭にぎりぎりに日本公開され、太平洋戦争開戦によってアメリカ映画全面上映禁止の直前までジョン・フォードの『駅馬車』'39と共に日本の映画観客が熱中した戦中最後のアメリカ映画の大ヒット作品になりました。ホークスには戦争末期~戦後すぐの『脱出』'44、『三つ数えろ』'45/'46、『赤い河』'48の3作連続大傑作もすぐにあり、前2作はハンフリー・ボガートの、『赤い河』はジョン・ウェインの代表作になりましたが、この間の『ヨーク軍曹』'41、『教授と美女』'41、『空軍/エア・フォース』'43を含め1938年~1948年のホークスはもっとも傑作の集中した時期と言えて(『空軍~』は日本の従軍戦沒者遺族にはつらい映画ですが)、この辺は黙って観て話はそれから始めるような作品群でしょう。なお今回もキネマ旬報の近着外国映画紹介を引用させていただき、また今回の内容上、記事末に「全米映画協会(American Film Institute)1999年選・映画スター史上ベスト50」を紹介させていただきました。

●10月10日(火)
『赤ちゃん教育』Bringing Up Baby (RKO'38)*102min, B/W; 日本公開昭和13年8月(1938/8)/アメリカ国立フィルム登録簿登録作品(1990年度)

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ジャンル ドラマ
製作会社 RKOラジオ映画
配給 RKOラジオ映画
[ 解説 ] 「素晴らしき休日」「男装」と同じくキャサリン・ヘップバーンとケーリー・グラント主演する映画で、「無限の青空」「永遠の戦場」のハワード・ホークスが監督・製作したもの。原作はヘイガー・ワイルド作の小説で「ハリケーン」「富豪一代」のダドリー・ニコルズが原作者ワイルド女史と協力脚色した。撮影は「男装」「特ダネ戦線」のラッセル・メティが擔任している。助演者は「報道戦」「月を消しましょ」のチャールズ・ラグルズ、「オペラ・ハット」のウォルター・カトレット、「干潮」のバリー・フィッツジェラルド、「躍り込み花嫁」のメイ・ロブソン、「真実の告白」のフリッツ・フェルド、「ギャングの罠」のタラ・ビレル、新人ヴァジニア・ウォーカー等である。
[ あらすじ ] 若き動物学者デイヴィッド・ハックスリー(ケーリー・グラント)は3年を費やして雷龍の骨格を組立て、残るは肋間鎖骨1本で完成というところに到った。折しもコロラドにおける発掘隊から肋間鎖骨発見、直ぐ送る、と電報が来た。そこで彼は博物館での助手アリス・スワロウ(ヴァジニア・ウォーカー)と明日結婚することとなる。その日は、彼が勤める博物館に百万ドル寄付してもよいと言っている未亡人エリザベス(メイ・ロブソン)の法律顧問ビーボディ(ジョージ・アーヴィング)とゴルフをする約束があったので、デイヴィッドはアリスに促されて出掛けた。ところがゴルフ場では横着なわがまま娘に邪魔されて彼はろくにゴルフも出来ず、その晩レストランでビーボディと会食することとなる。ところがそこでもかの令嬢が来ていて、ビーボディ氏が来た時には、デイヴィッドは上着を、彼女はスカートを裂いてしまって食事どころではなくなった。彼女はスーザン・ヴァンス(キャサリン・ヘップバーン)という娘で、ビーボディなら子供の時からの知り合いだから、その家へ連れていくという。ところが、訪ねたのが夜半過ぎでビーボディには会えなかった。翌日デイヴィッドのところへは例の肋間鎖骨が届いた。喜んで博物館へ行こうとするところへ、スーザンから電話で豹がいるから助けて、というSOSに接し、宙を飛んで駆けつけると、豹というのはスーザンの兄からのブラジル土産の飼い慣らされた豹で「ベイビー」という名までついていた。スーザンはお人好しの動物学者が好きになったので、彼を博物館の助手と結婚させたくなくなり、ベイビーを使って、デイヴィッドをコネチカットの寒村にある伯母の別荘へ連れていく。