Recorded in December 1971 at the Windrose Studios (Dumont-Time), Hamburg.
Released by Brain-Metronome 1004, 1972
All songs written and composed by Klaus Dinger and Michael Rother.
(Side one)
1. Hallogallo (Play on "Halligalli", a German slang term for "wild partying", with the word "hallo" being German for "hello") - 10:07
2. Sonderangebot (Special Offer) - 4:51
3. Weissensee ("White Sea" or "White Lake"; Weissensee is a town in Carinthia, Austria, and a borough of Pankow, Berlin) - 6:46
(Side two) - Jahresubersicht (Year Overview)
4. Jahresubersicht (Part One): Im Gl??ck ("Lucky") - 6:53
5. Jahres??bersicht (Part Two): Negativland ("Negative Land") - 9:47
6. Jahres??bersicht (Part Three): Lieber Honig ("Dear Honey" or "Preferably Honey") - 7:18
[ Personnel ]
(Band members)
Michael Rother - guitar, bass guitar
Klaus Dinger - drums, guitar, koto
(Additional personnel)
Konrad "Conny" Plank - producer, engineer
西ドイツのロックは際物、二流の代用品というニュアンスでクラウトロック(Krautrock)と呼ばれてきたが、英米ロックの模倣ではないアーティストにおいては積極的に反時代的な先駆性で隔世的な現代ロックを先取りしていたのではないか、と再評価が高まっていったのが1990年前後の5年間だった。アンコールに応えるようなかたちで多くのバンドが長く廃盤になっていたアルバムを再発売し(直前まではとんでもないプレミアがついていた)、当時は70年代クラウトロックのミュージシャンも40代後半~50代始めだったから盛んに再結成し、日本のユーロ・ロック専門誌「マーキー」のクラウトロック特集が1991年秋号、「マーキー」によるB5判250ページの大冊『ジャーマン・ロック集成』刊行が94年8月なのもそれを反映したものだったが、国際的に決定的なクラウトロック評価はイギリスのミュージシャン(ex.ティアドロップ・エクスプローズ)で音楽批評家のジュリアン・コープ著『Krautrock Sampler』が1995年に刊行されたことだった。「マーキー」よりは一般リスナー向きの「レコード・コレクターズ」誌も英米ポピュラー音楽中心の同誌では異例のクラフトワーク特集を97年3月号、またカン・ソロ・プロジェクト来日予定に合わせた(来日はメンバー急病で中止になったが)ジャーマン・ロックとカンの特集号を2000年6月号で組んでいるが、すでにジャーマン・ロックとはコープの定義するクラウトロックと同じ意味で使われていた。コープは2007年にクラウトロックと同じ重要性を日本の70年代ロックに指摘した『Japrock Sampler』(翻訳あり)を刊行し、欧米でもコープの著作で論究された日本のアルバムが次々インディーズから独自CD化される、という現象も起きた。
(Original Brain-Metronome "NEU!" LP Gatefold Cover Right & Left Side)
・カン『Monster Movie』1969
・アモン・デュール『Psychedelic Underground』1969/アモン・デュールII『Phallus Dei』1969/エンブリオ『Opal』1970
・タンジェリン・ドリーム『Electronic Meditation』1970
・グル・グル『UFO』1970
・クラスター(Kluster)『Klopfzeichen』1970/クラスター(Cluster)『Cluster』1971/コンラッド・シュニッツラー『Schwartz』1971/ハルモニア『Musik von Harmonia』1974
・クラフトワーク『Kraftwerk』1970/ノイ!『NEU!』1972/ラ・デュッセルドルフ『La Dusseldorf』1976
