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グリフォン Gryphon - 女王失格 Red Queen to Gryphon Three (Transatlantic, 1974)

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グリフォン Gryphon - 女王失格 Red Queen to Gryphon Three (Transatlantic, 1974) Full Album : https://youtu.be/INn8BO9iMCc
Recorded & Mixed by Dave Grinsted at Chipping Norton Studios, August 1974
Released by Transatlantic Records TRA 287, December 1974
Produced by Gryphon and Dave Grinsted
(Side One)
A1. 華麗なる序章 Opening Move (Harvey, Taylor, Gulland, Oberle) - 9:42
A2. 激怒 Second Spasm (Taylor, Gulland) - 8:15
(Side Two)
B1. 哀悼の歌 Lament (Taylor, Gulland, Nestor) - 10:45
B2. チェックメイト(王手詰め) Checkmate (Harvey, Taylor, Gulland, Oberle) - 9:50
[ Gryphon ]
Brian Gulland - bassoon, krumhorn
Graeme Taylor - guitars
Richard Harvey - keyboards, recorders, krumhorn
Philip Nestor - bass guitar
David Oberle - drums, percussion, tympani
with
Organ manufactured by Ernest Hart
Acoustic bass manufactured by Pete Redding

(Original Transatlantic "Red Queen to Gryphon Three" LP Liner Cover & Side One/Side Two Label)

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 前作のセカンド・アルバム『真夜中の饗宴』Midnight Mushrumpsはデビュー作『鷲頭、獅子胴の怪獣』Gryphonでは本来メンバーが専攻していたイギリスのバロック音楽のロック化の素朴さから一気にオリジナリティと完成度を高めたアルバムでしたが、1973年6月発売のデビュー作、1974年4月発売の前作に続き1974年12月に発売された本作『女王失格』Red Queen to Gryphon Threeは『真夜中の饗宴』と並ぶグリフォンのアルバム中1、2を争う名作になりました。次作『Raindance』1975はTransatlanticレーベルからの最終作になりレーベルはもはやバンドの商業的成功に見切りをつけた恰好で、グリフォンは辛くもEMI/Harvestレーベルから単発契約で最終作『反逆児』Treasonを1977年に発売しますが1977年はパンク・ロックの主要バンドが次々とデビュー・アルバムを発表していた年でした。イギリス古楽をロック化したプログレッシヴ・ロックのグリフォンはもはや時代に取り残された前世代のバンドであり、アルバム5枚中少なくとも2枚の傑作を残したバンドにもかかわらず評価と存在感が浸透するにはあまりに活動期間が短かったのです。メンバーの年齢もトランスアトランティック時代は大学在学中、オリジナル・メンバーのうち3人が残り新メンバーを加えたラスト・アルバムの頃はほとんどライヴ活動を行っておらず(機会もなかったのでしょうが)、つまりメンバーの大学在学期間中のみに活発な活動を行ったバンドでした。王立音楽院を始めとして正規のアカデミックな音楽教育を受けたメンバーたちでしたのでグリフォンの解散後は音楽学者、作曲家、教育者、オーケストラ奏者ら音楽アカデミズムの中のエリートの道に進みます。グリフォンはもともとロック・ミュージシャン志望者たちのバンドではなかったので、音大エリート大学生たちの就職までの青春時代のサークル活動のようなグループだったのです。
 デビュー・アルバムがA面B面各6曲でほぼ全曲がイギリス古楽の俗曲に属する舞踏曲とバラッドのアレンジやそれらの模作からなる小曲集、つまり一種のダンス&チルアウト・アルバムだったのに対し、セカンド・アルバムはA面全面がシェイクスピア『テンペスト』の新規上演用に委託された大曲でB面はA面の曲想を継いだ5曲の小曲集という構成はデビュー前から親好があり同じマネジメントに属したイエスの系譜にあるプログレッシヴ・ロックのアルバムとしての性格を強めたものでした。楽曲やアレンジもオリジナリティを確立しバンドの勢いを感じさせる密度の高いアルバムですが、イエスのジョン・アンダーソンに似せたドラマーのデヴィッド・オバリーのヴォーカルに限界があり、リーダーのリチャード・ハーヴェイはグリフォン初の完全インストルメンタル・アルバムを構想します。それがA面B面に各10分前後の大曲を2曲ずつ収めた本作で、特種楽器の多用では凝りに凝ったセカンド・アルバムに較べてハーヴェイのリコーダーとキーボード、ガランドのバスーンをソロイストにフィーチャーしたアンサンブルは前作の大作タイトル曲よりさらにすっきりと練られた展開にアレンジされており、全4曲隙と無駄もなければ凝りすぎの難解さもない、余裕のある良さがあります。オルガンとシンセサイザー、ギターとベースには本作発表の1974年11月~12月にかけて前座バンドとして北米ツアーに同行したイエスの従来からの影響がうかがえますが、イエスのアンサンブルの網の目のような周密さ、オルガン/ピアノのみならず息継ぎする間もなく細かいサウンドの刺繍を織り上げていくスティーヴ・ハウのギターとクリス・スクワイアのベースほど強迫的的なアンサンブルを指向していないのがグリフォンの良さでもあり、当時のイギリスの多数のプログレッシヴ・ロックのバンドからグリフォンを抜きん出た存在とまでは持ち上げられなかった穏健さでしょう。人気、セールス、評価とも一流と目されたバンドはやはり穏健さよりも過剰なテンションや情動への訴求力が強い音楽性に個性があり、グリフォンの本格的再評価も1990年代のCD化と散発的な再結成ライヴ活動を待たなければなりませんでした。レトロスペクティヴとしては十分な偉業を残したと認められるバンドながら、同時代のバンドとしてはどうしてもインパクトに今一つ欠ける感じはこれほどの名作セカンド、サード・アルバムにすらあり、上品さと穏健さも長所であるとともにグリフォンの限界をうかがわせもするのです。

映画日記2017年6月20日・21日/ スタンリー・キューブリック(1928-1999)監督作品全長編(1)

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 今回から数回はスタンリー・キューブリック(米/英・1928-1999)の監督作品のうち長編劇映画全13作を観ていきたいと思います。キューブリック作品で初めて日本公開されたのは劇映画第3作『現金に体を張れ』'56(日本公開'57年)でしたが、当時の映画会社による監督名の表記はスタンリー・カブリックで、第7作『博士の異常な愛情』'64では一時的にクブリックと変えられましたが、第8作『2001年宇宙の旅』'68では再びカブリック表記に戻っており、'ジャーナリズムでは必ずしも映画会社の表記に従わずクーブリック、クブリックなど映画批評家によってまちまちに表記されてきたのです。キューブリック表記がようやく用いられるようになったのは1969年のキネマ旬報社のムック「世界の映画作家」シリーズでアメリカ現地批評家の指摘により、以降第9作『時計じかけのオレンジ』'71(日本公開'72)から監督名の表記はキューブリック自身の承認も得て現行のスタンリー・キューブリックに統一されました。'70年代以降キューブリックは自作の訳題、字幕翻訳、広告、上映館(規模や立地条件)に至るまで世界各国すべての上映条件にチェックするようになったので(猥褻語、罵倒語、差別表現が頻出する後期作品の字幕翻訳も忠実な直訳か入念にチェックされました)、実際の発音は「キューブリック」と「クーブリック」の中間に近いそうですが本人がキューブリックでよしとしたことで決着を見たと言えるでしょう。
 ニューヨークに移民のユダヤ系オーストリア/ハンガリー人家系に生まれたキューブリックは戦後世代の映画監督同様大学教育を受けた映画人で、当初はドキュメンタリー分野のスチールと映画両方のカメラマンから活動を始めました。ドキュメンタリー映画に「拳闘試合の日」Day of the Fight (1950年, B/W, 16min)、「空飛ぶ牧師」Flying Padre (1951年, B/W, 9min)、『海の旅人たち』The Seafarers (1953年, Color, 30min)があり、短編2作はRKOピクチャーズのニュース映画で、中編『海の旅人たち』は全米船舶船員組合の宣伝用記録映画です。これら3本ともキューブリック自身が撮影と編集を手がけ、劇映画の初期2作もキューブリックが製作・監督・撮影・編集・録音を手がけた自主製作作品でした。第3作『現金に体を張れ』以降ハリウッドの映画監督になっていたキューブリックはイギリス製作の第6作『ロリータ』'62を経て第7作『博士の異常な愛情』'64で再びワンマン体制を強め、第8作『2001年宇宙の旅』'68で決定的な成功を手にします。
 25歳の第1作から70歳の遺作『アイズ ワイド シャット』'99まで45年間に長編劇映画全13作というのはいかにも寡作で、やはりユダヤ系オーストリア/ドイツ人でトリッキーな作風を誇ったフリッツ・ラング(1890-1976)が1919年の監督第1作から70歳の引退作まで50年間に42作を監督し、キューブリックよりやや年長の同時代の監督でもスウェーデンのイングマール・ベルイマン(1918-2007)が1946年の監督第1作から1982年の監督引退作まで36年間に42作(のち84年、2003年に1作ずつ)があり、また年齢的にも同世代の映画監督といえる大島渚(1932-2013)は1959年の監督第1作から遺作になった1999年の『御法度』まで40年間に23本の監督作があります。これほど寡作なのは商業映画にあってはインディーズの映画監督並みで、キューブリックに匹敵するのはロベール・ブレッソン(仏1901-1999/1945年~1983年の38年間に13作)、ルキノ・ヴィスコンティ(伊1906-1976/1942年~1976年の34年間に14作)、ミケランジェロ・アントニオーニ(伊1912-2007/1950年~1995年の45年間に15作)、フェデリコ・フェリーニ(伊1920-1993/1950年~1990の40年間に20作)、アンドレイ・タルコフスキー(ソヴィエト1932-1986/1960年~1986年の26年間に8作)といった監督たちで、商業映画界(タルコフスキーの場合は国家文化振興政策)の中でインディペンデントな映画製作環境を勝ち取った少数のエリート監督たちでした。ただしアントニオーニのように評価の低下と高齢から晩年は10年おき、遺作に至っては人気監督を保証人にようやく製作が実現した例もあり、アメリカ映画界ほど競争が激しい環境で最晩年まで高い評価と商業的成功を維持できたのは同世代のアメリカにはキューブリックにおよぶ映画監督はいませんでしたし、キューブリック以降になるとますます商業映画の中のエンタテインメント作家とアート系作家の格差は開いていくのです。

●6月20日(火)
『恐怖と欲望』Fear and Desire (米スタンリー・キューブリック・プロダクション'53)*61min, B/W, Standard

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・映像ソフト化に先んじてソフトメーカーのIVC配給により2013年5月3日本邦初公開。これはVHSテープやLD時代も同様で、日本未公開作品のビデオ・スルーはマニア向けのB級作品としてオーダーがかからないため数回の限定上映や短期のレイトショー上映でも上映実績があるのと未公開作品ではセールスに大きな差が出てくる。もっとも本作は60年前の作品ながら監督キューブリックによって上映用フィルムが買い占め一切の再上映を禁じられていた幻の長編劇映画第1作で、伝説的カルト映画監督の第1作として永らく資料によってのみ語り継がれていたもの。ジャンルとしては戦争映画で、冒頭に架空の国家における架空の戦争、とテロップが掲げられるが後年の『博士の異常な愛情』のようにSF、ファンタジー性はなく、『フルメタル・ジャケット』で再現されるリアリズム色が強い。敵地に不時着した小隊の生き残りの4人の兵士が陰惨な状況をくぐって生き延び、または戦死し、または発狂するまでを正味1時間で描き、着想やシナリオは学生映画の域を出ないが次作『非情の罠』でも癖のある悪役を演じるフランク・シルヴェラ、のち映画監督になるポール・マザースキーらキャストはまずまずの好演で、ニューヨークのインディペンデント系映画作家は演劇畑出身者がほとんどだが(それがニューヨーク派の長所と短所の両面の特色だが)、キューブリックの強みはカメラマン出身で本作も監督自身の撮影・編集・録音であることが作品の生々しい映画的迫力を生んでいる。撮りたいカットだけを撮る、という思い切りがストーリーの起伏に乏しく、単純極まりないプロットを一応観るに耐える映画にしている。キューブリックの友人で第4作『突撃』'57まで起用されたジェラルド・フリードの音楽も映画を引き立てており、25歳の監督のインディーズ映画としてはアマチュア映画フェスティヴァルの優勝作でもおかしくない。誰もが連想すると思うが舞台背景やシチュエーション他いろいろな点で『地獄の黙示録』に似ている。そうした面でもこの後大きな成長が期待される長編劇映画第1作にふさわしい風格が認められる。

『非情の罠』Killer's Kiss (米ユナイテッド・アーティスツ'55)*67min, B/W, Standard

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・『現金に体を張れ』(1957年12月20日日本公開)、『突撃』(1958年2月19日日本公開)に次いで1960年9月27日に日本公開された作品。ただし長編映画輸入本数規制によって24分短縮した43分の短編映画扱いで2本~3本立ての併映用に変則的な上映がされたので、上映規模や期間、興行収入のデータは残っていない。引退を決めたボクサーがギャングのボス(フランク・シルヴェラ)の暴力から向かいのアパートに住むダンサーを守ったため命を狙われ、人違いでマネージャーを惨殺され、深夜のマネキン倉庫でギャングのボスとの一騎打ちになる。本作と次作『現金に体を張れ』はキューブリックによる末期フィルム・ノワール作品(ジョン・ヒューストン『マルタの鷹』'41~オーソン・ウェルズ『黒い罠』'58がフィルム・ノワール時代と呼ばれる)とされ、戦争映画に続いては犯罪サスペンス映画とはキューブリックもやはりジャンル映画の基本から始めた人だったのが好ましいが、回想から始まるフィルム・ノワールの話法の典型はあまり本作では効果を上げておらず今回もキューブリック自身による撮影が最大の魅力になっており、単調なストーリーと単純なプロットでは前作と大差ない。というかキューブリックの映画は全作品ストーリーは単調、プロットは単純で映画の観せ方にすべてが傾注されている。ヒロインの回想場面もヒロインの自殺した姉役の当時キューブリック夫人のバレエ・シーンを長々と観せるためのシークェンスだし、この映画で印象に残るのは前半の主人公のボクサーの防衛戦のファイトシーン、中盤の回想シーンのバレエ(日本初公開の短縮版ではカットされたらしい)、後半のマネキン倉庫内の死闘とエンディングの駅のプラットフォームに集約されるのではないか。67分の映画にこれだけ見所があるのならまだまだ完成度には難があっても観て損はない。自主製作映画ながらメジャーのユナイテッド・アーティスツによって全米・世界配給されたのも1955年にあっては稀なことで、興行収入は製作費に追いつかず赤字作品になったとはいえ次作でハリウッド進出する布石になった。そこでようやく次作がキューブリックの本格的デビュー作にして出世作となる。助監督どころか映画会社スタッフ経験すらない20代のインディーズ映画監督としては異例の大抜擢だったともいえる。

●6月21日(水)
『現金に体を張れ』The Killing (米ユナイテッド・アーティスツ'56)*85min, B/W, Standard

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・自主制作だった前2作を認められて初の映画会社資本製作によるハリウッド映画の監督になった出世作。またキューブリック作品初の日本公開作品になり(1957年12月20日公開)、ロードショー上映日数16日(地方上映は含まず)、観客動員数38,000人、興行収入513万円の当時としてはヒットを記録。コピーは「獲物は競馬場の売上金200万ドル!決行は10万ドルハンディの第7レース!『真昼の暴動』に次いで映配が放つ異色のギャング傑作篇!」で、邦題はジャック・ベッケル(仏)のジャン・ギャバン主演ギャング映画のヒット作『現金に手を出すな』'54(日本公開1955年3月6日・配給=映配)にあやかったものと思われる。前科者の主人公(スターリング・ヘイドン)が4人の共犯者(実業家のパトロン、馬券売り場係員、競馬場バーテンダー、汚職警官)と2人の助っ人(レスラー、スナイパー)とともに大レース当日を狙った現金強奪計画に手を染める話で、原作はゴダールの『気狂いピエロ』'65と同じ犯罪サスペンス小説家ライオネル・ホワイトの作品だけあって前2作より格段に凝ったシナリオになっている。スターリング・ヘイドンが前科者を演じるギャング映画といえばジャン=ピエール・メルヴィルも「世界最高の映画」と絶賛したヒューストンの『アスファルト・ジャングル』'50があり、さすがに老練なヒューストンと較べると線は細いが「その30分前」「その2時間前」「その1時間前」と共犯者各自の個別の行動を分析的に時間を遡航して追っていく凝った話法がこの作品では成功しており、視点の移動を時間軸をずらした多元描写に置き換えたことでフィルム・ノワール系作品全体でも際立って複雑な印象を受ける作品になっている。平坦な話法なら例によってストーリーは単調、プロットは単純なままになってしまうところをパズルのように解体して映画に組み立ててみせた成功作で、一躍出世作となり次作では大スターのカーク・ダグラス主演作に抜擢されたのもうなずける。ヘイドン始め共犯者たちのキャスティングは面構えからして良い俳優が揃い、惜しまれるのはハリウッドの映画組合規定では部門別のスタッフ採用が義務づけられているため監督のキューブリックがカメラマンを兼務するのは組合規定によって許されず、映画会社指定のカメラマンを採用しなければならなかった。たっぷりとした長回しのカットが多かった前2作とは一転して本作では短いカット割りによるコンテが基調になったのも、キューブリック自身による撮影から専任カメラマンによる撮影という条件が加わった結果、今回はカメラマンのセンスの比重の高い長回しが見送られたのではないか(長回しはキューブリックの監督権の強まった『ロリータ』以降復活し、晩年までキューブリック作品では特徴的な長回しがハイライトになる)。肉厚な味わいではかなわないが、作品全体の寒々しさ、ラストの虚無感は『アスファルト・ジャングル』より勝るかも。本作でまたひとつ代表作が増えたスターリング・ヘイドンがのちに『博士の異常な愛情』で映画史上最悪の悪役にキャスティングされるとはこの時点では(キューブリック本人ですら)誰も予測できなかった。ともあれ本作はキューブリック最初の傑作と記憶される作品だが、後期のキューブリック作品につながる要素は自主製作の初期2作の方が濃い。完成度では申しぶんない分『現金に体を張れ』はこの1作で完結しすぎているようにも思える。

