Sun Ra and the Arkestra - Sound of Joy (Delmark, 1968) Full Album : https://youtu.be/lyJ_H7h98ro
Recorded by Transition Records at the Balkan Studios, Chicago, November 1, 1956.
Originally Produced by Tom Wilson
Released by Delmark Records Delmark DS-414, 1968
All tracks were written by Sun Ra, except "Two Tones," by Pat Patrick and Charles Davis.
(Side A)
A1. El is a Sound of Joy - 4:04
A2. Overtones of China - 3:25
A3. Two Tones - 3:41
A4. Paradise - 4:30
A5. Planet Earth - 4:24
(Side B)
B1. Ankh - 6:31
B2. Saturn - 4:01
B3. Reflections in Blue - 6:21
B4. El Viktor - 2:33
(Bonus Tracks on the CD sung by Clyde Williams that omitted Original Delmark LP)
Bt1. As You Once Were - 4:16
Bt2. Dreams Come True - 3:49
[ Sun Ra and the Arkestra ]
Sun Ra - Piano, Wurlitzer electric piano
Art Hoyle - Trumpet
Dave Young - Trumpet
John Avant - Trombone
Pat Patrick - Alto sax, baritone sax
John Gilmore - Tenor sax
Charles Davis - Baritone sax
Victor Sproles - Bass
William Cochran - Drums
Jim Herndon - Tympani, timbales
サン・ラ(ピアノ、作曲、バンドリーダー/1914-1993)が89年の生涯に残したアルバムは公式作品だけでも160枚ほどあり、うち他のアーティストとの共作やシリーズ作を整理しても140枚ほどになる。筆者はそのうち60枚程度しか聴いていないが数えてみたら30作目の名作ライヴ『Nothing Is…』1969までは全作揃えており、以降の代表作を上げていくと第35作『Atlantis』1969、第45作『It's After End of the World』1971、48作目『Horizon』1972、第49作『Nidhamu』1972、当時未発表で2000年に発売された第52作『Crystal Spears』(録音1973)と第53作『Cymbals』(同)を経て、第55作はあのサン・ラ流ジャズ・ファンクの快作『Space Is the Place』1973が来る。
第67作『Live at Montreux』1976、第68作のスペース・ジャズ・ファンク作品『Cosmos』1976まででサン・ラの国際的成功と音楽的振幅はほぼ出尽くし、ここまでがサン・ラ全アルバムのまだ前半で、オーソドックスなソロ・ピアノ作品も出せば『Disco 3000』1978でファンク路線も続ける、という具合に遺作『Destination Unknown』1992(1993年作のジャズ・ヴァイオリン作品のビリー・バング『A Tribute to Stuff Smith』に参加しているが)まで、36年の間に後期作品も前期作品と同じペースで制作を続けた。サン・ラの本格的レコード・デビューは1956年と、12インチLPレコードの開発まで待たなければならなかった。42歳のデビューだから相当な遅咲きになる。その分89歳の長寿まで制作環境には恵まれていたので、サン・ラといっても何を聴いたらいいかわからないような膨大かつ面妖なアルバム群が遺されたのだった。前記作品はいずれも代表作だが、サン・ラのアルバムはいわゆるジャズの名盤ガイドにはめったに上がってこないのだ。
(Original Delmark "Sound of Joy" LP Liner Notes)
サン・ラ42歳~88歳(36年間)140枚、というのをモダン・ジャズの代名詞というべき他の巨匠たちと較べるとどうなるか。没後発表アルバムも含めて、アーティスト自身が正式にアルバムとして制作し(スタジオ録音、ライヴ録音とも)、発表の意志があった全アルバム枚数を算出すると、おおよそこうなる。
・サン・ラ(ピアノ/1914-1993) - 140枚(1956-1992/36years)
