雑居房は畳12畳に窓辺の洗面台部分が板の間2畳で、ここに10人の未決囚が収容される。裁判で判決が確定する前とはいえ未決囚の取り扱いは有罪確定者と変わりがない。われわれの多くは法によって国家から国民が護られていると盲信させられているが、一度でも未決囚経験を味わえばわれわれは国家にとてつもない強権を与えているのがわかる。恣意的な容疑ひとつで国民の誰もが無条件に強制収容され事実上の禁錮刑が開始される。われわれは護られてなどいない。管理されているだけだ。
12畳の雑居房に10人が床を敷くのは左右に4列、中央に縦に2列でいっぱいになる。平成2年のラベルのついた絨毯のように固い毛布を抱き枕にして隣の男との間に壁をつくり、猛暑の夜に緊張で張り詰めた頭で眠りにつこうとしながら毎晩考えた。ここでは一切の自由は禁じられていてただ生きているだけだが、目的は生きてここを出る日まで耐えることだけだ。何もかも禁じられて規則以外のことは一切許されないが、少なくとも頭の中だけは誰にも手出しはできない。それさえ保っていられれば打ち負かされずに耐え抜くことができる。検察弁論の裁判初回は今日済ませて、告訴内容はすべて承認した。後は1週間後の判決を待つばかりで、刑務官に請願した通り独居房に移室してもらえるかで1週間がどれだけ生かせるか大きく変わってくる。誰もが嫌がる独居房だが自分の場合はゴールは見えているから、出所後の計画をじっくり具体的に考えるには雑居房では落ち着かない。とにかく明日を待とう。
翌朝、朝食後に刑務官がやってきた。まだ釈放ではないんです、独居房に移室します、と房長に話して少ない荷物と布団(布団も移室するのだ)をまとめた。自分でも弾んだ気分なのがわかった。長いこと同じ麻薬犯だと思われていたお洒落な輸入雑貨店の店長に「今でも薬に見えますか?」と訊くと「見えるよ、動きがケミカルだもの」と言われた。廊下のワゴンに荷物を詰め込んでドア口に向き直って片膝をつき、房長にお世話になりました、とあいさつした。おお、と房長は少し寂しげだった。上下関係ではないが、単純に仲間が減るのが寂しいという様子だった。こんなやくざの仁義の真似事など一生に何度も(少なくとも自分のような人間には)あることではないと思うとおかしかった。独居房まで刑務官に引率されるのも、これまでは入浴でも運動でも集団で隊列を組む移動ばかりだったので楽しかった。
雑居房は3階にあったが独居房は最上階の5階だった。エレベーターから降りて廊下に出た瞬間に、ヤバいな、来なきゃ良かったかなと後悔混じりのショックを受けた。異常なくらい静まり返っている。廊下の左はずっと西向きの窓でそれはいいのだが、右側は独居房が一列に廊下の奥まで続いている。独居房だから当たり前とも言えるが、話し声はおろか物音ひとつしない。刑務官の引率で進むと奥から5番目くらいの部屋を与えられて、独居房はこの階に約30室あるのがわかった。廊下を歩く途中に横目でドア脇の格子ごしに見るとやたらと室内に生活用品があったり、テレビを置いていたり、ソファーベッドまで置いてある部屋まであった。囚人の姿は見えなかった。全員普段から監視される廊下側を避けているのか、入浴や運動時間を選んで行った移室だったのかもしれない。
テレビやソファーベッドまで置いてある、となると既に実刑判決で長期の禁錮刑を受け、しかも8年以上の実刑が想像される。実刑8年というと殺人犯に相当する。独居房という措置もそれならうなずける。雑居房の3階は普通の建物の3階よりかなり高かったが、拘置所は細工を防ぐためか人員が密集するからか男が3人肩車しても届かないくらい天井が高く作ってある。3階ではまだ地上の空気が流れてきたが、5階まで来ると風の流れがはっきり地上とは違った。窓の外を過ぎる鳥の影すらなかった。畳3畳、トイレと洗面台のある窓際に板の間1畳。独居房は精神病院で言う隔離室、通称ガッチャン部屋とほぼ同じなのを知ったのは、出所後に精神疾患の発症が診断されて何度も精神科入院をくり返すようになってからだった。
