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Channel: 人生は野菜スープ(または毎晩午前0時更新の男)
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(前)小津安二郎『父ありき』(松竹1942)前編

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『父ありき』(全)
https://www.youtube.com/watch?v=EWG7EY-M5f0&feature=youtube_gdata_player
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 これで小津作品のご紹介は何本目になりますか、数えてみたら17本目になりました。『東京の宿』までのサイレント期の作品は翌年の『大学は出たけれど』まで含めて散佚作品が多いですが主要な作品は押さえられたと思います。『一人息子』からのトーキー作品は残されていますから、こちらもほぼ全作品をご紹介できる用意はあります。
 ただ、小津作品に限らず映画のご紹介でいつも気になるのは、あらすじなど必要なものなのだろうか、ということで、映画を観たことがある人には不要でしょうし、まだ未見の人には興を削ぐだけともいえます。細部まで書いた詳細な再現度のあらすじですら実物を観るに敷くはないので、あらすじなど以前観たけれど記憶が薄れている人か、未見だけどどんな話か知りたい人に向けた簡略なものでいいでしょう。以前このブログで某ギャグ漫画の話題を出した時に、こういう秀逸なギャグがありました、と書いて非常識、精神疾患患者(それはプロフィールに書いてある通りですが)呼ばわりされたこともあります。筆者の感覚では面白かった作品を話題にする時、秀逸だと思えた点を上げるのに何の問題も感じませんが、そう述べると「医療担当者への早急な相談をお勧めします」と返されたのはなんともはやでした。あのマンガ面白かった、こんなギャグがあって、というのをネタバレ(怒)とキレる人もいるわけです。
 さて、佐藤忠男、ドナルド・リチー、蓮實重彦各氏のモノグラフィーのうち、佐藤氏は伝記と作品紹介は本文各章に含み、フィルモグラフィー(データのみ)を巻末に添える体裁、リチー氏は本文は総論と技法で、巻末の「伝記と作品目録」は独立したパンフレットになりうる評伝と内容紹介つきフィルモグラフィー(データつき)、蓮實氏は本文は総論、巻末に関係者インタビューと資料(制作日誌)、フィルモグラフィー(データのみ)、詳細年譜という構成です。いわゆる「あらすじ」から作品論に入っていくのは佐藤氏だけですが、リチー氏の「伝記と作品目録」も簡略なだけに要点を尽くして面白いもので、たとえば今話題にしている『父ありき』などはこうです。
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『父ありき』 松竹大船 脚本=池田忠雄、柳井隆雄、小津安二郎 撮影=厚田雄春 音楽=彩本暁一 美術=浜田辰雄 出演=笠智衆、佐野周二、水戸光子、坂本武、佐分利信、津田晴彦、日守新一など 2588メートル(85分、〈記録〉93分) 1942年4月1日封切。脚本、複写ネガ、プリントあり。
 もと中学校の教員の父が、息子とずっと別居しながらも愛情で固く結ばれている。成人した息子も教員になり、徴兵検査を受けたおりに、父に再会する。父は喜んで親友の娘を嫁に世話してやる。父が死んだあと、息子は妻と一緒に父の遺骨を持って故郷に帰る。
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 感情を交えないあっけないくらいの要約で見事ですが、リチー氏の著作が刊行された1974年にはおそらくGHQによる敗戦後の検閲で85分に短縮されたヴァージョンしか知られていなかったのがわかります。その後発見された現行ヴァージョンは94分あり、記録より長いくらいですから、現行の94分ヴァージョンは完全版と考えていいでしょう。一方、佐藤氏は小津生誕90周年記念のオムニバス本『小津安二郎新発見』1993で『小津安二郎全作品解説』を担当し、年季の入った情理尽くした作品紹介を短い分量ずつでこなしています。以下引用しましょう。
「小津芸術のひとつの頂点をなす傑作であるが、現存するプリントは残念ながらサウンド・トラックが破損してセリフの聞き取れない部分が多い。しかしそれでも名作は名作であり、ファンなら必見である。
 地方の中学教師だった父(笠智衆)が生徒の事故死の責任をとって辞職して上京してから、父と息子は遠く離れて暮らしている。成長してやはり別の地方で教師になった息子(佐野周二)は、温泉宿で父との出合いを楽しんだ機会に、こんどこそ父と二人で暮らしたいから教師を辞めようと思う、と相談する。すると父は、教師は天職と思うべきで、そんな私情で軽々しく辞めてはいけないと諄々と説教し、息子はすがすがしい気持ちで納得する。まもなく父は息子の結婚を見とどけて脳出血で急死するが、息子は新妻(水戸光子)に、本当にいい父だったとしみじみ言う。理想の父親像を完璧に演じた笠智衆は、しかし一挙手一投足まで小津の指示どおりに動いたのだと言っている」
 短い中に感動の焦点がよく絞られた鑑賞文ですが、佐藤忠男氏の『完本 小津安二郎の芸術』2000の増補資料を参観すると、現行のサウンドトラック欠損もない94分の良質な完全版プリントはロシアのフィルム・ライブラリーから近年発見されたものとあり、ただし戦時中の粗悪な材質のフィルムが使用されているための画質の悪さは仕方ないようです。日本で上映用にデュープされたポジか、1942年当時のソヴィエトで輸入プリントからさらにデュープされたネガかまでは記載されていません。現行プリントはデジタル・リマスターされ、可能なかぎり良質な画質・音質にリストアされたもの。筆者が名画座で30年近く前に観たのは当然検閲カット版だったはずですが、当時は完全版との比較はできなかったわけですから具体的に違いを指摘できません。(チャップリンやエイゼンシュテインの作品は複数ヴァージョンの違いがわかりましたが)