また麻婆豆腐、または麻婆丼の話の続き

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 また麻婆丼、この前はいつだったか記憶にないが少なくとも年2回くらいは載せているような気がする。年2回とまではいかないかもしれないが3年に2回くらいは載せているのではないか。麻婆丼を食べる頻度からすれば少ないのは確かで、特に好物というのではないが挽き肉と薬味いりの凝縮スープととろみ粉入りセットの「麻婆豆腐の素」が手軽で簡単、かつ経済的なので年に数回は食べる。充填豆腐が豆腐では一番安いがあれは絹ごしというよりプリンみたいなもので崩れやすいので、切り出しの木綿豆腐に限る。豆腐の値段はピンキリで3丁100円から1丁600円くらいのものまであるが、切り出しの場合の底値は1丁350gのものでほぼ50円といったところ。麻婆豆腐にするならこれで十分というか、どうせ市販の素を使って作るのだから高価だったり手間がかかりすぎたりしては本末転倒だろう。料理となると二言目には「本格的には」と言うタイプの人がいるがもし本格的というなら大豆の栽培や豚の飼育とまではいかずとも、自家製豆腐作りや自家製挽き肉入りスープ作りから始めなければ「本格的な」麻婆豆腐ではない、というならそんな面倒なものは作らない。そもそもたかだか独身男の一人飯がそこまで凝ってどうするというのだ。

 市販の「麻婆豆腐の素」で一番多く出回っていて、つまりスーパーの特売にもよく出るものは3人前・2回分のセットで、これはまあ現代日本の核家族化に対応したパッケージなのだろう。4人家族未満か以上か、食べ盛りの年齢の家族を含むかで1回分で済ますか2回分一度に調理するかを調整すれば良い。問題なのは一人暮らしの独身者の場合で、1回分を調理すると標準量なら3食分、大盛りで食べても2食分といったところで、一度に3人前を食べるのは飽きる。だが3食に分けて食べるのも飽きがくるので、1回分作ってしまうとこれを一人で食べ切るまでは心置きなく成仏もできんのか、と遠い目になってくる。しかし1回作れば先3食は鍋の中にあるのはデメリットよりメリットの方が大きいので、夏場は土鍋ごと冷蔵庫に入れて置かねばならないが、明日か明後日まで思いついた時にすぐ食べられるのは実にありがたい。

 そうした次第で比較的麻婆豆腐は食べている方だと思うのだが(カレーやシチューは手間と食材費を量ると出来合いのレトルト食品の方が安くつく。自家製の方がずっと具沢山で美味しいから残念なのだが、常温で日持ちするには冬場に限られるし、鍋一つ塞がってしまうのが不便でもある)、いったい1年に何食麻婆豆腐を食べているのか、とふと疑問に思わないでもない。たぶん餃子と焼売なら年100食ずつは食べている。あ、もちろん出来合いのだが。これも手間と食材費を思えば手作りはあまり見合わない。餃子と焼売については心底好物だと言えるので特売品が出ていれば数食分は買い、冷凍庫に余裕があれば非常食用に多めに買って冷蔵もしておく。実に便利でありがたいのだが、さて麻婆豆腐となると格別好物というわけではなく、豆腐は冷や奴か揚げ豆腐をソテーしたのが好きで、特に揚げ豆腐を焼いて削り節とおろし生姜を添えて酢醤油でいただくと実にご飯が進む。冷や奴だとご飯のおかずという感じではない。冷や奴は絹ごしでも木綿でもいいが、揚げ豆腐でもなければ麻婆豆腐にするのが麻婆丼にできて食事にするには向いている、と消極的な理由で麻婆豆腐にしているにすぎないとも言える。冬場だと薄切り牛肉と一緒に牛丼+豆腐ですき煮丼、これはご飯ではなくうどんでもいいが、やはり冬場のものだろう。とにかく麻婆豆腐は食べたくて麻婆豆腐を食べているというより、週末にでも一食ずつの調理は面倒だからとりあえず作っとくか、と適当に食事を済ませるつもりの時のメニューなのは否めない。いちいち考えていないので覚えていないくらいだ。前回はいったいいつ麻婆丼を作って食べたか。

 たぶん春先くらいだったようにも思えるし、1か月以内でないのは確かなような気がする。麻婆豆腐と麻婆豆腐の間には少なくとも1か月の合間がないと麻婆豆腐でも食べるかな、という気が起こらないと思われる。それより多い頻度で麻婆豆腐を食べている人はよほど麻婆豆腐が好きなのだろうと思えるし、世の中には牛丼が主食という主に男性も都市部には多いだろう。週に5日は牛丼を食べても飽きない人がいるなら週に5日は麻婆豆腐を食べる人がいてもおかしくないか思うと、やはり麻婆豆腐では無理がないか。これをラーメンでもカレーでもハンバーガーでも何でもいいが週5日いけるかと言えば、想像がつかないわけではない。しかし麻婆豆腐チェーン店というのが現に存在しない以上、麻婆豆腐がそれだけ頻繁に食べられているメニューではないということにはなるだろう。結局麻婆豆腐とはどのくらいの頻度で食べるのが適正か正直言ってよくわからないと結論するしかなさそうで、例えば社員食堂で麻婆系統の料理しか出さない企業で業務成績がどれほど左右されるか、そこまで無茶でなくてもキムチ鍋牛丼しか出さない牛丼チェーンで売り上げの消長がどうなるかのような実験でも行われれば人はどこまで麻婆豆腐のみで生きられるか(または人は麻婆豆腐のみで生きるにあらずか)が明らかになるかもしれない。いやすでに、国民一人当りの麻婆豆腐の消費量など算定されているとは思うが、自分がその平均値とはどれほど近いか離れているかは普段あまり考えていもしなかった。となれば人生は野菜スープ(ミネストローネ)ではなく、むしろ麻婆豆腐と言い換えるべきなのだろうか。

現代詩の起源(13); 北村透谷の晩年詩群(vi)

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北村透谷(門太郎)・明治元年(1868年)12月29日生~明治27年(1894年)5月16日逝去(縊死自殺、享年25歳)。明治26年=1893年夏(24歳)、前年6月生の長女・英子と。

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 前回までで北村透谷の生前詩集未収録詩編全21編はひと通りご紹介を終えました。うち明治24年=1891年までの初期5編は草稿、明治25年に始まる本格的な短詩発表は明治25年に5編、明治26年に10編(うち3編は沒後発表、そのうち2編は同年発表詩の初稿型)、明治27年には1編のみ、しかも着手の時期は早くて明治25年秋もしくは明治26年秋とも推定可能ですが、晩年まで筐底に秘められていた短詩中では最長の「みゝずのうた」が沒後の翌月に発表されます。これらが最初に単行本にまとめられたのは同人誌「文學界」の弟分・島崎藤村の編纂による遺稿集『透谷集』(明治27年=1894年10月刊)でしたが、『透谷集』には1編の短編小説、1編の戯曲草案、46編の批評とエッセイ、9編の短詩が収録されていました。これは透谷の全文業(とはいえ明治22年=1889年~明治27年=1894年までの正味4年間)の1/4程度で、5月に透谷が自殺死してから半年も経っておらず、透谷の遺族への印税収入への配慮のための緊急出版だったと思われます。収録詩編は順に「ゆきだをれ」「ほたる」「蝶のゆくへ」「雙蝶のわかれ」「眠れる蝶」「露のいのち」「髑髏舞」「彈琴」「みゝずのうた」の9編で、創作順でもなければ生前発表作と沒後発表作、初稿と決定稿が入り混じっており、もちろん生前詩集未収録詩編21編を網羅してもいません。
 明治35年(1902年)10月・博文館刊の1巻本『透谷全集』では単行詩集として明治24年に刊行されていた『蓬莱曲』と、日記「透谷漫録摘集」に初期の草稿詩5編と著者控え本の『楚囚之詩』(明治22年4月・刊行中止)が加わり、エッセイ・批評も大幅に増補されましたが晩年明治25年~明治27年の詩群は『透谷集』と同じ9編のままでした。全集と名銘ちながら「ゆきだをれ」は明治25年作品、「ほたる」は明治26年上半期作品、「蝶のゆくへ」「雙蝶のわかれ」「眠れる蝶」「露のいのち」は明治26年下半期作品、「髑髏舞」は沒後発表で明治26年上半期作品と推定されるもの、「彈琴」は明治26年上半期作品「彈琴と嬰児」の初稿型、「みゝずのうた」は前述の通りで、「彈琴」は生前発表の決定稿「彈琴と嬰児」ではなく初稿が採られているのに「ほたる」は沒後発表の初稿型「螢」ではなく生前発表の決定稿が採られている、など同時代人の編集こその恣意性が見られ、何より既発表詩編すら全てが網羅されていないのが問題です。ですが戦後の昭和25年刊『透谷全集』第1巻(岩波書店刊)まで透谷の晩年詩といえば戦前版全集の9編を指し、それらは初出誌の記載や詞書(前書き)を割愛して収録されていました。透谷晩年詩のご紹介の最後に戦前版『透谷全集』の通りの9編を並べてみるのもあながち無駄ではないでしょう。

透谷全集/1902.10.9、博文館
ゆきだをれ ……………………… 388
ほたる ……………………… 395
蝶のゆくへ ……………………… 396
雙蝶のわかれ ……………………… 397
眠れる蝶 ……………………… 400
露のいのち ……………………… 403
髑髏舞 ……………………… 404
彈琴 ……………………… 410
みみずのうた …………………… 412

島崎藤村編『透谷集』明治27年(1894年)10月・文學界雑誌社

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島崎藤村編『透谷全集』大正11年(1922年)3月・春陽堂刊

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小田切秀雄編『明治文学全集29 北村透谷集』昭和51年(1976年)10月・筑摩書房刊

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 ゆ き だ ふ れ

○瘠せにやせたるそのすがた、
 枯れにかれたるそのかたち、
   何を病みてかさはかれし、
   何をなやみて左はやせし。
○みにくさよ、あはれそのすがた、
 いたましや、あはれそのかたち、
   いづくの誰れぞ何人ぞ。
   里はいづくぞ、どのはてぞ。
○親はあらずや子もあらずや、
 妻もあらずや妹もあらずや、
   あはれこの人もの言はず、
   ものを言はぬは唖ならむ。
○唖にもあらぬ舌あらば、
 いかにたびゞとかたらずや。
   いづくの里を迷ひ出でて、
   いづくの里に行くものぞ。
   ~~~~~~~~~~~
○いづこよりいづこへ迷ふと、
 たづぬる人のあはれさよ。
   家ありと思ひ里ありと、
   定むる人のおろかさよ。
○迷はぬわれを迷ふとは。
 迷へる人のあさましさ。
   親も児も妻も妹とも持たざれは、
   闇のうきよにちなみもあらず。
○みにくしと笑ひたまへど、
 いたましとあはれみたまへど、
   われは形のあるじにて、
   形はわれのまらうどなれ。
○かりのこの世のかりものと、
 かたちもすがたも捨てぬとは、
   知らずやあはれ、浮世人(うきよびと)、
   なさけあらばそこを立去りね。
   ~~~~~~~~~~~
○こはめづらしきものごひよ、
 唖にはあらで、ものしりの、
   乞食のすがたして来たりけり。
   いな乞食の物知顔ぞあはれなる。
○誰れかれと言ひあはしつ、
 物をもたらし、つどひしに、
   物は乞はずに立去れと、
   言ふ顔にくしものしりこじき。
○里もなく家もなき身にありながら、
 里もあり家もある身をのゝしるは、
   をこなる心のしれものぞ、
   乞食のものしりあはれなり。
○世にも人にもすてられはてし、
   恥らふべき身を知るや知らずや、
   浮世人とそしらるゝわれらは、
   汝が友ならず、いざ行かなむ。
   ~~~~~~~~~~~
○里の児等のさてもうるさや、
 よしなきことにあたら一夜の、
   月のこゝろに背きけり、
   うち見る空のうつくしさよ。
○いざ立ちあがり、かなたなる、
 小山の上の草原に、
   こよひの宿をかりむしろ、
   たのしく月と眠らなむ。
○立たんとすれば、あしはなえたり、
 いかにすべけむ、ふしはゆるめり、
   そこを流るゝ清水しみづさへ、
   今はこの身のものならず。
○かの山までと思ひしも、
 またあやまれる願ひなり。
   西へ西へと行く月も、
   山の端はちかくなりにけり。
   ~~~~~~~~~~~
○むかしの夢に往来せし、
 栄華の里のまぼろしに、
   このすがたかたちを写しなば、
   このわれもさぞ哄笑ひつらむ。
○いまの心の鏡のうちに、
 むかしの栄華のうつるとき、
   そのすがたかたちのみにくきを、
   われは笑ひてあはれむなり。
○むかしを拙なしと言ふも晩おそし、
 今をおこぞと言ふもむやくし。
   夢も鏡も天も地も、
   いまのわが身をいかにせむ。
○物乞ふこともうみはてゝ、
 食たうべず過ぎしは月あまり、
   何事もたゞ忘るゝをたのしみに、
   草枕ふたゝび覚めぬ眠に入らなむ。


 ほ た る

ゆふべの暉(ひかり)をさまりて、
  まづ暮れかゝる草陰に、
わづかに影を点せども、
  なほ身を恥づるけしきあり。

羽虫を逐ふて細川の、
  棧瀬をはしる若鮎が、
静まる頃やほたる火は、
  低く水辺をわたり行く。

腐草(ふさう)に生をうくる身の、
  かなしや月に照らされて、
もとの草にもかへらずに、
  たちまち空に消えにけり。


 蝶 の ゆ く へ

舞ふてゆくへを問ひたまふ、
  心のほどぞうれしけれ、
秋の野面をそこはかと、
  尋ねて迷ふ蝶が身を。

行くもかへるも同じ関、
  越え来し方に越えて行く。
花の野山に舞ひし身は、
  花なき野辺も元の宿。

前もなければ後もまた、
 「運命」(かみ)の外には「我」もなし。
ひら/\/\と舞ひ行くは、
  夢とまことの中間(なかば)なり。


 雙 蝶 の わ か れ

ひとつの枝に双つの蝶、
羽を収めてやすらへり。

露の重荷に下垂るゝ、
  草は思ひに沈むめり。
秋の無情に身を責むる、
  花は愁ひに色褪めぬ。

言はず語らぬ蝶ふたつ、
齊しく起ちて舞ひ行けり。

うしろを見れば野は寂し、
  前に向へば風冷し。
過ぎにし春は夢なれど、
  迷ひ行衛は何処ぞや。

同じ恨みの蝶ふたつ、
重げに見ゆる四(よつ)の翼(はね)。

双び飛びてもひえわたる、
  秋のつるぎの怖ろしや。
雄(を)も雌(め)も共にたゆたひて、
  もと来し方へ悄れ行く。

もとの一枝(ひとえ)をまたの宿、
暫しと憩うふ蝶ふたつ。

夕告げわたる鐘の音に、
  おどろきて立つ蝶ふたつ。
こたびは別れて西ひがし、
  振りかへりつゝ去りにけり。


 眠 れ る 蝶

けさ立ちそめし秋風に、
  「自然」のいろはかはりけり。
高梢(たかえ)に蝉の声細く、
茂草(しげみ)に虫の歌悲し。
林には、
  鵯(ひよ)のこゑさへうらがれて、
野面には、
  千草の花もうれひあり。
あはれ、あはれ、蝶一羽、
  破れし花に眠れるよ。

早やも来ぬ、早やも来ぬ秋、
  万物(ものみな)秋となりにけり。
蟻はおどろきて穴索(もと)め、
蛇はうなづきて洞に入る。
田つくりは、
  あしたの星に稻を刈り、
山樵(やまがつ)は、
  月に嘯むきて冬に備ふ。
蝶よ、いましのみ、蝶よ、
  破れし花に眠るはいかに。

破れし花も宿仮れば、
  運命(かみ)のそなへし床なるを。
春のはじめに迷ひ出で、
秋の今日まで酔ひ酔ひて、
あしたには、
  千よろづの花の露に厭き、
ゆふべには、
  夢なき夢の数を経ぬ。
只だ此のまゝに『寂』として、
  花もろともに滅(き)えばやな。


 露 の い の ち

   待ちやれ待ちやれ、その手は元へも
 どしやんせ。無残な事をなされゐ。その
 手の指の先にても、これこの露にさはる
 なら、たちまち零ちて消えますぞへ。

   吹けば散る、散るこそ花の生命とは
 悟つたやうな人の言ひごと。この露は何
 とせう。咲きもせず散りもせず。ゆふべ
 むすんでけさは消る。

   草の葉末に唯だひとよ。かりのふし
 どをたのみても。さて美い夢一つ、見る
 でもなし。野ざらしの風颯々と。吹きわ
 たるなかに何がたのしくて。

   結びし前はいかなりし。消えての後
 はいかならむ。ゆふべとけさのこの間も。
 うれひの種となりしかや。待ちやれと言
 つたはあやまち。とく/\消してたまは
 れや。


 髑 髏 舞

うたゝねのかりのふしどにうまひして
    としつき経ぬる暗の中。
枕辺に立ちける石の重さをも
    物の数とも思はじな。
月なきもまた花なきも何かあらん、
    この墓中(おくつき)の安らかさ。
たもとには落つるしづくを払ねば、
    この身も溶くるしづくなり。
朽つる身ぞこのまゝにこそあるべけれ、
    ちなみきれたる浮世の塵。

めづらしや今宵は松の琴きこゆ、
    遠(をち)の水音も面白し。
深々と更けわたりたる真夜中に、
    鴉の鳴くはいぶかしや。
何にもあれわが故郷の光景(ありさま)を
    訪はゞいかにと心うごく。
ほられたる穴の浅きは幸なれや。
    墓にすゑたる石軽み。
いでや見むいかにかはれる世の態を、
    小笹踏分け歩みてむ。
世の中は秋の紅葉か花の春、
    いづれを問はぬ夢のうち。

暗なれや暗なれや実に春秋も
    あやめもわかぬ暗の世かな。
月もなく星も名残の空の間(ま)に、
    雲のうごくもめづらしや。
天(あめ)を衝く立樹にすがるつたかつら、
    うらみあり気に垂れさがり。
繁り生ふ蓬はかたみにからみあひ、
    毒のをろちを住ますらめ。
思ひ出るこゝぞむかしの藪なりし、
    いとまもつげでこのわが身。
あへなくも落つる樹の葉の連となり
    死出の旅路をいそぎける。

すさまじや雲を蹴て飛ぶいなづまの
    空に鬼神やつどふらむ。
寄せ来るひゞき怖ろし鳴雷(なるかみ)の
    何を怒りて騒ぐらむ。
鳴雷は髑髏厭ふて哮(たけ)るかや、
    どくろとてあざけり玉ひそよ。
昔はと語るもをしきことながら、
    今の髑髏もひとたびは。
百千(もゝち)の男なやませし今小町とは
    うたはれし身の果ぞとよ。
忘らるゝ身よりも忘るゝ人心、
    きのふの友はあらずかや。

