(フランスの20世紀詩人アンリ・ミショーのこの散文詩は以前にもご紹介したが、定期的なワクチンとして再び掲載する)
☆
『手身近かな考え』アンリ・ミショー
西暦4000年には、きっと、ある気取った青年が、傲慢かつ自信ありげな調子で、こんなことを書くだろう……
「僕は24歳だった。地球にはずっといて、もう飽き飽きしていた。名所は見尽くしたし、週に何度も地球各地を巡り歩いていた。
僕は月にも行った。スポーツ好きでもないのに木星の衛星まで行った。もちろんそれは話題ほどのものではなかった。僕はしばしば嫌な相手にも出食わした……」
そのように書き、話を運びながら、彼はひとりの少女に出会ったことを明かし、呆然とした様子で長々と描写し始める。彼女は人類の歴史では無数に生まれてきたような平凡な娘で、古代ローマ帝国なら台所の皿洗いをしていたような少女なのだと書くだろう。
そして、今の私たちには途方もない未来に思える未来の私たちは、2000年以上も昔から繰り返されてきたこの手の話に、あらためてうんざりさせられているだろう。
この種の馬鹿どもには、今から死刑を宣告する法廷を用意する必要があるだろう。だがそれをどうやって作るか?どうやって……
(1942年作)
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『手身近かな考え』アンリ・ミショー
西暦4000年には、きっと、ある気取った青年が、傲慢かつ自信ありげな調子で、こんなことを書くだろう……
「僕は24歳だった。地球にはずっといて、もう飽き飽きしていた。名所は見尽くしたし、週に何度も地球各地を巡り歩いていた。
僕は月にも行った。スポーツ好きでもないのに木星の衛星まで行った。もちろんそれは話題ほどのものではなかった。僕はしばしば嫌な相手にも出食わした……」
そのように書き、話を運びながら、彼はひとりの少女に出会ったことを明かし、呆然とした様子で長々と描写し始める。彼女は人類の歴史では無数に生まれてきたような平凡な娘で、古代ローマ帝国なら台所の皿洗いをしていたような少女なのだと書くだろう。
そして、今の私たちには途方もない未来に思える未来の私たちは、2000年以上も昔から繰り返されてきたこの手の話に、あらためてうんざりさせられているだろう。
この種の馬鹿どもには、今から死刑を宣告する法廷を用意する必要があるだろう。だがそれをどうやって作るか?どうやって……
(1942年作)