The Smiths - Meat Is Murder Tour, Madrid 1985 (Complete Digital Film) Full Concert (Best Quality) 2006 Digital Re-Broadcast : http://youtu.be/CQXJ8isLCx4
La Edad de Oro, Paseo De Camoens, Parque del Oeste, Madrid, Spain May 18 1985
00. Intro: Prokofiev - Romeo and Juliet
01. William It Was Really Nothing 03:30
02. Nowhere Fast 05:46
03. I Want The One I Can't Have 08:35
04. What She Said 12:07
05. How Soon Is Now 15:21
06. Handsome Devil 21:10
07. That Joke Isn't Funny Anymore 24:09
08. Shakespeare's Sister 28:25
09. Rusholme Ruffians 30:59
10. The Headmaster Ritual 35:31
11. Hand In Glove 40:17
12. Still ill 43:39
13. Meat Is Murder 47:43
14. Heaven Knows I'm Miserable Now 56:23
15. Miserable Lie 59:57
16. Barbarism Begins At Home 1:07:11
**. Moz Dancing 1:13:10
17. This Charming Man 1:17:22
18. You've Got Everything Now 1:20:04
ザ・スミスの公式DVDは数多いがほとんどがドキュメンタリーで、純粋に音楽映像といえば1992年の『ザ・コンプリート・ピクチャー』しかない。これはバンド5年間の活動から12曲(うち1曲は3曲分のイメージ・ヴィデオ)のプロモ映像を集めたもので、初期のものはテレビスタジオでレコード音声を流して疑似ライヴ風に見せているだけ、売れ出してからはそれなりに凝るがどの曲もレコードと同じテイクを使ったヴィデオ・クリップで、スミスにはイギリス本国での正真正銘のテレビスタジオでのライヴが83年・84年にあり、85年のヨーロッパ・ツアーではスペインのバルセロナとマドリッドの両コンサートがテレビ収録されているし、86年10月のキルバーンのライヴ、12月12日の解散ライヴも放映されたようだから、デビュー・アルバム期(83年・84年)、『ミート・イズ・マーダー』ツアー(85年のスペイン公演2回)、『クイーン・イズ・デッド』~『ストレンジウェイ・ヒア・ウィ・カム』(解散後発表)の解散ツアー期(キルバーン、ラスト・ライヴ)、それぞれ2公演ずつから編集して初期・中期・後期のライヴDVD三部作が出されるべきなのだ。
このコンサートはセカンド・アルバム(編集盤『ハットフル・オブ・ホロウ』をふくめれば第3作)『ミート・イズ・マーダー』(85年2月)発表に伴うツアーとして行われ、特にスペイン公演は熱狂的で、マドリッドでのコンサートは幅数キロメートルもある公道のど真ん中で行われ、会場には柵が設けられてはいなかったので30万人とも50万人ともいわれるバンド史上最大規模のコンサートになったという。クイーンの南米での人気は有名だが、スミスのように割と文学青年的キャラクターの風貌と音楽性のバンドがそれほどの盛り上がりを見せたというのは、映像を観るまでは意外に感じる。83作のテレビスタジオでのライヴは日本でも放映されたが、バンドも客も乗ってはいるもののテレビ公開収録だからか、新人人気バンドとファンの集い、みたいな白々しさがあった。
だがマドリッドのスミスは同じバンドとは思えないくらいで、全18曲中8曲は『ミート・イズ・マーダー』から『Well I Wonder』以外の全曲だが、他に最新シングル『Shakespeare Sister』を除く9曲(つまり半数)は83年・84年のテレビスタジオ公開収録ライヴと重なる。同じ曲をアレンジ自体は同じで、同じバンドがやっても、テレビ局のスタジオで馴れ合い的にファン相手に演奏するのと、マドリッドの大公園ほどのだだっ広い公道の路上ステージで30万人もの客を相手にするのではこうもテンションが違うのか。ヴォーカルのモリッシーなどは完全に切れているし、バンド全体の勢いも違う。
アメリカ版ウィキペディアの分類では、ザ・スミスは『Jangle Pop,Indie Pop』というジャンルのバンドとされており、これはやや注釈が必要だろう。Jangle Popとは元をただせばザ・バーズの『ミスター・タンバリン・マン』に由来しており、これはボブ・ディランの未発表曲をディランより早くレコーディングしたものだが、原曲のフォーク調二拍子を明快な4/4拍子に直し、印象的なギターリフとヴォーカル・ハーモニーのポップ・ロックに仕立てた。いわばディランの曲をビートルズ化した。それは当時フォーク・ロックと呼ばれたが、いわゆるロックと違うのはロックはリズム・セクションのアレンジがより重要なのに対して、フォーク・ロックはヴォーカルとギターだけでおおかたがきまってしまうことだろう。『ミスター・タンバリン・マン』のキメの歌詞に「in the jingle jangle morning I'll come following you.」という一節があり、これがバーズのトレード・マークとなるロジャー・マッギンのエレクトリック12ストリングス・ギターのアルペジオ奏法によるギターリフの代名詞ともなって、バーズの伝統にあるギター・ポップのスタイルを「Jangle Pop」と呼ぶようになった。
スミスのギタリスト、ジョニー・マーは自分のギター・スタイルについてはデイヴィッド・クロスビー(前期バーズのもう一人のギタリスト)やジョニ・ミッチェルからの影響を認めており、彼らはともに変則チューニングのアコースティック・ギターを自己流でこなすタイプの、ギターだけでオーケストレーションを感じさせるシンガー・ソングライターだった。マーはザ・ジャムなど大嫌いでバーズやクロスビー・スティルス&ナッシュを聴いてギターの独学をしていたという人だった。
ジョニー・マーのギターもマドリッドのライヴでは鋭角的に切れて、火花の散るようなプレイになっている。スミスはドラマーとベーシストが実に腰のすわった、安定感のあるサウンドを出すが、明らかにリミッターぎりぎりまで音圧を上げている。86年の解散ツアーからは、やはり映像ソフトはないかわりに解散後にライヴ盤『ランク』が出た。もう一人のギタリストを入れたのはバンド内の剣呑な空気をやわらげようという意図もあっただろう。だが解散ツアーでは85年ツアーほどのテンションは望めなかったとも思えるし、スミスは抜群に優れたスタジオ録音・シングルを出していたバンドだが、それもこうしたライヴ・バンドたる資質を持っていたのと表裏一体だったのだろう。また、これほどの状態をそう何年も続けられるようなバンドではなかった。ライヴ映像を公式ソフト化しようとしないのもそのせいかもしれない。