Miles Davis - The Berlin Concert with Keith Jarrett (1971) : http://youtu.be/I-uS57DtPxw
Recorded live at Philharmonie Berlin,Germany,November 6th,1971
1. Directions
2. Honky Tonk
3. What I Say
4. Sanctuary
5. It's About That Time
6. Funky Tonk ~ Sanctuary
[Personnel]
Miles Davis - Trumpet
Gary Bartz - Soprano and Alto Saxophone
Keith Jarrett - Electric Organ,Electric Piano
Michael Henderson - Electric Bass
Ndugu Leon Chancler - Drums
Charles Don Alias - Percussion
James Mtume Foreman - Percussion
ワイト島フェスティヴァルから1年3か月後のヨーロッパ・ツアーは71年10月~11月の1か月に渡る長期ロードになったが、マイルスにとっては『イン・ア・サイレント・ウェイ』~『ビッチズ・ブリュー』からの音楽性を突き詰めたものになった。『ビッチズ・ブリュー』当時からのメンバーはついに総入れ替えになり、ドラムス以外にパーカッションが二人もいる編成になる。「チック・コリアとデイヴ・ホランドが抜け、バンドにはヨーロッパ的要素がなくなった」とマイルス自身が『マイルス・デイヴィス自叙伝』でこの間の事情を解説している。新ベーシストのマイケル・ヘンダーソンはスティーヴィー・ワンダーのバックバンド出身で、マイルスがスティーヴィーの前座に出た時に目をつけられ、引き抜かれてきた弱冠20歳のプレイヤーだった。マイルスがジャズ以外の分野から起用した最初のメンバーになる。
ゲイリー・バーツ、キース・ジャレット、マイケル・ヘンダーソン、ジャック・ディジョネット(ドラムス)、アイアート・モレイラ(パーカッション)からなるレギュラー・メンバーにジョン・マクラフリン(ギター)がゲスト参加した新曲ばかりのライヴ盤が70年12月録音の『ライヴ・イーヴル』で、さらにドラムスとパーカッションのメンバー・チェンジを経てファンク度が増したのが『ライヴ・イーヴル』発売後のツアーになる。この強力メンバーでスタジオ録音作が残されなかったのが惜しまれるが、71年秋のヨーロッパ・ツアー中でも最高の名演と名高いのが11月6日のベルリン公演で、すっかり定評になっている。先に音源だけがCDで出回っていたが、DVDの普及以降は映像も発掘されることになった。テレビ放映用フィルムが原盤なので映像クオリティも非常に高い。
この後マイルスはバンドを解散し、『オン・ザ・コーナー』1972の制作に入る。『サイレント・ウェイ』『ビッチズ』から71年秋ツアーまでは、『マイルス・イン・フィルモア』『ジャック・ジョンソン』を含めて『ライヴ・イーヴル』を経過する一連の流れと捉えられるが、『オン・ザ・コーナー』は『ゲット・アップ・ウィズ・イット』を経過して『アガルタ』『パンゲア』に至る、76年からの一時引退までの作風の起点になっている。69年~71年がジャズ・ロックの中でファンクの度合いを深めていく過程なら、『オン・ザ・コーナー』に始まる72年~75年はファンクはすでにサウンドの基本形になっていて、それをいかにマイルスの音楽として発展させるかが課題になっている。
ベルリン公演に限らず71年バンドはライヴ・アルバムなりスタジオ録音作なりを制作できるだけの音楽的達成があった。先に『ライヴ・イーヴル』をリリースしていなければ、そこでのレパートリーが71年バンドのライヴ、またはスタジオ作に出来ただろう。しかし、ヨーロッパ公演のセットリストは毎回ほぼベルリン公演と同じもので、早い話『ライヴ・イーヴル』の再演ツアーになっている。『ビッチズ・ブリュー』『アット・フィルモア』『ジャック・ジョンソン』と来たのだから、『ライヴ・イーヴル』は71年メンバーになるのを待って制作されれば良かった、とも言える。マクラフリンのギターやディジョネットのドラムスが『ビッチズ・ブリュー』や『アット・フィルモア』、『ジャック・ジョンソン』を引きずっているのだ。
1キーボードになり、ギターレスになった分、出番が大幅に増えたのはキース・ジャレットだろう。また、レオン・チャンクラーのドラムスはディジョネットの後では軽量級に聴こえるし、アライアスとムトゥーメの2パーカッションはかえってサウンドの重心をフレキシブルにしている。それに、『ライヴ・イーヴル』はその時点でファンクの追求という次のステップをクリアしたものだったから、やはりマイルスにとってリリースする必然はあった。
ならば、71年バンドは『ライヴ・イーヴル』のレパートリーを使った更なるファンクの特訓で、新レパートリーのスタジオ録音やライヴ盤制作は更に次のステップ、具体的には『オン・ザ・コーナー』に結実するアルバム制作まで持ち越された、ということだろう。『オン・ザ・コーナー』はレギュラー・バンドを解消した時期に録音したアルバムで、次の『マイルス・デイヴィス・イン・コンサート』72は『オン・ザ・コーナー』と、スタジオ録音としては前作に当たる『ジャック・ジョンソン』からのレパートリーを新しいバンドでライヴで披露している。『イン・コンサート』のメンバーでマイルス一時引退までずっとバンドに在籍していたのは唯一再起用されたマイケル・ヘンダーソン(ベース)と、後にマドンナのプロデューサーになるレジー・ルーカス(ギター)、81年のカムバック時にも起用されるアル・フォスター(ドラムス)の三人だった。この三人がバンドのリズムの要だった。
ロックでも同時期にはハード・ロック、プログレッシヴ・ロック、グラム・ロックのイギリス勢、アメリカではルーツ・ロック系の有力バンドが古典的名作を毎月のように送り出していたが、それらと較べても『ジャック・ジョンソン』や『オン・ザ・コーナー』のマイルスは驚くほど新しい。ポピュラー音楽はリズムと音色から古くなっていくが、古いものには古いなりの良さはあるといえ、それが作品を歴史的価値に留めてしまうことの方が多い。マイルスのロックはおそらく当時、マイルスの狙っていたリスナーには難しすぎた。たぶん今でもどんなリスナーに向けられ、楽しまれる音楽か、行方不明のままだと思われる。
時代の先を行っていたとか、そういう次元の話ではなくて、エレクトリック化したマイルスのバンドはあまりにボーダーレスな音楽を演っていた。かろうじてファンクとは言えるが、ジャズとロックの融合の次元では捉えられない音楽だった。マイルスの楽歴でも1969年~1975年は突然変異と言うべき時期だった。この音楽は当時、ソフト・マシーンやヘンリー・カウくらいしかフォロワーが出なかったし、果たして真の意味でのフォロワーを生み出す音楽なのかも疑わしいくらいだろう。