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思い返せばいい歳をして社会人だったことは全然なかったのだが、仕事を持って自活していたのが社会人なら大学生時代から生活だけはそうだった。大学生の頃は何をやっていたか思い出したくもないくらいだが、とにかく映画ばかり観ていたのと、飽き飽きしながらたまに学生ロック・バンドに参加してギターを弾いていた。高校時代からの延長が当時のガールフレンドとロック・バンドだったのだが、そのどちらもご破算になった頃に無茶苦茶な雑誌編集社の仕事にまずアルバイトで入り、仕事と学業の両立は無理なのがすぐにわかって、卒業できずに4年で退学して2年間は勤め人をやり、それからライターとレイアウト、編集のフリーランサーになった。勤め人だったのはフリーになるまでの見習いみたいなものだったから訓練校みたいなもので、社会人だったとはとても言えないのはそういうことになる。
その頃やり始めたのがアルトサックスで、実はテナーサックスをやりたかったのだが似たようなものかとアルトにしてしまった。後からテナーサックスとソプラノサックスも始めたが全然別の楽器で、ソプラノはまだしもテナーはいまだにコツがつかめない。アルトサックスはE♭、テナーはそれより下のB♭、ソプラノはアルトより上のB♭管でテナーよりソプラノは1オクターヴ上になるが、ソプラノはアルトの高音域の延長で吹ける、だがテナーを吹いてもアルトサックスより上の音域でしかアドリブの発想ができない。たぶんテナーが基礎にあるプレイヤーならテナー音域を使いこなせる上にアルト音域、ソプラノ音域もいけるんじゃないかと思う。アルトにはテナーのような豊かなサブトーンもないし、ソプラノのような金管楽器的なテンションもない。ひと口でサックスと言っても、並べてみると大きさだけでもこれほど違う。バリトンサックスなどはアルトの倍の大きさになるのだ。サウンド・キャラクターが同じになりようがない。
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白いプラスチック・アルトサックスは練習用に使っているが、アルトサックスとクラリネットの中間のような音色で、クラリネットにしては抑揚の幅があるし、アルトとしては詰まった音がする。ジャズのアルバムの有名なものでこれを使ったものは、チャーリー・パーカーの『January at Massey Hall』1953、オーネット・コールマンの『The Shape of Jazz To Come』1959があるが、パーカーやオーネットのようなすごい人が使うと奏者の個性が楽器の限界を超えて伝わってくるものの、普通は実演向けの楽器とされないのも音色が憂鬱だからだろう。奏者の調子が悪いのではないか、と思えてくるような低血圧な音が出るのだ。それがかえって面白いのだが、奏者本人には面白くても聴かされる人が面白がってもらえるとは限らない。
学校も春休みに入った頃で、別れてから足かけ10年になる娘たちに進級祝いを送った。手渡しなら「贈る」としたいところだが離婚、もっと言えば離婚に先立つ別居から今まで一度も会わないまま10年目になり、指を折って数えないと現在の学年もわからなくなった。この春で高校3年生と中学3年生になる。長女は中学入学時々から吹奏楽部でフルートを、次女は姉を追うようにオーボエをやっている。娘たちが幼児の頃に、そのうち何か楽器をやらせて、中高生くらいになったらジャズクラブのセッションにでも連れて行けば面白いぞ、と思っていたが、別れてから楽器をやる子に育っていたとは皮肉なものだ。貧しい生活費をやりくりして定期的に送金する。送っても送らなくても悔いが残るのだからどのみち辛い選択しかない。寝起きの1時間は地獄かもしれないが、つねに寝起きのような気分なら慣れるしかないのだ。