なんだか無理な話題をムキになって続けているようだが、今回に限って言えばそういうことはない。もちろんネタに詰まって書くこともない題目を仕方なく書いている時もあり、実は最近は深夜の定時更新記事にそういう作文がちらほらあるんじゃないか、という気もする。具体的にどれとは言わないが昔のレコード紹介文なんか別に誰が書いたっていいようなもので、データの正確さは気をつけているが感想文になっている部分など格別独創的な意見を書いているわけではなく、自分でもこのくらいのことは誰だって書けるよなあ、と半分あきれながらコツコツ文字を並べているわけだ。
文字といえば、こんな作文しか書けない男でもその昔は大学に通っていたことがあった。学資切れで除籍になってしまったが。現在50歳の男の大学時代だから30年あまり昔になるが、その頃にはまだ大正生まれの大学教授が現役でいらしたのだ。何をしに通っていたかというと、学生課でアルバイトを見つけるためと学食で安い食事を済ませるため、それと図書館の蔵書はさすがに充実していてエズラ・パウンドの初期詩集の初版本まであった。講義は前期の最初の数回しか出ない授業が多かった。これは高校の国語の授業ですかあ?(文学部日本文学科だった)と首をひねるくらいもう!だったが、教師よりも学生の質に問題があるのでこうなっているのだ、とすぐに気づいた。文学部の学生、しかも日本文学科なのにろくな読書経験がないのだ。大学生なら入学前に文学全集くらい読破していて、それでこその文学部入学だろうに古典をまるで読んでいない。
だからそういう学生に合わせて、最低でも何を読んでおくべきか、というあたりから始まる授業ばかりになり、こちらは全日制→夜学と不良コースで高校を5年通った人間だからその分本だけはたっぷり読んでいて個人全集や研究書レベルまで読み込んでいる。こりゃ発表と試験だけ出ればいいや、と最低の成績(出席してないし)で何とか進級した。大学時代で良かったのは年間に映画500本は観られたことだ。バイト代だけで生活していたのだからよくもまあ、と思う。結局4年で単位足りず学費続かず除籍になったが、バイトしていた編集部でそのまま社員になってしまった。出版関係の仕事をしたいなんていうお方がいたら面白いので放っておく。あれはなりたくてなる商売ではなく、平均定年年齢せいぜい40歳と覚悟するのなら止めない。自分のことに話を戻せば、しかも朝起きられない質なのでフリーランスでやっていける機会を機にフリーライターになってしまった。漢字で書くと人間之屑みたいな仕事だ。
ここでやっと話が戻ってくる。漢字、これは普通「かんじ」と読みますね。大正生まれの大学教授もそう読む。では文字はどう読むか、普通は「もじ」と読む。そうとばかり思っていたが、大正生まれの大学教授は「もんじ」と読んでいたのだ。というか、授業で「このもんじは」とか「~というもんじです」と、えっと思うが先生の話の文脈からすると「もんじ」は「文字」以外あり得ない。えっ、「もじ」じゃないの、と思ってしまうが、正しい日本語では「もんじ」と読むものなのだ。広辞苑を引けば「もじ」は「文字→もんじ」とあり、「もんじ」に詳しい「文字」の定義が載っている。つまりは「文字」を「もじ」と読んでいるのは戦後教育以降の世代で、「見れる」「着れる」のような短縮化の訛化型になるわけだ。
しかし今となっては文字と書いて「もんじ」と読ませる(訛化型→読ます)のは生活感覚に馴染まない。たまに昭和30年代以降の学校教育で育ったはずのお歳なのに歴史的かなづかいで文章を書いている人を見かけるが、日常言語と筆記言語をわざわざ乖離させている感覚には「他人とは違うんだぜ」とでもいいたげな幼稚な自己顕示欲を感じないではいられない。そういう人は簡単に書けば済む事柄でも、わざわざ歴史的かなづかい特有の表記法を織り込んだ構文で作文していたりする。どや顔が目に見えるようだ。実はどや顔という言葉を使ったのは初めてなのだが、初めてついでに使えば歴史的かなづかいというペダントリーもジャーゴン(隠語)の一形態なのだと思う。ジャーゴンを多用したがるお年頃といえば、やはりあれなわけで、いい大人の中二病(スマホ一発変換……)は人前のオナニーのようで見ていられない。
などなど書いているうちに段落も6段目まで来た。このシリーズ(?)は毎回段落6段で閉じることにしているのだ。これまでの3回でも肝心の迷子犬からずいぶん関係ない話題になってしまったようだが、昔読んだ翻訳小説で『北京の秋』という悲しいユーモア小説があった。作者いわく、北京とも秋とも関係ないから『北京の秋』というタイトルをつけたそうで、フランスの太宰治といったところだ。だが内容と関係ないタイトルをつけられた小説の悲しさは、読後ずいぶん歳月が経って内容は忘れているのにタイトルだけは『北京の秋』と出てくる悲しさであり、今回もまた迷子犬というテーマは迷子のままで捜索は次回へと続く。3回も続けば永遠に続くと決まったようなものではないか。