 著作権保護期間を過ぎた作品ですので松竹からのDVD以外にも廉価版DVDが発売されていますが、冒頭の松竹タイトル画面の有無以外には日本語字幕の有無の違いがあります。これは50~70年前の日本映画を見慣れているかにもよりますが、映画は少ない例外を除けば当時の標準語(時代劇作品ではむしろ人工的な折衷的標準語になりますが)で作られています。それが現代の標準語のアクセントとはかなりかけ離れている場合があり、少ない例外に属するのはたとえば祇園ものの映画がありますが、祇園の上方言葉は特殊なだけに映画を見始めてしばらくすれば、方言として理解しやすい。しかし現代映画で標準語が使われているのに、アクセントや発声の違いから何を言っているのかわからなくなる。こればかりは仕方ありません。2014年の日本語だって2086年には変な発音に聞こえるでしょう。『父ありき』は72年前の映画です。つまり今年公開された映画が2086年にも生命を保っているようなものです。日本映画を日本人が観るのでも字幕が有用な場合がある、ということです。
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 あらすじはリチー氏、佐藤氏の解説に尽きていますが、ストーリーをなす枝葉の部分をもう少し詳しく書いてみます。
  妻を亡くした中学教師(笠智衆)と息子(日守新一)は二人暮らしをしています。ところが中学の修学旅行で生徒の一人が無断でボート遊びに抜け出し溺死し、その責任をとって父は教師を辞任します。
 父は辞任後は会社勤めに転じ、息子も転校を余儀なくされます。息子は中学に進学し、そこで寄宿舎に入って親子は別れて暮らすことになりました。父も東京の工場に転任します。父子が会う機会はますます減りますが、息子は無事東北の帝国大学に進学します。しかし父への郷愁は募る一方でした。
 息子は大学を出て秋田の高校教師になります。東京と秋田からそれぞれ黒磯の温泉で落ち合って再会を果たし、しみじみと湯に浸かって語り合い、湯上がりにビールを注ぎあって親子の絆を深めます。息子はそろそろ教師を辞めて東京に行き父と同居したいと願います。父は、教師は天職だから辞めてはいけない、生涯をかけて遣り通せと諭します。父は無念の辞職を経験したから自分の思いをかけているのだと気づき、息子は父の勧めを受け入れます。息子は別れ際に父におこづかいの包みを渡し、父はお母さんにお見せするよ、とお礼を言います。
 父は行きつけの碁会で退職した中学教師時代の同僚(坂本武)と再会します。また、成人して社会人になった中学教師時代の教え子たちが訪ねてきて、同僚とともに同窓会に招かれて旧交を暖めあうことにます。この元同僚の坂本武がサイレント期の喜八ものとは別人のような品格のある紳士で、よく通る声で知性と品を備えた紳士ぶりがますます引き立ち、喜八の子孫たる寅さん演じる渥美清も顔立ちと美声のギャップで売り出した喜劇人だそうですが、DVDを観終えてキャスティングを見るまでまさか喜八の人とは思いませんでした。
 その頃、息子は徴兵検査を終えて父のもとに訪ねてきます。父は甲種合格を喜び、常に社会で有用な、世のために尽くす人間であるように、と激励します(米軍検閲でカットされたのはこの場面かもしれません)。父はちょうど年頃の、中学教師時代の同僚の娘(水戸光子)との縁談を持ちかけると、息子は「任せます」と縁談を委ねます。息子が母の仏壇に報告し、席を外すと、父も亡妻の仏壇にお焼香します。このシーンは仏教文化圏以外の観客も理解でき、感動させる力があるでしょう。
 同窓会が開かれると、紅顔の少年だった生徒達はみな家庭をもち、子供もいる年齢になっていました。その成長ぶりを喜び、生徒たちに息子の面影を重ねて丁寧な祝辞を述べます。実子だけではなく主人公の全人的な父性を感じさせるシーンです。この同窓会で父はつい上機嫌で飲み過ぎてしまいます。
 翌日、出勤しようとした父は脳卒中で倒れてしまいます。息子、中学教師時代の同僚、その娘が枕元に控え、昨夜の同窓会の幹事だった教え子二人も駆けつけてきています。父は襟元を緩めてもらいながら、私はやれるだけのことはやった、そうやって生きてきた、思い残すことはない、とくりかえしつぶやいて事切れます。医師が診断し、許嫁の娘が泣き伏し、絶句してベッドを離れて立ち尽くす息子に、許嫁の父があんたのお父さんは立派だった、と慰めます。すぐに場面は蒸気機関車の車中になり、「お父さんと過ごした最後の一週間ほど楽しかったことはなかったよ」とすっかり新妻めいた娘を連れて父の納骨のために秋田に連れて行くシーンで終ります。
 小津は初期は青春コメディ、まもなくホームドラマに移り、他のジャンルの作品は初期は時々、中期以降はほとんど撮らなかった監督ですが、『父ありき』は『一人息子』と並んで家庭なき家庭を描いたホームドラマと言えます。ホームドラマに普通英雄的人物造形はありませんが、『父ありき』は一本一本見ていくと案外その作品ならではの異色作も多い小津作品でも、テーマへの集中力で際立った作品と言えるでしょう。『一人息子』で母親が息子に望む「成功」が、ここでは当時社会的には「報国」という概念だったにせよ。溝口健二『宮本武蔵』1944のように「討ちして止まん」とは入れられないとしても、もし制作・公開があと1、2年後だったら冒頭に「八紘一宇」と題辞を入れられかねない時代だったのです。

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