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クニ河内と彼のともだち Kuni Kawachi & Flower Travellin' Band - 切狂言 (Kirikyogen) - (London, 1970)

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クニ河内と彼のともだち Kuni Kawachi & Flower Travellin' Band - 切狂言 (Kirikyogen) - (London, 1970) Full Album : https://youtu.be/gNtQdvhCPgg
Released by? London Records ?- SKK(L) 3003, December 1, 1970
(Side 1)
A1. 切狂言 (芝居小屋の名役者) - 5:09
A2. 人間主体の経営と工事 - 5:46
A3. タイム・マシーン - 7:48
(Side 2)
B1. おまえの世界へ...... - 6:33
B2. 恋愛墓地 - 4:11
B3. 女の教室 - 3:26
B4. 男から女を見た科学的調査 - 3:54
[ クニ河内と彼のともだち ]
クニ河内 - キーボード、作詞作曲編曲
石間秀樹 - ギター
ジョー山中 - ヴォーカル
ぺぺ吉弘 - ベース
チト河内 - ドラムス
内田裕也 - プロデュース

 このアルバムは現在では正規ライセンスによる海外盤も2種類のレーベルから発売され(それ以前も4種以上の複製盤が海賊盤発売される人気アイテムだった)、そのうちひとつにはジュリアン・コープがライナーノーツを書き下ろしている。コープ(元ティアドロップ・エクスプローズ)は近年は文筆活動で知られ、1990年代にはドイツの70年代初期ロックの研究書『Krautrocksampler』で実験派ジャーマン・ロックの再評価を促し、21世紀に入って70年代の日本のロック研究を翻訳で380ページにおよぶ大著『Japrocktsampler』2007(翻訳・白夜書房2008)にまとめてジャーマン・ロック研究以上の大反響を呼び、コープの評価によって次々と70年代の日本のロックの海外盤復刻CDが発売される、という快挙にも結びついた。ただしコープが同書の巻末のベスト・アルバム50選に上げたアルバムからでも、カープの評価基準はアンダーグラウンドでヘヴィなアシッド・ロックに偏向しているのがわかる。
(Julian Cope "Japrocksampler" Japanese Out-of-Printed Translated Edition)

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 コープ選出の日本のロック・ベスト50リストのうちトップ10は、
1. フラワー・トラヴェリン・バンド『SATORI』1971
2. スピード・グルー&シンキ『前夜』1971
3. 裸のラリーズ『Heavier Than a Death in the Family』(Live 1977)1995
4. ファー・イースト・ファミリー・バンド『多元宇宙への旅』1976
5. J・A・シーザー『国境巡礼歌』1973
6. LOVE LIVE LIFE + ONE『LOVE WILL MAKE A BETTER YOU』1971
7. 佐藤允彦とサウンドブレーカーズ『恍惚の昭和元禄』1971
8. 芸能山城組『恐山』1976
9. 小杉武久『キャッチ・ウェイブ』1975
10. J・A・シーザー『邪宗門』1972
 そして11位がファーラウト『日本人』1973で、この『切狂言』1970は25位にランクされている。裸のラリーズは50枚のうち4枚入選し、ファーラウト~ファー・イースト・ファミリー・バンドも4枚、フラワー・トラヴェリン・バンドも本作を加えれば4枚、タージ・マハル旅行団を含め小杉武久が5枚、J・A・シーザーが3枚、佐藤允彦が2枚、一柳慧が2枚、マジカル・パワー・マコが2枚、スピード・グルー&シンキの全2枚、ブルース・クリエイション2枚が入選している偏りが目立つし、名盤として知名度が高いものは『ジャックスの世界』1968が42位、『五つの赤い風船/New Sky&Flight』1970が47位、『外道』1974が30位、『四人囃子/一触即発』1974が49位に入っている程度で、はっぴいえんども頭脳警察もサディスティック・ミカ・バンドもはちみつぱいも村八分もキャロルもサンハウスも入っていない。つまり日本人のロック・リスナーにとってもほとんどポピュラーではない。
 小杉武久と一柳慧(ヨーコ・オノの前夫)、マジカル・パワー・マコは現代音楽系アーティスト、佐藤允彦はジャズの、J・A・シーザーは寺山修司の劇団・天井桟敷の座付音楽家だった。コープは意図的に日本のアンダーグラウンド・シーンの実験派ロックを主に対象としたことになる。だがコープが最大の賛辞を惜しまなかったフラワー・トラヴェリン・バンド、スピード・グルー&シンキ、裸のラリーズ、ファー・イースト・ファミリー・バンドらは音楽的には当時の英米の主流ロックに根ざしながら、日本のシーンではアウトサイダーであり続けたアーティストたちだった。ジャーマン・ロックのオーソリティであるコープが70年代初期西ドイツのカン、アモン・デュール、アモン・デュールII、ファウスト、タンジェリン・ドリーム、グル・グル、アシュ・ラ・テンペルらと照応する非英米圏ロックの異端性を見出したのは、やはり日本でも異端視されているアーティストたちだからだったといえる。
 ? (Original London "Kirikyogen" LP Liner Cover)