デイヴィッドは直ぐ引返そうとするが、入浴中にスーザンが服を洗濯したのでニューヨークへ帰れなくなる。伯母は彼を気違いか、知的障害者かと思ってしまう。その伯母が百万ドル寄付の未亡人エリザベスである。デイヴィッドは本名を知られては大変と、ボーンという偽名を使う。一方、彼の大切な肋間鎖骨を犬のジョージ(アスタ)がどこかへ隠したのでデイヴィッドは広い庭をスーザンと探しまわる。夜になると今度はジョージもベイビーも失踪してしまうのでデイヴィッドとスーザンは徹夜して捜した。その夜サーカスの人食豹を彼女がベイビーと間違えたのが因で大騒ぎとなり、一同留置場に放り込まれ、ビーボディとアリスの発言でようやく放免された。結婚はアリスが憤慨したので無期限延期となり、デイヴィッドはしょげてしまう。そこへなくなった肋間鎖骨を持ってスーザンが訪ねて来た。デイヴィッドは早速それを眺めて、雷龍完成と喜んだのも束の間、スーザンが梯子からころげて雷龍はバラバラになってしまう。しかし、スーザンはデイヴィッドの腕にしっかりと抱かれていた。

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 テーマ曲は1928年の黒人レビューの主題歌で大ヒットした「捧ぐるは愛のみ」I Can't Give You Anything But Loveの変奏。サビなしAA'32小節の小唄ですが、ジャズ・スタンダードになり無数のカヴァーを生んで、映画でも本作を含み5本の主題曲に使われたそうです。単に変奏曲を映画テーマ曲に使うのみならず、この曲をヒロインが好きでペットの豹ベイビー(といっても立派な成獣)をあやす歌にしているのがミソで、必死の形相で(しかも他人に聞かれないよう声を殺して)グラントとヘプバーンが「捧ぐるは愛のみ」をベイビー相手に合唱する、というギャグにも使われているのがスクリューボール・コメディたる本作の真骨頂です。ホークスとグラントはもとよりヒロインのヘプバーンのノリノリの演技がホークスの'30年代スクリューボール・コメディ三部作(『特急二十世紀』'34、本作、『ヒズ・ガール・フライデー』'40)でも本作を最高傑作と名高い作品にしており、この3作はいずれも1989年の国立フィルム保存法施行による国立フィルム登録簿登録作品になっていますが、『ヒズ・ガール~』が1993年度、『特急~』が2011年度に対して本作は1990年度ともっとも早く登録されているのもヘプバーンの主演によるところが大きいでしょう。3作中ヒロインが周囲を振り回す筋立ての作品は本作だけで、他の2作は傍若無人な男性主人公を中心とした内容です。キャサリン・ヘプバーン(1907-2003)は日本ではピンときませんが全米映画協会(AFI)が1999年に選出した「映画スター・ベスト50」(1950年以前のデビューが条件、男女25名ずつ)で女優第1位に輝く国民的女優で(記事末に註記)、アカデミー賞主演女優賞4回は最多記録、ノミネート12回もメリル・ストリープ(1949-、ノミネート2017年現在20回、主演女優賞2回・助演女優賞1回)に抜かれるまで最多記録でした。本作と同年にはケイリー・グラントとの主演コンビで『素晴らしき休日』(ジョージ・キューカー)もあり、キューカー作品は好成績でしたがヘプバーン自身にとっても同等以上に自信作だった本作は興行的に惨敗してしまいました。ヘプバーンは意地を賭けてジェームズ・スチュワートとグラントをW主演男優にしたキューカー監督作品『フィラデルフィア物語』'40(アメリカ国立フィルム登録簿登録1995年度)でスクリューボール・コメディ路線に主演、同作は大ヒットしアカデミー賞主演男優賞(スチュワート)と脚色賞を受賞します。いかれた富豪令嬢が真面目な青年学者に夢中になり関係者全員を振り回してハッピーエンドになる、エンディングでは恐竜の骨格標本を派手にぶち壊して「またやっちゃったわ。