手づくり肉まんでごさいます、という大嘘を書いてもどう見てもバレるので、市販品であることは最初からはっきりさせておきたい。
さて、この冬最初の肉まんをいただいた。ピザまんも一緒だ。中村屋の袋入りのものが、スーパーの菓子パン・惣菜パンのコーナーの隣に置いてある。5個入り480円(本体価格)が建て前だが、冬季は1個増量が当たり前になっているようだ。同じ値段で5個と6個では全然お買い得感が違う。その上だいたい毎日午前中には翌日賞味期限が迫ったものが20%引きになっている。冷蔵庫に入れておけば賞味期限は多少過ぎても問題ないし、冷やした分固くはなるがどうせ食べる時には蒸かして戻すのだ。電子レンジ調理という手軽な手もある。うちには蒸し器になるような手頃な釜はないので毎回電子レンジ調理するしかないが。蒸し器で仕上げたものは冷めても固くならないが、レンジ調理だと食べている先からすぐ固くなるのは仕方ない。
詰め合わせにはいろいろある。肉まんかあんまんだけが入っているものもあれば、肉まん3個とあんまん3個の組み合わせもあり、さらに生姜肉まんというのとカレーまん、ピザまんがあり、この5種類が3個ずつ半々に組み合わせてあるかというとそうでもなく、基本は肉まん3個かあんまん3個で、それに生姜肉まん・ピザまん・カレーまんのいずれかが組み合わせてあるようだ。生姜肉まんとカレーまん、カレーまんとピザまん、ピザまんと生姜肉まんという組み合わせはない。もちろん生姜肉まんのみ、カレーまんのみ、生姜肉まんのみ、というのもない。小学校中学年の算数のようだ。10歳くらいでこんな算数をやらねばならないのか。人生にはもっと大事なことはないか、麻雀とか。
ではもし5種類全部で3個ずつの組み合わせがあるなら何種類になるか、即答できないのが情けない。半々なんだから5の自乗でいいんじゃないの?と自信なげに答えるしかない感じだが、離別した娘たち(高一と中一)なら当たり前のように自信を持って正解を答えるのだろう。では組み合わせてのうち必ず2種類(肉まん・あんまん)のいずれか・両方かを含むように数式化せよ、と問われたらすんなり出てこない。紙と鉛筆で下書きせずには答えられない。下書きをしても数式として妥当なものか心もとないかもしれないのだ。いい大人がだらしない、子供の頃に習ったことをもう忘れているとは。だが人生数式だけが大事ではあるまい、麻雀とか。
というのは、この作文の筆者は卓上ゲームを何ひとつ学ばないで初老に至ったからだ。トランプはババヌキしか知らない。花札は絵札の区別もわからない。麻雀など点数の数え方どころか、いったい何をどうしているのかもわからない。将棋もチェスも駒の動き方の説明書を見ながらでないと差せない。碁はまったく駄目、どう地を数えればいいのかまるで理解できない。ルールブックを見ずに差せるのはオセロゲームくらいしかない。
これまで数種類の強制収容所に入ったことがあるが、まず将棋と碁盤だけは必ずあった。オセロゲームも普及していた。カードゲームは加工しやすく消耗しやすく紛失しやすいので置かないところが多いのだろう。で、卓上ゲームはオセロゲームくらいしか理解できないから他人がやっているのを見てもわけがわからないのだが、麻雀卓がある収容所もあって、他のどのゲームよりも白熱して、理解ができない人間までも圧倒していたのが麻雀だったのだ。初めてギャンブルに興じる人を羨ましく思った。まるで真剣なジャムセッションのように見えた。
彼らも本当なら禁則のタバコを賭けていたが、麻雀卓を許していてタバコの数本の賭けまではおとがめはされない。麻雀牌の音は卓上ゲームでももっともけたたましいものだろう。そんなことまで羨望をそそられた。さぞかし監禁下のストレスの発散になっているだろう、と思われた。オセロゲームや将棋のような1対1ではない分不確定要素はかなり入り込むだろうし、勝機をつかめるのも不確定要素あってのことだろう。そんなあたりも音楽のセッションに似ている。達成感にしろ敗北感にしろ、とにかくここでは一切の生産的行動というのが禁止されていると言ってよく、生産的と言えるかどうかはともかくとして備えつけの数少ない本を繰り返し読むのと、なるべく人目につかないように一人きりになれる時間には少しでも詳細な日記をつけていた。収容所体験というのは、個人差もあるだろうが他人にわかってもらえるようなものではないだろう。どこにせよ国家の国民であるということは、収容所の中で生活しているようなものだ。
肉まんとピザまんの話はどうした?もちろん忘れてはいない。20%引きのシールが貼ってあったのは、他にもぜんぶ肉まん、ぜんぶあんまん、肉まん+あんまん、肉まん+生姜肉まん、あんまん+カレーまんなどがあった。それらを置いて肉まん+ピザまんを選んだのは、
・あんまんより肉まんが好き
・あんまんとピザまんなら同程度だが、甘いものを控えている
くらいの理由しかない。ぜんぶあんまんならともかく、あんまんとカレーまんしかなかったらそれで手を打っていたかもしれない。なんだか急に中華まんが食べたくて仕方なくなったのだ。昔貧乏学生時代に、アルバイト先でお昼ごはんにコンビニで買った肉まん1個でしのいでいたりしたのを思い出す。昼食代わりが板チョコ1枚ということもあった。でもカップラーメンよりは、板チョコや肉まんの方がよほど自然ではないか。
