あぶらだこ1983-1984 (OKレコーズ, 1999) Full Album : https://youtu.be/-s-LDVQfT1E
Compilation Released by OKレコーズ OK-0007, 199
all songs & lyrics written by Hirotomo Hasegawa / *except 3 & 16 songs written by Akio Izumi
(Tracklist)
1. ランニングハイ - 1: 33
2. 忍耐 - 0: 58
3. エルサレムの屈辱 - 3: 03
4. 絶句 - 2: 59
5. 無 - 0: 48
6. 原爆 - 4:45
*1-6; Taken from Aburadako 7" flexi-disc, original release 1983.8, recording at Otsuka Penta E Studio
7. 米ニスト - 1: 06
8. クリスタル・ナハト - 1:20
*7, 8; Taken from "Great Punk Hits" compilation, original release 1983.12
9. White Wolf - 3: 04
10. Logos - 2: 16
11. 煉瓦造りの丘 - 2: 16
12. 童愚 - 2: 40
13. 鏡の風景 - 2: 31
14. Out Of The Body - 4:02
*9-14; Taken from Aburadako 12" mini album, original release 1984.9, recorded at Penta 1 Studio, Tokyo, 1984
15. Fun (Live) - 1:39
*15; Live recorded at Shinjuku Jam, 1984.1.19
16. エルサレムの屈辱 (Live) - 2: 36
17. White Wolf (Live) - 2:23
*16, 17; Live recorded at Shibuya Yaneura, 1984.4.14
18. 忍耐 (Live) - 0:52
*18; Live recorded at Shibuya Yaneura, 1984.3.4
[ あぶらだこ ]
ヒロトモ (長谷川裕倫) - vocal
イズミ (和泉明夫) - guitar
ヒロシ (小町裕) - bass
マル (丸井義則) - drums
この音楽はロックの中では音楽性の純度と高さでは最高のものと言っても過褒ではないないだろう。フリクション、INU、ザ・スターリンと続く80年代初頭日本のパンク最重要バンド。アナーキーはどうしたと言われそうだがアナーキーは最初からメジャーシーンに出てきたバンドで、アンダーグラウンド出身のバンドではない。フリクション、INU、ザ・スターリン、あぶらだこのいずれもがメジャー流通のアルバムは徳間ジャパン・レコード傘下のレーベルから出たのは偶然ではなく、また当時の徳間ジャパンにはキングとの契約が切れたリザードが『GYMNOPEDIA』、またヴェテランだが当時尖鋭的な指向があったムーンライダーズもクラウンから移籍して『青空百景』『MANIA MANIERA』、ワーナーから移籍してきたP-Modelは『Perspective』1982から一時解散までの『ONE PATTERN』1986までの4作を徳間ジャパンで発表している。このあぶらだこの初期音源をまとめた編集盤にも収録の7「米ニスト」と8「クリスタル・ナハト」は徳間ジャパンから発売されたオムニバス・アルバム『Great Punk Hits』からのもので、他の収録バンドはGism、The Executeとあぶらだこ各2曲でA面、B面はLaughin Noseの「Get The Glory」で始まりThe Clay、G-Zet各2曲ずつだった。
