・これはすごい。陰気な映画だから好き嫌いは分かれる種類のシリアス作品だし楽しめなければ良い映画とも言えないかもしれないが、ここまで徹底した作品は『沈黙』以来ではないか。しかもカラー・ワイド作品でホームドラマとはいえ主要登場人物も8人に上る。館の独身の女主人で末期の子宮癌で死の床にある次女アングネス(ハリエット・アンディション)とアングネスを看病する召使いで寡婦のアンナ(カーリ・シルヴァーン)、アングネスの死の床に泊まり込んでいるアングネスの姉の長女カーリン(イングリッド・テュリーン)は初老の夫の好色な外交官(イェーオルイ・オリーン)を嫌って自分の性器をグラスの破片で傷つけた過去があり、やはり館に駆けつけてきたアングネスの妹で三女のマリーア(リヴ・ウルマン)は一族の主治医(エールランド・ユーセフソン)と断続的な不倫関係を持ち、気弱な商人のマリーアの夫(ヘニング・モーリッツェン)には妻の浮気が原因でかつて自殺未遂事件を起こしており、一族の通う教会の牧師(アンデシュ・エーク)は影で笑い者になっている。映画のちょうど半分でアングネスは重篤状態から死亡して葬儀が行われ姉カーリンと妹マリーアの確執と過去、さらに幻想の中で蘇ったアングネスと再会する姉妹が描かれ、アングネスが子供を亡くした召使いの寡婦アンナの乳房に顔をうずめて幻想が終わると葬儀を終えて館を立つカーリン夫妻とマリーア夫妻のせちがらい関係が示されて、牧師も医師も去った館で一人アングネスの姉妹仲睦まじかった頃の日記を読む召使いアンナの姿で映画は終わる。ベルイマンは賞という賞は'60年代前半の三部作までに穫りつくしているが本作は久々にカンヌ国際映画祭特別賞、ニューヨーク映画批評家協会賞5部門受賞(作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、ウルマンへの女優賞)、黄金の蕾賞女優賞(アンディション)、米アカデミー撮影賞、日本芸術祭賞外国映画部門受賞、と賞まみれになった。あらすじは最小限にとどめたが現在と過去を複雑に交錯させた話法、登場人物それぞれの確執を描く念入りさとディティールの密度、徹底した撮影と美術、色彩設計(衣類は白か黒か灰色、背景色やワイプはすべて真紅で統一されている)、と『野いちご』『沈黙』『仮面/ペルソナ』などでやってきたことの集大成だが手の混み方と完成度は途方もないくらい練り上げられ作り込まれている。本作の話法は『夏の遊び』『野いちご』の発展だし、姉妹の性格設定は『沈黙』の姉妹関係の延長で、さらに『鏡の中にある如く』『仮面/ペルソナ』の病人と介護者の設定がここではターミナル介護という限界状況になり、後半部のさらにクライマックスで想像主体の特定できない幻覚でヒロインたちの関係に決定的な断絶と一体化が行われるのは『仮面/ペルソナ』の発展だが、これまでベルイマンがやってきた姉妹関係のホームドラマをここまで闇鍋状態にぶちこんで成功したのは圧巻のひと言で、ベルイマン映画の批判者ですら黙らせる迫力がある。テュリーンの演じる姉は『沈黙』の姉と同じ性格設定だから適役だしリヴ・ウルマンはビビ・アンディションでも向いている役柄だかビビ・アンディションを使うと『沈黙』『仮面/ペルソナ』とかぶってしまうので今回はウルマンにしたのだろう。ハリエット・アンディションは『不良少女モニカ』'53から20年、『鏡の中にある如く』'62から10年を経て末期癌で亡くなる役をノーメイクで演じて鬼気迫る。シニカルな主治医のユーセフソンは適役で、本作はグンナル・ビョーンストランドやマックス・フォン・シードウやが起用されていないのもヒロインたちに焦点を絞った作品としては賢明な判断だった。スウェーデン語原題は「ささやきと叫び」が正しいらしいが英題『Cries and Wispers』、邦題『叫びとささやき』同様世界各国語版は「叫びとささやき」の順に転倒しているのは、インパクトや語呂では「ささやきと叫び」よりどの言語でも「叫びとささやき」の方が印象的だかららしい。母性を象徴する寡黙な召使いアンナはやや辻褄合わせ的なキャラクターだがやはり本作の作劇術では外せないので不可欠な役割を担っている。最高傑作のひとつだろう。本作から入ると'60年代のベルイマンは試行錯誤で、足踏み状態からようやく次の段階にさしかかったのがわかる。傑作には違いないが本作はあまりに突出していてベルイマン映画の典型からはやや外れる印象を受けるが、好嫌を越えた圧巻の一作には違いない。なげやりな失敗作『愛のさすらい(ザ・タッチ)』の次が渾身の力作の本作なのだから、これもまた辟易するほど陰鬱な作品ながら参りましたと言う他ない。いやもう手抜きのない本気のベルイマンはすごいものだとひたすら圧倒される。こわいもの見たさだがこれにはちょっと抵抗できない。返すがえすも陰鬱な作品だが、完成度とインパクトならベルイマン作品中1、2を争う出来なのではないか。