Recorded at Toshiba-EMI Studios & Mouri Studios 1974-1975.
Released by 東芝EMI Express ETP-72083, August 5, 1975
Produced by Kei Ishizaka, Naoki Tachikawa
(Side 1)
A1. Sunday's Happening 日曜日の出来事 (N.Tachikawa-T.Izumi) - 4:14
A2. Daydream 白日夢 (Cosmos Factory) - 2:42
A3. Hiver 哀しみのイヴェール (T.Izumi) - 3:47
A4. Confusion 錯乱 (Cosmos Factory-N.Tachikawa) - 2:15
A5. The Infinite Universe Of Our Mind 心の宇宙 (T.Izumi-H.Mizutani) - 4:28
(Side 2)
B1. The Sea 海 (Cosmos Factory) - 5:14
B2. A Hidden Trap 秘められた罠 (T.Izumi-N.Tachikawa-K.Ishizuka) - 2:07
B3. Wind In The Morning (A Trip) 朝の風 (T.Izumi) - 3:44
B4. Journey Of No Destination 終りなき旅 (T.Izumi) - 4:52
B5. The Cosmogram コスモグラム (Cosmos Factory-N.Tachikawa) - 2:24
[ Cosmos Factory ]
Tsutomu Izumi - Organ (Hammond B3), Piano, Electric Piano (Fender Rhodes), Synthesizer (Solina, Self-made Symphonizer, Mini-moog, Arp, Yamaha Yc20), Mellotron, Celesta, Effects (Tape)
Hisashi Mizutani - Acoustic Guitar, Electric Guitar, Other (Funny Cat, Talking Bag, Fuzz Master, Hitting A Door), Effects (Tape)
Toshikazu Takeuchi - Bass Guitar, Bass (Fuzz), Piano, Percussion, Effects (Tape), Voice (Synthesized), Vocals
Kazuo Okamoto - Drums, Percussion, Timpani, Drums (Synthesized), Performer (Electric Cleaner), Voice
コスモス・ファクトリーの第2作は日本コロムビアから東芝EMIに移籍、デビュー作『トランシルヴァニアの古城』から1年10か月ぶりのアルバムになった。今回クレジット類がすべて英語になっており、アルバム・タイトルや曲名も日本語タイトルは副題あつかいされている。文中もそれでは読みづらいので人名だけでも漢字・かな表記にすると、メンバーは泉つとむ(リード・ヴォーカル、キーボード)、水谷ひさし(ギター)、滝としかず(なぜか今作だけTakeuchi姓となっている。ベース、ヴォーカル)、岡本和夫(ドラムス)。プロデュースは立川直樹(音楽ジャーナリスト)と石坂啓一(東芝レコード・洋楽部門ディレクター)で、ライナー・ノーツはデビュー作では立川直樹、泉つとむによるものだったが今作は立川氏の指名か当時人気ロック・ジャーナリストだった大貫憲章・渋谷陽一、またレコーディング・エンジニアの小菅憲一氏が寄せている。ジャーナリスト両氏の寄稿はともかくエンジニア小菅氏の制作ドキュメントは実に熱く、バンドとスタッフ一丸となってベストを尽くした様子が伝わってきて、襟を正して聴かなくては、という気になる。
デビュー作と比較して大作がなくなり、また楽器の音色や楽曲のアイディアが格段に多彩になった。デビュー作は外部作家提供の1曲を除き全曲をリーダーの泉つとむが作詞作曲し、ヴォーカル曲はリード・ヴォーカルをとっていたが、今回はメンバーやバンド全員の共作が増え、ベースの滝としかずのヴォーカル曲も本作以降採用されることになる。キーボードについても前作はオルガンの延長線上でシンセサイザーが使われていた程度だが、今回のA2A4、B2B5などはエレクトロニックでB2などフランスの同時代バンド、エルドンみたいだ(同時なので影響は考えられない)。デビュー作のようなB面1曲の大作組曲はないが、B面の流れはA面のA4~A5同様メドレーになっていて、特に曲間なしのB3~B4がクライマックスになっているため実際はB面全体で組曲的な構成になっている。アナログLP時代のミュージシャンのアルバム構成意識はCD時代のアーティストには及びもつかないほど高かった。
