Sonny Stitt, Bud Powell, J.J.Johnson (Prestige, 1957) Full Album : https://youtu.be/6sqtA5Fh8ho
Recorded in New York City on October 17, 1949 (tracks 10-17), December 11, 1949 (tracks 1-4) and January 26, 1950 (tracks 5-9)
Released; Prestige PRLP 7024, 1957
All compositions by Sonny Stitt except as indicated
(1990 CD Track listing)
1. All God's Chillun Got Rhythm (Walter Jurmann, Gus Kahn, Bronis??aw Kaper) - 2:57
2. Sonnyside - 2:21
3. Bud's Blues - 2:32
4. Sunset - 3:44
5. Fine and Dandy (Paul James, Kay Swift) - 2:39
6. Fine and Dandy [alternate take] (James, Swift) - 2:38 Bonus track on CD reissue
7. Strike Up the Band (George Gershwin, Ira Gershwin) - 3:26
8. I Want to Be Happy (Irving Caesar, Vincent Youmans) - 3:09
9. Taking a Chance on Love (Vernon Duke, Ted Fetter, John Latouche) - 2:32
10. Afternoon in Paris (John Lewis) - 3:03
11. Afternoon in Paris [alternate take] (Lewis) - 2:59 (Bonus track on CD reissue)
12. Elora (J.J. Johnson) - 3:03
13. Elora [alternate take] (Johnson) - 3:07 (Bonus track on CD reissue)
14. Teapot (Johnson) - 2:43
15. Teapot [alternate take] (Johnson) - 3:01 (Bonus track on CD reissue)
16. Blue Mode (Johnson) - 3:45
17. Blue Mode [alternate take] (Johnson) - 2:49 (Bonus track on CD reissue)
[ Personnel ]
Sonny Stitt - tenor saxophone
J. J. Johnson - trombone (tracks 10-17)
John Lewis (tracks 10-17), Bud Powell (tracks 1-9) - piano
Nelson Boyd (tracks 10-17), Curly Russell (tracks 1-9) - bass
Max Roach - drums
このアルバムはもともとSP盤で1949年~1950年に曲単位でリリースされた後に10インチLPでソニー・スティット&バド・パウエルのセッションとソニー・スティット(テナーサックス・1924~1982)参加分を含むJ.J.ジョンソン(トロンボーン・1924~2001)のセッションの2枚にまとめられ、さらに1957年に12インチLPでソニー・スティットを括りに、スティット&パウエルのセッションを全部、J.J.ジョンソンの10インチLPからスティットの参加分のみを加えて、三者連名ながらスティットを筆頭にした、一応スティットが主役のアルバムの体裁に仕立てられた。1949年~50年といえばビ・バップの最盛期だからドラムスはチャーリー・パーカーのバンドから独立したばかりのマックス・ローチ、スティットとJ.J.のセッションでもピアノはディジー・ガレスピーのサイドマンやマイルス・デイヴィスの『クールの誕生』のアレンジャー時代のジョン・ルイス(MJQ結成2年前)、ベースもパーカーや『クールの誕生』でおなじみのネルソン・ボイド(マイルス・デイヴィスの有名な初期オリジナル曲「Half Nelson」はボイドのソロが半コーラスあるため)やパーカー、アート・ブレイキー『バードランドの夜』のカーリー・ラッセル、とビ・バップ・オールスターズもいいところだった。