人あらば近う寄れかし来れかし、
    むかしを忍ぶ人あらば。
天地に盈みつてふ精も近よれよ、
    見せむひとさし舞ふて見せむ。
舞ふよ髑髏めづらしや髑髏の舞、
    忘れはすまじ花小町。
高く跳ね軽く躍れば面影の、
    霓裳羽衣を舞ひをさめ。
かれし咽うるほはさんと渓の面(おも)、
    うつるすがたのあさましや。
はら/\と落つるは葉末の露ならで、
    花の髑髏のひとしづく。

うらめしや見る人なきもことはりぞ、
    昨日にかはれる今日の舞。
纏頭(てんとう)の山を成しける夢の跡、
    覚めて恥かし露の前。
この身のみ秋にはあらぬ野の末の
    いづれの花か散らざらむ。
うたてやなうきたる節の呉竹に、
    迷はせし世はわが迷ひ。
忘らるゝ身も何か恨みむ悟りては、
    雲の行来に気もいそぐ。
暫し待てやよ秋風よ肉なき身ぞ、
    月の出ぬ間まにいざ帰らむ。


 彈 琴

悲しとも楽しとも、
浮世を知らぬみとりこの、
いかなればこそ琵琶の手の、
うごくかたをば見凝るらむ。
何を笑むなる、みとりこは、
  琵琶弾く人をみまもりて。
何をか囁くみとりこは、
  琵琶の音色を聞き澄みて。
浮世を知らぬものさへも、
  浮世の外の声を聞く。
こゝに音づれ来し声を、
  いづこよりとは問ひもせで。
破れし窓に月滿ちて、
  埋火かすかになりゆけり、
こよひ一夜(ひとよ)はみどりごに、
  琵琶のまことを語りあかさむ。


 み ゝ ず の う た

わらじのひものゆるくなりぬ、
まだあさまだき日も高からかに、
ゆふべの夢のまださめやらで、
いそがしきかな吾が心、さても雲水の
身には恥かし夢の跡。

つぶやきながら結び果てゝ立上り、
歩むとすれば、いぶかしきかな、
われを留むる、今を盛りの草の花、
わが魂は先づ打ち入りて、物こそ忘れめ、
この花だにあらばうちもえ死なむ。

そこはふは誰ぞ、わが花の下を、
答へはあらず、はひまはる、
わが花盗む心なりや、おのれくせもの、
思はずこぶしを打ち挙げて
うたんとすれば、「やよしばし。

「おのれは地下に棲みなれて
花のあぢ知るものならず、-
今朝わが家を立出でゝより、
あさひのあつさに照らされて、
今唯だ帰らん家を求むるのみ。

「おのれは生れながらにめしひたり、
いづこをば家と定むるよしもなし。
朝出る家は夕べかへる家ならず、
花の下にもいばらの下にも
わが身はえらまず宿るなり。

「おのれは生れながらに鼻あらず、
人のむさしといふところをおのれは知らず、
人のちりあくた捨つるところに
われは極楽の露を吸ふ、
こゝより楽しきところあらず。

「きのふあるを知らず
あすあるをあげつらはず、
夜こそ物は楽しけれ、
草の根に宿借りて
歌とは知らず歌うたふ。」

やよやよみゝず説くことを止めて
おのがほとりに仇あるを見よ、-
知恵者のほまれ世に高き
蟻こそ来たれ、近づきけれ、
心せよ、いましが家にいそぎ行きね。

「君よわが身は仇を見ず、
さはいへあつさの堪へがたきに、
いざかへんなん、わが家に、
そこには仇も來らまじ、安らかに、
またひとねむり貪らん。」

そのこといまだ終らぬに、
かしこき仇は早や背に上れり、
こゝを先途と飛び躍る、
いきほひ猛し、あな見事、
仇は土にぞうちつけらる。

あな笑止や小兵者、
今は心も強しいざまからむ、-
うちまはる花の下、
惜しやいづこも土かたし、
入るべき穴のなきをいかん。

またもや仇の来らぬうちと
心せくさましをらしや、-
かなたに迷ひ、こなたに惑ひ、
ゆきてはかへり、かへりては行く、
まだ帰るべき宿はなし。

やがて痍(いたみ)もおちつきし
敵はふたゝびまとひつ、-
こゝぞと身を振り跳ねをどれば、
もろくも再びはね落され、
こなたを向きて後退(あとじ)さる。

二つ三つ四ついつしかに、敵の数の、
やうやく多くなりけらし、
こなたは未だ家あらず、
敵の陣は落ちなく布きて
こたびこそはと勇むつはもの。

疲れやしけむ立留まり、
こゝをいづこと打ち案ず、-
いまを機会(しほ)ぞ、かゝれと敵は
むらがり寄るを、あはれ悟らず、
たちまち背には二つ三つ。

振り払ひて行かんとすれば、-
またも寄せ來る新手のつはもの、-
踏み止りて戦はんとすれば
寄手は雲霞のごとくに集りて、
幾度跳ねても払ひつくせず。

あさひの高くなるまゝに、
つちのかわきはいやまして、
のどをうるほす露あらず、
悲しやはらばふ身にしあれば
あつさこよなう堪へがたし。

受けゝる手きずのいたみも
たゝかふごとになやみを増しぬ。
今は払ふに由もなし、
為すまゝにせよ、させて見む、
小兵奴らわが背にむらがり登れかし。

得たりと敵は馳せ登り、
たちまちに背を蓋ふほど、-
くるしや許せと叫ぶとすれど、
声なき身をばいかにせむ、
せむ術なくてたふれしまゝ。

おどろきあきれて手を差し伸れば
パツと散り行く百千の蟻、-
はや事果しかあはれなる、
先に聞し物語に心奪はれて、
救ひ得させず死なしけり。

ねむごろに土かきあげ、
塵にかへれとはうむりぬ。
うらむなよ、凡そ生とし生けるもの
いづれ塵にかへらざらん、
高きも卑きもこれを免のがれじ。

起き上ればこのかなしさを見ぬ振に、
前にも増せる花の色香、-
汝(いまし)もいつしか散りざらむ、
散るときに思ひ合せよこの世には
いづれ絶えせぬ命ならめや。


*仮名づかいは原文のまま、詩の表題と発表誌は正字を残し、本文は略字体に改めました。「みゝずのうた」の特殊句読点(白ゴマ点/白抜き句点)は「、-」に置き換えました。

2017年深夜春アニメ(4~6月)ほぼ全作品総評

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 春アニメ(4~6月)も2期に渡るもの以外はすべて終了したので恒例の一言感想文をまとめてお送りいたします。先の冬アニメ(1~3月)は全体的に冴えない作品が多く、一部のまずまずの作品も不作の中に埋もれてしまった観がありました。較べるとスタート時には春アニメはだいぶ持ち直した印象がありましたが、シーズンも終わってみると後々まで記憶に残る作品はそれほどなかったな、と不作とは言わずとも豊作とはとても言えない水準だったような気がします。一応今回も★評価をつけましたが(採点対象とならない種の番組は●)楽しみは人それぞれですのであくまで目安程度にご覧ください。

[ 日 曜 日 ]

★★有頂天家族2/22:00~22:30/TOKYO-MX 1
・『夏目友人帳』と同系統のもののけ物ファンタジー。あってもなくてもいい作品の典型。

★★★★アリスと蔵六/22:30~23:00/TOKYO-MX 1

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・春アニメでは良かった部類の超能力少女のほのぼのファンタジー。1期にしては構成が半端で、2期で展開してくれればなお良かった。

★★★☆ID - 0/23:00~23:30/TOKYO-MX 1
・『蒼き鋼のアルペジオ』『ブブキ・ブランキ』のフルCGサンジゲン作品。オリジナルの力作だが絵柄が独特な上、今回やや取っつき辛い内容のSF設定でややしんどい。

★★★★☆リトルウィッチアカデミア/00:00~00:30/TOKYO-MX 1

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・2期完結したDASH製作作品で劇場版短編、長編からテレビシリーズ化され成功した、丁寧な作りの名作。満点とするには地味だが、この内容は深夜アニメよりも健全な子供番組に放映向きで、童心に還って観るような作品。

★★☆つぐもも/00:30~01:00/TOKYO-MX 1

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・よくある『うる星やつら』タイプの一種の押しかけ女神コメディ作品でそれなりに楽しく観られて後には何も残らない。

●僧侶と交わる色欲の夜に…/01:00~01:05/TOKYO-MX 1
・5分枠セクシーアニメ。

●銀魂/01:35~02:05/テレビ東京1
・今回は新作と「よりぬき銀魂」取り混ぜて。面白いのは言うまでもないので以下略。


[ 月 曜 日 ]

★★☆笑ゥせぇるすまんNEW/23:00~23:30/TOKYO-MX 1
・以前のテレビシリーズとほとんど変わらず、良い意味普通のリメイクと言った感じ。

★☆スタミュ(第2期)/00:00~00:30/TOKYO-MX 1
・固定ファン向け、『うたのプリンスさま』等の同類作と同様。

★★★★ゼロから始まる魔法の書/00:30~01:00/TOKYO-MX 1

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・よくある異世界冒険魔法ファンタジーだが設定、ストーリー、キャラクターともこなれており毎回次回が楽しみな好作になった。この手の作品はこのくらいが水準でなければ。

●ナースウィッチ小麦ちゃんR/01:00 ~ 01:30/tvk-TV
・全国ネット作品からの地方局初放送。魔法少女もののパロディ作。

★★フレームアームズ・ガール/01:05~01:35/TOKYO-MX 1
画像
・AI搭載フィギュア少女たちのバトルごっこアニメ、という他愛ない作品でゆるい雰囲気。こういうのは★★で満点みたいなようなもの。

★☆弱虫ペダル NEW GENERATION/01:35~2:05/テレビ東京
・ヒット作だが深夜に観たい内容ではない。

●おそ松さん[再]/2:05~2:35/テレビ東京
・つい去年の放映作品だが何度観ても面白い。★をつければ満点で、未見の方はぜひ。


[ 火 曜 日 ]

●アニメの神様『ドラゴンボールZ』/22:00~22:29/TOKYO-MX 1
・まだやってます。

●アニメの神様『機動戦士ガンダムSEED - HDリマスター版 -』/22:29~23:00/TOKYO-MX 1
・こんなに長期シリーズだったっけ?

★★★★覆面系ノイズ/23:00~23:30/TOKYO-MX 1

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・『花とゆめ』連載作原作、春アニメ中では面白かった方で、これは第2期もあるのでは。1期きりだとちょっとあっけない。

★★☆ロクでなし魔術講師と禁忌教典/00:30~01:00/TOKYO-MX 1
・女子校にふらりと男性教師、というよくある設定の作品。そういう作品としてごく標準。

★★夏目友人帳 陸/01:35~02:05/テレビ東京1
・好みで言えばまったく面白くないがファンのついている作品なのもわかる。

★★★王室教師ハイネ/02:05~02:35/テレビ東京1

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・案外普通に面白く最後まで観られた家庭教師もの。特にお薦めはしないが悪くない。


[ 水 曜 日 ]

●喧嘩番町乙女/22:30~22:40/TOKYO-MX 1
・面白くも詰まらなくもない10分枠アニメ。

●Room Mate/22:40~22:45/TOKYO-MX 1
・イケメンの部屋にようこその5分枠アニメ。

●まけるな!!あくのぐんだん!/22:45~22:50/TOKYO-MX 1
・間抜けな侵略者ギャグの5分枠アニメ。

●ラブ米/22:50~22:55/TOKYO-MX 1
・ブランド米の擬人化5分枠アニメ。

★★★★サクラダリセット/23:30~00:00/TOKYO-MX 1

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・超能力ミステリーもので第2期は夏アニメに続く。内容は悪くないがED曲がひどい。

★★★★☆サクラクエスト/00:00~00:30/TOKYO-MX 1

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・P.A.Worksの『花咲くいろは』『SHIROBAKO』に続くシリーズ。題材に危惧はあったが好調。このまま2期が夏アニメに続くのも嬉しい。

●魔法科高校の劣等生[再]/00:30~01:00/TOKYO-MX 1
・劇場版公開に伴う再放送。第2期分は第1期より単調でいまひとつだったかな。

★★☆終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?/01:05~01:35/TOKYO-MX 1

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・女子校にふらりと男性教師、というよくある設定の変型。そういう作品としてごく標準。

★★★☆武装少女マキャヴェリズム/01:35~02:05/TOKYO-MX 1
・女子校にふらりと男子転校生、というよくある設定。そういう作品としてなかなか面白い。


[ 木 曜 日 ]

●ちょびっとづかん/21:55~22:00/TOKYO-MX 1
・いつまで続くのかなこれ。

●ノーゲーム・ノーライフ[再]/22:00~22:30/TOKYO-MX 1
・ゲーム化に伴う再放送らしい。ヒット作相応に面白かったが内容はよくあるゲームもの。

●アニ☆ステ/22:30~23:00/TOKYO-MX 1
・アニソン情報番組。

●月刊ブシロードTV with BanG Dream!/23:00~23:30/TOKYO-MX 1
・これもアニソン情報番組だが『BanG Dream!』の番宣番組と化している。

●BanG Dream![再]/23:30~00:00/TOKYO-MX 1
・実は他にも週3回再放送枠がある。何だか無理矢理売ろうとしている感じがする。

★★★月がきれい/00:00~00:30/TOKYO-MX 1
・まるで<ノイタミナ>枠作品のような臭い純情恋愛(中学生)もの。

★★★★★<ノイタミナ>冴えない彼女の育てかた♭/00:55~01:25/フジテレビ

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・さすがウケる内容をきっちり押さえた青春ラブコメ作品。これは第3期もあるんだろうな。

★☆クロックワーク・プラネット/01:58~02:28/TBS-TV
・この枠はコメディか青春ものが定位置だが今回はSF。この時間帯はもっと軽いのを観たい。

★☆カブキブ!/02:28~02:58/TBS-TV
・高校歌舞伎部という題材は悪くないがそう面白いものでもない。

★★★☆恋愛暴君/02:35~03:05/テレビ東京

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・これも一種の『うる星やつら』だがギャグに徹してけっこう楽しめた。


[ 金 曜 日 ]

●兄に付ける薬はない! - 快把我哥帯走 - /21:55~22:00/TOKYO-MX 1
・中国アニメのショートギャグだがなかなか面白く★★☆くらいは進呈できる。

★★ツインエンジェルBREAK/22:00~22:30/TOKYO-MX 1

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・ごく標準的な魔法少女もので他愛なく観るにはまずまずの作品。

★★★★正解するカド/22:30~23:00/TOKYO-MX 1
・高次元知性体と人類との接触もの、と観せておいて結構意外な展開に感心するが、よく考えると案外ありふれた前例があるのに気づく。ただしこれはこれで面白く観て損はない。

●終物語(再)/00:00~00:30/TOKYO-MX 1
・劇場版『傷物語』やシリーズの過去作品の再発売に伴うテレビシリーズ最新作の再放送だが、シリーズ自体やや低迷気味な感じがする。

★★☆ソード・オラトリア ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか外伝/00:30 ~ 01:00/TOKYO-MX 1
・正編ほど面白くなくスピンオフ作品にとどまる。悪くはないがあくまでスピンオフ以上でも以下でもない。

●Peeping Life TV シーズン1??/01:00~01:30/tvk-TV
・個人製作アニメの異色シリーズの地方局放映で1話観ると面白いが毎週観ると飽きる。1話なら面白いのだが。

★★☆sin七つの大罪/01:05 ~ 01:35/TOKYO-MX 1

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・七つの大罪を象徴する美女悪魔たちのエロ合戦、と深夜アニメならではの内容。好き者向けだが需要はあるのだろう。

●信長の忍び~伊勢・金ヶ崎篇~/01:35~01:40/TOKYO-MX 1
・5分枠歴史ネタのギャグアニメ。

★★★ひなこのーと/01:40~02:10/TOKYO-MX 1

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・『ご注文はうさぎですか?』辺りのほんわか女子寮アニメ。類似作多数だが、これも需要があるのだろう。

★★神撃のバハムート VIRGIN SOUL【アニメイズム】/02:10~02:40/TBS-TV
・実は観ていて設定もストーリーもキャラもさっぱりわからない。ゲームなり前作なり知らないと門前払いされてしまうが、仕方ない。

★★ベルセルク【アニメイズム】/02:40~03:10/TBS-TV
・『神撃のバハムート』と同じ。原作なり前作なり知らないとまったくわからない。仕方ないので『~バハムート』同様点は甘くする。


[ 土 曜 日 ]

★★<ハオライナーズ>銀の墓守り/TO BE HERO/21:00~21:30/TOKYO-MX 1
・中国アニメシリーズ、今回はバトル作品とギャグ作品の2本立て。普通に違和感なく流して観る程度の出来。

★★★☆進撃の巨人 Season2/22:00~22:30/TOKYO-MX 1
・実はちっとも面白いと思わないが支持層が厚いのもわからないではないくらいには観ていられる。まだ続くんだよなあ。

★★☆BanG Dream!/22:30~23:00/TOKYO-MX 1

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・変則1期だったので春アニメの中盤で完結した。『ラブライブ』バンド版で工夫も何もと頭を抱えるがこんなものか。純粋にアニメのみの企画ではないのだからこれでいいのか。

●LisAni! NAVI/23:00~23:30/TOKYO-MX 1
・アニソン情報番組。

●アニメ アトム ザ・ビギニング/23:00~23:27/NHK総合1・東京
・ごく一部しか観なかった。NHKなので一挙再放送の時に見送る。もっともあまり食指はそそられない題材ではある。

★★★Re:CREATORS/23:30~00:00/TOKYO-MX 1
・各種ラノベやゲーム、コミックスのバトルヒロイン/ヒーローたちが実体化して派閥に分かれ戦う、と込み入っているがどうにでもなる内容。第2期が夏アニメに続く。オリジナル作品だけにまとまりはあってアニメだけではきつい、ということはない。

★☆GRANBLUE FANTASY The Animation/00:00~00:30/TOKYO-MX 1
・ゲームや派生作品を知らないとアニメだけではきつい。初アニメ化ならば一応独立した内容になっていてほしかった。

★★★☆エロマンガ先生/00:30~01:00/TOKYO-MX 1

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・兄は現役高校生ラノベ作家、義妹は引きこもりイラストレーターというまるでリアリティのない設定の楽しいラブコメ。