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 クニ河内は1968年デビューの異色ギターレスGS、ハプニングス・フォーのリーダーで、ハプニングス・フォーはGSブーム衰退後の1972年まで活動し、実力派GSとして5枚のアルバムを残している。バンドは元々博多でジャズのピアノ・トリオとして活動を始めており、現場で叩き上げの大人のプロ・バンドだった。クニ河内はプレイヤーとしてもタイガースのツアー・メンバーやアルバムの実質的プロデュースを勤めるなど、当時の日本のロックのキーボード奏者として一流の存在だった。ハプニングス・フォーは本格的な洋楽指向のバンドだったので英語詞ロックによる日本のロックの世界進出を企画していた内田裕也に高く買われ、1970年1月26日収録の2枚組ライヴLP『ロックンロール・ジャム '70』1970.4でザ・モップス、ゴールデン・カップス、内田裕也のバンドのフラワーズにバンドとしても、ゲスト・キーボード奏者としても参加する。
 ハプニングス・フォーは1970年7月には東芝からのアルバム『アウトサイダーの世界』でコンセプト・アルバム色を強めたが、一方解散状態にあった後期フラワーズは内田裕也がプロデューサーとしてメンバーから外れて後期からフラワーズに中途加入していた元ポップGSの491(フォーナインエース)出身で強力なヴォーカリスト・ジョー山中(城アキラ→ジョー・アキラ→ジョー山中)、本格派のサイケデリックGSビーバーズ出身で当時最高峰のギタリスト・石間秀樹を中心にフラワー・トラヴェリン・バンドとして再編。日野皓正クインテットとジョイントしたデビュー・シングル「クラッシュ」を1970年5月にコロンビアから発表後デビュー・アルバム『Anywhere』を1970年10月に発表したが、アルバムは全5曲とも英米ロックのヘヴィ・ロック・カヴァーだった。だがクニ河内との日本語ロック・アルバム『切狂言』を経て、アトランティックに移籍した全5曲オリジナルの『SATORI』1971.4はジュリアン・コープが文句なしに日本のロック史上最大の傑作と賞賛するに値する、発表から歳月を経るごとに評価を高める名盤になった。『SATORI』からは「SATORI Part1/SATORI Part2』がシングル・カットされたが、1971年9月にはアメリカの新人バンド、ジョー・ママとのAB面スプリット・シングルで『切狂言』収録の「人間主体の経営と工事」を「MAP」と改題し、フラワーならではのヘヴィ・ロック・アレンジで、フラワー史上唯一の日本語曲として発表している。『切狂言』はハプニングスからヴォーカルのトメ北川、もうひとりのキーボード奏者シノ篠原以外のクニ河内、チト河内、ぺぺ吉広の3人のリズム・セクションにフラワーからのジョーと石間が加わったものであり、ハプニングスはあまり評価しないジュリアン・コープもクニ河内の秀逸なオリジナル曲とサウンド・プロダクション、ジョーの最高の歌唱とフラワーのアルバムを含めても最高のギターに賞賛を惜しまない。コープは『切狂言』を必聴のロック・クラシックとまで呼んでいる。
 ? (Original London "Kirikyogen" LP Side 1 Label)