そこで一応本作品は原題はプレスティッジが名づけた通り『Sonny Stitt, Bud Powell, J.J.Johnson』または『Sonny Stitt/Bud Powell/J.J.Johnson』『Sonny Stitt-Bud Powell-J.J.Johnson』とも表記されるし、邦題も一応は『スティット、パウエル&J.J.』なのだが、誰もが心の中では『パウエル、スティット&J.J.』と呼んでいる。こう呼ぶとパウエル参加のスティットの1ホーン・カルテットの8曲、現行のCDヴァージョンでは別テイク1曲を含む(1)~(9)の9テイクがすべてで、(10)~のJ.J.とスティットの2管クインテットの4曲8テイクはオマケみたいだが、みんなそのつもりで聴いている。本当はバド・パウエル(ピアノ・1924~1966)参加曲が、収録曲の別テイクでいいからフルアルバム分だけあればもっとすっきりするのだが、SP時代の録音を10インチLPを経て12インチLP、さらにCDになって収録時間の余裕ができたから4曲ぜんぶに別テイクがあったJ.J.&スティットの別テイクを入れるのは、記録的な意味では筋が通っている。プレスティッジとしては良心的な編集だろう。ジャケットがひどいのは『Miles Davis and Horns』と同じSP/10インチLPからの12インチLP化シリーズの統一デザインだったからで、あちらはロボットの行進だったがこちらはおええ鳥の大群なのは諦めるしかない。同様にCDでJ.J.&スティットのテイクが倍になってもどうせ聴かないのだから資料的価値しかないのはいかんともしがたい。
(Original Prestige "Sonny Stitt, Bud Powell, J.J.Johnson" LP Liner Notes)
文献によるとバド・パウエルの参加分は、初出SPではソニー・スティット・カルテット、また別のSPや10インチLPではソニー・スティット&バド・パウエル・カルテット名義だったらしいが(念のため記すが、バド・パウエルはJ.J.ジョンソン&ソニー・スティット・クインテットの4曲には参加しておらず、バド・パウエルが参加したソニー・スティットのセッションはカルテットというくらいだから1ホーンで、J.J.ジョンソンは参加していない)、現在ではほとんどバド・パウエルのリーダー作として聴かれている。バドは早くからモダン・ジャズの革新運動だったビ・バップ最高のピアニストと高名を馳せており、高校生時代にはニューヨークのビ・バップ運動の中心人物だったケニー・クラーク(ドラムス・1914~85)とセロニアス・モンク(ピアノ・1917~1982)に見出されて早くからプロのジャズ・ピアニストとなる。当時のジャズ界では、基本的にはビッグバンドに就職して定期的な仕事をこなしながら、意欲的なジャズマンたちがピックアップ・メンバーによるスモール・コンボ(小編成バンド)で最先端のビ・バップを追求する、というのが普通だった。意欲的なジャズマンはビッグバンドの仕事だけでは音楽的に満足できず、ビ・バップ・コンボだけでは生活できない。パウエルのピアノ技法は先輩で師のモンクよりもビ・バップの典型的手法となり、20代始めにはモンク以上にビ・バップ・ピアノを代表する存在となった。モンクの技法が浸透するのは50年代後半までかかったが、パウエルは40年代半ば、すでに最大の影響力を誇るビ・バップ・ピアニストだった。
だが1945年、巡業先で深夜に出歩いていたパウエルは警官に不審尋問された上全治10日間の暴行を加えられる。以後、パウエルは明らかに言動がおかしくなり、2か月半精神病院に入院する。その頃にはビ・バップのブームでスター・ジャズマンはビッグバンドをかけもちしなくてもやっていけるようになっており、パウエルはマイルス・デイヴィス(トランペット)、トミー・ポッター(ベース)、マックス・ローチを含むチャーリー・パーカー(アルトサックス)のオールスター・クインテットに抜擢され、メンバー全員が楽器別人気投票のNo.1に選ばれるほどの評判をとる。47年1月には最初のピアノ・トリオ録音を収録、傑作となったがこの頃にはパーカーのバンドではトラブルの絶えない問題児となっていた。47年11月再入院、今回はまる1年におよんだ。