・セロニアス・モンク(ピアノ/1917-1982、ただし最終録音は1971まで) - 35枚(1947-1971/24years)
・マイルス・デイヴィス(トランペット/1926-1991) - 70枚(1947-1975, 1981-1991/38years)
・ジョン・コルトレーン(テナーサックス/1926-1967) - 45枚(1957-1967/10years)
・ビル・エヴァンス(ピアノ/1929-1980) - 50枚(1956-1980/24years)
・ラサーン・ローランド・カーク(テナーサックス他/1935-1977) - 28枚(1956, 1960-1977/18years)
こうして見るとアルバム枚数だけでもジャズマンごとに特色が感じられて感慨深い。ローランド・カークは他人のアルバムにはほとんど参加しない人で、ほぼ2年に3作のペースでアルバムを作っており、活動のスタンスはロック・ミュージシャンに近い。ビル・エヴァンスはほぼ年2作だが、1959年にマイルス・デイヴィスのバンドから独立するまでは毎月のように他のアーティストのアルバムにセッション参加している。ジョン・コルトレーンとなるとエヴァンスどころではなく、やはりエヴァンスと前後してマイルスのバンドから独立したが、軽く50枚以上のセッション参加作がある上に自己名義のアルバムも年に平均5枚近い。あまりに多作なのでコルトレーンのアルバムの半数以上はしばらく寝かせてから発売されている。
マイルスとモンクは一見順当のようだが、実際は集中的に多作な時期と散発的な時期があって、長いキャリアの中ではその方が自然だろう。コルトレーンのように憑き物でも憑いていたような壮絶なアルバム制作をしていたのは、強いて言えばやはり夭逝したクリフォード・ブラウン(トランペット/1930-1956)と、1959年の一時的引退までのソニー・ロリンズ(テナーサックス/1930-)くらいだった。ロリンズは友人のクリフォード・ブラウンやコルトレーンを間近に見ていたから無理を重ねるのもほどほどにしたのだろうと思う。だがこうして見ると、共作やシリーズ作もバラで数えれば160枚あまりのアルバムを36年間に制作したサン・ラのとんでもなさがわかる。短距離ランナーの勢いで長距離を走り続けていたのだ。
しかもサン・ラの活動形態は、基本的な人員維持から手間と経費のかかる(それゆえ常に十分な収入を確保しなければならない)中規模ビッグバンド・ジャズだった。最小でも7人、増員できるならば10人以上。これはビ・バップ以降のスモール・コンボ指向と従来のビッグバンドの折衷で、ビッグバンドはトランペットとトロンボーン4~5人ずつ、サックス(アルト、テナー、時にはクラリネット、フルート持ち替え)4人、ギター、ピアノ、ベース、ドラムスに、男女ヴォーカル各1名というものだった。ビ・バップはトランペットとサックス、ピアノ、ベース、ドラムス各1名のクインテットがもっとも好まれ、2サックスやトロンボーン、ギターは優秀な奏者に限られることになった。幕間的にピアノ、ベース、ドラムスだけのピアノ・トリオ、ワンホーン・カルテット(主にサックス+ピアノ・トリオ)も行われるようになり、こうしたスモール・コンボ指向はビッグバンド以前の時代の、即興性の強い小編成ジャズの可能性の再検討でもあった。
サン・ラのこのアルバムでは2トランペット、1トロンボーン、3サックス、ピアノ・トリオ、パーカッションのテンテット(10人編成)になっている。ピアノ・トリオは欠かせないがギターは省き、金管楽器は半数以下に絞り、木管楽器も3人に絞っている。ビッグバンドのアレンジを中規模コンボで再現する、または中規模コンボでビッグバンドに迫る効果を出すにはこの編成がぎりぎりになる。サン・ラの本格的なプロ活動は戦時下のシカゴで、ビッグバンドの父と名高い(が凋落していた)フレッチャー・ヘンダーソンのビッグバンドの音楽監督を勤めたことから始まった。これはものすごいキャリアで、同時期に3歳年下のセロニアス・モンクがテナーサックスの父、コールマン・ホーキンスのサイドマンだったり、12歳年下のマイルス・デイヴィスがチャーリー・パーカー(アルトサックス)の押しかけメンバーになったりしていたどころではない。フレッチャー・ヘンダーソンがいなければデューク・エリントン楽団もベニー・グッドマン楽団もない、というほどの人に直々に師事して、やがて独立しシカゴのジャズ界に根を張ってさまざまなアーティストのバックバンドを勤め、ついに自分のバンドを立ち上げたのがサン・ラ・アンド・ヒズ・アーケストラだった。デビュー・シングル「Saturn」はサン・ラの自主レーベル・サターンから1955年に発売されたが、アーケストラのメンバーはサン・ラより若いシカゴ在住のビ・バップ世代のミュージシャンたちだった。
(Original Delmark "Sound of Joy" LP Side B Label)
