Recorded at Alamar Studios in San Francisco, California
Released by Siren Records DE21-22 SEC-L, 1977
Produced by Damon Edge
(Side 1)
A1. Chromosome Damage (Creed, Edge) - 3:50
A2. The Monitors ( Creed, Edge)- 2:23
A3. All Data Lost ( Creed, Edge ) - 3:25
A4. SS Cygni (Creed, Edge ) - 3:33
A5. Nova Feedback (Edge, Lambdin, Spain ) - 5:53
(Side two)
B1. Pygmies in Zee Park (Creed, Edge) - 6:01
B2. Slip It to the Android (Edge, Lambdin, Spain) - 3:47
B3. Pharoah Chromium (Edge, Lambdin, Spain ) - 3:27
B4. ST37 (Creed, Edge, Lambdin, Spain ) - 2:12
B5. Magnetic Dwarf Reptile ( Creed, Edge, Lambdin, Spain ) - 3:41
[ Chrome ]
Helios Creed - lead vocals, bass guitar, guitar
Damon Edge - drums, Moog synthesizer, production, engineering, art direction, guitar (on B1), lead vocals (on B2, B3)
John Lambdin - guitar, bass guitar, electric violin
Gary Spain - bass guitar, acoustic and electric violins / electric guitar, moog synthesizer & lead vocal (on B4)
add
Michael Lowe - additional guitar (on B3)
Amy James - flute (on B5)
(Original Siren "Alien Soundtracks" LP Liner Cover)
クローム (バンド)
クローム (Chrome) は、アメリカ合衆国のロック・バンド。1970年代末のニュー・ウェイヴ、ノイズ/インダストリアルミュージック・シーンにおける最重要バンドのひとつである。
概要
1976年にアメリカ合衆国のロサンゼルスでダモン・エッジ (ギター、ボーカル) を中心に結成された。翌年ファーストアルバム『The Visitation』を自主レーベルから発表。ヘリオス・クリード (ギター) が参加したセカンドアルバム『Alien Soundtracks』(1978年) から注目されるようになった。エレクトリック・ギターのエフェクターやテープ操作を多用し、SF、ドラッグ、シニシズムなどのカルチャーを渾然一体にした独特のロックを演奏し、後続バンドのミニストリーらに大きな影響を与えた。サードアルバム『Half Machine Lip Moves』(1979年) はその路線をさらにつきつめたもので、彼らの代表作となった。フォースアルバム『赤い露光 Red Exposure』(1980年) はダンス・ミュージックの要素を取り入れたポップ路線の作品で、メジャーレーベルのワーナーからリリースされ、日本盤も発売された。
1983年にダモンとヘリオスのふたりは決別し、ダモンはクローム名義でフランスで活動を続けた。
1995年にダモンが死去すると、ヘリオス・クリードがクロームの名前を引き継ぎ、それまで続けていたソロ活動をクローム名義で行うようになった。
作品
アルバム (1977年 - 1983年)
・The Visitation (1977年)
・Alien Soundtracks (1978年)
・Half Machine Lip Moves (1979年)
・Red Exposure (『赤い露光』1980年)
・Blood on the Moon (1981年)
・3rd from the Sun (1982年)
・No Humans Allowed (コンピレーション・1982年)
・The Chronicles I (1982年)
・The Chronicles II (1982年)
・Raining Milk (コンピレーション・1983年)
・Half Machine from the Sun - The Lost Tracks from '79-'80 (未発表曲集・2013年)
(以上、日本語版ウィキペディアより)
(Original Siren "Alien Soundtracks" LP Side 1 & Side 2 Label)