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 その後ハプニングス・フォーは『アウトサイダーの世界』以来の脱GS路線をさらに推し進めた完全なプログレッシヴ・ロックのコンセプト・アルバム『引潮・満潮』1971.8をラスト・アルバムに1972年には解散し、以後はクニ河内のソロにメンバーが協力する形で70年代後期のトランザム結成(クニ河内プロデュース、ハプニングスのチト河内、トメ北川、シノ篠原に石間秀樹、後期サディスティック・ミカ・バンドの後藤次利)に至るまでファミリー的な活動を継続し、現在でも散発的に再結成をくり返している。ハプニングス・フォーのもうひとりのキーボード奏者シノ篠原は実質的にフラワー・トラヴェリン・バンドのメンバーを兼任するほどハプニングス・フォーとフラワー・トラヴェリン・バンドの協力関係は深く長く続き、90年代のフラワー再評価以後にも参加、ジョー山中はステージのMCではシノ篠原を「オリジナル・メンバー」と紹介していた。フラワーのリーダーである石間秀樹がクニ河内を尊敬し、共演以来音楽的なアドヴァイスを受けていたこともあったらしい。ただし『切狂言』では日本語で歌うジョーの魅力を認めていたが、石間には英語詞ロックに挑戦する課題からフラワーでは『切狂言』以上に英語詞をインストルメンタルと一体化させたサウンドでなければ、という違和感もあった。
 フラワーは全アルバムをプロデューサーの内田裕也の意向通り英語詞ロック(作詞は後に元ゴールデン・カップスのミッキー吉野が結成したゴダイゴの作詞を手がける奈良橋陽子、当時野村陽子が提供した)で通したが、唯一シングル曲「MAP」だけは『切狂言』収録曲のフラワー独自ヴァージョンにリメイクしたのは、内田裕也にも『切狂言』の成果は認められていたと思われる。『切狂言』は当時唯一のロック専門誌だったニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン、80年代初頭に誌名改名)の年間ベスト・アルバムで日本のロック部門ベスト5入りする高評価を獲た。ただし当時はニューミュージック・マガジンは日本のロック部門第1回は岡林信康『私を断罪せよ』、第2回は『はっぴいえんど』が1位で、ともに同誌が後援しているインディーズ・レーベルURCからのアルバムでもあり、内田裕也が推進していた国際進出を目指す英語詞ロックとは正反対の日本語ロックだったので、ニューミュージックマガジン主宰の中村とうよう、小倉エージといったジャーナリストとの対立もあった。ニューミュージックマガジンは反体制フォークと日本語詞のロックの融合を奨励しており、内田は断固としてニューミュージックマガジンの奨励する方向性に反対した。『切狂言』は後の頭脳警察のデビューとともに、数少ない内田裕也側の日本語ロックの試みだった。
 ? (Original London "Kirikyogen" LP Side 2 Label)

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 ジョー山中と石間秀樹が『切狂言』に参加した頃のフラワー・トラヴェリン・バンドの『切狂言』との前後作を聴き較べると、リーダーの石間の音楽的アイディアやサウンド・プロダクション(内田裕也はパトロン的プロデュースで、サウンドはバンドの自主性を尊重していた)が『切狂言』の参加からオリジナリティに富んだ『SATORI』に大きく飛躍したのがわかる。石間はザ・ビーバーズ時代の唯一のアルバム『ビバ!ビーバーズ』1968.6ですでにジェフ・ベックを咀嚼したギターのラーガ奏法をヤードバーズのカヴァーで披露していたが、ビーバーズはスパイダーズに見出されたバンドでデビュー・シングル「初恋の丘」1967.7以来メンバーのオリジナル曲は採用されなかった。フラワー・トラヴェリン・バンドのデビュー・アルバム『Anywhere』1970.10ではまだ全曲がブルース・プロジェクト、ブラック・サバス、アニマルズ、キング・クリムゾンのカヴァーで、サバスとクリムゾンはまだ日本盤未発売だったのが主要な挑戦だった。デビュー・シングル『クラッシュ』もまだ明確な方向性のない、日野皓正クインテットとの共演自体が成果のすべてであるような曲にとどまっていた。

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Flower Travellin' Band - Crash (Columbia, 1970.5) Single-A Side : https://youtu.be/4-Ur9rMFwnc