あぶらだこは1984年9月に12インチ・ミニアルバムを出すが(この編集盤の9~14)、ラフィン・ノーズがVAPとメジャーデビューが決まった時にはあぶらだこも徳間ジャパンからのメジャーデビューの話は当然あったろうと思われる。だがドラムスのマルがラフィン・ノーズに引き抜かれてしまったのでRuinsの吉田達也をサポート・ドラマーに徳間ジャパンからメジャーデビュー・フルアルバム「あぶらだこ」(あぶらだこのアルバムは全作「あぶらだこ」なので、ジャケットから通称「木盤」と呼ばれる)を発表したのは1985年8月だった。ラフィン・ノーズのメジャーデビュー・アルバムは11月発売だったがすでにインディーズから2枚のアルバムがあり、メジャーデビュー前にワンマンで日比谷野外音楽堂を満席にしている。あぶらだこは1986年12月発表の第2作(青盤)からドラマーが伊藤健一に入り、1989年4月の第3作(亀盤)までは徳間ジャパンからのリリースだった。1996年1月に第4作(釣り盤)をキングからリリース後ギターの和泉脱退、後任ギタリストに大國正人が加入し2000年10月に第5(月盤)作をミディから、2004年6月の第6作(穴盤)と2008年6月の第7作(舟盤)はP-Vineからリリースされた。25年間でソノシート1枚、ミニアルバム1枚、ライヴ・シングル「翌日」(2004年自主リリース/デビュー・アルバム収録曲、23分41秒)、フルアルバム7枚+初期音源編集盤。メンバーは全員音楽専業ではないが、メンバーチェンジも30年あまりの間ほとんどない。
(Original OK Records "あぶらだこ" CD Label & From Inner Booklet)
そういう存在であり、ごく初期に風貌(ドラマーはスキンヘッド、ヴォーカリストは長髪を染めて垂直に立てていた)が注目されたくらいで、あぶらだこの音楽はあまり広く聴かれなかった。ハードコア・パンク、ポジティヴ・パンクと括られるにはあぶらだこの音楽はストレートなパンク・ロックらしい構成のものがほとんどなく、2分にも満たない曲ですらブレイクやテンポ・チェンジ、変拍子が盛り込まれていた。この初期音源を集めた編集盤ではまだその片鱗が見える程度だが、「木盤」から「青盤」「亀盤」に至ってあぶらだこはこの初期音源でうかがえる可能性を全面開花させる。「亀盤」当時は廃盤状態だった83年のソノシート(この編集盤の1~6)、84年のADKレーベルからのミニアルバム(同9~14)についてヒロトモ氏は「再発なんてトンデモナイ」と発言していたが、オリジナル・ギタリストの和泉明夫脱退も心境変化の一因になったか、このOKレコーズからの初期音源編集盤が1999年にリリースされた。このOK盤が完売し好評だったことから新作のリリース元でもあるP-Vineからリマスターしライヴ音源を増補した初期音源編集盤『ADK』2008もリリースされた。OK盤は「月盤」の前年、「ADK盤」は「舟盤」と同年月日発売だったから新作リリースのための景気づけの意味もあったかもしれない。
あぶらだこ、というかヒロトモのヘアスタイルはBUCK-TICKやBY-SEXUALなどに受け継がれた。また大槻ケンヂのヴォーカル・スタイルは日本のパンク・ロッカーでは町田町蔵、遠藤ミチロウ、長谷川裕倫から影響されたもの、と大槻氏本人が発言している。メイクやステージ・アクションにも影響があるだろう。ただしメジャーデビュー・アルバム「木盤」の頃にはスキンヘッドのマル氏もいないし、バンドはハードコア・パンクのバンド然としたメイクやファッション、誇張したステージングも止めている。このOK盤に収録された発掘ライヴ音源の頃はけばけばしいステージをくり広げてポジパン、ハードコア・パンクのヴィジュアル・イメージを体現するバンドだったが、寡作ながら忘れられもせず、一貫した作風で30年以上の活動を続けてこられたのはヴィジュアルで注目されていた時代のインパクトではなく、音楽自体がリスナーを引きつけてきたからになる。メンバー全員音楽専業のバンドではないから初期のように頻繁にライヴをやることも年とともになくなっていき、特に「亀盤」以降はほとんど稀にしかライヴ活動がないが、それからもすでに25年あまり経っているのだ。それを言えば現在の日本で最強の兼業セミプロ・バンドの座に君臨しているバンドかもしれない。
(From Original OK Records "あぶらだこ" Inner Booklet and Insert Catalogue)