さて、この冬最初の肉まんをいただいた。ピザまんも一緒だ。中村屋の袋入りのものが、スーパーの菓子パン・惣菜パンのコーナーの隣に置いてある。5個入り480円(本体価格)が建て前だが、冬季は1個増量が当たり前になっているようだ。同じ値段で5個と6個では全然お買い得感が違う。その上だいたい毎日午前中には翌日賞味期限が迫ったものが20%引きになっている。冷蔵庫に入れておけば賞味期限は多少過ぎても問題ないし、冷やした分固くはなるがどうせ食べる時には蒸かして戻すのだ。電子レンジ調理という手軽な手もある。うちには蒸し器になるような手頃な釜はないので毎回電子レンジ調理するしかないが。蒸し器で仕上げたものは冷めても固くならないが、レンジ調理だと食べている先からすぐ固くなるのは仕方ない。
詰め合わせにはいろいろある。肉まんかあんまんだけが入っているものもあれば、肉まん3個とあんまん3個の組み合わせもあり、さらに生姜肉まんというのとカレーまん、ピザまんがあり、この5種類が3個ずつ半々に組み合わせてあるかというとそうでもなく、基本は肉まん3個かあんまん3個で、それに生姜肉まん・ピザまん・カレーまんのいずれかが組み合わせてあるようだ。生姜肉まんとカレーまん、カレーまんとピザまん、ピザまんと生姜肉まんという組み合わせはない。もちろん生姜肉まんのみ、カレーまんのみ、生姜肉まんのみ、というのもない。小学校中学年の算数のようだ。10歳くらいでこんな算数をやらねばならないのか。人生にはもっと大事なことはないか、麻雀とか。
ではもし5種類全部で3個ずつの組み合わせがあるなら何種類になるか、即答できないのが情けない。半々なんだから5の自乗でいいんじゃないの?と自信なげに答えるしかない感じだが、離別した娘たち(高一と中一)なら当たり前のように自信を持って正解を答えるのだろう。では組み合わせてのうち必ず2種類(肉まん・あんまん)のいずれか・両方かを含むように数式化せよ、と問われたらすんなり出てこない。紙と鉛筆で下書きせずには答えられない。下書きをしても数式として妥当なものか心もとないかもしれないのだ。いい大人がだらしない、子供の頃に習ったことをもう忘れているとは。だが人生数式だけが大事ではあるまい、麻雀とか。
というのは、この作文の筆者は卓上ゲームを何ひとつ学ばないで初老に至ったからだ。トランプはババヌキしか知らない。花札は絵札の区別もわからない。麻雀など点数の数え方どころか、いったい何をどうしているのかもわからない。将棋もチェスも駒の動き方の説明書を見ながらでないと差せない。碁はまったく駄目、どう地を数えればいいのかまるで理解できない。ルールブックを見ずに差せるのはオセロゲームくらいしかない。
これまで数種類の強制収容所に入ったことがあるが、まず将棋と碁盤だけは必ずあった。オセロゲームも普及していた。カードゲームは加工しやすく消耗しやすく紛失しやすいので置かないところが多いのだろう。で、卓上ゲームはオセロゲームくらいしか理解できないから他人がやっているのを見てもわけがわからないのだが、麻雀卓がある収容所もあって、他のどのゲームよりも白熱して、理解ができない人間までも圧倒していたのが麻雀だったのだ。初めてギャンブルに興じる人を羨ましく思った。まるで真剣なジャムセッションのように見えた。
彼らも本当なら禁則のタバコを賭けていたが、麻雀卓を許していてタバコの数本の賭けまではおとがめはされない。麻雀牌の音は卓上ゲームでももっともけたたましいものだろう。そんなことまで羨望をそそられた。さぞかし監禁下のストレスの発散になっているだろう、と思われた。オセロゲームや将棋のような1対1ではない分不確定要素はかなり入り込むだろうし、勝機をつかめるのも不確定要素あってのことだろう。そんなあたりも音楽のセッションに似ている。達成感にしろ敗北感にしろ、とにかくここでは一切の生産的行動というのが禁止されていると言ってよく、生産的と言えるかどうかはともかくとして備えつけの数少ない本を繰り返し読むのと、なるべく人目につかないように一人きりになれる時間には少しでも詳細な日記をつけていた。収容所体験というのは、個人差もあるだろうが他人にわかってもらえるようなものではないだろう。どこにせよ国家の国民であるということは、収容所の中で生活しているようなものだ。
肉まんとピザまんの話はどうした?もちろん忘れてはいない。20%引きのシールが貼ってあったのは、他にもぜんぶ肉まん、ぜんぶあんまん、肉まん+あんまん、肉まん+生姜肉まん、あんまん+カレーまんなどがあった。それらを置いて肉まん+ピザまんを選んだのは、
・あんまんより肉まんが好き
・あんまんとピザまんなら同程度だが、甘いものを控えている
くらいの理由しかない。ぜんぶあんまんならともかく、あんまんとカレーまんしかなかったらそれで手を打っていたかもしれない。なんだか急に中華まんが食べたくて仕方なくなったのだ。昔貧乏学生時代に、アルバイト先でお昼ごはんにコンビニで買った肉まん1個でしのいでいたりしたのを思い出す。昼食代わりが板チョコ1枚ということもあった。でもカップラーメンよりは、板チョコや肉まんの方がよほど自然ではないか。