退院後49年~51年には複数のレーベルに多数の録音を残し、この時期の録音はパウエルの創造性がピークに達した時期だった。だが51年末~53年初頭の1年半には再々入院することになり、以後は極端に演奏の出来にムラのある天才ピアニストとして59年~64年にはパリに移住して活動、晩年の帰国後は、スタジオ録音を1枚残した以外はほとんど演奏活動不可能な状態が伝えられ、摂食障害から栄養失調に陥って衰弱状態で肺炎を起こし、急逝した。享年41歳だった。『Sonny Stitt, Bud Powell, J.J.Johnson』はデビュー以来パウエルが心身ともに健康だった1949年夏~1951年春までの、たった1年半ほどの間に録音された作品群に含まれている。
(Original Prestige "Sonny Stitt, Bud Powell, J.J.Johnson" LP Side A Label)
パウエル参加分ばかりで話が尽きてしまいそうだから後半の4曲8テイクをざっと解説すると、J.J.のオリジナル3曲にジョン・ルイスのオリジナル1曲で、録音の主役はJ.J.ジョンソンになっている。ルイス作の「Afternoon In Paris」はモロにジョンソン、ルイス、ボイド、ローチらマイルスの『クールの誕生』参加組によるクール・ジャズだが、ジョンソンの3曲は割と典型的ビ・バップ。「Tea Pot」はスタンダード「Indiana」のコード進行によるインプロヴィゼーション。これはビ・バップでは常套手段で、スティット&パウエルのセッション8曲にはスティットのオリジナル曲として3曲が含まれているが、(2)の「Sonnyside」はチャーリー・パーカーがガーシュインの「I Got Rhythm」のコード進行を使って作った「Dexterity」の、さらに改作になっている。(3)はもっとも単純な12小節のリフ・ブルースだし、(4)の「Sunset」は誰が聴いてもスタンダードの「These Foolish Things」だとわかる。このアルバム(のスティット&パウエル・セッション)の魅力はAA'BA"32小節のスウィング・スタンダードの快速演奏に尽きる。具体的には49年12月11日セッション4曲の劈頭を飾った映画『マルクス一番乗り(A Day at the Races)』挿入歌「All God's Chillun Got Rhythm(神の子らはみな踊る)」がまずあって、この日の他3曲は前述したスティットのオリジナルだが、「All God's Chillun Got Rhythm」とスティットのオリジナル3曲の出来は明らかだった。そこで50年1月26日セッションは「All God's~」路線の、全4曲スタンダードのスウィンガーから選曲される。それが(5)(6)の「Fine and Dandy」テイク1、テイク2と(7)「Strike Up the Band」, (8)「I Want to Be Happy」,(9)「Taking a Chance on Love」で、当時のビ・バップのジャズマンにとってチャーリー・パーカーがビ・バップのサックス奏法を編み出す源泉となったスウィング/ビッグバンド世代最高のテナー奏者(パーカーはアルトだが)、"Pres"と尊称されミュージシャンズ・ミュージシャンとして最高の尊敬を集めていたレスター・ヤングのレパートリーで、演奏できなければジャズマン失格のような曲ばかりだった。
後はジャズの名盤ガイドブックからまるまる引用する。「"スリル" "気迫" "熱気"、これらジャズになくてはならず、最近めっきり減少してきた大事なエッセンスざ、惜しげもなく大量にブチこまれたのがこのアルバムだ。特にパウエルがらみのセッションが凄い。スティットはパウエルの鋭い突っこみに、ある時は泰然と、そしてまたある時はこちらも負けじと応酬する。まさにジャズの醍醐味ここにあり、といった按配だ。超大物のパウエルを向こうにまわして一歩も引けをとっていないスティットの懐の深さを知らしめる名演であるのはもちろん、バド・パウエルの演奏としても5本の指に入る出来であり、モダン・ジャズの歴史の中でも"必聴"の部類に入る作品である」(後藤雅洋『ジャズ・オブ・パラダイス - 不滅の名盤303』講談社プラスアルファ文庫・1994年)
ちなみにパウエルがどれだけノリノリかは「Fine and Dandy」でテナー・ソロが終わるのを待ちきれずピアノ・ソロを弾いてしまい、クロージング・テーマでもサックスに絡みすぎるくらいフィルを弾いているのでもわかる。そこで録音し直すのだが、やっぱり同じことになる。パウエルの名盤は他にもあり、必ずしも最高傑作ではないとしても、このアルバムほど上機嫌で健康なパウエルはないかもしれない。