●上坂すみれのやばい○○/01:00~01:30/TOKYO-MX 1
・声優、上坂すみれのヴァラエティ番組。キングレコード1社提供の思い切り安い作りで、土曜深夜にはこれもありか。

グリフォン Gryphon - レインダンス Raindance (Transatlantic, 1975)

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グリフォン Gryphon - レインダンス Raindance (Transatlantic, 1975) Full Album : https://youtu.be/LbNVCBkt4C8
Recorded at Sawmills Studios, Cornwall during June and July 1975 except "Wallbanger" which was recorded on the Manor Mobile at Brian Goodman's P.S.L. Studios in London during October 1974
Released by Transatlantic Records TRA 302, 1975
Produced by Gryphon
(Side One)
A1. ダウン・ザ・ドッグ Down the Dog (Harvey) - 2:44
A2. レインダンス Raindance (Harvey) - 5:37
A3. マザー・ネイチャーズ・サン Mother Nature's Son (John Lennon, Paul McCartney) - 3:08
A4. ハンカチーフの盗賊 'Le Cambrioleur Est Dans le Mouchoir' (Taylor, Bennett) - 2:14
A5. オルモル Ormolu (Harvey) - 1:00
A6. フォンティネンタル・ヴァージョン Fontinental Version (Taylor) - 5:36
(Side Two)
B1. ウォールバンガー Wallbanger (Harvey) - 3:33
B2. ドント・セイ・ゴー Don't Say Go (Taylor) - 1:48
B3. (ある小さな)英雄の生涯 (Ein Klein) Heldenleben (Harvey) - 16:03
[ Gryphon ]
Brian Gulland - bassoon, backing and lead vocals on A6
Graeme Taylor - guitars, backing vocals
Richard Harvey - grand, electric Rhodes, RMI and Crumar pianos, Minimoog, Copeman Hart organ, Mellotron, Clavinet, keyboard glockenspiel, recorders, krumhorns, penny whistle, clarinet on A4
Malcolm (Bennett) Markovich - bass, flute
David Oberle - drums, lead vocals (A3, A6, B2), percussion

(Original Transatlantic "Raindance" LP Liner Cover & Side One/Side Two Label)

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 グリフォン凋落の第4作はデビューからまだ3年目ですからあまりに全盛期の短いバンドでした。ベーシストは毎回サポート・メンバーが入れ替わっていましたが、このアルバムを最後にオリジナル・メンバーのハーヴェイ/ガランド/テイラー/オバリーのうち重要なギター・パートを担ったグレアム・テイラーは脱退し、レコード会社のトランスアトランティックとの契約も更新されずレーベル移籍を余儀なくされます。オイルショックの余波が原因とも言えますがアルバム4作目となるともう新人バンドではなく、グリフォンの人気はマニア向けに止まったものでしたし、レコード会社はこれ以上ブレイクを望めないバンドよりも新人の売り出しを優先するものです。他ならないグリフォン自身もデビューは変わり種のプログレッシヴ・ロックのグループと話題先行で売り出されたバンドでしたが、第2作『真夜中の饗宴』と第3作『女王失格』の2枚の名作を送り出したもののインストルメンタル曲中心の方向性はセールス面の限界を露わにしてしまった恰好でした。そこでグリフォンはオバリーのヴォーカル曲の比重を増やすことにし、本来このアルバムにはヴォーカル曲がさらに3曲ほど録音されていたそうです。ところがレコード会社側からヴォーカル曲の収録を制限され、結局インストルメンタル曲でヴォーカル曲の収録予定枠の半分を埋めることになりました。
 ヴォーカル曲ではビートルズ、というよりポール・マッカートニーの名曲「Mother Nature's Son」のカヴァーが目を惹きますが、これは元々原曲がトラッド風アコースティック・ソフト・ロックの名曲なのでビートルズのヴァージョンに見劣りしないまでもストレート・カヴァー以上にはなり得ず、バンド自身もヴォーカル曲に意欲を燃やしながら自信はあまりなかったそうで、従来路線のイギリス古楽由来の楽曲もどこか集中力に欠け、工夫と張りにも欠ける印象を受けます。グレアム・テイラーのギターも前3作のアレンジに見られたアイディアと冴えがなく、前2作では光っていたメンバーのオリジナル曲も本作では平凡に聴こえます。B3の16分におよぶ大曲『(Ein Klein) Heldenleben』もモード奏法をベースのソロイスト交替で長丁場を乗り切るばかりで、『真夜中の饗宴』『女王失格』の大曲から数等後退した印象を受ける冗長な演奏になっています。もしグリフォンに才能が欠けていたらデビュー作の次にこうなっていたようなスタイルと出来ばえで、意欲的な失敗作ならまだいいのですがこれは迷いがそのまま表れてしまったアルバムでしょう。テイラーの抜けたバンドは次作でオバリーがヴォーカルに専念、ギターとベース、ドラムスに新メンバーを迎えた6人編成でレコード会社移籍第1弾に勝負を賭けますが、勝負するなら本作の時期がぎりぎりのタイミングでした。結果的にラスト・アルバムになった次作は本作よりはよほど思い切りの良いプログレッシヴ・ロックのアルバムになりましたが、ジャーナリズムやリスナーからの反響はほとんど得られなかったのです。

麻婆丼の二日目と三日目

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 麻婆豆腐を市販の「麻婆豆腐の素」と豆腐1丁(標準350g)で作ると1回で3食分が出来上がる、というのはつい先日の作文で微に入り細を穿ってお伝えした通りなのだが、3食分作ってしまったからには肝心要は2食目、3食目にある。これは画像をご覧いただいた方が早いので早速お目にかける。2食目はこんな具合。

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 まあ1食目と大差はない。だがそれは見かけの上のことなので、さすが一晩冷蔵庫で寝かせただけあって豆腐が煮詰まっている。木綿豆腐を使った甲斐はここにある。プリプリした感じと言えばいいか、だが3食分を2回で食べ切るのはやはり多いので1食分を残し、3食目は食べ切った後はもう土鍋自体を片づけてしまってもいいので、思い切りよくこうする。

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 麻婆豆腐がご飯に隠れてしまったが、白米と同量の麻婆豆腐がご飯の下(と周り)に埋もれている状態がこれになる。食べる時は鍋底から麻婆豆腐を掘り出すようにして混ぜながらいただくのだが、混ぜた具合を写真に撮るとキムチ炒飯のべったりしたものみたいに見えるだけなので混ぜる前の写真をお目にかけた次第で、鍋物で最後におじやにするのやうどんを煮込むのと食べ方には変わりはない。違いと言えばわざわざご飯は煮込まずそもそも土鍋は調理器具と食器を兼ねているようなものだからさほど抵抗感はなく、これがホーロー鍋で作ったカレーを最後の食べ切りにご飯をホーロー鍋に投じてはお玉かレンゲでも使わないでは食べづらくて仕方ないではないか。ひとつ気になるとしたらこれではもう麻婆丼ではなくご飯入り麻婆豆腐鍋と呼ぶ方が適切なのではないかということだが、どう呼ぼうが麻婆豆腐とご飯の組み合わせには違いがない。こうして3日連続麻婆丼の夕食は過ぎた。思ったほど飽きなかったなとも思いつつ、次に麻婆豆腐を食べるのはいつだろうか、当分はいいやあ、という気になるのだった。

映画日記2017年6月21日~6月23日/ スタンリー・キューブリック(1928-1999)監督作品全長編(2)

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 今回のキューブリック作品第4作~第6作は3作ともまるで毛色の異なる題材と仕上がりでそれぞれヒット、大ヒット、興行成績不振と幅があり、結果的にキューブリックがメジャー商業映画界の中で異例のインディペントな製作環境を勝ち取る契機になった作品群です。第7作『博士の異常な愛情』'64と第8作『2001年宇宙の旅』'68でキューブリックは巨匠の名を不動にしますが、今回の『突撃』『スパルタカス』『ロリータ』はもっとも微妙な進路がかかっていた時期で、さらに商業映画監督としてハリウッドの職人監督に進むか、思い切ってインディペント映画に戻るか、商業映画監督として個性派としての地位を開拓するかはまだ決まっていませんでした。キューブリックはそれらのどれでもあるようでどれか一つとは言えない独自の立場の映画監督になったので、他のハリウッド映画の監督たちと同じ足場で商業映画に取り組んでいた第3作『現金に体を張れ』~今回の第6作『ロリータ』までの時期はキューブリックにとっても必要な通過点にして二度と戻れない職人監督時代でした。なお前回からもデータとして転載している日本公開年月日、配給会社、上映日数、観客動員数、興行収入、興行成績、配給コピーは『フルメタル・ジャケット』公開(昭和63年=1988年3月18日封切り)に合わせて刊行された昭和63年(1988年)4月刊の「月刊イメージフォーラム増刊号」『キューブリック』(ダゲレオ出版)に拠りました(当時日本未公開の第1作『恐怖と欲望』、最新作『フルメタル・ジャケット』、1999年の遺作『アイズ ワイド シャット』は除きます)。

●6月21日(水)
『突撃』Paths of Glory (米ユナイテッド・アーティスツ'57)*88min, B/W, Standard

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・昭和33年(1958年)2月19日日本公開、配給・ユナイト=松竹。上映日数14日、観客動員数36,421人、興行収入506万6,474円(ヒット)。コピー「これが軍隊だ 怒号と恐怖にぶち抜く戦場リアリズム 『攻撃』『最前線』を凌ぐ迫力巨弾」「死の絶望と怒号に血まみれの将兵の群像!」。前作『現金に体を張れ』の次作に予定されていたステファン・ツヴァイク原作の『燃える秘密』Burning Secretがキューブリックと共作者の共同脚本完成段階でボツになったため、キューブリック自身が選んできた1935年刊の第1次世界大戦の実話小説『栄光の小径』(映画の原題通り)から脚本を仕上げ、大スターのカーク・ダグラスが出演を引き受けたので製作が実現。製作費93万5,000ドルの中規模予算中(前作は32万ドルの低予算)ダグラスの出演料が30万ドルで、作中の舞台はフランスでフランス軍側の視点からドイツ軍との前線の攻防戦を描くが、フランス軍内部の不正軍事裁判を描いた内容のためフランスでのロケを避け(フランスでの公開は1974年まで見送られた)、ドイツでロケとスタジオ撮影が行われた。膠着状態に陥った前線の攻防戦に総本部の軍団長将軍(アドルフ・マンジュー)から現場の師団長将軍に突撃司令が下される。部隊の参謀格で弁護士出身のダックス大佐(カーク・ダグラス)は成功が不可能で戦死者を出すばかりの作戦に反対するが、作戦実行による出世をほのめかされた師団長将軍は聞き入れず、無謀な作戦は前線突破どころか部隊の大半を戦死させ大敗に終わってしまう。師団長将軍は責任の回避のために部隊の戦意怠慢を告発し3部隊から1名ずつの被告を代表させて軍法会議を開き、ダックス大佐は3名の弁護士を買って出るが上層部の腹は命令違反による撤退を理由に部隊から見せしめ処刑することと決まっており、判決は有罪による銃殺刑に決まる。ダックス大佐は通信記録から戦闘中に師団長将軍が突破口を開くためフランス軍突入中の塹壕を砲撃隊に要請し、砲撃隊が文書命令なしの要請を拒否したことを知り兵士たちの処刑の前夜に軍団長将軍に自軍への砲撃を命じた師団長将軍の件を報告するが、軍団長将軍は師団長将軍に砲撃要請の件で査問にかける旨を本人とダックス大佐にのみ伝え兵士3人の銃殺刑は実行される。軍団長将軍は大佐に次期師団長の座を持ちかけるが大佐は猛然と拒否、軍団長将軍も憤然として大佐を面罵する。その頃兵士たちは捕虜のドイツ人少女を囲んではやし立てていたが、少女の歌に次第に静まり返って唱和し始める。ダックス大佐は兵士たちへの前線復帰命令を伝えに来た伝令に、もう少しだけ待ってやるようにと言い残して去っていく。'20年代からおフランスの伊達男を演じたらこの人、のアドルフ・マンジューの喰えない策謀家ぶりとカーク・ダグラスの一直線の演技は水と油なのだが本作では異質な演技の衝突が効果を上げており、処刑されるぐうたら兵士のラルフ・ミーカーが実にやる気のない中年ダメ兵士を演じてキャスト2番目も納得の存在感がある。総本部での壁をカメラがすり抜ける長いカットはメジャー作品ならではのセット設計で(手法自体は'30年代のホークス『暗黒街の顔役』'32や溝口『祇園の姉妹』'36に遡りヒッチコックも多用している、特に目新しいものではないが)、着弾の轟音と粉塵で何が何だかわからない塹壕での戦闘もカメラを兵士の目線の低さに置いて前作『現金に~』で減少した長回しのカットが復活した。3人の兵士たちが処刑前夜に手づかみで食べる(フォーク、ナイフ、スプーンは危険なので)「最後の晩餐」シーンは特に本編の白眉というほどには思えずコミック・リリーフにとどまるように思えるが、こうした一種の儀式的場面は後になるにつれキューブリック映画のTMになっていくので(第1作『恐怖と欲望』からすでにあった)、職人監督的な戦争歴史映画の域は軽く越えている。キューブリック20代最後の作品としてようやく一流監督としての本領が見えてきた。本作に続きキューブリックは第2次世界大戦ものの『ドイツ軍中尉』The German Lieutenant、カーク・ダグラスの意向で金庫破りの自伝『私は1600万ドル盗んだ』I Stole 16 Million Dollarsを企画するが前者は企画のみで頓挫、後者はキューブリックによる脚本をダグラスが却下し中止となる。次作『スパルタカス』はエグゼクティヴ・プロデューサーを兼ねたカーク・ダグラス主演の70mm、カラー大作が当初監督に当たったアンソニー・マンをダグラスが更迭したため、キューブリックに白羽の矢が立った一種の代役監督作品だった。だがそれが世界的な大ヒット作になったことで再びキューブリックは大半の自作の権限を握るのを許される、名実ともに一流監督に足をかける。

●6月22日(木)
スパルタカス』Spartacus (米ユニヴァーサル'60)*197min, Technicolor, Super Technirama 70

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・昭和35年(1960年)12月15日日本公開、配給・ユニバーサル。上映日数90日、観客動員数29万人、興行収入7千800万円(大ヒット)。コピー「全世界の感動を呼ぶ世紀の巨編!! 12月15日より全東洋独占公開」。紀元前1世紀のローマ帝国、奴隷スパルタカス(カーク・ダグラス)は商人バタイアタス(ピーター・ユスチノフ、本作でアカデミー助演男優賞受賞)に売られて見世物の剣闘士にされる。奴隷剣闘士仲間ともども不満をつのらせたスパルタカスは愛し合っていた女奴隷バリニア(ジーン・シモンズ)が貴族の軍人クラサス(ローレンス・オリヴィエ)の下に売られたのをきっかけに反乱を起こし、奴隷たちの反乱軍を拡大しながら帝都ローマに向かいクラサス率いるローマ軍と対決する。クラサスの野望を快く思わない元老グラッカス(チャールズ・ロートン)、クラサスの稚児の奴隷詩人でスパルタカスの反乱奴隷軍に加わるアントナイナス(トニー・カーチス)らがドラマに絡み、スタンダード曲になったアレックス・ノースによる「『スパルタカス』愛のテーマ」の哀調の美メロが盛り上げる。キューブリック自身は晩年間際までカーク・ダグラスからの雇われ仕事として自分の監督作て見られるのを嫌ったが(最晩年には自分の貢献を認める考えに変わったらしい)、3時間超の長丁場が快調でストレスを感じさせない。現行ヴァージョンでは4分近い音楽だけの序曲、2時間目に「INTERMISSION」が入る(以後2時間半を越えるキューブリック作品には前半3/5の辺りで「INTERMISSION」が入るのが通例になる)。快調なのは必ずしも長所ばかりではなく、ジャンルとしては歴史スペクタクルなのに歴史の面では原題劇とあまり違いがなく、スペクタクルとしてはテーマに足を取られて活劇的見せ場に乏しく、よく比較される新旧の『ベン・ハー』(フレッド・ニブロ版、ウィリアム・ワイラー版)の爽快感に及ばない。原作ベストセラー小説を踏襲したものとしてもチャールズ・ロートンとトニー・カーチスがおいしい役を持って行くので帳尻は合うが、主演のダグラスの強い個性はあまり反乱奴隷軍のリーダーらしく見えない。もっともカリスマ性とリーダーシップの両立したキャラクターを積極的に描くのは本作の設定では難しそうで、ダグラスの動機も何だかんだ言って私怨だが個人で戦える規模の反乱ではないから奴隷剣闘士仲間で徒党を組んでいるのだが、にわか仕込みの反乱軍では軍隊の体をなさないから前哨小隊には勝てても本気を出したローマ軍にはあっさり負けるのも一応きっちり押さえている。ロートンが手を回してスパルタカスの妻子をローマ市外に逃がす結末は良く落とし所があったものと感心するが、3時間を越える上映時間でこれかあ、と思わなくもないが2部構成の映画の第2部の結末、と見ればこんなものか。映画館で観ればワイラー版『ベン・ハー』に遜色ない迫力はありそうだがテレビモニター画面では構図的に引きの画面が多く、劇場観賞した観客とテレビ観賞した視聴者では大きく評価が分かれそうな作品ではある。たぶん劇場で観る機会はもうないんだろうなあ、と思うとこのジャンル、このフォーマットでは全盛期の最後を看取った作品のような感慨がある。

