第五章。
困ったことになったなあ、としょくぱんまんは改造カーナビ画面とにらめっこしながら思いました。その時しょくぱんまんの表情はいわゆる渋面を浮かべておりました。さてこの「渋面」ですが、木々高太郎という小説家が70歳の晩年(昭和42年)に刊行した処女詩集の題名でもありまして、その『序詩』にこうあります。「渋い奴とか、渋い面とかいう日本語はあったが、/渋面という日本語はなかった。//凡そ一九二〇年代に、詩人三富朽葉が、/友達と同人雑誌をつくった時に/フランス語のGRIMMACEを日本語にしようとして、/渋面という言葉をつくったのだ。//同人雑誌はおきまりの三号雑誌で終ったが、/「渋面」という言葉は、あとの若い詩人達の胸のうちに反響しつづけて、/今も、僕の胸に鳴っている。」
詩はその後、「この詩集を『渋面』とつけたのは、そのためだが、/さてこの詩集を英訳するとしたら、何と訳そうか。/いまさらグリムマースとも言えまいというなら、/僕は、詩集 THE SOPHISTICATED としたいのだ。」と続きます。ギリシャ語本来の真剣な詭弁という意味はもうない、ちょっと気どりやがって、とからかえば女性なら怒るだろうし、男なら渋面になるだろう。だから最初の詩集に渋面とつけたのだ、と、なかなか機知の効いた詩です。そこでしょくぱんまんですが、かれの渋面はまさしくソフィスティケイテッドな渋面でした。アメリカの結婚式ソングNo.1はデューク・エリントンの、歌詞を気にせずインスト曲として演奏されれば甘美きわまりない『Sophisticated Lady』という皮肉な実話がありますが、すれた奴やこすい奴はいつの時代の、どんな社会にも一定の比率でおり、それなりに人の世の支えの一部になっているのでした。
ですから、しょくぱんまんは改造カーナビでばいきんまんがしかけたパン工場の監視カメラの電波を傍受して、パン工場の仲間の中で自分だけトースター山ふもとの食パン専門工場に住んでいる孤立感を紛らわせていました、または情報弱者にならないように心がけていました、というと聞こえはいいですが、自分のいない間の方が当然多いジャムおじさんのパン工場には、しょくぱんまんはちょっとした疎外感を味わわずにはいられなかったのです。
ですがしょくぱんまんは傍受すべきでないことを見てしまったのは明白でした。後悔先に立たず、です。
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蜜猟奇譚・夜ノアンパンマン(41)
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