独居房の囚人(おそらく未決囚だけでなく実刑服役中)たちの姿を見たのは先の1週間中で入浴時に2回(雑居房の入浴より少人数ずつで急がされなかった)、運動時に2回(屋上の鉄柵の檻に入って日光浴するだけ)で数人ずつだったが、明らかに娑婆の人間とは様子が違った。廊下を通る時に室内をちらりと見ると異様な姿勢に硬直していたり身体が変形している人もいた。病人もいるのかもしれない。裁判が長期化して先が見えないか長い服役の真っ只中でおかしくなってしまっているのだ。雑居房の未決囚たちが独居だけは嫌だと口を揃えていたのがようやくわかった。もし先1週間という期限つきでなかったら到底耐え難いような所だった。
刑務官が去ってしばらくは部屋の整理と独居房内規則のマニュアルを読んで、ようやく緊張がほぐれてきた。刑務官が監視に通らない限りここでは未決囚同士の相互監視もないから壁によりかかるのも規定時間以外に寝そべるのも自由だし、掃除や体操だってさぼれる。雑居房にいたうちに注文購入で買ってあったノートとペンも、雑居房では固有名詞の混じる筆記は禁止されていたし万が一を考えると書く危険も冒せなかったが、独居房なら出所後の生活計画を練って具体的な予定表に書いても問題は起こらない。それに逮捕されてから出所するまでの記録をまだ記憶が新しいうちにまさに未決監に収監中のうちに思い出し、また指折り出所までを数えながら書き残しておきたい。出所したら生活基盤を出直すために毎日の真剣勝負が当分続くのは目に見えている。収監中の記録を思い出して書く暇などいつになるかわからない。
最初何の逮捕理由も取り調べもなく留置場に監禁された時におこった症状は「感覚遮断」と呼ばれる現象によるものだった。感覚遮断の研究は朝鮮戦争(昭和25年~昭和28年)の間に、朝鮮で中国軍の捕虜となったアメリカ兵が共産主義者へと思想改革教育を受けた際の、その洗脳(brain washing)の過程を解明する際に明らかになった。兵士たちは1週間ほど独房に監禁されて食事だけが運ばれる状態において、多くはいろいろな幻覚を経験し、その後、独房から出されて思想教育を受けていた。
感覚遮断(sensory deprivation)は、狭義には感覚刺激が遮断された状態であり、広義には刺激が減少した状態ないし、刺激が単調など刺激が意味をもたない状態を指す。感覚(sensory)とは視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの人間の感覚能力であり、遮断(deprivation)とは取り去るという意味だが、完全に取り除くことは不可能であり、実験としては外界からの刺激を極力減少させる。これをいくつかの段階に分類すると、以下のようになる。
・感覚遮断 (sensory isolation)
狭義の感覚遮断であり、刺激の物理的絶対量を減少した状態で、水槽に漬け視覚、聴覚、触覚、深部感覚をできるだけ減少させるといった方法であり、多くの実験例がある。被験者の半数以上に鮮やかな幻覚や幽体離脱体感が生じ、幻覚には宗教画がマリア像、さらにその声を聴く幻聴に変わるというものまであった。
・知覚遮断 (perceptual isolation)
意味のある刺激が減少した状態であり、たとえば半透明のメガネで形や色など正常な知覚が遮断された状態での反応。覚醒の状態、感情の反応、態度、思考など多くには阻害的な反応が見られ、予期しなかった現象として、単純な幻覚を含めると全員に幻覚が生じ、幾何学図形から複雑にはリスの一群や壁や天井から生える無数の腕が見えるといったものまであった。
・強制的構造化あるいは単調化
刺激の変化が乏しく単調であり、たとえば天井だけを見つめ、単調なモーター音だけがするというような状態。飛行機のパイロットが変化に乏しい飛行状態で精神に異常をきたしたりするのがその一例に当たる。逮捕拘禁による幻覚はまずこの形で現れた。そして仮説として感覚遮断の原因と考えられる2例、
