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Channel: 人生は野菜スープ(または毎晩午前0時更新の男)
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ピーナッツ畑でつかまえて(79)

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 嵐の吹く暗い夜でした。
 夜はまだ早く、彼もまだ少年の年頃でした。ですが、夜は甘いのに、彼の心は苦りきっていました。それは彼が取り返しのつかない選択を決断してしまったからで、いくつもの可能性を諦め、人生の全体をスライスされたあげくその一片しか与えられないような立場に追い込まれていたからでした。
 より正確に言えば、彼を消沈させているのは現在陥っている状況そのものではなく、彼自身がそれを認識しているという点にありました。何も気づいていなければそれは起こらなかったのと同じことです。彼が苦しんでいるとすればそれは彼自身の認識力からきたした迷惑であり、そこから抜けだすにはオイディプスのように、もうひとりのアダムのように両目を潰さなければならないでしょう。しかしそれも彼には想像するだにぞっとすることでした。
 この世界の秩序の根幹にあり、疑ってはならないとされているのものは信じる心であり、希望であり、愛でした。いつしか彼はそれらからも見離されていました。しかしそれは彼自身がいつからか心のどこかで望んでいて、遂に実現しただけなのかもしれません。
 彼、つまりチャーリーにもともと備わっていなかったのは自信と積極性であり、それを初めて与えてくれた存在があのビーグル犬だったことはチャーリーも認めざるを得ませんでした。それまでぼくは卑怯で弱虫だった。だけれど、飼っているペットで人気を集めたぼくも相変わらず本当は卑怯で弱虫なだけだった。いい服を着ている、いい時計をしている、いい車に乗って有名な学校に通っている、両親が町では有名だったりする。そんなことと変わりない。
 ぼくは自分の領域を広げようとして、あの犬とともに不死である代わりに成長もできない存在になってしまった。でも今、あの犬との関わりを失ってからは、ぼくは何者でもない存在でいられる。ぼくは一気に歳をとることもできるし、またチャーリー・ブラウンである必要すらない。ぼくは弱虫で卑怯だったが、今や無責任であることすらできるのだ。
 だからチャーリーはもうあの犬の名前すら忘れ果てることにしました。すると、彼は自分が何者だったかも覚えていないのに気がつきました。それと同時にすべての記憶が失われ、かつてひとりの少年の人格だったものすらが崩れ、薄れてゆき、暗がりの中で明滅する点ほどの意識になり、それすらもほどなく遂には消滅していきました。
 次回最終回。

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