あぶらだこの音楽の特徴は全曲の作詞作曲をてがけるヴォーカルの長谷川裕倫の異常な唱法が楽曲そのものになり、ヴォーカル・スタイルによってバンドのアンサンブルが縦横無尽に唸りまわるあたりだろう。キャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジック・バンドの方法に近いかもしれない(町田町蔵氏もINU解散後のバンドではライヴでキャプテン・ビーフハートのカヴァーを歌っていた)。ビーフハートの場合はブルースがルーツ・ミュージックになっているが、あぶらだこは部分的にはストレートなハードコア・パンクの曲調を持っていながらまずほとんど歌詞が聴きとれない。アカペラ・ヴァージョンでもあぶらだこの楽曲はヴォーカル段階でほぼアレンジの根幹が決定され、それに沿ったアンサンブルにはほとんどインプロヴィゼーションの余地がないのではないだろうか。ちなみにあぶらだこの歌詞カードは毎回明朝体の縦書きで、見た目はオーソドックスだが読んでもわけがわからない。だが長谷川氏が1曲ごとに明確なテーマを持って歌詞にしているのは伝わってくる。それが「米ニスト」や「煉瓦造りの丘」なので、曲のタイトルは率直なのだがイメージは解説しようがない。
そんなわけであぶらだこの音楽はフリクションやINU、ザ・スターリンら先立つ日本のパンク・バンドよりもさらに敷居が高い面があり、パンク・ロックというと思い浮かぶ反体制イメージがあぶらだこには稀薄というか、同期のラフィン・ノーズらが明快なパンク・ロッカーのノリの良さで一躍人気を博したようなポピュラリティにも背を向けていた。あぶらだことしては非・反体制や反主流パンクを目指していたわけではなかったのだろう。だがあぶらだこが比較的にコマーシャルな音楽性を持っていたのはこの編集盤にまとめられた初期ソノシート、オムニバス参加曲、ミニアルバムの時期だけで、メジャーデビュー・アルバム「木盤」からは一切商業性とは無縁な音楽になっている。普通それではバンドは続かないのだが、あぶらだこの場合はそこから本格的に始まっていまだに続いている。1983年に活動を始めて作風にまったく変化のないバンドというのは世界的にも珍しいだろう。逆にジャンルの解釈の変化からあぶらだこはプログレッシヴ・ロックにもノイズ/インダストリアルにも分類されるようになった。あぶらだこほどヴォーカル、ギター、ベース、ドラムスだけのアンサンブルに徹したバンドはなく、録音ギミックに依存したサウンドでもない。その姿勢は初期音源の時点から始まっていることもわかる。
Compilation Released by OKレコーズ OK-0007, 199
all songs & lyrics written by Hirotomo Hasegawa / *except 3 & 16 songs written by Akio Izumi
(Tracklist)
1. ランニングハイ - 1: 33
2. 忍耐 - 0: 58
3. エルサレムの屈辱 - 3: 03
4. 絶句 - 2: 59
5. 無 - 0: 48
6. 原爆 - 4:45
*1-6; Taken from Aburadako 7" flexi-disc, original release 1983.8, recording at Otsuka Penta E Studio
7. 米ニスト - 1: 06
8. クリスタル・ナハト - 1:20
*7, 8; Taken from "Great Punk Hits" compilation, original release 1983.12
9. White Wolf - 3: 04
10. Logos - 2: 16
11. 煉瓦造りの丘 - 2: 16
12. 童愚 - 2: 40
13. 鏡の風景 - 2: 31
14. Out Of The Body - 4:02
*9-14; Taken from Aburadako 12" mini album, original release 1984.9, recorded at Penta 1 Studio, Tokyo, 1984
15. Fun (Live) - 1:39
*15; Live recorded at Shinjuku Jam, 1984.1.19
16. エルサレムの屈辱 (Live) - 2: 36
17. White Wolf (Live) - 2:23
*16, 17; Live recorded at Shibuya Yaneura, 1984.4.14
18. 忍耐 (Live) - 0:52