●6月23日(金)
『ロリータ』Lolita (英MGM'62)*154min, B/W, Widescreen

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・昭和37年(1962年)9月22日日本公開、配給・MGM。上映日数20日、観客動員数(推定)3万人(推定)、興行収入(推定)900万円(不振)。コピー「遂に映画化された問題作 全世界に話題の渦を捲起した『ロリータ』旋風日本に上陸」。休暇研究のためにハンプシャー州の田舎町を訪れた古典文学者ハンバート・ハンバート(ジェームズ・メイスン)は下宿を探して未亡人シャーロット(シェリー・ウィンターズ)と出会い、その13歳の娘ロリータ(スー・リオン)に魅了される。ハンバートはロリータを目当てにシャーロットと結婚するが、母娘につきまとう劇作家キルティ(ピーター・セラーズ)に翻弄され、やがてハンバートのロリータ目当てを知ったシャーロットの発作的事故死をきっかけにハンバートはロリータを連れて放浪生活を始めるが……。旧ロシアからの亡命作家ウラジミール・ナボコフ(1899-1977)の原作(1955年フランス刊)はアメリカ版発売(1958年)即ベストセラーになり映画化権もすぐにMGMが押さえていたが、アメリカの映倫コードに抵触する児童性愛が重要な主題の一部だったため映画化の実現は数年遅れた。『スパルタカス』製作中からキューブリック・プロダクションはナボコフに脚本依頼を打診し、数次に渡る交渉を経て完成された7時間かかるシナリオを何とか現行の長さに圧縮。セラーズがメイスンに射殺されるオープニングから始まり4年前にさかのぼるフィルム・ノワール風の構成になったが、後半はロードムーヴィー風になるとはいえ2時間半越えはいかにも冗長、13歳設定とはいえ実年齢15歳の新人女優スー・リオンではあまり児童性愛ムードにはならず、初公開時にも批評、興行成績ともに振るわなかったが中年男の独り相撲ブラック・ユーモア作品として観ると観所も多く、次作『博士の異常な愛情』で炸裂するピーター・セラーズの怪演が主役のメイスンを食っている。MGMの予算消化と内容からイギリス製作が余儀なくされた作品だが、本作で映画会社からの干渉も少ないイギリスの製作環境が気に入ったキューブリックは本作からの全作品をイギリスで製作・撮影することになる。色々な面で以後のキューブリック作品の先駆をつけた重要作だが、単品で観ても何か変な映画で終わってしまう微妙な線でブレがあり、次作『博士の異常な愛情』からの堂々と開き直った貫禄にはあと一歩で届かないのが過渡期の作品らしい短所と長所の両面になっている。シェリー・ウィンターズの「若い頃は美人」だった中年主婦ぶりも好演、メイスンはやや微妙、期待のデビュー作スー・リオンは大人びた15歳で好みは分かれるとしてもタイトル・ロールを飾る主演女優にふさわしい存在感には欠ける大根女優ぶりがきびしいが、シナリオやキャスティングの悪条件や過渡期ならではの試作品的撮影環境のもたらしたバランスの悪さが本作だけの面白さにもなっているわけで、『突撃』または『スパルタカス』から一気に『博士の異常な愛情』は考えられないが『ロリータ』があることでキューブリックの作品歴にはなだらかな連続性が出てくる。キューブリック作品の人気投票をすれば間違いなく最下位ランクの作品だが、だからと言って存在価値のない映画では決してないし、これだってけっこう面白い映画にはなっているではないか。

Tシャツの恥は掻き捨て

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 今日はアメリカ独立建国記念日、住んでいる町は米軍基地があるので晩は花火が上がるだろう。子どもの頃は楽しみにしていたが今や何とも思わなくなった。ただアメリカ独立建国記念日というと昨日はジム・モリソンの命日だったんだな、とか建国記念日のお祭りを回想して成長した娘との断絶を嘆く老いた父親の哀しい歌「Tears of Rage (怒りの涙)」(ボブ・ディラン、ザ・バンド)が思い浮かぶ。

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 だから2006年ローリング・ストーンズの『Shine A Light』Tシャツを下ろしたわけではないが、さすがに日中32℃を越える気温だと外出はTシャツ1枚が一番快適になる。いい歳してロックンロールのTシャツ、まあストーンズのTシャツだからモノ自体が老人バンドなのだが、アメリカ建国記念日というと明日は俺、誕生日かあと今の年齢最後の一日ということにも気づく。公私ともどもまたそうやって老いぼれる。そしてまたこんなショボい作文が某歳最後の投稿になるのだと思うと、とかく人生ままならないのもそもそも本人の心がけが悪いからかなと悪びれるしかない気分だったりする。

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 ちなみに今日は内科で成人病予防受診を受けて血液採取されてきた。ごくありふれたことだ。これが日常というものだろうか。

Sun Ra - Jazz in Silhouette (Saturn, 1959)

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(1961 Reissud El Saturn "Jazz in Silhouette" LP Front Cover)

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Le Sun Ra and His Arkestra - Jazz in Silhouette (Saturn, 1959) Full Album : http://www.youtube.com/playlist?list=PL85SP_-cNYAyLNSgbUkHeT2G3d9bnk-Lr
Recorded at El Saturn studio, Chicago, March 6, 1959
Released by El Saturn Records LP5786, May 1959
All tracks written by Sun Ra, except where noted
Side A: (originally Side B)
A1. Enlightenment (Hobart Dotson, Ra) - 5:02
A2. Saturn - 3:37
A3. Velvet - 3:18
A4. Ancient Aiethopia - 9:04
Side B: (originally Side A)
B1. Hours After (Ra, Everett Turner) - 3:41
B2. Horoscope - 3:43
B3. Images - 3:48
B4. Blues at Midnight - 11:56
[ Le Sun Ra and His Arkestra]
Sun Ra - piano, celeste, gong
Hobart Dotson - trumpet
Marshall Allen - alto saxophone, flute
James Spaulding - alto saxophone, flute, percussion
John Gilmore - tenor saxophone, percussion
Bo Bailey - trombone
Pat Patrick - baritone saxophone, flute, percussion
Charles Davis - baritone saxophone, percussion
Ronnie Boykins - bass
William Cochran - drums

(1961 Reissud El Saturn "Jazz in Silhouette" LP Liner Cover)

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 こんなアルバムもサン・ラにはあるのです。内容はちゃんとサン・ラの音楽ですが、サン・ラのパブリック・イメージとは微妙にずれています。アーティスト名を伏せられ、また他のサン・ラの代表作を聴いたこともないリスナーがブルー・ノート50年代末に未発表作になっていた幻の中規模ビッグバンドの名盤、と言われて聴かされたら信じてしまうのではないでしょうか。ブルー・ノートにはソニー・クラーク『Cool Struttin'』1958、ドナルド・バード『Fuego』1959、ウォルター・デイヴィスJr.『Davis' Cup』1959、ケニー・ドリュー『Undercurrent』1960、デューク・ジョーダン『Flight To Jordan』1960などやたらとキャッチーなハード・バップ作品の系列があり、上記アルバムおよびアーティストは日本やヨーロッパのリスナーに発表当時から熱愛されてきましたが、アメリカ本国ではビ・バップの低俗化として酷評され、セールスも振るわなかったものです。諸外国での好評から再評価が進み、現在はこれらのアルバム(とアーティスト)はアメリカ本国でも回顧的に愛好されていますが、要するにブルー・ノートのハード・バップ作品は敷居の低いわかりやすさが売りでした。編成は2ホーン+ピアノ・トリオの標準クインテット(前記アルバムもすべてクインテット作品)、楽曲もオリジナル主義でキャッチーなのがブルー・ノートの制作方針でしたが、それが当時の本国では通好みの批評家とリスナーの反感を買ったのです。ところでサン・ラは1956年~1960年までにアルバム12枚分の録音がありますが、50年代のうちに発売されたのはそのうち3枚だけでした。短命インディー・レーベルのトランジションからの『Jazz by Sun Ra (Sun Song)』1956、サン・ラのマネジメント自身の自主レーベル・サターンからの『Super-Sonic Jazz』1957、そしてこの『Jazz in Silhouette』1959で、次に発売されたサン・ラ作品はニューヨークの老舗レーベル、サヴォイに録音した『The Futuristic Sounds of Sun Ra』1961でした。50年代の未発表アルバムがサターンから次々発売されるのは1965年以降になったので、発表作品からだけだとサン・ラのオリジナリティはいまひとつ明確ではありませんでした。
 サン・ラの場合は50年代の発表作品3枚もすでにアルバム・ジャケットのセンスも相当なものでした。『Jazz in Silhouette』のオリジナル・ジャケットはCDヴァージョンでは一切採用されていないので、サターンからA面とB面を現行の通りに改訂した際に改めたジャケットが公式ジャケットとして標準になっています。この再プレス版公式ジャケットは1961年の再発売から用いられ、タイトルのレイアウトに微妙な違いのある2ヴァージョンがあり、レコード番号も同一だから再発ジャケットの発売順も判明しません。サン・ラの生前にCDジャケット(Evidence盤)に採用された'61年版再発ジャケットを決定版と見なすのが妥当でしょう。初回プレスと再発盤以降ではA面とB面が逆転して収録され、CDも改訂されたA面・B面の順に収録されています。これは相当アルバムの印象を変えるので、各面の完結感が強いため「Enlightenment」から始まり「Ancient Aiethopia」で終わるA面から聴くか、「Hours After」から始まり「Blues at Midnight」で終わるB面から聴くかでアルバム全体の構成まで変わってしまいます。簡単に言うとA面はビッグバンド・サイド、B面はブルース・サイドで、各面ラストに10分前後の大作を持ってきているためなおのこと強い完結感があります。つまり1959年の初回プレスではA面がブルース・サイド、B面がビッグバンド・サイドだったことになり、初めからプレスミスだったのかもしれません。

(Original El Saturn "Jazz in Silhouette" LP Various Color Front Cover & Original Side B Label)

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 選曲に関して留意したいことは、当時(現在もですが)ジャズのアルバム、それもインディーズとなると、初回プレスは300枚~500枚も作られれば良いほうで、売り切るまでに数年かかるから新作には以前のアルバムで好評だった曲の再録音も入れる慣習がありました。アルバム自体がよほど好評でないと旧作は初回プレスきりで廃盤になります。旧作は売れないからです。ブルー・ノートのように後年には名盤の宝庫とされるインディーズですらそうでした。「Blues at Midnight」は『Super-Sonic Jazz』初出曲の再演ですし、「Saturn」はシングル用に1956年2月に初録音され、トランジションからの未発表アルバムになった『Jazz By Sun Ra, Vol.2 (Sound of Joy)』に収録するため1956年11月にも再録音された上、同一ヴァージョンがサターンからの未発表アルバム『Visit Planet Earth』に再収録されます。また「Ancient Aiethopia」はサターンで制作された未発表アルバム『Nubians of Plutonia』では別テイクが「Aiethopia」として収録されています。録音年月日不明ですがアレンジの完成度から察するに「Aiethopia」がおそらく初演でしょう。『Jazz in Silhouette』に先立つアルバムからですらこれだけ重複・錯綜していますし、さらに『Jazz in Silhouette』録音と同日にはさらに『Jazz in Silhouette』とダブらない5曲が録音され、それらを収めた『Sound Sun Pressure !!』はミニアルバム程度の収録時間なので「Enlightenment」の同一ヴァージョンが使い回されます。また「Velvet」はニューヨーク進出直前の1960年6月に再録音され『We Travel the Space Ways』に再収録されますが、これだけ他のアルバムとダブる選曲だけあり『Jazz in Silhouette』の出来はすこぶる極上です。改訂版A面の4曲は名曲ぞろいですし、改訂版B面のブルース・サイドも好調で、冒頭で触れたとおりニューヨークのブルー・ノートやリヴァーサイドら丁寧な制作に定評あるインディーズからのアルバムとして出れば、セールスはともかくちょっと毛色の違ったハード・バップ・アルバムとして一般的な名盤ガイドにも紹介される秀作扱いされたでしょう。しかしサン・ラの場合はやはりどこかセンスのねじれたところがあり、初回プレスの汚いにもほどのあるジャケット、再発盤の良くいえばレトロ・フューチャー、一般的にはインチキくさいB級SF的センスはとても良い内容のアルバムとは思えない悪い先入観を与えます。また未発表アルバムが陸続として発売された以降は選曲のダブりが中途半端な印象を与えたのもマイナスでした。ですがトランジションへの2作『Jazz by Sun Ra (Sun Song)』『Jazz by Sun Ra, Vol.2 (Sound of Joy)』(後者は発売中止になりましたが)、サターンの10枚分のストックからの2作『Super-Sonic Jazz』『Jazz in Silhouette』の4枚は、ハード・バップ時代のジャズ風潮にサン・ラが正面から取り組んで成功したアルバムでした。
 本作『Jazz in Silhouette』は地元シカゴの地方紙では発売翌月に話題作として記事が載り、サン・ラ初のヒット・アルバムになっています。ただし地元シカゴのローカルでの話で、全国的にはサン・ラはジャズマンと一部の専門家にしか知られていない存在でした。『Jazz in Silhouette』はアルバム10枚あまりの未発表曲や既発表曲からベスト選曲の上で再録音したアルバムで、チャールズ・ミンガスでいえばやはり未発表曲や既発表曲からベスト選曲・再録音したアルバム『Mingus Ah Um』1959に当たります。偶然ですが同作は『Jazz in Silhouette』が発売された1959年5月に録音されています。ミンガス盤は名盤の誉れ高いアルバムですがサン・ラ盤も満を持した名曲揃いで、ビッグバンド・サイド4曲、ブルース・サイドのトップ曲とラスト曲「Hours After」「Blues at Midnight」など全編ハイライト・ナンバーばかりと言えます。正統的ビッグバンド曲風の「Enlightenment」「Saturn」と典型的なAA'BA'形式のハード・バップ曲「Velvet」が実験的な「Ancient Aiethopia」が並んでも違和感がないのはアーケストラのサウンドに一体感と統一感があるからでしょう。ブルース・サイド中盤2曲は「Velvet」と同じAA'BA'形式でブルースではなく、「Horoscope」はスウィンギーで「Images」はソロ・ピアノのリリカルな前奏から始まってスウィンギーなバンド・サウンドになる名曲ですが、B面全体の起承転結に上手くはまっており、やはり曲が良さが光ります。ブルースでもAA'BA'でも微妙なシンコペーションと意外な代用コードの使用による部分転調を巧みに織り込んで、セロニアス・モンクともミンガスとも似て非なる個性的作風を確立しています。もっとも少し後輩のモンクやミンガスより時期的には遅く、逆影響がないとは言えません。しかしこのレベルまで来たら影響を云々する必要もないでしょう。ただしニューヨークを本拠地にしたモンク、ミンガス、ホレス・シルヴァーらほど注目を集められなかったのは、アーケストラの活動があくまでもシカゴのジャズ・シーンに縄張りを限定していたからで、シカゴのレギュラー・バンドなら10人編成のバンドを維持できましたが激戦区ニューヨークでは10人編成の中規模ビッグバンドの運営は困難であり、それがサン・ラのニューヨーク進出を遅らせたのは間違いありませを。シカゴ在住のままでもニューヨークのレーベルからアルバム発売がされれば全国的注目を集められる可能性はありましたが、当時はニューヨークでもロサンゼルスでも一流ジャズマンが供給過剰なほど溢れていました。アーケストラのジョン・ギルモアにはクリフォード・ジョーダンとの2テナー・アルバムがブルー・ノートにあり(1957年)、やはりアーケストラのアルト奏者ジェームス・スポールディングは60年代のフレディ・ハバード(トランペット)のブルー・ノート作品の常連になります。アーケストラのメンバーは全米第3の大都市シカゴでも生え抜きの凄腕が揃っていました。12分の長丁場があっという間の「Blues at Midnight」などあまりに見事なソロの応酬に笑ってしまうほどですが、何しろトランペット、トロンボーン、5サックス(アルト、テナー、バリトン随時持ち替えでフルート、パーカッション兼任)と管だけで7人もいる上、ベースとドラムスもソロの取れる腕前で、その上サン・ラがエレクトリック・ピアノをチェレスタ風の音色で弾き倒します。『Jazz in Silhouette』はすこぶる良い出来ですが、サン・ラ作品ではもっともハード・バップに近づいたアルバムだから次に他の代表作を聴くと落差に愕然とするかもしれませんし、ジャズは何よりハード・バップという人が聴くと本作は濃厚すぎてもたれます。もしブルー・ノートで制作されたとしてもやはり幻の未発表アルバムになっていたかもしれないと思うと、ここまで歩み寄ってもサン・ラのジャズはまだまだニューヨークのジャズとは相容れないものだったということになります。

新・偽ムーミン谷のレストラン(64)

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 確かに、ここはあらゆる点でぼくの知っていたムーミン谷と変わりないように思える、とスナフキンは言いました。ではぼくの感じるこの強烈な違和感はなんだろう。
 きみ、ムーミンが毛むくじゃらなのははっきり違うような気がするからまだいい。ミイと呼ばれる小うるさい三つ目のちびはあんなに食卓や残飯の周りを飛び回っていただろうか。それにスノークと呼ばれる伊達男気取りのトロールはテンガロンハットをかぶって澄まし顔をしているが、彼は本来シルクハットをかぶってはいなかったか?きみのご両親は仲むつまじかったはずだが、どうやら今は離婚してお父さんは山へ芝刈りに、お母さんは川へ洗濯に行っているらしい。でもまあそうした些細なことは置いておいてもいい。福祉国家は寛大だから、その辺境にはよくありがちなこととも言っていい。決定的にぼくの記憶と違っているのは--
 きみたちの大半は癌か脳卒中か心筋梗塞で死ぬ、とスナフキンは頭を抱えました。そうですよ、とスノークが答えました。
 きみを呼んだつもりはないよ、とスナフキン。私のせいにしないでください、とスノーク。あなたはそんなことをムーミンに答えさせるつもりだったんですか?そんなの100億万円積んでも豚に真珠です。それならきみには答えられるのかい?もう答えたじゃないですか。
 私たちの大半は癌か脳卒中か心筋梗塞で死にます、とスノークは駄目押しで答えました。なかなか悪くないでしょう?中には免疫不全症候群や、恋に焦がれて死ぬ者もいないでもありません。しかしこれは感染症や事故死でずっと若い平均寿命で命を落としていた時代よりも文明が進んだ成果と言って良く、私たちだって文明の恩恵に預かって悪くはないでしょう?
 そのテンガロンハットもかい、とスナフキン。このテンガロンハットもです、とスノーク。そのテンガロンハットもよ、とフローレン。そのテンガロンハットもさ、とムーミンパパ。そのテンガロンハットもね、とムーミンママ。そのテンガロンハットもかい、とヘムレンさん。そのテンガロンハットもねえ、とジャコウネズミ博士。そのテンガロンハットもか、とヘムル署長。そのテンガロンハットもですかい、とスティンキー。そのテンガロンハットもなの、とフィリフヨンカおばさん。そのテンガロンハットもなのよ、とミムラねえさん。そのテンガロンハットもなの?と偽ムーミン。いやはやみなさん、照れますなあとスノーク。

正当化されるのよ。

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 恋と戦いは、あらゆる事が正当化されるのよ。

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 正当化されるのよ。

グリフォン Gryphon - 反逆児 Treason (Harvest, 1977)