リーダーはドラマーのエッジだったが、クリード加入後の『Alien Soundtracks』でいきなりクロームは化けた。前述した1977年のロンドン・パンク勢は時代性を加味しないと古い音にしか聴けないが、『Allowed Soundtracks』は今聴いても圧倒的に新しい。新鋭バンドの最新作といっても通用する。クロームが早すぎるバンドだったのが、やっている音楽がたまたま古びる要素のほとんどない音楽だったのか断定はできないが、実際セックス・ピストルズのデビューに触発されたことはリーダーのエッジも認めているからパンク・ロックにカテゴライズされるバンドで間違いないのだろう。しかしニューヨーク・パンクやロンドン・パンクの基準でははみ出てしまう異様な音楽になっており、おそらくプロモーション用に送られた『Alien Soundtracks』はイギリスの音楽誌「Sounds」の5つ星評価で4つ星の高評価を獲得し、クロームはアメリカ本国より先にイギリスとヨーロッパ諸国で知名度を得た。
(Original Siren "Alien Soundtracks" LP Picture Sleeve)
この『Alien Soundtracks』はA面のヴォーカルはヘリオス・クリード、B面はデイモン・エッジのヴォーカル曲で分けられているが、一聴してヴォーカルの違いに気づく人は少ないのではないか。ヴォーカルがサウンドと一体化しており、アルバムにも一貫したサウンドが流れているためクリードとエッジ、B4だけリード・ヴォーカルをとるベースのゲイリー・スペインの違いに気づかないで聴いてしまう。ちなみにB面はサウンド、ヴォーカル・スタイルともにもっとも乱雑な時のカンに似ており、マルコム・ムーニーのヴォーカル時代のカンにもダモ鈴木時代のカンにも似ている。「Soul Desert」「Halleluhwah」などカンのワン・コード・ブギー的な曲との類似があり、カンのアルバムはデビュー作から全アルバムがすべてアメリカ盤も発売されていたので、クロームが聴いていないわけはないだろう。
(Original Siren "Alien Soundtracks" LP Printed Insert Paper)
カンよりももっと過激なコラージュ手法はロサンゼルスのフランク・ザッパがライヴでやってのけるほどの得意技だったが、クロームの場合はザッパのように高い演奏力と音楽的整合性を追求する気は当時はなかった(のちにめざましく演奏力の向上と音楽的洗練が見られるが)。A1では始まってすぐに曲がフェイド・アウトしていきやけに短い曲だな、と思うが、まるで別の曲のリフが始まってしばらくするとクロス・フェイドで冒頭の曲に戻ってくる。1曲の中間部分に別の曲をはめ込んでいるわけで、B1などもいくつかのパートに分かれた曲だが、ビーチ・ボーイズやフランク・ザッパ、後期ビートルズとポール・マッカートニー、10cc、クイーンなどが得意とした組曲的展開では全然ない。フランク・ザッパの前衛ロックの影響をクラウトロックのアモン・デュール、ファウスト、ノイ!らが取りいれた時に、クラシック音楽~現代音楽の本場ドイツではザッパ以上に音楽のコラージュ手法は実験的に用いられることになったが、ドイツ人がやるのとアメリカのロック・バンドがやるのではこうも別物になってしまうのか、というくらいクロームは破壊的で、さすがザッパからクラウトロックを経て一周回ってきただけのことはある。
それもあるが、ニューヨーク・パンクのアーティスティックな気取りも、ロンドン・パンクのプロレタリア・ロック的ポーズもなく、サンフランシスコのクロームは20代半ばすぎても親がかりで教養もなく社会意識も低いニート青年たちのひまつぶしバンドだった、とひどい想像をしてもそう間違ってはいないだろう。次作『Half Machine Lip Moves』まで自主制作のサイレン・レーベルだったのも親のすねかじりでなんとか運営していたと思われる。『Alien Soundtracks』は地元サンフランシスコのストリップ劇場の特別過激興行用に依頼された伴奏音楽「Ultra Soundtrack」として制作されたが、あまりに過激な音楽という理由で却下された。1977年といえばアメリカでは76年12月発売のイーグルス『Hotel California』が2か月間No.1、シングル2枚もNo.1ヒットになっていた。フリートウッド・マックのNo.1アルバム『Rumours (噂)』は77年2月リリースで1,000万枚突破の驚異的ヒットとなり、ドゥービー・ブラザースの『Livin' on the Fault Line (運命の掟)』1977.8はマイケル・マクドナルド加入の前作『Takin' It to the Streets (ドゥービー・ストリート)』1976.3に続いて大ヒット作になった。アメリカの西海岸ロックの商業的成功がピークに達した、ただしカウンター・カルチャーとしての意義はほとんど消滅していたと言ってよい。逆にそれがクロームのような凶悪狂暴な突然変異を生み出し、当時のどんなバンドよりも21世紀のロックを予言する作品になっている。豊さは一時的なものでしかないが荒廃には周期的な普遍性がある、というと、これはあながち歓迎すべき事態ではないかもしれない。