・ポポル・ヴー『Affenstunde』1971
・ファウスト『Faust』1971/スラップ・ハッピー『Sort of Slapp Happy』1972
・アシュ・ラ・テンペル『Ash Ra Tempel』1971/アジテーション・フリー『Malesch』1971/アシュ・ラ『New Age of Earth』1976
・クラウス・シュルツ(ex.タンジェリン・ドリーム、アシュ・ラ・テンペル)『Irrlicht』1972
といったところになる。これらのアーティストのほとんどが70年代にはすでに日本盤LPの発売があったが、当時の日本のユーロ・ロック・リスナーが好んでいたプログレッシヴ・ロック、ハード・ロックとはかけ離れた音楽だったため一部のマニア以外には不人気だった。
(Original Japanese Metronome "NEU!" LP Front Cover)
(Original Japanese Metronome "NEU! 2" & "NEU! '75" Front Cover)
(Original Brain-Metronome "NEU!" LP Liner Cover)
A2. 不思議な惑星
A3. 白い銀河
B - Jahresubersicht
1) 遊泳
2) 軟着陸
3) 月世界~恍惚の時
*
原題のニュアンスは曲目リストに英語版ウィキペディアの注釈を添付した。直訳すれば、A1は「やあ!」、A2は「特別提供」、A3はオーストリアの地名だが一般名詞としては「白い湖」と、ごくあっけない。A1「Hallogallo」は「Hello」のドイツの与太者風あいさつだそうだから「よお!」とか「ちーす!」くらい崩しても良さそうだ。B面の総タイトルは「年間概要」で、(1)は「ラッキー」、(2)は「意地悪な国」、(3)は「可愛い子ちゃんへ」と、いったいどこから宇宙絵画が出てきたものやら、日本のバンドで言えば外道に近いセンスを感じる。つまりタイトルなんか曲の区別のために適当につけているだけで、一応アシッド・エレクトリック・フォーク調のヴォーカル曲B3に「可愛い子ちゃんへ」とついていたりはするものの、全体的には極端に平坦な8ビートにフレーズをなさない各種楽器が現れては消えていく。
(Original Brain-Metronome "NEU!" LP Side1 Label)
そしてこの時のクラウトロック再評価ブームで明暗を分けたのは、カンのように徹底的にバンド自身が版権管理をしている例などほとんどなく、インディーズによる再発ならずさんでも正式なだけまだマシで、版権自体が不明になっている場合はがんがん海賊盤CDが横行したことだった。当然音源はレコード盤起こしで、ジャケットもオリジナルの版下ではなくレコード・ジャケットから複写したものだった。バンド側が直接LP時代の発売元レコード会社と交渉して著作権を確保し、オリジナルのマスター・テープとジャケット版下原盤から正式な再発売され直されてようやく一通りの正式CD化が揃ったのは90年代末のことで、今でも全国チェーンの大型輸入・中古CDショップでは格安品扱いにされた海賊盤再発CDがよく見かけられる。ノイ!の3作も海賊盤3in2CDが輸入盤店の隠れたベストセラーになっていたので、正規再発後に買い直した人が一斉に手放したものが中古バーゲン品になっているが、逆に海賊盤で聴いてノイ!に期待外れ感を持った人もいただろう。90年代に一切クラウトロックの海賊盤CD化がなかったら、かえって飢餓感が高まったか、一向に実物を聴けないので興味があるリスナーも痺れをきらして関心を失ってしまったかは一概には言えないものがある。
(Original Brain-Metronome "NEU!" LP Side2 Label)
どう普通でなかったかは何となく当時の文化的背景から想像すれば的外れでもない気がするが、ディンガーとローターがやっていたことは音楽の演奏ではなく、トリップの過程がたまたま音楽化したものだったのだろう。80年代になって彼らはノイ!の再結成に動きライヴ活動もするが、70年代のノイ!は3作のアルバムを発表しながら公式なライヴは判明する限り1度きりだったらしい。レコード制作だけで生計が立ったとは思えないから職業的ミュージシャンですらなかったわけで、ノイ!の解散以降も彼らは別々のバンドでアルバムを発表しているが、ノイ!ほど極端に反音楽的な音楽ではなかった。そんなノイ!が最高の再評価を受けていたのが1990年代なのだが、それから15年~25年も経っている。ノイ!はどちらかといえばディンガーのバンドだったのは、ディンガーは他人のバンドでは通用しないドラマーだったことでもこじつけられるが、そのディンガーも2008年、享年61歳で世を去った。これからノイ!を知る人にこの音楽がどう聞こえるか、ちょっと教えてほしいような気もする。