・覚醒水準が低下し、夢などと、覚醒時の体験を混同している。
・遮断の際の原始的な恐怖感が投影され、幻覚として体験される。
などが次々に現れた。それは恐ろしい体験で突然現れ、突然消えるのだった。
12畳の雑居房に10人が床を敷くのは左右に4列、中央に縦に2列でいっぱいになる。平成2年のラベルのついた絨毯のように固い毛布を抱き枕にして隣の男との間に壁をつくり、猛暑の夜に緊張で張り詰めた頭で眠りにつこうとしながら毎晩考えた。ここでは一切の自由は禁じられていてただ生きているだけだが、目的は生きてここを出る日まで耐えることだけだ。何もかも禁じられて規則以外のことは一切許されないが、少なくとも頭の中だけは誰にも手出しはできない。それさえ保っていられれば打ち負かされずに耐え抜くことができる。検察弁論の裁判初回は今日済ませて、告訴内容はすべて承認した。後は1週間後の判決を待つばかりで、刑務官に請願した通り独居房に移室してもらえるかで1週間がどれだけ生かせるか大きく変わってくる。誰もが嫌がる独居房だが自分の場合はゴールは見えているから、出所後の計画をじっくり具体的に考えるには雑居房では落ち着かない。とにかく明日を待とう。
翌朝、朝食後に刑務官がやってきた。まだ釈放ではないんです、独居房に移室します、と房長に話して少ない荷物と布団(布団も移室するのだ)をまとめた。自分でも弾んだ気分なのがわかった。長いこと同じ麻薬犯だと思われていたお洒落な輸入雑貨店の店長に「今でも薬に見えますか?」と訊くと「見えるよ、動きがケミカルだもの」と言われた。廊下のワゴンに荷物を詰め込んでドア口に向き直って片膝をつき、房長にお世話になりました、とあいさつした。おお、と房長は少し寂しげだった。上下関係ではないが、単純に仲間が減るのが寂しいという様子だった。こんなやくざの仁義の真似事など一生に何度も(少なくとも自分のような人間には)あることではないと思うとおかしかった。独居房まで刑務官に引率されるのも、これまでは入浴でも運動でも集団で隊列を組む移動ばかりだったので楽しかった。
雑居房は3階にあったが独居房は最上階の5階だった。エレベーターから降りて廊下に出た瞬間に、ヤバいな、来なきゃ良かったかなと後悔混じりのショックを受けた。異常なくらい静まり返っている。廊下の左はずっと西向きの窓でそれはいいのだが、右側は独居房が一列に廊下の奥まで続いている。独居房だから当たり前とも言えるが、話し声はおろか物音ひとつしない。刑務官の引率で進むと奥から5番目くらいの部屋を与えられて、独居房はこの階に約30室あるのがわかった。廊下を歩く途中に横目でドア脇の格子ごしに見るとやたらと室内に生活用品があったり、テレビを置いていたり、ソファーベッドまで置いてある部屋まであった。囚人の姿は見えなかった。全員普段から監視される廊下側を避けているのか、入浴や運動時間を選んで行った移室だったのかもしれない。
テレビやソファーベッドまで置いてある、となると既に実刑判決で長期の禁錮刑を受け、しかも8年以上の実刑が想像される。実刑8年というと殺人犯に相当する。独居房という措置もそれならうなずける。雑居房の3階は普通の建物の3階よりかなり高かったが、拘置所は細工を防ぐためか人員が密集するからか男が3人肩車しても届かないくらい天井が高く作ってある。3階ではまだ地上の空気が流れてきたが、5階まで来ると風の流れがはっきり地上とは違った。窓の外を過ぎる鳥の影すらなかった。畳3畳、トイレと洗面台のある窓際に板の間1畳。独居房は精神病院で言う隔離室、通称ガッチャン部屋とほぼ同じなのを知ったのは、出所後に精神疾患の発症が診断されて何度も精神科入院をくり返すようになってからだった。