(Original Express "A Journey With The Cosmic Factory" LP Liner Cover)
●サディスティック・ミカ・バンド
・サディスティック・ミカ・バンド (1973.5.5)
・黒船 (1974.11.5)
・HOT MENU (1975.11.5)
・ライヴ・イン・ロンドン (1976.7.5)
●ファー・イースト・ファミリー・バンド
・日本人 (前身バンド・ファーラウト名義) (1973.3)
・地球空洞説 (1975.8.25)
・多元宇宙の旅 PARALLEL WORLD (1976.3.25)
・NIPPONJIN (1976.8.25)
・天空人 (1977.11.25)
●コスモス・ファクトリー
・トランシルヴァニアの古城 (1973.10.21)
・謎のコスモス号 (1975.8.5)
・Black Hole (1976.8.5)
・嵐の乱反射 (1977.7.5)
●四人囃子
・ある青春~二十歳の原点 (サントラ) (1973.10.25)
・一触即発 (1974.6)
・ゴールデン・ピクニックス(1976.4.21)
・PRINTED JELLY (1977.10.25)
・'73四人囃子 ('73 幻ライヴ-俳優座ロック・コンサートより) (1978.1.25)
・包 (bao) (1978.7.25)
・NEO-N (1979.11.28)
と、最年少バンドだった四人囃子が唯一79年までアルバムがあるが、ミカ・バンドは76年、ファー・イーストも77年のアルバムは解散決定後に発売され、コスモスも77年のアルバムから間もなく解散している。ミッキー・カーチスと侍やフライド・エッグらブリティッシュ・ロックの動向に即応した早いバンドはあり、ミカ・バンドはグラム・ロックやプログレッシヴ・ロックを折衷したロキシー・ミュージックや10ccに近いバンドだったが、いわゆるプログレッシヴ・ロックはファーラウト、コスモス、四人囃子のデビュー作が出揃った1973年(同年3月にピンク・フロイドの『狂気』が発表されている)には頂点に達していて音楽のトレンドはイギリスからアメリカへ移っていく時期だった。フロイドの前作『おせっかい』1971.11の影響が日本のプログレッシヴ系バンドには強いが『おせっかい』と『狂気』の音楽性の差は大きく、『狂気』には『おせっかい』にはなかったソウル・ミュージックの換骨奪胎が根本にある。『狂気』をきっかけにそれまでのプログレッシヴ・ロックの方向性に変化があり、日本のプログレッシヴ・ロックバンドがその衰退期を活動時期とした不運は英米ロックのリスナーには古いセンスのロックと見なされたことだった。
(Original Express "A Journey With The Cosmic Factory" LP Incert Sheet)
本作のA2「Daydream 白昼夢」(ヴォーカルは滝としかず)にすでに兆候が現れているが、次作『Black Hole』は冒頭のタイトル曲は「Daydream 白昼夢」パート2といってよい、後期キング・クリムゾンにヒントを得たヘヴィ・ロック的プログレッシヴ・ロックで、当時ドイツではヘルダーリン、フランスではエルドン、シャイロックといったバンドがやはり後期キング・クリムゾン影響下のヘヴィ・ロックをやっていた。この時期コスモスはステージでもクリムゾンの「Red」を演奏していたという。第4作「嵐の乱反射 Metal Reflection」は制作途中でドラムスの岡本和夫が脱退、19歳の新人ドラマーを迎えて完成させたが、全曲が英語詞でアップテンポのハード・ロックという急激な路線変更のアルバムになり、それが結局コスモス・ファクトリーの最終作になった。
(Original Express "A Journey With The Cosmic Factory" LP Side 1 & Side 2 Label)
セカンド・アルバムは制作開始の1974年には当時日本で可能な限りの最新楽器やエフェクター、録音機材や技術を駆使した意欲的なものだったろう。エンジニア小菅氏のライナー・ノーツが伝えてくれる通り、メンバーもスタッフも最新のスタイルで最高の水準のサウンドを作り上げるのに真剣に取り組んだ。しかし、デビュー作でも感じたが自身もミュージシャン出身の音楽ジャーナリスト・立川直樹氏がプロダクション・マネージャーでプロデューサーについたコスモス・ファクトリーというバンドは、アーティストというにはあまりにもロックが好きで、それも遠くて高いところへ向かおうとするより自分たちの身の丈で完結してしまうような愛し方をしていたように感じる。セカンド・アルバムでの挑戦や変化は結果的にデビュー作よりも時代によって古びる要素を取り込んでしまう結果になったと思える。四人囃子のように発掘ライヴや未発表テイク入りボックス・セットでも出れば4作のアルバムからはうかがい知れなかった面が明らかになるかもしれないが、そうした再評価の動きはまるでない。せめて未発表ライヴでもと思うのだが。