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映画日記2017年6月14日・15日/初期のヌーヴェル・ヴァーグ作品(2)

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 日本で初めて話題になったヌーヴェル・ヴァーグの作品は広義にはルイ・マルの『死刑台のエレベーター』やロジェ・ヴァディムの『大運河』だそうですが、これらは現在ではヌーヴェル・ヴァーグ作品とは考えられていないので、カイエ派出身監督と限定する厳密なヌーヴェル・ヴァーグ作品の定義ではクロード・シャブロルの『いとこ同士』になるそうです。すでに『狂った果実』(日活'56/監督・中平康、原作脚本・石原慎太郎、主演・石原裕次郎、津川雅彦、北原三枝)がフランスで好評を得ており『いとこ同士』は『狂った果実』との類似点が多い作品でしたが、舞台が湘南とパリでは見所はずいぶん違い、また日本人好みの悲劇性が強調されていることから第1長編『美しきセルジュ』が未公開のまま『いとこ同士』が日本公開されたとも思われ、ベルリン国際映画祭のグランプリに当たる金熊賞受賞作なのもカイエ派ヌーヴェル・ヴァーグの日本初公開作品になった後押しをしたでしょう。本国フランスでも上映期間中観客動員数No.1のヒットを記録し、商業的にももっとも成功したヌーヴェル・ヴァーグ作品になりました。著名作ですが『美しきセルジュ』を観直したら『いとこ同士』も観直さないではいられません。ジャック=ドニオル・ヴァルクローズの『唇によだれ』も当時話題になったもので監督は「カイエ・デュ・シネマ」編集長、その後も日本公開されなかった作品は数多いものの良くも悪くもジャーナリスティックな才人だったようで、作品よりも監督のタレント性で幅を利かせていた人(自作以外にもカメオ出演作多数)と目されていますが、流行に乗った作品ならではの軽薄で刹那的な味わいを知るにはこういう作品も欠かせないもので、ヌーヴェル・ヴァーグに触発された作品は世界各国で生まれましたが原産国フランスならではの作風を示している点ではロジェ・ヴァディムに並び、この1作で大体力量の全貌が知れるものという感じがします。こういう作品がデート用映画として作られ消費されていくのは当時も今もあまり変わらないのではないでしょうか。

●6月14日(水)クロード・シャブロル『いとこ同志』(フランス'59-3-11)*109min, B/W
・田舎町から受験のため従兄弟ポール(ジャン=クロード・ブリアリ)を頼ってパリに出てきたシャルル(ジェラール・ブラン)は取り巻きに囲まれ放埒な生活を送るポールに翻弄され、唯一できたガールフレンドもポールに横取りされ、真面目に勉強に打ちこんでいたのに先に受験したポールが受かった試験にシャルルは落ちてしまう。そしてシャルルは……と皮肉な結末が待っていて、『美しきセルジュ』同様特に感覚が冴えているとか傑出した才能でもないのに本作もばっちり決まっていて一度観たら忘れられない作品になっている。カイエ派仲間のトリュフォー、ゴダール、リヴェット、ロメールと較べるとシャブロルは一番下世話だが下世話な強みが嫌味でなく長所になっているのが作品のヒットした秘訣だろう。吉田喜重監督・脚本の『ろくでなし』(松竹、1960年7月6日公開)が津川雅彦と川津祐介の共演で大企業社長子息の大学生を取り巻く不良青年グループが狂言強盗の末に仲間割れし、無残な結末に至るまでの人間関係は『いとこ同士』、結末に至るストーリー展開はゴダール『勝手にしやがれ』との類似を指摘されたが『いとこ同士』は'59年10月日本公開で『ろくでなし』のシナリオ成立より後、『勝手にしやがれ』は『ろくでなし』撮影直前の'60年3月に日仏同時公開で偶然の類似になっており、この3作を並べてみるとそれぞれ異なる特色があって面白い。『狂った果実』と較べると『ろくでなし』の新しさ(線は細いが)がはっきりわかる。『いとこ同士』は一見『美しきセルジュ』のブランとブリアリの立場を逆転させたような配役に見えるが『~セルジュ』ではブランは粗暴、本作では気弱、『~セルジュ』のブリアリは紳士的で本作では磊落というだけで、負け犬のブラン、勝ち組のブリアリという構図は両作品共通なのにも気づく。ヴァーグナーの音楽の皮肉な使い方が映画に軽薄な軽さを付け加えているのも従来の映画ではありそうでなかった。通俗性すれすれなのが面白いのはそれだけ余裕があることでもあって、次作の犯罪サスペンス『二重の鍵』'60からのシャブロルは娯楽映画路線にひっそり意地の悪い趣向を紛れこませる手腕に長けた監督になり、晩年まで気を抜けない面白い映画作家だった。