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グリフォン Gryphon - 反逆児 Treason (Harvest, 1977) Full Album : https://youtu.be/FHO1skWRiwU
Recorded at the Manor Studio, Oxfordshire expect B3 at Abbey Road Studio, London
Released by EMI/Harvest Records SHSP 4063, 1977
Produced by Mike Thorne
Engineering & mixed by John Leckie
All Lylics by Tim Sebastion
(Side One)
A1. スプリング・ソング Spring Song (Harvey, Sebastion) - 10:00
A2. ラウンド・アンド・ラウンド Round & Round (Harvey, Sebastion) - 4:30
A3. フラッシュ・イン・ザ・パントリー Flash in the Pantry (Gulland, Sebastion) - 4:57
(Side Two)
B1. ファレロ・レディ Falero Lady (Harvey, Sebastion) - 4:08
B2. スネイクス・アンド・ラダーズ Snakes and Ladders (Harvey) - 5:15
B3. フォール・オブ・ザ・リーフThe Fall of the Leaf (Harvey, Sebastion) - 4:22
B4. メジャー・ディザスター Major Disaster (Foster, Sebastion) - 4:04
[ Gryphon ]
David Oberle - lead vocals, percussion
Brian Gulland - bassoon, English horn, recorders, backing vocals
Bob Foster - guitars, backing vocals
Richard Harvey - keyboards, piano, sax, recorders
Jonathan Davie - bass guitars
Alex Baird - drums

(Original EMI/Harvest "Treason" LP Liner Cover, Lyrics Inner Sleeve & Side 1/Side 2 Label)

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 惜しかったとしか言いようのないグリフォンのラスト・アルバム。レコード袋が歌詞カードになっているように初めてヴォーカル曲で統一された作品になっており、ドラムス兼任からヴォーカル専任になったデイヴ・オバリーの替わりに新ドラマーを迎え、前作『Raindance』を最後に脱退したギターのグレアム・テイラーの替わりにギターとベースも新メンバーが加わりました。A1はイエスの「クジラに愛を」Don't Kill the Whale (アルバム『Tormato』'78に収録)を思わせる16ビートのリフが印象的な曲で展開もイエス的ですが、16ビートなのにまるでファンキーでないのは4拍の大きなノリに欠けてイーヴンな16分音譜の羅列になっているからです。しかしA1は例外で、アルバム全体は16ビートへの取り組みが一応成功しており、新メンバーのギター、ベース、ドラムスの貢献が大きいでしょう。その代わり16ビートが決まれば決まるほどプレイは普通のロックバンドに近くなり、サード・アルバムまでのグリフォンはオリジナリティの強いアンサンブルを誇っていたんだなあ、と遠い目になってしまうので、新メンバーも上手い演奏をしているのですが、かつてのイギリス古楽のロック化を試みていたグリフォンの面影は唯一のインスト曲B2にうかがわれるのみで、この曲ではギター、ベース、ドラムスの新メンバーもオリジナル・コンセプトのグリフォンのアンサンブルを十分こなしており、おそらくライヴでは初期~絶頂期グリフォンの曲を演奏できるセンスと力量のメンバーだったろうと推察できます。少なくとも中途半端なヴォーカル曲導入とロック化の不消化が目立った前作『Raindance』より数等優れたアルバムで、『Raindance』発表のタイミングで本作が出ていたらもう少しバンドの寿命も延びたかもしれません。『Raindance』'75の時点で王立音楽院からの助成金をオイルショック不況からリストラされたバンドは、予算不足のためにライヴ回数も全盛期(とはいえつい前年)の1/4に減らさざるを得ませんでした。
 何より本作は『Raindance』から2年も開いた1977年発売というタイミングが悪すぎました。せっかくの新生グリフォンによるレコード会社移籍第1弾の力作なのに肝心のレコード会社が本腰を入れて売り出す気がなかったのです。レコード会社のプレスシート(宣伝資料)はメンバーの意向をまったく無視して作成され、本作はシェイクスピアと同時代の劇作家シリル・ターナーの作品をモチーフにしたコンセプト・アルバムとされていました。メンバーはバンド自身によるCD再発のためにレコード会社から原版権を買い戻した'90年代までそれを知らず、そもそもシリル・ターナーって誰?と笑い話になったそうです。ジャケットはおろかアルバム・タイトルもレコード会社のAD部が勝手に決めたそうですが、これはバンド側にも責任はあるでしょう。エンジニアとミックスは解散間際~ソロ初期のビートルズ関連作からアビー・ロード・スタジオ専任エンジニアになり、XTCの初期作品を始めイギリスのパワーポップ系名プロデューサーになったジョン・レッキーで、プロデュースはディープ・パープルのスタッフから業界入りし、グリフォンの本作と前後してワイヤーの初期3作のプロデューサーとして名を馳せ、のちソフト・セルの「汚れなき愛」Tainted Loveをプロデュースし英米・全欧で大ヒットさせたマイク・ソーンです。レッキーは1949年生まれ、ソーンは1948年生まれとグリフォンのメンバーより数歳年上なくらいですが、1980年代にイギリスのロック界の重鎮になったので、グリフォンのメンバーよりも音楽的感性はよほど若かったことになります。というより、グリフォンはあまりに正統派のミュージシャンとして早熟すぎて、デビューと作風の確立も早すぎたためにメンバーの大学卒業の頃には時代遅れになってしまったバンドでした。かくして本作はパンク/レゲエ/ファンク/ニュー・ウェイヴの時代に咲いたプログレッシヴ・ロックの徒花となり、メンバーはバンドを見切ってカタギ(ただし音楽関係)に戻っていったのです。

訪問履歴人数通算160,000人達成

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 おかげさまで、延べ人数ですが、2011年5月中旬開始のこのブログも昨日2017年7月7日中に訪問履歴人数通算160,000人を越えました。さかのぼると150,000人達成が今年3月3日、100,000人達成が2015年6月6日、50,000人達成が2013年7月30日、25,000人達成が2012年10月19日、10,000人達成が2012年2月10日、5,000人達成が2011年10月22日ですので、折れ線グラフにでもすると(たぶん)10,000人達成以降からは毎日の平均訪問履歴人数が倍増したように思います。ブログ開始満6年2か月弱で160,000人、うち今年3月~7月の満4か月で100,000人とは、映画(ほとんど古い映画のみの)感想文と現代詩史の復習とサン・ラ(と古いジャズ)と昔のロックとたまに深夜アニメ情報と夜食と獄中生活体験記とムーミン谷くらいしか載せていない地味なブログにしては何故よ?と不思議になるような人数ですが、毎晩深夜0時必ず最新記事更新を6年間続けているのと(現在通算記事総数4,000本になります)、HNのアエリエル(aeriel、英語の古語)というのがひょっとしたら若い女性のブログと勘違いされているのかもしれません。若くもなければ女性でもなく、妻子と別れて満10年、今年は長女が短大に、次女が高校に進学した2女の父親(ただし親権喪失)で、精神疾患の発症に伴うトラブルで離婚し入獄もし、保釈後は病状認定から生活保護を受け月に7万円程度の支給で療養生活を送る、ブログ開始までに精神病棟入院歴5回を経験した精神障碍者です。離婚後の10年間にもめた女性関係は5人、うち恋愛2回、すべて昨年春までにきれいさっぱりご破算に終わらせました。5年前に父親を亡くしましたが(母は18歳の時逝去)、実家から葬儀はおろか逝去の報せすらなく2年あまり経って遠縁の親戚の年賀状の返信で初めて知ったほどでした。独身生活に戻って知遇を得た方がたのうちすでに半数近い方が逝去し、昔からの友人知人やバンド仲間とも連絡は絶ちたまにメールをやりとりし会って食事する友人は10歳年上の三橋さん(腎臓透析で闘病中の大工さん)と7歳年下の桑原くん(統合失調症で障害1級認定、男の子のお子さんが生後1か月の時トラブルで入獄し奥さんがご子息を連れて家出して以来一人暮らし)の二人と年1回会うかどうか、というくらい世間との交渉は絶って通院義務と福祉課・障碍課の書類手続き以外は最小限に社会との交渉を縮小し、病状悪化の最大原因となる対人ストレスを免れています。

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 ブログを始めて以来入院の危機に瀕するほどの病状悪化は毎日の作文習慣で回避しているという自覚があります。社会人だった頃はフリーライターとして生計を立てていましたが今では作文好きの少年に戻ってただ好きなことを作文に書き精神の健康を図っている次第です。ライター当時の同僚、取引先、仕事仲間の現在を想像しても町田康氏を唯一の例外に誰もが利己的で裏表のある醜い歳の取り方以外は思い浮かばず、まったく不向きな世界から足を洗って良かったと思っています。以上、訪問履歴人数通算160,000人をご報告したついでに簡明に自己紹介文を復習させていただきました。こういう筆者も内容もごく地味なブログですが、よければ今後もお暇な折りにでもご来訪ください。ちなみに昨日は訪問看護士の吉田さん(25歳)と楽しくアニメとマンガの話を交わし、娘ほど若く明るく健康な美しさに溢れた女性ですが意外に共通の話題があって間が持ちました。医療関係者とは個人的な感情が入り込むことはないのでこうした対面では大丈夫なのですが、療養生活とは闘病者にとって一種のバリエラ(障壁)を他者/社会との間に保つことであるのに改めて気づかされます。このブログが一線を越えないのも一種のバリエラであり、この姿勢は療養生活が続く限り変わらないでしょう。それにこの先、娘たちとの再会や女性との交際はおろか私生活で一切の友人を持たないことほど安全な療養生活はないのです。むしろそれを気楽と感じ、誰にも惜しまれない人間に徹して生きるほど望ましいことはないでしょう。訪問履歴人数通算200,000人に達する頃にはさらにタフな精神障碍者になれれば、今よりさらに病状の安定が得られているはずです。ともあれ自分より28歳も若い吉田さん(声優では沢城みゆきさんが好き、『HUNTER×HUNTER』は初アニメ化版が好きだそうです)とまた雑談に興じるのが楽しみです。今度来る時までには吉田さんは初めて『魔法少女まどか☆マギカ』を観てくるらしいので、以前娘たちのクリスマスプレゼントに『まどか☆マギカ』のDVDを贈った(けれど例によって何の返事もなかった)父親としては娘たちより少し年長なだけの吉田さんの感想にはたいへん興味があり、楽しみにしています。

映画日記2017年6月24日~6月26日/ スタンリー・キューブリック(1928-1999)監督作品全長編(3)

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 特に熱心なキューブリック映画のファンでもなければ熱心な映画観客でもないので、今回ご紹介する3作がキューブリックのSF3部作と言われているとは最近初めて知りました。確かに年代的にも連続して製作され、設定は大なり小なり空想的なものですが、作品のカラーはまったく異なります。これら3作はいずれも原案・原作小説から起こされたものですが、『博士の異常な愛情』は近未来に仮想したシリアスな軍事サスペンス小説をシリアスを通り越してブラック・コメディに仕立てた全人類破滅映画、『2001年宇宙の旅』は純SF短編小説を発端部分の原案にキューブリックが作者と長編規模にシナリオ化したもの、『時計じかけのオレンジ』は純文学ジャンルの前衛的近未来ディストピア小説の忠実な映画化、と題材、アプローチ、手法と作風のいずれもが三者三様に異なります。いずれにせよ『スパルタカス』で一流監督の地位に足をかけ、『ロリータ』で前途が危ぶまれたものの『博士の異常な愛情』と『2001年宇宙の旅』はカルト作家にしてヒットメーカーとしてのキューブリックの名声を確立した2作と言ってよく、原作の性格やアプローチに違いはあっても『博士の~』と『時計じかけの~』はきついジョークの効いたブラック・ユーモア作品と括ることができ、『時計じかけ~』以後のキューブリック映画はすべてブラック・ユーモアが基本になっているとも言えるでしょう。あのホラー映画『シャイニング』や『アイズ ワイド シャット』ですら笑いとぎりぎりの線で恐怖が成立しているのです。
(なお例によってデータはダゲレオ出版『キューブリック』'88に拠りました。)

●6月24日(土)
『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb (英/米コロンビア'64)*95min, B/W, Widescreen

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・昭和39年(1964年)10月6日日本公開、配給・コロムビア。上映日数18日、観客動員数6,000人、興行収入190万円(惨敗)。コピー「アメリカ空軍水爆大編隊ソ連を急襲!ついに人類みな殺し戦争勃発!」。冷戦の続く近未来、突然アメリカの戦略空軍基地司令官リッパー将軍(スターリング・ヘイドン)が独断でソ連への水爆攻撃を命じて外部からの一切の通信を遮断する。リッパー将軍は冷戦の脅威と責務から完全に発狂していた。米ソ首脳陣は緊急会議を開きアメリカ大統領(ピーター・セラーズ)はソ連首相から外部からの水爆攻撃時に全世界無差別攻撃自爆装置が自動で働くのを知り、米軍機迎撃を託す。一方戦略空軍基地では来襲者はソ連からの妨害として陸軍の潜入部隊とのアメリカ兵同士の戦闘の中、イギリス人副官マンドレイク大佐(セラーズ2役)がようやく追い詰められて自殺したリッパー将軍のメモから水爆編隊への通信ロック番号を解析して緊急報告し部隊は大統領命令で攻撃を撤回、帰還するが、コング少佐(スリム・ピケンズ)が機長を務める1機だけが迎撃ミサイルによる通信機の故障で撤回命令を知らず、ついにソ連本土への水爆投下が実行される。ホワイトハウスの緊急対策会議ではドイツ亡命者の元ナチス科学者ストレンジラヴ博士(セラーズ3役)が炭坑を利用した放射能半減期100年間の地下シェルターを提言し、ヴェラ・リンのオールディーズ・ヒット曲「また会う日まで」We'll Meet Againが原水爆実験映像の数々が映し出される中流れて映画は終わる。ザ・バーズは1965年12月発売のアルバム『Turn! Turn! Turn!』のB面最終曲で同曲をカヴァー、明らかに本作へのオマージュ。いわゆる「SF3部作」は梗概を書くと長くなるが設定が込み入っているからで、単純なプロットを紆余曲折したストーリーで引き伸ばしている、と言えないでもない。本作はピーター・セラーズの怪演が話題になるが一人三役に特に必然性はないので、セラーズの事情がなければコング少佐も入れて四役を予定されていたそうだがピケンズがやったからコング少佐のキャラクターは大成功した印象が強い。さらにスターリング・ヘイドンのガチでシリアスな発狂将軍の存在感が圧倒的。なぜ水爆投下の決行を独断専行したか、と副官に訊かれて水道水にフッ素が混入されたのは共産主義者の陰謀だ、それで体液が汚染された、自分がインポになったのはそのせいだと気づいた、このままではウォッカしか飲まないロシア人を除いて人類は生殖能力を失って破滅する、「それで水爆投下を?」「そうだ」とセラーズと問答する辺りはヘイドンが演じるからこそ味がある。タフガイ役者でもヒューストンが『悪魔をやっつけろ』でボギーに中途半端な悪役コメディ演出をして外してしまったのと対照的に感じる。日本で本作が大コケしたのは昭和39年に日本の娯楽産業を壊滅させた東京オリンピックの余波とも言われるし、世界唯一の被爆国だからでもあるだろう。当時敗戦後20年未満では致し方ない。本作当時キューブリックはほとんどイギリスに帰化していたとはいえ、英米人特有の視野の狭くエゴイスティックな鈍重さがないとは言えず、本作のアメリカ喜劇映画への影響は悪名高いメル・ブルックスあたりに受け継がれたと言えなくもない。そう思うと本作を高く買う評者はメル・ブルックスをとやかく言えないわけで、才能の大小の違いはあっても両者は質的には似たり寄ったりという気がする。

●6月25日(日)
『2001年宇宙の旅』2001:A Space Odyssey (米MGM'68)*148min, Technicolor & Metrocolor, Cinerama (Super Panavision 70)

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・昭和43年(1968年)4月11日日本公開、配給・MGM。上映日数163日、観客動員数25万1,000人、興行収入1億4478万円(大ヒット・'68年度洋画配給収入第4位)。コピー「未知の世界へ冒険旅行アッ危い!命綱が切れた!この楽しさ!美しさ!スリルとサスペンス溢れる奇抜な物語!! 冒険と探検の雄大なドラマ。明日のあなたは21世紀に住む人です。これこそ映画の新しい楽しさを創った驚異の超大作だ!」。原作者とされるSF作家アーサー・C・クラークにも同名小説があるが小説はクラークとキューブリックの共同脚本から起こされたクラーク独自の解釈で、映画は共同脚本からさらにキューブリックの単独脚本に直されて製作された。クラークの原案短編小説「前哨」'48は映画の第1部「人類の夜明け」の後半部分の原案になったもの。第1部前半は類人猿が黒い石板との接触から動物の骨を武器として使い狩猟や戦闘に使うことを覚え、空へ放り投げた骨が宇宙ステーションにモンタージュされる有名なカットから後半、月面の地下に400万年前の黒い石板が発見され科学者の調査中に強烈な信号を発して第2部「18か月後、木星への旅」へと続く。木星へ向かう宇宙船ディスカヴァリー号ではボーマン船長(キュア・デュリア)とプール隊員の2人以外の科学者3人は目的地到着まで人工冬眠装置で眠りに就いていた。船内活動の管理はコンピューターのHAL9000が行っていたが、HALの通信装置故障の誤診からボーマンとプールはHALによる自動航行を懸念、マニュアル操作への切り替えを決める。だがHALはモニターによる読唇術からボーマンたちの計画を知る。「INTERMISSION」を挟んで故障の再確認に船外に出たプール隊員はHALが操作した宇宙ポッドの激突で弾き飛ばされ、酸素ホースも切れてしまう。ボーマンは別の宇宙ポッドで救出に向かうがHALはボーマンの船内帰還を拒否、また人工冬眠中の3人の生命維持装置も停止させる。プールの遺体回収を諦め手動非常口にポッドを激突させて辛くも船内帰還に成功したボーマンはHALの懇願を無視してコンピューターの知能機能を切断、すると同時に木星圏到達時の映像メッセージが流れる。月面地下の黒い石板は木星へ向かって信号を発していた。木星に太古の知性体の存在を確認するのがディスカヴァリー号の任務だった。映画は第3部「木星。そして無限の彼方」でボーマン船長を待ち受ける運命を描いて終わる。どこが現在まで続く人気の秘訣だったかというとこの第3部のサイケデリック映像がヒッピーに絶大な支持を受け、今でも大学生のアシッド・パーティーにはピンク・フロイドやタンジェリン・ドリームの音楽同様欠かせない。なるほどトリップ状態の疑似体験なのが冷静に観るとけっこうチープな特殊効果映像からも伝わってくる。これを初めて劇場で観たのは情報誌「ぴあ」リクエストNo.1映画に選ばれリヴァイヴァル上映された昭和53年10月で、小説版もリヴァイヴァル上映直前に文庫化されていたので先に読んで内容は把握していたので覚悟はできていた分楽しめたが、観客の大半は噂に聞く(まだ日本公開が遅れていた)宇宙冒険活劇『スター・ウォーズ』のようなものと詰めかけた男子中高生ばかりで(実際『スター・ウォーズ』を引き合いに出した宣伝がされていた)冒頭の類人猿の登場にブーイングが起こり、上映終了後は静まり返る中「訳わかんねーよ」「何だよこれ」とブツブツ文句の飛び交う秋の横浜なのだった。映画評サイトなどを見るといまだに「HAL9000の反抗の動機がわからない」などとぼやいている人がいるが、梗概からもわかる通り本作は秘境の秘宝探しものの典型的プロットで、「謎の宝の地図が見つかる」「ガイドのナビで探検に出るが、祟りを恐れたガイドに仲間たちが殺され、ガイドと対決して主人公だけが目的地に向かう」「目的地に着いた主人公、しかしミイラ取りがミイラになる結末が待ち受ける」と、サイレント映画にでもありそうな話を宇宙に持ってきた。実際サイレント時代のフリッツ・ラングが撮っていてもおかしくないような話で『キング・ソロモン(ソロモンの秘宝)』や『レイダース・失われた<聖櫃>』とプロットは同じ。映画の約束事にガイドが裏切りを起こすのに動機の説明など必要だろうか。本作の魅力は宇宙空間の映像と宇宙船内部の映像で、長回しの計算されたカメラワークと美術設計は『月世界の女』'29のラングに観せたかった(本作公開時にはラング78歳で、ほとんど失明していたはず)。『月世界の女』から40年経った宇宙旅行映画と思うと『2001年~』から50年あまり経ってこの50年の宇宙旅行映画にはCGが発達しようと本質的に劇的な進展はないなあ、とため息が出る。他の作品ではナレーションや台詞過多だが、本作では音楽以外は極力ナレーションや台詞を排除し、現実音に最大の効果を求めたのも成功している。2時間半が短い短い。クラークの小説版もそれなりに感動的だがあっけらかんと映像で見せた本作は映画ならではの魅力が横溢している。秘宝探検映画です、あくまでもこれは(倒置法)。