独居房の囚人(おそらく未決囚だけでなく実刑服役中)たちの姿を見たのは先の1週間中で入浴時に2回(雑居房の入浴より少人数ずつで急がされなかった)、運動時に2回(屋上の鉄柵の檻に入って日光浴するだけ)で数人ずつだったが、明らかに娑婆の人間とは様子が違った。廊下を通る時に室内をちらりと見ると異様な姿勢に硬直していたり身体が変形している人もいた。病人もいるのかもしれない。裁判が長期化して先が見えないか長い服役の真っ只中でおかしくなってしまっているのだ。雑居房の未決囚たちが独居だけは嫌だと口を揃えていたのがようやくわかった。もし先1週間という期限つきでなかったら到底耐え難いような所だった。
刑務官が去ってしばらくは部屋の整理と独居房内規則のマニュアルを読んで、ようやく緊張がほぐれてきた。刑務官が監視に通らない限りここでは未決囚同士の相互監視もないから壁によりかかるのも規定時間以外に寝そべるのも自由だし、掃除や体操だってさぼれる。雑居房にいたうちに注文購入で買ってあったノートとペンも、雑居房では固有名詞の混じる筆記は禁止されていたし万が一を考えると書く危険も冒せなかったが、独居房なら出所後の生活計画を練って具体的な予定表に書いても問題は起こらない。それに逮捕されてから出所するまでの記録をまだ記憶が新しいうちにまさに未決監に収監中のうちに思い出し、また指折り出所までを数えながら書き残しておきたい。出所したら生活基盤を出直すために毎日の真剣勝負が当分続くのは目に見えている。収監中の記録を思い出して書く暇などいつになるかわからない。
最初何の逮捕理由も取り調べもなく留置場に監禁された時におこった症状は「感覚遮断」と呼ばれる現象によるものだった。感覚遮断の研究は朝鮮戦争(昭和25年~昭和28年)の間に、朝鮮で中国軍の捕虜となったアメリカ兵が共産主義者へと思想改革教育を受けた際の、その洗脳(brain washing)の過程を解明する際に明らかになった。兵士たちは1週間ほど独房に監禁されて食事だけが運ばれる状態において、多くはいろいろな幻覚を経験し、その後、独房から出されて思想教育を受けていた。
感覚遮断(sensory deprivation)は、狭義には感覚刺激が遮断された状態であり、広義には刺激が減少した状態ないし、刺激が単調など刺激が意味をもたない状態を指す。感覚(sensory)とは視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの人間の感覚能力であり、遮断(deprivation)とは取り去るという意味だが、完全に取り除くことは不可能であり、実験としては外界からの刺激を極力減少させる。これをいくつかの段階に分類すると、以下のようになる。
・感覚遮断 (sensory isolation)
狭義の感覚遮断であり、刺激の物理的絶対量を減少した状態で、水槽に漬け視覚、聴覚、触覚、深部感覚をできるだけ減少させるといった方法であり、多くの実験例がある。被験者の半数以上に鮮やかな幻覚や幽体離脱体感が生じ、幻覚には宗教画がマリア像、さらにその声を聴く幻聴に変わるというものまであった。
・知覚遮断 (perceptual isolation)
意味のある刺激が減少した状態であり、たとえば半透明のメガネで形や色など正常な知覚が遮断された状態での反応。覚醒の状態、感情の反応、態度、思考など多くには阻害的な反応が見られ、予期しなかった現象として、単純な幻覚を含めると全員に幻覚が生じ、幾何学図形から複雑にはリスの一群や壁や天井から生える無数の腕が見えるといったものまであった。
・強制的構造化あるいは単調化
刺激の変化が乏しく単調であり、たとえば天井だけを見つめ、単調なモーター音だけがするというような状態。飛行機のパイロットが変化に乏しい飛行状態で精神に異常をきたしたりするのがその一例に当たる。逮捕拘禁による幻覚はまずこの形で現れた。そして仮説として感覚遮断の原因と考えられる2例、
・覚醒水準が低下し、夢などと、覚醒時の体験を混同している。
・遮断の際の原始的な恐怖感が投影され、幻覚として体験される。
などが次々に現れた。それは恐ろしい体験で突然現れ、突然消えるのだった。