*18; Live recorded at Shibuya Yaneura, 1984.3.4
[ あぶらだこ ]
ヒロトモ (長谷川裕倫) - vocal
イズミ (和泉明夫) - guitar
ヒロシ (小町裕) - bass
マル (丸井義則) - drums
この音楽はロックの中では音楽性の純度と高さでは最高のものと言っても過褒ではないないだろう。フリクション、INU、ザ・スターリンと続く80年代初頭日本のパンク最重要バンド。アナーキーはどうしたと言われそうだがアナーキーは最初からメジャーシーンに出てきたバンドで、アンダーグラウンド出身のバンドではない。フリクション、INU、ザ・スターリン、あぶらだこのいずれもがメジャー流通のアルバムは徳間ジャパン・レコード傘下のレーベルから出たのは偶然ではなく、また当時の徳間ジャパンにはキングとの契約が切れたリザードが『GYMNOPEDIA』、またヴェテランだが当時尖鋭的な指向があったムーンライダーズもクラウンから移籍して『青空百景』『MANIA MANIERA』、ワーナーから移籍してきたP-Modelは『Perspective』1982から一時解散までの『ONE PATTERN』1986までの4作を徳間ジャパンで発表している。このあぶらだこの初期音源をまとめた編集盤にも収録の7「米ニスト」と8「クリスタル・ナハト」は徳間ジャパンから発売されたオムニバス・アルバム『Great Punk Hits』からのもので、他の収録バンドはGism、The Executeとあぶらだこ各2曲でA面、B面はLaughin Noseの「Get The Glory」で始まりThe Clay、G-Zet各2曲ずつだった。
あぶらだこは1984年9月に12インチ・ミニアルバムを出すが(この編集盤の9~14)、ラフィン・ノーズがVAPとメジャーデビューが決まった時にはあぶらだこも徳間ジャパンからのメジャーデビューの話は当然あったろうと思われる。だがドラムスのマルがラフィン・ノーズに引き抜かれてしまったのでRuinsの吉田達也をサポート・ドラマーに徳間ジャパンからメジャーデビュー・フルアルバム「あぶらだこ」(あぶらだこのアルバムは全作「あぶらだこ」なので、ジャケットから通称「木盤」と呼ばれる)を発表したのは1985年8月だった。ラフィン・ノーズのメジャーデビュー・アルバムは11月発売だったがすでにインディーズから2枚のアルバムがあり、メジャーデビュー前にワンマンで日比谷野外音楽堂を満席にしている。あぶらだこは1986年12月発表の第2作(青盤)からドラマーが伊藤健一に入り、1989年4月の第3作(亀盤)までは徳間ジャパンからのリリースだった。1996年1月に第4作(釣り盤)をキングからリリース後ギターの和泉脱退、後任ギタリストに大國正人が加入し2000年10月に第5(月盤)作をミディから、2004年6月の第6作(穴盤)と2008年6月の第7作(舟盤)はP-Vineからリリースされた。25年間でソノシート1枚、ミニアルバム1枚、ライヴ・シングル「翌日」(2004年自主リリース/デビュー・アルバム収録曲、23分41秒)、フルアルバム7枚+初期音源編集盤。メンバーは全員音楽専業ではないが、メンバーチェンジも30年あまりの間ほとんどない。
(Original OK Records "あぶらだこ" CD Label & From Inner Booklet)
そういう存在であり、ごく初期に風貌(ドラマーはスキンヘッド、ヴォーカリストは長髪を染めて垂直に立てていた)が注目されたくらいで、あぶらだこの音楽はあまり広く聴かれなかった。ハードコア・パンク、ポジティヴ・パンクと括られるにはあぶらだこの音楽はストレートなパンク・ロックらしい構成のものがほとんどなく、2分にも満たない曲ですらブレイクやテンポ・チェンジ、変拍子が盛り込まれていた。この初期音源を集めた編集盤ではまだその片鱗が見える程度だが、「木盤」から「青盤」「亀盤」に至ってあぶらだこはこの初期音源でうかがえる可能性を全面開花させる。「亀盤」当時は廃盤状態だった83年のソノシート(この編集盤の1~6)、84年のADKレーベルからのミニアルバム(同9~14)についてヒロトモ氏は「再発なんてトンデモナイ」と発言していたが、オリジナル・ギタリストの和泉明夫脱退も心境変化の一因になったか、このOKレコーズからの初期音源編集盤が1999年にリリースされた。このOK盤が完売し好評だったことから新作のリリース元でもあるP-Vineからリマスターしライヴ音源を増補した初期音源編集盤『ADK』2008もリリースされた。OK盤は「月盤」の前年、「ADK盤」は「舟盤」と同年月日発売だったから新作リリースのための景気づけの意味もあったかもしれない。
