今回でドイツ出身の映画監督フリッツ・ラングがハリウッドに招聘されて製作した作品の紹介は終わりです。1936年の『激怒』から1956年の『条理ある疑いの彼方に』まで22作ですから順調なペースに見えますが実際は2年間干されていた時期もあり、また幸か不幸かラングは特定の映画会社と長期の監督契約を結ばなかったので(多くは単発、せいぜい2作契約)、ジャンルは犯罪サスペンス、スパイ・スリラー、西部劇、戦争映画、メロドラマ、ファミリー向けアドベンチャー映画と多彩に渡ることになり、代表作を上げるとしても各ジャンルから選ばなければ作風の全貌がつかめないややこしい映画監督になりましたが、ラングはドイツで監督デビューしたサイレント時代の1919年から1作ごとに違うジャンルの作品を撮り続けてきましたし、サイレント時代はもちろんハリウッド黄金時代と呼ばれる1930年代~1950年代半ばまでの映画監督は得手不得手こそあれヒットしそうな企画なら何でも撮らされたのです。西部劇のジョン・フォード、サスペンス映画のヒッチコックなどは別格のスペシャリストと認められましたが、頑として自分の作風を貫こうとしたシュトロハイム、スタンバーグらは十分以上のヒット実績があっても監督を干されることになりました。ラングはその中間といったところでどんなジャンルの映画を撮ってもラングなのですが、似た位置にあったラオール・ウォルシュやハワード・ホークスが題材を自分の作風に引き寄せる手腕に長けていたのに対して、ドイツ時代にすでに大家だったラングはアメリカ映画そのものを学び直さねばならず、どちらかといえばジャンルに合わせて自分の作風を適合させた趣きが強いのです。渡米第1作『激怒』Furyはタイトル通りヒトラー政権からの亡命者ラングによる怒りに満ちたアメリカ社会観察のレポートでした。ラングは逝去までロサンゼルスに永住しますが、映画監督からの引退は戦後西ドイツからの依頼を受けて出向した作品になります。今回ご紹介する3作がラングのハリウッド映画では最後になった作品ですが、映画よりポスターの方が秀逸だったりするのです。
●6月6日(火)
『ムーンフリート』Moonfleet (米MGM'55)*87mins, Eastmancolor
●6月7日(水)
『口紅殺人事件』While the City Sleeps (米RKO'56)*100mins, B/W
6月8日(木)
●『条理ある疑いの彼方に』Beyond a Reasonable Doubt (米RKO'56)*80mins, B/W
●6月6日(火)
『ムーンフリート』Moonfleet (米MGM'55)*87mins, Eastmancolor
●6月7日(水)
『口紅殺人事件』While the City Sleeps (米RKO'56)*100mins, B/W
6月8日(木)
●『条理ある疑いの彼方に』Beyond a Reasonable Doubt (米RKO'56)*80mins, B/W