Syd Barrett-"The Madcaps Laughs"U.K,Jan.1970(Full Album)
https://www.youtube.com/watch?v=qfrBVgGMl-o&feature=youtube_gdata_player
(Side A)
1.カメに捧ぐ詩 - "Terrapin" - 5:05
2.むなしい努力 - "No Good Trying" - 3:26
3.ラヴ・ユー - "Love You" - 2:30
4.見知らぬところ - "No Man's Land" - 3:03
5.暗黒の世界 - "Dark Globe" - 2:02
6.ヒア・アイ・ゴー - "Here I Go" - 3:12
(Side B)
7.タコに捧ぐ詩 - "Octopus" - 3:48
8.金色の髪 (ジェイムス・ジョイス作の一篇より) - "Golden Hair" (Syd Barrett, James Joyce) - 2:00
9.過ぎた恋 - "Long Gone" - 2:50
10.寂しい女 - "She Took a Long Cold Look" - 1:56
11.フィール - "Feel" - 2:17
12.イフ・イッツ・イン・ユー - "If It's In You" - 2:27
13.夜もふけて - "Late Night" - 3:11
[Personnel]
Syd Barrett ? guitar, vocals, production
David Gilmour ? bass, 12-string acoustic guitar, drums (on "Octopus"), production
Jerry Shirley ? drums, bass (track 4)
Willie Wilson ? bass, drums (track 4,6)
Robert Wyatt ? drums (tracks 2, 3)
Hugh Hopper ? bass (tracks 2, 3)
Mike Ratledge ? keyboards (tracks 2, 3)
[Production personnel]
Syd Barrett ? producer (tracks 7, 8)
David Gilmour ? producer (tracks 5, 7?11)
Malcolm Jones ? producer (tracks 1?4, 6, 12, 13)
Roger Waters ? producer (tracks 5, 9?11)
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(シド・バレット、1970年)
1968年にピンク・フロイドを脱退したシド・バレットは、同年5月13日、ピーター・ジェナーのプロデュースの下で最初のデモ・レコーディングを行う。「夜もふけて」はその時に最初のテイクが録音されたが、アルバムに収録されたのは5月28日録音のヴァージョン。その後ハーヴェスト・レコードの社長であるマルコム・ジョーンズのプロデュースで、本格的なレコーディングが開始された。「むなしい努力」と「ラヴ・ユー」では、ソフト・マシーンのメンバー3人による演奏がオーバー・ダビングされる。マルコムの下で6曲が完成し、その後、ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアとロジャー・ウォーターズも合流して、プロデュースと演奏で参加。ジャケット・デザインは「ヒプノシス」のストーム・ソーガソンとオーブリー・パウエルが担当し、写真撮影はミック・ロックによる。
1969年11月14日、「タコに捧ぐ詩」がシングルとして先行リリースされた。それは結果的に、シド唯一のソロ・シングルとなった。そして、1970年にアルバムが発表されると、全英40位に達した。(ウィキペディア英語版・日本語版より引用)
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(ピンク・フロイド『炎』制作中に訪ねてきたシド・バレット、1975年)
シド・バレットは妙に過大視されもすれば正当な重要性に見合うほどは聴かれていないとも言えて、ちなみに英語版ウィキペディアのシドの項目はアルバム解説も含めて猶に評伝一冊分ほどの分量があった。ロック・ミュージシャンとしての重要性もあるが、シドの場合はあまりに短い活動期間と、在籍バンド(ピンク・フロイド)のその後とは対照的な隠棲生活が劇的で、人物像に対する興味がある。シドの陥った苦境は多くのミュージシャンが陥った境遇の典型でもあり、また音楽活動が病状悪化から不可能になるまでのほんの2、3年ほどに制作したアルバムは、シド自身の意図とはまったく関係なくロックのある種の流派を代表する音楽になっており、シドのアルバムに先立って同様の音楽をやっていたり、まったく同時期だったりシドより後だったりはするが「シド・バレットみたいな」で通用するタイプのミュージシャンがジャンルをなしている、という現象がある。