でも愛してくれる?」(抱きあいながら)「まあ……よしとしよう」The Endといった具合で、男性と渡り合って一歩も引かず、しかも愛嬌あふれるキャラクター、そして96歳の長命がヘプバーンを20世紀のアメリカ映画ナンバー1女優にしたのですが、もっと明快な結婚コメディでヒット舞台劇の映画化作品である『フィラデルフィア物語』がヒットしたようには(ジョージ・キューカーも素晴らしい映画監督ですが)ホークス作品は同時代の感覚ではやりすぎだったようです。同じグラントとのコンビでもホークス作品のヘプバーンはマシンガン・トークの応酬で、これは『特急二十世紀』、本作、『ヒズ・ガール・フライデー』と連なるホークスならではのもので、スクリューボール・コメディ作品でもキャプラやマッケリー、キューカーはもっと緩急がありますが、ホークスは押しの一手で容赦ありません。ホークス作品すべてが押しの一手というのではなく、緩急自在な演出も抜群なのですが、キューカーのように甘さと都会的洗練の両方を備えた手際で恋愛を描くのに照れがあったのでしょう。ホークスの映画のロマンス要素はロマンス以外にダイナミックなドラマがあるか、ロマンスを中心にした場合は照れ隠しでロマンスをぶち壊しにするようなコメディにしてしまうのホークスセンスのようです。前記の監督たちはみんな名手ですがホークスほど極端に荒唐無稽な設定を選ばず、唯一人ルビッチという大物がいますがルビッチは荒唐無稽な中にもヒロインを夢のように輝かせるロマンチックなセンスと腕前があったのが強みでした。『特急二十世紀』の中ヒットでホークスもこの路線には自信があり、ただしホークスにはロマンス作品を連続製作するほど愛着するジャンルではなかったのでしょうが、マッケリーの『新婚道中記』'37のヒットで奮起したのでしょう。同作品と同じ名物名優犬のアスタを出演させてもいます。ただし「おれが作ればもっと凄い」という意気込みが当時の観客には暴走しすぎた作品になってしまい、傑作と認められるまで50年かかったのですが、映画業界内では非常に注目を集めて語り継がれてきたのが再評価につながったのだと思われます。台詞もアドリブ連発だったそうですから現場もさぞかし熱かっただろうと想像され、スタッフ・キャストともやりがいのあった作品だったに違いありません。ホークス作品がプロデューサーとはモメてもスタッフやキャストはついてくるのは、それだけ満足感の大きい仕事だったからと思わせられるのです。

●10月11日(水)
『コンドル』Only Angels Have Wings (コロムビア'39)*121min, B/W; 日本公開昭和15年2月(1940/2)/アカデミー賞撮影賞(白黒作品)・特殊効果賞ノミネート

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ジャンル ドラマ
製作会社 コロムビア映画
配給 コロムビア映画
[ 解説 ] 「特急20世紀」「無限の青空」のハワード・ホークスが原作・監督に当った作品で「素晴らしき休日」「新婚道中記」のケーリー・グラントと「わが家の楽園」「オペラ・ハット」のジーン・アーサーが主演するもの。脚色は「北海の子」「品かい」のジュールス・ファースマンが、撮影は「わが家の楽園」「失はれた地平線」のジョゼフ・ウオーカー、音楽は同じくディミトリ・チョムキンが夫々担当し、空中撮影は「失はれた地平線」のエルマー・ダイヤーが受け持っている。助演者は「生命の雑踏」「餓ゆるアメリカ」リチャード・バーセルメスを筆頭に「嵐の十字路」のリタ・ヘイワース、「ハリケーン」のトーマス・ミッチェル、「ハリウッド・ホテル」のアリン・ジョスリン、「マルクス一番乗り」のシグ・ルーマン、「青春女学生日記」のノア・ビアリー2世等である。