以前サン・ラのアルバムは『Jazz by Sun Ra (Sun Song)』1956、『Interstellar Low Ways』1966 (rec.1959-60)、『Atlantis』1969をご紹介したことがあったが、サン・ラはスケールがでかすぎて(しかもポピュラーな存在ではないので)毎回どうご紹介したらいいのか困ってしまう。この『Sound of Joy』1966(rec.1956)は録音順ではサン・ラのサード・アルバムになるもので、デビュー・アルバム『Jazz by Sun Ra』1956に次いでトム・ウィルソンのトランジション・レーベルによって録音されたが、トランジション・レーベル休業によってお蔵入りになってしまった。『Jazz by Sun Ra』と『Sound of Joy』の間にはサン・ラ・アーケストラのマネジメントが設立したサターン・レーベルでセカンド・アルバム『Super-Sonic Jazz』1957が制作・発売されている。以後1950年代のうちに発売されたサン・ラのアルバムは1959年5月の『Jazz in Silhouette』だけで、サターン・レーベルに発表の機を狙って次々録音されていた『Visits Planet Earth』(1966/rec.1956-58)、『The Nubians of Plutonia』(1966/rec.1958-59)、『Sound Sun Pleasure!!』(1970/rec.1959)、『Interstellar Low Ways』(1966/rec.1959-60)、『Fate In A Pleasant Mood』(1965/rec.1960)、『Holiday For Soul Dance』(1970/rec.1960)、『Angels and Demons at Play』(1965/rec.1956-60)、『We Travel The Space Ways』(1967/rec.1956-61)がすべて未発売のまま、1961年に念願かなって老舗インディーズのサヴォイから『The Futuristic Sounds of Sun Ra』を発表しニューヨーク進出を果たすのだが、1964年頃まではメンバー全員アルバイトし共同生活して何とかしのいでいたという。
サン・ラ・アーケストラがようやくニューヨークでも評判になってきたのは、フリージャズの新興インディーズ、ESPから『The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Vol.1』1965、『The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Vol.2』1966で注目を集め始めてからだった。1965年~66年にサターン・レーベルから未発表アルバムが一斉発売されたのも、その機に乗じたもので、シカゴの老舗レーベルのデルマークがトランジションから版権を買い取り『Jazz by Sun Ra』を『Sun Song』と改題、未発表の『Sound of Joy』と合わせて発売したのもニューヨーク進出後の成功あってのことだった。この『Sound of Joy』はジャケットにRecorded in November, 1957とあるが後の調査で1956年11月1日と判明した。またA2, A3, A5とB2, B3, B4は1曲"Eve"を足せば『Visit Planet Earth』の全7曲と同一曲目だが、A2とA5は別テイク(つまりA3とB2, B3, B4は同テイク)で、56年11月1日録音ではないらしい。A1は『Super-Sonic Jazz』収録曲の再演で、後に『Bad and Beautiful』1961と『Art Forms of Dimensions Tomorrow』1962で再演される名曲B1はボーナス・トラックBT1とともにワーリッツァーのエレクトリック・ピアノが効いた先駆的作品。CDボーナス・トラックになった2曲はもともとアルバム収録曲だったのだが(AB各面ラストだろうか)LP発売の際デルマーク社の社長がカットしたらしい。B2「Saturn」は1955年のシングル以来今回、さらに『Jazz in Silhouette』で再々演されるアーケストラのテーマ曲みたいなもので、このアルバムではA1のはじけたピアノ・ソロ、A3とB3のブルース(A3はめったにない2バリトン・サックスのバトルが聴ける)、エキゾティック・ムードのA4, A5, B1(A4はヴォーカル曲2曲を除き唯一サン・ラの他のアルバムとダブらない曲)と、全編聴きどころはある。だがサン・ラは手当たり次第に聴いていないと単品だけではピンとこない微妙な味がある。セロニアス・モンクやチャールズ・ミンガスと同等以上とも呼ばれるサン・ラだが、この同等以上が曲者だったりする。
Recorded by Transition Records at the Balkan Studios, Chicago, November 1, 1956.