ピンク・フロイドのファースト・アルバム『夜明けの口笛吹き』1967はシド・バレット(1946-2006)がリーダーだった唯一のフロイドのアルバムだが、内容はザ・フーとラヴに影響されたガレージ・パンク・サウンドをサイケデリックに拡張したものだった。だがシドの精神疾患発症からバンドの友人だったデイヴ・ギルモア(ギター、ヴォーカル)を増員し、スタジオ盤はシド参加の五人、ライヴはシド抜きの四人で活動することになる。そしてセカンド・アルバム『神秘』1968が制作されたが、シドはアルバム半数の4曲しか参加できなかった。結局フロイドのアルバム制作へのレギュラー参加は不可能と判明し、シドは脱退しフロイドのメンバーがシドのソロ名義アルバム制作につきあう、と話はまとまる。
その後『帽子が笑う…不気味に』(旧邦題『幽玄の世界』)、『その名はバレット』(旧邦題『シド・バレット・ウィズ・ピンク・フロイド』)を1970年1月、11月に発表し、トウィンクらとスターズを結成し活動予定で二回ほどステージに立ったらしいが、まったく演奏できなかったらしい。72年にはシド・バレットは完全に音楽界から姿を消す。ピンク・フロイドが『炎』をレコーディング中に突然訪ねてきたが、やはり復帰はとても不可能という話だった。
パンク/ニュー・ウェイヴ時代以降、オルタネイティヴ・ロックの文脈から生前すでにシド・バレットの再評価は進んでいたが、シド在籍時のピンク・フロイドとシドのソロ名義のアルバムでは評価はまちまちだった。『夜明けの口笛吹き』はタイトなロック・アルバムだが、シドのアルバムはぐだぐだのアコースティック・ギター弾き語りで、いわゆるフォークとも言いがたいがロックと言っていいようなものか、その点ではピンク・フロイド以上にポップスからは遠いものだった。そこが癖物で、シドのソロ名義のアルバムは1970年の前後数年間に英米を問わずヨーロッパ、日本にも大量に制作されたアシッド・ロック~フォークの決定版といっていい作品だった。日本ではアシッド=カウンター・カルチャーとしてのロックという面はスルーされブルース、サイケ、プログレ、ハードなど音楽の形式的分類で把握されていたが、欧米ではそうした垣根はなく一口に新しいロックとされているものは、精神的基盤ではひとつながりになっているものだった。
シド個人の才能は過大評価も過小評価もされてはまずいと思うし、シドがいなくてもメイヨ・トンプソンの『コーキーズ・シガー』やアレクサンダー・スペンス『オアー』、サイモン・フィン『パス・ザ・ディスタンス』などが『帽子が笑う…不気味に』や『その名はバレット』と同傾向で同等の名作として存在感を示していたと思うが、それでもシドという人がいた以上その2枚のソロ名義アルバムはアシッド・ロック最高の典型例になっている。イタリアのクラウディオ・ロッキ『魔術飛行』やアラン・ソレンティ『アリア』、日本の『溶け出したガラス箱』や五つの赤い風船『New Sky』などシド・バレットやシドに先立つアメリカのパールズ・ビフォー・スワインに直接影響されたとは思えないが、同じ時代の空気を吸っていただけで世界各地で似たような音楽が発生したのだ。
この『帽子が笑う…不気味に』で興味深いのは、ピンク・フロイド組(ウォーターズ、ギルモア)がプロデュースした曲はほとんどギター弾き語りから加工されていず、演奏ミスまでそのまま収録されている。ソフト・マシーンのメンバーもオーヴァーダビングで参加したマルコム・ジョーンズのプロデュース曲では何とか曲を曲らしく仕上げようとしているが、ギター弾き語りにキーボードやベース、ドラムスのオーヴァーダブというのは通常順番は逆で、めったに行われない。シドはバンド形態での録音セッションすら不可能になっていたのだろう。ギター弾き語り曲にはよく現れているが、一人だとけっこう機嫌よく楽しげに歌っているのがわかる。そこが怖い。
シド・バレットのような、というジャンルがロックにはあるのがご理解いただけただろうか。影響力、人気(セールス)ともに最大のロック・バンドとなったピンク・フロイドさえ出発点はシド・バレットの音楽だったのだ。フロイドが最終作(らしい)"Endless River"を発表した今後は、シド在籍時のアルバム未収録・未発表音源などの発掘発売などもされないだろうか。