[ あらすじ ] ニューヨークのショウ・ガール、ポニー・リー(ジーン・アーサー)は南米の喜歌劇巡業を終えてパナマへの帰途、エクアドル国のバランカという小さな港に到着した。可愛いアメリカ娘など滅多に来ない土地なので、彼女はここにいる米人飛行家や荒海稼ぎの船員たちの注視のまととなった。この港町には定期郵便の空港があって、船員上がりのダッチー(シグ・ルーマン)を共同経営者とする支配人をジェフ・カーター(ケーリー・グラント)といった。飛行機はアンデスの連山を越え、しばしば起こる濃霧や密雲を冒して飛ばねばならぬので、極めて危険な航空路である。操縦士のジョウ・サウザー(ノア・ビアリー・ジュニア)とレス・ピータース(アリン・ジョスリン)がボニーの歓心をこうと争っているのを見たカーターは、その罰としてジョウには郵便運搬を命じ、ピータースにも他の仕事を言付けた。ところがジョウが離陸した後で濃霧が襲ってきたので、カーターは直ちに帰還命令を出し、霧が晴れるまで上空を旋回するように命じたが、ジョウは無理に着陸を試みて機体を大破し彼は惨死を遂げた。ボニーはこれら飛行家たちの性格を知るとともに、段々カーターに心を惹かれて出発を延期していた。ジョウの後任としてマクファースンが雇われてきたが、彼は本名をバット・キルガロン(リチャード・バーセルメス)といい、試験飛行中故障が起こったとき自分だけ落下傘で飛び降り、同乗の機関士を事故死せしめたために非難を買った男である。ところがその機関士の兄キッド・ダップ(トーマス・ミッチェル)はここで働いていた。しかもバットの妻ジュディ(リタ・ヘイワース)は昔、カーターと訳の会った女である。ボニーは間もなくその事情を察知した。カーターは親友のキッドの視力が弱っているのを見て彼に陸上勤務を命じた。バットが他の者と折合いが良くないのを見たカーターは、彼を次の船で帰そうとするが、バットは危険な飛行を敢然として行ない役目を果たしたので、結局ここで留任することになる。カーターに強い愛を感ずるようになったボニーは、彼が危険な飛行任務に就くのを止めさせようとして故意に彼の腕に貫通銃創を負わせた。ところがそれと同時にピータースもケガをしたので結局バット以外に操縦できる者はなくなった。定期の郵便飛行のその日、航空路は濃霧のため飛行は受け付けない。しかしバットは敢然として飛ぶことを決心した。キッドはこの地方の気象や地形は誰よりも良く知っているからと、バットの機に同乗した。離陸した飛行機は上空で巨大な禿鷹(コンドル)群に襲われ、キッドは重傷を負いモーターは火を発した。彼は到底助からぬ命と思ってバットに落下傘で飛降りよと勧めたが、バットは決死の勇を奮って飛行場に危険な着陸を敢行した。爆発のため機を救うことは出来なかったが、2人は爆発直前に機から引出された。すでに虫の息のキッドはバットの立派な行為を伝え、弟を死なせたことも許すとの言伝てをカーターに残して死んだ。バットもかなりのケガをしたので郵便機はカーターの片腕とピーターの片腕で操縦された。この空港は政府の補助を受けることとなった。ボニーはカーターの愛を得て、このバランカにとどまることになった。

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 本作はタイトルに堂々と「Howard Hawks's "Only Angels Have Wings"」と謳われ(次作『ヒズ・ガール・フライデー』も同様)、また1956年のカイエ誌のロング・インタビューでも本作について気に入っている場面を長々と語っていますからホークスにとっても自信作だったのでしょう。俳優の序列は主演がケイリー・グラントとジーン・アーサーですが、リチャード・バーセルメスが3番目、リタ・ヘイワースが4番目、トーマス・ミッチェルが5番目です。ホークスの記念すべきトーキー第1作の名作『暁の偵察』'30(ちょうど前年'38年にエドマンド・グールディング監督、エロール・フリン主演の『突撃爆撃隊』にリメイクされたばかりでした)の主演を勤めたバーセルメスの貴重な出演に涙がちょちょぎれます。