Originally Produced by Tom Wilson
Released by Delmark Records Delmark DS-414, 1968
All tracks were written by Sun Ra, except "Two Tones," by Pat Patrick and Charles Davis.
(Side A)
A1. El is a Sound of Joy - 4:04
A2. Overtones of China - 3:25
A3. Two Tones - 3:41
A4. Paradise - 4:30
A5. Planet Earth - 4:24
(Side B)
B1. Ankh - 6:31
B2. Saturn - 4:01
B3. Reflections in Blue - 6:21
B4. El Viktor - 2:33
(Bonus Tracks on the CD sung by Clyde Williams that omitted Original Delmark LP)
Bt1. As You Once Were - 4:16
Bt2. Dreams Come True - 3:49
[ Sun Ra and the Arkestra ]
Sun Ra - Piano, Wurlitzer electric piano
Art Hoyle - Trumpet
Dave Young - Trumpet
John Avant - Trombone
Pat Patrick - Alto sax, baritone sax
John Gilmore - Tenor sax
Charles Davis - Baritone sax
Victor Sproles - Bass
William Cochran - Drums
Jim Herndon - Tympani, timbales
サン・ラ(ピアノ、作曲、バンドリーダー/1914-1993)が89年の生涯に残したアルバムは公式作品だけでも160枚ほどあり、うち他のアーティストとの共作やシリーズ作を整理しても140枚ほどになる。筆者はそのうち60枚程度しか聴いていないが数えてみたら30作目の名作ライヴ『Nothing Is…』1969までは全作揃えており、以降の代表作を上げていくと第35作『Atlantis』1969、第45作『It's After End of the World』1971、48作目『Horizon』1972、第49作『Nidhamu』1972、当時未発表で2000年に発売された第52作『Crystal Spears』(録音1973)と第53作『Cymbals』(同)を経て、第55作はあのサン・ラ流ジャズ・ファンクの快作『Space Is the Place』1973が来る。
第67作『Live at Montreux』1976、第68作のスペース・ジャズ・ファンク作品『Cosmos』1976まででサン・ラの国際的成功と音楽的振幅はほぼ出尽くし、ここまでがサン・ラ全アルバムのまだ前半で、オーソドックスなソロ・ピアノ作品も出せば『Disco 3000』1978でファンク路線も続ける、という具合に遺作『Destination Unknown』1992(1993年作のジャズ・ヴァイオリン作品のビリー・バング『A Tribute to Stuff Smith』に参加しているが)まで、36年の間に後期作品も前期作品と同じペースで制作を続けた。サン・ラの本格的レコード・デビューは1956年と、12インチLPレコードの開発まで待たなければならなかった。42歳のデビューだから相当な遅咲きになる。その分89歳の長寿まで制作環境には恵まれていたので、サン・ラといっても何を聴いたらいいかわからないような膨大かつ面妖なアルバム群が遺されたのだった。前記作品はいずれも代表作だが、サン・ラのアルバムはいわゆるジャズの名盤ガイドにはめったに上がってこないのだ。
(Original Delmark "Sound of Joy" LP Liner Notes)
サン・ラ42歳~88歳(36年間)140枚、というのをモダン・ジャズの代名詞というべき他の巨匠たちと較べるとどうなるか。没後発表アルバムも含めて、アーティスト自身が正式にアルバムとして制作し(スタジオ録音、ライヴ録音とも)、発表の意志があった全アルバム枚数を算出すると、おおよそこうなる。
・サン・ラ(ピアノ/1914-1993) - 140枚(1956-1992/36years)
・セロニアス・モンク(ピアノ/1917-1982、ただし最終録音は1971まで) - 35枚(1947-1971/24years)