文字といえば、こんな作文しか書けない男でもその昔は大学に通っていたことがあった。学資切れで除籍になってしまったが。現在50歳の男の大学時代だから30年あまり昔になるが、その頃にはまだ大正生まれの大学教授が現役でいらしたのだ。何をしに通っていたかというと、学生課でアルバイトを見つけるためと学食で安い食事を済ませるため、それと図書館の蔵書はさすがに充実していてエズラ・パウンドの初期詩集の初版本まであった。講義は前期の最初の数回しか出ない授業が多かった。これは高校の国語の授業ですかあ?(文学部日本文学科だった)と首をひねるくらいもう!だったが、教師よりも学生の質に問題があるのでこうなっているのだ、とすぐに気づいた。文学部の学生、しかも日本文学科なのにろくな読書経験がないのだ。大学生なら入学前に文学全集くらい読破していて、それでこその文学部入学だろうに古典をまるで読んでいない。
だからそういう学生に合わせて、最低でも何を読んでおくべきか、というあたりから始まる授業ばかりになり、こちらは全日制→夜学と不良コースで高校を5年通った人間だからその分本だけはたっぷり読んでいて個人全集や研究書レベルまで読み込んでいる。こりゃ発表と試験だけ出ればいいや、と最低の成績(出席してないし)で何とか進級した。大学時代で良かったのは年間に映画500本は観られたことだ。バイト代だけで生活していたのだからよくもまあ、と思う。結局4年で単位足りず学費続かず除籍になったが、バイトしていた編集部でそのまま社員になってしまった。出版関係の仕事をしたいなんていうお方がいたら面白いので放っておく。あれはなりたくてなる商売ではなく、平均定年年齢せいぜい40歳と覚悟するのなら止めない。自分のことに話を戻せば、しかも朝起きられない質なのでフリーランスでやっていける機会を機にフリーライターになってしまった。漢字で書くと人間之屑みたいな仕事だ。
ここでやっと話が戻ってくる。漢字、これは普通「かんじ」と読みますね。大正生まれの大学教授もそう読む。では文字はどう読むか、普通は「もじ」と読む。そうとばかり思っていたが、大正生まれの大学教授は「もんじ」と読んでいたのだ。というか、授業で「このもんじは」とか「~というもんじです」と、えっと思うが先生の話の文脈からすると「もんじ」は「文字」以外あり得ない。えっ、「もじ」じゃないの、と思ってしまうが、正しい日本語では「もんじ」と読むものなのだ。広辞苑を引けば「もじ」は「文字→もんじ」とあり、「もんじ」に詳しい「文字」の定義が載っている。つまりは「文字」を「もじ」と読んでいるのは戦後教育以降の世代で、「見れる」「着れる」のような短縮化の訛化型になるわけだ。
しかし今となっては文字と書いて「もんじ」と読ませる(訛化型→読ます)のは生活感覚に馴染まない。たまに昭和30年代以降の学校教育で育ったはずのお歳なのに歴史的かなづかいで文章を書いている人を見かけるが、日常言語と筆記言語をわざわざ乖離させている感覚には「他人とは違うんだぜ」とでもいいたげな幼稚な自己顕示欲を感じないではいられない。そういう人は簡単に書けば済む事柄でも、わざわざ歴史的かなづかい特有の表記法を織り込んだ構文で作文していたりする。どや顔が目に見えるようだ。実はどや顔という言葉を使ったのは初めてなのだが、初めてついでに使えば歴史的かなづかいというペダントリーもジャーゴン(隠語)の一形態なのだと思う。ジャーゴンを多用したがるお年頃といえば、やはりあれなわけで、いい大人の中二病(スマホ一発変換……)は人前のオナニーのようで見ていられない。
などなど書いているうちに段落も6段目まで来た。このシリーズ(?)は毎回段落6段で閉じることにしているのだ。これまでの3回でも肝心の迷子犬からずいぶん関係ない話題になってしまったようだが、昔読んだ翻訳小説で『北京の秋』という悲しいユーモア小説があった。作者いわく、北京とも秋とも関係ないから『北京の秋』というタイトルをつけたそうで、フランスの太宰治といったところだ。だが内容と関係ないタイトルをつけられた小説の悲しさは、読後ずいぶん歳月が経って内容は忘れているのにタイトルだけは『北京の秋』と出てくる悲しさであり、今回もまた迷子犬というテーマは迷子のままで捜索は次回へと続く。3回も続けば永遠に続くと決まったようなものではないか。