●6月15日(木)
ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ(1920-1989)『唇によだれ』(フランス'60-1-20)*87min, B/W
・パリ郊外の館の若い女城主(ベルナデッド・ラフォン)とこの家の代々の公証人のプレイボーイが遺産相続の分配金会議のためにパリから従兄妹を招く。兄は都合で遅れることになるが、妹の恋人が勝手に兄になりすまして来てしまった。この男女4人とメイドに手をつけるだけが生きがいの召使い頭の2人を含めて6人の恋愛騒動を兄の到着で決着がつく2日間の出来事に舞台を館に限定して描く、いかにもフランス臭い色恋沙汰のドラマで、夏休みで預けられているという料理人(映画に姿は出てこない)の孫娘の少女(8歳くらい)がドラマには全然絡まないのに思いがけない役割を果たすのもいかにも思いつきだが、この軽さもフランス風で悪くない。全然映画のテイストは違うが人間ドラマよりも館のムードが主役になっているのはアラン・レネの『去年マリエンバートで』'61と同じで、映画全体のインパクトではレネ作品には遠く及ばないがこういう映画もあったのはヌーヴェル・ヴァーグの広がりとして記憶されていい。ヴァディムに並ぶ作風と前書きに書いたがヴァディムよりは確実に上で、そこは40男の監督の自作シナリオの歳の功というか少なくとも文学的素養の差がドラマ構成の手腕の巧さに見えるし、こういう色恋沙汰映画なら片手間で撮ってみせる映画雑誌編集長の才覚もある。テーマソングはセルジュ・ゲンズブールで冒頭とエンディングで2回もフルコーラス流れるベタな使い方だが、やはり映画冒頭のキャスト紹介の映像つきタイトル・ロール同様こういうベタな古典的フランス映画ぶりはメルヴィルやトリュフォーもたまにやっていたのでアリだろうとは思う。普通監督デビュー作ではやらないだろうがそれをやってしまうのがヴァルクローズのジャーナリスト感覚だから難癖つけるだけ無駄で、そもそも男女数人の閉鎖的環境の恋愛ドラマだけという映画に興味のわかない人も多いかもしれないが、日本人観客の興味などあろうとなかろうとこういうフランス映画は存在してきたし、今後も一定の割合で製作され続ける。「カイエ」誌編集長が本作を、もっと成熟した上流階級の恋愛ドラマだが『ゲームの規則』'39(ジャン・ルノワール)やスウェーデンのブルジョワ階級だが『夏の日は三度微笑む』'56(イングマール・ベルイマン)を意識せずに撮るわけはないし、本作の登場人物は若さ相応にバカみたいにチャラいがバカにはカゼをひかない幸徳もある。あっけないクライマックスの急展開以外にはすぐに忘れてしまうような映画だが、意外と観直しても楽しめるのはそれなりに筋の通ったセンスがあるということだろう。便乗ヌーヴェル・ヴァーグの二流作品かもしれないが、いわゆる名作・傑作よりもこういう軽い作品に当時の雰囲気がよく現れているようにも思える。

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