・マイルス・デイヴィス(トランペット/1926-1991) - 70枚(1947-1975, 1981-1991/38years)
・ジョン・コルトレーン(テナーサックス/1926-1967) - 45枚(1957-1967/10years)
・ビル・エヴァンス(ピアノ/1929-1980) - 50枚(1956-1980/24years)
・ラサーン・ローランド・カーク(テナーサックス他/1935-1977) - 28枚(1956, 1960-1977/18years)
こうして見るとアルバム枚数だけでもジャズマンごとに特色が感じられて感慨深い。ローランド・カークは他人のアルバムにはほとんど参加しない人で、ほぼ2年に3作のペースでアルバムを作っており、活動のスタンスはロック・ミュージシャンに近い。ビル・エヴァンスはほぼ年2作だが、1959年にマイルス・デイヴィスのバンドから独立するまでは毎月のように他のアーティストのアルバムにセッション参加している。ジョン・コルトレーンとなるとエヴァンスどころではなく、やはりエヴァンスと前後してマイルスのバンドから独立したが、軽く50枚以上のセッション参加作がある上に自己名義のアルバムも年に平均5枚近い。あまりに多作なのでコルトレーンのアルバムの半数以上はしばらく寝かせてから発売されている。
マイルスとモンクは一見順当のようだが、実際は集中的に多作な時期と散発的な時期があって、長いキャリアの中ではその方が自然だろう。コルトレーンのように憑き物でも憑いていたような壮絶なアルバム制作をしていたのは、強いて言えばやはり夭逝したクリフォード・ブラウン(トランペット/1930-1956)と、1959年の一時的引退までのソニー・ロリンズ(テナーサックス/1930-)くらいだった。ロリンズは友人のクリフォード・ブラウンやコルトレーンを間近に見ていたから無理を重ねるのもほどほどにしたのだろうと思う。だがこうして見ると、共作やシリーズ作もバラで数えれば160枚あまりのアルバムを36年間に制作したサン・ラのとんでもなさがわかる。短距離ランナーの勢いで長距離を走り続けていたのだ。
しかもサン・ラの活動形態は、基本的な人員維持から手間と経費のかかる(それゆえ常に十分な収入を確保しなければならない)中規模ビッグバンド・ジャズだった。最小でも7人、増員できるならば10人以上。これはビ・バップ以降のスモール・コンボ指向と従来のビッグバンドの折衷で、ビッグバンドはトランペットとトロンボーン4~5人ずつ、サックス(アルト、テナー、時にはクラリネット、フルート持ち替え)4人、ギター、ピアノ、ベース、ドラムスに、男女ヴォーカル各1名というものだった。ビ・バップはトランペットとサックス、ピアノ、ベース、ドラムス各1名のクインテットがもっとも好まれ、2サックスやトロンボーン、ギターは優秀な奏者に限られることになった。幕間的にピアノ、ベース、ドラムスだけのピアノ・トリオ、ワンホーン・カルテット(主にサックス+ピアノ・トリオ)も行われるようになり、こうしたスモール・コンボ指向はビッグバンド以前の時代の、即興性の強い小編成ジャズの可能性の再検討でもあった。
サン・ラのこのアルバムでは2トランペット、1トロンボーン、3サックス、ピアノ・トリオ、パーカッションのテンテット(10人編成)になっている。ピアノ・トリオは欠かせないがギターは省き、金管楽器は半数以下に絞り、木管楽器も3人に絞っている。ビッグバンドのアレンジを中規模コンボで再現する、または中規模コンボでビッグバンドに迫る効果を出すにはこの編成がぎりぎりになる。サン・ラの本格的なプロ活動は戦時下のシカゴで、ビッグバンドの父と名高い(が凋落していた)フレッチャー・ヘンダーソンのビッグバンドの音楽監督を勤めたことから始まった。これはものすごいキャリアで、同時期に3歳年下のセロニアス・モンクがテナーサックスの父、コールマン・ホーキンスのサイドマンだったり、12歳年下のマイルス・デイヴィスがチャーリー・パーカー(アルトサックス)の押しかけメンバーになったりしていたどころではない。フレッチャー・ヘンダーソンがいなければデューク・エリントン楽団もベニー・グッドマン楽団もない、というほどの人に直々に師事して、やがて独立しシカゴのジャズ界に根を張ってさまざまなアーティストのバックバンドを勤め、ついに自分のバンドを立ち上げたのがサン・ラ・アンド・ヒズ・アーケストラだった。デビュー・シングル「Saturn」はサン・ラの自主レーベル・サターンから1955年に発売されたが、アーケストラのメンバーはサン・ラより若いシカゴ在住のビ・バップ世代のミュージシャンたちだった。
(Original Delmark "Sound of Joy" LP Side B Label)