Recorded in New York City on October 17, 1949 (tracks 10-17), December 11, 1949 (tracks 1-4) and January 26, 1950 (tracks 5-9)
Released; Prestige PRLP 7024, 1957
All compositions by Sonny Stitt except as indicated
(1990 CD Track listing)
1. All God's Chillun Got Rhythm (Walter Jurmann, Gus Kahn, Bronis??aw Kaper) - 2:57
2. Sonnyside - 2:21
3. Bud's Blues - 2:32
4. Sunset - 3:44
5. Fine and Dandy (Paul James, Kay Swift) - 2:39
6. Fine and Dandy [alternate take] (James, Swift) - 2:38 Bonus track on CD reissue
7. Strike Up the Band (George Gershwin, Ira Gershwin) - 3:26
8. I Want to Be Happy (Irving Caesar, Vincent Youmans) - 3:09
9. Taking a Chance on Love (Vernon Duke, Ted Fetter, John Latouche) - 2:32
10. Afternoon in Paris (John Lewis) - 3:03
11. Afternoon in Paris [alternate take] (Lewis) - 2:59 (Bonus track on CD reissue)
12. Elora (J.J. Johnson) - 3:03
13. Elora [alternate take] (Johnson) - 3:07 (Bonus track on CD reissue)
14. Teapot (Johnson) - 2:43
15. Teapot [alternate take] (Johnson) - 3:01 (Bonus track on CD reissue)
16. Blue Mode (Johnson) - 3:45
17. Blue Mode [alternate take] (Johnson) - 2:49 (Bonus track on CD reissue)
[ Personnel ]
Sonny Stitt - tenor saxophone
J. J. Johnson - trombone (tracks 10-17)
John Lewis (tracks 10-17), Bud Powell (tracks 1-9) - piano
Nelson Boyd (tracks 10-17), Curly Russell (tracks 1-9) - bass
Max Roach - drums
このアルバムはもともとSP盤で1949年~1950年に曲単位でリリースされた後に10インチLPでソニー・スティット&バド・パウエルのセッションとソニー・スティット(テナーサックス・1924~1982)参加分を含むJ.J.ジョンソン(トロンボーン・1924~2001)のセッションの2枚にまとめられ、さらに1957年に12インチLPでソニー・スティットを括りに、スティット&パウエルのセッションを全部、J.J.ジョンソンの10インチLPからスティットの参加分のみを加えて、三者連名ながらスティットを筆頭にした、一応スティットが主役のアルバムの体裁に仕立てられた。1949年~50年といえばビ・バップの最盛期だからドラムスはチャーリー・パーカーのバンドから独立したばかりのマックス・ローチ、スティットとJ.J.のセッションでもピアノはディジー・ガレスピーのサイドマンやマイルス・デイヴィスの『クールの誕生』のアレンジャー時代のジョン・ルイス(MJQ結成2年前)、ベースもパーカーや『クールの誕生』でおなじみのネルソン・ボイド(マイルス・デイヴィスの有名な初期オリジナル曲「Half Nelson」はボイドのソロが半コーラスあるため)やパーカー、アート・ブレイキー『バードランドの夜』のカーリー・ラッセル、とビ・バップ・オールスターズもいいところだった。