観直すと意外とジーン・アーサーがヒロインらしい重要な役なのでおや、と思ってしまうくらい、本作は郵便・荷物飛行便の飛行士たちの男のドラマの印象が強く、観直してみても女優陣のアーサーも新人時代でブレイク前のリタ・ヘイワース(バーセルメスの妻役)も添え物以上にはなっていて、それなりに重要な役なのですがあくまでドラマを運ぶための狂言回しとして必要な役割だけを与えられている感じです。グラント、バーセルメス、ミッチェルのハードボイルドな飛行士の世界にアーサーやヘイワースは傍らで観察する立場を出ず、自由と個人主義と仕事への責任をめぐる男同士の友情と対立のドラマを描いて本作はホークス自身の原作を『大自然の凱歌』からのホークス作品の常連脚本家ジュールス・ファースマン(元スタンバーグ作品の常連脚本家)に脚色させ、ファースマンは以後の『脱出』'44、『三つ数えろ』'46なども第1稿の脚本家として重宝されますからノンクレジットでホークスが好き放題に改稿しているのでしょう。映画用オリジナル原作が監督自身によることからもこれほどはっきりとホークスの好みが出た作品はなく、多彩な作風を誇るホークスですがもっとも得意とするテーマ、ホークスらしさの充溢した作品でかつ人間ドラマにも活劇的要素にも富み、恋愛ドラマもちゃっかり入れてある抜かりない道具立てで構成・完成度とも非常に高い作品として、本作はさりげなくホークスの代表作であり最高傑作のひとつと言えるものでしょう。飛行士の欠員でバーセルメスが雇われに来た時に過去を知る者と知らない者で空気に緊張が走る、「偽名で働いてるやつなんか珍しくないじゃないか」「いや、こいつは……」とすぐにバーセルメスが墜落事故で相方の機関士を見殺しにした過去があり、その機関士の兄がこの航空会社のヴェテラン飛行士のトーマス・ミッチェルで社長のケイリー・グラントの親友なのですが、急場の仕事だけさせてバーセルメスを追い出すつもりが抜群に腕がいい。ミッチェルも視力悪化で地上勤務になって人手が欲しい。遠慮なく危険な任務にも就かせる、という条件で雇う。ところがさらに、後からやってきたバーセルメスの妻がグラントの別れた妻(ヘイワース)だった、ということでグラントに惚れて航空会社の寮の空き部屋に居着いてしまった旅回りの歌手のジーン・アーサーがやきもきする、と筋書きだけだとコメディのようですが、このエクアドルの僻地の雰囲気と死と隣り合わせの飛行士たちの間の刹那的なムード(偽名が珍しくもない仕事)ではコメディというのとは違う、うらぶれた雰囲気が伝わってきます。このペーソスは何でもありのホークス映画では実はこれまでありそうでなかったもので、フォードやヴィダー、ウェルマン、ハサウェイらホークスの好敵手たちの映画には巧みな味つけになっており、ホークスの映画がヒット作さえも大衆的な人気を博したとは言えない向きがあるのもホークス作品の際立ったドライさによるものでょう。本作ではホークスはドライでありながら人情の機微に触れる演出を思い切って実行しており、荒天の中を立つバーセルメスの機にミッチェルが強引に空路案内役で乗り込み、低空飛行でようやく上手く山脈を回りこもうとするがコンドルの大群にぶつかりフロントガラスが大破しプロペラもいかれてエンジンが炎上、輸送は中断し何とか帰還するがバーセルメスは大やけど、コンドルの衝突でミッチェルは大怪我をしている。みんなを出してくれ、とミッチェルが言いグラントにバーセルメスを褒めて一杯おごってやってくれ、ところでおれの怪我はどうなんだ?グラントは首の骨が折れてる、と答えます。そうか、もう駄目か。死ぬ時は一人でいたいんだ、人に見られたくない。おれももう行くよ、とグラントは動けないミッチェルに最後に煙草を喫わせて外に出ます。ホークスが『コンドル』で一番好きなのもこの場面で、「首の骨が折れてる」というのが特にいいんだ、と前記インタビューで言っています。