●6月26日(月)
『時計じかけのオレンジ』A Clockwork Orange (英ワーナー・ブラザース'71)*137min, Color, Widescreen (European Vista)

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・昭和47年(1972年)4月29日日本公開、配給・ユニバーサル。上映日数35日、観客動員数6万5,000人、興行収入3千746万円(ヒット)。コピー「レープとウルトラ暴力とベートーベンだけが生きがいの若者のアドベンチャー!」。近未来の荒廃したロンドン。アレックス(マルカム・マクドウェル)をリーダーとする不良少年4人はホームレスをリンチし、敵対するチームを半殺しにし、車を盗んで郊外へ向かい初老の作家の家に押し入って作家の妻を輪姦する。満足して帰宅したアレックスは帰宅しベートーヴェンを聴きながら満足して眠る。翌日も不登校のアレックスは民生委員の訪問を受け、ヴァーティゴのレーベル照明のされたレコード店で二人の女の子をナンパし自宅で3Pに興じる。チームの仲間3人はアレックスのリーダー面に不満をつのらせるがアレックスは仲間たちを制裁して従わせる。その夜、女性ヨガ教師の家に強盗に入り撲殺したアレックスは仲間の裏切りから警察に逮捕される。懲役14年のアレックスは模範囚を装うが内務大臣の進めていた更正療法の実験台に選出され、実験ののちは釈放と聞き進んで引き受ける。嘔吐感を誘発する薬物投与の後あらゆる残虐犯罪行為の映像を拘束状態で強制的にくり返し観せられる、という刷り込み効果から犯罪や性行為に無意識に激しい嘔吐を催す体質にされたアレックスは、映画のBGMに使われていたベートーヴェンの音楽にも吐気を催す体質になり、公聴会で嘔吐反応を確認された上釈放されるが、実家ではアレックスの留守間を下宿にして下宿学生を実子以上に可愛がっていた。放浪したアレックスは以前リンチしたホームレスたちにリンチにされ、駆けつけた警官は元のチーム仲間で森の奥で半殺しにされる。瀕死のアレックスが助けを求めた家は以前強盗と輪姦に押し入った作家の家で、輪姦された妻はその後自殺し作家は車椅子生活になっていた。作家はアレックスを2階に監禁しベートーヴェンを大音量で聞かせ、アレックスは苦痛のあまり投身自殺を図る。作家の策謀でアレックスの自殺未遂は政府の非人道的実験として大ニュースになる。入院したアレックスからは投身自殺未遂のショックで条件反射効果は消えていた。かつてアレックスに実験の白羽の矢を立てた内務大臣がまた訪ねてきてアレックスへの厚遇を取材カメラマンに囲まれ約束し、アレックスは公聴会の会場でレイプを行う妄想にふける。また梗概が長くなってしまったが、要は札付きの不良少年が刑務所でしごかれ大人しくなって出てくるがシャバの連中に仕返しされて我慢しているうちに不良の本性がもどった、というだけの話。原作者がとびきりの才人なので風刺のきつい原作小説で、近未来ロンドンのヤンキー言葉の一人称、という言語実験作品のテイストも残しつつナレーションも適材適所で本作では単独執筆のキューブリックの脚本のうまさが光る。つまり原作がよく読めているので映画に無駄がない。マクドウェル演じるアレックスは映画史上最悪の主人公だがアクションや表情はミック・ジャガー(ニコラス・ローグの『パフォーマンス/青春の罠』'70に主演)からいただいてはいないか。映画の終盤では愛嬌すら漂わせていて、絶対に共感したくないキャラクターなのにウンコに吸い寄せられるハエのようにその悪臭に魅了されてしまうのだ。こういうすごい名人芸には舌を巻くしかない。嫌な映画ですごく良い、と思わせてしまえばキューブリックの勝ち、嫌な映画ですごく嫌でもキューブリックの勝ち。そこも原作のテイストを読み込んでのことだが、さすがにここまでのセンスはメル・ブルックスごときにはお呼びでない域に達している。絶対最高傑作とは言いたくない悪魔的傑作とはこういう作品のことを言う。次作『バリー・リンドン』が本作の時代劇版になったのも本作の手ごたえがキューブリック本人にとっても会心作だったからに違いない。

現代詩の起源(14); 高村光太郎 - 初出型・原「道程」

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 高村光太郎(1883-1956)

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 詩集 道程 (抒情詩社・大正3年10月25日刊)

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 「道 程」 高 村 光 太 郎

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにした広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

(詩集「道程」大正3年=1914年10月刊より)


 高村光太郎(1883-1956)の中でも『レモン哀歌』(「智恵子抄」より)と並んで教科書採用頻度が高く、もっとも人口に膾炙した一篇でしょう。言葉のセンスの射程が長く古びない内容を持った作品です。
 高村は複雑な性格の詩人で、しかも本人はその自覚がありませんでした。戦前の社会批判詩、戦中の愛国詩、戦後の心境詩は教材には向きません。その点この詩は一見青少年向けの希望に満ちています。
 ところでこの詩は大正3年10月刊行の詩集ではこの通り9行を決定稿としましたが、同年3月の雑誌掲載時には102行の長詩だったことは意外に知られていません。以下、初出型・原「道程」をご紹介します。


 「道 程」 高 村 光 太 郎

どこかに通じてゐる大道を僕は歩いているのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何といふ曲りくねり
迷ひまよつた道だらう
自堕落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められたあの道
幼い苦悩にもみつぶれたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戦慄に値ひする
四離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命(いのち)の道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が生命に導く道だつた
そして僕は此処まで来てしまつた
此のさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命の意味をはつきりと見せてくれたのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ
子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
どんな時にも自然の手を離さなかつた僕は
とうとう自分をつかまへたのだ
恰度そのとき事態は一変した
俄に眼前にあるものは光りを放射し
空も地面も沸く様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そして其の気魄が宇宙に充ちみちた
驚いてゐる僕の魂は
いきなり「歩け」という声につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした
僕は子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなつた
そして僕はもうたよる手が無くなつた
無意識にたよつていた手が無くなつた
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕ははじめ一歩も歩けない事を経験した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところに立ちつくして居た
僕は心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足はひとりでに動き出した
不思議に僕は或る自憑の境を得た
僕はどう行かうとも思はない
どの道をとらうとも思はない
僕の前には広漠とした岩畳な一面の風景が広がつてゐる
その間に花が咲き水が流れてゐる
石があり絶壁がある
それがみないきいきとしてゐる
僕はただあの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく
しかし四方は気味の悪い程静かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまうのかと思ふ時もある
寂しさはつんぼのやうに苦しいものだ
僕は其の時又父にいのる
父は其の風景の間に僅かながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に僕は奮い立つ
声をあげて祝福を伝へる
そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに従つて
四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや這いまはつて居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類というものの一部分だ
しかし人類は無駄なものを棄て腐らせても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千万人の中で百人も残れば
人類は永遠に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の為め人間を沢山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
もっと此の風景に養われ育まれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
子供は父のいつくしみに報いたい気を燃やしてゐるのだ
ああ
人類の道程は遠い
そしてその大道はない
自然の子供等が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出て来ても乗り越して歩け
この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、父よ
僕を一人立ちにした広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程の為め

(1914年=大正3年2月9日執筆・「美の廃墟」3月号)

 10月刊の詩集では最後の8行だけ残し、末尾1行反復、為をために直した。これが雑誌初出の原型です。誇大妄想的な理想主義から時には社会批判詩人となり、時には好戦的愛国詩人となり、また自虐的な隠遁詩人ともなったファッショ的資質が露呈している点で、むしろこの冗長で高慢な初稿の方が詩人の性格を率直に反映していると言えるのです。

*引用詩の仮名づかいは原文のまま、用字は略字体に改めました。

かけてみただけ。

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 ご覧の通り市販のボロネーゼ(ミートソースとも言う)をかけてみただけのパスタ(スパゲッティとも言う)だが、実はこれで少しばかり手間をかけている。茹でた乾麺のパスタはバターと粉末ガーリックで軽く炒めてあるし、温めたボロネーゼソースには小さめの角砂糖ほどのバターを載せて小匙ひと匙弱の中濃ソースが混ぜてある。なんとこれだけの工夫でファミレスのミートソース・スパゲッティ並には外食するパスタの味わいになるのだ。
 かなり前、NHKの「ためしてガッテン」で水出し麦茶の味をを煮出した麦茶のコクに変える方法、というのをやっていた。麦茶の話だからたぶん夏放映の話題だったのだろうと思う。解答はというと、1リットルの冷蔵用ボトルに対して小匙半分のインスタントコーヒーを溶かす。これだけで煮出した麦茶にはあり水出し麦茶にはないカフェイン分がコクのある味に変わるらしい(試していないが)。
 また、かつて社会人をやっていた頃まで本当にそれをしている人は知らず、何かの冗談だと思っていたが、生まれも育ちも三代以上続く生粋の東京人は本当にカレーライスにソースをかける。これは高田馬場周辺のカウンター式大衆向けカレー屋(決して本格的インドカレーとかではない)には必ずソースがカウンターに乗って入るのでもわかる。もちろん東京人、というか江戸っ子の末裔はカレーにソースは悪食だとはまったく思っていない。
 偏食の例をひとつ。サナトリウム(と言えば聞こえはいいが、早い話精神病院)でカレーが好物なのにニンジンだけは皿の端に寄り分けて残す奴がいた。それもあんまりだと思うが、1フロア約30人のほとんどが納豆が出ると手もつけなかったのには驚いた。入院では満遍ない食事も積極的な治療の一環だろう。好みでは普段絶対に食べないものも出されれば食べる。温泉玉子も桜でんぶもオカラも入院食で我慢して完食した。しかし口のおごった連中は納豆のパックに触れさえすらしないのだ。ちなみに東京都と神奈川県の県境の病院のことだから、30人中納豆を食べた患者が6、7人というのは文化圏上の食分布としてもおかしい。まあおかしくなっているから精神病院に入院しているのだが、仮に彼らがたまたま納豆が苦手なだけとしても、入院生活の食環境から逃げているな、と感じた。別にこれはさほど重視するほどではないかもしれない。しかし彼らはたぶんカレーにソースはかけないし、ましてやガーリック粉末炒めのスパゲッティにソースを混ぜたミートソースをかけはするまいと思うのだ。

Sun Ra - Sound Sun Pleasure!! (Saturn, 1970)

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Sun Ra and his Astro Infinity Arkestra - Sound Sun Pleasure!! (Saturn, 1970) Full Album : http://www.youtube.com/playlist?list=PLm4w7C3_vBpjyo9ojN6yhAHtJ69vHUbng
Recorded at El Saturn Studio, Chicago, March 6, 1959
Released by El Saturn Records, SR 512, 1970
(Side A)
A1. 'Round Midnight (Hanighen, Monk, Williams) - 3:55
A2. You Never Told Me That You Care (Hobart Dotson, Sun Ra) - 5:37
A3. Hour of Parting (Schiffer, Spoliansky) - 4:53
(Side B)
B1. Back in Your Own Backyard (Jolson, Rose, Dreyer) - 2:07
B2. Enlightenment (taken from Jazz in Silhouette) (Dotson, Ra) - 5:09
B3. I Could Have Danced All Night (Lerner, Loewe) - 3:11
(LP total time; 24:52)
[ Sun Ra and his Astro Infinity Arkestra ]
Sun Ra - piano, celeste(B1), gong
Hobart Dotson - trumpet, trumpet-mouthpiece(B2)
Bo Bailey - Trombone(B2)
Marshall Allen - alto sax, flute, alto sax-mouthpiece(B2)
James Spaulding - alto sax, flute, percussion
John Gilmore - tenor sax, clarinet, percussion, vo(B2)
Pat Patrick - baritone sax, flute, Percussion
Charles Davis - baritone sax, percussion
Ronnie Boykins - bass
Robert Barry - drums(except B2)
William Cochran - drums(B2)
Hattie Randolph - vocals(A1, B1)

 毎度サン・ラ(1914-1993)のアルバムのジャケットのセンスには困ったものがあります。いかにもいかがわしいジャケットのアルバムを手にしたはいいが、初めてのリスナーには聴いてみても全体像がなかなかつかめません。アルバムの数が多すぎるというのもあります。ですが聴いたアルバムについて普通は好き嫌いや良し悪しの判断はつくはずなのに、サン・ラの場合は埋蔵量が多すぎるほどあるアーティストだという事実に威嚇されて判断不能、せいぜい保留におさまってしまうのです。一見汚いジャケット・デザインですら汚く見えるのは先入観で、渋くてかっこいいと感じるべきなのではないか。とすれば、なおさら自分の聴いたアルバムだけでは判断できないアーティストなのではないか。ですが150枚あまりの公式アルバムを残したアーティストを、どのくらい聴けばわかったと言えるでしょう。しかも作風はR&B歌手やロック・バンドとの共演盤まであれば、わかりやすいビッグバンド・ジャズやハード・バップから極端に実験的なアヴァンギャルド・ジャズまであるのです。実は初めて買ったサン・ラのアルバムがこの『Sound Sun Pleasure!!』で、『Atlantis』1969と2枚まとめて買いました。ヒマな日に中古盤店に入り、サン・ラはESPレーベルの『The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Volume One』1965か『Nothing Is』1966がよく代表作に上がりますがなかなか見つからない。そしたら『Sound Sun Pleasure!!』と『Atlantis』がどちらも1000円均一棚にあったので、どうせ何も知らないのだから2枚とも聴いてみよう、と思って両方買ったのです。どちらも初CD化のEvidence盤で、前者は1991年版、後者は1993年版でした。出たばかりなのに中古盤は安値でした。CDのインサートを読むと、『Atlantis』はA面(CD前半)テナーのワンホーン・カルテット、B面(CD後半)片面全1曲でビッグバンドという構成なので、とっつきやすそうな『Atlantis』から聴いて唖然とし、その話は『Atlantis』をご紹介する時に取っておくとして、続いて『Sound Sun Pleasure!!』に一縷の望みをかけ、聴きながらつくづく後悔したのです。こんなの買うんじゃなかったあ、まず二度と聴くことなんてないぞ、サン・ラのアルバムなんかもう買わないだろうが、と思ったものでした。どこが良いのかまったく理解できなかったのです。ところが1956年録音(名盤『Jazz in Silhouette』と同日録音)の、本編たったの25分しかない(なのでCDではアーケストラ初期音源・未発表新録音集『Deep Purple』1973から初期音源分7曲とカップリングしてある)の本作と『Atlantis』をガマンして聴いているうちに、ヘタクソなビッグバンド・ジャズ(しかも女性ヴォーカル曲2曲、サン・ラのオリジナル曲は2曲のみ)にしか聞こえない『Sound Sun Pleasure!!』と、ピッチの狂っているとしか思えない鉄琴のようなエレクトリック・ピアノとルーズなベース、ドラムスによれよれのテナーサックスのA面・ビッグバンドがじわじわ音量を上げながらノイズの嵐を吹き荒らすB面というダサいフリージャズの見本のような『Atlantis』に音楽的な一貫性が見えてきました。
 サン・ラにはどうも標準的な西洋音階以外の音程が聞こえていて、同時にそれに基づいた和声も鳴っているようです。ヘタクソだったりダサく聞こえるのはサン・ラの音楽がミストーンだらけに聞こえるからですが、これは狙ってやっているのでもなければミストーンに聴こえるのも聴き手の音感が悪ずれしているのであって、サン・ラ・アーケストラにとってはこのピッチが生理的に自然な音程であり、和声なのでしょう。本当にそうか、とあまり中古でも見かけないサン・ラのアルバムを気が向いた時に1枚、また1枚と買ってみると、スタイルはビッグバンドからフリージャズ、ジャズ・ファンクまでさまざまですが、感覚的には見事にサン・ラならではの音響が鳴っているのにきづきます。ピッチとは基本的な音程そのものの振動数だから当然演奏のタイム感にも表れます。その逆で、タイム感の違いがピッチに反映しているのかもしれません。専門家ではない聴き手としては、そのくらいまでしか推測できませんが。

(Original El Saturn "Sound Sun Pleasure!!" LP Liner Cover & Side A Label)