あぶらだこ、というかヒロトモのヘアスタイルはBUCK-TICKやBY-SEXUALなどに受け継がれた。また大槻ケンヂのヴォーカル・スタイルは日本のパンク・ロッカーでは町田町蔵、遠藤ミチロウ、長谷川裕倫から影響されたもの、と大槻氏本人が発言している。メイクやステージ・アクションにも影響があるだろう。ただしメジャーデビュー・アルバム「木盤」の頃にはスキンヘッドのマル氏もいないし、バンドはハードコア・パンクのバンド然としたメイクやファッション、誇張したステージングも止めている。このOK盤に収録された発掘ライヴ音源の頃はけばけばしいステージをくり広げてポジパン、ハードコア・パンクのヴィジュアル・イメージを体現するバンドだったが、寡作ながら忘れられもせず、一貫した作風で30年以上の活動を続けてこられたのはヴィジュアルで注目されていた時代のインパクトではなく、音楽自体がリスナーを引きつけてきたからになる。メンバー全員音楽専業のバンドではないから初期のように頻繁にライヴをやることも年とともになくなっていき、特に「亀盤」以降はほとんど稀にしかライヴ活動がないが、それからもすでに25年あまり経っているのだ。それを言えば現在の日本で最強の兼業セミプロ・バンドの座に君臨しているバンドかもしれない。
(From Original OK Records "あぶらだこ" Inner Booklet and Insert Catalogue)
あぶらだこの音楽の特徴は全曲の作詞作曲をてがけるヴォーカルの長谷川裕倫の異常な唱法が楽曲そのものになり、ヴォーカル・スタイルによってバンドのアンサンブルが縦横無尽に唸りまわるあたりだろう。キャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジック・バンドの方法に近いかもしれない(町田町蔵氏もINU解散後のバンドではライヴでキャプテン・ビーフハートのカヴァーを歌っていた)。ビーフハートの場合はブルースがルーツ・ミュージックになっているが、あぶらだこは部分的にはストレートなハードコア・パンクの曲調を持っていながらまずほとんど歌詞が聴きとれない。アカペラ・ヴァージョンでもあぶらだこの楽曲はヴォーカル段階でほぼアレンジの根幹が決定され、それに沿ったアンサンブルにはほとんどインプロヴィゼーションの余地がないのではないだろうか。ちなみにあぶらだこの歌詞カードは毎回明朝体の縦書きで、見た目はオーソドックスだが読んでもわけがわからない。だが長谷川氏が1曲ごとに明確なテーマを持って歌詞にしているのは伝わってくる。それが「米ニスト」や「煉瓦造りの丘」なので、曲のタイトルは率直なのだがイメージは解説しようがない。
そんなわけであぶらだこの音楽はフリクションやINU、ザ・スターリンら先立つ日本のパンク・バンドよりもさらに敷居が高い面があり、パンク・ロックというと思い浮かぶ反体制イメージがあぶらだこには稀薄というか、同期のラフィン・ノーズらが明快なパンク・ロッカーのノリの良さで一躍人気を博したようなポピュラリティにも背を向けていた。あぶらだことしては非・反体制や反主流パンクを目指していたわけではなかったのだろう。だがあぶらだこが比較的にコマーシャルな音楽性を持っていたのはこの編集盤にまとめられた初期ソノシート、オムニバス参加曲、ミニアルバムの時期だけで、メジャーデビュー・アルバム「木盤」からは一切商業性とは無縁な音楽になっている。普通それではバンドは続かないのだが、あぶらだこの場合はそこから本格的に始まっていまだに続いている。1983年に活動を始めて作風にまったく変化のないバンドというのは世界的にも珍しいだろう。逆にジャンルの解釈の変化からあぶらだこはプログレッシヴ・ロックにもノイズ/インダストリアルにも分類されるようになった。あぶらだこほどヴォーカル、ギター、ベース、ドラムスだけのアンサンブルに徹したバンドはなく、録音ギミックに依存したサウンドでもない。その姿勢は初期音源の時点から始まっていることもわかる。