そこで一応本作品は原題はプレスティッジが名づけた通り『Sonny Stitt, Bud Powell, J.J.Johnson』または『Sonny Stitt/Bud Powell/J.J.Johnson』『Sonny Stitt-Bud Powell-J.J.Johnson』とも表記されるし、邦題も一応は『スティット、パウエル&J.J.』なのだが、誰もが心の中では『パウエル、スティット&J.J.』と呼んでいる。こう呼ぶとパウエル参加のスティットの1ホーン・カルテットの8曲、現行のCDヴァージョンでは別テイク1曲を含む(1)~(9)の9テイクがすべてで、(10)~のJ.J.とスティットの2管クインテットの4曲8テイクはオマケみたいだが、みんなそのつもりで聴いている。本当はバド・パウエル(ピアノ・1924~1966)参加曲が、収録曲の別テイクでいいからフルアルバム分だけあればもっとすっきりするのだが、SP時代の録音を10インチLPを経て12インチLP、さらにCDになって収録時間の余裕ができたから4曲ぜんぶに別テイクがあったJ.J.&スティットの別テイクを入れるのは、記録的な意味では筋が通っている。プレスティッジとしては良心的な編集だろう。ジャケットがひどいのは『Miles Davis and Horns』と同じSP/10インチLPからの12インチLP化シリーズの統一デザインだったからで、あちらはロボットの行進だったがこちらはおええ鳥の大群なのは諦めるしかない。同様にCDでJ.J.&スティットのテイクが倍になってもどうせ聴かないのだから資料的価値しかないのはいかんともしがたい。
(Original Prestige "Sonny Stitt, Bud Powell, J.J.Johnson" LP Liner Notes)
文献によるとバド・パウエルの参加分は、初出SPではソニー・スティット・カルテット、また別のSPや10インチLPではソニー・スティット&バド・パウエル・カルテット名義だったらしいが(念のため記すが、バド・パウエルはJ.J.ジョンソン&ソニー・スティット・クインテットの4曲には参加しておらず、バド・パウエルが参加したソニー・スティットのセッションはカルテットというくらいだから1ホーンで、J.J.ジョンソンは参加していない)、現在ではほとんどバド・パウエルのリーダー作として聴かれている。バドは早くからモダン・ジャズの革新運動だったビ・バップ最高のピアニストと高名を馳せており、高校生時代にはニューヨークのビ・バップ運動の中心人物だったケニー・クラーク(ドラムス・1914~85)とセロニアス・モンク(ピアノ・1917~1982)に見出されて早くからプロのジャズ・ピアニストとなる。当時のジャズ界では、基本的にはビッグバンドに就職して定期的な仕事をこなしながら、意欲的なジャズマンたちがピックアップ・メンバーによるスモール・コンボ(小編成バンド)で最先端のビ・バップを追求する、というのが普通だった。意欲的なジャズマンはビッグバンドの仕事だけでは音楽的に満足できず、ビ・バップ・コンボだけでは生活できない。パウエルのピアノ技法は先輩で師のモンクよりもビ・バップの典型的手法となり、20代始めにはモンク以上にビ・バップ・ピアノを代表する存在となった。モンクの技法が浸透するのは50年代後半までかかったが、パウエルは40年代半ば、すでに最大の影響力を誇るビ・バップ・ピアニストだった。
だが1945年、巡業先で深夜に出歩いていたパウエルは警官に不審尋問された上全治10日間の暴行を加えられる。以後、パウエルは明らかに言動がおかしくなり、2か月半精神病院に入院する。その頃にはビ・バップのブームでスター・ジャズマンはビッグバンドをかけもちしなくてもやっていけるようになっており、パウエルはマイルス・デイヴィス(トランペット)、トミー・ポッター(ベース)、マックス・ローチを含むチャーリー・パーカー(アルトサックス)のオールスター・クインテットに抜擢され、メンバー全員が楽器別人気投票のNo.1に選ばれるほどの評判をとる。47年1月には最初のピアノ・トリオ録音を収録、傑作となったがこの頃にはパーカーのバンドではトラブルの絶えない問題児となっていた。47年11月再入院、今回はまる1年におよんだ。退院後49年~51年には複数のレーベルに多数の録音を残し、この時期の録音はパウエルの創造性がピークに達した時期だった。だが51年末~53年初頭の1年半には再々入院することになり、以後は極端に演奏の出来にムラのある天才ピアニストとして59年~64年にはパリに移住して活動、晩年の帰国後は、スタジオ録音を1枚残した以外はほとんど演奏活動不可能な状態が伝えられ、摂食障害から栄養失調に陥って衰弱状態で肺炎を起こし、急逝した。享年41歳だった。『Sonny Stitt, Bud Powell, J.J.Johnson』はデビュー以来パウエルが心身ともに健康だった1949年夏~1951年春までの、たった1年半ほどの間に録音された作品群に含まれている。