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 前述したように本作は『Jazz in Silhouette』と同日録音で、「Enlightenment」は同テイクだから『Jazz in Silhouette』のアウトテイク5曲にコンセプトの近い「Enlightenment」を再収録した一種のリサイクル・ミニアルバムとも言えます。ですが本作を聴く限り、サン・ラとトランペット奏者のドッドソンの共作2曲(A2は実際はドッドソン単独曲)を含めて『Jazz in Silhouette』とはコンセプトの異なる、スタンダード中心のオーソドックスなビッグバンド・アルバムの制作意図があったと思われます。そうでなければモンクの「'Round Midnight」と、1928年の古いスタンダード(ルース・エッティングでオリジナル・ヒット、ビリー・ホリデイのレパートリーでもある)の「Back in Your Own Backyard」を各面冒頭に置き、各面2曲目はオリジナル、各面ラストはインストルメンタル・スタンダードという均等な構成にはならなかったでしょう。なにしろミュージカル『My Fair Lady』1956からのヒット曲B3(「一晩中踊れたら」)まで演っているのです。フルアルバムなら各面せめてあと1曲ずつは欲しいところですが、「Enlightenment」を流用しているくらいだから1959年3月6日セッションは『Jazz in Silhouette』収録曲の完成が第一で、時間的にも3時間(スタジオ録音の基本単位)で13曲完成テイク録音するのが精一杯だったのでしょう。そのうち8曲が『Jazz in Silhouette』で2か月後に発売され、残り5曲は「Enlightenment」を再収録して11年後に発表されました。時間切れで終わったのは、この1959年3月6日セッションもいつものようにアーケストラ所有の練習場エル・サターン・スタジオなのですが、メンバーによる自前録音でもなく客入れ前のジャズクラブで従業員に録音してもらったのでもなく、ちゃんと録音用の機材をレンタルして録音エンジニアに依頼していたからです。
 それが明らかになったのは2000年代の調査によるもので、従来『Jazz in Silhouette』『Sound Sun Pleasure!!』セッションは録音年月日の記載がなく『Silhouette』発売の1959年5月が新聞記事で確認されているから、1958年某日(1958年後期)と推定されていました。ところが録音費用の支払い記録が発見されたのでサン・ラの初期アルバムには珍しく録音日がちゃんと判明したアルバムになったのです。1950年代録音のほとんどのアーケストラのアルバムが練習ついでに録音していたリハーサル音源なのに対して、録音即発売の意志があった『Jazz in Silhouette』は気合いの入ったアルバムだったと改めてわかります。その二卵性双生児の『Sound Sun Pleasure!!』が、あえて別のセッション(他にもサン・ラには翌1960年録音で『Sound Sun Pleasure!!』と同年発売のスタンダード・ジャズ集『Holiday For Soul Dance』1970があります)からの追加曲を足さなかったのも、このセッションの統一性のためだろうと思われます。

映画日記2017年6月27日・28日/ スタンリー・キューブリック(1928-1999)監督作品全長編(4)

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 キューブリック監督作品全長編もあと4本になりました。いずれも大作なので2本ずつ2回に渡ってご紹介しますが、そもそもキューブリックの長編劇映画は13本しかないわけです。つい先日フリッツ・ラングの全劇映画をご紹介しましたが、ざっと42本、そのうち4本は2部作ですから正味46本に加えて匿名(別監督名義)が2本あり、うち1本はソフト化されていないので観られませんでしたがジャン・ギャバンの大戦中のアメリカ亡命時のハリウッド・デビュー作『夜霧の港』Moontide('42、共同監督アーチー・メイヨ単独名義)は観られたので、フィルムの現存しないサイレント時代の第1作と第2作を除けば幸運にも全作映像ソフトで再見・初見することができました。ラング作品47本をマラソン視聴とすればキューブリック13本は全部観てもショートステイか社員旅行程度で、確かに大作は多いですが2時間半~3時間越えの大作の数なら戦前ドイツのサイレント時代・戦後西ドイツ復帰後のラングだって大作ばかりです。ただし確かにキューブリック作品は1作に数年かけているだけの重みがあり、年1作ペースで職人監督のキャリアを全うしたラングと比較するのも野暮なことでしょう。今回最初に取り上げる1975年の『バリー・リンドン』の時点でキューブリックは46、7歳ですが、ここから後は1作ごとがライフワークの風貌を見せてきます。こうした孤高の寡作映画作家はエイゼンシュテインやオーソン・ウェルズを持ち出すまでもなくいつの年代にも存在しますが生前常に評価と商業的成功を維持していた例はこのタイプの監督には少なく、何よりヒットメーカーとしてのカンと手腕では抜群だったことがキューブリックの強みだったのを痛感します。
(なお例によってデータはダゲレオ出版『キューブリック』'88に拠りました。)

●6月27日(火)
『バリー・リンドン』Barry Lyndon (米ワーナー・ブラザース'75)*185min, Color, Widescreen (European Vista)

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・昭和51年(1976年)7月3日日本公開、配給・ワーナー・ブラザース。上映日数35日、観客動員数10万7,193人、興行収入1億2千478万円(小ヒット/大都市=ヒット、地方=苦戦)。コピー「《風雲児》バリーの華麗なる愛と冒険の大ロマン!構想4年=壮大なスケールとかつてない巨額の製作費で描く映画史上最高にビューティフルなアドベンチャー!今世紀最大の豪華巨編……いま絢爛とときめく」。原作は19世紀イギリスをチャールズ・ディケンズとともに代表する大作家ウィリアム・サッカレー(代表作『虚栄の市』)の初期長編でこの映画化まで一般的にはほとんど忘れられていたもの。日本語訳も本映画化に伴って初めて訳出されたが(角川文庫)19世紀イギリス文学は不人気なのですぐ絶版になっている。時代と舞台は18世紀のアイルランド。幼くして父親を決闘で亡くした母子家庭の平民バリー(ライアン・オニール)は母子ともども親戚家で暮らしていたが、従姉妹ノーラの誘惑で恋人気取りだったバリーは村を訪れた連隊長クィン大尉の求婚を受け入れたノーラに絶望してクィン大尉を決闘で倒し、友人グローガン大尉の手助けで逃走する。早々追い剥ぎに逢い無一文になったバリーはイギリス軍に拾われ入隊し、数か月後増援部隊のグローガン大尉に再会するも勃発した七年戦争のフランス戦線でグローガン大尉は戦死、バリーは脱走兵となる。故郷に向かうバリーはプロシア軍に遭遇し脱走兵と見破られ、仕方なくプロシア軍に入隊。戦功を立てたバリーは社交界の有名賭博師シュヴァリエ・ド・バリバリの従者となり内偵する任務を科せられるが、賭博師もアイルランドからの放浪者という境遇から親友となったバリーは警察を裏切り賭博師の国外追放に便乗してプロシアを脱出、二人で全欧の社交界を荒らしまくる。バリーがイングランドの若い女伯爵リンドン夫人と恋に落ちると間もなく、その夫老リンドン卿は心臓発作で急死する……。ここまでが第1部で、第2部はリンドン未亡人と結婚してバリー・リンドンとなったバリーが爵位の取得に奔走するも失敗し、バリーの放蕩三昧の生活が貴族社会の反感を買い、リンドン夫人の連れ子ブリンドン卿が成長するほどバリーに反抗し、バリーとリンドン夫人との息子ブライアンも幼くして事故死し、リンドン夫人は自殺未遂の後無気力になりバリーは酒に溺れ、ブリンドン卿からの決闘申し込みにバリーは地面を撃つがブリンドン卿の狙撃からバリーは片脚切断の重傷を負い、リンドン邸の主人となったブリンドン卿は生涯年金の代償に生涯イングランド追放の条件を出し、その後のバリーの行方は噂にしか伝わらない、というテロップとともに映画は終わる。最近ラングの『ドクトル・マブゼ(副題、大賭博師)』'22を観直して思い返せばサイレント時代の上流階級映画はなぜギャンブル場のシーンが多いのか、わざわざ副題に『大賭博師』と題しているのかといい歳をして思ったが、本作を観直していんちきギャンブル達人の偽貴族とはいんちきだろうと詐称貴族だろうと上流階級社交界の大スターだったんだな、とようやくわかった。現代では知らないが1920年代まではそういう人物が現代映画に出てきてもリアリティがあった、ということになる(代表作はもちろんシュトロハイムの『愚なる妻』'22)。題材面でもインパクトが強い作品が続いたので鳴り物入りの大作だった本作(当時「少年マガジン」にあった見開き2ページの「淀川長治の映画の部屋」でも取り上げられていた!)は開けてがっくり長閑なイギリス時代劇、というのが全世界的な反響だったようだが、キューブリック映画中これほど再評価が進んだ作品はなくて近年の世界映画ベスト投票では『2001年~』に次ぐ位置につけている。画期的な自然光撮影はもちろんリアリズム手法の革新性、小津安二郎の世界的な見直しに代表される「Slow Movie」の潮流など専門家評価が異常に高い。小さなエピソードごとの演出も細部まで練り込まれて、イギリス軍脱走の経緯(川で水浴中の同性愛カップルの上級兵から持ち物と衣類と馬を盗む)からドイツの出兵中の母子家庭にもてなされてプロシア軍に捕まり民間人を装うもすぐに身元がバレて強制的にプロシア兵にされるまでなど梗概にすれば割愛されるような過程と大胆な飛躍を巧みかつ丁寧に織り交ぜ、大根役者オニールならではの存在感に代表される自然な流露感があり、テーマとしては時代劇版『時計じかけのオレンジ』ながら正反対のアプローチで大成功している。この大きな振れ幅でどちらも1作で独自の完成度を決めてみせたのが実力の証明で、どちらを取るかとなったら本作になるという分『時計じかけ~』への評価も上乗せされるのが本作の再評価の一因でもありそう(逆に『バリー~』への評価が『時計じかけ~』に上乗せされることはあり得ない)。3時間の大作が小気味よく観られ、良い大河小説を読んだ後のような満足感と無常感を抱かせる。円熟すればいいというものではないが広く社会構造や歴史的認識、深い人間性への洞察などにキューブリック作品中もっとも作家的円熟を感じさせる渋みの効いた大人のための大人の映画なのが何よりも本作の強みだろうか。

●6月28日(水)
『シャイニング』The Shining (米ワーナー・ブラザース'80)*119min, Color, Widescreen (European Vista)

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・昭和55年(1980年)12月13日日本公開、配給・ユニバーサル。上映日数49日、観客動員数14万8,251人、興行収入2億2千263万4,000円(ヒット='81年洋画配給収入第11位)。コピー「キューブリックの映像がとらえた20世紀最大のモダン・ホラー最高傑作!いま恐怖の潮流が日本全土を押し流す!」。前作が評価、興行成績ともに当時まずまずながら地味な題材ゆえに大ヒット作とはならなかったことからベストセラー作家スティーヴン・キングのホラー小説を映画化し主演も大スターのジャック・ニコルソンを起用、今回は評価はまちまちながら興行成績は狙い通り大ヒット作となる。舞台はコロラド州の観光ホテルで、冬期5か月は雪に閉ざされて休業する間の管理人に新人作家の元教師ジャック(ニコルソン)が雇われ、妻ウェンディ(シェリー・デュヴァル)と幼い息子ダニー(ダニー・ロイド)とともに一冬をこもることになる。ジャックは小説執筆の専念にも好都合と進んで応募したのだが、ホテルの支配人は雇用の決定後に数年前、その年の冬期管理人が発狂して妻子を虐殺して自殺したことを伝える。ダニーはホテル管理の決定を喜ぶ両親の会話を聞いて幻覚を見る。ホテル閉鎖の日、申し送りのために着いた一家はホテルを案内され、ダニーは黒人料理長ハロランに「シャイニング」能力(テレパシー)の素質を見抜かれ、やはりシャイニング能力のあるハロランにホテル内の危険に警戒するよう教えられる。そして親子3人だけの雪に閉ざされた巨大観光ホテルの管理滞在が1か月を過ぎた頃から……。ホラー作品なので梗概はこれだけ書けば十分だろう。もともとストーリー、プロットともに本筋そのものは単純明快を好むキューブリックだから、かつてないほど細かいエピソードを積み重ねて構成した前作の後はセールス・ポイント抜きにも軽いものを作りたかったのではないかと思う。'70年代のホラー映画ブームを横目で観ていたキューブリックとしては、かつて第3作『現金に身体を張れ』(殺人計画の話ではないのに原題『The Killing』はハッタリだと昨日気づいた)をフィルム・ノワールに、『スパルタカス』を70mm大作史劇にピリオドを打つタイミングで世に送ったように、おれが作ればホラーだって、と勝算はあったに違いない。事実良い出来なのだが、キューブリック作品史上初めての手抜き映画なのではないか。引き延ばしの跡が見られるのは第2作『非情の罠』に少しあったがあれは回想シーンで引き延ばしても全編で67分という自主製作の小品だったし引き延ばし感はなかった。本作はダニー少年の幻覚シーンの使い回しがこれでもか、というくらいくり返され音楽的構成と褒めようと思えば効果を認めないでもないが『2001年~』以来のクラシック音楽使用についてことさら触れなかったのはキューブリックの場合はポップアート的なニューヨーク流のキッチュ趣味(キューブリックはウォホールやリキテンシュタインと同時代のニューヨーカーでもある)と感覚的には変わらずクラシック音楽の導入は現実音の強調に伴うものと考えられるからで、従来型の映画音楽が現実音をマスキングしてしまうことに気づいたサウンド映画の再定義に意味はあった。強迫的映像の反復となるともともと広角レンズならではの閉所恐怖症的映像に時おり広所恐怖症(高所はあまり怖くないらしい)も加わるキューブリックの好みもあってか、ニコルソンやデュヴァルの熱演もあって先の読める展開の上に映像までくどいと恐怖と笑いが紙一重で、劇伴と効果音つきサイレント映画を観ているような気になる。いつからこんなサイレントくさかったかと思えば第4作『突撃』からは『スパルタカス』にしろ『ロリータ』にしろSF3部作や『バリー・リンドン』まですべてそうで、実は次作『フルメタル・ジャケット』と遺作『アイズ ワイド シャット』もサイレント映画くさい。正確に言えば現実音と音楽シーンが独立していて、いわゆる映画音楽(映像付随音楽)のオペラ的手法が確立していなかった初期サウンド映画試行時代の発想法に近い。キューブリックは1928年生まれだから映画音楽の確立以降に本格的な映画体験を受けたはずだが、映画作家的なカンからルーティン化した映画音楽やサウンドのあり方を洗い直した時にたまたまサイレント映画のあり得たかもしれない発展型にたどり着いたとも思える。『シャイニング』自体は手抜き映画だが手抜きならではの気楽な楽しみがあり、キューブリック=サイレント監督説の例証には『2001年~』と並ぶ作品(この2作は例によって全然似ていないが)でもある。くどいと言いつつテンポは快調なのでもうちょっとシナリオに凝って内容の伴うエピソードを追加し(料理長ハロランや「シャイニング」能力については伏線が全然生きていない)、2時間半とは言わずとも『時計じかけのオレンジ』くらいの長さは堪能したかった。結末があまりにあっけなくて腹八分目までも行かない。でもまあ、それも狙い通りだったのだろう。

ブログ1回分の作文所用時間

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 ブログを書くのにどのくらい時間がかかるかインドネシアから質問をいただいたのでお答えしたい。まずパソコンを持っていないので4年前まではいわゆるガラケー、ガラケーが壊れた4年前の秋からはスマートフォンに買い替えてスマホで書いている。壊れたガラケーは画像の通り。ボロボロです。で、ガラケーではブログの投稿は1回1,000文字までという分量制限があったのでその分量に収めて書いていた。200字詰め原稿用紙(雑誌メディアでは通常400字ではなく200字詰め原稿用紙が使われる)で5枚に相当するのでコラムとしては順当な分量だがまとまった内容を書くには窮屈に感じることも多い。ところでスマートフォンを試してみるとモバイル用ブログでも制限が20,000字までなのがわかった。400字詰め原稿用紙で50枚、十分映画の原作にはなる程度の長さの短編小説ほどの分量だからさすがに毎回そんなに書けはしないし、入稿というゴールに向かって年中スタンピードを強いられる職業ライターはとうにもう廃業したのに毎日50枚も書いていたら療養生活にならない。そこで最初から1,000文字以内に収める作文と分量自由な作文の2通りに分けて考えることにした。分量自由といっても上限20,000文字ならまず越えることはない。何回か書いてみると分量自由で作文してみた場合はほぼ5,000文字前後になった。400字詰め原稿用紙換算12~14枚といったところで、大体それが1テーマあたりの作文に要する適量のようらしく、つまり思考の持続時間と射程距離が届く自然な長さがその分量ということになる。注文仕事ならもちろんその限りではないが、今書いている作文は注文ではなく療養中のリハビリテーション、ボケ防止のためですらなく単なるひまつぶしにすぎない。作文ほど元手がかからず時と場所を選ばない手軽な趣味はない。
 そこで作文所用時間だが、長さはあまり関係ない。書き出しが決まればだいたい1時間程度で書き終える。書く前の構想(というほどのものではないが、この段階で段落ごとの小見出しを書き始めることもある)と書いた後の手直し(手直しでさらに長くなったり、大半新しく書いて差し換えることもある)が各30分~1時間ほどだから最短ならば1時間、手間取って2時間半、というところだろうか。1,000文字作文の場合でも5,000文字作文の場合でも所用時間は大差ない。短い作文ほど行文に気を使うし、長ければ勢いが落ちないうちになるべく一気に書く。てにをはや文末表現は一旦書き上げてから手直しすることが多い。もちろんスマートフォンは両手打ちとか親指打ちはできないしブラインドタッチなどできない。右手の一本指で打つが、打ちやすい指は薬指なので薬指の側面で打つ。どだいブラインドタッチなどできたところで思考の速度より速く打てても無駄なのでパソコンでもスマホでもブラインドタッチなど覚える気は毛頭ない。5,000文字作文を案出・推敲含めて2時間半程度というと一見速いみたいだがいやいやいや、ご覧の通り下手な作文だから速い以外に取り柄などないのが実情で、時間をかけるとかえって散漫になるのは毎日5,000文字(前後)の作文を書けばわかる。ブログを始める前は大学ノートに細かい字で1日1ページ日記を書いていた。それがほぼ毎回5,000字程度に相当していたはずで、サド侯爵もバスティーユ牢の中で巻紙に『ソドムの百八十日』を書いていたペースはこんなものだったのではないかと思われる。サドの遺稿とこんなものを並べて語るなど不遜もたいがいにしろ馬鹿者と自戒するが、今回ちょうど1時間で仕上げた作文(1,600字)の見本になったのでご容赦いただきたい。せっかくの作文なのだからせめてもう少し芸なり哲学なりを入れたいものだとたまには反省するのも良いかもしれない。国民の義務も果たさず社会的信用も皆無な人間がこんなことを言ってもちゃんちゃら可笑しいだけではあるが。
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