以前サン・ラのアルバムは『Jazz by Sun Ra (Sun Song)』1956、『Interstellar Low Ways』1966 (rec.1959-60)、『Atlantis』1969をご紹介したことがあったが、サン・ラはスケールがでかすぎて(しかもポピュラーな存在ではないので)毎回どうご紹介したらいいのか困ってしまう。この『Sound of Joy』1966(rec.1956)は録音順ではサン・ラのサード・アルバムになるもので、デビュー・アルバム『Jazz by Sun Ra』1956に次いでトム・ウィルソンのトランジション・レーベルによって録音されたが、トランジション・レーベル休業によってお蔵入りになってしまった。『Jazz by Sun Ra』と『Sound of Joy』の間にはサン・ラ・アーケストラのマネジメントが設立したサターン・レーベルでセカンド・アルバム『Super-Sonic Jazz』1957が制作・発売されている。以後1950年代のうちに発売されたサン・ラのアルバムは1959年5月の『Jazz in Silhouette』だけで、サターン・レーベルに発表の機を狙って次々録音されていた『Visits Planet Earth』(1966/rec.1956-58)、『The Nubians of Plutonia』(1966/rec.1958-59)、『Sound Sun Pleasure!!』(1970/rec.1959)、『Interstellar Low Ways』(1966/rec.1959-60)、『Fate In A Pleasant Mood』(1965/rec.1960)、『Holiday For Soul Dance』(1970/rec.1960)、『Angels and Demons at Play』(1965/rec.1956-60)、『We Travel The Space Ways』(1967/rec.1956-61)がすべて未発売のまま、1961年に念願かなって老舗インディーズのサヴォイから『The Futuristic Sounds of Sun Ra』を発表しニューヨーク進出を果たすのだが、1964年頃まではメンバー全員アルバイトし共同生活して何とかしのいでいたという。
サン・ラ・アーケストラがようやくニューヨークでも評判になってきたのは、フリージャズの新興インディーズ、ESPから『The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Vol.1』1965、『The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Vol.2』1966で注目を集め始めてからだった。1965年~66年にサターン・レーベルから未発表アルバムが一斉発売されたのも、その機に乗じたもので、シカゴの老舗レーベルのデルマークがトランジションから版権を買い取り『Jazz by Sun Ra』を『Sun Song』と改題、未発表の『Sound of Joy』と合わせて発売したのもニューヨーク進出後の成功あってのことだった。この『Sound of Joy』はジャケットにRecorded in November, 1957とあるが後の調査で1956年11月1日と判明した。またA2, A3, A5とB2, B3, B4は1曲"Eve"を足せば『Visit Planet Earth』の全7曲と同一曲目だが、A2とA5は別テイク(つまりA3とB2, B3, B4は同テイク)で、56年11月1日録音ではないらしい。A1は『Super-Sonic Jazz』収録曲の再演で、後に『Bad and Beautiful』1961と『Art Forms of Dimensions Tomorrow』1962で再演される名曲B1はボーナス・トラックBT1とともにワーリッツァーのエレクトリック・ピアノが効いた先駆的作品。CDボーナス・トラックになった2曲はもともとアルバム収録曲だったのだが(AB各面ラストだろうか)LP発売の際デルマーク社の社長がカットしたらしい。B2「Saturn」は1955年のシングル以来今回、さらに『Jazz in Silhouette』で再々演されるアーケストラのテーマ曲みたいなもので、このアルバムではA1のはじけたピアノ・ソロ、A3とB3のブルース(A3はめったにない2バリトン・サックスのバトルが聴ける)、エキゾティック・ムードのA4, A5, B1(A4はヴォーカル曲2曲を除き唯一サン・ラの他のアルバムとダブらない曲)と、全編聴きどころはある。だがサン・ラは手当たり次第に聴いていないと単品だけではピンとこない微妙な味がある。セロニアス・モンクやチャールズ・ミンガスと同等以上とも呼ばれるサン・ラだが、この同等以上が曲者だったりする。