そういえば、こういう呼び方も何だが、ボケ老人の文体、というのが日本語には確かにあって、たぶん戦後の実存主義文学からそれは日本文学に入ってきたように思える。戦前にももちろんあって、辻潤を中心とした萩原朔太郎、尾形亀之助らニヒリズムの詩人たちには反知性主義としてのボケはあったがそれはイロニーであり、かつまた詩人という特殊条件がボケを正当化していた。戦後の実存主義小説では実存の限界による認識の不可能性、という論理的バックボーンがあるものになっている。武田泰淳の『蝮のすえ』で三角関係の男が相手二人と酩酊して路上で脱糞してしまい、始末に困って手ですくう場面など忘れられない。武田泰淳と並ぶボケ老人(これはあくまで形容で、ボケ老人を描くというのとは違う)文体の大家は小島信夫と深沢七郎だろう。小島信夫は考えすぎてわけがわからなくなるタイプのボケであり、深沢七郎は極端に即物的な感受性から来るボケになる。武田泰淳、小島信夫、深沢七郎といった人たちももう生誕100周年か、と思うと図書館の書庫まで訪ねて『風流夢譚』を読んだ学生時代が懐かしい。スッテンコロコロ。とにかく文学青年だった頃は、こうした小説家はなんて不思議な文体なんだろう、ときつねにつつまれたものだ。またはたぬきに化かされた、というか。
ようやくきつねとたぬきが出てきたが、それは画像をご覧になれば予想がおつきだったろうと思う。鍋焼き化かし合いうどんとでもいうようなものでございます。わかめうどんでもあり、月見鍋焼きうどんでもある。だが別にこれは鍋焼きうどんについての作文ではなくて、鍋焼きうどんにかこつけて何か書いているだけの代物でもある。今日は明け方は曇って冷え込んでいたが、小学生の登校時間あたりにはようやく陽差しも上がり始めた。自慢ではないが持病の躁鬱病のうつ相で最近は早朝覚醒が続いており、これまでは長年一般的な早朝うつより日没うつだったのだが、最近は早朝うつになって、日没うつもつらいが早朝うつも楽ではない。だいたい4時半頃目が醒めてしまうが6時すぎまでは何もする気にならず寝たまま耐えている。入院経験が多いのでなんとかそれも耐えられる、という感じだ。日没うつでどーんと虚無感に落ち込むよりはまだしもかもしれない。
ただし早朝覚醒は睡眠時間が短いので昼前はすごく眠い。夕方近くには昼寝をしないと睡眠が足りない。起きるとお腹が空いているが、米飯を食べる気力がない。そこで麺類になるわけだ。こう書いているといかにも病人食めいていて、ほとんど毎日うどん、たまにラーメン、スパゲッティという麺類ばかりの偏食は、病気の具合を表しているのかもしれない、と思うと情けない感じもする。