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映画日記2017年1月6日~10日・トーキー以降のチャップリン

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 前回のサイレント時代のチャップリン編は讃辞を連ねるにせよ些細な不満を洩らすにせよ言葉に尽くしがたく、適当な総評だけで逃げてしまいました。昨年ボブ・ディランが何か大きな賞をもらいましたが、大衆芸能に文学的価値を認めるならば劇作家・演出家・俳優としてチャップリンはボブ・ディランと同等以上の存在で、チャップリンに賞を与えなかったスウェーデン・アカデミーが今さらディランを表彰するなどちゃんちゃらおかしいでやんす。さて、チャップリンについての同時代評を調べると、メジャー配給に乗るようになった『犬の生活』1918の頃には日本の映画雑誌ですら「懐かしいチャップリン」という形容が見られます。チャップリンはまだ映画デビュー5年目、29歳になったばかりです。それだけ急激に存在感を知らしめ、実際のデビューよりずっと前から活躍していたような錯覚を批評家や観客に与えていたわけで、これはチャップリンより数年後でブレイクしたロイドやキートン、チャップリンより5歳あまり年長ながら映画デビューはトーキー時代になったマルクス兄弟にはない親近感で、おそらく芸風においてもチャップリンの映画は微妙な既視感で観客を安心させる要素がありました。スマートなロイド、ポーカーフェイス(ストーンフェイス)のキートン、不思議の国から生まれてきたようなマルクス兄弟とはそこが違っていました。ですが--

1月6日(金)
チャールズ・チャップリン『モダン・タイムズ』(アメリカ'36)*83mins, B/W
・一見滑稽な憐れみを誘うようでいて、チャップリンの描く世界は悪意と悲惨に満ちていたのを典型的に表すのがこのトーキー第1作です。トーキーの実用化が1928年、1929年のアメリカ映画はほとんどの新作がトーキーに移行していたのを思うと、1931年の前作『街の灯』はトーキー時代にサイレント映画で勝負した狂気の沙汰でした。オートメーション工場の光景をコメディにしたのはルネ・クレールの『自由は我等に』1931が先ですが、クレールになくチャップリンに露骨なのは資本家に対する嫌悪を労働環境に重ね合わせる敵意です。この映画は新夫人となるポーレット・ゴダードがヒロインとなる後半で唐突に楽観的な無産階級讃歌になり、テーマが割れている難がありますが、それもチャップリンが観客を舐めているからで、おそらくトーキー時代ぎりぎりの『サーカス』1928の頃から自己顕示欲の権化チャップリンは観客なんか信じてはいない映画作家になったのです。

1月7日(土)
チャールズ・チャップリン『チャップリンの独裁者』(アメリカ'40)*120mins, B/W
・『軽蔑』1963当時のゴダールが映画誌のアンケートでアメリカ映画ベスト10(トーキー以後)の2位に上げたのが本作で、1位は『暗黒街の顔役』'32(ホークス)、3位は『めまい』'58(ヒッチコック)、4位と5位は『捜索者』'56(フォード)と『雨に唄えば』'52(ケリー=ドーネン)でした。チャップリンがヒットラーのパロディをヨーロッパ戦線真っ只中の時期に演じる(アメリカは参戦検討中)という捨て身の爆裂ギャグがエンディングの怒涛の感動まで猛進する物凄い作品。稀代の天才が本気で怒ると神の雷が降るとしか喩えようがなく、日独伊では当然上映禁止映画になりました。道端の「考える人」像まで右手を上げている細かいネタから地球儀とのダンスの大ネタまでチャップリンのイメージとは違うシニカルで攻撃的なギャグを総動員し、ラストで庶民チャップリン(二役)が「空をごらん」と言うと本当に太陽が照らしてくるのです。

1月8日(日)
チャールズ・チャップリン『チャップリンの殺人狂時代』(アメリカ'47)*119mins, B/W
・この作品からチャップリンは放浪紳士のメイクを捨てます(前作ではヒットラーのパロディ役と二役でした)。内容も前作の攻撃性が内に向かったネガのような作品で、チャップリン演じる連続殺人犯の結婚詐欺師が死刑になるまでを陰鬱なギャグ満載で描きます。映画はチャップリンの墓石にナレーションが重なって始まるのでネタバレじゃないですよ。この手法はビリー・ワイルダーと時期が重なるし、題材はヒッチコックが『疑惑の影』'42でやっているので、チャップリンは当然ヒッチコックやワイルダーを参照しているはず。有名な「一人を殺せば犯罪者だが百万人を殺せば英雄さ」はこの映画が出典。観客動員惨敗、反国家思想の危険人物として政府にマークされるようになったのもこの後味最悪の傑作の公開以来。そして引退作を決した『ライムライト』'52公開は大ヒットするも、共産主義者と目され母国イギリスへ実質的に強制送還されてしまいます。

1月9日(月)
チャールズ・チャップリン『ニューヨークの王様』(イギリス'57)*100mins, B/W
・それでも5年もすれば新作が作りたくなって、イギリスで1か月半の短期間で制作したのが低予算映画になった本作。革命騒ぎで亡命しニューヨークに滞在中のヨーロッパの架空の小国の王様(チャップリン)が何だかんだで共産主義者のレッテルを貼られ、不寛容と密告奨励の国アメリカに失望して帰国を決意するまでという内容はヨーロッパでは好評だったがアメリカではブーイングの嵐。確かに68歳の実年齢相応の素顔で老けたチャップリンは露骨なテーマ性が十分な肉づけもされず、ホースに突っ込んだ指が抜けなくなった程度のギャグでは寓意的なひねりも映像的な面白さも寒いものがあった。しかしチャップリン最後の主演作品として観ると、ちょっと自分の引退事情をネタに映画でコメントしないではいられなかった作家根性が見える。これと『伯爵夫人』は公開当時散々不評を買った作品と言われますが、老いの境地として暖かく観たいものです。

1月10日(火)
チャールズ・チャップリン『伯爵夫人』(アメリカ'67)*108mins, Technicolor
・チャップリン最後の監督・脚本作品。主演は世界一周客船旅行中の大富豪にマーロン・ブランド、香港で密航してきた自称伯爵夫人の高級娼婦にソフィア・ローレンのカップルで、犬猿の仲から始まって次第に、と先は読める筋書き。チャップリンは客室乗務員として1シーン出演のみ。会おうとして続き部屋に行っても果てしなくすれ違いが続いたり、たぶんチャップリン自身の演技を前提としていたりと前作以上に古臭さが詩的されたが、軽い物で終わりたかったのではないか。長男シドニー・チャップリンがブランドの秘書兼親友役で準主役を演じ、『ライムライト』でハンサムで内気な青年作曲家役だったのに禿げちゃったなあと思うが、父親が偉大すぎて割を食ったなと感心するなかなかのバイプレーヤーぶり。ブランド自身も気に入っていない、ソフィア・ローレンは口が臭かったと散々の発言ながらそう悪い作品とは思えない。チャップリンとしては監督に徹して、『ニューヨークの王様』ではなくこの作品で楽しく終わりたかったのだろうと観るたびしみじみする作品で、それで十分でしょう。



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