なるほど、瀕死の怪我を負った親友本人から致命傷か訊かれてありのままを答えるのは並大抵の友情ではないでしょう。また、昔の妻のヘイワースから今の夫(バーセルメス)は過去あったことを全然話してくれない、なぜ飛行士のみんなは彼を避けるの?と詰問されたグラントは激昂して「言えないことをなぜ訊く?耐える苦しみを知らないのか?」と追い返します。こうした感情面に訴求力の直接な演出はホークスの本音と言っていいもので、ここまでホークス自身の人生観を等身大で投影した人間ドラマは本作以前にも以降にも部分的にしか見られないのです。ラストで「私にここに残ってほしいの?私が出て行った方がいいの?」と問いかけるアーサーにミッチェルの遺品の両面が表のいかさまコインで答える結末も爽やかで、本作はふと主演俳優誰だっけと忘れてそうだグラントだったと思い出すのですが、ゲイリー・クーパーでもジョン・ウェインでもなく(もっともウェインの出世作『駅馬車』は『コンドル』と同年作ですが)、スクリューボール・コメディのグラントとは別人のような存在感と、しかしグラント以外の何者でもない演技には舌を巻きます。これほどの名作なのに『コンドル』という邦題は、『大自然の凱歌』ほどではありませんが邦題で多少損をしているのではないでしょうか。内容からよく拾ってきたな逆に感心するくらいですがまるでコンドルと呼ばれる男か組織か符号のようで、原題"Only Angels Have Wings"は黒人ゴスペルのヒット曲でマルクス兄弟の『マルクス一番乗り』'37(サム・ウッド)挿入歌"All God's Chillum Got Rhythm"と同じ聖書由来の文句(キリストの山上の教訓)のもじりで直接"All God's Chillum~"(ChillumはChildrenの黒人訛り)に懸けたのかもしれませんが、『天使だけが翼を持つ』は死んでゆくパイロットたちを指す名文句ではあるものの直訳が決まりにくいのでウェスタン調の『コンドル』になったのでしょう。初めて観る日本の観客にはクライマックスでようやくだからコンドルなのか、と意表を突かれるのであながち悪い邦題ではないかもしれません。

●10月12日(木)
『ヒズ・ガール・フライデー』His Girl Friday (コロムビア'40)*92min, B/W; 日本公開昭和61年9月(1986/9/19)/アメリカ国立フィルム登録簿登録作品(1993年度)

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ジャンル ドラマ
製作会社 フィルムサーヴィス/I・F・D作品
配給 ヒズ・ガール・フライデー上映実行委員会
[ 解説 ] シカゴを舞台に死刑囚の無実をつきとめる女性記者の活躍を描く。製作・監督はハワード・ホークス。ベン・ヘクト、チャールズ・マッカーサーの戯曲(「ザ・フロント・ページ」)を基にチャールズ・リデラーが脚色。撮影はジョセフ・ウォーカー、音楽はモリス・W・ストロフが担当。出演はケーリー・グラント、ロザリンド・ラッセルほか。
[ あらすじ ] シカゴ・エグザミナー紙の女性トップ記者ヒルディ・ジョンソン(ロザリンド・ラッセル)は、彼女と離婚したばかりの同紙編集長ウォルター・バーンズ(ケーリー・グラント)のもとを訪れる。彼女は他人の秘密をあばく記者稼業にイヤ気がさし、堅実なサラリーマン、ブルース・ボールドウィン(ラルフ・ベラミー)と明日この町を離れると、ウォルターに告げた。ウォルターは、まだヒルディに未練があり、彼女に、1つだけ記事を書く約束をさせる。明朝、警察官殺しで処刑されるアール・ウィリアムズ(ジョン・クオレン)の取材だ。記者クラブを訪れたヒルディは、そこでウィリアムズの情婦といわれるモリー(ヘレン・マック)と会い、彼女からウィリアムズの人間性を聞いて、彼が兇悪な殺人鬼ではないことを感じはじめる。