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Flower Travellin Band - SATORI (Atlantic, 1971.4) full album : https://youtu.be/BxB55yaWG-I

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Flower Travellin' Band - MAP (Atlantic, 1971.9) Split Single with Jo Mama : https://youtu.be/252YBU79UWg

 クニ河内はハプニングス・フォーのデビュー・シングル「あなたが欲しい」1967.11以来ハプニングス・フォーのオリジナル曲全曲の作詞作曲を手がけており、作曲家としても優れていたが当時日本語ロックの作詞をメンバー自身が手がけるバンドはほとんどなかった。『切狂言』ではA面が人生について、B面が恋愛のかけひきについてテーマの統一があり、1970年7月のアルバム『アウトサイダーの世界』では例外的に全曲の作詞を元フォーク・クルセダーズの北山修に委託したことでコンセプト・アルバムの歌詞作りの骨法をつかんだ結果と思われる。『アウトサイダーの世界』のテーマは「出世と挫折」という若者向けロックにはあるまじきキツい冗談を演歌ロックでカマした異色作だったが、ハプニングス・フォーのアルバムは8トラック・カートリッジで飲食店の業務用に発売されたカヴァー・アルバム『決定版!R&Bベスト16』1971を含めた全5枚とも異色作ばかりでもある。『切狂言』も現在は海外盤では『Kuni Kawachi & Flower Travellin' Band』名義が定着しているが、もしハプニングス名義で制作され、優れたヴォーカリストのトメ北川が歌っても違和感はなかっただろう。
 しかし石間秀樹のギターが入ると、ギターとヴォーカルのコンビネーションではジェフ・ベック・グループやレッド・ツェッペリン、ブラック・サバスのようにジョー山中以外のヴォーカリストは考えられなくなる。それが現在では『切狂言』が準フラワー・トラヴェリン・バンドのアルバムとして最重要関連作品とされている理由でもあり、世界的に見ても石間とジョーは当時最強のリードギター&ヴォーカル・コンビだった。石間のギターはギターレス・バンドだったハプニングスにはない要素だったので、とにかくギターが前面に出ているし、石間のギターが前に出ればジョーのヴォーカルも前に出る。『タイム・マシーン』ではタイトルだけをくり返すヴォーカルにブルース・ハープが応答するコール&レスポンス形式のシンプルな曲だが、インスト・パートではピアノがビートルズの「Yesterday」をたどたどしく弾く音にオルガンが「あなたが欲しい」のコードを鳴らし、ブルース・ハープが合いの手を入れる中、ギターがフィードバックしたラーガ奏法でバッハの「トッカータとフーガ」とトラディショナルの「朝日のあたる家」の変奏を弾いている。このヴァニラ・ファッジ的アレンジのアイディアはクニ河内でも、これを自発的に消化して存分に弾けるギタリストは当時の日本には石間秀樹以外にいたとは思えない。
 A面の人生サイドはハードなプログレッシヴ・ロックのアレンジで、B面の恋愛サイドもB1「お前の世界へ」はそのままフラワーのアルバムに採用されそうなドラマチックでハードな曲・アレンジだが、B2~B4はアシッド・フォーク的なソフト・ロック調で皮肉の効いた歌詞と、石間の巧みなアコースティック・ギターがたっぷり聴ける。ラーガ奏法のギターとアコースティック・ギターのアンサンブルがオリエンタルな抒情ムードをかもしだすB2「恋愛墓地 」、B3「女の教室」のカントリー・ブルース風曲調での恋愛遊戯への皮肉、B4「男から女を見た科学的調査」のグロッケンシュピールとヴィブラフォンのアンサンブルによるアシッド・フォーク的曲調と対比するような「女を前から見る時、顔を見る / 女を後ろから見る時、脚を見る / 女を横から見る時、胸を見る」と展開するユーモアを湛えた歌詞など、多彩な曲想を捻りの効いた歌詞で聴かせて楽曲自体がハプニングス・フォー時代のクニ河内の創作力のもっとも冴えた好例をなしている。実質的にふたつのバンドの合体セッションでこれほど成功したアルバムは稀だろう。発表当時ハプニングスやフラワーのアルバム以上に高く評価されたのも過褒ではなく正当だったかもしれない。

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