(Original Prestige "Sonny Stitt, Bud Powell, J.J.Johnson" LP Side A Label)
パウエル参加分ばかりで話が尽きてしまいそうだから後半の4曲8テイクをざっと解説すると、J.J.のオリジナル3曲にジョン・ルイスのオリジナル1曲で、録音の主役はJ.J.ジョンソンになっている。ルイス作の「Afternoon In Paris」はモロにジョンソン、ルイス、ボイド、ローチらマイルスの『クールの誕生』参加組によるクール・ジャズだが、ジョンソンの3曲は割と典型的ビ・バップ。「Tea Pot」はスタンダード「Indiana」のコード進行によるインプロヴィゼーション。これはビ・バップでは常套手段で、スティット&パウエルのセッション8曲にはスティットのオリジナル曲として3曲が含まれているが、(2)の「Sonnyside」はチャーリー・パーカーがガーシュインの「I Got Rhythm」のコード進行を使って作った「Dexterity」の、さらに改作になっている。(3)はもっとも単純な12小節のリフ・ブルースだし、(4)の「Sunset」は誰が聴いてもスタンダードの「These Foolish Things」だとわかる。このアルバム(のスティット&パウエル・セッション)の魅力はAA'BA"32小節のスウィング・スタンダードの快速演奏に尽きる。具体的には49年12月11日セッション4曲の劈頭を飾った映画『マルクス一番乗り(A Day at the Races)』挿入歌「All God's Chillun Got Rhythm(神の子らはみな踊る)」がまずあって、この日の他3曲は前述したスティットのオリジナルだが、「All God's Chillun Got Rhythm」とスティットのオリジナル3曲の出来は明らかだった。そこで50年1月26日セッションは「All God's~」路線の、全4曲スタンダードのスウィンガーから選曲される。それが(5)(6)の「Fine and Dandy」テイク1、テイク2と(7)「Strike Up the Band」, (8)「I Want to Be Happy」,(9)「Taking a Chance on Love」で、当時のビ・バップのジャズマンにとってチャーリー・パーカーがビ・バップのサックス奏法を編み出す源泉となったスウィング/ビッグバンド世代最高のテナー奏者(パーカーはアルトだが)、"Pres"と尊称されミュージシャンズ・ミュージシャンとして最高の尊敬を集めていたレスター・ヤングのレパートリーで、演奏できなければジャズマン失格のような曲ばかりだった。
後はジャズの名盤ガイドブックからまるまる引用する。「"スリル" "気迫" "熱気"、これらジャズになくてはならず、最近めっきり減少してきた大事なエッセンスざ、惜しげもなく大量にブチこまれたのがこのアルバムだ。特にパウエルがらみのセッションが凄い。スティットはパウエルの鋭い突っこみに、ある時は泰然と、そしてまたある時はこちらも負けじと応酬する。まさにジャズの醍醐味ここにあり、といった按配だ。超大物のパウエルを向こうにまわして一歩も引けをとっていないスティットの懐の深さを知らしめる名演であるのはもちろん、バド・パウエルの演奏としても5本の指に入る出来であり、モダン・ジャズの歴史の中でも"必聴"の部類に入る作品である」(後藤雅洋『ジャズ・オブ・パラダイス - 不滅の名盤303』講談社プラスアルファ文庫・1994年)
ちなみにパウエルがどれだけノリノリかは「Fine and Dandy」でテナー・ソロが終わるのを待ちきれずピアノ・ソロを弾いてしまい、クロージング・テーマでもサックスに絡みすぎるくらいフィルを弾いているのでもわかる。そこで録音し直すのだが、やっぱり同じことになる。パウエルの名盤は他にもあり、必ずしも最高傑作ではないとしても、このアルバムほど上機嫌で健康なパウエルはないかもしれない。