ウィリアムズに単独会見したヒルディは、それが単なる事故であったことを知る。が、市長選を控える現市長(クラレンス・コルブ)は、殺人鬼の処刑で人気を得ようと目論でいた。記者根性に再び目醒めたヒルディは、拳銃を盗んで逃走したウィリアムズを追う一方、ウォルターに協力を求めた。今や猛烈記者と化したヒルディにブルースの声も入らない。結局彼は去って行った。ウィリアムズは捕まり、ウォルターとヒルディも手錠をかけられるが、州知事が発行した死刑執行猶予状によって、形勢は逆転する。2人は解放され、特ダネをものにする。トップ記者ヒルディと敏腕編集長ウォルターのコンビが復活するのだった。

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 映画輸入規制が始まった時期の作品のためホークス作品中で日本初めて未公開作品になり、風刺のきつい内容のためか戦後GHQ(駐日アメリカ軍総本部)の輸入検閲にも引っかかったらしく昭和61年(1986年!)まで日本公開の遅れた作品。昭和27年の占領解放までGHQは反日内容の戦争映画(反ナチ映画は可)、アメリカの暗黒面を描いた映画は『怒りの葡萄』や『十字砲火』『オール・ザ・キングスメン』『紳士協定』などアカデミー賞、カンヌ映画祭受賞の話題作まで日本公開を禁止した上、GHQによる検閲自体を公にすることも禁止したのですが、本作のようなスクリューボール・コメディすらアメリカの政治腐敗暴露作品として取り扱ったものと思われます。極端に誇張されているとはいえ(そこがコメディたるゆえんですが)本作で描かれているような題材は社会的に普遍的なものですから(だいたいそういう主旨の字幕タイトルが冒頭に入ります)、これを公開禁止にするのは映画のフィクション内のリアリティと現実を混同した見方なのは言うまでもありません。本作はホークス絶頂期の未公開の傑作として日本公開の昭和61年には大きな話題になったものですが、スクリューボール・コメディという呼称がまだ一般的ではなかった頃で(現在もフィルム・ノワールほどには一般的とは言えないと思いますが)、アメリカ映画史上もっとも台詞が大量で早口の映画というのがセールス・ポイントでした。もともとホークスお気に入りの脚本家ベン・ヘクトとチャールズ・マッカーサーの戯曲『Front Page』があり、先にハワード・ヒューズ製作、ルイス・マイルストン監督の『犯罪都市』'31として映画化され戦前に日本公開もされています。敏腕記者と新聞社デスクの打々発止のジャーナリズム劇ですが、この敏腕記者を女性記者にして時代を映画製作年に変え新聞社デスクの離婚した妻に改変したのが『ヒズ・ガール・フライデー』(フライデーは『ロビンソン・クルーソー』で主人公が孤島で出会い側近にした先住民に主人公がつけた名前)で、この改変によって結婚コメディというスクリューボールの基本設定に置き換えたのが本作の妙味でしょう。劇場公開前に日本版でホームヴィデオ化された際には『レディは敏腕記者』と題されてもおり、その邦題もなかなか良いのですが劇場公開題名の方が定着しました。同じ原作戯曲からビリー・ワイルダーが『フロント・ページ』'74として3度目の映画化をしており、ジャック・レモンの記者とウォルター・マッソーのデスクで時代背景は原作通り'20年代末のギャング都市シカゴにして'70年代のノスタルジア・ブームにブラック・コメディ味を盛りこんだ作品になっていますが、60代のワイルダーと本作の40代半ばのホークスでは比較は酷というものです。本作もホークスお気に入りの作品のようでカイエ誌のロング・インタビューでサイレントからトーキー化して一般的に映画のテンポが落ちた、という話から台詞の話になり、本作では早口ばかりか2、3人の人間が同時に話す実験もしてみた、と語っています。