美代子、石を投げなさい 荒川洋治
宮沢賢治論が
ばかに多い 腐るほど多い
研究には都合がいい それだけのことだ
その研究も
子供と母親を集める学会も 名前にもたれ
完結した 人の威をもって
自分を誇り 固めることの習性は
日本各地で
傷と痛みのない美学をうんでいる
詩人とは
現実であり美学ではない
宮沢賢治は世界を作り世間を作れなかった
いまとは正反対の人である
このいまの目に詩人が見えるはずがない
岩手をあきらめ
東京の杉並あたりに出ていたら
町をあるけば
へんなおじさんとして石のひとつも投げられであろうことが
近くの石 これが
今日の自然だ
「美代子、石投げなさい」母。
ぼくなら投げるな ぼくは俗のかたまりだからな
だが人々は石を投げつけることをしない
ぼくなら投げる そこらあたりをカムパネルラかなにか知らないが
へんなことをいってうろついていたら
世田谷はなげるな 墨田区立花でも投げるな
所沢なら農民は多いが
石も多いから投げるだろうな
ああ石がすべてだ
時代なら宮沢賢治に石を投げるそれが正しい批評 まっすぐな批評だ
それしかない
彼の矩墨を光らすには
ところがちがう ネクタイかけのそばの大学教師が
位牌のようににぎりしめて
その名前のつく本をくりくりとまとめ
湯島あたりで編集者に宮沢賢治論を渡している その愛重の批評を
ははは と
深刻でもない微笑をそばつゆのようにたらして
宮沢賢治よ
知っているか
石ひとつ投げられない
偽善の牙の人々が
きみのことを
書いている
読んでいる
窓の光を締めだし 相談さえしている
きみに石ひとつ投げられない人々が
きれいな顔をして きみを語るのだ
詩人よ、
きみの没後はたしかか
横浜は寿町の焚火に いまなら濡れているきみが
いま世田谷の住宅街のすべりようもないソファーで
何も知らない母と子の眉のあいだで
いちょうのようにひらひらと軽い夢文字の涙で読まれているのを
完全な読者の豪気よ
石を投げられない人の星の星座よ
詩人を語るならネクタイをはずせ 美学をはずせ 椅子から落ちよ
燃えるペチカと曲がるペットをはらえ
詩を語るには詩を現実の自分の手で 示すしかない
そのてきびしい照合にしか詩の鬼面は現れないのだ
かの詩人には
この世の夜空はるかに遠く
満天の星がかがやく水薬のように美しく
だがそこにいま
あるはずの
石がない
「美代子、あれは詩人だ。
石を投げなさい。」
(平成4年=1992年6月「新潮」/平成6年=1994年10月・詩集『坑夫トッチルは電気をつけた』彼方社刊)
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荒川洋治「美代子、石を投げなさい」
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