実際に観ると同じ部屋でラッセルとグラントが別々の電話で外と話し、さらに新聞社の他の人物まで飛び込んでくる、という場面などは露骨ですが、ラッセルとグラントの元夫婦のやりとりも二人一度にまくしたてる場面がほとんどで、台詞の量や早口よりもスピード感自体が速いのです。単に早口や台詞の量ならベルイマンの映画など凄いもので、フランス語やイタリア語も早口に聞こえる言葉ですが母音が延びるだけまだゆったりと聞こえますがスウェーデン語の響きといったら日本語が母国語の人間にはこんな早口言葉でよく日常会話ができるな、というくらい速い。ただしそれは音節的なスピードであってホークスの本作の、英語圏の観客も面食らうスピード感とは違う性質のものでしょう。『赤ちゃん教育』では女(ヘプバーン)が男(グラント)の結婚話をぶち壊してしまいますが、本作では『特急二十世紀』のバリモアとロンバード同様に男(グラント)が女(ラッセル)の結婚話をぶち壊してしまいます。『特急~』のバリモア以上にグラントの手口は悪辣で極端で「俳優のラルフ・ベラミー似」のラッセルの婚約者(ラルフ・ベラミー)とそのお母さんはひどい目に遭いますが、これほど自分勝手で非道な役に徹底しているグラントもスクリューボール・コメディとはいえ限度を越えており、愛嬌すらあるのか怪しいギリギリのキャラクターでありながら魅力に輝いているのは不思議なほどで、グラントのアメリカ本国での圧倒的な支持(「映画スター史上ベスト50」記事末に註記)も本作のような、グラントにしかできない配役からも納得がいくような気がします。ロザリンド・ラッセルの魅力もロンバード、ヘプバーンに劣らず、本作のヒロインはラッセルが最高という説得力があります。ただしヨーロッパ戦線参入を迎えた年にアメリカ本国で本作が興行的にも評価でも惨敗したのは、シャレが通じる世相ではなくなっていたのでしょう。同年のジョン・フォード作品が『果てなき船路』と『怒りの葡萄』だったのを思うと、同じリベラルでも時局に対するセンスに大きく違いがあったようです。


(註)全米映画協会(American Film Institute)1999年選・映画スター史上ベスト50
男優 / 女優
1位; ハンフリー・ボガート / キャサリン・ヘプバーン
2位; ケイリー・グラント / ベティ・デイヴィス
3位; ジェームズ・ステュアート / オードリー・ヘプバーン
4位; マーロン・ブランド / イングリッド・バーグマン
5位; フレッド・アステア / グレタ・ガルボ
6位; ヘンリー・フォンダ / マリリン・モンロー
7位; クラーク・ゲーブル / エリザベス・テイラー
8位; ジェームズ・キャグニー / ジュディ・ガーランド
9位; スペンサー・トレイシー / マレーネ・ディートリヒ
10位; チャーリー・チャップリン / ジョーン・クロフォード
11位; ゲイリー・クーパー / バーバラ・スタンウィック
12位; グレゴリー・ペック / クローデット・コルベール
13位; ジョン・ウェイン / グレース・ケリー
14位; ローレンス・オリヴィエ / ジンジャー・ロジャース
15位; ジーン・ケリー / メイ・ウエスト
16位; オーソン・ウェルズ / ヴィヴィアン・リー
17位; カーク・ダグラス / リリアン・ギッシュ
18位; ジェームズ・ディーン / シャーリー・テンプル
19位; バート・ランカスター / リタ・ヘイワース
20位; マルクス兄弟 / ローレン・バコール
21位; バスター・キートン / ソフィア・ローレン
22位; シドニー・ポワチエ / ジーン・ハーロウ
23位; ロバート・ミッチャム / キャロル・ロンバード
24位; エドワード・G・ロビンソン / メアリー・ピックフォード
25位; ウィリアム・ホールデン / エヴァ・ガードナー

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